« 発泡酒が飲めない | トップページ | 娘たちの影響「鋼の錬金術師」 »

2005年6月 4日 (土)

初めての三里塚

 三里塚の地に初めて行ったのは、84年の夏のことだったと思いますが、成田用水の測量阻止行動でした。成田用水というのは空港によってアスファルトが北総大地を埋め尽くしているわけですが、そのために大量の雨水が大地にしみこむことなく滑走路にあふれます。それを排水するための用水路の建設を行う物でした。 

 空港事業の一環ですから、三里塚芝山連合空港反対同盟と支援団体は抗議行動を行いました。僕は「三里塚の現実を見てみないか」と誘われ、百聞は一見にすぎずとの言葉もあることだしと参加しました。反対同盟農民の所有する田んぼには沢山の支援が集まっていて、500人くらいはいたでしょうか。全学連のほかにも社会主義青年同盟解放派に共産主義者同盟戦旗派、共産主義者同盟蜂起派等が青や赤のヘルメット姿で集まっていました。そして会場を取り巻くように大量の機動隊が乱闘服に盾の姿で集結する異様な雰囲気に最初は気後れしている自分がいました。

  集会の後測量の行われている現地に向けてデモ行進が始まったのですが、デモ隊に対して機動隊が規制のために盾を全面に押し出して圧迫してきます。全学連の学生に対して掴みかかったり小突いたりしてデモの妨害をします。それに対してデモ隊はスクラムを組んで押し返します。時折、機動隊が後退する局面なども有り、僕は次第に興奮していきました。何で、デモをするだけで規制されたり乱暴されなければならないのか、反対を機動隊の力で押さえつけようとする空港事業とは何なのか、目の前で僕たちに乱暴する機動隊への怒り、そんなもので頭の中が一杯になったのを覚えています。

  三里塚反対同盟が成田空港に反対する理由は、66年の閣議決定で地元に名の説明も無く、問答無用で三里塚の地に空港を建設する事が決められた事と、当時は羽田空港が米軍のチャーター機で満杯となったために首都圏の空港が必要になった事から、軍事空港として利用される事への反戦運動との二つの大きな理由が有りました。それらの理由はデモを通して漠然と理解出来たのがこの時の大きな収穫でした。その日以降僕は三里塚闘争や学生運動に関する本を読みあさるようになったのです。

  成田空港が今日軍事利用されている事は案外知られていないかも知れませんが、中東湾岸戦争・イラク侵略戦争などでは米軍兵士を乗せたチャーター機が運行されたり、輸送機が発着した理などしています。また90年代の日米安保ガイドライン(英語ではウォーマニュアル)の改定では、米軍の申し入れの中には成田空港・関西空港を始めとする多くの空港を利用出来るようとの申し入れが有りました。

|

« 発泡酒が飲めない | トップページ | 娘たちの影響「鋼の錬金術師」 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111250/4407463

この記事へのトラックバック一覧です: 初めての三里塚:

« 発泡酒が飲めない | トップページ | 娘たちの影響「鋼の錬金術師」 »