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2005年7月21日 (木)

とある大学生さんへ。

  とある大学生さん、改めましていらっしゃいませ。コメントを書いていたら長くなりましたので独立した記事にします。

 あなたのように、これこれこのような事実があるがどうだろうと、具体的に書いてくださる場合には健全な論議が出来ると思いますから歓迎します。罵愚氏の場合は、「侵略など無かった」と言いながら、根拠を示してくださいとの私の求めに答えようとはせず、嘲笑するがごときトラックバックを続けたことから荒らしと判断しました。
 日本の近現代史の中で日本の国土に攻め入った国はアメリカしかないことは承知いただいているかと思います。それ以外の戦争や事変と称される物は全て日本が他国の領土で行った物ですね。その後他国を占領したり植民地にしているわけです。自衛のための戦争なら、脅威が無くなった時点で軍隊を引き上げても良いのではないでしょうか。
 パラオなどでの例を出しておられますが、軍隊には宣撫士官という物が存在していました。分かり易く言うと占領地の人々をいかにして協力させるかの宣伝工作をする軍人です。ですからその士官の力量によっては日本に好意的な人々がいてもなんの問題もないのです。
 例えば、相当昔に読んだので出典を忘れましたが、パプアニューギニアで現地人が日本軍の陣地を襲撃したとき、宣撫士官だけは「おまえは良い日本人だから命は助けてやる」と行って見逃してくれた例もありました。
 読売新聞の記事ではおそらく、当時の政治情勢については書いていないのではないでしょうか。タイ王国は当時中立国として振る舞うことで政治的独立を保っていた国なのです。そこへ日本が軍隊を派遣して東南アジア征服の拠点にしています。タイは好んで日本軍を受け入れたわけではありません。
 台湾についてもそうなのですが、日本が植民地にした当初沢山の抵抗闘争が行われ、多くの台湾人が殺害されました。「台湾理藩」と言います。これについては日本軍の中からも数多くの戦死者が靖国神社に祀られていますから、いかに激しい抵抗があったのかは分かっていただけると思います。

 台湾やタイ、パラオでも、どこの占領地、植民地でもそうなのですが、証言している人の社会的地位、経済的立場、政治的立場をよく考察していただきたいのです。日本軍と結託して利権をむさぼった人々からすれば、日本軍に好意的立場になってその様な証言をします。逆に日本軍によって家族を虐殺されたり苦しめられた人々は日本の侵略を孫子の代まで語り継ぎます。どちらが多かったのか。それをふまえながらご自分の考えをまとめてください。

 私自身は系統的に歴史学を学んだわけではありませんが、宜しければ一緒に学ぶことは出来ると思います。疑問な点などがあればいつでもコメント欄にお書き下さい。

 

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 マルクスの恋人さんようこそお越し下さいました。助勢感謝します。

投稿: アッテンボロー | 2005年7月23日 (土) 11時03分

間違いが見つかりましたので指摘します。

朝鮮併合は、確かに朝鮮国王の印鑑が押されていますが、完全な自由意志だったと思ってますか?
仮にそうだとするなら、1907年のハーグ密使事件はなんですか。日本の侵略を国際会議に訴えようとした国王に対し伊藤博文が何をしたのか、一度自分で調べなおして御覧なさい。

日露戦争後、満州国建国まで30年近い歴史を知らないんですか? ロシア軍は撤退し、軍閥の抗争はありましたが1931年の段階で張学良は中国国民政府に帰順し、満州は間違いなく中華民国の領土になっていましたよ。

日本軍はインド入りしていません。明らかな間違い。インド独立運動の巨頭ネルーが日中戦争に激怒し、日英開戦後は積極的対英協力を図った(しかしインド人の高位登用を要求したため逮捕)こと知ってたら、絶対に出てこないデマです。

ところで、フィリピンやビルマには仮にも現地政権を樹立したのに、インドネシアやマレーシアは(戦前から独立運動はあったのに)最後まで直接軍政のままだったのご存知?
ここは重要な資源地帯だから、アメリカとの戦争遂行のために日本がどうしても直接握る必要があったから。
あなたの言うとおりなら、どうして1943年春に御前会議で決定した「大東亜戦争指導大綱」にこれら地域名を列挙して「“帝国領土と決定し”、重要資源の供給地として極力これが開発並びに民心把握に務む(“”は引用者強調)」なんて書いてあるの?

残留日本兵の皆さんの奮闘は事実であり、英雄的行動なのも確かですが、人数からすると例外的存在(東京はもちろん現地日本軍高官は、連合軍の機嫌を損ねると迅速な帰国に差し障りが出ることを心配し、連合軍にへつらっていた。連合軍の命令で独立運動弾圧をやった部隊は珍しくない)であり、しかもその人たちが今も脱走兵扱いなのも知らないんでしょうね、あなたは。

近代化論について最後に一言。ソ連もアフガニスタンの近代化に並々ならぬ努力をし、社会資本の整備や迷信の打破のため莫大な資金も資材も投入し、実際識字率や医療水準は上昇傾向(少なくとも内戦激化までは)だったはずですが、あなたソ連が手を出さなかったよりずっと良かったとお思いですか?

投稿: マルクスの恋人 | 2005年7月23日 (土) 10時45分

 当時の「経済的に自立できない国を国際的秩序の観点から文明国が植民地化するのは「合法」でした」という部分は、資本主義の荒波におそわれることによって経済的自立が破壊されたのです。それ以前は自給自足体制ですから。更に「合法」は砲艦外交で強制した結果です。
 インド独立については誤解があるようですが。日本と協調していたスバス・チャンドラボースはインドでは評価が低い政治家です。むしろ日本と手を組んだことでマイナスの評価を受けています。

投稿: アッテンボロー | 2005年7月22日 (金) 09時28分

おやっ?気が付くと、 とある大学生さんの投稿が先に(笑)

投稿: 主義者Y | 2005年7月21日 (木) 18時24分

台湾については、大陸からやってきた国民党による苛烈な統治、外省人支配を経験してきたという要素もあるでしょう。それへの反発から日本統治時代への憧憬を呼び起こすという構造ですね。
パラオ、サイパンなどの南洋群島は第一次大戦の結果、ドイツから継承したという経緯があります。軍事侵攻によって領土を獲得したというのとは構図が違う。
アジア太平洋戦争期のマレーシアでいえば、反日意識の強い中国系住民をおさえるためにマレー系を優遇する政策をとったという事情があります。半島部およびシンガポールでは中国系住民が多数、日本軍によって殺されています。
インドネシアは中央の命に抗した今村均大将の軍政統治が比較的うまくいったこと、日本敗戦後の残留日本軍兵士がスカルノの独立軍に加わってオランダと戦ったということも、一定程度の親日意識を生み出したと思われます。
日本の支配・占領といっても地域によって様々な違いがあり、一様にどうこうとは言えないと思います。韓国・中国のように独立国家としてあったものを丸ごと呑み込んだり、多年にわたって戦争状態で占領し続けた場合は明らかに侵略と言えるでしょう。

日本の国土を占領した国はアメリカだけでなく、南樺太や千島を考えればソ連も含まれるのかな。

投稿: 主義者Y | 2005年7月21日 (木) 18時06分

朝鮮併合→日韓併合でしたね.

書き忘れたのですが,読売新聞のタイ人は一般の農民の方でしたよ.加えて,『利権をむさっぼた人々』とおっしゃられますが,日本は分け隔てなく現地の人に教育を施し,医療も充実させていきました.特定の階級のみに取り入ったわけではないと考えています.

お返事いただければ幸いです.

投稿: | 2005年7月21日 (木) 17時50分

私のために独立記事を立ち上げていただきありがとうございます.
自分のブログがあればいいのですが…恐縮ですがコメント欄を占有いたします.

まず,当時は,経済的に自立できない国を国際的秩序の観点から文明国が植民地化するのは「合法」でした.これはご承知いただけるかと思います.そして,朝鮮併合は朝鮮元首の賛成を以って無血のうちに行われています.宗主国と思っていた清国が欧米国にたこ殴りにあったのを見て庇護を求めたからです.また,満州もすでにロシアが占領していたものを日本が解放して親日的な国家を作ったまでです.台湾は清国も手をつけない暗黒の未開地でしたから合法の範疇に入ると思います.ここに,アッテンボローさんの言う違法な軍事侵攻はありますか?

東南アジアに関してもすでに列強の植民地になっていた国を解放し,再び白人の魔の手が伸びないように軍をおいたのでしょう.インドが日本の援助で独立回復に成功したのは周知の事実です.『自衛のための戦争なら、脅威が無くなった時点で軍隊を引き上げても良いのではないでしょうか』とおっしゃいますが,「白人によるアジア支配」の脅威は最後までなくならなかったのではないでしょうか.現に,日本が敗れてから再び東南アジアに列強が舞い戻り,独立戦争が繰り広げられています.その時,残留日本兵は解放側に回って戦ったと言いますから,戦時中も同様の心積もりで駐屯していたのではないでしょうか.

欧米列強が植民地を搾取の対象としていた歴史に対して,日本は「NO」を実力で以って突きつけ,植民地といえど道路を造り鉄道を敷設し衛生環境を整えて現地の生活水準を改善したことは事実です.それは防衛ライン・資源の確保という下心があったにせよ,やはり白人に蹂躙され続けるよりも救いのある道だったと思います.

東京裁判のオランダ代表判事を勤めたレーリンク(孫引きですが)は,『日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、その四半世紀もたたないうちに、昭和三十五年に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした』と言ったそうです.まぎれもなく我々先祖の奮闘のお陰ではないでしょうか.

間違いがあったらご指摘ください.長文失礼いたしました.

投稿: とある大学生 | 2005年7月21日 (木) 17時09分

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