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2005年7月26日 (火)

新歓闘争。大学動員。

 四月の初めは大学で様々な新入生歓迎行事が行われ、部活やサークルが新人獲得のために勧誘を行う季節だ。全学連にとってもそれは同様で、新入生をオルグして新たな活動家やシンパを獲得するために忙しい季節だ。その応援のために反戦派労働者や専従活動家が動員される。年配の人は主に見張りやビラまきなどの役割が当たるのだが、若かったためか、署名などで新入生と話し込む任務分担が回ってきたこともある。

 某公立大学の場合、他党派は民青と民学同しか存在しないため、集合場所は大学生協の前となっていたが、某国立大学の場合には赤ヘルグループがいくつか存在している上に、革マル派が時々現れるために、動員に当たっている労働者は前夜の内に拠点の大学寮に集合することになっていた。幌付きのトラックの荷台に十数人が乗り込み、偵察担当の学生が待ち伏せの有無を調べながら前進する。文字通り戦争のような感じだった。異常なしとなると全員が下車して、全学連が占有する教室に入る。学生が展開している間中防衛隊として待機する。

 待機中は皆が思い思いの事をして過ごしている。本を読んで学習する人、腹筋や腕立て伏せをして体を鍛える人。時たま思い出したように全員で旗竿を槍に見立てて刺突の訓練を行った。交代で十数分から二十分くらい歩哨に立つ。そうして一日過ごすのが大学動員だった。展開が終了して撤収する際は、やはり学生が周囲を偵察して、安全を確認してからトラックに乗車して、いったん寮に戻る。その後「送り出し」と呼ばれる解散の過程が始まる。トラックで町中をあちらこちら走り回り、尾行のを有無を確認してから下車、解散する。この動員は90年くらいまであっただろうか。

 はじめの頃、まだ自動車工場で働いていたとき、夜勤明けに動員されることがあり、一睡もしないまま大学に行ったことがある。一日展開してそのまま出勤した。翌朝近くなると頭がもうろうとして自分が何をしているのか分からなくなったが、体は動いていた。時々班長が注意しにやってくる。部品の取り付けを忘れたまま、次の工程に流したためにラインが混乱したからだ。僕に限らずライン作業の過程では時々そんな事もあった。

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コメント

 蓑田植さん初めまして。そうですか房国立大学の寮におられたのですね。学生の人たちのあだ名は殆どが顔と名前が一致しないのですが、二人だけ心当たりがあります。ピアノが好きだった方と全学連の副委員長をした人です。宜しかったら当時の話など教えてくださいね。

投稿: アッテンボロー | 2005年9月13日 (火) 22時57分

 わっ。丸太町寮ではないですか。丸太町寮は、1979年に労働党の委員長と書記局長がどじ踏んで解任され、そのスキに上野やカッシーが、パタリロ、ゴケ、のびたらをオルグし、さらにその下の世代も。近衛寮にいた僕らは勿論、丸太町寮に多数いた赤ヘルノンセクトも気づかなかったのでは。そして、1981年から、三共闘系でなく、独自に黒ヘルで三里塚に登場。その過程で多数の別の路線の闘争団体を丸太町寮から追い出し、B棟3階に要塞を築き、つぶしオルグをしました。その後、そういう緊張感なき丸太町寮では多数の無関心層を生み、よっぽど一般学生よりも卒業後の生き方は反動的ですらある層を生み出しています。幌のトラックは情報を遮断する、北朝鮮のカーテンやんけと、当時、揶揄していましたよ。
 ノンセクトの頃のゴケさんは勉強家で尚賢館でクラス情宣で待って入るときでもブルバキの数学書を読んでいました。彼は中核にいっても好きな人でした。シンイチロウさんも。モッキーやオクムラは最悪でしたね。演技だとしても。

投稿: 蓑田植 | 2005年9月13日 (火) 21時56分

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