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2005年7月21日 (木)

日本近現代史のおさらい。その1

 とある大学生さんと歴史認識をすり合わせるために、簡単に日本近現代史のおさらいをしたいと思います。先の記事で記憶に頼って書いたために曖昧な部分があったからです。テキストとしては山川出版社発行の「Story日本の歴史-近現代史編」を使用します。中学・高校生向けの歴史参考書ですので歴史学会で特別異端な説は載っていません。

 先ず日本の開国から見ていきましょう。1858年日米修好通商条約が締結され、日本の鎖国は終わりを告げます。その後イギリス・フランス・ロシア等とも条約を締結する訳ですが、欧米列強にとって一方的に有利な不平等条約である事から後に外務大臣陸奥宗光が中心になって条約改定を行います。この時期の日本史については学校の授業で習ったりしていますし、大河ドラマなどでも良く題材に昇りますから流します。

 「日本が朝鮮に一歩先んじて国内体制を転換させ、西欧諸国に似た近代国家への道を歩み始めると、支配者は早くも近隣諸国侵略の要求を強めていく。西郷隆盛や板垣退助ら明治維新の指導者たちの征韓論は、早い時期のそうした例であった。朝鮮にすれば国内変革を迫られる困難な時期に、間近に新たな侵略者を加えることになった。一八七五年の江華島事件を背景に、日本は軍事的な威嚇のもとで翌年不平等な日朝修好条規を押しつけて朝鮮を開国させる。朝鮮支配への第一歩であった。」

「朝鮮植民地化 壬午軍乱、甲申政変などを通じて介入を強め、日清戦争で清の朝鮮への影響力を排除した日本は、日露戦争下で朝鮮の植民地化を本格化した。戦後の第二次日韓条約(一九〇五年)では韓国(一八九七年に国号改定)に統監府を置いて保護国化し、外交権を奪う。韓国皇帝がこうした支配の不当性を国際会議の場であきらかにしようとしたハーグ密使事件が起きると、第三次日韓協約(〇七年)を強要して内政権を奪い、さらに軍隊を解散させた。」「韓国内では激しい抵抗運動が起こる。一八九五年の日本公使館による王妃、ビン妃殺害事件をきっかけとして始まっていた反日義兵闘争は、協約で解散させられた軍人たちを加えて拡大した。愛国文化啓蒙運動など民族文化振興という形の態幸運をとも盛んとなった。そうした中で前統監伊藤博文が安重根によって射殺されると、日本はこれを理由に一九一〇年、強要して韓国併合条約を結び、韓国を植民地とした。」(以上前掲書より引用)

 以降朝鮮総督府を置いて陸海軍の大将が朝鮮総督として「武断政治」を行い、「土地調査事業」で村の共同耕作地などは日本政府の物として取り上げ、多くの農民が小作農あるいは失業者となった。取り上げた土地は日本の企業や国民に安く払い下げられる。私の父方の祖父は貧農の出身であったが、一九三〇年代に朝鮮に土地を買って、元々の持ち主である朝鮮人を小作人としてこき使って地主として贅沢な暮らしをした。

 一九年の三.一独立運動は二〇〇万人以上が参加する大規模な物となる。日本の公式記録では二四〇〇〇人の死傷者を出して鎮圧している。一八年の米騒動による日本国内の米不足を補うために朝鮮からは大量の米が日本に運ばれ、朝鮮の農民は没落して流民化していく。満州やシベリア、日本内地に移住する人が多く現れる。在日朝鮮人の始まりである。三一年の満州事変以降、それまでの農産物供給地としての位置づけが中国・東南アジア侵略の後方基地、兵端基地に変更され、様々な工業化が朝鮮北部で行われる。全ては日本の資本による物で、朝鮮の民族資本は没落していく。三九年の国民徴用令等で日本国内への強制連行と朝鮮北部での徴用も行われる。三八~四五年に数百万人とも言われている。

 植民地化以降の「同化政策」は欧米の行った植民地支配に比べて、言葉や習慣、文化や社会制度まで日本人化しようとする徹底した物であった。「皇国臣民の誓詞」を大人にも子供にも唱えさせ、「宮城遥拝」「日の丸」の強制「創始改名」等々朝鮮人の民族性をとことん破壊しようとした。この支配に対して中国国境付近を根拠地とする反日武装闘争や中国の重慶に金九らの大韓民国臨時政府が組織した韓国光復軍等による独立運動が闘われる。四五年、日本の敗戦と共に植民地支配が終了する。八月一五日は朝鮮、韓国ともに光復節という祝日である。

 以上日朝・日韓関係の歴史経過を簡単にまとめてみましたが、これだけでも長くなったので台湾については後日。                                             

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 あまり気にしないで下さいね。僕も力量不足からとある大学生さんの質問に答え切れていない部分が多々ありますから。

投稿: アッテンボロー | 2005年7月24日 (日) 13時31分

ちょっと冷静になって自分の投稿を読み返すと若干興奮気味で支離滅裂になってますね.うららかさんのご指摘の通り,主観はまずいといいながら結論に自分の主観をいれているあたり,論理破綻していてお恥ずかしいです.主観闘争に興味がないというのも現実を無視した発言でした.

主義者Yさんのおっしゃる『さまざまある「事実」のなかで、なにが大切な「事実」なのか、という取り上げ方』が歴史を語るときの真髄であることを肝に銘じて(これは罵愚さんが言うところの歴史は常に多面体であるってやつですね),極端な思考に陥らないよう(どちら側に対してでもですが),そして少なからず世に存在する歪曲された歴史像にも翻弄されないよう,これからも勉強していきたいと思います.

アッテンボローさん,主義者Yさん,うららかさん,つたない論理での議論を暖かく受け答えいただきありがとうございました.

投稿: とある大学生 | 2005年7月24日 (日) 13時23分

 うららかさんようこそお越し下さいました。相互理解をどうするか、おっしゃるとおりだと思います。宜しければ時々遊びに来てくださいね。

投稿: アッテンボロー | 2005年7月23日 (土) 14時06分

>なぜ,功罪の功には頑なに目を瞑って罪のみを囃し立てるのかということです.功と罪を両方掲げればいいのではないか,その後の判断は歴史を学んだその人の主観に任せればいいのではないか

「頑な」か、「囃し立てる」行為かどうかは主観によるのでなんともいえないところでしょうが、結果的に功となった部分をもって論じても本来の意図が持つ意味が覆ることはないでしょう。

大切なのは認識を共有し、相互理解する努力をどのように展開すべきか、ということではないでしょうか。たしかに中国や韓国の物言いには納得できかねるものが多いですが、だからといって「向こうがそうならこっちだって」と言わんばかりの嫌中韓意識のままでは未来に向かって話が進まないでしょう。あんまりドメスティックになっていても国際感覚から取り残されかねません。

投稿: うららか | 2005年7月23日 (土) 11時30分

チャンドラ・ボースについては、たしかにインドで一定慕われる存在であるという点は押さえておいていいと思います。これは「史観」というより、客観的な支持意識の実態としてふまえておくべきですね。ただ、日本が連携したのがボースであって、ガンディーやネルーの国民会議派ではなかった、という事実のほうに目を向けるのが、むしろ「史観」のちがいでしょう。さまざまある「事実」のなかで、なにが大切な「事実」なのか、という取り上げ方のちがいです。ちなみにボースはヒトラーからも支援を受けてます。
日本の植民地支配については、これは私の生半可な勉強からの推測に過ぎませんが、文字通りの「植民」という意味合いが強かったのではないでしょうか。満蒙開拓団などがイメージしやすいと思いますが、日本人が移民としてのりこんでいって占領地のインフラ整備をするという面も強かったと思います。で、その過程で原住の人々の生活を簒奪していくわけです。(「土地調査事業」など)
ナチス・ドイツも、ソ連打倒ののちは同じような構想を持っていました。ヨーロッパ大陸内部での「生存圏」の拡大です。
こういった点を考えてみると日独のそれは、英仏のような海外植民地帝国とは、また違う様相をもった膨張政策だったのではないか、と思えます。

投稿: 主義者Y | 2005年7月23日 (土) 08時24分

 簡単に書きますと自由主義史観に対応するのは唯物史観です。自虐史観というのは自由主義史観の側から唯物史観に対する蔑称であり、これに対応するのは自慰史観と言います。
 自由主義史観の側は、とある大学生さんがいみじくも言ったように「功罪」の「功」を強調する考え方です。反対に唯物史観の側はアジア侵略への反省から「罪」を重視すると言えば分かり易いかも知れません。
 コメントの後半に功罪両論併記で出来るだけ中立的な資料を残すべきではとの考え方については全く同感です。
 ただ、考えていただきたいのは朝鮮・韓国、中国では日本軍によっておびただしい犠牲者が出ていますから「功」の部分というのはあくまでも日本の都合で行ったことが後々アジアの人々が利用することが出来たと言うだけの部分が多いと思います。
 ドイツにアウトバーンという高速道路網があるのですが、元々はヒトラーが近隣諸国に軍隊を派遣するために作った物です。第二次大戦当初の電撃戦の基礎となりました。第三帝国が滅んだ後で平和になり、軍事目的の利用が無くなった結果ドイツ人をはじめとするヨーロッパ各国の交流に役立つようになりました。
 当初の政治的軍事的目的を抜きにして、インフラ整備が良いことをしたというのは朝鮮・韓国、中国の人々には受け入れてもらえないでしょう。

投稿: アッテンボロー | 2005年7月22日 (金) 22時48分

あらかじめ長文乱筆の非礼をお詫びします.

私は私が手にできる資料とweb上で見つけた信頼に足ると判断したソースを基にコメントしているので,史観云々と言われても面食らってしまいます.アッテンボローさんが私の意見を自由主義史観だと言ってしまえば,私はアッテンボローさんの意見は自虐史観だと言わざるをえなくなり,その時点で議論は平行線に陥ってしまいます.

私は単なる近代史にちょっと興味を持った理系学生ですから,真実が知りたいだけで史観論争に興味はありません.主観は一人一人違いますからね.「史観」という言葉があること自体が歴史は語る人によって異なるものだということを代弁していると思います.

例えば,枝葉末節な事由ではありますが,日本と協調していたスバス・チャンドラボースはインドでは評価が低い政治家とのアッテンボローさんのような立場の意見もあれば,インドの国会議事堂の正面にチャンドラ・ボースの肖像画が掲げられていて,インドでは現在も評価の高い政治家である(wikipediaより)とする意見もあるわけです.これこそ「史観」です.

歴史に「もし」はありませんが,もし韓国が日韓併合を拒んでロシアに占領されるという歴史をたどったとするならば,それはそれで民衆蜂起も起きたのだと思います.アッテンボローさんに指摘されてから,更に調べたら,確かに韓国において日本による搾取があり流民化した農民が存在したということを知りました.独立運動が朝鮮全土で行われたことも知りました.私はここまででいいわけです.そこに主観をはさんで「だから日本は大多数の韓国民の心情を害したはずなのだ」と主観をはさむつもりはありません.そこには当然,日本の援助を欲した立場の人達もいたからです.

私が言いたいのは,なぜ,功罪の功には頑なに目を瞑って罪のみを囃し立てるのかということです.功と罪を両方掲げればいいのではないか,その後の判断は歴史を学んだその人の主観に任せればいいのではないかということです.そのときには極力中立な史料を必要とするわけですが,歴史は「史観」で描かれることが多いわけで教える側・教わる側は最大限にそのことを注意して勉強していかなければならないのだと思います.

投稿: とある大学生 | 2005年7月22日 (金) 19時06分

 自由主義史観=現代の皇国史観では、枝葉末節に拘って歴史の大きな流れを無視する傾向があるのではないでしょうか。また通説に対してはその中に含まれている些細な誤りを針小棒大に捉えて通説その物の否定を計ることが多いと感じます。西郷が征韓論者であったかどうかは、とある大学生さんに譲るとして、そのことで参考書として全面的に否定するのは如何な物かと思います。
 朝鮮において清国との関係維持を図る事大党と日本との関係強化を図る勢力とが抗争していたことは事実ですね。それはどこの国でもある話です。問題なのはどちらの勢力が多くの朝鮮民衆の支持を得ていたかによって判断・評価が決定されるべきだと思います。三・一運動などは二〇〇万が参加している巨大な独立運動であったわけです。ところが日韓併合の調印をした韓国の政治家は民族の裏切り者として記憶されていますね。
 植民地の搾取についてはしていたのですよ。朝鮮人が流民化しなくてはならないほど食料を取り上げているわけですから。インフラの整備についても恩恵として捉えるのは間違っています。あくまでも日本の戦争体制構築のために行った物が、朝鮮独立の結果として人々の役に立つようになっただけです。

投稿: アッテンボロー | 2005年7月22日 (金) 09時14分

またもや長文失礼します.

んー,教科書丸呑みですか・・・西郷隆盛が征韓論者であるというのは俗説であって,これを示す史料は存在しないそうです.むしろ西郷は出兵論に反対して平和的交渉を推し進めていたようで,これに関しては1873年10月15日付で太政大臣三条実美にあてた「始末書」において確認できる史実なようです.この点からしてもこの教科書が信頼に足るものかどうか疑問が浮かぶのですが・・・

甲申政変に関して近代化に乗り遅れ列強の植民地になるかもしれないという危機感を持った朝鮮の憂国派が日本の軍事支援を受けて行おうとした「朝鮮版明治維新」であったという説明,日朝修好条約で日本が世界に先駆けて朝鮮を「清の属国」ではなく「独立国」として承認した説明,日露戦争に関してアジア全体の脅威であったロシアの南進政策に対抗するには朝鮮半島を植民地にしてでも保護する必要があった説明,ハーグ密使事件が排日勢力によって画策されたという説明,そしてなによりも韓国併合に関して当時の近代化を望む朝鮮の政治家(宋秉畯)らが欧米列強に対抗するには大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に委譲するのが最も現実的であると主張した説明が,意図的にかどうかしりませんが抜け落ちています.

また創始改名は朝鮮人側からの要望でなされた措置で届出制であったこと,日本は欧米とは異なり植民地から搾取することもせず,日本の国家予算を朝鮮のインフラ整備に充てて道路・鉄道・炭鉱・砂防・治水・電力・通信網の開発整備を行ったこと,っていうのも日本の教科書のくせにすっぽり抜け落ちていますね.

それにしてもこの教科書は歴史の奥行きさを感じないというか,一つの結論を無理やり導きだすように仕組まれているというか.嘘はつかない(西郷さんに関しては嘘ですが)が真実を隠しているみたいで卑怯ですよね.

アッテンボローさんはこの教科書に示された歴史認識「だけ」を全面的に受け入れているということでよろしいのでしょうか?

投稿: とある大学生 | 2005年7月22日 (金) 01時28分

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