スターリン主義について
ここしばらくhiroさんがコメントで中ソのスターリンや毛沢東による虐殺の問題を共産主義そのものの問題ではないかと指摘が有る。正直言ってスターリン主義の問題について人に説明出来るほど僕の理解は深くないのだが、出来る範囲で彼らが共産主義の疎外形態であり、本来の共産主義を裏切る物だと言う事に答えなくてはならないだろう。これから述べるのは中核派の理論を僕が理解した範囲で書いているので、他の党派によるスターリン批判についてはそれぞれの主張を参考にして欲しい。
スターリン主義とは世界革命の放棄と一国社会主義の絶対化にその正体を見い出すことができる。一、九一七年のロシア革命によって帝国主義の段階から社会主義・共産主義の世界革命の時代への過渡期の扉が切り開かれた。レーニンは当時のーロシアの後進帝国主義的な状態から、ドイツにおける革命が情勢を決定する要因であるとして、その勝利の日まで耐え抜く事を当面の課題として設定した。しかし残念ながら、当時のドイツにおける革命党の不在によってドイツ革命は血の海に静められ、敗北に終わる。レーニンは次の革命情勢まで、世界革命を訴えつつコミンテルンを通じて世界各国に世界革命を目指す党の建設を始める。
ところがレーニンが健康を害し病床に着くとスターリンが党内で勢力を伸ばし始める。レーニン自身はスターリンのもつ乱暴で強引な手法に危機感を抱き、病の床の中からスターリン追放を訴え、その為にトロツキーが全権を掌握する様に依頼する。残念ながらトロツキーはそれに応える事をせず、スターリン派が党内の実権を握っていく。レーニンの死後、後継者の座を巡り両者は党内を二分する闘争を行う。トロツキーはマルクス・エンゲルス・レーニンの世界革命論を継承する立場から永続革命論を訴え、それに対しスターリンは一国社会主義可能論で応酬すると同時に、党書記長の立場を利用して自己に同調する者のみを抜擢していく。一国社会主義論とはソ連の様な広大な領土と資源を持つ国においては世界革命と切り離されても社会主義の建設が可能であると言う物であった。この主張は世界革命の事業が持つ困難な道に日和見主義的傾向から反対し、ソ連一国のみ無事であれば他国の共産主義運動はソ連防衛のために利用するというきわめて反動的な物であった。残念な事にトロツキーの党内闘争が不徹底であったために左翼反対派は敗北し、スターリンがソ連と国際共産主義運動を完全に支配する。この過程でスターリンが最初にした事はオールドボルシェビキ、つまりレーニンと共に革命の最も困難な時期を闘い抜いた最良の共産党員、革命の生き証人約九〇万人を粛清する事であった。共産主義の変容によって帝国主義を根本から批判する事無く相互に依存する時代となる。
しかしその中でもハンガリア革命の衝撃、スターリン死後における批判の続出、日本においては日共六全総における暴力革命の放棄、事実上の共産主義との絶縁宣言によって新左翼の運動が始まる。五〇年代半ばの事である。スターリン主義の存在によって第二次世界大戦の過程を世界革命に転化する事が出来なかった事が、帝国主義の延命を許す事になったが、それであってもアジア・アフリカ・中南米における民族解放革命闘争の火を消す事は出来ず、同時に敗戦帝国主義である独・日帝国主義の復興と最新設備による生産力のアメリカ的水準による不均等発展の中でアメリカを中心とする帝国主義世界は大きなきしみを生じてくる。他方スターリン主義においても世界経済から切り離された中で一国社会主義を建設しようとする無謀な試みの中から、根本的な矛盾が拡大してくる。本来の共産主義が持つ、労働者人民の生き生きとしたエネルギーに依拠する事が出来ないで人民を秘密警察で監視・抑圧する事でしか体制を維持することができず、人民の間にはスターリン主義に対する様々な抵抗が巻き起こる。九〇年を前後してスターリン主義の根本的な矛盾が爆発し、ソ連東欧において相次いでスターリン主義が崩壊する。
スターリン主義の崩壊を資本主義の優位だとして短い春を謳歌した帝国主義においては、スタとの対抗上押さえつけられていた帝国主義同士の矛盾・抗争・対立が表面化してくる。帝国主義は再び三度危機の時代に突入したのである。
というのが、中核派における「段階・過渡・変容・危機」という現代世界を見る場合の時代認識でありスターリン主義批判の基本です。中核派による共産党批判。
他の党派系列では「旗旗」の草加さんが「日本共産党への批判」という長文のエントリーを載せておられますので、戦旗共産同からの批判として参照してください。少なくとも私より質・量ともに充実しています。
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コメント
TAMO2様ようこそお越し下さいました。すこし驚きを持っています。何でこんな未熟者のサイトにTAMO2さんのような有名人がやってくるの・・・草加さんの場合は私の方からコメントしたりトラックバックしたりしたので不思議ではないのだけれど。いつの間にか知名度が上がったのだろうか?
スターリンについて御教示有り難うございます。正直言って世代の違いだと思うのですが、私はスターリンの書いた論文は全く読んだ事がありません。ですので思想的変遷、スターリン主義発生の根源については勉強不足です。もし宜しければTAMO2さんに色々教えて頂きたいほどです。宜しくご指導ご鞭撻の程をお願いします。
投稿: アッテンボロー | 2005年7月31日 (日) 22時46分
こんなのもありました。
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だが、一国内でブルジョアジーの権力をたおし、プロレタリアートの権力を樹立することは、まだ、社会主義の完全な勝利を保障することを意味するものではない。勝利した国のプロレタリアートは、自分の権力を強固にしたのち、農民を率いながら、社会主義社会を建設しとげることができるし、また建設しとげなければならない。だが、このことは、この国のプロレタリアートが、それによって、社会主義の完全な、最後的な勝利を達成するということを意味するだろうか、すなわちプロレタリアートが、ただ一国の力で最後的に社会主義をかため、その国を武力干渉から、したがってまた、復興からも完全に守ることができるということを意味するだろうか? いや、意味するものではない。そのためには、すくなくとも数ヵ国で、革命の勝利が必要である。だから、他の国々の革命を発展させ支持することは、勝利した革命の本質的な任務である。だから、勝利した国の革命は、自分を自足的なものと見てはならず、他の国々でプロレタリアートが勝利するのをはやめるための補助であり手段であると見なければならない。
レーニンは、勝利した革命の任務は、「 ##すべての国で## 革命を発展させ、支持し、めざめさせるために、一国で実行できるかぎりのこと」を実行することである、と言って、ひとことでこの思想を言いあらわした(第二八巻、二六九ページ参照)。
投稿: TAMO2 | 2005年7月31日 (日) 21時05分
おっと、すいません。7/31 8:59の投稿は小生です。
投稿: TAMO2 | 2005年7月31日 (日) 21時00分
はじめまして。スターリンは権力奪取直後、世界革命こそが問題である、ということを述べております。それがなぜ、一国主義に自閉せざるを得なかったかは、やはり慎重に検討すべき課題だと思います。以下、1924年4~5月のスターリンの講義録、一般に『レーニン主義の基礎』と呼ばれるものの一部を貼っておきます。
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以前には、どれか一国の経済状態の見地から、プロレタリア革命の前提条件の分析をあつかうのが普通であった。だがいまでは、このあつかいかたはもはや不十分である。いまでは、すべての国、あるいは大多数の国の経済状態の見地から、すなわち世界経済の状態の見地から、問題をとりあつかう必要がある。なぜなら、個々の国と個々の国民経済とは、自足的な一単位ではなくて、世界経済と呼ばれる一つの鎖の一環に転化したからであり、また古い「文化的」資本主義は帝国主義に成長発展したが、この帝国主義は、ひとにぎりの「先進」諸国が、地球人口の大多数を金融的に隷属させ、植民地的に抑圧する全世界的体制だからである。
以前には、個々の国に、もっと正確にいえばある発展した国に、プロレタリア革命の客観的条件が存在するか存在しないかを論じるのが常であった。だがいまでは、この見地はもはや不十分である。いまでは、一つの全体的なものとしての世界帝国主義経済体制全体のなかに革命の客観的条件があることを論じなければならない。そのさい、この体制のなかに、工業的にはまだ十分発展していない若干の国々があることは、もしその体制全体に革命の機がすでに熟している ##ならば## ――いっそう正確にいえは、体制全体に革命の機がすでに熟しているので ##あるから## ――革命にとって克服できない障害とはなりえないのである。
投稿: | 2005年7月31日 (日) 20時59分