日本近現代史のおさらいその3
高文研から発行されている「未来をひらく歴史」という、日中韓三カ国の歴史学者の共同編集による近現代史の本もあるのだが、これだと「偏っている」などと言う人があるだろうから、今まで通り山川出版の参考書を使います。上記の本は共同編集であるだけに、一つの国の一方的な、自国内でしか通用しない主張は排除されているので客観的な事実を知るためには良い歴史書だと思います。その1その2では日本の植民地政策を見てきたけれど、その間の国内の動きに注目します。
1889年に衆議院議員選挙法が公布されると、25歳以上の男子で直接納税額15円以上の者にだけ選挙権が認められたため、90年代から普通選挙運動が展開されるようになる。11年には普通選挙法は衆議院を通過したが貴族院で否決され、運動は一時下火になる。14~18年の第一次世界大戦によって日本は空前の好景気となり物価が二倍に上昇するインフレとなるが、賃金の上昇が追いつかなかったために労働者の生活は帰って苦しくなる。農林業従事者が都市に流入し農業生産は減少する。米価は一石あたり17年6月の20円から18年8月には41円と急騰した。生産が追いつかない事と大商社・米穀商・地主による投機的な買い占め、売り惜しみによる者が大きかった。外米の輸入も特権商社の独占のままにした上関税も下げなかった上、インフレ抑制策も講じなかった。シベリア出兵論議によってさらに米価の高騰が起こる。
18年7月22日、生活に困った富山県魚津町の主婦たちが井戸端会議で米の搬出を止めてもらう様相談し、翌23日魚津港からの米搬出を中止させる。これが全国に広がり、米の安売りを求める米騒動となる。8月11~13日がピークで、大阪では20万人が参加する騒ぎとなる。警察だけでは鎮圧出来ず軍隊も動員された。米騒動は労働運動にも影響を与え、炭鉱での賃上げ要求等の労働争議も行われたが、こちらも軍隊の出動、発砲により鎮圧され、多数の死傷者を出した。米騒動の参加者は全国で70万、死者30人、検挙者2万以上。生活問題を無視する政治への民衆の不満の爆発であった。
米騒動を契機として、17年のロシア革命の影響も有り、労働運動・農民運動等の組織的運動が開花し、労働組合数は急増し、全国水平社や日本農民組合が結成された。普選運動も組織的大衆的広がりを見せ、大正デモクラシーを象徴する全国民的運動に発展した。25年(大正14)普通選挙法は両院で可決、公布された。
1910年代前半には「天皇機関説論争」が巻き起こる。明治から大正への代替わりの時期である。国家法人説にもとづいて「主権は国家に有り、天皇は国家を代表する最高機関である」とする美濃部達吉と穂積八束が体系化した天皇主権説を受け継いだ上杉慎吉との論争。藩閥官僚政治から政党政治への移行期、民衆が新しい政治勢力として登場し日比谷焼き討ち事件の様に世論が政治の動向に決定的影響を与え始めた時でもあったため、美濃部説は広く支持を集めた。天皇機関説は学会や世論のみならず、政党内閣の時代には天皇や元老も含めた政界上層部の考え方とも一致していた。
こうした大正デモクラシーの高揚の中で、普選法と時を同じくして治安維持法が制定され、後の共産党弾圧から自由主義、平和主義を圧殺していく準備もなされていた。25年に制定された治安維持法は「国体の変革」及び「私有財産制度の否認」を目指す革命運動の組織・思想の取り締まりを主目的としたが、その最初の本格的適用が田中義一内閣による28年の三・一五事件であった。徳田球一・志賀義雄ら党幹部や関係者あわせて1568人が一斉検挙された。特高警察による社会運動全般への厳しい取り締まりが行われ、残酷な拷問で自白を強制し、時に容疑死者を死に追いやった。
田中内閣は緊急勅令で治安維持法を改悪し、最高懲役10年の刑を「私刑又は無期」に強化し、共産党の支持者・協力者をも懲役刑に出来る物とした。33年には共産党の最高指導者である佐野学・鍋山貞親の転向声明による組織の動揺をはじめ、大衆から隔絶された中で内部崩壊し、35年には壊滅状態となる。警察で虐殺されたもの65名、虐待がもとで獄死した者は114名を数える。共産党が壊滅すると、当初の結社取り締まりから思想取り締まりに重点が移り、36年「思想犯保護観察法」が制定され、運動からの共産主義思想の放棄・転向を促す体制となる。人民戦線事件・横浜事件等の様に党とは無縁の社会主義者や団体が党再建グループとして摘発されたり、自由主義者が検挙された。・皇室尊崇の国家神道を否定するとして、キリスト者・大本教、創価教育学会・天理教などの宗教団体も徹底弾圧を受ける。
41年には治安維持法を全面改悪して「再犯のおそれ」だけで予防拘禁出来る様に改めた。敗戦後も天皇制を護持するために一層の強化が厳命された。弾圧は45年10月のGHQKの治安維持法廃止指令により三千人の政治犯が釈放されるまで続く。治安維持法によって検挙されたもの約67000人、起訴されたもの六千余名。「わが国は民主主義・反戦平和勢力を異端者として排除した結果、自らの政策の行き過ぎや間違いを事前にチェックする制度的保障を失ってしまった。悲惨な戦争への道を歩んで行く、後戻り出来ない重大な通過点の一つが一九二五年の治安維持法成立であった。」
「あたらしい教科書をつくる会」の歴史教科書では、治安維持法については殆ど触れようとしていない。その事を通してあたかも当時の国民の多くが自発的に侵略戦争に協力して行ったかの様な錯覚を植えつけようとしているが、実際には多くの日本人の血の海の上に戦争体制が作られて行った事を忘れてはならないと思う。朝鮮や台湾で「皇国臣民」として地位の向上や自己実現をはかる人々がいたのと同様、日本人のなかでも自由主義や民主主義が弾圧された結果、国家意思に従順な人々が作られて行ったのだ。
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コメント
hiroさん気にせずこれからも色々論議しましょうね。こうやって対話が出来る内は日本は大丈夫かなって思うんです。ループさんもhoroさんも多様な意見が大切だと思っておられますよね。私の様な人間が「非国民」として排除され出したら危険な兆候だと思います。
ループさん、実際日本人は自らの手で戦争責任をきちんと取る事が出来ていないと思います。戦後の色々な運動の力不足や共産党の間違った方針による物だと思います。今改めて戦争責任を考える事は将来のために無駄になる事は無いと思います。私としては過ちを開き直る「自由主義史観」は受け入れる事が出来ません。誤りは誤りとして反省して二度と間違うまいとする方が人間として正しいと思っています。しょっちゅう間違ってますけども。
投稿: アッテンボロー | 2005年7月31日 (日) 18時36分
お二人の議論を見ていて、教科書の問題って、新・旧左翼の方にとっては重い問題なんだろうなーと思いました。
特に、左派に属する方にとっては、家永訴訟のからみもあるでしょうし(文部省による検閲の歴史もあるでしょうし)、戦後の権力者による戦争責任を免責することを通じ、戦前の美化を行う事を通じ、戦後を否定していく作業の一環に他ならないと言うことなんでしょうね。
ただ、思うのは戦前について問題のある記述をしてきたのは、左派側も同様だと思うんですね。国民がいやいやながら戦争に加担したいう歴史はないし(消極的にではあれ加担してきた歴史しかない、hiroさんご指摘の通りだと思います)し、私たちは戦前の権力者たちの自国を敗戦に導き、挙句の果てに多くの国民を死なせてしまったと言う極めて重い責任すら自らの手で追及できなかった歴史しかない(二重の意味で無責任だったのです)。
修正主義者たちのつづる歴史は、この反面でしか私にはないと思います。左派側がどう戦前の戦争責任を問うのか、そしてそれをどう国民に受け入れさせるのか、真剣に問う時期に来ているのかもしれません。修正主義者のつづる歴史は、非常に国民にとって心地よい物です。なぜなら、彼らのつづる歴史は私たちが戦争に加担したと言う責任を免責してくれますから。
日記やプロフィールを見ると、アッテンボローさんは、微妙な立場にあるんだろうなーと想像しております。結構楽しみにしている日記なので、長く続くと良いなー(特に子育て日記は非常に面白いのです)と思っています。一応、ランキングに入るようにと思い、せっせとクリックしています。では、また。
投稿: ループ | 2005年7月31日 (日) 18時01分
アッテンボローさん 私が勝手に書き入れたことについて丁寧にご返事をいただきありがとうございました。私としてはいろいろな意見が聞けて楽しかったと思っています。これからも読ませていただきますのでよろしくお願いします。
投稿: hiro | 2005年7月31日 (日) 14時35分
hiroさんとの間に少々誤解が生じている様ですね。アジア諸国との友好を大切にしたいと書いた事に対して、hiroさんは中国と韓国・朝鮮との問題に、これらの国が「つくる会」教科書に抗議している事から、限定された様なのです。私は一般的に全てのアジア諸国との友好を考えて書いたので、日本軍が侵略行為を行った国々の名前を列挙しました。
ですから東南アジアの各国が「つくる会」教科書に対して抗議しているかどうかは知りません。
投稿: アッテンボロー | 2005年7月31日 (日) 11時17分
アッテンボローさんへ
まあ人と人とのお付き合いですから合意できない部分があっても仕方がないことだと思います。さて中国、韓国のうその部分ですが、まず、原文を読んでいないにもかかわらず強い言葉を使用した点についてはお詫びいたします。うそではなく自分に都合よくぐらいが妥当だったかもしれません。また、原文を確認できていない点はご容赦ください。韓国の教科書については秋津島案内所さんのホームページhttp://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/index.htmlで見た内容を信じての発言です。中国に関しては中央日報の記事が根拠です。http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k249.html
薄い根拠で申し訳ありません。
質問です。中国、韓国、北朝鮮以外の国が扶桑社の教科書に文句をつけたという話を聞いたことがないのですが出展はなんですか。
投稿: hiro | 2005年7月31日 (日) 07時04分
「つくる会教科書」については中々歩み寄りが出来ないみたいですね。ひとまずこの点については棚上げしましょうか。
アジア諸国という場合、実際に日本軍が侵略したラオス・ベトナム・カンボジア・フィリピン・マレーシア・シンガポール・インドネシア・ビルマなど東南アジア諸国も含めた表現です。
アジア諸国の「嘘」とは具体的には何を指しているのかが分からないのですが。出来れば詳しく説明いただけたらと思います。
投稿: アッテンボロー | 2005年7月30日 (土) 20時49分
アッテンボロー様多少しつこくて申し訳ありません。教科書について少しだけコメントさせてください。
扶桑社の教科書は一般の人が見ると良いと思われる部類の事実を載せているだけで、一方的に戦前を賞賛しているとは思えないのですが。良くない点も書いてあるのは確かなのですから他の教科書のように一方的に戦前を非難していないという点において、偏っていないと考えています。
アジア諸国って中国、韓国、北朝鮮のことですよね(華僑は中国の一部と考えています)。彼らの歴史観は国定教科書に見られるように明らかにうその部分があります。いくら友好が大切だからといって、うそに付き合うのはどうかと思います。というよりも相手の感情を尊重するがゆえにうそでも反論しない態度こそが日本を戦争に導いたのだと思っています。右でも左でも良いのですが暴力とうそを肯定するのだけなお互いやめたいものです。
投稿: hiro | 2005年7月30日 (土) 20時15分
ループさん初めまして。民主主義国家においては思想の多様性が重要であることは同感です。同時に情報が様々な観点から・切り口から伝えられ、それを一人一人の民衆が自分で判断して選択できる社会でないといけないと思います。
私が今回テキストとして選んだ「Story日本の歴史」では第Ⅱ章大正・昭和前期の第1節が普通選挙と米騒動。第2節原敬、第4節美濃部達吉と吉野作造-天皇制下のデモクラシー-第6節治安維持法と特高、第11節一九二〇年代の日本経済、第12節昭和恐慌、第13節井上準之助と高橋是清、第14節二・二六事件、と言う構成になっています。
おそらくこの参考書を編集した人々の問題意識として大正デモクラシーの高揚が如何にして弾圧されて行ったかという物があるのでこのらうな構成なのではないかとおもいます。
hiroさんが共産主義者への弾圧をさほど問題と思われない天について言えば、近現代の法律では罪刑法定主義の考え方が有りますね。戦前の共産党は唯の一度も武装蜂起はしていません。資金獲得のために銀行強盗はしたそうですが。つまり思想と結社その物を犯罪として取り締まる事で歯止めの無い適用に道を開いて行った事が問題ではないかと思うのです。
扶桑社の教科書は中学の歴史が日本史の、それも愛国心を強調し一方的に日本の戦前の思想を称賛するいう点だけで見ても非常に偏った教科書であると思います。アジア諸国との友好と言う観点が欠如しているのは問題です。日本は他国との友好関係なくしては成り立たないと思うのです。朝日新聞の取り上げ方については排外主義を鼓吹する事よりも友好に力点を置いているだけでしょう。読売や産経が有りますから、一紙だけで判断するのは早計では?
投稿: アッテンボロー | 2005年7月30日 (土) 13時01分
アッテンボローさんループさんこんにちは
ご意見に対してコメントさせてください。
歴史の教科書とは直接関連がありませんが、まずスターリン主義について。私はスターリンや毛沢東そのほかの人が行った行為は共産主義が持つ、少数エリート主義、暴力の肯定、他の価値観を認めない閉鎖性の3つの構造欠陥のためにおこったことであると考えています。残念ながら新左翼の思想というものがどのようなものであるかは知らないのですが、3つの欠陥が解決されていない限り同じ道を歩むと信じています。できればどこが異なるのかを教えて欲しいところです。
次に反戦の声についてですが、「聞けわだつみの声」という本は戦前に出版されたものなのでしょうか。少なくとも大正末期に出たものではないですよね。私が言いたいのは反戦の意思が公に出ていないというです。内心では戦争反対が大多数の意見であっても公の意見としてでてこないことが問題だと考えています。その部分で治安維持法は意見弾圧の役割を果たしたとは思いますが、維持法が強化されたのは太平洋戦争に入ってからであることを考える、治安維持法ではなくともっと別の何かに問題があったのだと思います。それを抜きにして共産主義者が何人逮捕されたなんてことを書いてもしょうがないのではないかというのが私の意見です。ただし私も治安維持法の果たした負の役割はきちんと理解する必要があると思っていますので、扶桑社の教科書から落ちているのであれば、それは欠陥だと思います。
ループさんの意見には大方賛成です。ただし、情報を遮断したのは国だけなのかは十分に検討する余地がありそうです。今の朝日新聞を代表とするマスコミの報道のあり方が戦前と変わっていないとするならば、彼らの果たした役割についても十分に教科書に書く必要があるような気がします。特に法律がなくても嫌韓国を主唱する本は朝日新聞に弾圧されて広告を出せないそうですから。
多様性ということは大切なことだと思います。そのような意味では扶桑社の右から左まで網羅している教科書が最も良いと言う事になるのでしょうか。すくなくとも自分の意見以外は教えるなと高圧的に言い切る左派、日教組、中国、韓国よりはまともと考えてよいのではないしょうか。扶桑社の教科書を読んでどの主張が正しいのかを考える中学生が増えると良い日本になるのではないかと思います。
投稿: hiro | 2005年7月30日 (土) 07時04分
はじめまして。アッテンボローさん、hiroさん。
掲示板に書き込むこと自体不慣れなもので、失礼な点があれば、お許しくださいませ。
また、議論が深まらないようでしたら、削除をお願いいたします。
HIROさんの意見を読んで思ったのですが。。
確かに、当時の日本が法治国家を志向していたことは事実だと思います。法治国家とは、法律によれば、いかなる権利を制限することも、いかなる義務を課すことも許されるとする価値とは切断された概念です。とすれば、当時の日本が弾圧対象や方法を拡大する場合、法律を改正(悪)したことは法治主義の原則にのっとったものであると言えます。
したがって、この点については、私もHIROさんのご意見に賛同します。
しかし、本当に同法の記載は多すぎて困るようなものなのでしょうか?私には触れても、触れても足りないもののように思われます。それは、同法が持つ問題点と立法上極めて深刻な問題を孕んだものだからだと思います。
同法の最大の問題点は、むしろ反対運動や異なった意見を言う者をなくしてしまったことにあると私は思います。つまり、異なる情報を発信する者がいなくなる結果として、情報の多様性が喪失されてしまい、戦争に加担したはずの国民も自ら情報を選択して加担した訳ではない事が最大の問題点であると言うことです。
「自虐史観」や「修正主義」の対立がどちらも一面的であると感じさせるのは、片方はまるで国民がいやいや加担したかのように説明し、後者は喜んで加担したと言います。しかし、国民が少ない情報に基づいて「表向きは」積極的にまたは消極的に加担したことは事実でしょう(戦争が終わりつつあったときは別としても)。また、後者のように喜んで加担したということもまた嘘だと思います。現象として喜んで加担したことは事実でしょうが、そこでは少なくとも反対のことを考える十分な契機は与えられてはいなかった訳ですから(多分、北朝鮮の軍人さんがやっているあの不気味な行進も当人たちは喜んでやっているんでしょう。彼・彼女らも積極的に現象上国家を支えていることになります)。
また、情報の流通を遮断した結果、戦争を遂行する能力まで落としてしまったと言う問題も同時に生じさせています(治安維持法が緩やかな要件を定立したため、濫用された結果、批判を行なうこともできなくなってしまったためです)。敗戦真相記(永野 護)と言う本にそのエピソードが紹介されています。
したがって、この情報の流通を遮断し、国民が十分に判断の契機が与えられず、言論の多様性を喪失させしてしまったことが、治安維持法に象徴される日本の戦時体制の最大の過ちの一つであると私は思います。したがって、情報の流通を遮断し、言論の多様性を消滅させる愚かさについて、学校教育の現場において、学んで学んで学び尽くすように政府は指導することは当然の帰結(わが国のとる国家観からして当たり前のこと)であると思います。なぜなら、わが国は少なくとも表向きは個人の人権を尊重するがゆえに、法の支配を採用する国家観をとっています。そして、このような国家観は情報の流通が失われてしまうと成立しない国家観です。とすれば、情報の流通を消滅させる危険性をよーく国民に知ってもらうことは、このような国家観をとる国家においては当然のことともいえるからです。
ところで、同法の目的は、共産主義革命そのものを防止する(手段は暴力であろうが議会であろうが構わないのです)にとどまらず、同時に国体の護持を目的としています(ですから、同法は結社の自由についてまで規制を加えています)。そして、その目的を達成するために死刑を最高刑に設定しています。
立法目的の是非は問わないとしても、同法は極めて構成要件もゆるく設定されています。その結果、立法論プロパーの問題から言っても、後に濫用の危険を強く孕んでいます(国体と言っても何をさしているのか一概に分かりません、適正手続と言った観点からの配慮もないため、捕まってしまうとどうにもなりません。いくらでもさじ加減一つで国民を拘束することが可能な立法となっています)。
この点から考えても、治安維持法を学ぶ価値や意味は大きいと思います。なぜなら、国民は猜疑心をもって自らの政府を見ると言うことは、民主主義国家においては当然のことです(でなければ、三権分立などという非効率的な制度をとる必要性はないですから)。としますと、将来の有権者にかつての愚かな立法論上の問題点を学ぶと言う点からも学ぶべき必須のテーマと思います。
このような重要なテーマであるにも関わらず、なぜ触れない教科書があるのか、私には疑問です。戦争に向けてこういう立法や準備が政府の側からなされことを黙殺しながら、戦争に国民は積極的に加担したと述べると、積極的に加担した原因(少なくともその一つ)は明示されません。鶏も卵がないと生まれない訳ですから、教科書としても不自然だし、一体原因の一つを明示しないことの意味はなんなのでしょうね。
投稿: ループ | 2005年7月30日 (土) 04時16分
hiroさんの疑問について簡単にお答えしておきます。先ず、中ソにおけるスターリン主義者の大虐殺に関しては世界史の参考書ではないので載っていません。あくまで日本史の参考書を元にまとめています。スターリン主義者による虐殺そのものは、本来別に項を設ける方が良いかと思いますが、彼らが共産主義を放棄した反革命であるが故に行った蛮行であると言うのが新左翼の見解です。
次に五・一五については別の章で触れられていたので私が後日まとめるつもりでいます。 三点目の「つくる会」教科書批判については、戦没学生の手記である「きけわだつみの声」等残されていますよね。戦争の「大義名分」を疑いや戦争への嫌悪感などが書かれています。特高警察や憲兵隊による取り締まりの治安弾圧体制は何故必要だったのでしょうか。隣組制度による相互監視の徹底や、戦争への不満や疑問を口にするだけですら、非国民として様々な嫌がらせなどがあったのは何故でしょうか。国民の多くが本当に戦争に積極的に参加していたのなら、恐怖で押さえつける必要は無かったのではないでしょうか。
投稿: アッテンボロー | 2005年7月30日 (土) 02時48分
こんにちは
治安維持法についての記載が多いのにはびっくりしました。個人的には当時共産主義が暴力革命を肯定していた以上、対抗処置として国が対抗処置をとることは、民主主義が定着していなかった時代にはある程度仕方がないことではなかったかと思っています。また、共産主義者(のちには自由主義者や民主主義者のふくまれていったのでしょうが)を逮捕する上で、いちいち法律を改正していることについてはなかなか興味深い事例であると思われます。すくなくとも戦前でも法治国家を志向している証拠ではないでしょうか。同じ時期にソビエトが何をしていたのかを考えると非常に民主的とさえ思えます。またたくさんの人が逮捕されたように書いてありますが、スターリンや毛沢東による犠牲者に比べれば、桁が違うという印象です。だから良いというわけではありませんが。この法律がなかったら起こったであろう共産主義者による暴力の被害者と、逮捕者の数の比較は必要かもしれません。
多くの人が日本のターニングポイントとして1932年におこった5.15事件とその後の裁判の経過を上げていますが、この教科書にはないのでしょうか。もしないのであれば少し問題ですね。それともこの教科書は暴力革命に甘いのかな。私は右も左も暴力革命には反対です。
新しい教科書の批判がありますが、多くの人が自発的に戦争に協力したのではないという証拠はどこにあるのでしょうか。それがないと単なるアッテンボローさんの思い込みになってしまいます。
投稿: hiro | 2005年7月29日 (金) 22時59分