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2005年7月 7日 (木)

目の前での大量逮捕

 85年の2月11日、大阪府泉佐野市で行われた、紀元節粉砕闘争と関西新空港反対闘争とを兼ねた集会に参加した。泉佐野は関西空港の地元で、反対運動をどの様にして築くかが焦眉の課題になっていた。現在でこそ、国賀祥司(こくがよしじ)市議の働きで地元住民の間に関西空港の様々な問題点が広く知れ渡っているが、当時は過激派が騒いでいるとしか認識されていなかったのではないかと思う。97年の安保ガイドライン改定などの際、米軍が関空の使用を求めていたり、空港関連の地元負担のために財政赤字が膨大にふくらんでしまったこと、地盤沈下、交通のアクセスが新東京国際空港並みに不便なことなど、着工以前から指摘されていた問題の全てが現実の物となっている。    

 集会は空港建設が予定されている海域を望む海岸で行われた。私は全学連の隊列約100名の中にいた。集会の発言は淡路町空港反対の会、東灘区住民の会など、大阪湾岸各地で関西新空港に反対し、三里塚闘争にも連帯している住民団体の物が中心だった。

 集会後、会場から南海泉佐野駅までのデモ行進が行われ、住民団体を先頭に、続いて反戦青年委員会、最後に全学連の隊列が続いた。商店街を抜け、駅を迂回する形で踏切をわたる直前に機動隊がデモ規制をして、前を行く反戦との間隔が大きく開けられた。全学連の隊列が駅前のロータリーに差し掛かったところで、突然機動隊が襲いかかってきた。先頭の方にいた活動家達が次々逮捕されていく。私はシンパだったのでデモの後方に並んでいたのだが。ほんの二三列前までが消滅していた。約30名の全学連活動家が逮捕されていた。

 残った隊列でデモの解散地点まで進んで、総括の提起があった。予め全学連をねらい打ちした弾圧であること。弾圧に屈せず闘争を継続すること、逮捕された学友を一日も早く奪還するために全力を挙げることなどだった。逮捕者の中には同級生も含まれていた。

 大量の逮捕自体私には初めての経験だった。まだ寒い時期だったので救援対策の人にセーターなどの差し入れをした。学友達は23日間の拘留期限とともに奪還された。起訴された者は一人もいなかった。デモ自身ジグザグすらしていなかったのだから、弾圧のための弾圧としか言いようがない。全学友が完全黙秘非転向であり、逮捕・拘留について全員が報告集に原稿を寄せていた。弾圧は失敗に終わった。

 この時の感想は、なんでデモするだけで逮捕されねばならないのかと、権力への怒りが大きくなった。

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