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2005年8月

2005年8月31日 (水)

息子とチャンバラ

 息子はチャンパラが好きで、よくオモチャの刀を用意しては遊んでくれとせがんでくる。たまたま時代劇のアニメを見せたところ宮本武蔵の弟子で養子でもある宮本伊織が気に入ってしまった様だ。「修羅の刻」という月刊少年マガジン連載のマンガが原作で、陸奥円明流という格闘術を使う一族と時代時代の剣豪や格闘家が対決し、陸奥が勝という物なのだが、その中の武蔵対陸奥八雲の話を見てからというもの、チャンバラの時には自分が伊織で私に八雲の役を割り当てる。周知の様に宮本武蔵は二刀流を使うのだが、二本の刀を不器用に振り回してかかってくる。「デュリャッ! トウァ!」 時には刀をすり合わせて「シャキィーンシャキィーン」と擬音を口にする。

 自分が負けると直ぐすねる。だから適当なところで負けないといけない。「うわぁー やられたー」と言って転げ回る。息子は調子に乗って何度でも対決を迫ってくる。私としては将来剣道を習わせたいと思っているので、いまからチャンバラが好きになってもらい、剣道に親しんでもらおうと思っている。武道をする人間によくある奴隷根性の持ち主にはなって欲しくないが、体を鍛えるのは良い事だと思う。

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2005年8月30日 (火)

口座維持管理手数料

 ここ数年銀行口座を維持管理するためと称して手数料をとる金融機関が増えている。東京三菱が月額315円、UFJが月額630円、外資系の中には2100円と言う所もあるらしい。「よく分かる郵政民営化Blog版」に8月2日の参議院郵政民営化に関する特別委員会での桜井充議員と小泉総理・竹中大臣とのやりとりが掲載されている。

 アメリカでは約1100万人が銀行口座という物を持てないでいるそうだ。冒頭に描いた口座の維持管理手数料が払えないからだ。勿論アメリカには郵便局の様な国営の金融機関は存在しない。日本の場合ごく一部の金融機関しか口座維持管理手数料をとっていないのは郵便局が存在するために顧客が流れてしまうからだ。口座維持管理手数料は、大口預金者に対しては取らずに小口の預金者のみが対象となっている。国会の質疑では、郵便局が民営化された場合アメリカと同様になる事への危惧が語られていた。小泉総理や竹中大臣の場合、庶民に対してかけられる口座維持管理手数料など知った事かと言う様な答弁を行っていた。

 小泉総理は元々大蔵族で銀行業界との癒着が存在している。銀行にとって儲かる制度を作る事が彼の大蔵族議員としての役目だ。当然郵政族議員とは折り合いが悪い。様々な手数料が銀行には存在している。例えば通帳やキャッシュカードの再発行をする場合(郵便局は今年から導入)、ATMの時間外使用手数料、他行扱い手数料。送金する場合の手数料も郵便局に比べて銀行は高い。五千円を送金する場合、郵便局なら70円で住むところを銀行の場合同一行宛で105円、他行宛なら315円かかる。三万円を超える場合印紙税200円が追加される。郵便局の場合は必要ない。昔の話だが、銀行が支店間の送金のために郵便局の口座を利用して、現金輸送にかかる警備費用などを倹約していた事も有った。それから貯金箱などに小銭を貯めた場合、銀行で両替すると手数料をとられる。口座に入金する場合でも両替目的として取られるのだから困った物で、自動販売機などで商売をしている人は泣いている。

 郵便貯金法が「あまねく公平なサービス」をうたっている行政機関である事に対し、銀行は利潤追求を目的とした株式会社だ。郵便局が民営化された場合、当然のこととして営利企業になる訳だから様々な手数料が跳ね上がるだろう。民営化した方がサービスがよくなるなんて世迷いごと、いつまで総理は言い続けるのだろうか。いい加減、国民をペテンで誤魔化すのは止めて欲しい物だ。

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2005年8月29日 (月)

10・20三里塚闘争

 最近管制塔被告支援の記事を時々書いているのだが、3.36成田空港開港阻止の偉大な闘いだった。その成果で成田は滑走路一本の不完全空港として長年の月日を送る事になったのだが、その二期工事を巡って闘われたのが85年の10・20三里塚戦闘だ。この闘いは中核派と革労協、共産同戦旗派(西田戦旗とも言う。草加さんのいた戦旗共産同日向派とは別組織)、共産同蜂起派とが闘った。

 闘争に向かう過程では7月の用水闘争で全学連が機動隊の指揮車を占拠したり、北富士闘争で旗竿部隊が機動隊と衝突して沢山の逮捕者を出したり、徐々に10・20に向けて戦闘的なデモが勝ち取られつつ有った。勿論それは中核派だけの問題ではなくて当時の三里塚勢力の殆どは大なり小なり闘いの準備を進めていた。9月の北原派の闘争では共産同戦旗派が旗竿部隊で機動隊に突っ込んで行ったし、先日草加さんがコメントをくれた様に戦旗共産同も9・29戦闘で大量の逮捕者を出しながら闘った。10.20は一連の闘いの頂点をなす闘いだった。

 九月の終わりか十月の初め、前進社に反戦派労働者が全員集まって決起集会が開かれた。各地区反戦の代表が決意表明したのだが、僕は地区のキャップから一番若いお前がしろと言われて発言する羽目になった。細かい内容は忘れてしまったが興奮して「必ず機動隊を一名完全殲滅します」と言ったら非常に拍手喝采を浴びた事を覚えている。「完全殲滅」と言うのは左翼の間では「殺害」を意味していた。その後別の日に僕とその他に二人が前進社に集合する様命令を受けた。三人とも二十代前半だった。社の会議室には僕たちの様に選抜された十数人の反戦派労働者が10・20当日の戦闘について作戦会議を受けた。盗聴を警戒して時折筆談で説明が入る。全学連と共に戦闘部隊の中軸をになうメンバーたちだった。

 普段の三里塚闘争なら新幹線や夜行列車を乗り継いで行くのだが、この時はある議員の後援会名義で観光バスを手配してもらった。なんでも普段は権力の妨害でバスが利用出来ないので、この時だけ特別に議員さんの名前を借りたらしい。お陰でたいした疲れも無く三里塚現地に到着した。検問の機動隊員が「おい、新品のヘルメットだぞ」と驚いて同僚に話していた。この日のために用意されたバイク用のヘルメットだった。集会場に着くと選抜メンバーにはバイクヘルとゴーグル、雨合羽が支給された全員がヘルメットに「中核」と書く様に言われた。学生と労働者の区別がつかない様にするためだ。お陰でマル共連に10・20の話題が出た時も反戦派労働者は忘れられて、全学連だけが闘ったかの様な書き込みが沢山有った。カッパには緑のビニールテープを撒いた。地方ごとに部隊編成がなされた目印で、第二中隊と呼ばれた。

 僕は目撃していなかったのだが、集会場に持ち込まれようとしていた大量の旗竿が押収されたらしい。それもトラックに一台分、真新しい竹で作られた物だ。集会の終盤が近づくと演壇で決意表明している話などそっちのけで僕たちは武装を整える。何処からどうやって運び込まれたのか分からないが、大量の鉄パイプと鶴嘴等の柄に使う角材が大量に配られた。火炎瓶も無事搬入された。投石用の砂利も沢山有った。僕は最初角材を手にしたのだが、仲間に頼んで鉄パイプと交換してもらった。集会が終わりデモに出撃する。先頭は報道の映像などでも有名になった丸太部隊。その後に部隊が続く。僕は火炎瓶の入ったビールケースを運んでいた。投げつけると衝撃で発火する様に薬品を混ぜてある。

 後方で騒ぎが有った。どの部隊か知らないが、三里塚第一公園の前に陣取っていた私服警官の一群に襲撃をかけたらしい。やがて先頭部分も衝突が始まる。遅れて交差点に到着した僕は先着していた同志に火炎品を配る。自分も一本持つと戦闘に参加した。機動隊にめがけて投げつけたのだが上手く発火しない。放水車が僕めがけて放水してくる。視界が見えなくなり方向感覚を無くしてしまう。とにかく目の前にいる機動隊めがけて鉄パイプを振り下ろす。数回振り下ろすと盾の隙間から機動隊の腕にあたった。痛そうに手を引っ込める機動隊。調子に乗ってもう一度振り下ろすと、今度は掴まれてしまい引っ張り合いになる。仕方なく手を離すと路上に転がっている機動隊の盾を拾い、それをかざしてマルキに突っ込む。機動隊の壁が左右に分かれ、僕はその中に入ってしまった。腕をつかまれ引きずり回される。膝蹴りが飛んでくる。ヘルメットはいつの間にかはぎ取られていた。フェンスに押しつけられて取り押さえられるまで、何度か逃げようとあがいたが失敗した。手錠をはめられバスに押し込まれた。僕にとっての初陣は終わった。

 空港内には次々と逮捕者が運ばれて、その後千葉刑務所の未決拘留坊に運ばれる事になる。千葉刑の夜のラジオの時間に戦闘のニュースが流れた。240~50人の逮捕者が出たらしい。機動隊員三名が再起不能の重傷を負った。

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2005年8月27日 (土)

本多延嘉著作選を読む

 本多延嘉と言っても、このブログにコメントを下さっている元左翼活動家の人たちなら知っていても、ご存知ない人が多いと思います。革命的共産主義者同盟の創設者で初代の書記長であった人物です。今日の中核派の思想の基礎を作った偉大な革命家だったという。伝聞にしたのは私が運動に参加した当時は既に故人となっていたからです。直接指導を受ける機会が無く、古参の党員からの思い出話や様々な文献からその人となりを知るしかありませんでした。

 本多書記長は75年3月14日、現代のナチス、反革命ファシストカクマルによって虐殺されました。(普段このブログでは「革マル」と表記することが多いのだが、本多書記長について書くためには「カクマル」という表現がふさわしい)確か享年41であったと思う。

 なぜ本多著作選を読もうと思ったのかというと、自分の思想をもう一度最初から見つめ直そうと思ったからです。勿論本多著作選だけではなくて共産主義の古典も学ぶ必用があるでしょうし、最新の様々な文献も読んだ方がよいかと思います。それでも何故本多著作選かというと、私の共産主義は全て中核派式の解釈が元にあるからです。それと現役の当時、著作選は持ってはいてもいくつかの論文を拾い読みしたり、あるいは新人活動家向けの学習会で講義を受けたくらいできちんと読み切ったことがなかったのです。そうした作業の中で自分自身の思想のよりどころを改めて確立することが出来たらと思います。

 とまあ言うだけなら簡単なのですが、実際に数日前に読み始めたのはよいのですが、まだ一巻の始めの方しか読めていません。気がつくと眠っていることもあります。頭が相当さび付いているのと内容の難しさの両方がそうさせているのでしょう。思いつきで始めた作業ですが相当の時間がかかることを覚悟する必用があるみたいです。もし可能であればこのブログで学習内容なども書くことが出来たらと思います。期待しないでお待ち下さい。

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2005年8月26日 (金)

被災地ワーカーズコープ

 以前「命がけで尊敬できる人」という記事を書いたときに、阪神淡路大震災の被災者達の生活再建運動について書いた。震災の被害が最も酷かった神戸市長田区はケミカルシューズの街として知られる中小零細企業の街だった。震災で工場その物が無くなったり、被災は免れたものの経営者が死亡したために工場が閉鎖されたり、倒産や事業縮小のために多くの人が災害後に職を失った。

 震災直後の混乱が終わるとそう言った体力のない企業が次々と潰れていく。大企業は神戸に見切りを付けて本社機能を東京などに移転する。その中で神戸を中心とする被災地には大量の失業者が溢れていた。その後遺症の大きさは、ダイエーが産業再生機構に会社再建を任せざるをえないように、震災後十年が経過しても大きなものが残っている。

 被災地労働者企業組合(ワーカーズコープ)は、そんな長田の街で失業したケミカルシューズ産業で働いていた人々が自分たちで立ち上げた労働者協同組合だ。ここでは当初オーダーメイドの靴作りをしていたが、看護婦さんや美容師さんなど立ち仕事の多い働く女性のためにシューズ21(トウェンティーワン)というナースシューズを作って売り出した。現在では靴タイプのものが製品化されて近々市場に出回るそうだ。被災地支援などと構えてもらう必用はないのだが、数年前に実際に購入して愛用している女性の話では、長時間の立ち仕事が苦にならないというとても良い品なので、その様な仕事に就いている方は是非一度履いてみて欲しい。

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2005年8月25日 (木)

敵総大将の首を取れ

 現代日本のヒトラーとも言うべき小泉純一郎の地元から、元駐レバノン大使天木直人氏が出馬する。論点は明確である。例え小泉が総選挙で自民党の議席を伸ばそうとも、首相自らが落選すれば国民に様々な犠牲を強制する「行財政改革」は頓挫する。民主党・とりわけ共産党は死に票で反小泉の国民の意思を無駄にせず、天木氏一人に投票を集中すべきである。野党統一候補の資格があるのは天木氏を置いてない。

「衆院選:元レバノン大使の天木氏、首相地元から出馬

 03年3月のイラク戦争開戦を支持した日本政府を批判し外務省を退職した元レバノン大使、天木直人氏(58)が、30日公示の衆院選に小泉純一郎首相の地元、神奈川11区(横須賀、三浦市)で無所属での出馬を決めた。26日に表明予定で、天木氏は「会見して決意を明らかにしたい」と話している。郵政民営化を争点にしたい首相に、イラク戦争での責任を追及する構えだ。

 天木氏は69年外務省に入省。01年にレバノン大使に就任した。開戦前後に2回、川口順子外相(当時)あてに「戦争回避のため最後まで外交努力をすべきだ」などと訴えた公電を打電、全在外公館にも転送した。その後外務省から勇退を求められ、03年8月退職した。同省は「意見具申と退職は無関係」としている。

 天木氏は退職後、外交評論家として自衛隊派遣など米国寄りの外交政策を批判する講演活動や執筆活動などを続けている。「さらば小泉純一郎!」などの著書もある。

 同選挙区には民主党の斎藤勁(つよし)参院議員(60)、共産党の瀬戸和弘氏(53)が出馬を表明している。【安高晋】

毎日新聞 2005年8月25日 15時00分」

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2005年8月24日 (水)

DVD抵抗の大地

 「旗旗の草加さんから「抵抗の大地」のDVDが届いた。午前中の配達であったのだが、今日は一日体がだるくて寝ていたために夜になってから封を開けた。

 三里塚の反対闘争初期、様々な書籍で写真を見た事は時折有るが、反対同盟だけでも動員力が2000有った時代を具体的に映像で見るのは久々だ。立ち木に体を鎖で縛りつける農民、それを切り倒す空港公団。座り込みやダイインで抵抗する農民と支援の学生。農民と学生が立てこもる櫓を重機が引き倒す。機動隊の壁に果敢に体当たりする学生。機動隊の暴虐に怒った野次馬が次々と投石を行う。本当にまとまった映像を見るのは「日本解放戦線三里塚の夏」以来ではないだろうか。

 大木よねさんの自宅を解体していく空港公団職員。それに先立って行われたよねばあさんへの暴行。怒り無しに見る事は出来ない。この闘いを知る者にとって、3・26管制塔占拠闘争は完全な正義だ。空港建設のために農民の生活を破壊する国家権力へのやむにやまれぬ抵抗として貫徹された闘いだ。出来る事ならこのDVDを一人でも多くの人が購入し、その眼でしっかりと見て欲しい。注文は草加さんの「」サイトから、頒価2500円と送料500円。

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2005年8月23日 (火)

団地、駅頭でのカンパと署名。

 繁華街の駅頭で白ヘル部隊を出しての街頭宣伝、カンパ活動の他に、日曜ごとに小さな駅頭や団地で署名活動やカンパ活動を行うことがよくあった。新しい支持者を捜したり、裁判闘争中の同志への弁護士費用、保釈金を集めるためのカンパだ。午前10時くらいから午後6時くらいまで、一日に百件以上の呼び鈴を押して歩いた。多くは門前払いなのだが、時々話を聞いてくれる家もあった。後に郵便局に就職して、保険の仕事をするようになってから、飛び込みの営業が全然苦にならないのはこの時期に団地カンパを沢山経験し、政治主張のために説得することが大きかったと思う。夕方参加者全員が集まって集約すると、多い日には数万円のカンパが集まることもあった。

 街頭での反応が良い人には、後日再び会う約束をしたり、前進の購読を提起した。中々難しかった。それでも前進を買ってもらえたり、オルグの約束が出来ると嬉しかった。職場での組合活動が忙しくなるまで、数年間続けた。90年頃になると署名やカンパという遠回しな方法は止めてイキなり「前進要りませんか」とキャッチセールスもした。獲得できる確率はとても低かったが、それでもこのような地道な活動から支持者や活動家になる人も結構いた。今でもこのような活動は行われているのだろうか。

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2005年8月22日 (月)

映画「鋼の錬金術師」

 昨日の日曜日、家族揃って映画「鋼の錬金術師」を見に行ってきました。私を除く四人は封切り直後に一度見ているのですが、面白かったのでもう一度みたいと言うことになりました。近所のシネコンで一回目よりは小さなハコで見てきたのですが。やぁ、面白かった。現実世界と鋼の錬金術師の世界とがパラレルワールドになっていて、現実世界の方はワイマール体制下のドイツが舞台で、ヒトラー率いるナチスのミュンヘン一揆が行われるのが背景にありました。ルドルフ・ヘスが出てきて、ハガレンの世界の力を手に入れて一揆を成功させようと策動します。それをエドとアルが阻止するという話。

 映画を見終わって劇場を出ると、単純な我が息子は早速映画のまねをして、拝むように手を合わせてはあちこちに両手を押しつけて錬成のまねをします。相も変わらず人の股間にも「錬成」をしてくるので、「何を錬成したの」と尋ねると「大砲」と答えます。「そうか、じゃあお父さんも錬成したるわ」と言って息子の頭に両手を当てて「かしこい○○を錬成したで。これで良い子になるはずや」と返してやります。子供ってなんにでも直ぐ影響されますね。

 先日も妻と子供達が買い物に行ったときの話ですが、下着売り場でハガレンのトランクスを見つけたそうです。「わーハガレンや」と駆け寄っていったそうです。でもサイズが大きすぎる物と小さいものしかなかったそうで、諦めて他のものを探していると今度は志村けんのバカ殿のデザインとナルトのものを見つけて両方欲しがります。妻が「あんたそんなに買ってどうするの」というと一言「あんだって?」ホントに単純な息子です。

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2005年8月21日 (日)

郵便局の勤務形態

 非常に無知蒙昧な人からコメントを頂きました。基本的に売られた喧嘩は買う事にしているので、名無しの権辺さんのコメントを徹底批判してみたいと思います。

「テレビで放映されていた、
 勤務時間のはずなのに採決をテレビで見ている郵便局員!!
 こんなやつらのために俺らの税金が使われている。
 おかしいと想わない?
 郵便局なんて、既に必要がなくなってきているし。
 手紙なんかメールで良いし。
 局員の給料払うほどのサービスしてるか?
 税金使うほど社会の役に立ってるか?
 郵便局が必要な時代は既に終わったんだから。
 モーお前らは必要ない!!税金返せ!!
 この無駄飯ぐらいが!!」

 先ずこのコメントを書き込んだ人間は、郵政三事業が独立採算制の事業であって税金の投入を一切受けていない事を知りません。郵便貯金と簡易保険とが集めた大量の資金は原則的に政治家と官僚が使い道を決めています。現場の郵便局員は一切関与していません。ここに小泉一流のデマの根源が有ります。自分たち政治家が無駄遣いした事をあたかも郵便局員のせいであるかの様に嘘を言っている訳ですが、名無しの権辺さんは物の見事にそれに騙されています。

 次いで、郵便局の勤務形態を知らないために自分の狭い世界から勝手に郵便局の勤務形態を妄想して「勤務時間のはずなのに採決をテレビで見ている郵便局員」等と言っております。私が所属している集配普通局の場合、出勤時間が五つ有ります。午前7時に郵便内勤と集配の早出職員が出勤します。次いで集配の日勤職員が午前8時に出勤します。そして貯金保険の日勤職員が8時30分の出勤です。ATMが午後7時まで稼働しているために、保守担当の勤務に当たっている貯金保険の内務職員は10時半の出勤です。郵便と集配の夜勤担当者とは午後12時半に出勤して午後9時までの勤務です。当然これらの勤務時間の違いから休憩時間もバラバラに取られているのですが、はっきり言って常に誰かが休憩に入っています。貯金保険の内勤だけでも私の所属局は11時から、11時半から、12時半から、午後一時半から、午後二時半からと五つに分かれています。集配関係の職員の場合でも12時からと12時半からの二つ有りますし、郵便内勤は八種類の休憩時間が有ります。八種類ですよ。

 これが郵便局のなかでも500人とか千数百人が勤務する区分局になるとバラバラの休憩時間になります。ハッキリ言って常に数十人が休憩しています。休憩時間ですから当然の話としてテレビに注目している職員も沢山います。テレビで放送されるくらいですからたいていの場合大規模な郵便局ではないかと思います。もし小規模の特定郵便局であった場合ですが、96年の橋本内閣の当時からマスコミとの対応については上司の許可を得る様に指導がなされています。テレビカメラが入る様な場合には本社もしくは支社の許可が出ているはずですから、勤務時間であってもテレビを見る許可が下りているはずです。名無しの権辺さんのコメントはその変を全く考慮していないと言うか分かっていないと言うべきでしょう。

 で、郵便の役割がすでに終わったかの様な錯覚を覚えている様なのですが、実はインターネットの普及によって郵便物の量は増加しています。主にダイレクトメールの部門なのですが、ネットを通じて資料請求をした場合に、契約の申込書を郵送する企業が非常に増えています。ですから郵便局自体はインターネットの普及と郵便とは共存出来ると考えています。

 さて、おそらくこの名無しの権辺さんは、私のブログをろくに読みもせずにコメントを付けたのではないかと思いますが、世の中の仕組みを全く理解しておらず、無知蒙昧な自己をさらけ出しただけである事がハッキリしているかと思います。物事はちゃんと勉強して、熟考した上で発言しましょうね。恥さらしさん。

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2005年8月20日 (土)

白ヘルに全逓ならどうだろう

 9・18集会での左翼コスプレについて、kamakazuさんのブログ「別に気にしなくてもいいんだが」で話題になっている。で、色々と考えているのだが、現役時代にしたくて出来なかった事を、元活動家の趣味者としてやってしまおうかと思います。

 80年代、動労千葉にまだ青年部が存在していた頃、その隊列は白ヘルに動力車と黒字で大書した姿でデモを行っていました。それを横目で見ながら、当時既に全逓の組合員だった僕は、いずれ全逓においても勢力を拡大して全逓と書いた白ヘルの隊列を作ってやる、と思っていました。70年前後の反戦青年委員会では様々な産別の青年部がヘルメットをかぶった隊列を出し、それぞれの産別組織の略称を書いていたそうです。それが最も最近まで残っていたのが動労千葉の青年部でした。と言っても高齢化のために80年代でなくなりましたけれど。

 70年前後で言えば全軍労の牧港支部青年部でしょうか。米軍基地の中で「牧青」と書かれた白ヘルメットの部隊を先頭に全軍労の2500の隊列がデモを繰り広げ、旗竿と鉄パイプでカービン銃で武装した米兵と渡り合う姿。とても憧れていました。今でも入手できるかも知れませんが、牧青友の会発行の写真集は圧巻です。出来ることなら画像をアップしたいくらい「燃え」ますよ。

 と言うことで、もし諸処の事情が許して僕が9・18集会に参加できたら、全逓と書いた白ヘルを被っていると思ってください。ひょっとしたら組合旗も持って行くかも知れません。なんせ今は組合の名称が変更になり、古い全逓時代の組合旗はホコリを被った状態で組合事務所に放置されているからです。

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2005年8月19日 (金)

尚賢館

 某国立大学には、尚賢館という木造平屋建ての建物が校門の直ぐそばにあった。この尚賢館が、実は全学連の占拠する建物であった。教養部正門の直ぐ前に有るという地の利から、この建物はキャンパスを制圧するために非常に役立っていた様である。様であるという表現は、私が反戦派労働者であったために学生と違い常時この建物を使用していなかったからである。一部の反戦派労働者は仕事を辞めてこの建物に常駐する部隊に選抜されていたのだが、私の場合、郵便局に採用されたという事から職場の獲得が優先され、この部隊には呼ばれなかった。

 数少ない大学動員の中でこの尚賢館の中で何が行われていたかというと、以前の記事でも書いたのだが、全学連の学生を防衛するために、専従活動家と反戦派労働者とが武装した状態で待機していたのだ。その横では学生のオルグ担当の女性がごく普通のスカートやらワンピース姿に着替えて裏口からキャンパスに出撃していた。私たちがしていたのはそんな学生が安心してオルグ活動ができる様に睨みを効かせる事であった。

 建物自体は約三分の一くらいが中核派のたまり場で、残る三分の二は様々なサークルが使用していた。時たま演劇関係のサークルが大道具を作成していたり、本読みという脚本の読み合わせをしている事もあった。隣の部屋では白ヘルメットの中核派が待機していたのだから、その対比は今から思うとおかしいの一語に尽きる。

 すきま風が入る様なおんぼろの建物では、冬場の暖をとるためにダルマストーブが使用されていた。ダルマストーブと言って分からない人の方が多いかと思うのだが、80年代半ばに石炭を燃やすストーブが有ったのだ。その温かさは経験した者にしか分からないかもしれないが、とても温かかった。眼鏡のプラスチック製のレンズが溶けるのではないかと心配するくらい部屋を温めてくれた。

 以前にも書いたのだが、某国立大学の動員の場合前夜のうちに寮に集結する事になっていたため、昼食の用意はしていない。たいていの場合食料担当が食パンを購入して、それに適当にハムや野菜を挟んだサンドイッチで昼食をとっていた。年齢など関係なかった。まだまだ基礎代謝の激しい20代前半の私たちも、当時30代後半になっていた全共闘世代の専従も関係なく同じ量の食事だったので、たまに空腹でお腹がなる事も有った

 その尚賢館は88年であったと思うのだが、火事によって消失した。当時は敵対党派の放火による物ではないかとの噂も有ったが、真偽の程は知らない。その後鉄筋コンクリート造りの校舎の中に一教室を確保して全学連が展開する様になった。詳細については私の様な一労働者には教えてもらえなかった。

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2005年8月18日 (木)

9・18文京区民センターへ

 管制塔元被告団支援集会が9月18日午後1時半より文京区民センターで開催される。この間の支援カンパ運動の一環として開催されるこの集会に、三里塚に心を寄せる人々が一人でも多く参加して欲しいと思います。集会の報告はルポライターの鎌田慧さんと元管制塔占拠闘争被告によって行われます。主催は集会実行委員会。参加費は700円です。

 さてこの集会に出来ることなら参加したいのだが、三点ほど個人的な問題があります。まず一番目は病気の状態が果たして東京まで行ける状態であるかどうか。次に病気休暇中にこのような闘争に参加することで郵政当局の処分攻撃を招くことはないか。最後に収入が減っているので、東京行きの旅費とカンパとどちらを選ぶべきかと言う悩み。ウーム、困ったものだ。全て病気に原因がある。病気の原因は郵政における首切り合理化の攻撃だから、全ての原因は郵政にある。さてどうしたものか。

 出来ることならば東京まで行って元被告団と同じ会場で多くの人と連帯し、その空気で自分自身にも元気を分けてもらいたいと思っています。出来たら十数年ぶりにヘルメットにサングラス、タオルのマスクで闘う雰囲気を味わいたいなと思うのですが。きっと元気になれると思うのだけれど。で、この事でkamakazuさんのブログに、白ヘルに反戦と書いて参加しようかと書き込みをしたら、まずいのではないかと言われてしまった。さすがに赤ヘル三派中心の集会になるだろうし、一時は第四インターと中核派はかなり険悪な状態になり、中核派は第四インターを反革命とまで規定して襲撃しているからなぁ。でも、党派を隠して他の色をかぶる訳にも行かないし、どうした物だろう。中核派自体は91年以来反戦青年委員会の隊列を解消しているので、今さら反戦のヘルをかぶる現役はいないのだけれど。やはり被害者の感情を考えたら、反戦ヘルは自粛した方が良いのだろうか。考えてしまう今日この頃です。

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2005年8月17日 (水)

社民党辻元候補の是非

 社民党は大阪10区から辻元清美元衆院議員を公認候補として擁立する。秘書給与詐取事件による執行猶予中の出馬については賛否両論が有るのではないかと思われる。私自身の立場を先に行ってしまえば辻元さんには国政に復帰して欲しい。国会答弁で小泉総理を追求したあの歯切れの良い舌鋒鋭い発言を再び見たい。護憲政党としての社民党を消滅させてはならないとも思います。辻元さん以外に社民党の将来を託せる人物がいないという点で、辻元候補には是非とも当選を勝ち取って欲しい。

 他方で執行猶予中の人物が国政選挙に出馬することについての批判も大きいと思われます。実際税金から支払われる公設秘書の給与を私設秘書の給与に流用しているわけですから罪は罪として問われるでしょう。おそらく対立する陣営からはネガティブキャンペーンが行われるでしょう。大阪10区の有権者達がどの様な判断を下すのかは、今の政治情勢を判断して政策と人物の両面からよく判断していただけたらと思っています。

 辻元清美さんの場合は革新政党の候補者が執行猶予中というきわめてまれな事例になるのだけれど、自民党を始めとする保守反動勢力の場合には珍しくも何ともない。例えば辻元さんを道連れにする形で議員辞職をした鈴木宗男前衆院議員は歌手の松山千春の支援を受けて新党を結成して出馬するらしい。「疑惑の総合商社」と呼ばれた人物である。また大阪19区では暴力団の支援を受けており、選挙民に買収行為に当たる線香の贈答をして辞職した松波健四郎という自民党のゲバルト要員も自民党の公認をえて出馬する。群馬の中村喜四郎も収賄事件で議員辞職したものの無所属での出馬だ。更に奈良1区から郵政民営化反対候補への刺客として出馬する鍵田忠兵衛前奈良市長は、脱税を追求されて市長辞任に追い込まれ、出直し選挙で落選したばかりの人物だ。

 保守反動政治家の場合、様々な贈収賄事件などを起こしていても出直すことはごく当たり前に行われている。利権目当てでそれらを担ぐ薄汚い勢力が存在するからだ。革新の側もなるほど清廉潔白である人物がよいのに決まっているのだが、何よりも政治家としてまともに政府を追及できる人物として、政策本意で辻元候補を認めても良いのではないだろうか。

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2005年8月16日 (火)

下ネタ小僧

 息子は肛門期である。肛門期というのは子供が成長の過程で性器や排泄器官に興味を持つ時期のことを言う。分かり易く言えば、四、五歳の位の子供がやたらとおちんちんや肛門を触ったり、「オシッコ」だの「ウンコ」だのと下ネタを連発する時期のことだ。女の子に比べて男の子の方が激しいようで、息子のそれはかなり徹底している。

 朝、私を起こすときにいきなり「チンチンお早う」と股間を触ってきたり、なんの脈絡も為しに「チンチンよしよし」と股間をなでてくる。チャンパラや仮面ライダーなどのヒーローごっこをしている時も股間を狙ってくる。アニメの「NARUTO」の影響で覚えた「秘伝体術奥義千年殺し」なんてかっこ付けた言い方で浣腸をしてくる。ときにはそのまんま「カンチョー」と襲いかかってくる事もある。 一緒に風呂に入る時など私とチンチンの大きさ比べをして「○○のチンチンおっきいやろ~」と自慢をする。子供のうちから大きさ自慢をしてどうするのか、意味が分かっているのかどうかは知らないのだが。

 詳しくは知らないのだが、これはこれで子供の成長過程にとっては大切な事であるらしい。なので我が家では無理に叱ったりして押さえ込まない様にしているのだが、それが良いのやら悪いのやら、息子は下ネタばかり口にする。妻や娘たちは辟易しているのか「ええい、やめんかこの下ネタ小僧」としょっちゅう怒鳴っている。その内収まるだろうと鷹揚に構えているのは私だけだ。やはり男と女の違いなのだろうか。大人になって変質者になっても困るから、今のうちに飽きるまでさせておこうと思っている。

 もし、街でクレヨンしんちゃんその物みたいな男の子が居たら、それが息子である。

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2005年8月15日 (月)

「終戦の日」「敗戦の日」

 今日は久しぶりに新聞を読むことが出来た。終戦60年の特集を読むために努力してみた。終戦という言葉が戦争責任を曖昧にしてきた一つの要因なのではないかという対談記事があった。日本が連合国に降伏したのは9月2日のミズーリ号甲板での調印式が正式な行事だからだ。勉強不足で知らなかったが、韓国では8月15日が光復節として祝日になっているが、中国やアジア諸国では9月2日を対日戦勝記念日として祝っているそうだ。

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2005年8月14日 (日)

郵貯・簡保の限度額

 仕事のことを書くのは久しぶりです。郵貯簡保の縮小という政策を民主党の岡田代表が言い始めたせいで少し書いてみる気になりました。元々民主党は郵貯・簡保の縮小と言うことを政策に掲げていました。今現在郵便貯金の預入限度額が1000万円と簡易保険の加入限度額が1000万円(特例として1300万円)となっていますが、これが縮小されたときにどうなるかというと、当然のことですが現在預けられている貯金についてはお客さんに払い出してもらうことになります。現在の1000万円の限度でも以前は名寄せが出来なかったために超過して預けてもらっている方が数十万人存在していまして、それらの方々には手紙を送ったり局員が訪問するなどして払い出しをしてもらっています。これが結構手間のかかる作業でして、お客さんの説得にかなり時間がかかります。一度ですまなくて何度も訪問することがあります。上司からは期限を切られていますし、毎日のように「○○さんの払い出しは終わったのか」と進捗状況を点検されています。現場の職員からすると労多くして功少ない、一番いやがられる仕事です。

 民主党が政権を取った場合、直ぐにも郵貯の預入限度額を700万に引き下げ、その後500万まで下げるそうです。と言うことはこの払い出しの作業が二回にわたって行わないといけない。多分これだけで日常の業務はストップするでしょう。それだけ手間暇のかかる作業です。

 簡保についてはどの様な形態で引き下げられるのかはっきり分からないのですが、今現在の契約についてはおそらくそのまま継続して、新規の契約を制限することになるのではないかと思います。そうなると今までは満期契約の支払い手続きの際に次の契約をお勧めする形で簡保関係の職員は歩合を稼いできたわけですが、それがほとんど無くなる。これまた労多くして功少ないしんどい作業になります。

 限度額の引き下げについて言うと現場の感覚ではこのようにやる気がなくなる政策になります。今現在郵便局の労働組合の多くは、民主党と支持協力関係にあるわけですが、きっと組合員の殆どは民主党を支持しなくなるでしょう。(自民党の小泉については当然、支持している者などいません)限度額が引き下げられると言うことは業務量が減るわけですから、当然のこととして郵貯関係職員、簡保関係職員への要員削減が行われるでしょう。以前に書いたように自民党が政権を維持しようが民主党が獲得しようが、現場の郵便局員については首切り合理化の攻撃が待っているわけです。

 今現在の制度では金融弱者のセイフティネットとして機能している面があるのですが、それもどうなるか分かりません。自民も民主も、一般庶民のことはどうでも良いと思っているのでしょうね。大企業・大資本のための政党であることは確かです。

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2005年8月13日 (土)

日本近現代史のおさらい。その4

 1923年9月1日、関東大震災。死者行方不明者14万人以上。被災者の不安をそらすために警察や軍隊が「朝鮮人による暴動」というデマ宣伝を流し、在郷軍人会を中心に組織された自警団などが中心となって約6千人の朝鮮人と200人の中国人、10人の社会主義者・無政府主義者が虐殺された。虐殺を行ったのは自警団だけではなく、戒厳令で出動していた軍隊、警察によっても行われた。背景には日本の植民地支配によって土地を奪われた朝鮮人が日本に渡ってきて、生きるために低賃金で働いていたことに対して、仕事を奪われたという感情も含めて日本人の多くが差別を行っていたことがある。日頃の差別への報復が為されるのではないかという差別者の後ろめたさがこのような虐殺に繋がった。

 政府が虐殺の報道を禁じたこと、朝鮮人・中国人への蔑視などから世論の批判も弱く隠蔽工作が行われた。逆に無政府主義者の大杉栄を虐殺した憲兵大尉甘粕正彦などに対しては減刑運動までもが行われた。

 22年3月3日には全国水平社が結成されている。1871年の解放令によって賤民身分は廃止されたが、同時に徳川幕藩体制で保証されていた様々な部落産業の特権も剥奪された事で部落民の多くは経済的に困窮していく。融和運動などでは部落の解放が勝ち取れないとして結成されたのが水平社だった。差別糾弾闘争を中心とする運動はやがて国家権力との闘いにまで発展する。軍隊内部での反軍闘争、高松結婚差別裁判事件などの闘いを通じて水平社は勢力を拡大していく。中心的活動家の3・15事件での逮捕投獄などの弾圧も行われた。37年の日中戦争勃発後は国家の戦争体制に協力する路線に転換し、42年には自然消滅してしまう。

 日露戦争後の日本は膨大な輸入超過と対外債務にあえいでいたが、14の第一次世界政戦により戦場となったヨーロッパに変わり造船業・海運業を中心に活況を呈し債務国から債権国に転換する。その好景気も20年3月に株価暴落をきっかけとして恐慌が始まる。政府は産業界の整理よりも救済を優先したため、不良経営の企業・銀行が生き延び、国際競争力は低下してその後の長期不況の原因となる。更に関東大震災による企業救済のための支払い猶予令、震災手形によって戦争後の経営不振企業までもその債務を肩代わりしたために、震災恐慌から金融恐慌へと突き進む。27年3月、若槻内閣の蔵相片岡直温の国会答弁中に経営不振にあえぐ銀行名が具体的に発言され、取り付け騒ぎに発展する。更に鈴木商店とその不良債権を一手に抱える台湾銀行が破綻することで恐慌は悪化する。若槻内閣に変わり田中義一内閣が発足し、高橋是清の手腕によってパニックは収まるが、中小銀行の破綻により五大銀行による金融市場支配体制が確立される。

 後に昭和恐慌によってファシズム運動の台頭、日中戦争への路が敷き詰められる。29年10月のニューヨーク株式市場の大暴落に始まる世界恐慌が一層拍車をかける。インテリのサラリーマン層の失業が問題となり、賃金引き下げや解雇に反対する労働争議が頻発した。農村においては小作争議が激増し娘の身売りも増えた。恐慌の深刻化にもかかわらず、政府は国民に対しては耐乏生活を呼びかけ、産業界に対しては一層の合理化を進めるのみであった。右翼・軍部の政府への不満が高まりテロ事件やクーデター未遂事件が起こり、31年には満州事変が起きることになる。32年の5・15事件によって時の首相犬養毅が暗殺されると、日本の政党政治は終焉した。

 36年の2・26事件では皇道派の青年将校によって天皇親政と反共主義の国家体制実現を求めるクーデターが行われ、多くの政府要人が殺害された。昭和天皇裕仁はこれに対し終始一貫して討伐を主張。下士官・兵を将校と分断することに成功した軍部は、29日に反乱を収拾した。その後反乱軍の指導者達は死刑となり、軍部の実権は統制派が握り、政府に対する干渉を欲しいままにするようになる。

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2005年8月12日 (金)

共産党・民主経営の悪辣さ

 共産党は口先では「労働者の味方」面をしているのだが、実態は実に悪辣な劣悪な労働条件を強制している。これから書くことは民主経営の職場で働く妻の職場実態について、私が労基法や労組法に違反しているからと改善を求めた事例だ。

 まず最初に起こった出来事は、妊娠中の女性を一日中立ち仕事になる部署に配置転換しようとしたことだ。労基法の本が手元にないので何条の規定であったかは忘れたが、母性保護の規定に照らした場合明白な違反行為に該当する。労基法では母性保護の規定として妊娠中の女性が求める場合、勤務の軽減をしなければならないのだが、わざわざ立ち仕事で流産の危険性が増える勤務を強制しようとしたのだ。私は弁護士に相談した上で労基法違反であること、人事異動の発令を取りやめるよう経営者と全労連系の労働組合に対して申し入れを行った。何度も申し入れることで配置転換は止まったのだが、私が相談に乗っていなければどうなっていたか分からない。

 労組法違反では、管理職が組合の執行委員をしているという、トンでもない実態が存在していた。元々は共産党の労使一体経営であるために、共産党員や支持者は管理職への近道として組合役員を経験しているのだが、執行委員が管理職に出世した後も組合員から外さず、そのまま役員をしているという、まさに言語道断の事態があった。これについても違法行為であることを申し入れて改善させた。

 さらには職場の行事で毎年お祭りが行われているのだが、労働者に対して休日出勤を強制している。職場の行事を休日返上で行う場合、業務命令で参加させる以上休日出勤の扱いをするのが法律上当然のことなのだが、一切行わない。そのチケットの販売を一人一人の職員に強制的に無理矢理押しつけている。この件については妻は自分が納得いかないとして堂々と休暇を取ることで抗議している。その結果として妻のいる部署では強制はなくなってきたのだが他の部署で出世コースをひた走る共産党員が管理職をしている所では、全員が強制的に出勤させられている。

 簡単に共産党と民主経営が建前としている「労働者の味方」面は、事実でもって引っぱがすことが出来る。理論的な批判については後日書くことがあると思うが、共産党の現実はこんな物である。

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2005年8月11日 (木)

今夜の酒のあて

 夕方からビールを飲み始めた。結構な身分である。同僚達が汗を流して外野活動を走り回り、大体今日の集計が終わるくらいの時間であった。時計は午後五時少し前。缶ビール二本を落花生の塩ゆでで飲んだ。九州以外の人は多分知らないだろうが、取り立ての生の落花生を鍋で塩ゆでにすると塩味の訊いた美味しいつまみになる。普段見かける落花生は乾燥させてあるので茹でて食べることは出来ない。

 そのまま置くと日持ちしないのでまとめて茹でたら、大きめのボウルに一杯あった。茹でてしまうとやはり二三日しか持たないので夕食前に娘二人と一緒に殆ど食べた。お陰で夕飯の時にお腹がもたれて大変だった。ちなみに夕飯のおかずはニガウリの炒め物とほうれん草のごま和え。これは長女に作らせてみた。初めてにしては結構上手に出来た。ニガウリはゴーヤーと言った方が分かり易い人も多いかも知れない。ビタミンCが豊富に含まれているので健康にはとても良い食べ物だ。残念ながら娘達は苦手のようで、あまり食べてくれない。我が家では出来る限り野菜を食べさせるようにしているのだが、まだまだ足りないような気がする。

 病気で自宅療養しているとどうしても話題が狭くなる。今日の記事などはその典型かも知れない。本当なら自宅療養の期間を利用して学習に励めばよいのだが、暑さのせいもあってだらけてしまうことが多い。無駄に過ごした一日であった。

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2005年8月10日 (水)

活動家の貧乏生活

 活動家になって防衛の原則の他に、党活動の三原則という物を学ぶことになった。レーニン主義の党組織ではごく普通のことだと思う。会議・機関紙・財政活動をこなすことだ。今回はその内財政活動について書こうと思う。

 労働者になった当初、自動車工場で働いていて、当時としては高卒にとって結構良い収入があったのだけれど、収入についてはいったん全額を地区党に納入することを求められた。そこから家賃と生活費として7万円が渡された。それだけで生活の食費、交通費、活動費をまかなうことが求められた。活動家になった当初は同じ地区の人の部屋に居候していたので家賃は必要なかった。元々服装については無頓着というかオシャレに興味がない方なので7万円でやりくりするときに被服費で困ったことはなかったのだが、大変だったのは食事についてだった。親と同居していたので自炊などしたことがないから料理など出来ない、工場がある日は昼食か夜食を工場の食堂で食べることが出来るのだが、朝食と夕食は自分で何とかしないといけない。最初の内は菓子パンを買ってきて食べるか、居候先に炊飯器があったのでご飯を炊いて漬け物だけで食事をした。

 外食することもたまにあったけれどそうすると一食あたりが高く付くのでどうしても自炊を習得する必用が出てきた。大体はお総菜を一品か二品買ってご飯を炊くくらいだった。当時学生の食生活を聞いたことがあるのだが、食パンのへたを買ってきて、毎日そればかり食べていたりして、あまりに酷いので全学連の鎌田委員長が注意したことがあったそうだ。そのほかにも食べ盛りの学生のおかずを何とか調達するために、餃子のサービス券を集めてきて、それを大量に交換しに行って、お店の一と口論になった専従活動家もいた。

 いつまでも居候するわけにはいかないので、自分でアパートを借りることになった。不動産屋を通して借りると手数料などがもったいないので、図書館で住宅地図を調べてアパートを片端から回って空き部屋が無いか自分で探せと指導された。数軒のアパートを訪ね歩いて、六畳一間に台所、風呂無し共同トイレという物件を見つけ、住人の人に大家さんを紹介してもらって契約をすませた。引っ越し荷物などは元々ボストンバッグ一つの身の回り品しかなかったので、他の活動家やシンパの家庭で余っている布団や炊飯器や冷蔵庫をただでもらった。梅雨時には部屋のあちこちにナメクジがはい回る、家賃一万五千円のおんぽろアパートでの生活が始まった。

 コタツが一つあるくらいの殺風景な部屋でも、約一年半生活した。自動車工場は仕事と活動の両立が難しいので、期間工の期間満了を待たずに辞めて町工場の発送作業や鉄工所の下働き、町工場の事務などを転々とした。一人暮らしが寂しいのでラジカセを購入したら、専従から注意を受けた。一万円以上の出費が有るときは予め会議で承認を得なくてはならなかったのだ。闘争や前進社での会議の際には防衛のためにタクシーを使うので、それ以外の任務の時は出来るだけ歩いた。防衛のための振り・キリを兼ねて二駅も三駅も歩いたり、最寄りの沿線を使わず、別の路線を使うこともしばしばだった。

 家財道具の殆どはもらい物ですましていたが、ある活動家は粗大ゴミの日に早起きして使えそうな物を拾い集めて使っていた。そんな生活をバブル経済が華やかな時代に送っていた。今から思うと革命運動への情熱がなければとても出来なかったかも知れない。

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2005年8月 9日 (火)

次女が描いたマンガ

 親の影響で子供たちは三人とも本やマンガが大好きです。長女と次女は時々好きなマンガのキャラクターのイラストを描いたり、4コママンガを書いたりしています。たいていは二時創作物といって、元々誰かの作品がお手本に有って、その登場人物やストーリーをネタに書いています。最近のお気に入りは長女が「NARUTO」と「鋼の錬金術師」で、次女は少女マンガのキャラでした(「ちゃお」や「なかよし」「りぼん」は読まないので何が何か分かりません)

 先日次女がオリジナル?のマンガ、それもコママンガを書きました。ナンセンスギャグといえば良いのか、それとも本人はギャグのつもりはなかったのか・・・。タイトルは「きゅうりせんたいカッパレンジャー」設定の元はテレビの戦隊ヒーロー物のぱくりです。スキャナーがあればそのまま載せたいのですが我が家には無い物で、はたして文字だけでそのアホらしさを伝える事が出来るかどうか。

 扉絵がありまして、「だい1話コンビネーションバラ×2」とタイトル。戦隊メンバーの五人と黒マントの怪人らしき物が描かれています。レッドは頭のサラが空っぽで「く・・・苦しい」ピンクは女の子らしくリボンをしており、イエローはごろ寝。グリーンは体育座りして飲み物を飲み、キュウリを食べながらマンガを読んでいます。ブルーは腹這いに寝ていてなぜか「ハンニン」との文字が。そして二ページ目でナレーション「キュウリせんたいカッバレンジャーとは平和を守るせんしたちである」「カッ」という擬音。なぜか五人ともサングラス。ナレーション「それが今ふっかつする!!」そこへ少女が亀の様な怪人に襲われて助けを求める。「たすけて~!! カッパれんじゃー!! 」 レッド「ハッ」四人を振り返り「みんな出動だ!」 ブルー「セットが」と髪をいじる。 ピンク「メイクがまだなの」 イエロー「これから練習」と素振りの真似。 グリーンは寝そべったまま聞こうとすらしない。

 レッド「なにィ!?しかたない ならオレだけで」と何やらベルトとの作り方という本を広げベルトキットを組み立てて仕度する。変身してキュウリ型の剣を持つ「これでよし!!」「今行くぞ !」とかけ出す。少女の元へたどりついて「たすけに来たぞ」 しかしレッドはブルブルガクガク震えている。 少女「おそーい!!」「カッパレッドのアポ」「ちね」と泣きながら怒る少女。 書き文字でズーン。 レッド「おそい」「アポ」「しね」・・・・・ 変身を解いてみんなのもとに戻るレッド。「おまえたちのせいでイメージダウンじゃないかあ」と泣きながら怒る。しかしみんなの反応はというと。 イエロー「くそーハンシンじゃなくてきょ人かよー」 手鏡をかざしながら「きまった」とピンク ブルー「しるか」 グリーンは寝そべったまま。そしてナレーション「こんなチームでいけるのか? つづく」

 うーん・・・ やはり上手く書けない。でもウケたら第二話「なまけ者のグリーンこいにおちる!?」も紹介してしまおう。 あースキャナーが欲しい。

 

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2005年8月 8日 (月)

労働者の革命的議員を

 郵政民営化法案否決を受けた解散総選挙が決定したが、民営化に反対する現場の労働者にとって油断は戒められなければならない。単純に法案が否決されただけで民営化攻撃が終わる訳ではない事は、先日の「現場から見た郵政民営化」でも書いた通り、民主党も自民党内の造反議員も、リストラそのものには賛成の立場から民営化法案に反対しているのだという事を忘れてはいけない。

 おそらくJPU中央は、これまでの反対行動が実った事を持って自らの路線の「正当性」を強調してくるだろう。更なるリストラに協力する事を現場に押しつける論理として活用してくる事は目に見えている。本当に労働者の立場から反対する事無くして「民営化攻撃」は打ち破る事が出来ない。今度の総選挙では、当面民主党支持での選挙方針が下ろされてくるであろうが、それはあくまでも緊急避難なのだという事を忘れず闘って欲しい。

 こんな時に、たった一人であっても労働者階級の利害を真に貫徹する革命的議員が存在していない事が残念でならない。現代のカール・リープクネヒト、現代の山本宣治が本当に必要だ。資本家の代弁者に過ぎない政治家どもの、利権の再分割を巡る政争をとことん弾劾し、議場を革命の宣伝の場に塗り替える革命的議員が今こそ必要だ。いつも口先だけの共産党を乗り越える、真の労働者党の建設を切望する。新左翼諸党派は、いまこそ真の前衛への飛躍をかけて闘いに立ち上がって欲しい。

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郵政民営化法案否決

 稀代の悪法、郵政民営化法案が参議院で否決された。総理小泉はこれを受けて衆議院を解散する。「改革」と称した弱者きり捨て政策を強引に押し進めてきた小泉政権の崩壊の始まりだ。

 この四年間小泉政権が行ってきた事は何か。財界の意向を受けて増税と社会保障制度の切り捨て、弱者を切り捨て大資本のために国家体制を大改造しようとする物だった。郵政民営化はその最たる物だ。自衛隊の海外派兵を強行し、「つくる会」教科書を検定に合格させ、日本を侵略戦争の出来る国に改造しようとしてきた。こんな政権は打倒しなくては労働者は生きて行くことができない。

 小泉政権に止めを!

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2005年8月 7日 (日)

「労働者りLの言いたい放題」がんばれ!

 労働者Lさんの「労働者Lの言いたい放題」から私の「現場から見た郵政民営化」にトラックバックを頂戴しました。出、早速お邪魔してきました。元気の良い方で、時事問題などをバッサバッサと左から批判されています。私のこのブログを読んで下さっている方の感性なら、きっと喜んで読めるのではないでしょうか。以下に簡単に紹介をさせて頂きます。

 「ヤマト運輸を国営化せよ」では、郵政民営化が労働者全体にかけられたリストラ攻撃の一環であり、国鉄分割民営化によって死に追いやられた尼崎事故への弾劾をされています。そして、郵政ユニオン郵産労の労働者の権利を守る闘いを紹介した後にこう結んでいます。「労働者Lが日本人民共和国の主席になったら,むしろヤマト運輸など民間宅配業者を国営化して,そこで働く労働者の待遇改善することを公約しておく!」 ねっ。労働者全体の利害を勝ち取る立場の発言ですよね。

 「小泉は8・15に靖国参拝せよ!」では、小泉は実は国連安保の常任理事会に入って、アメリカから軍事的負担の強化を求められるのが嫌で、中韓を始めとするアジア諸国をわざと怒らせる事をして、止めて欲しいんじゃないか、なんて逆説的な言い方で靖国参拝を批判している。「慰霊碑を壊したのは誰だ!」では、広島平和公園の慰霊碑が右翼によって壊され、「過ちは」の部分が削り取られた事に怒りを表明している。日本政府はハンマーこそ使わないが、自衛隊の海外派兵という「過ち」を繰り返す事で被爆者の思いを踏みにじっている事、日本の支配階級がどれほど残酷に平和への祈りを蹂躙しているかの現実を示すために、慰霊碑は修復せずに現状を見てもらうべきではないかと締めくくっている。この件については、もう十数年前に沖縄は読谷村のチビチリガマの世代をこえる平和の像が、やはり右翼によって破壊された事を思い出した。当時も修復か否かで論争があった。私などは目には目を、歯には歯をの精神で、靖国神社を焼き討ちすべきだと思いますが。

 何にしても左派のブログが増えて世論を喚起する事は良い事だと思います。ランキングでも頑張りましょう。右派を引きずり下ろすために今はランキングに参加されていない皆さんも、参加しましょう。

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2005年8月 6日 (土)

8・6ヒロシマなのに・・・

 今日は60回目のヒロシマ原爆忌だ。数日前からヒロシマに関連した記事を書こうと思っていた。新聞に目を通して、最新の情報を元に何か書きたいと思っていた。でも駄目なのである。新聞が読めない。おかしな事かも知れないが、鬱病が酷いときに僕は新聞を読むことが出来ない。本やマンガは読めるし、インターネットのサイトを色々と読んで投稿することも出来るのに、新聞は読めない。これは一般的な新聞に限らないのだ。「前進」もサイトでなら最新記事・論文をチェックしているのに新聞その物が読めない。

 何故だろう。ネット経由で知った情報についてなら、このブログには珍しい時事問題についての記事も書けるのだが。新聞という形態を通した情報については受け付けることが出来ない。症状の軽いときなら一通りながめることは出来るし、元気なときは隅々まで熟読していた。革命運動・労働運動・仕事の営業活動のために総合欄から政治・経済・社会・地方・家庭欄まで全部読んでいた。オルグ対象や顧客との間に、ありとあらゆる接点を探すために貪欲に読んでいた。

 新聞という物が僕にとっては運動と仕事に密接に関わっていたからなのだろうか。だとすると運動と仕事に関する拒絶反応の一環なのかも知れない。

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2005年8月 5日 (金)

現場から見た郵政民営化

 郵政民営化法案の、参院本会議採決か否決かが来週の月曜8日に決定されるようです。郵便局員としてはこの結果によって自分自身の将来が左右されるので気が気ではありません。あちこちのブログでも郵政民営化法案の賛否について様々な記事が見受けられます。まだ私以外の郵便局員のブログには巡り会っていないので、多少なりともご縁のあるブログの方々にとっては私だけが現場の感覚からの意見を発信出来ることになります。

 6月24日にも「何故郵政民営化に絶対反対なのか」で書いたのですが、私の立場は郵政民営化絶対反対です。一番の問題点として郵便局員へのリストラ・首切り合理化が目的とされているからです。そしてかつての国鉄分割民営化が、総評労働運動を解体して、そのことを通じて社会党の解体・変質をもたらして今日の国会においては改憲勢力が殆どの議席を占めているという現状、日本中が不況の中にあえぎ全ての産業で大量の首切りが行われているにもかかわらず、労働組合が首切り反対のスト一つ打てないばかりか、経営者と一体となってリストラに協力している現実があります。郵政民営化は教育労働者への「日の丸」「君が代」攻撃、自治体労働者への現業部門民営化を始めとする首切り、国鉄闘争破壊の攻撃などと一体となって日本の労働運動にとどめを刺そうと襲いかかっている物だとの認識があるのです。だから私は絶対反対の立場を貫くし、同時に職場の仲間にも訴えてきました。

 ここで民主党や自民党内の造反議員が法案に反対していたり、日本郵政公社内の二大労組である日本郵政公社労働組合(略称JPU、旧称全逓)と全郵政とが特定郵便局長会と一体となって法案反対の運動をしているではないかと思われる方も多いかもしれません。しかし、現場の組合員にとっては小泉総理とこれらの勢力は郵便局を民営化して一気に首切りを行い労働組合を解体するか、それとも国営のままで首切りを行い労働組合を現代の産業報国会に変質させるかと言う、首切りの手法を巡り争っているに過ぎないのです。

 かつて私が所属した労組交流センター全逓労働者部会を始めいくつかの派閥・勢力は、実際に民営化するかしないにかかわらず、郵便局員数万人の大量首切りと労組破壊の攻撃とを「郵政民営化攻撃」と呼んできました。そうしたここ十数年のリストラの結果、郵便局の現場がどうなっているか、私の知る範囲で述べたいと思います。

 先ず私が知る限りでここ数年の間に合理化やそれによる人間関係に悩んで自殺した人が数十人います。一説によると200人を超えるとも言われていますが、二大労組は一向に問題として取り上げようとしません。実態調査すら行わないのです。また私の様に精神疾患によって休職・長期休暇あるいは働きながら通院療養中の職員は数千人存在すると言われています。郵政公社の方が、あまりに多い精神疾患患者によって、あちらこちらで職員が不足し混乱が生じている事から「メンタルヘルス対策」を躍起になって講じているくらいです。日本の社会全体で自殺者が3万を数える時代ですから郵政部内の出来事は社会問題にすらなっていません。ある意味郵便局で起きている事は日本社会の縮図と言えます。

 郵便局員の総数は5年ほど前までは約30万人でしたが現在では約27万人。郵便物は減少していると言われていますが、15年前に比べて約1・5倍の郵便物が有るのに郵便関係職員は減少の一途をたどっています。賃金の面で言えば2000年に私の月給は税込み約35万で手取り額は27万位ほどだったのが、現在では基本給と諸手当の削減で税込み約27万の手取り19万と言うところです。わずか5年で月収が三分の二に減ってしまいました。業務内容を見た場合、殆どの集配郵便局で貯金課と保険課の統合が行われ両方の業務を行う様になりました。集配郵便局と言うのは外務員がいて配達業務や集金業務を行う郵便局です。郵便事業では郵便番号の7桁化に伴い大規模な区分局と言われる局で内務職員の大量削減、集配業務の一部で機械区分によって局内での作業時間が約一時間減少し、その分要員が削減されて配達時間が長くなり、バイクの振動や配達作業での急停止急発進による腰痛患者の増大。郵便営業の強化と言われ全職員が郵便商品販売のノルマを課されています。兼業農家で米を作っている職員が、「純米便り」という米のゆうパックを買わざるを得ません。「バレンタインゆうパック」と言うバレンタインのギフトを男同士で贈り合っています。年賀状の販売目標を達成するために、他府県に住む親戚や友人に自前の携帯電話で連絡を取って、勤務終了後に届けて歩きます。ある管理職は数万枚の年賀状を自分の勤務先で購入して金券ショップに売りさばいて、目標だけは達成しています。(当然差額分は損をしている)ゆうパックの殆どは蛸が自分の足を食べる様に「自腹」「自爆営業」で数字だけは達成されているのです。

 労務管理の面では、口髭を生やしているだけで窓口業務を外されてJRの「日勤教育」と同様の研修と言う名のいじめが行われています。郵便配達の際に夏場はサングラスをする事もあったのですが、見栄えが悪いからと禁止。区分機を操作する際にネクタイが巻き込まれて事故・負傷が有ってもネクタイは絶対着用しなければならない。首都圏では「胸章処分」近畿では「氏名札処分」と言われる処分が有るのですが、名札をつけないだけで処分。この処分を巡っては裁判も行われました。今日では社会の治安の悪化などで様々な業種で顔写真入りの名札を付けている場合が多いので、ピンとこない人が多いかもしれませんので説明しますと、90年代に入ってから各地で名札の強制が始まったのですが、丁度その頃に甲府信金の窓口担当者の女性が名札で名前を覚えられて呼び出され、身代金目的で誘拐殺人されると言う事件がありました。この事に女性職員の中から不安の意見が出たりしたのです。また地方都市に行くと部落差別の現実のために名字を言えば「ああ部落民か」と分かる実態が有り、出身を知られたくないと言う意見も有りました。(この件については部落民である事をかくして生活しなければならない現実そのものが差別なのですが、差別の重圧から出身を隠したがる部落民も数多くいます)。当局は営業推進のために名札は必要だと言うのですが、職員からつけた場合とつけない場合の違いの実態調査などが有るかと問われても答えようとはしません。この様な様々な問題がある場合、郵便局に限らずまともな労働組合が存在している職場では、疑問に対して経営側は解決策を講じ、労使双方の合意が有るまで説明するのですが、この件に一切の説明を行わず処分を行い、処分によって昇給の延伸等の不利益扱いをする事を通じて着用を強制しました。

 「人事交流」と言われる強制配転によって多くの労働者が将棋の駒の様にあちこちの職場をたらい回しされています。郵便局と言うのは、本人が希望しない限り一般職員には転勤がありませんでした。地域に密着する金融機関として貯金や保険の職員は親子孫と三代にわたるおつき合いを頂いているお客さんを持つベテラン職員も沢山いましたし、郵便外務員の場合名前を聞いただけでその人の住所と配達先が出てくる様になって一人前です。これが転勤によって一から覚えなければならない事への不安、転勤による人間関係の変化に適応出来ない不安などから多くの人が自殺したりする様になりました。この「人事交流」を巡っては職場の業務運行に支障が出て、ある地域を配達出来る職員がいなくなると言う問題も生じていますが、それでも郵政は職場の人間関係を通じて作られてきた組合の団結を破壊するために止めようとはしません。今日では50代の労働者が職場に絶望して次々と退職しています。あるいは何らかの資格を持つ者は見切りをつけて若い内に転職していきます。

 本来であれば様々な首切り合理化に反対し、労働条件を守るべき筈の組合は、「民営化されないために経営に協力する」と言って現場労働者の声を無視して、国会議員や官僚を、組合費で接待してご機嫌をとる事に忙しくしています。ある専従役員は赤坂の高級料亭で政治家と飲食した事を自慢しています。現場の役員にもキャバクラで飲んだ領収書を組合費に付ける風潮が現れています。民間の多くの組合ではこれが普通なのかもしれませんが。

 リストラ・合理化首切り、労働条件の悪化、組合が経営者の手先として現場の労働者に敵対する動き、このような一切が「民営化」をキーワードに行われているのです。

 現場の労働者にとっては郵便局が民営化されようがされまいが首きり合理化が待っています。公務員なら首切りは無いと思われる方がいるでしょうが、分限免職と言う制度を多用した指名解雇が行われているのが実態なのです。例えば芦屋郵便局に勤めていた高見さんという方は、腰痛や経腕症候群の最も重度の症状である鬱病に罹患したのですが、公務員法の欠格条項にある精神病者と言う理由で解雇されました。一旦は手続き上の不備が認められて復職したのですが、今度はその手続きのために当局が指定する病院で診断を受ける様にと業務命令が出ました。二名以上の医師が精神疾患と診断書を出すと欠格条項に該当するので高見さんは受診を拒否したのですが、すると業務命令に従わなかった事を理由にして分限免職処分が発令され、二度目の首切りが行われました。高見さんは現在も復職を要求して裁判等の闘争を闘っています。

 郵便局の職場実態はこの様に酷い者になっています。(民間はもっと厳しいぞと言う声も有るでしょうが、労働基本法などを始めとする諸法規を守らない民間の方が異常なのです)郵便局の労働者にとってはこのような現実をこのまま受け入れるのか否かが問われています。労働組合が雇用を守るために闘うと言うごく当たり前の労働運動を一から再生する。当局の、経営の手先である連合幹部を打倒追放する。そうする以外に郵便局の労働者は生きていけないと思います。この事は同時に郵便局の労働者が処分を恐れず闘い、その事を通じて全ての産業に働く労働者の権利を守る統一戦線を作らない限り勝利が無い事を示しています。日本全体にリストラが吹き荒れる中で郵便局だけが嵐の外にいる事は出来ません。日本中の労働者の雇用と労働条件が守られる社会の中でしか郵便局員の雇用と労働条件も守られないのです。

 国会の議決がどう転ぶか分かりませんが、法案が成立した場合には待った無しの闘いが必要です。否決されれば闘う陣形を作るための時間が稼げる事になります。昨年、日本プロ野球史上初のストライキが行われ多くの支持が集まりました。プロ野球のファンだけにとどまらずに広範な人々がスト支持の声を上げました。この事は日本中の労働者が首切りにさらされている、それと闘う指導部が欲しいと願っている事の現れではないかと思いました。郵便局の労働者が本気で闘えば、必ず支持は広がると思います。私自身が派閥に復帰する可能性は先ず無いでしょうが、病気を治して復帰して、職場の仲間と共に闘う組合づくりをなし遂げたいと思っています。

 

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2005年8月 3日 (水)

警察、機動隊、国家の暴力

 三里塚闘争を始め、多くの闘争は最初から武装闘争であったわけではない。闘争の初期には共産党のように「人民の暴力反対」、国家の暴力は容認という輩が、選挙の票目当てで参加していた時期もあった。それが何故に共産党を排除して全学連をはじめとする新左翼を受け入れ、実力闘争に発展していったのか。

 最初は、空港公団の測量に対して三里塚の農民は道路に座り込みをすることで抵抗した。共産党は「道路交通法違反だから」農民に立ち退くように呼びかけた。その後で機動隊が農民に暴行を加えて排除した。第一次と第二次の強制代執行の際には、農民が立木伐採を止めさせるために木に登り鎖で体をくくりつけているのを、そのまま伐採した。多くの農民が負傷した。地下壕に立てこもる農民の頭上を農民が生き埋めになるのも気にせず、重機で走り回った。大木よねさんというおばあさんが農機具にしがみついて抵抗するところに、殴る蹴るの暴行を加えて住居を取り壊し、家財道具を放り出した。

 全学連の学生に対しては、反対集会が終了して、たき火をして暖を取っているところに襲いかかり、女子学生の口に警棒をつっこみ顎を外した。野次馬が見かねて、農民や学生と一緒に抗議すると、子連れのお母さんの目の前で、乗ってきた乗用車を破壊した。後には野次馬が見物することすら出来ないように、厳重な検問を敷いて反対行動が一般市民の目に触れないようにした。東山薫さんという方は、負傷者の治療を行っている野戦病院に機動隊が乱入するのを止めるためにピケを張っていて、後ろから射殺された。数千数万の労働者学生が重軽傷を負った。

 60代の老人を2メートルの崖から突き落とし、田んぼに油をまいて火を放った。報道のカメラマンが警察にとって都合の悪い映像を映していたら、襲いかかってカメラを破壊した。小学生の登下校を十数人の機動隊が盾を持って取り囲み脅している。反対同盟農民の家を訪ねる者は誰彼構わず検問して顔写真を撮る。一晩中投光器で家を照らして真昼のような状態にする。現在の暫定滑走路から離発着するジェット機は、農家の頭上40メートルの高さを飛んでいる。40年近く三里塚で行われ続けている警察、機動隊、国家の暴力がこれだ。

 農民や労働者学生がたまりかねてささやかな武装をして抵抗する。マスコミや共産党は「暴力学生」と言って全学連や反戦青年委員会の労働者を非難する。警察に抗議することはない。民衆が暴力を持って国家権力に抵抗することを非難する人の殆どは、国家権力の暴力に対しては何も言わない。支配する者だけが暴力を欲しいままにする現実。この事を批判しないで暴力一般に反対することの欺瞞を考えて欲しい。労働者人民が国家権力打倒のために暴力をふるうことに反対するなら、国家体制維持のための暴力にも反対すべきではないだろうか。ダブルスタンダードは許されない。

 三里塚闘争について書いた多くのルポルタージュが存在する。機動隊の、国家の暴力が数多く記載されているが、ただの一度も政府・警察・空港公団は「名誉毀損」などと言ったことはない。全て事実だからだ。今日では多くの本が絶版になっているが、三一書房労組に問い合わせれば、新書本が入手できるかも知れない。

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2005年8月 2日 (火)

東京都議会議員選挙

 今年は東京都議会議員の選挙があった。7月3日に投開票が行われたのだが、20年前、長谷川英憲さんが初めて都議選に立候補したことを思い出す。方針の提起があったのは84年の夏頃であったと思う。最初は何で過激派が選挙なんかしなきゃいけないのかと思ったのだが、「前進」紙上での革命的議会主義に関する論文の学習を通じて何となく意義が分かった。東京の杉並区は長谷川さんが区議として長年の実績を持つ地域で、中核派にとって戦略的に重要な土地であるらしい。70年頃には政治局員の北小路敏さんも都議に立候補したことがあるそうだ。

 ゴールデンウィークの間に数日、連休を利用して杉並に行った。地理は分からないし駆け出しの活動家に選挙オルグが出来るわけもないので、もっぱら駅頭での街頭宣伝を担当した。ビラをまき、都政を革新する会の主張と長谷川さんの名前を訴えた。そうこうする内にマイクを持ってアジテーションをしないかと言われた。人前でしゃべるのが得意な私はビラを読んで大体の主張を頭に入れると話し始めた。時々道行く人が足を止めて聞き入ってくれると、とても嬉しくて俄然やる気が出た。一所懸命長谷川さんの主張を訴えた。残念ながらこの年は長谷川さんは落選したが、四年後の89年には当選を果たした。90年の天皇即位儀式へのゲリラ戦などが頻繁に闘われている時期だった。一期だけであったが、当時の雑誌で、社会党の39人よりも長谷川さん一人を自民党・鈴木都政は恐れていると記事が載るほど衝撃的な出来事だった。

 今年の選挙は、「つくる会」教科書採択反対と石原都政への挑戦を掲げて闘われたが、残念ながら落選した。都議会議員を持てる勢力すらなくて社共を乗り越える革命党の建設など空語に過ぎないから、中核派は今後も挑戦を続けるだろう。今年の選挙敗北の総括を巡ってはどうもしっくりこないのだが、本当に強大な人民の前衛党への飛躍を勝ち取って欲しい。今は何の役にも立てない身だが、真剣にそう思う。

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2005年8月 1日 (月)

仮面ライダーを熱く語る

「仮面ライダーSPIRITS」とは

  弱者のために、無償で、自らの危険をかえりみず戦う心

  数を恃まず、独りでも戦う心(志を同じくする者を仲間とする)

  自分一個の復讐心のためではなく、みんなの(幸福・平和の)ため戦う心

 というアレクセイさんの「LIBRA」と言うサイトでの定義付けを紹介してもらった。もともとは 「仮面ライダーと決断」にKamakazuさんがつけてくれたトラックバックへのコメントで盛り上がってしまい。仮面ライダーについてあれこれ話し合っている内に主義者Yさんが教えてくれた。いいなあこの定義。元の文章もとても素晴しかった。時間のある方は是非読んでみて欲しい。

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