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2005年8月 2日 (火)

東京都議会議員選挙

 今年は東京都議会議員の選挙があった。7月3日に投開票が行われたのだが、20年前、長谷川英憲さんが初めて都議選に立候補したことを思い出す。方針の提起があったのは84年の夏頃であったと思う。最初は何で過激派が選挙なんかしなきゃいけないのかと思ったのだが、「前進」紙上での革命的議会主義に関する論文の学習を通じて何となく意義が分かった。東京の杉並区は長谷川さんが区議として長年の実績を持つ地域で、中核派にとって戦略的に重要な土地であるらしい。70年頃には政治局員の北小路敏さんも都議に立候補したことがあるそうだ。

 ゴールデンウィークの間に数日、連休を利用して杉並に行った。地理は分からないし駆け出しの活動家に選挙オルグが出来るわけもないので、もっぱら駅頭での街頭宣伝を担当した。ビラをまき、都政を革新する会の主張と長谷川さんの名前を訴えた。そうこうする内にマイクを持ってアジテーションをしないかと言われた。人前でしゃべるのが得意な私はビラを読んで大体の主張を頭に入れると話し始めた。時々道行く人が足を止めて聞き入ってくれると、とても嬉しくて俄然やる気が出た。一所懸命長谷川さんの主張を訴えた。残念ながらこの年は長谷川さんは落選したが、四年後の89年には当選を果たした。90年の天皇即位儀式へのゲリラ戦などが頻繁に闘われている時期だった。一期だけであったが、当時の雑誌で、社会党の39人よりも長谷川さん一人を自民党・鈴木都政は恐れていると記事が載るほど衝撃的な出来事だった。

 今年の選挙は、「つくる会」教科書採択反対と石原都政への挑戦を掲げて闘われたが、残念ながら落選した。都議会議員を持てる勢力すらなくて社共を乗り越える革命党の建設など空語に過ぎないから、中核派は今後も挑戦を続けるだろう。今年の選挙敗北の総括を巡ってはどうもしっくりこないのだが、本当に強大な人民の前衛党への飛躍を勝ち取って欲しい。今は何の役にも立てない身だが、真剣にそう思う。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 ウーン、属人的なことをいわれると資本家の具体的氏名やイメージを説明するのは難しいですね。アメリカなどのように「資本家」ってイメージの人は少ないと思いますから。でも楽天の三木谷社長にしろほりえモンにしても今は成金のイメージが強いとしても新興の資本家であることは確かですね。三井財閥の当主の人も株式という資本を通じて三井グループの支配権を持っていますから資本家だというしかないですね。有る程度の資本になると、一族が経営者になるより優秀な経営者に任せる方が儲かりますから。
 中小企業の経営者の場合、被雇用者より沢山働いていることが多いのですが、例えば私の父も昔は土建屋を経営していまして、小資本化でした。人間というのは集団で労働することで単独で労働するより大きな生産力を発揮することは分かっていただけると思います。それで生じる剰余価値を手中に収める者が資本家としか今の僕の力量では説明できませんね。
 同様に労働者についても末端の機動隊員が労働者であることは否定しません。暴走族でも働いていれば労働者です。生産手段を持っておらず労働力を売るしか無い存在が労働者です。でもそのことが直ぐに労働者として階級的に生きているかというと、そうではないんですよね。どう説明したら分かり易いかな。力不足で申し訳ないです。
 警察の暴力を認めている時点で、反撃の暴力は否定したとしてもhiroさんが暴力を認めている点だけは確認して下さい。hiroさんは本当の意味での暴力否定論者ではありません。

投稿: アッテンボロー | 2005年8月 5日 (金) 22時30分

アッテンボローさんへ
うーんあんまり質問するのも迷惑だと思い自分で考えてみたんですが、どうしても日本の大資本家のイメージが出てこないんですよね。大企業になると社長は通常やとわれなので、管理者であって資本家ではありません。資本を利用することはできても給与以上に自分に蓄積することができないからです。戦前から有名な三井財閥の当主はいまは幼稚園の延長先生らしいからとても資本家ではないし、唯一資本家っぽかった西部の堤さんは逮捕されてしまったし、最近の楽天の社長や堀えもんは資本家というより成金って感じだし。株主が資本家と言えるのかもしれませんが、実は年金や主婦がへそくりで買う例も多いみたいなので資本家って感じではないですよね。企業は人ではないのでいくら大きくなっても資本家にはなれません。
一方一般大衆や労働者の定義は何でしょう。機動隊員なんて立派な労働者だし、暴走族だってバイクに乗っていないときは労働者です。暴力団はちょっとグレーだとは思いますが、末端は労働者に近いものがあるのではないでしょうか。暴走族を叩きのめすというのは労働者通しのいさかいということになりませんか。
やっぱり警察の過剰な暴力に対して暴力を行使する権利は認められないという感じですね。

投稿: hiro | 2005年8月 5日 (金) 11時52分

 hiroさんは資本家ではありません。共産主義者が言うところの「私有財産」とは生産手段です。管理職であっても資本家ではありませんよね。土地や建物、原料、資本金などを利用して資本の再生産物を手中に収める者が資本家です。管理職は、言うならば資本家に最も忠実な労働者だと思います。
 特定郵便局長はある種の小資本家ですね。資本主義の発展、大資本家がより巨大になっていく中で、没落していく階級です。郵政の民営化で特定郵便局が無くなったとしてもそれは資本主義そのものは残る訳ですから革命ではありません。
 暴力団や暴走族は確かに暴力を欲しいままにしますね。彼らはある意味で警察と言う大企業の下請けに過ぎません。政治家や資本家との癒着は御存知だと思います。hiroさんのお勤め先がどのような規模の会社かは分かりませんが、大資本は汚くつらい、俗に言う3K労働は下請けにさせますね。警察と暴力団の関係はそのような物だと思います。労働組合が経営者と争議をすると、暴力団が雇われて襲撃してきて、反撃した労働者を警察が逮捕すると言うのはよくある事です。
 法律で定められた範囲での警察による暴力を認めるのなら、警察による過剰な暴力について反撃する権利も有るのだと、それだけ認めて頂けたらと思います。出来れば警察が過剰な暴力をふるう場面に出くわした時に、止めに入って頂きたいものです。
 「みんなが好きに暴力を行使する権利を持つ世界」というのは誤解が有ります。少数の人間、この場合は警察であり軍隊であり暴力団と言った、権力者のために暴力を独占する連中から、全ての人が「正義の暴力」を取り返す事です。好き勝手に行使する輩は、大衆的な反撃で叩き伏せる。武装した労働者はお人好しではありませんから、自然と暴力団や暴走族が存在出来なくなるでしょう。

投稿: アッテンボロー | 2005年8月 4日 (木) 14時26分

アッテンボローさん またお邪魔します。 翌日のブログを読めば警察に対してある種の感情をお持ちだということは理解できます。国家による武力行使についてはこのように考えています。わたしは基本的に法治国家を志向していますので、成文化されている、いないにかかわらず、法律で認められた武力行使については仕方ないことだと考えています。全ての人が法律を遵守するわけではないので、その対抗上必要だということです。警察機構にはいろいろな問題があることは知っていますが、満点を目指して日々努力をするしか道はないと言うことだと思います。(まあ理想主義的な意見であることには間違いありませんが) 
警察の過剰暴力の件ですが、当然限度というものがあるとは思いますが、警察官だって恐いんだと思いますよ。強盗の身の安全より警察官の安全を優先することがそんなに問題なのでしょうか。
アッテンボローさんがいう人民とはだれのことですか。私は会社では管理職でマンションをもっているものですが、人民という階級に入れるのでしょうか。右派の人はどうですか。暴力団は、オウムのような新興宗教の人は、暴走族はバイクしか持っていないから当然人民ですね。みんなが好きに暴力を行使する権利を持つ世界が理想社会ですか。わたしはごめんです。
だいたいイギリスにいるユダヤ人が頭の中で考えたことなんかが日本に適応するわけがないと思いませんか。
アッテンボローさんは郵便局にお勤めだそうですが、特定郵便局は庄屋の出で土地持ち資本化支配階級になりますよね。となるといまの民営化というのは資本家から権利を取り上げて、一般人とするのだから共産革命に近いものがありますね。武力を使用しなくても革命はできるのではないですか

投稿: hiro | 2005年8月 4日 (木) 09時27分

 NKさん、僕は理論家ではないので上手く言えませんが、確かに天皇制との対決が後景化していた様に思います。本当に天皇制を始めとする日本帝国主義を打倒するのかどうかが問われる事だと思います。その意味でマル共連で黒羽さんという人がメット部隊で街宣すればなんて言っていましたが、ある意味それも必要なのかもしれません。
 hiroさん、ダブルスタンダードと言う場合、世間一般的な「暴力反対論者」は警察が強盗や殺人犯を捉える際に振るう暴力を肯定する人が多いですよね。hiroさんはどうしますか?
 左翼の中で共産主義者は暴力一般に反対しているのではありません。それは暴力がどの階級によって行使されているかによって「正義の暴力」と「不正義の暴力」とに分けて考えているのです。これは先ほど警察の暴力についても簡単に触れたのですが、警察の暴力を肯定・容認しながら人民の暴力を否定する人はそれだけでやはりダブルスタンダードです。
 暴力がどの階級によって、何の政治目的で行使されたかをしっかりと検討して欲しいのです。

投稿: アッテンボロー | 2005年8月 3日 (水) 17時36分

アッテンボローさんNKさんこんにちは
左翼の人が唱える、他国民への暴力(侵略)は否定するのに自国民への暴力(革命)は肯定するという態度がどうしても私には理解できないんですよね。ダブルスタンダードでは他人は信用しません。ちなみに私はどちらの暴力も反対です。
左翼の方が大衆(この言い方も好きではないのですが。)の支持を得られないのは天皇制を否定するからではないのでしょうか。古来から日本で天皇を敵にした人が勝利したことはないと思います。最も日本は社会主義国家だという説もあるのですでに皆さんは勝利しているのかもしれません。

投稿: hiro | 2005年8月 3日 (水) 13時16分

個人的な感想ですが、「日の丸」「君が代」や「つくる会教科書」との闘いにしろ、天皇制、天皇制イデオロギー批判という核心を欠いているから、大衆の支持が得られなかったのではないかと思います。
戦前の日本共産党がその組織的腐敗や路線の誤りにもかかわらず戦後に於いて労働者人民を結集しえたのも、いくたの犠牲に耐えて天皇制打倒を取り下げなかったことを、人々は知っていたからだと思います。
日本帝国主義が帝国主義であるかぎり、天皇制ボナパルティズム的統治形態は不可避に到来するものとと思います。
また日本においては天皇制との対決が左翼としての第一の条件といえるのではないでしょうか。
その為には日本帝国主義論の再建が必須と言えるでしょう。

投稿: NK | 2005年8月 3日 (水) 11時41分

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