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2005年8月29日 (月)

10・20三里塚闘争

 最近管制塔被告支援の記事を時々書いているのだが、3.36成田空港開港阻止の偉大な闘いだった。その成果で成田は滑走路一本の不完全空港として長年の月日を送る事になったのだが、その二期工事を巡って闘われたのが85年の10・20三里塚戦闘だ。この闘いは中核派と革労協、共産同戦旗派(西田戦旗とも言う。草加さんのいた戦旗共産同日向派とは別組織)、共産同蜂起派とが闘った。

 闘争に向かう過程では7月の用水闘争で全学連が機動隊の指揮車を占拠したり、北富士闘争で旗竿部隊が機動隊と衝突して沢山の逮捕者を出したり、徐々に10・20に向けて戦闘的なデモが勝ち取られつつ有った。勿論それは中核派だけの問題ではなくて当時の三里塚勢力の殆どは大なり小なり闘いの準備を進めていた。9月の北原派の闘争では共産同戦旗派が旗竿部隊で機動隊に突っ込んで行ったし、先日草加さんがコメントをくれた様に戦旗共産同も9・29戦闘で大量の逮捕者を出しながら闘った。10.20は一連の闘いの頂点をなす闘いだった。

 九月の終わりか十月の初め、前進社に反戦派労働者が全員集まって決起集会が開かれた。各地区反戦の代表が決意表明したのだが、僕は地区のキャップから一番若いお前がしろと言われて発言する羽目になった。細かい内容は忘れてしまったが興奮して「必ず機動隊を一名完全殲滅します」と言ったら非常に拍手喝采を浴びた事を覚えている。「完全殲滅」と言うのは左翼の間では「殺害」を意味していた。その後別の日に僕とその他に二人が前進社に集合する様命令を受けた。三人とも二十代前半だった。社の会議室には僕たちの様に選抜された十数人の反戦派労働者が10・20当日の戦闘について作戦会議を受けた。盗聴を警戒して時折筆談で説明が入る。全学連と共に戦闘部隊の中軸をになうメンバーたちだった。

 普段の三里塚闘争なら新幹線や夜行列車を乗り継いで行くのだが、この時はある議員の後援会名義で観光バスを手配してもらった。なんでも普段は権力の妨害でバスが利用出来ないので、この時だけ特別に議員さんの名前を借りたらしい。お陰でたいした疲れも無く三里塚現地に到着した。検問の機動隊員が「おい、新品のヘルメットだぞ」と驚いて同僚に話していた。この日のために用意されたバイク用のヘルメットだった。集会場に着くと選抜メンバーにはバイクヘルとゴーグル、雨合羽が支給された全員がヘルメットに「中核」と書く様に言われた。学生と労働者の区別がつかない様にするためだ。お陰でマル共連に10・20の話題が出た時も反戦派労働者は忘れられて、全学連だけが闘ったかの様な書き込みが沢山有った。カッパには緑のビニールテープを撒いた。地方ごとに部隊編成がなされた目印で、第二中隊と呼ばれた。

 僕は目撃していなかったのだが、集会場に持ち込まれようとしていた大量の旗竿が押収されたらしい。それもトラックに一台分、真新しい竹で作られた物だ。集会の終盤が近づくと演壇で決意表明している話などそっちのけで僕たちは武装を整える。何処からどうやって運び込まれたのか分からないが、大量の鉄パイプと鶴嘴等の柄に使う角材が大量に配られた。火炎瓶も無事搬入された。投石用の砂利も沢山有った。僕は最初角材を手にしたのだが、仲間に頼んで鉄パイプと交換してもらった。集会が終わりデモに出撃する。先頭は報道の映像などでも有名になった丸太部隊。その後に部隊が続く。僕は火炎瓶の入ったビールケースを運んでいた。投げつけると衝撃で発火する様に薬品を混ぜてある。

 後方で騒ぎが有った。どの部隊か知らないが、三里塚第一公園の前に陣取っていた私服警官の一群に襲撃をかけたらしい。やがて先頭部分も衝突が始まる。遅れて交差点に到着した僕は先着していた同志に火炎品を配る。自分も一本持つと戦闘に参加した。機動隊にめがけて投げつけたのだが上手く発火しない。放水車が僕めがけて放水してくる。視界が見えなくなり方向感覚を無くしてしまう。とにかく目の前にいる機動隊めがけて鉄パイプを振り下ろす。数回振り下ろすと盾の隙間から機動隊の腕にあたった。痛そうに手を引っ込める機動隊。調子に乗ってもう一度振り下ろすと、今度は掴まれてしまい引っ張り合いになる。仕方なく手を離すと路上に転がっている機動隊の盾を拾い、それをかざしてマルキに突っ込む。機動隊の壁が左右に分かれ、僕はその中に入ってしまった。腕をつかまれ引きずり回される。膝蹴りが飛んでくる。ヘルメットはいつの間にかはぎ取られていた。フェンスに押しつけられて取り押さえられるまで、何度か逃げようとあがいたが失敗した。手錠をはめられバスに押し込まれた。僕にとっての初陣は終わった。

 空港内には次々と逮捕者が運ばれて、その後千葉刑務所の未決拘留坊に運ばれる事になる。千葉刑の夜のラジオの時間に戦闘のニュースが流れた。240~50人の逮捕者が出たらしい。機動隊員三名が再起不能の重傷を負った。

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コメント

読んでいてワクワクしました。

投稿: S | 2014年7月23日 (水) 23時02分

 南野洋二さん初めまして。そうですか、10・20を共に闘った仲間とネットの上でであれ再会できて嬉しく思います。鬱病の治療中と言うことですが、気長に行くしかないようですね。お体に気をつけてゆっくりなさってください。

投稿: アッテンボロー | 2005年12月10日 (土) 17時59分

あの日赤ヘルで10.20三里塚空港突入闘争に参加したものです。あの時、白ヘルと共に闘った事、目の前で火炎瓶が炸裂した瞬間は鮮明に覚えています。

膠着状態に入ってから、警備車両カマボコの向こうにいる機動隊にも石を投擲したりしました。私は手に何かをもつ事無く、ただ路面にある石を投げるのが精一杯でした。
逮捕者241名のうちひとりです。

機動隊の催涙弾が民家の窓ガラスを突き破って飛び込むのもあの日目撃し、今でも思い出す事があります。

私も現在鬱病を療養中です。
また政治活動から離れている期間が長い事もあり、現在の政治状況に対する的確な判断ができていない状態にあり、ほとんど政治活動的な事から離れています。(私事にて失礼いたしました)

投稿: 南野洋二 | 2005年12月 9日 (金) 20時22分

 サラダさん今日は。今では街頭での武装闘争は有りませんが、新左翼が以前のように闘うことで情勢を切り開く立場は捨てないで欲しい物です。

投稿: アッテンボロー | 2005年8月30日 (火) 13時36分

10・20ですか。
懐かしいですね。
しかし、あの日に向かう過程と、当日の様子をこのような形で知るとは思いませんでした。
何となく、ワクワクです。

投稿: サラダ | 2005年8月30日 (火) 00時43分

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