除名を巡って
私は郵政当局のリストラ=首切り合理化との攻防の中で、何とかして闘う労働運動を作り上げようと苦闘していた。様々な重圧が襲い来る中、主観的には結構頑張ったつもりだ。だが残念なことにそれは党としての闘いと言うよりも個人的な闘いとしての側面の方が大きかったように思う。本来のあり方ならば職場の問題を党の会議で報告し、そこで十分な方針論議を深め、指導部と一体となって活動することだった。残念なことに私と指導部との間にはその様な関係を築くことが出来なかった。職場での攻防と党との関係の問題などで色々と悩み苦しむ中、鬱病にかかった。そして私は自暴自棄になって生活が荒れていってしまった。
ある意味で言えば運動から脱落していた方が病気にもならず生活も荒れないで済んだのではないかと思う。でもそれは自分としては出来なかったし、党も私がシンパ扱いしてくれという希望を出しても聞き入れてくれなかった。病気のまま党にしがみついていこうとする中で、病気は長期化し、生活はますます荒れていった。去年の夏、地区党の委員長は「おまえは腐っている」と私を罵倒し、処分を検討する事を告げてきた。
その時私は感情的に反発したのだが、帰宅して冷静に考える中でおそらく自己批判を要求されるのだろうと思った。同時に党がその作業を通じて私を立ち直らせてくれるだろうという期待を持っていた。一月以上の時間をかけて数名の「同志」が通告しにやってきたのは自己批判要求ではなく除名であった。その時のみんなの目つきはそれこそ権力と対峙しているときのように鋭い物であった。党が指導をしてくれないと分かったとき「なんで自己批判をさせないんですか」と尋ねたが返事はなく「同志」達は立ち去った。
数ヶ月後、私は地区党書記長の自宅の鍵を預かったままであることを思い出し、返却のために訪ねることにした。その場で書記長は私に対して権力の接触がないかどうか尋ねてきた。私は生活の乱れから権力のスパイ化工作の対象になるのではないかと疑われ、党から切り捨てられたことを知った。20年間党と革命のために尽くしてきたことが一切認めて貰えなかったとわかり、帰宅してから泣いた。権力からの接触などは一切無いのだが、党は私に対して一切の戦線に近寄らないように厳命した。以来それを守り、私は党に近寄らないようにしている。時々動労千葉などの大衆団体の支援をすることはあるのだが。
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