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2005年9月

2005年9月30日 (金)

除名を巡って

 私は郵政当局のリストラ=首切り合理化との攻防の中で、何とかして闘う労働運動を作り上げようと苦闘していた。様々な重圧が襲い来る中、主観的には結構頑張ったつもりだ。だが残念なことにそれは党としての闘いと言うよりも個人的な闘いとしての側面の方が大きかったように思う。本来のあり方ならば職場の問題を党の会議で報告し、そこで十分な方針論議を深め、指導部と一体となって活動することだった。残念なことに私と指導部との間にはその様な関係を築くことが出来なかった。職場での攻防と党との関係の問題などで色々と悩み苦しむ中、鬱病にかかった。そして私は自暴自棄になって生活が荒れていってしまった。

 ある意味で言えば運動から脱落していた方が病気にもならず生活も荒れないで済んだのではないかと思う。でもそれは自分としては出来なかったし、党も私がシンパ扱いしてくれという希望を出しても聞き入れてくれなかった。病気のまま党にしがみついていこうとする中で、病気は長期化し、生活はますます荒れていった。去年の夏、地区党の委員長は「おまえは腐っている」と私を罵倒し、処分を検討する事を告げてきた。

 その時私は感情的に反発したのだが、帰宅して冷静に考える中でおそらく自己批判を要求されるのだろうと思った。同時に党がその作業を通じて私を立ち直らせてくれるだろうという期待を持っていた。一月以上の時間をかけて数名の「同志」が通告しにやってきたのは自己批判要求ではなく除名であった。その時のみんなの目つきはそれこそ権力と対峙しているときのように鋭い物であった。党が指導をしてくれないと分かったとき「なんで自己批判をさせないんですか」と尋ねたが返事はなく「同志」達は立ち去った。

 数ヶ月後、私は地区党書記長の自宅の鍵を預かったままであることを思い出し、返却のために訪ねることにした。その場で書記長は私に対して権力の接触がないかどうか尋ねてきた。私は生活の乱れから権力のスパイ化工作の対象になるのではないかと疑われ、党から切り捨てられたことを知った。20年間党と革命のために尽くしてきたことが一切認めて貰えなかったとわかり、帰宅してから泣いた。権力からの接触などは一切無いのだが、党は私に対して一切の戦線に近寄らないように厳命した。以来それを守り、私は党に近寄らないようにしている。時々動労千葉などの大衆団体の支援をすることはあるのだが。

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2005年9月29日 (木)

今日はヘロヘロ

 昨日は夕方から飲み始めて朝五時半まで起きて飲んでいました。飲んでも飲んでも全然酔いが回りません。普段なら日付が変わるくらいには酔いが回って寝てしまうのですが、全然眠気がもよおしませんでした。途中午前三時頃に知人から電話があり、どうも僕が電話したと勘違いしているような一幕もありました。さすがにそんな時間に電話できるのは鬱病仲間くらいしかいないのですが、そんな時には事前にメールで起きているかどうか確認することが殆どです。

 結局今朝は九時頃まで寝ていましたが、眠りの質はあまり良くありません。起きてからも体が怠くて仕方がない状態です。健康に、まして鬱病に悪いのは分かっているのですが、まれにお酒を飲み過ぎることがあります。今日は昨日の雨で長女の運動会が延期となり今日の開催だったのですが、長女は長女で発熱してしまい、おまけに息子までが風邪をうつされてさくや一晩中咳き込んでいました。お陰で妻は仕事を休み長女と息子の介抱です。私の場合は自業自得なんで、仕方ないですけれど。まあたまにはこんな事もありますね。今日は頭が働いていないのでなんか変な記事になってしまいました。

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2005年9月28日 (水)

公共事業と部落差別

 メル友との色々な交換とを公開してしまいます。相手の方は俗に言うノンポリなのですが、話の弾みから公共事業や部落差別の問題に話が発展しました。相手の方の問題意識に合わせるためにかなり婉曲な表現を使いつつメール交換したので本当に問題の本質に切り込めているかどうかは自信がありませんが、これもありかなと思いますので公開します。

 アッテンボロー

そうですね。便利ですよ。僕の住む所は、京奈和道が開通したら5分有ればインターに着く場所なんですが。完成はまだまだ先の様ですね。下手したら子供達が免許を持っているかも知れません。
 
 ○○○>

本当にこういう工事は遅いですよね。宇治川にかかる橋が新しくなるんですけど、予定では15年に完成するはずが、まだ橋げたしかできてないんですよ。私が30代突入してもまだ出来てなさそうです…
 
アッテンボロー

 公共事業は中々進まない方が実は良いのかも知れませんね。長良川の河口堰や、四万十川の河口堰、諫早湾の干拓。大規模な公共事業で自然を破壊して失敗した物が多いですから、環境などへの配慮や住民の意見を尊重すると時間がかかるのでしょうね。 僕は成田空港の反対運動にも参加していたんですが、あれなんか典型的な住民無視の公共事業でしたから。死者も沢山出ましたしね
 
 ○○○>

知られざる実態!そんなことあったんですか。でも新しい物を作ろうと思うと何かを壊さないと出来ないですもんね。それが自然である場合もありますもんね。山を切り開いて住宅にするのもなんか寂しい気もします。でも成田空港が出来る時ってそんな事あったんですね。知らなかったです。
 
 アッテンボロー

空港建設予定地の人がそれを初めて知ったのが新聞の記事だったと言う無茶苦茶な事が有って、自殺者が出たり警察に暴行された人の治療していた人が機動隊に後ろから撃たれて死んだりしています。今でも反対運動は続いていますよ。
 
 ○○○>

そんな酷い事件になってたんですか!?ビックリです…ってか私全然知らなかったです。今でも反対運動、空港が出来便利になったけど裏では悩んでらっしゃる方々も居るんですね。
 
 アッテンボロー

 あまり堅い話はしない方がよいのかも知れませんが、建設予定地にはまだ数件の農民が住んでいます。そしてその頭上40メートルの低空をジェット機が離陸して騒音で追い出しにかかっています。本当に非道い話ですが実際におこなわれていることです。どんな公共事業も時間がかかっても良いから関係者に理解と協力を得られるようとことん話し合いをすることが大切だと思います
 
 ○○○>

伊丹空港だった街の真ん中にありますよね。こないだ行った時にすごく騒音の事は疑問に思いました。でもとことん話し合うべきですね。近所でも住宅地の中に斎場を作るらしいんですが、設計上中の様子が家から見えるそうで…これはまずいと抗議してるそうなんですが、聞いてもらえないそうです…
 
 アッテンボロー

 家の中から斎場の中が見えるというのは嫌ですね。お化けなどは信じませんが、それでも何となく気味が悪い。しかし話し合いに応じてくれないのは困った物ですね。裁判所に訴えて計画を変更させたりすることは出来ますが、反対運動のような物はあるのですか。もし何でしたら知り合いの弁護士さんを紹介しますけれど。住民運動などをされている人ですから相談に乗ってくれるかも知れませんよ。
 
 ○○○

近所って言っても家の近所じゃないんですけどね。職場の近所でそこは近くにお墓あり精神病院あり、少年院ありと問題な場所なんですよ。苦情はいつも仕事の会話で聞いてます。私はまだ他人事の様に聞いてしまいますが、すごく深刻な問題ですよね…
 
 アッテンボロー

 それだけ人から嫌がられる施設が集中しているのも問題ですね。一カ所の住民にすべてを押しつけるなんておかしいです。必用な施設なら各地域でそれぞれが分担して負担するべきだと思います。昭和になってから被差別部落扱いされた地域があるのですが、そこはたまたま屎尿処理場と斎場とゴミ処理場とが固まって建設されたそうです。それ以来そういう施設が集中するから部落に違いないとなって差別を受けるようになったそうです。実際の部落に押しつけている場合もあるようですが、人の嫌がる施設を押しつけるなら受益者が負担すべきですね。
 
 ○○○

先にそういう施設が建っていたのなら文句は言えないと思うんですけど、明らかに後からですからね。日本人って何かと結びつける事しますよね。その部落の問題もそうでしょうね。部落といっても同じ人間なのにね。でも部落の地域にある銭湯は入銭料が安くなってますね。このあたりも差別からきてるんでしょうか…
 
 アッテンボロー

 ここ数日難しい話になっていますね。○○○さんが良ければ僕はこの手の話が好きな方ですからいくらでも出来ますよ。知り合いの部落の人に聞いたのですが、部落はそれだけで周辺の土地より地価が極端に安いそうです。その為銭湯の経費に占めると地代の分だけ安くできます。更に補助金が使われていたりもするそうです。と言うのは昔は部落の中に銭湯が無くて周辺地域に行っていたそうなのですが、差別のために入浴を拒否されたり時間の制限をされたりしていたからだそうです。
 
 ○○○>

そうなんですか。勉強になります。でもそもそも部落とはどのような方々を言うのですか?知ってるようで解ってないんですよね、私。昔のことの引きずりが今でも消えてないわけですよね。このあたりのことも教えていただけたら…
 
 アッテンボロー

 部落差別の問題でいうと色々な起源説があってややこしい部分もあるのですが、現代の部落差別の大半は就職・結婚・その他の差別扱い等の面で問題が起こっています。一番大きいのは就職による差別ですね。大企業などでは興信所を雇って、採用希望者が部落出身であるかどうかを調べて、成績優秀であっても不採用にしています。そうすると大企業の安定した仕事に就けなくて、中小零細企業に勤めるしかありません。当然子供の教育にもお金をかけることが出来ないから進学率が他の地域に比べて低く、そこからまた良い就職口がないと言う差別の実態があります。
 
 ○○○>

じゃあ部落生まれの方はず~っと抜け出せないんですか。と言う事は差別がなくならないってことですよね。企業だって成績がいい人が来てくれたら成績も上がるはずなのに。大きくなればなるほど細かいとこまでチェック入れないとダメなんですかね。いつかはそういう偏見が無くなる時がくるのでしょうかね…
 
 アッテンボロー

今のような不況の時期になると、リストラへの不満が高まったりしますよね。部落差別はそんな時に不満のはけ口を逸らすために利用する経営者が沢山いるんです。採用試験で成績が良くても不採用とか、首切り名簿には真っ先に載せられる。あるいは差別落書き等を通してストレス発散にする歪んだ心の持ち主がいたり。江戸時代の「上見て暮らすな下見て暮らせ」ってのは、今でも生きています。本当に部落差別を無くすには、労働組合なんかがリストラ反対で運動しないとダメですね。
 
 ○○○

リストラを無くすには不景気も脱出しないといけないですね。好景気になれば採用する人数もぐっと増えるわけでしょ。まぁ、簡単にはいきませんよね…私たち業界でもどんどん落ちていきますから。私たち個人業はそういう差別はあまりしないと思いますが(される方もいますね)業界不況にはまいります…
 
 アッテンボロー

 好景気の時は差別が露骨になることは少ないですから、景気の回復が一番の早道ではありますね。それでも企業の中には「部落の地名総監」と呼ばれる台帳を購入して差別的取り扱いをするところが沢山あります。一番の問題は安定している大企業からは排除されて県営の不安定な中小零細企業を転々とする人が多いことでしょうね。職人になっても地場産業の衰退で収入の減る人もいます。そうそう、今の景気「回復」は働く物の人件費を削って企業だけが儲けていますからそれはおかしな話だと思います。
 
 ○○○

偽景気回復ってとこですか。人件費を削っても会社は成り立つって事がわかってしまえばそりゃ会社は得する方を選びますからね。お金はあるとこにはあるって事ですね。悔しい~。さっき細木数子VS女子高生を見てたんですが、これからの社会をとても不安にさせる子もいましたね…
 
 メル友とのやりとりを公開しました。公共事業と部落差別について色々メール交換したので私の考えの一部をノンポリの方に語っている事として受け止めて下さい。
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2005年9月27日 (火)

全逓四・二八闘争

 ご存知の方は郵便局員の間ですら少なくなってしまったのだが、日本郵政公社を相手取って闘い続けられている解雇撤回闘争がある。全逓四・二八(よんにっぱ)闘争がそれだ。郵政省時代に省当局が全逓を敵対視し、第二組合である全郵政を育成するために様々な不当労働行為、全逓組合員への不利益扱いを十数年の長きにわたって続けていたことに対して、積もり積もった全逓労働者の怒りが78~9年の反マル生越年闘争として爆発した。郵便物の区分をしない、配達をしない、貯金保険の労働者は新規契約活動をしないという実力の抵抗闘争は当時の自民党政権をして「労働問題ではなく権力問題」と言わしめるほど凄まじい物となった。滞留した郵便物の量は数千万通と言われている。全国各地の郵便局で大量のアルバイト、主婦のパートが動員されたが、そんな物ではとうてい郵便業務を回すことは出来なかった。東京の調布郵便局では二階建てのプレハブ局舎の床が、郵便物の重みで抜けてしまい、多くのアルバイトが重軽傷を負う事故まで起きた。当時の調布局に在職していた仲間の話では、全逓の組合員が負傷者の救助作業を始めたところ、管理職は「業務に戻れ」と命令を出したという。つまりそれだけ人を人とも思わない労務管理がまかり通っていたのだ。

 全逓労働者の渾身の闘いに恐怖した政府は、三名の公労法違反による解雇と懲戒免職58名という大弾圧を行った。それ以外にも全国で数千人が様々な処分を受けている。そしてこの首になった61名の内訳はと言うとすべてが現場の若い組合員であった。普通ならば労働争議の支持命令を出した組合役員が免職などの攻撃を受ける物なのだが、指導責任など一切無い一般の組合員に処分が集中したことに常軌を逸した政府・郵政省の反動性・凶暴性がある。処分が発令された1979年4月28日の日付から四・二八闘争として全逓の総力を挙げた闘争として闘いが組まれていた。ところが80年代に入り中曽根内閣による国鉄分割民営化攻撃の凄まじさの前にたじろいだ全逓本部の労働貴族・ダラ官どもは闘争をスポイルするようになる。そしてとうとう91年5月の第99回臨時中央委員会において郵政省との手打ち、労使協調路線の障害物となる四・二八闘争被免職者を組織から追放し闘争の幕引きを計った。唯一人、カクマル派の京極のみを専従役員に残して。(京極はその後労使協調路線の尖兵として組合の右傾化に棹を差し、順調に組合内で出世をし90年代後半には東京地方本部副委員長にまで登り詰めている。現在の消息は寡聞にして知らない)

 以来多くの非免職者が闘争を諦めてしまう中、神谷努さんを始めとする数名が今日でも解雇撤回を求めて闘い続け、心ある現場の組合員が支援している。昨年の6月30日には東京高裁の判決で解雇無効の決定を勝ち取るまで闘いは前進している。組合からの除名追放に関しては全逓本部に対し組合員権の確認を求める訴訟を行い勝利している。今日の郵政民営化攻撃の最中において四・二八闘争が意気軒昂として闘われていることは、私たち現場で呻吟する労働者にとって光明を見いだす事が出来ると思う。時間はかかるだろうが再び反マル生闘争のような実力の闘いを作り上げ、反撃すれば「民営化」攻撃は粉砕することが出来る。現場労働者の戦闘性をいかにして解き放つか、この事に一切はかかっているだろう。

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2005年9月26日 (月)

スターリン主義について2

 先日このブログを読んで下さっている方からメールを頂きました。(私のメールアドレスはプロフィールをクリックしていただくと掲載してあります)、「労働者によるマルクス主義研究」というサイトを開設され、地道に理論的検討をされています。その研究論文の内「スターリン主義はいかにして発生したか」をようやく読了しました。

 中核派におけるスターリン主義の規定については、以前にもこのブログで書いたことがあるのですが、「世界革命の放棄と、一国社会主義」に根源があるとなっています。基本的にこの問題意識を私は今でも持ち続けているのですが、それだけでは十分に納得できない部分を感じてもいました。それは何故にスターリンが党内闘争において勝利してしまったのか、何故トロツキーを除く当時の党指導部が唯々諾々としてスターリンの権力確立を許し、その専制の下で粛正されていったのかと言うことです。現役時代に何らかの形で学習したことがあったのかも知れませんが、現在では記憶にありません。少なくとも強烈に印象に残る形では無いのです。中核派指導部の説明では、世界革命の困難さの前に展望を失った当時のロシア共産党の内部で屈服、敗北主義が大勢を占めていったとあっただけでした。

 ではその様な潮流が党の主流派になって行けた条件とは一体何であったのか。その問題についてこの方は、党の官僚主義的変質がスターリンの勝利を準備していったのではないかと考察されています。官僚主義その物をスターリン主義とする人々も沢山いるのですが、それだけでなく、世界革命とその過程での現実の階級闘争の格闘の中で理論を検証しようとされています。今までの私は官僚主義についてはあまり考えたことがなかったのですが、今日、党から離れた状態の中で考えたときに、中核派の党内においても官僚主義の弊害が存在しているのではないか、その事によって党が大衆と広範に結合することが出来ていないのではないかと思うようになっています。その意味でこの論文は、私自身の問題意識を刺激してくれました。いくつもの文献を参考に上げていただいているのですが、恥ずかしいことにその多くは読んだことがありません。今後の私の理論学習の参考にしていきたいと思います。

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2005年9月25日 (日)

アルスラーン戦記

 アルスラーン戦記の11巻「魔軍襲来」がようやく発売となった。10巻発行の後に出版社が角川書店から光文社に変更となり、数年の間隔を空けての発行である。どの様な事情があったのかは知らないが、角川文庫から発行されていた物が、光文社に移行し、1巻から10巻までを五冊にまとめて再版し、ようやく11巻として、カッパノベルズ版としては六冊目にして11巻という奇妙な形式での発行である。

 私のお気に入りの作家である田中芳樹氏の人気シリーズであるのだが、初めて読んだのは87年か88年のことである、当時既に5巻までが出版されていたように記憶している。つまり20年近く続く人気シリーズである。中世ペルシャをモデルとした架空の歴史物語、ジャンルとしてはヒロイックファンタジーと呼ばれる剣と魔法の物語だ。解放王と称されるアルスラーンの波瀾万丈に満ちた物語の中で、ここ数巻は魔物との闘いが前面に現れている。人智を尽くして魔道の者達との間での闘いが繰り広げられているのだ。俗に剣と魔法の物語と言われる分野なのであるが、主人公の側は魔法・魔術と言った非科学的な物は一切使わない。普通のヒロイックファンタジーが魔導師などを味方にして戦うことが多いのと違い異色の物である。

 アルスラーン戦記の中において、魔導師とは常に忌むべき存在として描かれている。ある意味宗教その物が、キリスト教の排他性と十字軍ををモデルとするイアルダボート教の侵略にたいする抵抗から始まるために、敬虔なクリスチャンの中にはこの作品を毛嫌いする人々がいるようだ。これは作者が何の機会であったかエッセイの中で述介している。実は私のような無神論者にとってはそこが嬉しいのである。マルクス曰く「宗教とはアヘンである」現実世界の苦しみを一時忘れさせる麻酔薬としての効能はあるが、実際の病気治療には一切役に立たない存在としての宗教の本質を、この小説は描き出している。

 「魔との戦いに、パルスの神々は、人に力を貸してくださるのか?」「神々はあてにせんことだ。」「カイ・ホスロー王も、ご自分の知略と勇気とで、蛇王ザッハークを打倒なさった。神々が激励してくださったとはいうが、激励なら人でもできることだ。いっそ神々などおられぬと思っていた方がよいかもしれん」「おれは思うのだがな。神々が実在しないとすれば、人は自力で魔と戦うしかない。そして人は魔に勝てる」「人の世はこれまでつづいてきた。それこそが何よりの証拠だ。人が魔に勝てるという事実の」

 今日の資本主義の帝国段階の矛盾を「魔」と置き換えたときに、人類の英知は必ず戦乱の世を平和な世界に変えることが出来るのではないかという、ささやかな希望を、私は作者のメッセージとして受け止めている。

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2005年9月24日 (土)

運動会三連チャン

 昨日次女の通う小学校の運動会があった。三人の子供がそれぞれ別のところに通っていると運動会もぞれぞれ別に行われる。私の住む街の公立幼稚園は小学校の付属という形になっているので、共稼ぎではなくて息子を幼稚園に通わせていれば、一介省略できるのだが。ひとまず次女の運動会を皮切りに、28日は長女の通う中学校、10月1日には息子の通う保育所の運動会と続いている。

 妻は朝から次女と息子のお弁当を作る。本当は次女の分だけでよいのだが、息子は自分の分も作ってくれとせがむのだ。次女が登校した後、開会式に合わせて家を出る。我が家から歩いて二三分のところが小学校だ。中学は正門が目の前にある。立地条件の良さがここに自宅を購入する決め手となった。校門を入ると左手に地区ごとの父兄席が設けられているのだが、中には酒によってリレーの時に「誰それのせいで負けた」等とからんでくる古くからの地元の人間がいるので、そこから離れて席を取る。校門の右手の植え込みのところだ。準備運動のラジオ体操が始まるやいなや、息子は早速お弁当を広げて食べ始める。運動会などそっちのけである。タコさんウインナーやおにぎりを美味しそうに食べるが、シュウマイが気に入らないのか私に分けてくれた。

 ちょうど目の前が次女の座る席だったの姿がでよく見える。こちらを振り返ったときに手を振ると次女も同じように手を振ってくれる。最初の競技は障害物競走なのだが、次女はスタートで出遅れ四五番手になる。ネットをくぐり、跳び箱をお尻を付いて飛び越え、最後の缶ポックリに差し掛かる。よたよた歩き出したところで転んでしまい、結果は最後尾の6着だった。娘の所属する青組は去年一昨年と優勝しているのだが、今年はどうだろう。得点板が背を向けているので順位はよく分からない。応援の様子を見るとミドリ組は統一が取れているのだが、青組と赤組はまったく応援していない。黄色組はそれなりに応援している。

 様々な競技が進行していくのだが、隣で木に登ったりしてイタズラする息子が気になって次女の出る競技以外は全然目に入らない。棒引きに出場したところで次女の出る午前中の競技が終わる。自宅に戻って昼休みを取ることにする。横になって落ち着いたところ、実は昨夜眠れず朝四時まで起きていたせいで睡魔に襲われる。午後の競技は妻と息子だけが観覧に行き、私はそのまま眠ってしまった。長女は朝からゲームの方が良いと自宅で留守番である。夕方帰宅した次女と妻の話を聞くと、残念ながら青組は最下位だったそうで、応援合戦でも競技でも緑組が優勝したらしい。息子は午後から友達と一緒に走り回っていたそうだ。相当息子は遊び疲れたようで、夜に犬の散歩をしたときにぐずりだし、おんぶしてやるとそのまま寝入ってしまった。次女も同様に疲れたようで、散歩が終わるとシャワーを浴びて直ぐ寝てしまった。私も寝不足を取り返すために睡眠薬を飲んで早めに眠ることにした。

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2005年9月23日 (金)

有朋寮闘争、ひとまずの勝利

 東北大学有朋寮の廃寮を巡る攻防で、控訴審の開始と、強制執行の中止が決まりました。ひとまずおめでとう。完全勝利まで闘おう。以下有朋寮ニュースを引用します。

<超速報!!>
◆反動判決粉砕し、「強制執行停止」決定かちとる! 廃寮阻止したぞ!
◆「激動の20日間」の勝利をバネに、控訴審闘争勝利、「廃寮決定」白紙撤回、「無期停
学」処分粉砕へ!
  ~これまでのご支援・連帯に心から御礼申し上げます~

(0)全国のみなさん! 本日9月21日14時、仙台地裁は有朋寮への「強制執行停止」の決
定書を交付しました。これは、有朋寮が行った「強制執行停止決定申立」を受けてのも のであり、本決定によって、控訴審が終了するまで強制執行による寮生叩き出しを行 うことは不可能となりました。

(1)第一に、本決定は、9月1日に下された「仮執行付の明け渡し命令」という仙台地裁 反動判決を粉砕する大勝利です! 闘い抜いて勝利をかちとったのです! 控訴審を 待たずして有朋寮を暴力的につぶすという国家権力・大学当局のもくろみは打ち破られました! 特筆すべきは、この「停止決定」は9・1反動判決を下した小野洋一裁判長自身によるものであるということです。小野裁判長が自らのあまりにも不正義な判決へ の怒りの爆発に震え上がり、自らそれを否定せざるをえないほどに私たちの闘いが司 法権力を追いつめていったのです。

(2)第二に、「保証金カンパ」の圧倒的な集中を訴えます!(詳しくは文末に)

(3)第三に、この勝利は、日就寮をはじめ多くの方々の暖かいご支援なしには実現できませんでした。01年9月の「廃寮決定」以降、そして9・1反動判決以降、有朋寮廃寮阻止闘争は理不尽な廃寮攻撃に怒れる労働者・学生・市民のみなさんの分厚い支援に支えられてきました。アピール賛同、集会への参加、カンパ、差し入れ、激励メッセージ、街頭署名、そして大学当局への抗議などあらゆるかたちでのご協力をいただきました。本当にありがとうございます! 

(4)第四に、9月1日以降から本日までの「激動の20日間」が大学当局や裁判所を追いつ めてきたことは確実です。私たち有朋寮生は反動判決に一歩も退かず、体をはってでも強制執行を阻止していく戦闘宣言を発しました。連日連夜の泊まり込み決戦態勢をとり、強制執行を迎え撃つ準備を整えました。日々闘いは前進し、9月17日には広範な陣形で全国集会を打ち抜くことができました。この勢いと気迫によって、今回の決定を実力でもぎりとったのです。

(5)第五に、闘いはこれからです。いや、むしろ私たちがこの勝利を起爆剤に逆に大学当局を追いつめていく反転攻勢に入りました。決戦態勢を少しも緩めることなく、控訴審闘争の勝利に向けて新たな闘いを開始します。闘争勝利まで闘いは発展します。今後ともご協力よろしくお願いします。とりわけ、「廃寮決定」と「無期停学」処分を居直る東北大学・吉本執行部を包囲・打倒していく闘いを、東北大キャンパスで実現していきます。寮生・学生の決起こそが、吉本体制をひっくり返し大学を変えていく原動力です。

(6)最後に、私たちはこの闘いをとおして、全金本山労働組合不屈の34年間をはじめ、多くの方々から貴重な教えをいただき、それを糧として運動を前進させることができました。全国のみなさん、これからもぜひ有朋寮に力を貸してください。私たちも地域に全国に積極的にうって出て、吉本執行部、大学法人化、小泉「構造改革」攻撃への巨大な反撃をつくり出すために尽力します。労働者・学生・市民のみなさんとの連帯を拡大します。闘えば必ず勝利できます! 有朋寮決戦の第2ラウンド=控訴審勝利へ、ともに頑張りましょう!!

※今後の具体的な方針については、近日中にお知らせします。支援者の方々には、できる限り寮生が直接うかがってお礼を申し上げる予定です。また、パンフレットや報告集会なども通して、9・1判決から9・21強制執行停止決定までの闘いについて全体で共有できるようにします。
※強制執行停止のための保証金として、200万円を法務局に供託しました。支援の方々のご厚意でお金を一時的に借りています。そこで、緊急カンパをお願いします!!
 たびたびのお願いで心苦しい限りですが、長期闘争を財政的に下支えするために、圧倒的なカンパをぜひともよろしくお願いいたします。保証金カンパ運動の詳細については、後日ホームページなどでもお知らせします。
  →カンパ集約先は、「郵便振込 02210-2-61153 東北大学有朋寮」です。
  →通信欄に「保証金カンパ」とご明記下さい。
---------------------------------
東北大学有朋寮
 仙台市太白区鹿野2-19-5
 Tel 022-247-4669     Fax 022-795-7823
 E-mail ufo_ryou@hotmail.com
 HP http://uforyou.exblog.jp

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2005年9月22日 (木)

前進社の出版物

 先日、除名以来約一年ぶりに「前進」を入手した。9・11総選挙情勢の分析を掲載した号だ。分析の記事自体はウェブサイト上で既に読んでいたのだが、新聞の形式で読みたくなった。とはいえ入手してからまだ一行も読んではいないのだが。

 地方在住の人間にとって、前進社の出版物を手に入れるには直接前進社に注文するか、取り扱いの書店を探して購入に行くかしかないのだが、現役時代に毎週手渡しされていたことを思うと入手のハードルはとても高い。もっと簡単に手に入れられるようにならない物かと思ってしまう。とりわけ最近では左翼的な出版物を扱う書店その物が経営難で減少しているから大変だ。サイト上で新刊の案内などが掲載されているのを見て読んでみたいと思うことはあるのだが、中々手が出ない。「現代帝国主義論Ⅱ」も読んでみたいが、除名された身には前進社に連絡を取ることすら気後れしてしまう。もっと営業に力を入れてくれて一般の書店でも取り寄せが出来るように大手の取り次ぎに流して貰えたらと思う。そうすればもっと簡単に前進社の出版物が一般に行き渡るのではないかと思ってしまう。

 もし、現役の方がこのブログを見ていたら、出版局や経営局に対して意見書を出して貰えたらと思う。

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9・18集会、行きたかったなぁ

 昨日は私の鬱病についての最も良き理解者である人と絶交状態になると言う出来事があり、大変落ち込んでいたために新着記事を書くことが出来ませんでした。大体毎日記事を書いているのですが、ごくたまにこんな事があります。

 表題の9・18集会なのですが、様々なブログに報告の記事が掲載されているのを見ていると、何とかして参加することは出来なかっただろうかと残念な気持ちになります。病気の状態で東京まで行くのは無理な状況ではあったのですが、主催者の予想以上の盛り上がりがあったようですので、その会場の空気に触れることが出来ていたら自分の精神を奮い立たせることが出来たのではないかと思ってしまいます。

 ここ暫く統一戦線の問題を論じてきたですが、管制塔被告連帯基金運動の高揚を見ていると、統一戦線の一つのモデルケースになりうるのではないかと思います。元々はまっぺんさんの「四トロ同窓会二次会」や草加さんの「旗旗」での呼びかけに応えた人々が勝手連的にわいわいやり始めたことが、知らぬ間に大きく広がって、9・18当日の集会に参加できなかった人々も含めて非常に広範な支援陣形が形成されています。その中身は非常に雑多な人々であって、統一された一つの党派が主導している物ではありません。しかし共通の課題を共に闘おうという決意を持った人々が集まれば大きな力になることを示してあまりある物があります。

 私のように、当該の人々とは敵対関係にあった人間であっても、元被告団に対してかけられた攻撃の理不尽さに怒り、ついつい暴走してして組織名を明かしてカンパを訴えるお調子者までいるわけですから。でもこのような闘いの積み重ねが、将来の統一戦線の一つのあり方を指し示しているのではないでしょうか。自民党が国会において圧倒的な議席を占めている今現在、危機感を覚える多くの人々が統一戦線のあり方を模索し始めました。この声を何らかの形で集約する運動体を作ることが急務なのではないでしょうか。

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2005年9月20日 (火)

共産党との大きな溝

 この間共産党による小選挙区での泡沫候補乱立戦術について盛んに論議が繰り広げられ、一部の共産党系の人々も参加してくれているのだが、その中で共産党系の人々との間には非常に大きな溝が横たわっていることを認めざるをえない。それは民主党の党首選挙において前原なる改憲論者が菅直人を破って党首に選出される事態になってより大きな溝となって我々の前に立ちはだかっている。

 「三四郎の日記」の小川さんは言う、「これは自民党とまったく同じ見解です。いよいよもって、共産党が民主党に「協力」して小選挙区の立候補を見送るべきだったとの主張には、現実を見ないものがあったと言わざるを得なくなってきました。」と。民主党は改憲論者を多く含む党であり、そもそも統一戦線の対象ですらなかったというわけだ。だが考えて欲しい。民主党は寄り合い状態の党であり、憲法改悪論者もいる代わりに護憲論者も沢山含んでいるのだ。もし共産党が何らかの形で今回落選した民主党内の護憲派を支援していたら、前原ごときが党首に選ばれていただろうか。

 「despera」の黒目さんは敵の間にくさびを打ち込むべきだったと、民主党の分解、分裂を誘うべきではなかったかと言うことを述べている。私は非常に納得してしまうのだが、その辺が共産党系の人々との感覚の違いであり、「共産主義における『左翼』小児病」でレーニンを引用した「きわめて広範な勤労者大衆、なによりもまずプロレタリア的勤労大衆と、さらにまた非プロレタリア的勤労大衆ともむすびつき、接近し、必用と在ればある程度まで彼らととけあう能力」が、共産党に欠けるためではないだろうか。共産党の小選挙区での泡沫候補乱立戦術は、共産がいくらその「正しさ」を主張したところで多くの大衆の不信を招いている。そしてそのことを通じて本来敵に回さずともすんだ勢力まで敵に回してしまっているのではないだろうか。

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2005年9月19日 (月)

「痛いの痛いの、ぶっ飛んでいけー」

 昨日は殆ど寝て過ごしていたのだが、息子にせがまれて昼前に一時間ほど公園に行ってきた。おもちゃの刀を沢山持って出かけた。息子の友達のゆう君を誘い、公園でチャンバラをした。私が悪役で二人が組んで襲いかかってきた。遊具に隠れたりしながら逃げ回る子供達をちょこちょこ攻撃する。笑いながら遊んでいたのだが、ゆう君は加減せず刀を振り回すので当たったところがとても痛い。「加減してね」「優しくしてね」と諭してもまったく分かってくれない。お陰であちこちが痛かった。

 息子も少しこけて痛がっている。「おうちに帰ったらお薬つけたるわな」と言うと、「痛いの痛いのトンデケして」と言う。そこで「痛いの痛いのトンデケー、お山の向こうに飛んでいけ」としてやると少し元気になる。「痛いの痛いの、父ちゃんの頭にトンデケ」と息子が言う。息子に合わせて頭を抑えて「いてててて」とすると次々に「父ちゃんの耳にトンデケ」「父ちゃんの首にトンデケ」というのでそれに合わせる。お返しに「○○のお尻に飛んでいけー」と言ってやると息子は両手でお尻を押さえて「あいてててー」と、ちょこちょこと左右にジグザグに走る。

 その後何故だか知らないが急に息子は仮面ライダーになる。「変身。ライダーになったデ。ほんでな、あんな、悪い警官をしばいたんねん。」ピョンピョン跳びはねながらキックやパンチを繰り出す。さっと地面に両手をつく「トカゲのライダーやで」と仮面ライダーアマゾンの真似をする。お友達には分からないような、古いライダーの真似だ。そして「父ちゃん、このライダーのベルトすごいねん。ハンバーガーが出てくるねん。あーんしてや」というので食べる真似をしてやる。調子に乗った息子は次々にベルトから食べ物を出す真似をする(ドラえもんのポケットか)「なー、ビールは出ぇへんの」とリクエスト。しっかり応えてくれる。しまいには「飛ぶバイクも出てくんで」とモトクロスバイクまで出してくれる。子供の頭の中って一体どうなっているのだろう? 自由な発想に感心した。

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2005年9月18日 (日)

ヤマト運輸労組と共闘しよう

 実はあまり知られていないのだが、JPU(旧全逓)中央本部の役員はクロネコヤマトの労組幹部と仲が良いらしい。地方本部の役員が会議の際に言っていたからおそらく本当のことであろう。何故なら、どちらも経営者と一体になって現場の労働者に労働強化を強制している点でまったく同じ穴の狢(ムジナ)だからだ。

 組合の大会の度に私が言い続けてきたことの中に、ヤマト運輸労組と共闘しようと言うことがある。はっきり言って労働者が企業の枠に囚われてお互いに競争することは良くないからだ。全逓労働者より劣悪な労働条件の下に置かれ、7万人もの労働者がいるのに何と労組に組織されているのは記憶によると800名ほどではなかったかと思う。そこに全逓が全力で組織化に協力し、サービス残業当たり前、年次有給休暇はまともに収得できない、労基法違反は日常茶飯事で、労基署にもしょっちゅう是正勧告を受けながらもいっこうに改善しようとしないヤマト運輸に対して、労働条件改善のために共闘しようと主張してきた。

 労働者は企業を設けさせるために身を削って命を削って競争するべきではない。競争すべきは労働条件を比べて郵政がよいかヤマトが良いかという点でこそ競争するべきなのだ。企業別組合の枠を越えて産別闘争の課題として共に闘うことでお互いに人間らしく生きられる職場を作ろう。

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2005年9月17日 (土)

統一戦線形成のために。

 衆議院選挙における共産党の泡沫候補擁立戦術の是非を巡り様々なブログで意見の交換をしています。その中で統一戦線形成のためにいくつか乗り越えなければならないと感じたことを少しだけ書いてみます。

 一つには新左翼は共産党をスターリン主義反革命と規定しているところが多く、共産党の側は新左翼をニセ左翼とお互いにレッテルを貼っています。実際の党派闘争の経験によってお互いに感情的な問題も含めて乗り越えるべき問題はあるのかも知れません。特にこの間共産党系の人が開設しているブログに思い切ってコメントを書いたりトラックバックを送ったりしてみたところ、紳士的な対応で受け入れてくれた方達がありました。「三四郎の日記」「カッシーニでの昼食」などです。ではこちらも今までのわだかまりを捨てられる限り捨てて(人間なのでどうしても少し残ってしまいますが)意見の交換を建設的な方向に持って行かなければならないと思います。

 「労働者Lの言いたい放題」で労働者Lさんが、社民党に甘く共産党に厳しく当たる新左翼の風潮について疑問を呈しておられます。歴史的な経過があることをふまえた上で、それは止めませんかという提起も真剣に受け止めるべきなのだと思います。少なくとも対話の出来る共産党系の人とけんか腰で対応することは止めようと思います。

 その上で共産党系の人々に選挙戦術を再検討して欲しいわけです。と言うのも長野県でしょうか、共産党が小選挙区で候補擁立を見送ったところ比例区の票がかえって伸びたと書いているサイトがありました。その点を科学的に検討して欲しいわけです。共産党の考え方は小選挙区で候補を立てることで比例区での票に結びつけることなんですが、本当にそれが大衆の投票行動に結びついているのかどうかと言うことです。私たちはそれこそ党利党略であるとして批判していますから、共産党の評判が悪くなるだけではないのだろうかと思うのです。

 共産党に広範な大衆と結びつく能力が欠けていることは事実だと思います。それを乗り越える努力をどうされるか、これから見つめていきたいと思います。

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活動家の恋愛

 「電撃結婚」を掲載したところ、サラダさんから「電撃結婚の選択は正解だったのでしょうか?」というコメントを頂戴しました。正直に告白するならば微妙であると言うしかありません。と言うのはブ゛ログでは書けない家庭の事情ともう一つは、「成田九二八七号」で触れた女性のことを今でも好きだからです。こんな事を書いたら女性解放戦線の人が見ていたら糾弾されるのではないかなあなんて思いつつ、やっぱり書いてしまおう。

 本当は時系列に従って私の活動歴の一環として書くつもりでいたのだが、予定を変更して打ち明けてしまおう。

 様々な動員の過程で私はある活動家の女性と親しくなっていった。選挙の過程ではビラまきや署名活動で一緒になることも多く、そんな時に色々と会話をしていく中で彼女への好意がだんだん募っていった。彼女の方でもそれは同様であったようで、とある時の三里塚闘争の帰りに、男性活動家に好意を寄せられて困っていると打ち明けられたりもした。彼女は地方委員会に所属する女性の中でも非常に持てていたのだが、中々これと言った相手を見つけることが出来ないでいた。と言うより意に反して党の指導で様々な古参党員とのお見合いを強制されて辟易していたようだ。

 思い切って彼女に告白してみたところ、彼女も私に好意を寄せてくれていたのが分かり、当指導部には秘密で交際することになった。休暇を利用してサイクリングに行ったり映画に行ったり、「旗旗」の草加さんのような淡い恋ではなかった。そんなお付き合いをしている内に、彼女が仕事を終えたあとに動員がないにもかかわらずいそいそと職場を後にする様子に疑問を抱いた指導部が彼女を尾行した。対権力の関係である意味当時は仕方がなかったのかも知れないのだが・・・。私とのデートを確認した指導部は、二人に分かれるように指導してきた。

 私の指導部は彼女の思想的問題性を指摘して、彼女を支える力量が私にないことを強調して分かれるように指導した。彼女の指導部は私が若く、将来性がある人間であるから身を引くように指導した。今から思い返すと、彼女も私もとう指導部の思惑に乗っていたのではないかと思う。と言うのは、当時の指導部は彼女に対して革命軍の同志や古参の労働者党員との「お見合い」を設定しては彼女の拒否にあっていた。私も彼女も指導に従ってお互いを諦めることになるのだが、私は表面上は従う物の、心中指導に従うことが出来なかった。何故自由な恋愛を認めることが出来ないのか。何故指導に従って別離を強制されなくてはならないのか。私の心中では指導と感情との間で様々な苦悩があった。正直に言うならば革命運動なんかどうでも良いから、彼女と付き合いたいと思っていた。でもそれは出来なかった。何故なら、10・20戦闘で起訴された仲間のことを思うとき、自分が運動から召還して恋愛を取ることは出来なかったからだ。

 お互いに指導部の言うことを聞き入れ、私たちは別れることにした。その後私は指導と恋愛感情との間で悩み苦しみ、初めての鬱病と自律神経失調症とを経験することになる。たかが恋愛と笑う人がいるかも知れないが、当時の私にとってそれはとても大きな問題であった。個々人の感情を圧殺して貫徹されるとうの指導とは一体何であるのかという疑問を覚えるきっかけとなったのだから。

 その後時折彼女姿を闘争や学習会で見かけることがあったのだが、指導に従って分かれた手前、彼女に話しかける勇気はなかった。風の噂に彼女が党の指導に逆らって結婚したことを聞いた。私自身恋愛について党の指導など聞き入れる物かとの思いがあったので妻との交際については党の指導に逆らった。正直に言うとこの時党指導部が彼女との恋愛関係を認めてくれて付き合っていたなら、私が鬱病になる可能性は減っていたのではないだろうか。更にここでは書けないが妻との間で起こった問題についても、そもそも私が無関係ですませることが出来たの手はないだろうか。後に聞いた話だが、彼女に対して感情を尊重することなく「お見合い」を押しつけたことに対しては指導部の謝罪があったそうである。彼女の姿を闘争の現場で見たのは03年のイラク侵略戦争反対闘争の現場であったのだが、中学生くらいの子供を連れていた。幸せな結婚生活を送ってくれていればよいのだが、どうなのだろうかと思ってしまう。もし、時計の針を逆回転させて当時に戻ることが出来るならば、指導部の方針に真っ向から反対して彼女との交際を認めさせるか離党するかで迫っていたのではないだろうか。

 自分の意志に反して別れを強制されたためなのかも知れないが、時折彼女を夢に見る。

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 追記。 不適切な文言におしかりのコメントを戴いたので最後の二行ほどを削除しました。またコメントにはこの部分が引用されていたため、同じく削除させていただきます。

 追記の追記。病気になって以来妻からの風当たりがきついので、つい昔の思い出に逃げ込んでしまうのでしょうね。直接愚痴を言える相手がいないからここでこうやって心境を吐露してしまったのかも知れません。

 更に追記。冒頭部分を一部修正及び削除しました。

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2005年9月16日 (金)

国鉄分割民営化に反対した動労千葉のストライキ

 85年秋の闘いの中で10・20と並ぶ大きな衝撃を社会に与えたものは、11月の28~29日にわたり打ち抜かれた動労千葉による24時間の国鉄分割民営化反対ストライキと、それを支援するためにおこなわれた革命軍のケーブル切断ゲリラ及び浅草橋駅焼き討ち戦闘だった。当時の国鉄情勢はちょうど今の郵政民営化情勢のように中曽根内閣がマスコミを利用して「国鉄労使国賊論」を垂れ流し、政財官の癒着によって生じた47兆円という膨大な国鉄赤字の原因を責任転嫁している中で、現場の労働者が処分を恐れず首すらかけてストライキに立ち上がることで情勢を大転換させた。

 当時は既に動労本部カクマルが当局の手先に成り下がって国労動労千葉・全動労という屈服していない労組にたいする破壊工作に血道を上げていた。その中で国労は分割民営化には反対しながらも、社会党を頼みにして自らは方針もなく右往左往している状況だった。当時の動労千葉は30万国鉄の中で僅か1400人の小さな組合に過ぎなかったが、当該である自分たちが闘いもせずに支援連帯が広がるわけがない。ストライキで分割民営化にて移行しようという闘う路線を選択した。

 10・20戦闘での拘留を終えて帰宅した僕のアパートの郵便受けには、その年の八月に受験した郵政外務員筆記試験の合格と二次試験の面接を知らせる手紙が入っていた。11月の下旬か12月の上旬が面接日だったので幸運にも間に合った。しかし同じように郵政一次試験に合格していながら起訴されたために面接を受けることが出来ず諦める羽目になった同志もいた。不合格で逮捕されなかった同志が「逆だったら良かった」とそれを惜しんでいた。

 動労千葉のスト支援のために11月28日の早朝から新幹線と在来線を乗り継いでスト拠点の津田沼電車区に到着した。その直後であったろうか、国鉄当局がスト破壊のために動労本部カクマルを大量動員していることに対して、当初29日午前零時にスト突入の予定であったものを12時間繰り上げて午後0時からストライキが始まった。当局も乗客も想定外の事態に大混乱に陥る。一緒にいた専従がおかしそうに「わしら早く来といて良かったな。今から来る連中はスト破り列車でくるんやで」と言う。電車区は機動隊が重包囲しているために、私たちは近寄ることが出来ず、仕方なく津田沼駅前で支援集会とデモをおこなった。支援集会ではスト破り列車への常務を命じられた国労組合員2人が緊急避難のために動労千葉に加入して自らスト要員になると言う感動的な話が伝えられた。普通ストライキの時には様々な事情から脱落者が出る物なのだが、動労千葉はストライキで組合員を増やしてしまった。夕闇の中、津田沼電車区を遠巻きにするデモの最中、どこからともなく「先頭には突撃隊が編成されていて、機動隊を排除して突入するらしい」という声が聞こえた。私は自分が先発されなかったことを恥ずかしく思った。完全黙秘が出来ないから使えない奴だと思われたのだろう。しかしデモは機動隊と衝突することなく無事に終了した。

 支援部隊は駅前で夜を明かすことになるのだが、十一月の下旬の気温は低く、寒くてとても眠ることなど出来なかった。交代で自動車のヒーターを使って暖を取った。うつらうつらするくらいはあったが、ほぼ徹夜だった。夜が明けると駅周辺に集まってきた通勤客に対して街頭宣伝をした。僕は「前進」の販売を担当していたので通勤客に話しかける。すると「トンでもない事してくれたな」という声が帰ってくる。一体何のことか分からない。どうしたのかこちらが尋ねる。首都圏と関西の一部の列車が、各地でおこなわれた列車ケーブル切断ゲリラのために運行がストップしていると言うではないか。

 街頭宣伝を終えて待機場所に戻ると、ラジオを手にした同志が報道の内容をみんなに教えてくれる。国鉄当局は前倒しストのために当初混乱していたが、本日の始発からはダイヤ通りの運行体制を確保していたらしい。つまり動労千葉のストライキを無効化する手はずを整えていたと言うことが。それに対して各地で革命軍による列車ケーブルの切断や時限発火装置による攻撃などがおこなわれ、更に全学連と反戦の選抜部隊が浅草橋駅を焼き討ちしたことが分かった。後に報道で知ったことだがその中には全学連の鎌田委員長や国鉄労働者二人、今日都政を革新する会で事務局長を務める北島邦彦さんなどが含まれていた。

 革命軍や全学連・反戦の戦闘については様々な意見が出され、中にはストライキの価値を貶めたと憤る人もいた。それでも私はスト支援のためのこれらの戦闘は正しかったと思っている。何故なら「千葉の片田舎の組合」のストライキではマスコミに無視されてしまう可能性が大であったが、戦闘の報道は嫌でも全国ニュースにせざるをえないし、その背景にある動労千葉のストライキと国鉄分割民営化への問題提起も報道されたからだ。そしてこの日を境に「国鉄労使国賊論」の立場から分割民営化賛成一辺倒であったマスコミの論調が変化し、地方ローカル線の切り捨てなど民営化が持つ様々な問題が取り上げられるようになった。

 今日の郵政分割民営化に抵抗する闘いの中で、動労千葉の闘いから学ぶものは非常に多いのではないだろうか。動労千葉は今日でもストライキや順法闘争を闘う力を維持しているし、その力を背景にしてJR経営者側に乗客と乗員の安全を守るための投資を強制している。乗客の中にも道路千葉の闘いへの理解と支援が広がっている。私たち郵便局に働く労働者も、本当は78~9年の反マル生越年闘争のような物ダメを始めとする実力闘争に立ち上がることで、民営化阻止を現実のものにすることが出来るのではないだろうか。少なくとも職場の団結を打ち固め、民営化と同時におこなわれる大量首切りと労働条件の急激な悪化に対して抵抗できる体制を整えなければならないと思う。

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2005年9月15日 (木)

電撃結婚

 今日は妻が休暇で、朝からゆっくりと新聞を読んでいた。ふと「安達祐実ってできちゃった結婚したんや」と言うではないか。ふーんと思いながらきいていた。昨日は夜中々寝付けなかったのでもう一度寝ることにして11時過ぎまで眠っていた。隣の家のエレクトーンの騒音で目が覚めて居間に降りる。パソコンをつけてネットでブログをあちこち見ていたら、簿記受験生さんの「PARDES」にも記事が載っているではないか。よく読むと交際を始めて何と五ヶ月で電撃できちゃった結婚なのだそうである。

 電撃結婚で、つい自分たちもそうだったなぁと思い出に浸ってしまう。と言っても私はできちゃった結婚ではないのだが。長女が生まれたのは一年目の結婚記念日があと20日に迫ったときであったからハネムーンベイビーですらない。ただ交際から結婚までが五ヶ月という点だけは同じだった。そのせいで妻は結構からかわれたらしい。「できたんか~」と。

 元々友達になってから一年半くらいの期間が経過していた。その内妻の方が好意を寄せてくれていることに気がついたので付き合うことにしたのだが、普通は付き合ってくれとか、まあ、結婚を前提に付き合ってくださいとか言う物なんだろうけれど、私は間を省略してイキなり結婚しようかと言ってしまったのである。妻の方も了承してくれたので次の週には結婚式場の予約を取りに郵政会館と郵貯会館に下見に行くという素早さだった。式場の予約をしてから母に紹介して、その直後に私が中核派の活動家であり逮捕歴もあることを打ち明けた。妻は驚いてはいたが拒絶はしなかった。91年春のことである。

 当時は90年の天皇即位儀式に反対する様々な激闘に次ぐ激闘、左翼の世界で言う「90年天皇決戦」がようやく終わったばかりで、五月ガイドによる中核派の路線転換が発表される二ヶ月前の三月十四日にプロポーズしていたから、おそらく私の頭の中は戦中派の人々が徴兵を前にしてひとまず結婚式を済ませてから兵営に赴いた、そんな心理があったのではないだろうか。ご存知ない方のために簡単に説明しておくと90年天皇決戦は100を超える様々なゲリラパルチザン戦争を始めとして闘われ、破壊活動防止法の団体適用が検討されたものの、非公然の革命軍を補足できなかった国家権力は諦めざるをえない状況であった。その余韻が残っている時期であり、しかも革共同の創設者である本多延嘉書記長が現代のナチス、ファシストカクマルに虐殺されてから十五年目のその日である。中東湾岸戦争が終わったばかりと言うこともあったので、自分自身いつ闘争の現場で死んだり、獄中に囚われるか分からないという気持ちがあったのだと思う。

 結果、当時指導部が反対したのを押し切って、私は電撃結婚をしてしまった。若き日の想い出である。

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2005年9月14日 (水)

「共産主義における『左翼』小児病」

 先日の「自民圧勝をどう総括するか」の中で日共スターリン主義反革命への批判としてレーニンの「共産主義における『左翼』小児病」を学習するが良いと書いた。中核派は「小児病」という言葉の持つ差別性を鑑みて、この本を指す場合のみにこの呼称を使用するが、そうでなくこの本でレーニンが批判している右翼的偏向と極左冒険主義的な偏向を指す場合については「左翼空論主義」という呼び方をしている。大月書店の国民文庫版において日共はわざわざ「左翼」に括弧を付けている。ロシア語が読めないので原著ではどの様な表現がされているのか知らないが、日共はこの本を新左翼を批判するときによく利用する事から考えて、新左翼を「ニセ左翼」とでも言いたいのだろう。「小児病」という言葉を平気で使うのも差別主義者の日共らしい事である。

 党利党略の狭い見地からしか今回の選挙戦を戦うことが出来なかった日共の空論をこそ批判するために、若干の引用をしてみたい。

 第二章 ボリシェビキの成功の一つの基本条件より「プロレタリアートの無条件の中央集権と最も厳格な規律こそがブルジョアジーに勝利する基本条件の一つである」「先ずなによりも問題なのは、プロレタリアートの革命党の規律がなにによってささえられるのか? それはなにによって点検されるのか? なにによって強化されるのかということである。それは、第一に、プロレタリア前衛の階級意識、革命にたいする献身、その忍耐、自己犠牲、英雄主義によってである。第二に、きわめて広範な勤労者大衆、なによりもまずプロレタリア的勤労大衆と、さらにまた非プロレタリア的勤労大衆ともむすびつき、接近し、必用と在ればある程度まで彼らととけあう能力によってである。第三に、これら前衛のおこなう政治指導の正しさによってであり、彼らの政治的戦略と戦術の正しさによってである、--ただし、これは最も広い大衆が自分の経験にもとづいてその正しさを納得するということを条件とする

 今回の選挙で果たして共産党は主要な敵である小泉自公政権に打撃を与えることが出来ただろうか?まったく出来ていない。それは多くの労働者大衆が実際に感じていることである。敵の共倒れを作り出すことが出来ないばかりか、貴重な味方の戦力を分散させ、各個に撃破されてしまった。主要な敵である小泉自公政権に圧倒的に強大な権力を与えることで、労働者大衆は自分の経験にもとづいて日共の間違いを納得してしまった。心ある人々は、今回の利敵行為を小泉自公政権が続く限り記憶し続けるだろう。自分たちの路線に自信が持てないが故に小選挙区に泡沫候補を擁立しなければ比例区においても得票することが出来ないと考えているのだ。本当に倒すべき相手が誰であるのかすら見抜くことが出来ない日共に未来を託すことは出来ない。もちろん現在の新左翼諸党派のとてつもなく小さな力量では日共に変わる労働者党になるにはまだまだ数段の飛躍が必用であろう。ただし、今回の衆院選挙において新左翼諸党派は自らの力量不足を知るが故に社民を支援することで多少なりとも革新勢力の議席増に貢献している。

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 追記 「自民圧勝をどう総括するか」に寄せられた労働者Lさんのご意見への返事をコメント欄に書いたのですが他の方にも読んでいただくために追加して掲載します。

 労働者Lさんの記事、拝読しました。実は新左翼の中で共産党の選挙戦術を批判する意見が多いのは、おそらく日共がレーニン主義を掲げながらまったく違うことをしている事への反発が根底にあるのではないかと思います。
 1917年の8月、レーニンの率いるボルシェビキはコルニロフの反乱に対して全力を挙げて闘いました。これは当時の政権を握っていたケレンスキー内閣を守るためではなく、革命を守るためには、プロレタリア革命を成功させるためには先ず誰から倒すべきかという明確な政治判断があったと思います。
 翻って日共は黒目さんのブログでも書かれている社民主要打撃論の立場から独自候補を擁立しました。レーニンはケレンスキーに頼まれてコルニロフを倒したのではありません。まったく独自の判断、独自の行動として反革命を粉砕したのです。もし日共が本当に共産主義の党であるならば先ず小泉自公政権を倒し、とって返す刀で民主をも倒す事を考えたはずです。
 おそらく草加さんもその様な観点から日共を批判しているのではないかと思います。草加さんも私もはっきりと自民も民主も敵であることを明言した上で日共の選挙戦術を批判しておりますので、その点誤解無きようお願いします。

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「噛むなぁ~っ」

 台所の換気扇の下でタバコを吸っていると息子がやってきた。何かと思ってそちらを向いたら抱きついてきた。ちょうど妻が仕事でいないので、甘えたくて寄ってきたのかなと思っていたら、イキナリ股間に噛みついてきた。ジーパンの上からだが大事なものをガブリとやられると痛い痛い。思わず叫び声を上げて股間を押さえる「何すんの~ 痛いやろ」と叱るのだが面白がって再び三度噛みつこうとしてくる。両手で肩を掴んで近寄れないように話した状態で「噛むな~」というのだが、それでもぐいぐいと前進するのを止めない。何度か押し返している内にフッと力の方向が変わる。息子はイキなり方向転換をすると、今度は私の背後に回りお尻に噛みついてきた。少し知恵が付いてきたからフェイントをかけられてしまったのだ。まったく、こんな事で使い物にならなくなって母ちゃんに捨てられたらどうしてくれる。それでなくても病気で働いていないから最近風当たりが強いというのに。 一体どこで覚えてくるのだろう。困ったもんだ。

 覚えると言えば最近「エンタの神様」という番組を妻子が見るようになった。帰省したときに従姉妹のお姉ちゃん達が面白がってみていた影響のようだが、何とか言う芸人の真似をして「武勇伝武勇伝、ぶゆうデンデンデデンデン」とか言い出す。どこが面白いのか私には分からないが息子は気に入って真似をしている。その他には昨日の犬の散歩の時に壁に張り付いたゴキブリを見つけたときに「ウギャー、怪獣だー」と大騒ぎする。「おいら怖いよー」という。これはネットで見ているがんばれロボコンの影響だ。ロボコンはゴキブリが苦手なのだ。「怖いよー、パパさん助けてー」と真似をする。

 そのあと何故か娘達が怖い話と言いだしてなにやら話している。次女が「なぁパパ、怖いこと教えたろか。男らしい○○」と言うと長女が笑い出す。「あんなぁ、もっと怖いモン有るで」と言うので尋ねると、言うに事欠いて「ちゃんと仕事するパパ」と言われてしまった。どうせここ数年病気のせいでまともに働いていませんよーだ。昨日は子供達にさんざんな目に遭わされたような気がする。

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2005年9月13日 (火)

「民営化」に負けて堪るか

 選挙によって小泉政権が圧勝したことで、郵政の民営化はほぼ確実になったと言うしかないだろう。現場の仲間の間にもあきらめと言うよりやけくそな雰囲気が漂っている。だがしかし私たちはくじけず反撃に立ち上がる。

 何よりも国鉄の分割民営化攻撃と、それと闘い続けている動労千葉・国労闘争団を始めとする豊かな教訓があるからだ。今年4月25日のJR尼崎事故を思い出して欲しい。あれが民営化だ。利潤追求のために安全対策を極限まで切り捨て、労働者には処分の恫喝で奴隷的な日常を強制してきた結果として107名の尊い命が奪われた。同じ事が郵政の現場でもこれから起こるのだ。いや郵政だけではなく、郵政民営化を突破口として全ての公務員労働者に対する首切りと極限的な労働し強化が行われようとしている。民間においてもそれに輪をかける形でのリストラが強行されるであろう。

 闘わなければ生きていけない時代に完全に突入したのだ。生きるためには労働者は団結を改めて築き直し、小泉政権の諸攻撃と真っ向から闘わなければ命さえも奪われる、そんな世の中になるのだ。ならば答えは一つしかない、小泉政権を倒して労働者が生き延びる道を選ぼう。現に民営化と闘い、勝利の展望を切り開いている動労千葉の闘いが有るではないか。JR東日本会社においても各地で行われている安全切り捨て、線路の老朽化による破断などの現状を、動労千葉運転保安闘争に立ち上がることで経営に次々とレールの交換を強制している。安全運転のために処分を恐れず闘う中で、多くの乗客が動労千葉の闘いを支援しているではないか。78~79年の反マル生越年闘争の闘いを引き継ぐ全逓四・二八闘争では昨年懲戒免職は不当であるとの高裁判決を勝ち取っている。当該の労働者が闘いに立ち上がったときに必ず多くの支援連帯の輪が生まれるのだ。

 四・二八闘争の被免職者の闘いに続き、JPU中央本部を打倒し、権利の全逓、闘う全逓を再生することで郵政分割民営化とそれに伴う首切り合理化と断固として闘いに立ち上がろうではないか。私は必ず病気を克服して職場に復帰する。そして民営化攻撃との闘いの最先頭に立って闘う決意をここに表明する。

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2005年9月12日 (月)

自民圧勝をどう総括するか。

 昨日投開票が行われた衆議院選挙において自民党が296議席を獲得し、公明党と併せて三分の二を占める327議席という結果となった。選挙戦序盤における小泉自民党のイメージ戦略が功を奏したために、投票率が上昇したものの浮動票が大量に自民に流れ、民主党の地滑り的大敗北となった。詳細な分析にはしばしの時間が必用であるけれど、現時点で考えられる範囲をまとめてみる。

 まず最初に思うのは、民主党の敗北であって労働者階級が敗北したのではないと言うことだ。なるほど確かに民主党は連合によって支えられているが、連合の内実はと言えば現場労働者からそっぽを向かれた労使協調路線・現代の産業報国会とも言うべき存在だ。多くの労働者は民主党に期待すら持っていないことがはっきりとしたのではないだろうか。実際の獲得議席を見てみた場合、共産党は現状維持、社民党は小選挙区における自民圧勝の副産物とはいえ二議席増。議席を減らしたのは民主党と公明のみである。「護憲」を主張した両党がかろうじて踏みとどまったことは、労働者が反撃に転じる際に貴重な足がかりとなるだろう。

 二番目に思うのは自公連立政権による極反動の嵐に対して身構えなければならないことだ。衆議院で三分の二を制した両党にとって、法案が例え参議院で否決されて衆院再討議となった場合であっても全て可決、成立させることが出来ると言うことだ。今まで日本の将来をファシスト的勢力に純化しつつある自公政権が制圧するのか、それとも社会排外主義・帝国主義社民である民主が制するのかを巡って、支配階級の内部における分裂抗争に、前者が勝利したことにおける反革命的突出力の大きさを真っ向から受け止める覚悟が必用だ。当面の間労働者には様々な反動攻撃が一挙に襲いかかってくるであろうが、それにひるむことなく耐え抜く決意を固めたい。

 三番目に思うことは日共スターリン主義による党利党略のための小選挙区における泡沫候補擁立戦術への怒りである。小選挙区制度においては、たった一人の当選者しかいないためにそれ以外の候補者に投じられた票は全て死に票となる。日共スターリン主義はそれを承知で労働者の投票行動を分裂に導き「自民党に勝利を譲った」のだ。野党共闘が成立していれば、多くの選挙区において自公連立側候補者を落選させるだけの票が投じられていたのだ。自民党は約四割の得票によって議席の三分の二をかすめ取ったに過ぎないのだ。ロシア革命においてボルシェビキの国会議員が一体何人いたのか。ズブズブの議会主義に陥り、議席の数でしか物事を判断できない日共スターリン主義反革命は、レーニンの「共産主義における左翼小児病」を改めて学習し直すが良い。

 第四に思うことは、イスラム人民の爆弾戦闘に自分が巻き込まれたとしても異議申し立ては住まい。甘んじて受け入れる覚悟を決めようと言うことだ。自衛隊楽に派兵している小泉政権が存続することで、日本はアルカイダなどの勢力によって標的となることは確実であろう。「自爆テロ」などで命を落とすことがあったとしても、それは小泉政権存続を選択した日本人の一員として、イラク侵略に対する彼らの弾劾を受け止めようと言うことだ。

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 追記。12日15時に「前進」2214号が総選挙の総括を掲載していました。「小泉打倒の新たな決戦へ  総選挙結果への革共同の戦闘宣言」 「前進」が発行日を一日遅らせて見解を掲載するというのは僕の知る限り初めてのことです。それだけ中核派も今回の情勢を重要視していると言うことなのでしょう。

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2005年9月11日 (日)

ブログタイトルを考え直す。

 このブログを始めたときに、何と無しにエキサイトフレンズやマル共連でつかっていたハンドルネームをそのままブログのタイトルにしてしまった。でも最近よく考えるとサブタイトルがなかったら何のブログなのか分かりにくいのではないだろうかと思うようになった。と言うのもいくつかのブログでお気に入りやブックマークに登録していただいているのだけれど、登録の名前が少し変えられてある例があるからだ。

 例えば、簿記受験生さんのPARDESでは、「アッテンボローの気ままな日記」としてメインとサブタイトルとの折衷で登録されているし、管制塔被告連帯支援基金ウエブサイトではサブタイトルの「郵便局員の気ままな日記」で登録されている。やはり内容が分かるブログタイトルを考えて変更した方が良いのだろうかと考え込んでしまう。このブログを読んでくれている方達はどう思っているのだろうか。出来ればご意見を聞いてみたいと思います。コメントに反応が有ればタイトル変更の参考にしようと思います。

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投票してきました。

 今朝九時に衆議院選挙の投票に妻と一緒に次女と息子をお供に連れて行ってきました。色々と思案した結果、小選挙区は自民候補を破る可能性が少しでもある民主候補に、比例区は社民党に投票してきました。共同通信の出口調査があったのでそれにも答えていました。土曜に妻の職場の共産党後援会から投票依頼の電話があったのですが、最初から小選挙区を比例区の宣伝のためにしか考えていない日共スターリン主義反革命に入れる気はありませんでした。

 サンデープロジェクトをちらりとつけたら、九時現在の投票率は東京、大阪ともに前回選挙を1.4から1.5%上回る出足だそうで、投票率が上がることが期待できそうです。そうなれば宗教カルト政党の組織票が役立たずになるのでなお結構なことだと思います。今日は日本の未来をファシストに白紙委任するかどうかがかかった重要な選挙です。絶対棄権は止めましょう。

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2005年9月10日 (土)

日本近現代史のおさらいその5

 1928年張作霖爆殺事件の後、後継者張学良は蒋介石の国民党政権の下に入り反日・抗日の旗幟を鮮明にするようになる。対張学良強硬派の意見が強くなった軍部は31年9月18日夜に柳条湖事件を起こし、それを張学良軍の仕業として攻撃を始める。翌32年2月には満州のほぼ全域を軍事占領下に置く。中国国民党政権は国際連盟に提訴した。すると日本は上海で日蓮宗の僧侶を殺害してそれを中国側の仕業として上海事変を起こし国際社会の耳目をそらせようとした。

 関東軍の板垣征四郎・石原完爾らは満蒙の日本領有を企てたが、軍部中央の政治判断との間で妥協し傀儡国家としての「満州国」を32年3月1日に「独立宣言」させ、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀を執政に据える。33年1月には内蒙古東部の熱河省までを占領し、北京・天津まで迫る。5月の停戦協定後、関東軍・シナ駐屯軍は河北分離工作を進める。柳条湖事件は事実上の対中国戦争の始まりであり、37年7月7日の廬溝橋事件によって日中全面戦争に発展する。更に41年12月8日の対米英戦争にエスカレートし45年8月15日の敗戦に繋がる(降伏調印は9月2日)。この間の戦争を十五年戦争という「「満蒙は日本の生命線である」として始めた関東軍の侵略行動が、結局アジア、太平洋戦争による、日本、朝鮮、台湾、中国、東南アジアなど各地の人々に悲惨な結果をもたらすことに連なっていったのである。」

 32年9月、日満議定書調印し満州国を正式に承認。日本の在満州既得権益と日本軍の駐留権が正式に認められる。形式的には満州国は独立国であったが、その主要ポスト、とりわけ総務庁のポストは日本人が独占した。実権を握っているのは関東軍と総務庁だった。33年3月国際連盟は満州国を否認する対日勧告案を採択するが、日本はこれに講義して国際連盟を脱退国際的に孤立の道を歩むことになる。34年3月1日執政溥儀を皇帝にして「満州帝国」と国号を改める。この植民地支配に対して抵抗運動が行われる。32年9月15日の撫順炭田襲撃事件。これに対して日本軍は平頂山の住民三千人を虐殺する。36年には抗日連軍が結成され日本の敗戦まで抵抗運動が続く。

 32年7月、関東軍は満州国協和会を結成。「五族協和」「王道楽土」などの建国イデオロギーの大キャンペーンを繰り広げた。9月には農業に従事する在郷軍人を対象にした第一次移民・武装移民が行われる。抗日勢力平定に従事するこれらの移民は、中国人農民の住む土地を低価格で強制的に買収した土地に入植した。関東軍の計画では20年で100万戸500万人の移民計画を立て、昭和恐慌で打撃を受けた農民が多く参加することになる。38年からは満蒙開拓青少年義勇軍の募集も始まる。対米英戦開戦後には日本の戦争推進のために一般人に多くの強制動員が行われた。青壮年男子は徴兵によって動員され開拓団は老人と婦女子だけになる。関東軍の主力は戦況の悪化に伴い南方に転用されていたため満州における日本軍の兵力は微々たるものとなり、45年8月8日のソ連参戦当時には多くの民間人が置き去りにされ多くの自決者、戦死者、餓死者を出す。犠牲者は約8万人と言われる。

 日中戦争、太平洋戦争については後日。

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2005年9月 9日 (金)

「野党第一党に投票せよ」

 かつて歴史学者の羽仁五郎氏は、選挙の際に「野党第一党に投票せよ」と言ったそうだ。ネットを見ていたら出ていたので、それがどこからの出典なのかまでは書いていなかったが、さもありなんと言ったところだろう。政権政党の暴虐を阻止できる可能性が一番高いのはやはり野党第一党が勢力を伸ばし、政権党に対して掣肘を加える状況というものが必用だと考える。羽仁氏が健在であった当時の政党事情は今日とは大きく違っていて政権党としての自民に対して中道勢力の民社・公明、革新勢力としての社会・共産の体制であった。新自由クラブや社民連が羽仁氏存命中に存在していたかどうかは調べていないので分からない。

 今日の状況で言うと政権党は小泉の私党としての純化を為そうとする自民党にこれまたファシスト的純化を遂げつつある公明党である。対する野党は帝国主義社民に変質した民主党を最大勢力として護憲勢力の社民党、スターリン主義のセクト主義者共産党、泡沫団体国民新党・新党日本・新党大地と続く。この中でどの様な選択があるのだろうか。正直言って労働者の階級的利害を守る立場の政党が何一つ存在しない中で積極的に支持できる勢力はいないと言うしかない。

 ではどの様な選挙結果になることが労働者にとって望ましいのだろうか。愚考してみる。まず自民公明の与党勢力が勝利した場合、「郵政民営化」選挙とペテンを労しているがそれは公務員労働運動を解体し、教育基本法改悪、憲法改悪、大衆増税、消費税増税、年金制度改悪法人税の税率引き下げ等々に対してまでも承認が得られたとして一気呵成に戦争国家体制作りに突進するであろう。あたかもナチスドイツでヒットラーが「全権委任法」成立以降国会の承認を得ることなくして好き勝手な軍費増強から第二次世界大戦へと突き進んだのと同様のことが起きるだろう。

 翻って野党勢力を見たときに民主党は帝国主義の危機を救済するために腐敗転向したノスケやケレンスキーの様な社会排外主義者・帝国主義社民の党である郵政民営化問題においても本質的には首の切り方を巡って自民と対立し、民営化で生じる利権の取り合いを演じている存在だ。改憲勢力でもある。では護憲を唱える社民・共産はどうか。はっきり言って共産党はそのセクト的利害から野党統一戦線を結成することが出来ず、多くの選挙区で死に票を作るだけの存在である。社民は村山内閣当時の裏切りについて自己批判していない点で、本当に「護憲」なのかという点からして疑わしい。泡沫勢力は論外である。

 以上各政党の内実などを見たときに、どの政党にも勝たせてはいけないという結論に到達した。具体的な投票行動としては自公政権勢力の議席減少民主党の議席増、しかしどちらの側も過半数を制することが出来ず、社共及び泡沫勢力をどの様に連立に引きずりこむかという点で政権が成立する非常に権力基盤が弱い者が望ましい。

 勝者のいない結果となって国政が混乱している隙に革命勢力がありとあらゆる水路から闘って勢力を伸ばし、真の労働者党が登場するまでの時間稼ぎを出来ること。これが私にとって最良の選挙結果となるだろう。その様な状態にすべく選挙権を行使しよう。

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2005年9月 8日 (木)

鬱病について

 ここ暫く病気の具合が良くない。このブログは何とか日々新着記事を掲載できているのだけれど、日常生活ははっきり言って職場復帰にはほど遠いと思う現状がある。一番困るのは気力が萎えてしまい何事にも手が着かず、一日を寝て過ごしている有様だ。何とか最悪の状態にならないように維持するのが精一杯。 

 鬱病というのは精神的肉体的に疲れ果てたときにかかる病気で、様々な事象に対して自信を喪失した状態と言えばよいのだろうか。人によっては仕事や学業で失敗したときや家族との別離、失恋、あるいは働いている人の場合出世して責任が重くなった場合に新しい環境に対する不安から発病する人もいる。

 僕の場合には、主治医とも色々と話をした結果の認識は、郵政の「民営化攻撃」の中で何とか反撃をしようと悪戦苦闘したあげくそれが中々実を結ばないことで自信を喪失したようだ。だから病気の原因は郵政当局にあると思っている。もちろん小泉を始めとする資本家どもが最大の原因だ。だから症状が改善して復帰しても当局との攻防にはいると直ぐに悪化してしまう。本当ならば党の援助で闘いの方針作りなどの面でも孤立しないでやれていれば病気にはなっても悪化はある程度防げるのではないかと思っている。残念なことに指導部とのその様な関係を勝ち取ることが出来なかったことが思想的腐敗の要因にもなってしまった。この様に思うのは高見闘争が有るから余計に思ってしまう。高見さんは僕以上に鬱病が酷いのだが、それでも要所要所の闘争には必ず参加している。僕の指導部に質問したときにもその様な関係を指導部との間で築くことに成功しているからだろうという話になった。

 病気に話を戻すと治療には唯ひたすら休養を取るしかない。そして社会に復帰する場合には焦らずゆっくりと慣れるしかないのだが、今までは職場の首切り合理化の激しさとそれに対してどうしても闘わざるをえない状況から無理をして再度悪化するという繰り返しだった。これは除名されてからも全く同じで、自分が郵便局で働きながら生きようと思う限り闘うしかないのだと思っている。だから今回の病気休暇の間は出来る限り休養をして、思想的にも立ち直るための努力をしようと思っている。次に復帰してやはり病気が改善せずに悪化するようなら闘いを本当に諦めるしかないだろう。奴隷として郵便局に生息するか、新天地を求めるか、鬱病の最悪の結果に至るかそれはどうなるか今は分からない。出来れば闘いつつ生きていけるまで回復したいものだ。

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2005年9月 7日 (水)

東北大学有朋寮頑張れ!

 東北大学の有朋寮廃寮を巡って、強制代執行が行われようとしている。寮生は断固として闘う決意を固め、全国に支援を訴えている。学生たちにまともな説明も無く自治寮を破壊しようとする策動は許せない。直接支援に駆けつける事は出来ないが支援連帯の決意だけは表明します。以下の連帯のメールを送信しました。

「私は郵便局で働く労働者です。かつて独身寮に入居していて、寮自治の運動をしていた事が有ります。私が入居していた寮は現在では女子寮になってしまい、寮生は結婚や 別の寮に移住する形となりました。しかし自治の成果で寮生の意向はある程度反映される話し合いが有りました。今回の有朋寮の廃寮と強制執行は大学の自治、学生の自治、寮の自治を破壊する反動的な物だと思います。皆さんの闘いに直接支援に行く事は出来ませんが、遠く関西の地にも注目している物がいる事を知って下さい。」

 追記。有朋寮の皆さんから早速メールが来ました。

★BCCにて失礼します。東北大学有朋寮です。転送大歓迎です!
☆有朋寮への激励メールなどはufo_ryou@hotmail.comに。

△▼9・17全国集会をやります! 全国から大結集を!▼△
 反動判決から一週間。多くの全国からの支援に支えられ、絶対に廃寮を阻止す
るために強制執行を迎えうつ体制を整えてきました。さらに闘いを拡大し、強制
執行を粉砕するために緊急ですが全国集会を呼びかけます! 全国の学生、労働者
市民のみなさん、9・17有朋寮に集まり、われわれの団結の力で廃寮阻止しましょ
う!
[要項] 9月17日(土)13:00~@有朋寮敷地内、16:00~市内デモ(予定)
○9・11大街頭宣伝
 総選挙投票日の9月11日、大街頭宣伝をします。有朋寮廃寮攻撃こそ、郵政民営
化と並ぶ小泉改革攻撃です。9・11を有朋寮闘争勝利と小泉打倒の烽火を上げる一
日にしましょう!
[要項]9月11日(日)11:30~13:30 @一番町・みずほ銀行前

■さらに応援のメッセージが来ています!
・東京学芸大学雄辿寮OB
 事態が切迫していること、恥ずかしながら、昨日知りました。多くの寮が様々
な方法で、屈服を迫られ、廃寮に追い込まれてきました。私も悔し涙を流した一
人です。遠くからでありますが、応援しています。
・関西の女性労働者
 私は郵便局で働く労働者です。かつて独身寮に入居していて、寮自治の運動を
していた事が有ります。私が入居していた寮は現在では女子寮になってしまい、
寮生は結婚や物の寮に移住する形となりました。しかし自治の成果で寮生の意向
はある程度反映される話し合いが有りました。今回の有朋寮の廃寮と強制執行は
大学の自治、学生の自治、寮の自治を破壊する反動的な物だと思います。皆さん
の闘いに直接支援に行く事は出来ませんが、遠く関西の地にも注目している物が
いる事を知って下さい。 

■多額のカンパが寄せられています! ありがとうございます
 今日は、地域の労働者や神奈川の労働者のみなさんから、あわせて10万円近く
のカンパが届きました。本当にありがとうございます。みなさんの支援の力を受
けて、強制執行阻止、廃寮撤回、吉本体制打倒へ闘っていきます。

☆メッセージをドンドン寄せてください。ニュースを転送するのが面倒な
方は、有朋寮までお知り合いの方のアドレスを教えてください。こちらから配
信します。

★強制執行を迎え撃つために、全国の学生はぜひ泊まり込みに来てください。一
緒に闘いましょう!

-------------------------
東北大学有朋寮
 仙台市太白区鹿野2-19-5
 Tel 022-247-4669  Fax 022-795-7823
 HP http://uforyou.exblog.jp
 どうも有朋寮の皆さんに女性と誤解されてしまったようです。(笑)

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レーニン主義の継承か レーニン主義の解体か

 先日ようやく本多延嘉著作選第一巻に収録されている「レーニン主義の継承か レーニン主義の解体か」を読み終えた。一読して思ったことは、どうやって人に説明するか分からない、と言うものだった。兎に角難しかった。二週間以上を書けてじっくり考えながら読んだのだが、理解できたと言える代物ではない。改めてノートを取りながら読み始めた。ひとまず一読した範囲で内容について書くことにするが、役者不足であることを予め了承して頂けたらと思う。

 元々は1972年夏に「前進」600号記念論文として執筆され、大幅加筆して「共産主義者」24号に発表された。当時既にカクマルとの内戦が始まり、その過程で呼称を「革マル」から「カクマル」に変更している。国家権力との二重対峙・対カクマル戦争の前進の中で、カクマルが反革命として純化していく理論的作業として「レーニン主義の批判的継承」「批判的再構成」という作業が行われていた。それに対して本多書記長は「継承か解体か」を発表することでカクマルの作業の本質がレーニン主義を小ブル自由主義に改竄しようとする者であることを明らかにして、それに対してレーニン主義を今日的に発展・継承するための積極的な提起を行った。

 カクマルはロシアの後進性を強調してあたかもロシアが帝国主義ではなかったかのように言いつくろい、そこからレーニン主義の革命理論を現代日本に適用することが出来ないと主張していた。しかしロシアは金融資本が支配する資本主義であったし、国内の諸民族を抑圧するためにバルカン半島やアジアの再分割を計っていたれっきとした帝国主義であった。この事を本多書記長は明らかにした上で、レーニン主義革命論こそ帝国主義段階におけるプロレタリア革命の普遍的な本質論であること、帝国主義論確立後のレーニン主義革命論を核心的に把握して内容豊かに発展させる必要性を説いた。

 カクマルが構造改革派の「先進国革命論」につい重視してゼネスト革命論的なペテンを労することに対して暴力革命論の正しさを主張し、民族解放革命戦争と抑圧民族である日本人民のプロレタリア革命とを結合させる立場から「日帝のアジア侵略を内乱へ」転嫁させるために、レーニン主義で武装した強固な革命党の建設を主張した。党建設においても、現代資本主義の分析を行う点においても、革命後におけるプロレタリア社会建設についてもレーニン主義革命論が今日も尚有効であり、それを発展的に継承することの重要性を解き明かしている。そしてカクマルに対しては、レーニンが「国家と革命」の中で支配階級がマルクスの革命的学説の革命性を去勢して歪曲している作業を批判している文章を引用して、今日レーニンについても同様の作業を行おうとしていると弾劾している。

 本多書記長の論文を他人に説明するには私の理解の仕方はまだまだ非常にお粗末なのだけれど、80年代の国鉄分割民営化攻撃の過程における動労カクマルの裏切り、権力への投降と国労・動労千葉の解体攻撃の先兵となって20万人首切りに協力した動き、あるいは沖縄における反戦地主の闘いに対する敵対、JRの労使協力体制やそこから生まれる利権を巡る黒田派・松崎派・島田派への三分解などの現実を見たとき、漠然とした形ではあるけれど本多書記長の先見の明を感じる。レーニン主義を革命的に継承して、革共同全国委員会が日本階級闘争における真の革命的前衛党として成長して欲しいというのが読後の感想です。

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2005年9月 6日 (火)

セキュリティソフトで困ったもんだ

 日曜の晩にセキュリティソフトのアップデートを行ったところ、突如インターネットに接続できなくなりました。一切のホームページに接続できなくなったのです。当初原因が分からないもので、ウィンドウズを再起動してみたり、インターネットエクスプローラーをつけたりけしたり、ISDNで接続しているにもかかわらずダイヤルアップの接続状況を点検してみたり、何とかして接続を試みました。

 ウィンドウズの解説書を読んでも接続できない場合の対処方法がモデムやターミナルアダプターの設定を点検することくらいしか書いてありません。独力で調べるのにも自分の知識のなさが如実に表れ限界となったために、プロバイダーのサポートセンターに問い合わせすることにしました。月曜の午後、混雑している中でようやく電話が繋がりケーブルなどの脱落がないかをまず調べるように言われました。当然電話の前に調べていたのですが再度点検。それからインターネットオプションを開いて接続状況の調整を支持されます。ここまでは自分で本を読みながらしたことの繰り返しでした。担当が交代してMSDOSプロンプトから言われるままにコマンドを入力してみたのですが接続できません。担当者の方がIPアドレスを調べたり色々してくれますがそれでも分からないので再び担当が交代しました。

 MSDOSプロンプトからのコマンドを再度試した後、インターネットエクスプローラーの初期化をしてみることになり各種の設定を指示されます。試行している間にサポートセンターの担当者の方が最初にセキュリティソフトのアップデートをしていることを思い出してくれ、いったんセキュリティソフトを切った状態での接続を試すよう助言してくれました。試してみるとちゃんと接続できるではありませんか。そこから先はソフトメーカーのサポートに問い合わせて下さいとなりましたが、ソフトバンクサポートセンターの皆様方、本当に有り難うございました。

 さて、セキュリティソフトさえ切ればネットに接続できるので、今度はソフトメーカーのサポートサイトに接続します。よくある質問の項目の中から調べてどの様な操作の結果かは分かりませんが、インターネットエクスプローラーからネットに接続できない設定になっていることを見つけ出して普通に接続できるようになったのが昨日の深夜のことでした。お陰で5日付の記事は作成することが出来ず、6日付けで二つ掲載することになりました。

 しかし訳も分からぬままあちこち設定をいじってしまったために後遺症が残りました。原因は分かりませんがアドレスバーが表示できない上にGoogleの検索も出来ない状態です。どちらも調べ物やネットサーフィンをするには便利な機能なので何とかして復旧を試みていますが、今現在どうすればよいのか分かっていません今夜も夜更かしして調べ物のようです。メカ音痴にも困った物です。

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   追記。ネットで検索したところ直ぐに対処方法が分かりました。検索機能は偉大ですね。

 

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困ったもんだ

 日曜の新聞各紙には選挙情勢の分析結果として自民党が単独過半数の勢いであると報道されていた。衆院解散以降のマスコミによる世論操作が功を奏しているようで、小泉政権の過去四年半の実績など一切考慮せず、「刺客」だの小泉のヒトラーばりのデマ宣伝に踊らされたとしか言いようのない世論調査の結果であった。

 マスコミはっきり言わなければならない。小泉政権を支持すると明言したスポンサーであるトヨタ自動車を筆頭とする広告主達の意向で小泉を持ち上げて大企業のための社会を作る、戦前型の報道統制に移行しましたと。マスコミはもはや大本営発表を垂れ流すだけの存在になった。ジャーナリズムは死んでしまったのだ。これから私たち庶民は、労働者は、マスコミの報道を信用することは出来ない。報道統制と世論誘導の政府公報と化したマスコミに代わり、本当に事実の本質を見抜いて警鐘を乱打する社会の木鐸の座をブログを始めとするインターネットを駆使したミニコミに譲るべきだ。

 4日付のJIROの独断的日記ココログ版では、新聞各社の選挙情勢分析が如何にいい加減であるかを詳細に分析している。マスコミの様にスポンサーの意向を気にして本質を書く事が出来ない輩と比べ、ブログの様に「伊達や酔狂で」やっている人間の方が本質を見事に暴露しているではないか。JIRO氏は分析の中で、マスコミによる電話調査は「サラリーマン」の意見を、小泉「改革」によって最も被害をこうむる層の意見が反映されていないと断じている。9・11の総選挙当日には、マスコミの分析が如何に出鱈目で恣意的で権力者に阿諛追従する物であったかが明らかになる様、賢明なる諸兄は万難を排して投票に行き、小泉自民公明連立政権を権力の座から引きずり下ろそう。

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2005年9月 4日 (日)

じゃがいものコロコロサラダ

 次女はベネッセボン・メルシーという部門から小学生クッキングという雑誌を定期購読している。小学生に簡単に作れる料理のレシピや、成長期の子供に栄養豊かな食材をどうやって食べさせるのかが掲載されていて、料理を作ってくれる。昨夜はその雑誌を見ながら、日曜日に作ってみたい料理を考えていたようだ。

 「パパ、明日これ作りたい」と言って雑誌のページを見せてくる。材料のページを見ると丁度土曜日に買ったウインナーソーセージを使うようになっているし、メイクイーンも買い置きがある。買い足す必用があるのは茹でたトウモロコシくらいだ。日曜の午後から次女と息子と三人で近所のスーパーまで自転車で行く。ひとまずサラダは決まっているが、他の献立はどうしよう。娘は肉料理が良いようだ。色々考えながら買い物を済ませる。肉屋さんでコロッケとミンチカツを揚げてもらう。待つ間に果物屋さんでジューサーで作ったメロンジュースとパインジュースを飲ませる。後はみそ汁でも作ろう。

 サラダの材料は二人前でメイクイーン二個、ソーセージ二本、トウモロコシ大さじ一、マヨネーズ大さじ一、酢小さじ一、サラダ油小さじ一、塩ひとつまみ。我が家は五人だが次女と息子は食が細いので倍の量で作る。ボンメルシー二は一センチ方眼の書かれたまな板がある。それに材料を会わせてジャガイモを賽の目切りにする。ソーセージも一センチの輪切りにする。ジャガイモとソーセージはボウルに入れてラップして、電子レンジで4分加熱。取り出した材料に調味料を和えてできあがり。次女に台所を占領されていたのでみそ汁を作るのを忘れてしまった。以上今夜の献立。

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2005年9月 3日 (土)

管制塔被告連帯基金

 管制塔被告連帯基金の総額が8月30日現在で14148216円に達している。かつて三里塚闘争に関わった人々が次から次へとカンパを振り込んでいるのだ。三里塚の地に空港を持ってきたことその物への怒り、20年の時効間際になってから損害賠償請求を行ってきた手口、国家権力への怒りが澎湃と沸き起こっている。先日来三里塚闘争に関する記事をいくつか書いた過程で、当時の闘争に参加したときの怒りがよみがえってくる。国策のために農民や労働者に犠牲を強いる国家など打倒されなければならない。正義はかつても今も三里塚にある。

 10月末の集約に向けて一円でも多くのカンパを集めきろう。一人でも多くの人がカンパを通じて管制塔元被告を支え、三里塚闘争に連帯しよう。

郵便振替口座00130-3-445762 管制塔被告連帯基金
(送金の際は通信欄に領収書必要の有無と熱い連帯・激励のメッセージを)

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2005年9月 2日 (金)

成田九二八七号

 10・20三里塚戦闘で逮捕されると、僕は逮捕順に漬けられた番号で呼ばれるようになった。成田九二八七号がそれだ。20年前のことだから番号は記憶の間違いがあるかも知れない。千葉刑務所に移送され身体検査をされた、服の一切をはぎ取られ囚人服に着替えさせられる。その際入れ墨などの身体的特徴がないかを調べられる。両手にインクを塗りつけられて指紋と掌紋を採取される。逮捕当時に身につけていた衣類や履き物は全て押収品となる。

 未決勾留房の生活は基本的には一日中机に向かって正座する事を強制されていたのだが、僕は逮捕時に太ももを負傷していたことを理由に長座する事を許可されていた。最初の数日間は本もなければペンもノートもない状態だったので、机に向かってぼーっとするだけの生活だった。昼休みと夕食後にラジオが一時間ずつ流れるくらいで特に変化はない。時折取り調べと称して刑事や検察官が事情聴取を行うのだが、最初の家は黙秘で通していた。刑事達が様々な世間話から僕の口を開かせようと努力していることに対して、僕は刑事の目をにらみつけて黙秘を続けていた。こちらが法律の素人であったために刑事が10年以上の獄中生活を覚悟するよう恫喝をかけてくる。釈放後に刑事訴訟法の勉強をしたら、長くても二三年で出られる程度の微罪でしかなかったのだが、最初は真剣に悩んだ。

 ある時この先どうなるのかについて不安を感じて独房の中で泣いていたことがあった。見回りの看守がそれを見つけ、自白させるのに今がチャンスとばかり取調室へと連れて行かれた。感情が高ぶっていたからとうとう自供を始める。その時点で刑事から検察官に交代が為された。その方が心証が良くなるとか言っていた。住所氏名については秘匿したまま当日の行動については少し供述してしまった。独房に帰ると悔しくて担当弁護士さんに完全黙秘出来ていないことを電報で知らせた。翌日地区の常任が千葉刑の獄壁の外から僕の拘留番号を呼びながら激励に来てくれた。弁護士接見の際に母からの伝言として「息子は間違ったことはしない」と伝えられ再び黙秘を開始した。

 僕はてっきり23日目には起訴される物だと思っていたのだが、逮捕されたのが戦闘のごく初期の段階であり、機動隊三名の再起不能になるまでの戦闘成果を上げた人間ではなく、権力側の証人として取り込むことも出来なかったので釈放されることになった。起訴猶予処分という奴だ。千葉刑の外では全学連の小林書記長が出迎えてくれた。その日は三里塚の現闘本部に一泊した。

 帰りの新幹線では時々動員で一緒になる他所の地区の女性と青年とが乗り合わせた。獄中の話や戦闘の話をしながら帰ったのだが、この時同席した女性は後に僕と恋愛関係になる。詳しい話は後日書くことになると思うが、そんな思い出もあったのだ。

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2005年9月 1日 (木)

ペリカンロードⅡ

 昔週刊少年キングで連載されていた五十嵐浩一の「ペリカンロード」の続編で、オリジナルが連載されていた時のカルーチャと抗争していたFHH(フェルトヘルンハレ)を継ぐ者たちの話になっている。オリジナルから続いて登場しているのはFHH幹部のマキだけだ。

 主人公藤枝冬馬の伯父が抗争の果てに事故死した事でFHHは解散していたのだが、その抗争相手とは分派にあたるヴィルデ・ザウという凶悪なグループだった。時がたち冬馬が高校二年になるとザウが復活して、害虫駆除と称して手当たり次第に他のチームを潰して回っていた。Fを継ぐ物を探し、伯父の死の真相を知ろうとした冬馬は次第にザウとFHH残党との抗争に巻き込まれていく。

 オリジナルの時もそうだったけれど主人公は普通の少年でいつの間にか暴走族に巻き込まれていくというあたりが似ているのかな。僕的には同じ作者の作品でも明治大学のアイスホッケー部?に所属する主人公がハチャメチャな活躍をする「スクラッチタイム」や同じく乗馬部に所属する主人公の日常を描いた「めいわく荘の人々」のようなコミカルな作品が好きだが、これはこれで味があるかもしれない。検索していたらファンのサイトも見つけた。

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