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2005年9月26日 (月)

スターリン主義について2

 先日このブログを読んで下さっている方からメールを頂きました。(私のメールアドレスはプロフィールをクリックしていただくと掲載してあります)、「労働者によるマルクス主義研究」というサイトを開設され、地道に理論的検討をされています。その研究論文の内「スターリン主義はいかにして発生したか」をようやく読了しました。

 中核派におけるスターリン主義の規定については、以前にもこのブログで書いたことがあるのですが、「世界革命の放棄と、一国社会主義」に根源があるとなっています。基本的にこの問題意識を私は今でも持ち続けているのですが、それだけでは十分に納得できない部分を感じてもいました。それは何故にスターリンが党内闘争において勝利してしまったのか、何故トロツキーを除く当時の党指導部が唯々諾々としてスターリンの権力確立を許し、その専制の下で粛正されていったのかと言うことです。現役時代に何らかの形で学習したことがあったのかも知れませんが、現在では記憶にありません。少なくとも強烈に印象に残る形では無いのです。中核派指導部の説明では、世界革命の困難さの前に展望を失った当時のロシア共産党の内部で屈服、敗北主義が大勢を占めていったとあっただけでした。

 ではその様な潮流が党の主流派になって行けた条件とは一体何であったのか。その問題についてこの方は、党の官僚主義的変質がスターリンの勝利を準備していったのではないかと考察されています。官僚主義その物をスターリン主義とする人々も沢山いるのですが、それだけでなく、世界革命とその過程での現実の階級闘争の格闘の中で理論を検証しようとされています。今までの私は官僚主義についてはあまり考えたことがなかったのですが、今日、党から離れた状態の中で考えたときに、中核派の党内においても官僚主義の弊害が存在しているのではないか、その事によって党が大衆と広範に結合することが出来ていないのではないかと思うようになっています。その意味でこの論文は、私自身の問題意識を刺激してくれました。いくつもの文献を参考に上げていただいているのですが、恥ずかしいことにその多くは読んだことがありません。今後の私の理論学習の参考にしていきたいと思います。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 反戦・反ファシズム・日本国憲法擁護連合さん初めまして。ようこそお越し下さいました。そしてお招き有り難うございます。私は理論家ではないのですが、なぜか色々と書くようになってしまいました。勉強のためにブログにも伺わせていただきます。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 4日 (火) 14時53分

どうもはじめまして。詳細はのべられませんが、私は、大学で反日共系の某党派(具体的には対権力関係上伏せておきます)のシンパをしていました。ただ周りからは、党員だと思われているようですが、党員でもないし、大学卒業後はほとんど、関係をきっております。

ただ、ごくたまに、市民運動に参加する程度でしたが、一度旗をふったことから、私は、権力から圧力をうけることになってしまいました。・・・過激派キャンペーンというやつです。

さて、そんな私も、反スタ理論を自分なりに考えてみたいと思います。みなさんがたはいろいろな意見をのべられて、とても勉強になっています。

難しいことはさけて、単刀直入にいうと、スターリンは世界革命を進めていくことの恐怖があったのだと私は思います。ドイツ・イデオロギーを読めば、同時に世界革命を進めていかなければ共産主義は存在しえないということは自明です。

スターリンは、その確信と自身がなかったということだと思います。もっといえば、その理論ももちえなかった。そのために、自国を労働者の祖国といいなして一国社会主義建設に邁進していったのではないかと思うのです。しかも帝国主義論の不均等発展を歪曲して一国社会主義理論の根拠に捻じ曲げてしまうのですから。

みなさんがたの反スターリ二ズムの意見を私も吸収していきたいと思います。

よかったら、アッテンボローさん、私の掲示板とブログに遊びにいらしてください。
掲示板http://8918.teacup.com/tanaka/bbs
ブログhttp://navy.ap.teacup.com/union/

投稿: 反戦・反ファシズム・日本国憲法擁護連合 | 2005年10月 4日 (火) 13時42分

 NKさんいつも丁寧に教えていただいて有り難うございます。やはりスターリン主義を反革命として捉えるべきであるという点では僕自身の考えは変わっていないのですが、反革命に転落していく過程で官僚主義がどの様に働いたのかを検討するのは今までの私には欠けていた視点だと思います。
 労働者階級を共産主義の革命党に組織する事は、それなくしては篆刻主義を打倒することも、革命に勝利した後の社会主義社会、共産主義社会の建設も出来ないと言う点でも、私はやはり教条主義と言われようとマルクス・エンゲルス・レーニン・本多書記長の思想を徹底的に学び直していきたいと思っています。
 その上で従来は他党派の思想的営為について無知な部分が非常に大きかったので、それらの中からも批判的に摂取することが出来れば貪欲に学んでいきたいと思います。

投稿: アッテンボロー | 2005年9月26日 (月) 23時47分

今日の資本主義社会に限らず、階級社会においては、それぞれの階級は自分の階級的利害を実現するために政党(党派)をもつというのはどなたも異議のないところだと思うのですが、こうした階級的利害を政党(党派)の政治として実現できない階級はその未成熟ゆえに何をされても文句の言いようもないということでしょう。
それでは、近代労働者階級の階級的利害は何かということですが、それは共産主義社会の実現を通して自己と全人類の階級社会からの解放という点にあります。労働者階級のみが解放される社会などというもは想定しようがないわけで、必ず全人類の解放も労働者階級の歴史的使命として背負わなければならないわけです。(この意味で諸戦線の闘いは階級的自覚のために死活的意味を持つ)労働者階級の政党とは本質的には究極の利害である共産主義を実現するための共産主義者の党でなければならないわけです。逆に言えば共産主義の党を媒介としなければ労働者階級の階級的自覚と団結もさらにいえば、自分が何者であるかということすら分からないということです。
では労働者階級はどのようにして共産主義社会を実現していくのかということですが、まず階級闘争をとおして自分たちが支配階級として振舞えるだけの能力を獲得していくことです。ブルジョアジーをはじめとする旧支配階級とその同盟者を抑圧し解体する為の暴力の回復がその環になると思います。それなくしては、労働者階級の団結はおろか自己の人間的尊厳も取り戻すことはできないでしょう。国家の暴力として組織されたブルジョアジーの意思にたいして労働者階級の暴力を対置しなければならないのです。
次にプロレタリア独裁つまり武装した労働者階級の暴力を国家の暴力として組織しなければなりません。ソビエト的組織を旧来の国家形態と取り替えなくてはならないのです。ロシアにおいては、チェーカーおよび赤軍にとしてあらわれた、旧支配層とその同盟者に対する無慈悲な抑圧の機関はプロレタリア独裁の本質をなすものです。労働者階級は旧支配層と民主主義をわかちあう訳にはいかないのです。ここではジャコバンの政治こそが必要とされるのだと思います。
あまりにも前置きが長くなりすぎて反スターリン主義論について入れなくなってしまいましたが、私としては第一にスターリン主義を共産主義に対する反革命としてとらえること、つまり過渡期から共産主義に向かうのを阻止する反革命として定義すること。第2にその指標を赤軍の動員解除等をとうした労働者人民の武装解除とスターリン主義によるプロレタリア国家の暴力装置の労働者人民への抑圧の機関への転化、つまり労働者階級の暴力が奪われることの別の表現である官僚による暴力の独占と権力の簒奪を本質としてみるべきだと思います。
第3にレーニンの死による共産主義の党のスターリン主義反革命の党への決定的変質。
等々まだ論じる点はありますが、スターリン主義とは単なる官僚主義でも一国社会主義イデオロギーの勝利というのでもなく、過渡期における反革命として共産主義につまりは労働者階級の階級的利害の貫徹を粉砕する目的を持って現れたものとしてとらえられるべきものと考えています。

投稿: NK | 2005年9月26日 (月) 23時13分

 うんこさんご紹介のブログを拝見してみましたが、鬱病問題ではラックバックをつけていただいた方が良かったのではないでしょうか。内容についてはちょっと取っつきにくい感じでした。

投稿: アッテンボロー | 2005年9月26日 (月) 22時53分

鬱病を考えるブログ始めました。
http://blogs.yahoo.co.jp/xxxxx_unco_xxxxx

投稿: うんこ | 2005年9月26日 (月) 22時24分

 草加さん丁寧なコメント有り難うございます。中核派の場合官僚主義はスターリン主義から派生しているというとらえ方だと思うのです。世界各国の共産党の誤りの中で共通していると思えるのが理論的誤りとしての世界革命放棄と一国社会主義の絶対化だという考え方です。しかしそうなると中核派の中にもある官僚主義をどの様にして捉えるのかというのが難しくなりますね。
 実際にここ数年の清水議長による専制的な党内への締め付けなどを見ると、本当にこれが本多書記長の作った党なのかと思うことはありますが、本多書記長の暴力論にも問題があるとすると、今の僕には混乱だけが残ってしまいます。
 もっといろんな理論を勉強して、検証しないと行けないのでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2005年9月26日 (月) 16時59分

私の場合はやはり「官僚主義その物をスターリン主義とする」傾向が強いです。
「一国社会主義」などの問題は理論的な誤りであるわけですが、理論的に誤るなんてのはいくらでもあるわけです。むしろ自分達をふくめたあらゆる組織は、いくらでも誤りをおかしてしまうんだということを忘れてはいけないと思います。

こういう「理論的誤り」をスターリン主義の本質としてしまうと、結局は「自分達は正しい」という党の無謬神話に陥ってしまいます。結局はそれこそがスターリン主義そのものなんではないかと思います。
たとえば「世界革命路線」を掲げて、それに反対もしくは同意していないと党が勝手に決め付けた人々を、どんどん逮捕・処刑・粛清するのは、スターリン主義ではないのでしょうか?

私はスターリン主義発生の根拠は他者(人民)を自己(党)の道具や手足のように思考する資本主義的なブルジョアイデオロギーの未克服に求めています。
私の中核派に対する違和感は、かかる「自分達の『正しい』方針を共産党などの公式指導部のそれとおきかえることがスターリン主義との闘い」であるかのようにする発想と、人民全体の壮大でダイナミックな事業であるはずの世界革命や階級闘争を、「共同体(中核派)の影響力拡大=党派闘争」に切り縮めてしまう本多暴力論に対するものです。
総じて中核派が政権をとっても、スターリン主義的な政治が行われるのは火を見るよりも明らかなのでは?と感じてしまうのですが、いかがでしょうか。

投稿: 草加耕助 | 2005年9月26日 (月) 12時28分

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