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2005年10月 7日 (金)

良い知恵はない物か?

 先日「公共事業と部落差別」にたちばなさんから戴いたコメントが気になって仕方有りません。部落を抱える中学に通う娘さんが、部落出身の子供達によって傷つけられている。たちばなさん自身は部落差別の構造によって出身者の子供達が荒れたりぐれたりしていることに一定の理解を示しているし、差別その物にも反対の意思を持っておられる。でもその事を傷つけられた娘さんにそのまま話して理解を得ることは出来ないだろうし自信もないという。娘さんの傷ついた心を癒し、部落の子供達との間で分かり合える関係を築き上げ、そして荒れている子供達が逃げることなく部落差別と闘う主体になるためにはどの様な働きかけが必用なのだろうか。ひとまず以下にたちばなさんのコメントを引用します。

 「私の娘は、とある部落の中にある中学校に行っています。
 彼女がずっと悩んでいる事なのですが、授業中に徘徊する生徒、「病んでる」とか「気持ち  悪い」とか心無い言葉をぶつけてくる生徒はその小学校出身の生徒ばかりだといいます。
私は、部落差別をはじめ、あらゆる差別に反対しますが、このような現実をどのように受け止めればよいのか分かりません。
 宜しければ、教えてください。」

 「レス、ありがとうございます。
 おっしゃっている内容は理解できます。
 しかし、同級生からのそのような言葉に深く傷つき、人間不信になっている娘に現在の差別社会を説いてもなかなか届かないような気がします。
 それから、授業中に教室を抜け出す生徒の為にその都度授業は中断され、みんなで呼びに行き、勉強は進まない、呼びに行く集団に加わらなければ「病んでるんちゃうか」などという言葉を掛けられます。しかも、授業を中断させている本人は塾に行ってしっかり勉強ができてたりするんですよね。
 すみません。なかなか、このような内容の相談ができるところがなくて頭に血が昇っているようです。
 すみませんでした。」

 娘さんは相当悩み苦しんでいるようだ。私には部落差別に悩む子供達がいて荒れてしまうことは分かる。しかし、いざ自分の子供がその為に傷つけられた場合にどうすればよいかというと正直分からない。先日コメントでは部落の子供を腫れ物扱いせずおかしいことはおかしいと真剣になって向き合って喧嘩した知人の息子さんの話を紹介した。しかし、それは誰にでも出来ることではないし、どの様な場合にも通用するわけではない。まして今回は傷つき苦しんでいるのは娘さんの方なのだ。その娘さんの心をどうすれば癒せるのだろうか。 

 昨日図書館に行って数冊の本を借りてきた、教育関係の本ばかりだ。解放教育の入門書、学級崩壊のルポルタージュ。思春期の心理学などだ。今まで読みかけの本を横に置いてひとまずこれらの本を読み始めた。どこかに娘さんの問題を解決する糸口はないだろうか。このブログをご覧になっている教育労働者、部落解放運動の活動家の方あるいは同じような経験をされた方、どなたでも結構です。手がかりを下さい。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 maoさん、色々と有り難うございます。最初の部落差別の件は本人の自覚をどう作るかで思案しています。不登校についてはまず友達作りから始めようという点では娘とも話してみました。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 9日 (日) 11時17分

mao=hatです。今後はmaoで統一して書き込みます。
 私は教育関係者ということで、
 ホームルームで人権・差別の問題を生徒に語ることは教員にとって重いものです。なぜなら、この教師は口先だけか、本気で思っているかすぐ生徒が見破るからです。最近は少なくなりましたが、中学から高校を受験するときに、地元の高校を受験する運動(?)がありました。障害を持った生徒や、部落出身者などと一緒に地元の高校を受けようというときに、特に成績上位者は悩むわけです。進学校に進学するか、地元の高校に進学するか。おおげさにいえば、どんな人生を歩むか、いい高校に行って、いい大学、いい企業という人生について考え直すわけです。最近は一部の親の反発もあり地元高校育成の集中受験運動もなかなかできないようです。
居住地が関西なら他の地域より人権(解放)教育が行われていると思います。総合学習などやホームルームで取り組まれている場合があります。
 別件の不登校の件です。
 進学先は、単位制や通信制を考えるのがよいと思います。子供さんに、同年齢の話のできる友人がいることが一番だと思います。学習面は、親と一緒に学習すればよいことです。子供が本を読むことが好きかどうか、文章を書くことが好きどうかででもペースは変わってくると思います。
私は学生時代から活動はいい加減、仕事をしているときもいい加減にしています。あまり自分を追い詰めないようにしてくださいね。精神的に疲れますから。

投稿: mao | 2005年10月 9日 (日) 08時07分

 hatさん初めまして。子供同士の関係をどう作るかが確かに大切ですね。教育労働者が労働者としての自覚を持っている人とそうでない場合でもかなり対応に差が出てくるでしょうが、どの様にすれば部落外の子供から部落の子供に対して働きかけるか、働きかけることの出来る主体をどう作るかでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 9日 (日) 07時05分

教師が集団として、荒れた生徒にかかわっていけるかが問題ですね。
しかし、生徒が本当に変われるのは、生徒同士の関係の中で変わるものだと思います。
そのための環境を教員は作るべきでしょう。ホームルームでまじめに、自分の家のことを語ったり、将来の進路(中学生の場合は特にどこの高校に進学するかがが大きな問題)を語り合うことは必要なことです。
こどもたちは、社会の矛盾を感じながらも、たくましく生きていくと思います。

「こどもの荒れはこどもが差別に負けた姿」であるわけですから。

投稿: hat | 2005年10月 9日 (日) 01時03分

 NKさん、度々のコメント有り難うございます。確かに差別と闘う一般民として覚醒して貰うためには本人が現実に立ち向かう中でしか契機は訪れないと思います。では周囲の大人はどの様にしてその援助が出来るのだろうか。それが私にとっても、たちばなさんにとっても悩ましい問題であるのです。
 私の住む街には大きな部落がいくつか存在しています。現在子供達が通う小学校、中学校の校区には部落はないのですが、部落出身者が点在しているために市内の学校は基本的にすべてが部落差別の問題に直面しています。私の子供達が差別を許さない人間、差別と闘う主体として成長して貰いたいとの思いがありますから、たちばなさんの娘さんのことは人ごとに思えないのです。
 私自身について言えば改めて帝国主義打倒の闘いに立ち上がることで、その闘いぶりを通して子供達の手本となることが出来るかと思うのですが、そうではない親の場合、せめて子供が部落差別はおかしいと思って貰うことから始める始めなければならないと思います。
 どうも私はお節介な性格なので力量以上のことに手を出す傾向があるようです。何とかしてたちばなさんの娘さんの力になりたいと思います。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 8日 (土) 20時09分

こういってしまうと、みもふたもないのですが、子供のことは子ども自身が解決するほかはありません。
その子自身が強くなって相手に立ち向かうほかないのです。そうやって相手に自分を人間と認めさせるほかないと思います。また、この過程を経てはじめて相手が置かれている立場も理解できるようになるのです。実際私自身も子供にはこのようにしてきました。
つぎに「差別意識を持たないで成長してもらうにはどうすれば良いか」とのことですが、意識的に差別と闘わなければそうはなりません。だいたい差別は「意識の問題」ではありません。必ず抑圧という実態を伴っているのです。社会によって、「この線からでてはならない」「お前たちはここに止まれ。」というの強制があるのです。この抑圧の実体が表面的には差別的言辞として現れるのです。小泉自民党によって野中弘務に対してなされた許しがたい仕打ちは、この現実のひとつです。
差別と抑圧を切り離し、さらに意識の問題にまで切縮めることは融和主義に典型的な考えですが、こうしたイデオロギーをとおして部落差別(抑圧)が帝国主義に特有の分断支配の問題であることを隠蔽し、解放の主体である部落人民の存在を抹殺するものといえるでしょう。またこのことは差別を作り出した帝国主義を転覆して共産主義へ向かう道筋で、部落人民の怒りを自身の怒りとして共有する一般民の覚醒と連帯の過程が不可避であるということです。この過程を通して初めて「差別意識を持たない」人間が新たに形成されるものと考えます。

投稿: NK | 2005年10月 8日 (土) 19時48分

 NK さん いつも有り難うございます。部落差別が背景に有って子供たちが荒れている事は私にも理解出来ます。教育労働者や解放運動の活動家が部落差別との闘いに立ち上がる中にしか解決の道は無いと思うのですが、一先ず部落出身の子供によって傷つけられている一人の少女をどのようにして支えるのかが問題意識に有ります。たちばなさんの娘さんが部落の子供たちとの間でどのような人間関係を築くか、差別意識を持たないで成長してもらうにはどうすれば良いかが一先ず重要かと考えます。全体の問題は直接関わる事の出来ない私にとってはとても手に負えません。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 8日 (土) 17時37分

つづきです。
秩序に反抗する子供たちにもそれぞれに理由があるはずです。誰がかれらをして反抗を余儀なくさせているのか、彼らの怒りは正当なものではないのかというところから、考える必要があるのではないでしょうか。

投稿: NK | 2005年10月 8日 (土) 16時31分

現象としては「荒れる教室」であったり、「いじめ」であったりすることも、隠された本質は部落差別であることが多いと思います。まず学校そのものが差別と抑圧の機関であることを認識する必要があります。差別と抑圧を「人権、平等」の問題にすりかえることは許しがたい欺瞞であり、今日の学校教育はこのもとに抑圧の機関として日々機能していると言えるでしょう。「荒れる子供」についても地域全体でなされる抑圧に屈服して「よい子」でいることが果たして「健全」といえるでしょうか。

投稿: NK | 2005年10月 8日 (土) 16時13分

 自営業者さんご教示有り難うございます。早速探してみます。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 8日 (土) 07時32分

「クラスはよみがえる」(創元社 ISBN4-422-11127-2)が参考になると思います。
アッテンボローさん自身にも役に立つかと思います。じっくり読み込んでみることをお勧めします。

投稿: 自営業者 | 2005年10月 8日 (土) 01時50分

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