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2005年10月 5日 (水)

「原発事故はなぜくりかえすのか」

 高木仁三郎さんの「原発事故はなぜくりかえすのか」を読んでいます。読み始めたのは九月の二八日でその日の内に約三分の一は読めました。原発を巡る様々な事故の背景には安全という物にたいする意識が関係者に欠如しているのではないかと言うことと、原子力産業の関係者の間において「議論無し、批判無し、思想無し」と言わしめるように三無い主義がはびこっていることが大きな問題であると書かれています。

 この本の冒頭は九九年九月三〇日の東海村JCOでの臨界事故から書き始めているのですが、なぜそれほど危険な事故が起こったのかを解き明かす中で、亡くなった作業員達の個人の責任に帰するのではなく、日本の原子力産業全体が持つ問題に迫っています。普通の産業では様々な底辺となる技術が集まってきて一つの製品なりなんなりを形作っていくわけですが、原子力についてはそもそもの始まりが原子爆弾、核兵器を開発するために始まった。つまり大量殺戮兵器を作るために始まったために底辺となる技術も経験も蓄積も不足した状態から始まっていると言うことに問題があるようです。

 そこに持ってきて日本における原子力政策は中曽根康弘がかなり強引な手法で予算を獲得し、アメリカから移植するような形で始めたことに始まるためにより一層底辺がない。中曽根自身が著書の中で述介しているのですが、四五年八月六日のヒロシマへの原爆投下を松山から見て「これからは科学立国の時代だ」と思ったそうです。日本においても核武装の将来的必要性を彼は思って始めたと言えるのではないでしょうか。上意下達で有無を言わせない形で始まった物ですから、先に述べたように三無い主義がはびこり、原子力における様々な問題点、危険性について社会に広く知らせようとする研究者、技術者は居所が無くなっていく産業構造にあるようです。当然の話ですが「原子力村」とまで呼ばれる前近代的な閉鎖的産業界の中では内部における問題提起も握りつぶされてしまう。そこから原子力産業発の中における安全無視がはびこる風潮を作っていると書いています。

 まだ半分しか呼んでいない状態なので、この本の内容を法統に理解できているかと言えばそうではないのですが、ある意味で日本の開国以来の富国強兵政策とそれに対するあり方、日本社会全体の異論や批判を許さない社会のあり方その物の縮図が原子力産業にはきわめて悪い形で現れているのではないだろうかと指摘されています。

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「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

 kamakazu さんお早うございます。勉強不足で高木さんの本を読むのはこれが初めてなのですが、もっと早くに読んでいれば良かったと思います。改めて技術者、科学者の立場からの原発反対運動をなさっていた高木さんの偉大さを知ったような気がします。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 8日 (土) 07時35分

トラックバックありがとうございます。
最後の部分の、
>ある意味で日本の開国以来の富国強兵政策とそれに対するあり方、日本社会全体の異論や批判を許さない社会のあり方その物の縮図が原子力産業にはきわめて悪い形で現れているのではないだろうかと指摘されています。

そんなことを書いてましたか!読んでないけど、私と似た結論です。原子力なんて、所詮、軍事技術。何人死のうが、多少犠牲が出ようが効果があればそれでよし!です。異議は認められません。異議をさしはさむ者は抹殺対象です。なにしろ、国策を支援すべく、与党関係者はもちろん、やくざも警察も動く。ウソはつき放題。三里塚だってそう。空港が本当に必要で、そこが最適な場所かなんて、途中から考えれなくなる。科学的(?)じゃなくなるんです。それを支える御用学者に御用マスコミ。ちょっとオーバーかもしれませんけど、あらゆる縮図が原発の中に見える。

投稿: kamakazu | 2005年10月 8日 (土) 01時56分

  ippoさん初めまして。私も基本的に原発は全廃すべきだと思っています。只、現実問題として原発が存在する以上、事故をいかに無くすかという問題は避けて通れないと思います。こんな事を書くと安保と自衛隊の問題のようにややこしくなるかも知れませんが。、それでも私は原発反対、ついでに自衛隊反対です。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月 5日 (水) 23時36分

事故というものは、必ず起こるものだと考えます。
安全に対する意識が欠如していることによって起こることは事故ではなくミスではないかと思います。

私が原発に反対する理由の一つは、いくら安全に配慮しようとも起こりうる事故が起こった場合に、取り返しがつかないことになるからです。

投稿: ippo | 2005年10月 5日 (水) 22時26分

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