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2005年10月21日 (金)

共産党が古典を読まないわけ

 日本共産党は世間一般では「共産主義」の党だと思われている。そして彼ら自身自分たちが「共産主義者」だと思いこんでいる。だがしかし不思議なことにマルクス・エンゲルス・レーニンの古典、例えば「共産党宣言」「社会主義と戦争」「国家と革命」などと言った文献は基本学習文献から排除されて久しい。80年代に私が革命運動に身を投じた頃、既にそうであったから相当長い期間共産党は古典を読まない党風を持っていることになる。では彼らはどの様にして「共産主義」を学んでいるのだろうか。宮本顕二、不破哲三といった共産党指導者が古典を読んで解釈した共産党の文献を通じてである。

 そしてその理由は、どのブログの記事でったかコメントであったか直ぐに検索できなかったのだが、古典を学んだ共産党員の多くが分派活動をしたり離党したり、あるいは党に留まっている場合であっても「さざなみ通信」に見られるように中央指導部に対して批判的見解を持ってしまうからなのである。極言すれば、マルクス・エンゲルス・レーニンは日本共産党にとって都合の悪いことを言っているのだ。例えば私は元中核派なのであるが、党の下に結集して以来、機関紙に掲載される最新の論文と同時並行して古典を学ぶように指導された。新左翼の場合多くはそうであるらしい。(新左翼からファシストに転落したカクマルを除く) 新左翼は古典に書かれている共産主義の本質をどの様にして現代に当てはめるのかを真剣になって思考しているのだが、共産党はそうではない。

 例えばマルクスは「労働者は祖国を持たない存在である」として労働者が国境も民族も乗り越えて階級として団結し、資本家階級と闘うことを訴えている。「万国のプロレタリア団結せよ」と結ばれる「共産党宣言」のように「愛国心」を捨てる事を訴えている。レーニンは「社会主義と戦争」の中で自国帝国主義の敗北を促進することを訴え、革命的祖国敗北主義を提唱している。さらに「国家と革命」ではマルクスのフランス三部作「ボナパルトのブリュメール18日」「フランスの内乱」などでえぐり出された国家に関する革命的考察を復権させている。国家とは階級対立が不可欠になった歴史的段階において、支配階級が被支配階級を抑圧・支配するための暴力装置であるとして国家の廃絶こそが共産主義者の目指す物であることを明確に提起しているのだ。つまり地球上から「国家」という物がなくなって初めて共産主義が実現されるという「世界革命」の立場を堅持している。

 それに対してスターリン以降の「共産主義者」「共産党」は、一国において共産主義の実現が可能であるように言いなして世界革命に敵対してきた。日本共産党もそうである。何よりも彼らが言う「自主独立の党」「真の愛国者の党」という言葉が、彼らをしてマルクス・エンゲルス・レーニンが訴えた「共産主義」とは異質の物であることを示している。私自身以前に妻が民主経営の職場で働いていることを書いたが、そのお付き合いの加減で赤旗日曜版は定期購読している。だがしかし読めば読むほど日本共産党の言っていることとマルクス・エンゲルス・レーニンが古典において説いていることとの違いに気づかざるを得ないのだ。「羊頭狗肉」という言葉がある。日本共産党は実は共産主義・共産党とはまったく異質な存在なのである。そしてその事を隠蔽するために、党員や影響下にある大衆に対してマルクス・エンゲルス・レーニンの古典を読まないように指導しているのである。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 ぶどうちゃんさん初めまして。共産党にとって古典は必読ではないんですよね。国際主義なんかどこかへ行ってしまっていますから。
 反戦・反ファシズム・日本国憲法擁護連合さん今日はメールアドレスでしたらプロフィール欄に載せてありますが、お話に興味がありますのでこちらからさせていただきます。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月29日 (土) 16時20分

あと、アッテンボローさんにメールをしたいのですが、よければ私あてにメールをいただけたら幸いです。ちょっと面白いお話ができそうだと思いますので。

投稿: 反戦・反ファシズム・日本国憲法擁護連合 | 2005年10月29日 (土) 11時28分

ぶどうちゃんがいいことをいっていると思います。「労働者は国際連帯ができるのに、日本共産党は、国際連帯を許さず、もし党の了解を得なければ除名もしくは除籍させられるのです。まさに民族主義政党に転落してしまいました。」私も、そう思います。

投稿: 反戦・反ファシズム・日本国憲法擁護連合 | 2005年10月29日 (土) 11時25分

 管理人さん、初めまして。私が日本共産党員の時に古典を重宝していました。しかし党内は、古典よりも宮本顕治や不破哲三、志位和夫の著作本の普及に力を入れていました。党は、指導者の本を読めばイデオロギーを身につけれるといった態度でした。批判的な党員が批判すると徹底的に詰められます。
 現在残っている党員は、「不破命!」「志位命!」と言ったマルクスやレーニンの精神から逸脱し、時代の見通しのでき無いようになり、疲労困憊の感覚になっています。これは、創価学会よりもセクトになっています。
 労働者は国際連帯ができるのに、日本共産党は、国際連帯を許さず、もし党の了解を得なければ除名もしくは除籍させられるのです。まさに民族主義政党に転落してしまいました。

投稿: ぶどうちゃん | 2005年10月29日 (土) 05時45分

 日本共産党は、組織論だけはレーニン主義だからなあと専従が言っていたことがあります。その辺が今日でも簡単に崩れない訳でしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月23日 (日) 16時32分

私は日本共産党については少し違う見解を持っています。完全な暴力革命否定ではなく、まだ公式的には「敵の出方」論を清算してはいない状況ではないでしょうか。だからこそ、まだ警察権力の監視対象からは外れていないのだと思います。
議会を通じての社会主義を掲げた、ほぼ同じ路線の70年代ユーロ・コミュニズムが、その後に社民化していった経過、あるいはソ連崩壊後に「共産党」を名乗る政党が多く消滅していったことを考えると、日本共産党は未だに独自の堅塁を保持していると言えます。
良くも悪くも「自主独立」路線を宮本時代に構築してきた遺産が、そこにあるのかもしれません。一概に「スターリン主義」として批判することでは、そういう側面を見逃してしまうのではないでしょうか。

投稿: 主義者Y | 2005年10月23日 (日) 16時17分

 小川さん今晩は。「赤旗」の日刊紙の方はサイト上で読んでいます。全てを読むのは無理ですが、見出しが面白そうな物を中心ですね。
 記事を書いたときには見つけられなかったのですが、ともえさんの所にコバコバさんが古典を読むより不破氏の著作を読むようかいていました。それと私の身の回りの党員も基本的に読んでいませんね。
 gakuseiさん、中核派は党としてはローザ・ルクセンブルクやプレハーノフ重要視しませんね。あくまでレーニン主義ですから。トロツキーについては批判的に摂取するという物です。
 NKさん、ご指摘のようにマルクス・エンゲルス・レーニンの言葉の一部を取り出して彼らの理論が持つ革命性を否定して行く動きは多いと思います。中核派における古典学習にまでその危険性があるとは信じたくないのですが、本多著作選の学習が後退しているように思えますので、その心配もないとまでは言い切れませんね。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月22日 (土) 21時38分

共産党員がマルクス主義のいわゆる古典を読まないとは思わないのですが、その解釈については、マルクスやレーニンの目論んでいたものとは、かなり違うといえるでしょう。スターリン主義運動の本質として、ブルジョア社会との「平和共存」の範囲内での理解ということでしょう。
しかしながら、マルクスの言葉をもってブルジョアジーとプロレタリアートの階級的敵対関係の非和解性を否定し、レーニンの言葉を借用して、「プロレタリア独裁論」を否定する潮流はあとを絶たないように思われます。
今日の中核派における古典の学習運動もそうした危険性をはらんでいると私は理解しています。本多理論と宇野経済学の成果のなし崩し的な否定がその根底にあると思わざるを得ません。
この道は、スターリン主義と革命的共産主義の分裂の歴史と運動を、ブントに代表される中間主義の諸潮流がたどった道にに転落させることになるのではないかと危惧しています。

投稿: NK | 2005年10月22日 (土) 20時32分

situmon desu.
中核派 dewa, Rosa Luxemburg o yomimasu ka?
mata, Lenin no "gaibu tyu^nyu^ ron" ni taisuru Plekhanov ya Trotsky no hihan ni tuite wa do^yu^ kenkai desu ka?

投稿: gakusei | 2005年10月22日 (土) 08時44分

「日曜版」に書いてあることが党の見解の全てであると思わない方がいいですよ。「赤旗」の日刊紙の購読もおすすめします。

ちなみに、

>では彼らはどの様にして「共産主義」を学んでいるのだろうか。宮本顕二、不破哲三といった共産党指導者が古典を読んで解釈した共産党の文献を通じてである

は根拠が薄いですね。その理由は後ほど、僕のブログで・・・。

投稿: 小川 | 2005年10月22日 (土) 07時33分

 私の見解は中核派式のっていは独自の軍事大国化をもくろんでいると言う物ですから、共産党などが言う「植民地体制」とはまったく違う物です。以前日帝の軍事大国化について書いた小論がありますので参照していただければ幸いです。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月21日 (金) 23時56分

アッテンボローさんこんばんわ。
共産党の戦後日本の分析は、米国に従属する植民地的国家―被搾取側的立場にあると、若い頃聞いた事があります。
確かに一部的(日米安保では指揮権を向こうに握られているでしょうし。国軍ではなく自衛隊と称さねばならないんですから、今の所は)にはそうかも知れませんが、経済面では国際的に触手を伸ばす、所謂帝国主義的経済活動(経済侵略)を、第三諸国を相手に行っている訳ですが、共産党は頑迷に規定を変えず、日本を被支配側にあるとして、其に即さなければ、基本すら枉げてしまう、という事なのでしょうね。

投稿: 怪星人カピア | 2005年10月21日 (金) 23時25分

 ヒサカズさん今晩は。日本共産党は暴力革命論を否定することで共産主義を根底から批判していますから、実際に「国家と革命」を読ませたくないのだと思います。人民の暴力、革命的暴力を否定しながら、革命的左翼に対しては民青のゲバルト部隊で襲撃を繰り返した共産党らしいと思います。
 あおざかなさん、今晩は。私が所属していた地方委員会と地区党は基本的に古典の学習についてどうこう言うことはありませんでした。例えば02年から03年にかけて「国家と革命」の学習運動があって再読したのですが、それに対して解説本は示しましたが、それを読んでから古典を読もうと古典を読んでから解説本を読もうとどちらでも構わないという形で指導がありました。
 勿論古典の学習会という物は色々と有ったわけですが、先ずは自分で読んでみなさいと言うスタンスが20年間有りました。他の地方委員会や学生戦線においては違う指導があったのかも知れませんが、中核派は自分たちの古典解釈に絶対の自信を示していましたので好き勝手に学習させてくれました。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月21日 (金) 21時05分

これはしかし、共産党に限った話ではなく、
バイアスがかかった読み方しかしない(させない、もしくはできない)
という意味では、もすこし普遍的な話ではないかと?

投稿: あおざかな | 2005年10月21日 (金) 20時22分

「国家と革命」って、暴力革命容認している記述ありますよね。そいうのって、党員に読ませたくないのでしょうね。

投稿: ヒサカズ | 2005年10月21日 (金) 19時55分

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