« 法案は成立しても郵政民営化には反対だ。 | トップページ | カミさんキレまくり »

2005年10月12日 (水)

86年春の闘い

 天皇在位60周年記念粉砕闘争、東京サミット粉砕闘争、そして泉佐野市議会議員選挙闘争と86年の春は様々な闘争が重なり、とても忙しかった。関西で活動しているために主たる活動は泉佐野の選挙に全力を割いていたのだが、それでも時折東京への動員があり文字通り東奔西走の日々であった。

 天皇即位60周年記念粉砕闘争の過程では、右翼が集会場に爆弾を仕掛けて不発になるなど、結構緊迫した情勢があったし、サミット粉砕闘争については当時の週刊誌などで中核派を始めとするどの党派がサミットを粉砕するのかが真剣に論じられていた。漫画家の中原裕が少年サンデーにデビューした作品には高校生が中核のヘルメットを被って登場したり、青年誌ではサミットに潜入したスナイパーのマンガが掲載されたりした。横田基地に対する迫撃砲戦闘の着弾距離が権力の情報操作で実際より短く発表されたために、サミット会場の迎賓館を狙ったイカロス(中核派の迫撃砲弾の名前)は標的を飛び越えるというおまけがあった。サミット当日は集会などには参加することはなく選挙の拠点となっていた泉佐野の公団の一室でテレビを見ていた。ゲリラ戦の報道を見てみんなが「良し、やった」と歓声を上げていた。

 選挙その物は結構ハードな動員であった。丸一日をかけて一千枚のビラを全戸配布したり、駅頭で関空反対の署名を集めたり、候補者の熱心な支持者の自宅を防衛するための不寝番に付いたりと色々な任務があった。選挙その物は国賀祥司(こくがよしじ)候補が権力の弾圧を食い破って見事当選を果たし、関空絶対反対の立場からの市会議員となった。仰天した警察権力は公選法違反公正証書原本不実記載で運動員を大量逮捕してのだが、全て無罪放免となった。逮捕の理由は住民票の虚偽の移転なのだが、実際に公団住宅に住み着いて職場に通い、仕事が終わるや泉佐野に駆けつけて選挙運動をしていたのだからデタラメきわまる弾圧であった。

 私自身休日には泊まり込んで選挙活動を行っていたし結構ハードな活動であった。そんな活動の中で一時の楽しみがあった「活動家の恋愛」で書いた女性と動員で顔を合わせて会話することが楽しくてしょうがなかった。ビラまきの休憩を合わせて一緒に食事をしたり往復の電車の中で世間話をしたり、それはそれで結構楽しかった。ある時彼女が財布を落として困っているところに出くわして、僕が交通費を立て替えたこともあった。その過程を通じて親しくなっていったのだ。今となっては楽しい思い出である。

 宜しければクリックして下さい。 人気ブログランキング

|

« 法案は成立しても郵政民営化には反対だ。 | トップページ | カミさんキレまくり »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 NKさん今晩は。なんか最近の中核派はおかしくなったような不安感を覚えます。本多書記長存命の時期は知りませんが、伝聞では非常におおらかな党風があって、他党はからも尊敬の念を抱かれる政治局員が沢山いたそうですね。どこがおかしいのか的確に言葉に出来ないのですが、どこかおかしいと思います。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月18日 (火) 22時25分

ちょっと前の杉並選挙のときの他候補への不起立批判が思い出されますが、こういう低水準な批判はすべきではないでしょう。だいいちこうした硬直した思想は自分の手を縛ることに等しいと思います。
元中核としては苦々しい思いでいるのでが、革命的共産主義の思想と政治の喪失として受け止めなければならないと考えています。

投稿: NK | 2005年10月18日 (火) 20時15分

 サラダさん今晩は。月日が流れても中々過去を忘れて大同団結に続けることは難しいようですね。私としては反対同盟の分裂を止揚する立場で大きな政治を打って欲しいと思うのです。それすら出来なくて今日の新左翼の低落ぶりを反転攻勢に結びつけることは出来ないのではないでしょうか。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月16日 (日) 22時49分

 >でも、20年たっても、下記のような言い方をする人たちが存在するのを見ると、なんとなく寂しくなります。怒りではなく、悲しいのです。

なんとなく分かる気がします。
思想的な立場に立ったら、そう批判ができるのだろうけど、当事者になったらどれ程重圧な事か・・・。これを書いた人自身はどうなんだろうって思いました。

投稿: サラダ | 2005年10月16日 (日) 22時39分

 蓑田植さんコメント有り難うございます。私の場合ずっと労働戦線でしたから学生運動であったような激しい党派闘争は経験がないのです。経験された人たちにとっては色々と辛い思いなどもあったのでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2005年10月13日 (木) 17時51分

 空気を吸った時期が被ってますね。1986年はF君が不幸なことになり、そして、サミットは関西からはバス会社への締め付けのためチャーターできないという異常事態がありました。そして、Y寮の新寮を要求する運動は、「脱落派」といぢめられました。そういう経過であっしは、ムーブメントの現場を離れました。
 
 でも、20年たっても、下記のような言い方をする人たちが存在するのを見ると、なんとなく寂しくなります。怒りではなく、悲しいのです。

中核派『HP版三里塚現地日誌』10月6日
http://www.zenshin.org/syuu_san/nisshi05/nisshi0510.htm

「脱落派はすでに崩壊し、権力の空港建設の先兵になっているが、その支援党派も国家権力の1億円損害賠償の強制執行攻撃に全面的に屈服し、反権力の砦=三里塚闘争に泥を塗っている。78年3月の開港阻止闘争が正しいとの立場に立つならば、国への賠償金支払いなど拒否以外にありえない。相手は国なのだ。なぜ敵権力に“謝罪”するのか? あの開港阻止闘争で権力に殺された仲間に、党派としてどう顔向けするのか? 『苦渋の選択』などとはあまりに見苦しい責任逃れだ。恥ずべき屈服と言う他はない」

投稿: 蓑田植 | 2005年10月13日 (木) 00時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111250/6370937

この記事へのトラックバック一覧です: 86年春の闘い:

« 法案は成立しても郵政民営化には反対だ。 | トップページ | カミさんキレまくり »