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2005年12月10日 (土)

11・29戦闘を検証する

 草加さんの「旗旗」の記事で「ゲリラ闘争と大衆運動」として、私のブログの「十月の挑戦」にトラックバックを頂きました。その記事と、「療養生活」に付いたきよっぺさんの書き込みとが、共に11・29戦闘の意義について疑問を呈しています。正直言って私は元中核派なので、中核派の今日の見解については「前進」2225号六面に全学連元委員長鎌田雅志さんの寄稿が有りますのでそちらを参照して貰うのがよいかと思います。ですから私のブログでは中核派の見解とは違うことを断った上で、自分なりに思うことを述べたいと思います。

 先ず、動労千葉の85年11・28~29の国鉄分割民営化反対のストライキについては特に意義に疑問を差し挟む人は居ないと思います。問題はそのストライキを支援するために中核派が行った29日未明の全国一斉ゲリラ闘争と浅草橋戦闘とがストライキに傷を付けたのではないかと言うことです。草加さんの場合は「浅草橋襲撃はどうでしょう。あれは意図がよくわからなかった。動労千葉が「私達とは無関係」と声明せざるを得ないような闘いはやるべきではなかったのでは?」「浅草橋襲撃のために、中核派への大衆的支持は、反権力実力闘争を闘う勢力への支持から、「なんかよくわからんが、今の世の中をかきまわしてひっくり返してくれそうな人々」への支持というような無政府主義的なもの(こういう人は実は大変に多かった)に後退してしまったと思います。それがいま一つレーニン主義的な組織建設に結びつかなかった遠因ではと思います。」きよっぺさんの意見では「動労千葉による労働者の戦いとしてのストライキが全国鉄労働者、全労働者に与えた影響は多大なるものでした。しかしながら、戦士には申し訳ありませんが、中核派による浅草橋駅襲撃等、同時多発ゲリラは、国民には単なる列車運行妨害でしかなく、動労千葉の闘争、ストライキを歪曲して報道させただけの軽率な行動と思ってます。」とお二人とも厳しい見方をしておられます。

 大衆闘争の戦闘的発展という見地から今思うと、私は浅草橋ではなくスト拠点であった津田沼において、電車区を包囲する機動隊との間で大衆的武装闘争を貫徹して津田沼電車区の労働者との合流を勝ち取り、スト支援集会を目指していればより一層明瞭な形でストライキ支援のために労働者大衆が実力闘争に立ち上がったと言うことが示せたのではないかと思います。実際、電車区を一蹴するデモの過程で私たちの間で交わされていた会話では、「先頭部隊は武装していて、10・20のような闘いをここで再びするのだ」ということが言われていました。もし本当にその様な闘いが出来ていたらと、残念に思うのが今日この頃の事です。

 唯、実際に兵站の問題などがありますから、津田沼で戦闘が出来たかどうかと言うのは、当時の指導部の判断がどの様な物であったかを知ることの出来ない私の意見はあくまでも後知恵でしかないのです。戦力をどこに集中し、その兵力にどの様にして武器を渡すのかという戦術上の問題は、おそらく様々な可能性を追求した結果として浅草橋戦闘と早朝のゲリラ戦とを選択したのだと思います。当時動労千葉はストライキに立ち上がっていたわけですが、動労中央カクマルは組織をあげてスト破り要員動員に協力していました。更に闘う方針を打ち立てることが出来なかった国労も、平常業務を行うという形でストに敵対する方針をとっていました。その情勢の中で果たして動労千葉単独でのストライキが29日も整然と打ち抜くことが出来ていたかどうかは疑問もあるのです。私としては政治的にはより良い選択があったとは思えても、現実に取り得る戦術の中から選び抜かれたやむを得ない物だったのではないかと思っています。

 参照記事「動労千葉の物資斡旋」「国鉄分割民営化に反対した動労千葉のストライキ」

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