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2005年12月16日 (金)

86年の二重対峙対カクマル戦

「前進」2225号、鎌田雅志元全学連委員長の記事から引用

「10・20戦士(58被告)には、3年を超える未決勾留と2人の実刑を含む有罪判決が加えられた。私については、デモに先立って行われた反対同盟主催の総決起集会で、全学連中央執行委員会を代表して5分間の演説をしたという事実しか、権力は明らかにできなかった。ところがこの演説ひとつをとらえて「事前の計画も準備も現場での決意の形成も鎌田がやった」として懲役4年の実刑攻撃を加えてきた。
 11・29戦士(39被告)には、一審東京地裁・中山善房裁判長の夜間公判の繰り返しと退廷の乱発などに代表される治安裁判が強行され、私に懲役10年、ほかの34人にも懲役8年2人を含む実刑判決による長期投獄の攻撃が加えられた。
 国家権力による報復弾圧に小躍りしたファシスト・カクマルは、翌86年1月20日に京都大学を襲撃し、クラス討論中の福島慎一郎全学連副委員長代行(山口幸一副委員長は獄中)を虐殺した。
 日帝・国家権力と反革命が一体となった報復攻撃に対し、われわれは激しい怒りを燃やして裁判闘争と獄中闘争を完全黙秘・非転向で闘いぬいた。星野文昭同志、富山保信同志、86年10月および迎賓館・横田の爆取弾圧被告団を始め、デッチあげや他の闘争弾圧で投獄された同志たちを含めて総勢120人の獄中戦士団は、一心同体の強力な団結を打ち固めて闘った。20人の弁護団、家族と支援者、救対の献身的な働きによって支えられたわれわれの闘いは、85年蜂起戦の偉大な勝利を打ち固め、さらに大きな力として敵にたたきつけるものとなった。」

 85年の二つの闘いを経て満身創痍の状態にあった革共同と中核派に対して、反革命ファシストカクマルは、第二の12・4反革命とばかりに襲いかかってきた。全学連の鎌田雅志委員長と山口幸一副委員長を始めとする多くの活動家が獄中にある時を狙い、71年の11月決戦直後の12月4日に辻・正田両名の全学連戦士を虐殺したのと全く同じ「権力は中核派の首根っこを押さえ、革マルは急所を蹴り上げる」と称した襲撃が86年1月20日に京都大学においてかけられ、福島慎一郎全学連副委員長代行を虐殺したのだ。

 当時の力関係では、80年の10・30戦闘による反革命JAC五名一挙完全殲滅の大勝利で中核派が圧倒的に有利な状況であったが、それ故に一発逆転を狙った反革命襲撃、1・20虐殺に手を染めたのだ。カクマルは決して権力とは闘わない。当時の動労本部カクマルが国鉄分割民営化の尖兵として立ち振る舞い、国労動労千葉への敵対を繰り返す中、中核派が実力闘争を闘い、動労千葉が分割民営化に反対してストライキを打ち抜いて闘う姿は、奴らにとって自分たちの反革命性・反労働者性を暴く存在として我慢することが出来なかったのだ。 カクマルの悪行は、国労内部のカクマル分子を組合から脱退させ、真国労なる組合を動労カクマル・鉄労・全施労三者一体となって結成させる等、止まるところを知らなかった。

 そのカクマルに対し確か9月1日であったと思うが、全国で一斉に鉄槌が下された。動労カクマル・真国労カクマルに対して革命軍の戦闘が叩きつけられ、一名を完全殲滅、八名を重殲滅したのだ。この戦闘はそれまでカクマルにとっての聖域であった国鉄戦線においても徹底した戦闘を叩きつけ、ファシストカクマル完全打倒を目指してあくまでも闘う意思の表れであった。カクマルにとっての動労カクマルは、文字通り本体であった。00年に黒田派と松崎派に分裂するまで、動労本部の後身であるJR総連内部においては、反革命通信「解放」の定期購読数は五千部であり、組織の実態としても財政的にも動労カクマルによって支えられている党派だった。今日では学生とルンペンブロレタリアートを中心とする黒田派とJR総連と教労を中心とする松崎派と、更に松崎派から組合利権を巡って分裂した嶋田派へと三分裂している。

 86年の一年間は私にとって、直接カクマルと対峙する機会は無かった物の、前進社への出入りや大学戦争は勿論、職場の出退勤においても、防衛を巡って最も緊張した一年間だった。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

あ、23年。失礼。レーニン逝去は85年前。
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投稿: TAMO2 | 2009年1月22日 (木) 19時07分

20年経ちましたね。

福島さんの文字通りの断末魔(「魔」って何なん?)の叫びは、生涯染み付いて取れないでしょう。

思い出すだけで泣けてきます。

しかし「復讐だ、直ちに復讐だ、奴らの頭蓋に熱きバールを!」というアジはいかがなものかと思いました。気持ちは分かるが。

投稿: TAMO2 | 2009年1月22日 (木) 19時05分

Nifty側のサーバ不良で、同一コメントが複数回登録されてしまったようです。適宜削除等お願いいたします。

投稿: 詩音 | 2009年1月21日 (水) 14時49分

誤解を避ける為に申し添えます。
私も私の友人も後輩も、中核派以上に革マル派を忌み嫌う者であります。

投稿: 詩音 | 2009年1月21日 (水) 13時39分

こちら
 http://www.satani.org/cgi-bin/byo/bbs2.cgi
でもお見知りおきを。

投稿: 詩音 | 2009年1月20日 (火) 22時41分

連絡先を入力忘れておりましたので追記します。御不興、何なりとも承ります。

投稿: 詩音 | 2009年1月20日 (火) 22時37分

P.S.

これらの事件を思い出したトリガは
 http://ottosei.com/cgi-bin/zdrya/zdrya.cgi
の記事でした。

投稿: 詩音 | 2009年1月20日 (火) 22時13分

当時、女子寮に在寮していた者です。
アッテンボローさんに直接の恨みはありませんが、当時の中核派の行動には一生涯消えることの無い恨みを覚えています。
私の大事な友人の恋人を、私の可愛い後輩の恋人を、彼等は暴力で奪い去りました。どのように奪い去ったかはご推測ください。
アッテンボローさんに直接の恨みはありませんが。

投稿: 詩音@プレカリアートのなく頃に | 2009年1月20日 (火) 22時10分

 mao さん今晩は。そうですか寮の関係者の方だったのですね。実際当時それほど年齢の変わらない福島さんの死は勿体ないというか、無念であっただろうと思います。私も今は党を追放された身ですが、ノンポリになるわけにも行かず、有朋寮にもカンパしています。

投稿: アッテンボロー | 2005年12月17日 (土) 23時27分

福島君といえば私が寮の自治会にかかわっていた時の後輩です。寮の自治会も、三里塚の非和解的な闘いに学ぶことで、大学当局ー政府文部省と対決できると考えていました。
彼が、寮自治会から、党派の活動家へと飛躍したのも、三里塚のたたかいがあったからだと思います。だから私も彼の早すぎた死にたいし、何らかの責任(?)があると思っています。ですから、完全に市民社会にもどりきれず、だからといって、活動するでない中途半端な状態でいます。できたことといえば、たとえば有朋寮が困っているといえば、カンパすることくらいでしょうか。

投稿: mao | 2005年12月17日 (土) 23時19分

 無給専従さん今晩は。正規の副委員長さんは今も元気で活動しておられますよ。僕にとってはおおらかな人という印象ですね。
 カクマルの分裂問題については「前進」紙上で00年から度々掲載していますので、そちらで確認することが出来ますし、マル共連でも、それぞれのサイトの記事を引用した情報が流れていますから、多分間違いないと思います。

投稿: アッテンボロー | 2005年12月17日 (土) 22時43分

 革マル派に殺された副委員長代行の名は存じないのですが、当時獄中だった正規の副委員長の名の方が個人的には非常に懐かしかったです。もっとも「怖い人だった」という印象が強烈だったんですが。
 それはともかく、革マル派が「黒田派」「松崎派」「嶋田派」に3分裂してるというのは失礼ながらどの程度信憑性があるのでしょうか?アッテンボローさんを疑ってるわけではないんですが、革マル派は分裂騒動ですら芝居をしかねない党派だという印象がありますので。野次馬根性丸だしの質問で申し訳ありません。

投稿: 無給専従 | 2005年12月17日 (土) 21時58分

 kamakazuさん、最近はインターネットのお陰で色々な党派の機関紙が読めますよね。昔は自分で買うしかなかった他党派の物も読めるのが嬉しいです。
 色々悩まれていた時期なのですね。あのころの私は一番充実していました。
 元祖趣味者さん、色々と当時の状況を詳しく語っていただいて有り難うございます。やはり学生出身の人は情報なども詳しいですね。
 あれから20年。本当にお互い年を取りましたね。

投稿: アッテンボロー | 2005年12月17日 (土) 10時52分

 福嶋慎一郎くんが亡くなって、来月で20年になろうとしているのですか。歳をとったわけだ。
 彼は1979年に教育学部に入学、1981年には寮委員長、1982年3月に大学を飛び出し、1984年3月に現場復帰。
 1986年1月20日の教養部A号館の2階、「ロ」の字の校舎の北西の棟の廊下でした。御冥福をお祈りいたします。

 当時の状況は、こうです。

◆「大学の掲示」 

 1月20日朝、教養部構内において、暴力行為によって学生が死亡するという最悪の事態が起こった。総長として、深い悲しみと激しい憤りを覚える。つよい決意をもって二度とこのような暴力事件の起こらないよう学問の府としての大学の維持を当たる所存である。全学の各位の理解と協力を切望する。 昭和61年1月21日 京都大学総長 西島安則

◆学生新聞の記事 「殺人事件に糾弾の声」

 1月20日午前10時30分頃、教養部A号館廊下で教育学部3回生で、中核派の活動家、福嶋慎一郎さん(25)が、革マル派に襲われ殺害された。福嶋さんはC代大の情宣でクラス入りに向かう途中であった。これに対し、学生からの糾弾の声が上がっている。
 中核派は、声明を出し「反革命カクマル、この憎しみで余りある日帝・中曽根の手先ファシストどもは、、わが中核派のほこる京大生、全学連副委員長代行の福嶋慎一郎同志を虐殺するという、絶対に許すことのできない凶行をおかした。わが、革共同中核派は、満身に燃えたぎる憤怒と憎悪を持って、この白色テロルを徹底弾劾し、血の復讐を徹底的に全面的に貫徹することを宣言する」
 また、同学会、文学部学友会、経済学部同好会などは11団体連名で、「革マル派による1.20福嶋君殺害を糾弾する」という声明を出している。 民学同はビラで「殺人行為を満身の怒りを持って糾弾する。殺人グループは、自治会運動内部の自治破壊者として追放されねばならない」と述べた。
 一方、民青系学生は、「内ゲバ殺人」キャンペーンを展開。「大学の「内ゲバ戦場化を許すな」「暴力学生は大学から出てゆけ」「大学当局は責任ある態度をとれ」と主張して、弾圧を要請している。
 警察は、事件を口実に、1月20日に尚賢館、21日に熊野寮を不当捜査した。

◆国会の予算委員会

 質問は、日本共産党の梅田勝衆議院議員。1986年 衆議員予算委員会第一分科会。
梅田勝委員--第一は、京都大学のこのような異常事態についてどうかんがえているか。第二は、昨年も後期におきまして教養部で中核派のバリケードが築かれ封鎖され教養部の授業ができなかった。こういう事態が何回か起こったようですが事実ですか。第三は、教養部におきまして、教養部長室がないという事態がつづている。
佐藤(孝)委員--まず、第1点の1月20日の学生の死亡事故ですが、確かに先生の指摘のとおりでございまして、1月20日に教養部の構内にて学生が白ヘル数名の暴行を受けて死亡したという事態があります。(略)

◆「1・20A号館で中核派の敵対を完全に粉砕  マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派京大支部」

 1月20日に全学連の仲間は、教養部A号館において情宣活動を展開すると共にこれに対する中核派の敵対を完全に粉砕した。自らが、関西における最大拠点と勝手にも妄想している京大において、わが全学連の仲間や多くの戦う学生による反戦闘争や寮闘争の推進に追い詰められ、それゆえに末期的な狂乱を深める中核派の一切の敵対を許さず、また、今回の事態を利用した警察権力-京大当局の一体となった学生運動破壊策動や日共=民青系学生の政治主義的たちまわりもを打ち砕きながら、学生運動を戦闘的革命的に前進させるためにさらに奮闘しよう。じっさい走狗集団・中核派は、1985年11月29日には、かのケーブル切断と浅草橋駅焼き討ちという、国鉄分割化-民営化を推し進める国鉄労働運動を破壊しようとしている中曽根政府の意思を直接に体現している。さらに1985年、11月7日には京大E号館でビラまきを行っていたわが全学連にたいして赤ヘルで偽装して襲撃(わが、仲間たちの果敢な反撃によって完全に粉砕)。さらに12月9日には横浜国立大学にて、わが仲間たちに姑息な武装襲撃をしかけたのが、彼ら権力の走狗どもであっ たのだ。また、1984年10月19日、11月28日には政経研メンバーをバットで殴ったり石を顔面に投げつけたりして多くの重傷者を出してきた。(略)

投稿: 元祖趣味者 | 2005年12月17日 (土) 01時22分

トチローさん、お疲れ様(^^)

その論文、ボクも読みました。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no05/f2225.htm#a6_6
6面の最後の記事ですね。

あー、あのころ、そうだったなぁと、読みながら泣きそうでした。何が何でも成果を残そうとする中曽根。むちゃくちゃしやがる。ボクはまだまだ闘争にしがみつきたいという気持ちと卒業せねばならないという使命感の間でゆれながら、酔っ払いの道を邁進してました(^^;このころ以来、ボクはずっと「路地裏の少年」であります。

♪あーあ 今日もまた呼ぶ声に応えては♪
♪ただ訳もなく 砕かれて 手の平から落ちて♪
♪今は俺、43。初めて知る 行き止まりの路地裏で♪

行き止まりを突き破る力を!(^^)

投稿: kamakazu | 2005年12月17日 (土) 00時51分

すいません。至急メールください。
連帯サイト記念誌についてです。
まかさと思っていたのですが、本当に製版入稿が始まりました。

投稿: トチロー | 2005年12月16日 (金) 17時14分

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