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2006年1月

2006年1月31日 (火)

沖縄国体闘争と公然登場

 87年の春から秋にかけて政治課題となったのは、戦犯天皇裕仁が国体参加を口実に沖縄の地を踏もうとたくらんでいることをどの様にして粉砕するかだった。84年に初めて登場したロケット弾が、この時期には中核派のみではなく革労協狭間派、戦旗共産同(荒派)でも開発と実戦投入が終了しており、飛翔弾三派として、どの党派が天皇訪沖を阻止するかがスポーツ新聞で話題になるほどだった。特に現天皇の明仁が皇太子時代に沖縄海洋博に参加した際、ガマの中に潜んでいた革労協?共産同戦旗派(西田派)活動家にひめゆりの塔の前で火焔瓶を投げつけられたことが有ったので、県民感情からいっても戦犯天皇裕仁の沖縄訪問に対する怒りは大きかった。前哨戦とも言うべき闘いは、この年の卒業式で、全国で最低である日の丸掲揚率のアップを狙う行政との攻防から始まっていた。現場の教育労働者のみでなく沖縄の各層から反対の声が上がり、読谷高校の卒業式では卒業生が壇上に飾られていた日の丸を実力で撤去してドブに捨てるなどの闘いが勝ち取られていた。

 警察権力は威信をかけた大動員を行い、厳戒態勢を敷いていた。その過程で、許せないことに沖縄の女性に対する蔑視としか思えない通達が本土から派遣された機動隊員などの間に出されていた。内容は、長期間の派遣期間中に沖縄の女性を現地妻としてもてあそんだ場合にどの様にして捨てるかを予め考えておけと言うような物であった。当然にもそれに対する怒りも巻き起こり、政治焦点化していた。

 当時私の所属する分会には、もう一人中核派の活動家が在籍していた。この先輩は今でも現役活動家として闘っているのだが、沖縄国体闘争に決起することを組合員に呼びかけ、カンパを訴えるなどの活動をしていた。私はまだ自分が中核派であることを秘匿していた。九月の分会大会で、先輩が訴えをしたのだが、それに対して同調しなかったことを地区の会議で問題にされてしまった。当時の地区常任の方針では、私は職場の人間関係を築くまで党派性を秘匿するという物だったが、先輩としては折角偶然の人事で同じ分会に私が配属されたのだから、職場で党的に活動させたいと思っていたようである。そして職場政策などについては十分な論議がないまま私は職場で公然登場することになってしまう。後に関西の会議で、安易に公然化してしまったことについて地区常任は相当の批判を浴びたようだ。

 国体闘争その物については私は休暇が取れなかったために参加していないのだが、先輩は約一週間の闘争に参加してきた。沖縄へは船便で行った学生の部隊と飛行機で行った労働者の部隊とがあった。土産話で聞いたのだが、フェリーの中では左翼的な映画の上映会や学習会が開催され、殆どチャーターしたに近い状態であったそうだ。一般の船客の中にもオルグされた人がいたという。那覇港に到着したときにはおそらく全共闘世代と思われる労働者が駆け寄ってきて数万円のカンパを手渡してくれたそうだが、「前進」にその事が掲載されたときには「青年労働者」と書いてあった。一応マルクス主義青年労働者同盟の場合年齢制限は40歳だから「青年」扱いでも通じなくはないが。日本ソフトボール協会会長が日の丸を掲揚しないのであれば読谷村での競技を行わないという恫喝に対しては、知花昌一さんが日の丸を引きずり下ろし焼き捨てるという実力決起があった。戦犯天皇裕仁は結局天皇として沖縄に乗り込むことを諦めた。

 私が公然と職場で決起したのは、この闘争の報告ビラを門前で撒くことから始まった。職場をどの様にして獲得するのかについての方針も何もなく、唯単に一人職場で頑張っていたところに続く者が現れたと言うだけの自己満足的な物だったと思う。組合運動の実践すら何もない人間がイキナリ党派の活動を始めたのだから同僚達はかなり驚いたようだった。お陰でその後私は職場で浮きまくってしまった。たまたま分会役員にはこの年の大会で回り持ちが当たっていたのだが、その後職場で闘争を築こうとする際に後々にまで影響があった。

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2006年1月30日 (月)

「撃墜魔女ヒミカ」

 久々にハズレの本を掴んでしまったと後悔しきりです。「撃墜魔女ヒミカ」荻野目悠樹著、電撃文庫である。実はこの人、私が好きな田中芳樹さんと共著で「野望円舞曲」というシリーズを出している。時々田中さんの公式サイトである「ライトスタッフ」でも広告が載っているのと、とある人に勧められて購入してみた。それも近所の本屋に無かったので取り寄せまでして買ってしまった。田中氏は、「灼熱の竜騎兵」「七都市物語」「KLAN-血族」など自分が途中まで書いた作品の設定を新人の作家に提供してシェアードワールドなる作品群を世に出しているのだが、この作家もその一人で、実はその類を未だ読んだことがない。作家には文体という物があるから、どうしても本人の筆による物でなければ読む気がしなかったのだ。で、今回購入したのは荻野目悠樹のオリジナル作品である。

 小学生時代に読んだジュブナイルを思い出してしまうほど書き込みが浅い。もしかして粗筋だけを書いてある紹介本を間違えて買ったのだろうかと言うほどだ。粗筋を書いてしまったら読む価値もなくなると思うので簡単に設定だけを書いておくと、第一次世界大戦頃の複葉機に搭乗している魔女が主人公で、舞台は日露帝国主義が激突した中国東北地方をモデルにしているようである。一応戦闘機乗りであるのだが、空戦の描き方が拙い。小学生時代に「大空のサムライ」を始めとする坂井三郎の著作や、源田サーカスの評伝、あるいはルフトヴァッヘのエース達の伝記などを読みあさった人間にとっては、幼稚すぎてつまらない。作者の狙いは魔女の様々な怪奇譚なのかも知れないが、それ自体書き込みが浅いので、何じゃこりゃという感じである。唯一の救いは、田中さんのゴースト?を任されるだけに貴族を始めとする特権階級に対する敵意が感じられることくらいだろう。570円を出すだけの値打ちはなかった。せいぜい次女に暇つぶしに勧める程度の内容だろう。

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2006年1月29日 (日)

ホームレス問題について

 私はホームレスの人々への支援運動という物にはたった一回の参加しかなくて、基本的に無関係で来たと言える。たった一回の参加も組合の動員で釜が先の三角公園での越冬闘争の支援集会に付いていっただけで、まあお付き合いで行ったような物である。だがこの間色々なブログで公園に住民票を置くことが認められた大阪地裁の判決や、靱公園・大阪城公園などにおけるホームレス排除を狙う行政の動きなどを見ていると何となく自分と無関係ではないような気がしてきた。若い人々はそうではないのだが、50を超えるような人々の中に、もしかしたら自分の直接の知り合いがいるのではないかと思ってしまうからだ。

 以前何かの記事で私の父が土建屋を経営していたことを書いた。戦後朝鮮半島からの引き揚げ者であった祖父が大手ゼネコン前田建設の飯場の責任者になりその跡を継いでいたのだ。ところが60年代の後半、私が三四歳の時のことだが、合理化の一環で飯場がそれぞれ独立させられることになり、社長になってしまった。大手のゼネコンはどこも景気の変動に因るリスクを本体で取ることを止め、下請けとした飯場に取らせるようになった。大阪万博景気などの影響もあり最盛期には父の会社の従業員は300名を超えていた。経営能力がない父であってもそれなりに儲かる良い時代であったのだが、その後親会社に干されるようになる。首切り合理化今日で言うリストラを行うから、労働者の多くは転職したり、郷里に帰ったりするのだが、中には帰る場所のない人も沢山いた。そう言った人々は住み込みで働ける飯場を探すか、西成などのドヤ街に移り住んだ。

 バブル景気の時代まではそれなりにアンコであっても仕事があったのだが、バブルの崩壊によって日雇い労働者に仕事はなくなる。細かいことは知ったかぶりをしてはいけないのであまり触れないでおく。土建屋の中には厚生年金を天引きしておいて社会保険事務所に納めず懐に収める悪徳社長なども存在している。その結果長年働いても年金が貰えなかったり、有っても生活するには足りないような労働者も存在する。60,70となっても働かないと生活できない人もいる。しかし西成などで立ちんぼをしても若くて技術がないと雇って貰えない。自然とホームレスにならざるを得ない。

 27日金曜日の大阪地裁判決は画期的な物のようである。元々がテント生活をしているホームレスには年金受給等のために住民票を置く場所が無くて、支援の人たちが自宅を提供していたら、それに対して警察が公正証書原本不実記載同行使の罪状(実際にすんでいない場所に住民票を置いたと言うこと)で弾圧を行いだした。それなら仕方ないと言うことでテントを設置している公園に住民票を置こうとして、それを受理しなかった行政に対して裁判を行い、勝利判決が出たわけだ。この後どの様な動きになるのかは私には想像も付かないが、今まで警察をはじめとする行政機関(郵便局を除く。ちゃんとテント宛でも郵便を配達してきました)が虫けら同然の扱いをしてきたホームレスの人々の権利が守られたことについては喜ばしいことだと思う。

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2006年1月28日 (土)

「検証 党組織論」

 時々物議を醸す記事を書いているのだが、おそらくこの記事もそうなるのではないだろうか。「検証 党組織論 抑圧型から解放型への組織原理の転換」(社会批評社刊)は小西誠氏らによる共同研究によって、左翼各党の党組織論がスターリン主義的に歪曲された物を「レーニン主義」と混同しているのではないかと言うこと、レーニンが戦時共産主義など内戦の時代の一時期の組織形態として提起した物をスターリンが自己の権力維持のために絶対化していった事を無自覚に継承しているとして批判していると私は読んだ。勿論小西氏を始めとする執筆者達はレーニンに対してトロツキーやローザ=ルクセンブルグの党組織論を対置しているのでレーニンその人に対する批判もある。私としては本来ならば本多延嘉著作選に所収されている「党組織論序説」を読んでからこの本を読む方が良かったのかも知れない。

 「はじめに-すべての党の歴史は党員抑圧の歴史だ」と書かれているように党に所属したことによって「自由に物が言えない」状態に表れるような党指導による方針の押し付け、行動の統一・規律の名による自由な行動の束縛や私生活の隅々にいたる干渉や規制、異論や失敗に対する自己批判の強要、組織からの排除などなど。これらが本来人間解放を目標にしながら様々な形で労働者の自己解放性を抑圧してきたとしている。「自由、自己実現、自己解放性など、党内には微塵も存在しない」現状を、レーニン主義の批判的継承の中から真の人間解放の組織論を見いだそうとしている。

 ハッキリ言って私は党生活の厳格な規律を守ることが出来なくて除名された人間であるから、その事に対して非常に後ろめたい思いがある。思想的な腐敗も伴っていた。だからその様なフィルターを通した党組織への見方がある点を断った上で感想を述べる必用があると思う。正直に言うならば私生活に関しての干渉という物は時に鬱陶しいと思うこともあった。「活動家の恋愛」で書いたことや、妻との結婚に反対されたこと、住宅の購入を考えたときは数ヶ月にわたって止めるように指導された。だが、反対に党に報告したことによって問題解決のための助言や指導をもらったことも度々あった。ここでは詳しくかけないのだが、その事によって助かったこともある。私は、党が革命家としての私生活のあり方について指導すること自体は有っても仕方ないことだと思う。私生活のあり方の乱れを突いて権力はスパイ化工作をしてくることが多いし、その様な場合でなくとも党や運動から離れる契機となることが多いからだ。私が思う問題点は私生活に対して細かく干渉するにあたってそれを的確に解決する指導内容が党に不足していることが問題なのではないかと思う。党員の私生活で生じる様々な問題を正しく解決することが出来ずに、官僚的に党の硬直した方針にタガをはめようとするあり方がおかしいのだと思う。

 党内民主主義を阻害する「民主集中性」や分派の禁止の問題などについて、本書では様々な観点から批判が為されている。だが私の感想はそれらはレーニンに問題があるのではなく、スターリンが悪用したことに問題が有るのだと思っている。尤も悪用されやすい組織のあり方を作ったという点で、レーニンへの批判があるわけだが。スターリンという男は思想的には見るべき処がないというか、少なくともボルシェビキの指導部層の中で思想や理論的な問題については苦手とする実務家であったらしい。会議の場でも理論的なことを発言することは少なく、たまにその様な発言をすると、背伸びをするなとジノヴィエフやカーメネフから窘められたらしい。その様な理論的に正しい方針を出せない男だからこそ、党の実権を掌握するために分派活動の禁止や民主集中性を悪用して党組織を官僚的に変質させたのではないだろうか。

 党がその下に結集している全ての人々の能力を最大限に引き出すあり方を模索していること自体は、この本は勉強になると思うのだが、私には小西さん達に賛成することも従来の中核派の党組織のあり方に与することも、どちらも出来ずに迷っていると言うところだろう。

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 追記。地区党の指導部と関西地方委員会の指導部との力量の差が非常に大きいと感じています。私生活での様々な問題についてや指導のあり方に対する疑問点について、地区党段階ではろくに話を聞いてくれないことが多く、話しても硬直的だったり官僚的だったりしていました。幾つか地方委員会の指導部のTさんやMさんの段階まで私の家庭が抱える問題点についての報告が上がったことがあるのですが、その時は的確な指導が有りました。問題点についても地区段階の指導の後遺症で完全には解決できなかったのですが、かなり助かったことがありました。地区段階の指導部がどれだけ力量を付けることが出来るかというのも大きな課題点だと思います。

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2006年1月27日 (金)

いつものお父さんとちがう!!

 先日のことである。夕飯にビーフシチューを作った。家に籠もりきりになっているため食事は数少ない楽しみである。普段行きつけの肉屋さんでシチュー用の肉とスジ肉を買い、その際に牛骨を1キロほど分けてもらった。骨が長かったために鍋に入れるために出刃包丁で切ろうとしたのだが、冷凍されていた骨はとても堅く刃こぼれしても中々切れない。仕方ないのでそのまま鍋に入れ出汁を取る。ある程度煮込んで骨が柔らかくなってから切るとすんなり切れる。野菜を放り込んでから安物のワインを入れ香りを付ける。市販のルーを使ってもホンの一手間で美味しくできる。家族の評判は上々であったが、ジャガイモを入れるが早すぎて煮くずれていたのが少々残念であった。台所でコトコト煮込んでいる間、残ったワインを飲んでいた。一応飲む回数は極端に減らしてはいるが、禁酒はとても出来そうにない。

 食後ほろ酔いになってコタツに寝ころんでいると、妻も腹ばいになって雑誌を読んでいる。息子が枕元にやってきて遊んでいる。私は正直に言うとムッツリスケベなのだが、お酒が入ると表に出る。余りよい酒癖ではない。で、コタツ布団の上から妻のお尻の上に手を置いていた。それを息子が見とがめる。「お父さん、何してんの!」顔は怒っているし口調は改まっている。「お母さんのお尻触ってんの」と答えると、「そんなんしたらアカン。いつものお父さんと違う」といきり立つ。そして両の拳で私の頭を叩いてくる。「いつものお父さんに戻れ。戻れよ~」半分泣きながらわめいている。「もう○○はな、お父さんなんか許さへんからな。いつものお父さんに戻れ。」と更に激しく、今度は膝蹴りをしてくる。「なんであかんの。お父さんとお母さんやんか。よその人にしてへんやんか」と言っても聞き入れてくれない。結局、散々泣きじゃくるので私は大人しく言うことに従うことにしたのだが、自分は色々下ネタを疲労したりするのに、何でこの日に限って癇癪を起こしたのか。なぞである。

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2006年1月26日 (木)

「改革」の名による要員削減に怒り

建築担当職員確保を自治体に要請へ 国交省

2006年01月25日22時42分 

 全国の自治体で建築行政の担当職員が減っているとして国土交通省は、各自治体が十分な職員数を確保するよう、近く文書で要請する。耐震強度偽装事件で建物の安全への関心が高まっているうえ、26日から改正耐震改修促進法が施行され耐震強度の劣る建物に対する自治体の指導権限が強まることに合わせた対応。

 国交省住宅局によると、建築行政を担当する自治体職員数は98年度の7787人から02年度の8269人まで増え続けたが、03年度は8078人、04年度は7764人と2年続けて減った。

 行政改革による職員の全体数削減の影響とみられるが、99年から建築確認が民間開放されたことを理由に減らしている自治体もあるという。

 国交省は「民間開放は、耐震化の推進や違法建築への指導に力を注げるようにする狙い。趣旨を取り違えて職員削減に利用している自治体がある」と指摘する。

 改正された耐震改修促進法は、耐震強度が不足する学校や大型店、幹線道路沿いの建物などに自治体が改修を指示できるようにし、従わない場合は公表するとした。

asahi.comより

 建築確認業務の民間開放によって各自治体の建築担当職員が大きく削減されていることに対して、国土交通省は「趣旨を取り違えて」いるとして責任転嫁を行っている。日米の建築業界の利権のために旧建築基準法の改悪を行ってきたのは国交省その物ではないか。そして財政難に苦しむ地方自治体が要員削減の口実の一つに使うことなど分かり切ったことである。そもそも「改革」の名による公務員削減と公務員労働運動の解体を狙ってきた小泉政権が口を挟めることではない。耐震偽造問題で何でもかんでも「官から民へ」というスローガンが全くのペテンであったことが明らかになった今、それへの取り繕いでしかない。

 公務員の要員削減をめぐってはオリックスの会長である宮内義彦規制改革・民間開放推進会議議長は「50兆円の市場」と言いなして新たな利権拡大を狙っている。それに呼応して小泉政権も5年から9年にかけて国家公務員の一割を削減することを目標とし、約2万8千人の要員減を閣議決定している。同様にして地方公務員についても削減を迫っている。今現在大阪市職に対してかけられている「公務員厚遇」キャンペーンはこの様な政策の一環であり、長い年月をかけて営々と築き上げられてきた労働者の権利を剥奪する攻撃だ。政府は一体この様な要員削減を強制しておきながら建築担当職員の配置を増やせと言う矛盾をどの様に考えているのか。端的に言えば耐震偽装問題をめぐり「官から民へ」のデマが顕わになったとを取り繕うために、当面焦点となっている部署だけは要員を確保しておけと言うことに過ぎない。他の部署での行政サービスを削って建築担当職員を配置しろと言うことだ。

 今必用なことは小泉のデマを真正面から批判し、要員削減反対で闘う公務員労働運動を再生することではないだろうか。そしてその事が実は国民全体の安全を守る事に繋がるのだ。成田税関におけるBSEに汚染されている可能性がある危険な米国産牛肉の検査を見て欲しい。全体の1%にも満たないほんの一部しか検査する要員がいないのだ。公務員の増員こそが必要なのだ。衣食住の安全を守るために国民は公務員削減ではなく公務員の増員要求こそ行わなければならない。

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2006年1月25日 (水)

東大阪市議選

 暑い夏の盛り、東大阪市では部落解放同盟荒本支部支部長瀬川博さんを擁立した市議会議員選挙が行われた。荒本支部は解同本部から支部丸ごとの除名処分を受けていた。83年には同和行政との窓口を閉ざされることを避けるために瀬川支部長が市会議員になっていた。一期目は反戦平和を訴え、82年の反トマホーク闘争の余韻の中での勝利だったと思う。二期目では、記憶に間違いがなければ公明党と共産党の市議合わせて7名であったか9名であったかが浄化槽の問題をめぐる汚職で辞職し、市政の刷新が問われていた。

 他の候補者の多くが組織と地盤を強固に持っている中、瀬川陣営の支持基盤は荒本支部のみで、無党派層をどの様に獲得するかが問題だった。中核派は全国の学生と専従を総動員してオルグ団を編成し苦労して集めた選挙名簿をコツコツとオルグして歩いた。私たち労働者は主に街頭宣伝を担当した。東大阪市内の各地を自転車の列を連ねて走り回り、汚職の党である公明党と共産党を弾劾して歩く。自転車には汚職追及の昇り旗を付けてあった。汚職を追及する市民運動という形態を取っていたために、途中で選挙演説中の共産党などとかち合うと、選挙妨害になってしまうので連中は色々と抗議をしてくる。そこは仕方ないから引くしかない。少し離れたところで「汚職の党共産党を許しません」と言って批判するのが精一杯であったが、時々声援してくれる人もあった。

 選挙自体は市政刷新の運動と一体となって闘ったために、そこそこの票を集めて上位とは行かなかったと思ったがまあまあの順位であったと記憶している。ちょうど投票日翌日に近鉄東大阪線のトンネル火災事故が発生して死傷者があったために、選挙結果の報道はどこかへ行ってしまった。知り合いが私の住所に電話して結果を教えてくれたのは、祝勝会の会場からであった。その後荒本支部は同調する全国の部落の仲間たちと一緒に部落解放同盟全国連合会を結成するのだが、それは後の話しである。瀬川支部長は健康上の理由で今では市議を引退し、後継者には荒本支部書記長の阪口克己さんがなっている。

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2006年1月24日 (火)

戦闘的労組と組合分裂

 非常に難しい宿題を頂いたような思いがしています。と言いますのは「61臨大議案書を批判する」におったまさんが付けて下さった書き込みの中に「戦後の『全自動車日産分会』『日本製鋼室蘭』『三井三池』『王子製紙』『国労新潟』『全金プリンス』等々、幾多の輝かしい闘争も最後は第二組合の発生で少数派となり敗北しています。(若い頃はなぜそうなってしまうのか不思議で理解出来ませんでした) 資本・当局の熾烈な分断攻撃が第一の原因ですが、やはり労働者一人ひとりの精神的な弱さや利己主義も大きく影響しているのだと思います」と有りまして、戦後労働運動の中で確かに戦闘的組合が資本の後押しで作られた第二組合・御用組合によって敗北した例が沢山あるからです。この問題についてどう答えるべきか、昨夜返事を書く段階では考えがまとまっていませんでした。

 50年代から60年代の労働争議に詳しいようで、中には私が勉強したことのない物もあるので、これから書く事はあくまでも私の知る範囲の乏しい知識からの物である事を先にお断りしておきます。国労新潟闘争の場合、新潟その物の闘いは非常に厳しい状態に追い込まれ、60年代から70年代に国労が勢力を誇っていた時期でも新潟地本は小さな存在であり続けました。しかし、国労新潟の支援には全国の国鉄労働者を始め多数の支援が駆けつけました。それらの人々の中から、後に様々な運動を担う人々が誕生しています。個別の闘争としては敗北に終わったと言えるかも知れないのですが労働運動総体で見たときに国労新潟の闘いが継承されたと言えるのではないでしょうか。三井三池・王子製紙・全金プリンスの闘いは残念ながら広範に継承されたと思えません。それでも三井三池などはつい最近の炭労解散まで保障問題などは粘り強く継続していますので、全く潰されたわけではないと思います。

 闘争の勝利によって闘って生き延びた組合という物も数は少ないのですが存在しています。例えば70年を前後する国鉄反マル生闘争の例が有ります。国鉄当局の肝いりで御用組合の鉄労が元々3万であった組織を10万まで伸ばした事がありますが、国労と動労の闘いによって国鉄総裁の謝罪を勝ち取る大勝利に終わるや、鉄労の組織は元の3万以下に減少しています。動労千葉の闘いも分割民営化に対して真っ向からストライキで対決した事で組織の団結を打ち固める事が出来ました。その結果国労においては地本や支部などの機関丸ごとの組織脱退が相次いだのに対し動労千葉の場合はその様な出来事はありませんでした。全逓の場合も思い出して欲しいのですが、78~9年の反マル生越年闘争を闘っていた当時、全郵政の組織は小さな物でした。私が郵政に入った86年頃は約5万の組織だったと思います。それに対して全逓は約20万でした。それが方針転換をして闘いが無くなるにつれて全郵政の組織が伸び始めて今や10万組織ですね。残念ながら全逓は13万まで減少しています。また、以前「全軍労反戦派」という記事を書いた事があるのですが、基地撤去を求めた米軍基地労働者の闘いは、今日でも全駐労が圧倒的大組織として存在しています。戦争全面協力の沖駐労はようやく三桁に載る程度の弱小組織のままです。それから、「軍艦以外は統べてきた」と言われる読売争議の場合、闘争は敗北しましたが組織分裂は起こっていません残念ながら読売新聞労組その物がおかしくなってしまいましたが。更にこれは同盟傘下の闘いですが、近江絹糸の闘いというのがあります。俗に「人権争議」と呼ばれる闘いです。ここでは組織分裂もなく闘争は勝利しましたし、広範な支援を集める事にも成功しました。小さな組合の勝利した例ですが、光文社闘争(週刊宝石などの出版社での全員解雇に対する闘い)昨年大勝利した全金本山労組の30数年にわたる闘い。全金港合同関西生コン支部の闘い等々色々な勝利があります。

 ここから私は幾つかの相違点を見る事が出来ます。第一点目は指導部の問題です。これは組合とナショナルセンター、支持協力関係にある政党の三つを併せて考えて欲しいのです。三者が一致協力して勝利を目指してぶれることなく闘い抜いた闘争の場合には、組合の組織分裂は生じていないか、起きていても極小さな規模に止まっていると思います。それに対して三者のうち一部でも厭戦気分に支配されて、闘争を条件をめぐる物取り主義に変質させた場合に組織が壊滅状態になるまでの組織破壊が起きているのではないかという物です。

 第二には当時の社会情勢全体の問題です。労働運動の高揚と政治運動の高揚とが結合できたか否かですね。これは政党の問題が大きく影響します。60年安保闘争と同時期に闘われた物の三井三池闘争は安保闘争との結合は有りませんでした。それに対して国鉄反マル生闘争は70年安保沖縄闘争と結合する事で全社会的な問題になる事が出来ました。国労・動労の労働者も反戦青年委員会を水路として積極的に安保沖縄闘争に決起しています。例えば動労千葉の中野洋前委員長は千葉県反戦の世話人をしていましたので、三里塚闘争を始め様々な共同闘争を担いました。つまり単なる一労組の問題に終わらない労働者の階級的闘いとして、社会情勢全体の中での闘いに位置づける事が出来るかどうかだと思います。

 幾つかの事例を見てきた中で三つ目の問題として言える事は戦闘的に闘う労組である事は必ずしも分裂と敗北を招く物ではないと言う事だと思います。ここの争議において様々な要因がありますが、分裂するどころか組織強化と拡大を勝ち取った物も少なからずあると言う事です。ですから私たちが学ぶべきは、闘いが敗北に終わった争議であってもその高揚局面において勝ち取られた、労働者の団結が如何にして形成されたのか、そして勝利した争議の場合にはその高揚を如何にして持続したのかと言う事ではないかと思います。闘えば敗北すると言う物ではなく、闘って勝利するためにはどの様にするべきかという物事のとらえ方を積極的に行っていきたいと思います。

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2006年1月22日 (日)

61臨大議案書を批判する

 2月9日10日と日本青年館において開催される日本郵政公社労働組合(旧称全逓・略称JPU)第61回臨時全国大会議案書の内容を批判する。実は昨日「鬱病について その2」への書き込みで、おったまさんから「現場で苦労している立場から言わせれば、病休中に『ブツダメ・ストで民営化を粉砕しよう!』などと言われても、ただでさえ相手にされない主張なのに『お気楽だよな』というのが正直な実感です。」と言われているので少々書こうか書くまいか悩んだのですが、やはりこの議案書は現場労働者の立場から批判しなければならないと思うのです。正確な言葉を忘れましたが、「猛将の下に弱卒無し、怯将の下に勇兵無し」「獅子に率いられた羊の群れは羊に率いられた獅子の群れを打ち破る」という古からの言い伝えがあります。おったまさんが書き込んでいただいている「郵政職場は日常的な業務で「青息吐息」の状態です。 僕の職場は比較的?良心的組合員が多いと思うのですが、動員等活動に協力したくてもほとんど出来にくい状況なのです」「集配等郵便関係に比べ、職種の性格上保険では休暇を取りやすいでしょうが、集配なら大ヒンシュクです。正月返上の年末年始最繁忙が終わったのもつかの間に非常勤の仲間と共に休暇をやりくりしながらの綱渡り的な業務運行です。」という職場の現状は、第一番の原因は政府および郵政公社による合理化労働強化の激化にあるわけですが、その協力者である中央本部のダラ官・労働貴族共によって現場労働者に犠牲の一切が押し付けられていると言うことを改めて強調する必用があると思うのです。組合を現場労働者の物に奪い返すことなくして、私たち労働者が置かれている現状を打開することは出来ないからです。

 では最初に、第1号議案「郵政民営化をめぐる経過と今後のとりくみについて」の批判をします。先ず何よりも議案書を書くにあたっての立場が、現場労働者の雇用と労働条件を守る物ではなく、郵政事業と現場労働者を食い物にして労働貴族としての自分たちの利権を守る立場から書かれていることを追及する必用があります。議案書を詳しく読んで欲しいのですが、「雇用と労働条件」と言う文言の前には、殆どの場合「郵政事業の持続的発展」の様に企業経営を優先して記述する立場が貫かれています。労働者の雇用と労働条件を一番に考えるのが労組の存在意義であるのに取って付けたようにしか書かれていない。この事を私は徹底して弾劾する必用があると思います。本部の考え方は、現場労働者に対して「事業有っての職員だ。事業存続のために権利や労働条件は我慢しろ」という物です。思い出してください。国鉄分割民営化の攻撃によって国労が壊滅的打撃を被ったことに恐怖した当時の全逓中央民同は、59・2の方針大転換で労使協調路線に舵を切りました。それ以来「民営化されたら困るからもっと働こう」と言いなして一貫して郵政当局の合理化施策を無批判に受け入れ、時には組合自らが合理化提案・新商品の開発提言などを行ってきました。そしてその一切の矛盾と犠牲は現場労働者に押し付けられています。この20年余の方針について一切の総括抜きに本部方針を提案することが許されるでしょうか。本部は責任を取るべきです。

 第二に、9・11総選挙の結果を受けて、小泉政権に屈服したところから全ての方針が立てられていることを批判すべきだと思います。昨年10月28日の「政労協議」の場で竹中大臣から「政府・公社・労働組合のどこが欠けても民営化はうまくいかない」と言われたと、全面的に民営化に協力を誓っています。「Ⅳ 郵政民営化に向けた今後の基本スタンス」では「民営化後の経営状況によっては大きな雇用不安や労働条件の変化にさらされる可能性もあります」「『民営郵政』時代を展望したとき、ますます労働組合の果たす役割は重要であり、経営に対してどのようなスタンスを取るのか、また、労使関係をどの様にこうちくするのか等は、会社の業績とそれに直結する雇用と労働条件に大きな影響を及ぼすことについて、現実認識した対応が必用です」「『民営郵政』の新時代を築くため全力でとりくんでいく」「『公企業』として郵政事業の発展を目指します」「『民営郵政』の経営を安定軌道に乗せていくには、出来る限り早期に経営の自由度を拡大し、創造的なビジネスモデルを確立し得る条件整備をはかっていく必用」等々、本部の言いたいことは、今後は民間企業として自由に合理化や新事業による労働強化を展開できるよう、新会社に権限を要求しているわけです。今まで20年あまり民営化されたくなければ我慢しろといってきたその口で、今度は民営化されるのだから我慢しろといっているわけです。私たち労働者は一体いつまで我慢を強いられなければならないのか。労働者に我慢を押し付け、事業に協力を命令するだけの存在など労働組合の指導部として必用がないのです。私たちは何よりも現場労働者の労働条件を守るためのやる気に溢れた執行部が必用なのです。寝ても覚めても労働条件のことを気にする、現場の労働者のことを思っている本部執行部をこそ必用としているのです。現委員長の菰田は近畿地本にいた当時、自民党の国会議員などと赤坂の高級料亭で飯を一緒に食ったことを自慢して議員との繋がりを強調していました。こんな労働貴族など私たちには要らないのです。

 続いて第2号議案「2006春期生活闘争の主要なとりくみについて」を批判します。情勢認識からして労働者の立場ではなく客観的すぎて人ごとのような描き方をしています。誰の立場から書いているのか、それこそ組合の議案書としての表題がなければ公社が出してきた営業方針の資料かと思えるような内容に終始しています。「企業・雇用・家計の各部門でバランスある成長が不可欠」「社会保障制度の抜本改革が喫緊の課題」「一層の『二極化』と格差拡大をもたらす政治状況」「混迷を続けるイラク情勢」「在日米軍再編の問題とともに、日本の財政負担増を懸念する声が強まっています」「小泉首相の靖国参拝に対し、中国や韓国の批判姿勢が強まっており、深刻な外交問題に発展しつつあります」「憲法改正をめぐる議論は(中略)今後の政治動向を注視しつつ慎重に対応する必用があります」等々、全て労働者の組織としてどう捉えどの様に対応すべきかと言うことが全く書かれていない。

 そしてとりくみについては、バブル崩壊以来の15年間にわたり労働者側は一貫して賃下げと合理化・首切りの圧力にさらされ、生活が成り立たないほど全ての面で破滅的な打撃を受けてきたことに対して、それらを奪い返すのではなく、あくまで「景気も回復してきたようだから少々おこぼれを下さい」とでも言いたげな卑屈な姿勢の物でしかない。ハッキリと労働者が生活するためにどれだけの賃金が必用であるのかを打ち出し、賃金とは労働者の生活保障の為の物であることを再確立しなければならない。労働者あっての事業であることを堂々と訴え、大幅な賃金要求と労働条件改善、増員要求、非常勤労働者の労働条件改善を求める必用があるだろう。

 最後に労働組合として郵政職場における長期病休者対策の確立を行うべきだと考える。私のように精神疾患によって療養している労働者は郵政内部で数千人と言われている、内臓疾患などの持病を持っている人の中にも現在の労働条件のために症状が悪化している傾向がある。更に合理化・労働強化の結果労災が頻発し、多くの殉職者も出ている。全国で見た場合毎年十数人から数十人の自殺者も出ている。これらは全て郵政当局による労働条件切り下げがもたらしている物だ。私の鬱病自体そうである。そして少なくない労働者が長期の病気休暇・休職に追いやられ、残った労働者にはその分の業務までもが集中的にのしかかっている。組合として病休者の発生の責任を追及しなければ、対策を講じなければ、職場に差別分断の思想が蔓延し、病気をした労働者の職場復帰はおろか、同僚に対して「迷惑をかけた」としてなじられ、泣く泣く退職に追い込まれている労働者が多数いることを解決することは出来ない。病休者の発生も、残った者の労働強化も、全ては合理化がもたらした物なのだ。

 最後についでに、おったまさんが書いている「関西方面在勤・在住で入局以来「異動」を経験していないとか・・・。『人事交流発祥の地』『高圧的労務管理で名高い』」=近畿にあっては羨ましい限りです。(妬みですみません)」という人事交流についての見解を述べておきます。私たち労働者は将棋のコマではない。労務政策によってあちこち転勤させられること自体が許し難い行為なのだ。郵政当局は職場の団結を破壊するために職場の中心人物を次々配置転換することで労組の弱体化を図ってきた。それはきわめて巧妙に行われてきたと言えるだろう。無党派の役員・活動家の場合、職場の人間関係から押されてなっている場合が多く、転勤によって職場の人間関係が絶たれた場合には影響力が無くなる。逆に党派活動家の場合には転勤によって元職場と新職場双方で影響力を行使することから周辺の労働者を配転させるというやり方で人間関係を破壊してきた。私がたまたま転勤がないのはその方が労務管理上都合がよいと判断した人事部の方針の結果であって、別に私に責任があるのではないと言うことです。

 既に多くの職場で代議員選挙が終盤になっているが、まだ投票を済ませていない組合員は本部方針に反対する候補者に投票しよう。そして本部総辞職を求める意見を集約していこう。

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2006年1月21日 (土)

牛肉買うとき気をつけなあかん

 数日ライブドア関連の記事が新聞一面トップを飾っていたが、今朝の朝刊はアメリカ産牛肉に異常プリオンが貯まりやすい背骨が混入していたと言うことで再び禁輸措置が執られたという物だった。既に昨日から様々なブログがこの問題を取り上げている。新聞で見るよりインターネットで速報が流れているのだから、朝刊を午後から読んでいる私の場合には出遅れも甚だしいと言うしかないだろう。これが新聞記者であるならば特落ち(特ダネの反対で、一社だけ記事に出来なかった場合の事)の連続で処分物だろう。まあ他人様のブログと違い、速報性は気にせず自分の思うことについて書いているから救われている。

 牛丼のすき屋を経営するゼンショーの独自調査などでも、アメリカの食肉加工場の作業がずぼらと言うか大雑把というか、少なくとも危険部位の除去作業がいい加減であって安心して客に出せる水準にはほど遠いことを知ってはいたが、輸入再開から僅か一月で41箱中3箱で危険部位の背骨が混入しているという杜撰さだ。何でも実際に検査されるのは約一割に過ぎないと言うことだから、この場合4箱検査していた勘定になる。実に75%に危険部位が混入していた確率だ。(当初の予定では一部を検査するところ、危険部位を発見したので全部の箱を空けていたようです)こんな物をアメリカの食肉産業の圧力に屈服して輸入再開した小泉政権の国民無視というか、安全を守る気がないというか、さすが自分はトルコまで外遊しながらお隣のイラクの戦場には足を踏み入れなかった卑劣漢だけのことはある。自衛官を生命の危険にさらしても、国民の食の安全を放棄しても、アメリカとの同盟関係が優先するのだ。

 様々な問題点については既に他人様のブログで詳しく書かれているのでここでは特に書くこともないのだが、私は雪印食品や阪南の偽装牛肉問題を思い出した。この問題は日本国内でBSEに感染している牛が発見され、危険のある牛肉を処分する際に、精肉業者の損失を補填するために政府が買い上げて焼却処分したのを利用して、アメリカなどからの輸入肉を国産と偽って詐欺行為を働いた事件だ。輸入肉を国産と偽るような業者がいるわけで、今回既に輸入れさているアメリカ産牛肉については回収などの処置は取られないらしい。つまりそれらの肉が国産と表示を偽って市場に出回る危険性について非常に心配なのだ。なんせ国産牛肉の方がアメリカ産よりも市場価格ははるかに上なのだから、正当な表示をして売れ残るよりは偽装して高く売ろうという輩がきっと出てくる。専門家が見れば肉質などから一目で見抜くことが出来るそうだが、私のような素人では一体どれが国産でどれがアメリカ産であるのかなど見分けることは出来ない。まだ店頭で購入する分には脂の多い肉を買うという形で何とか自己防衛できるかも知れないが、困るのは外食の場合である。今日ではアメリカ産の赤身の肉に牛脂を注入して人工的にサシが入った状態にしたステーキ肉や、細切れ肉を結着剤で固めた肉などが大量に出回っている。ファミレスなどの肉は殆どこれである。まあ、私たち労働者の口に本物のステーキが入ること自体が珍しいわけであるが、当分の間外食は避けた方が無難だと思う。特にすかいらーくグループや吉野家のようにアメリカ産牛肉の輸入再開を要求してきたような店には今後二度と行くまいと思う。

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2006年1月20日 (金)

アヒ~ン

 息子は時々クレヨンしんちゃんの真似をする。「アヒ~ン」と言って腰をくねらせるのは序の口だ。今日もしんちゃんの真似をして「ぞーうさんぞーうさん。おーけつが長いのね。そーよ父ちゃんもなーがいのよ」などと歌っている。以前にも書いたことがあるが、肛門期は未だに続いている。注意をすると、人が嫌がるのが面白くて余計に下ネタを連発する。次女が息子を指して「エロ」「エロ小僧」と名付けている。長女は「下ネタ小僧」と呼ぶ。

 時々私の股間をスリスリさすりながら、「父ちゃんよしよし。チンチンよしよし」などと意味不明の言葉をつぶやくことがある。人の股間に触って何が楽しいのか全然分からないのだが、本人はそれが好きである。最近ではレイザーラモンHGのコントの真似をして私の顔面に股間を押し付ける形でのぼってくる。「チンチン食べて」って「誰がそんなもん食うか」と答えると、「じゃあ、おらが食う」と私の股間に噛みついてくる。時にはオモチャのバットや刀を持って「おらのチンチンおっきいだろう」と自慢げに胸を張る。意味が分かっているのだろうか。

 こんな状態なので一緒に風呂にはいるとまた大変である。湯船に浸かっていると「ウミヘビみ~つけ」と言って突いたり握ったりしてくる。そこでこちらもお返しに息子のを握りかえしたりする。突然立ち上がると「○○のチンチン、大人のチンチン」と言って皮をむいてみせる。息子に包皮を向いて良く洗うように教えたせいなのだが。一応息子は真性包茎ではない。この後ちゃんと剥けたままになるのかどうか分からないが、子供の内から綺麗にしておく習慣を付けること自体は良いだろうと思っている。成長の一過程の出来事ではあるのだろうが、息子の肛門期がいつまで続くのか全く分からない。そろそろ卒業して欲しいと思うのは息子を除く全員の思いである。

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2006年1月19日 (木)

鬱病について その2

 過眠症という症状が鬱病にはあるらしく、最近寝てばかりいる生活なので多分私はその症状が出ているのだろうと思う。多いときには20時間くらい眠っている。そうでなくとも15~16時間くらい寝ている日が多い。病状は一向に良くなっていないようである。既に半年以上休暇を取っているのだが、一体いつになったら職場に復帰できるのか、本当に目途が立たない。

 病気その物は、困難な問題などに直面したときに自分の力不足などを感じて自信喪失状態になっていると発症しやすい。私の場合には以前にも書いたのだが、郵政職場における合理化との攻防の中で展望を見失ったために病気になったのだと思っている。その後色々と試行錯誤しているのだが、中々自信回復に至ることが出来ないでいる。本当に何をやっても上手く行かないように思え、何かをしようという気力その物が湧いてこない。思想的な問題もそうなのだが、色々な人の意見を丁寧に聞く内に自分の立ち位置についても確信が持てない状況もある。このブログの常連の中にはその事で批判をしてくる人もいるのだが、そうは言われてもハッキリと確信を持って結論を出せないというのも病気の表れなので何とも答えようがない。実際鬱病の場合には大事な決定はしないようにと言うのが医師の指導のあり方でもある。よく将来を悲観して仕事を辞めてしまったり、人生の大きな選択を間違える場合が殆どであるらしい。

 仕事の面と過眠症の問題に話を戻すと、実は悪夢にうなされることが多い。長期の病気休暇から戻ったときに同僚から「休んで迷惑かけとんやから謝れ」と言われたり、自分の出来る業務からコツコツこなして自信を回復しようとしていると「そんなこと出来ても本業も出来へんくせに」あるいは「今度休んだら承知せんぞ」などと何の権限もない人間から好き放題言われている。それらを思い出してうなされるわけだ。別に病気について理解を求める気はないのだが、私に余計な干渉をしないで欲しいと思う。同僚に迷惑かけたことを気にしているし、何とか休んだ分を挽回しようとして焦ったあげく再び悪化させてしまうことを繰り返しているので、一番気にしているのは私なのである。鬱病にかかった人間が職場に復帰できるかどうかと言うのは、周囲の理解があるかどうかに大きく影響される。その理解を作ることも実は労働組合の任務であると思っているのだが、以前に組合に出した意見書については、残念ながら取り上げてもらうことが出来なかった。職場復帰、運動の前線復帰への道のりは非常に厳しい物を感じてしまう。

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2006年1月18日 (水)

小泉打倒の先陣争いを

 「党のあり方って何だろう?」および「『内ゲバ』の無い運動を望む」の二つの記事を巡って、このブログの常連さん達が熱い議論を交わして下さっています。様々な感想があるのですが、私の場合最も気にしているのは、どの様にして統一戦線を再構築できるのだろうかと言うことです。例えば昨年の9月から10月にかけては共産党員の方々のブログにトラックバックしたり意見を書き込んだりして問題提起をしました。今回の二つの記事も私の場合はカクマルを除く全ての左翼勢力の共同闘争のために暴力行使にまで至った党派闘争のあり方を考え直すことが出来ないだろうかと思っています。

 昨年の11月5日に日本共産党がわざわざ「赤旗」紙上に声明を出して中核派とカクマルとを憲法問題の共同闘争の場から排除しようとしたことに見られるように、一定程度両派が憲法闘争に合流し、しかも共産党の現場党員の間で党中央の体質に対する反感と相まって共感や支持を集め始めているのだろうと推察します。今まで新左翼とは敵対してきた日本共産党がなし崩しでは有っても共に行動するようになっている。そして現場の党員へのタガハメの為に声明を出さざるを得ない。ある意味新左翼の運動が再生できるかどうかの試金石ではないかと思うのです。先日行われた共産党の大会では野党連合政権の構想を提起した代議員がいたそうです。閣僚名簿には共産党以外の勢力の人士を多数候補にあげる物でした。この機に本当の意味で左翼の統一戦線を形成しないと、日帝の戦争国家化に向けた改憲策動と闘えないのではないか。

 既に国会の中は自公民三党だけでも改憲の発議が出来る程の圧倒的多数の改憲勢力が存在しています。それに対して護憲勢力は20に満たない。国会の中で勝負しても勝てない状況がある中で、大衆的決起を如何にして作り出すことが出来るのか。その為に何が障害となっているのか。暴力的手段を講じた党派闘争がしこりになっていると思われます。勿論スターリン主義者やファシストが、大衆闘争の高揚期には武装反革命として闘う勢力に襲撃を掛けてくることに対する革命的警戒心は絶対に必要だと思います。しかし、単に日和った人々に対してまで二つの武装反革命と同列に扱うのは行きすぎであろうと思うのです。60年代後半から70年代初めにかけて中核派の勢力が最も伸びたのは、中核派こそが最も良く日帝国家権力と闘い抜いたからに他ならないと思います。小泉内閣打倒・改憲阻止の闘争において左翼勢力の全てが先陣争いをする形でこそ党派闘争を闘って欲しいというのが私の思いです。

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2006年1月17日 (火)

阪神淡路大震災から11年

 今日で阪神淡路大震災から11年が経過した。あの日の朝、私は地震の揺れに寝ぼけて起きた物の直ぐそのまま寝てしまっていた。妻がタンスが倒れるのを防ぐのに懸命になっていたことを語り、私に小言を言った。そのまま普段通りに出勤したのだが、仕事でお客さんの歩か家を回っているとニュースにチャンネルを合わせている家庭が殆どで、時間と共に災害の規模の大きさが拡大していることを知った。昼食を取りに入った喫茶店で食い入るようにニューに注目していた。当時郵便局の保険職場では募集重点日という日が設定されていて、その日はちょうど重点日だった。この重点日によって様々な問題が発生していたために取り止めになるのだが、その大きな原因がこの阪神淡路大震災だった。

 仕事の手が空いた時間に同僚達と大変なことになったと色々と話しをしていた。中には阪神地域に親戚が住んでいたり、友人知人がいるので安否を気遣う人も居た。私にとっても労働運動関係の知り合いは勿論、それ以外の友人知人も住んでいるために不安が大きかった。私の職場や住居のある町では地震の影響はそれほど無く、老朽化した建物の屋根瓦が落ちたりする程度の被害しかなかった。その為話題はどうやって被災地の友人知人の安否を確かめるのかと言うことと、救援のために何かできることがないかという物になった。誰とも無くカンパを集めようと言うことになり袋が回された。その後で分会としても正式にカンパを募ることにした。中には五千円札を惜しげもなく入れる人も居た。殆どの人がお札でカンパした。分会員約60名で9万円あまりが集まった。尤もこんな時でも協力しようとしないマル生分子が存在したから度し難い。

 翌日であっただろうか、地区党の指導部にあって連絡を取ると、どうやら活動家の中に犠牲となった人がいないという事で有ったが、家族を失った人がいることなどは伝わった。帰り道で知り合いのいる分会幾つかに安否を問う葉書を出した。時間の経過と共に被災地への支援が組織立てて行われるようになり、私は党の方針と全逓の方針との両方で参加した。勿論郵政としての支援活動もあったがそちらは遠慮して、組合員には組合としての取り組みに全力を集中するよう要請した。あちこちで道路が寸断されているために車では荷物を運ぶことが出来ない陸の孤島も多かった。その中で全逓の動員によってバイクに積めるだけの支援物資を積んで運んだ。夕方は街頭でカンパを集め、休日は炊き出しなどにも参加した。妻の職場でも医療支援のために動員があったのだが、業務の一環でありながら賃金保障も何もない扱いであったので協力しなかった。もし組合としての取り組みだったなら率先して協力するよう妻を説得していたかも知れない。

 全学連の学生達が避難所を訪ね歩いては被災者の要求を聞き出す取り組みを行い、労組交流センターは震災によって失業した人々の雇用保険請求手続きを援助した。部落解放同盟全国連合会は住宅要求組合を結成して被災地の部落民の生活再建のために働いた。当時の中核派の運動の殆どが被災地支援と関連していた。勿論中核派以外の運動団体でも様々な形で支援が行われていたのだが、殆どの団体はボランティアとしての運動で、そこから労働者を組織するという観点は無かったように思う。

 あれから11年目の今日、奇しくも国会で耐震偽装問題の証人喚問が行われた。阪神淡路大震災の復興業務を円滑に行うことを口実の一つに行われた建築基準法の改悪と建築確認審査の民間開放が、国会を舞台に追求されている。自公与党はこの問題が政権中枢に波及するのを食い止めるために躍起となっているが、あの震災で亡くなった人々のためにも耐震偽造問題の幕引きを許してはならないと思う。

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2006年1月16日 (月)

熱田一氏の土地売却を嘆く

 三里塚芝山連合空港反対同盟熱田派の元代表熱田一氏が、所有する土地を成田空港会社に売却し、隠居するようである。ここ暫く管制塔元被告連帯基金の運動などを通じて熱田派内部にも空港に反対を続けている人々が存在していることを知っただけに、熱田氏がよりによって空港会社に土地を売却し、運動の場面から身を引くことが嘆かわしい。おそらく北原派の支援である中核派などは「所詮は脱落派」として切り捨ててしまうのだろう。残念なことである。

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 朝日新聞より引用

成田空港反対、熱田派元代表 所有地を売却へ

2006年01月15日23時36分

 千葉県の成田空港建設を巡り、地権者らで結成する「三里塚・芝山連合空港反対同盟」熱田派の元代表・熱田一氏(86)が、同空港用地内に所有する土地などを成田国際空港会社(NAA)に売却する意向であることを15日、同氏の妻が明らかにした。熱田氏は分裂後の反対同盟の中で最大派閥を率いた運動の象徴だったが、健康上の理由で代表を辞任した後は運動から遠ざかっていた。

 熱田氏の土地は反対運動の拠点としてやぐらがあった「横堀墓地」と呼ばれる場所で、現在は熱田家や活動家の墓がある。妻によると、この土地のほか一坪共有地や自宅などもすべて売却し、成田市内で娘夫婦と同居する予定だという。

 熱田氏は反対同盟が発足した66年から運動に参加。83年3月の同盟分裂で熱田派の代表になり、90年3月に辞任。

 成田空港を巡っては「暫定B滑走路」の2500メートル化延伸で昨年、地権者の同意が得られずに本来計画とは逆の北側への延長が決まった。熱田氏の土地は延伸問題にかかわる場所にはない。

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2006年1月15日 (日)

「内ゲバ」の無い運動を望む

 左翼の運動に限らず様々な運動において意見の対立をゲバルトで解決しようとした事は多かったと思います。幕末の尊皇攘夷運動の中にあっても対立する派閥が主導権を巡って暗殺や乱闘を繰り返していました。大政奉還の立役者であった坂本龍馬を暗殺したのは、その事で倒幕の口実が無くなることを恐れた薩長の強硬派であったという説もあります。右翼の間でも色々と内ゲバはあるわけで、統制派と皇道派の対立なども内ゲバの一種といえるでしょう。時代が近く、当事者も非常に多数にのぼっていることから、左翼の中でも取りわけ中核派対カクマルの内戦が有名です。 

 私の意見はカクマルを左翼ではなくファシストとして捉えている点で、今でも中核派と変わりません。むしろ最近の中核派が革命軍戦略を後景化させ、新指導路線の下で大衆的に包囲解体する戦略に転換しているのだと言うことが、つい最近まで理解できていませんでした。この様なことを書くと「内ゲバ」を容認しているとして批判されるのは承知の上でのことなのですが、バリケードの向こう側に行ってしまった人間達をいつまでも「内」と呼ぶことに違和感を覚えるのです。そしてそれ以外の党派の間あるいは大党派、大きなノンセクトが自分たちより小さな党派や少数のノンセクトに対して仕掛けたゲバルトについてはお互いに反省する必用があるのではないかと思います。共産党における書簡派と国際派とのリンチ合戦や全共闘活動家への武装襲撃、法政や京大において中核派がノンセクトなどに対して行ったという恐怖支配、あるいは「内ゲバ反対」を党是として掲げていた第四インターであっても、自分たちの拠点から他党派に決起しようとした人間に対して暴力を振るい恫喝を行ったという事例をkamakazuさんの「別に気にしなくてもいいんだが」で読むに付け、多くの反体制運動にとって暴力を持って自論を押し付けようとする傾向が多かれ少なかれ有るのだと思いました。

 どこで読んだのかは忘れてしまったのですが、韓国における学生運動の間では日本における「内ゲバ」を相当教訓化していて、様々な潮流がある中でも暴力的激突にまで発展させない努力が行われているそうです。韓国の運動から私たちは学ぶ点が非常に大きいのではないでしょうか。運動内部においてはとことん非暴力を貫き、民間反革命の武装襲撃に対しては断固とした反撃体制を維持する。つまり武装自衛の考え方を徹底させることで乗り越えることが出来るのではないだろうか。私の場合は労働者活動家であったために暴力沙汰にまで発展した党派闘争という物を経験していません。また最大のゲバルトを持っている中核派の活動家であったという点でも、私に対して脅迫などを行ってくるのはカクマルくらいのものでした。だから一方的にやられる立場であった人からすれば甘い考えだとのそしりは免れないと思いますが、左翼陣営の中において統一戦線の再形成を望まざるを得ません。今の小泉自民党内閣のファシスト的手法をも用いた反動政治の前に闘うものが分裂している状況は何としてでも打破すべきだと思うのです。党派闘争の決着は対権力闘争の進展の中でこそ決着を付けるあり方に、今からでも改めるべきだと思います。

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2006年1月13日 (金)

禁酒禁煙は難しいなあ

 私はお酒が好きで、一週間の内一日の休肝日を除けば大体夕方か食後の散歩の後に飲み始めます。本当は鬱病の薬との相性のために酒量は減らした方が良いらしいのですが、一時期はヤケになって浴びるほど飲んでいたこともありました。タバコについては少ない日は20本程度、多い日は40本、平均して30本くらい吸っています。これも発ガン性の問題や気管支の病気などにかかりやすいので健康のために良くないことは頭の中では分かっているのですが、中々止めることが出来ません。過去何度か禁煙に挑戦したことがあったのですが、残念ながらすべて挫折しました。

 タバコの場合、吸うようになったのは二十歳を過ぎて郵便局に入ってからのことでした。どうしても営業活動の中で時間調整のために手空き時間が出来るのですが、その退屈しのぎのために吸うようになりました。最初の頃は一日五六本吸う程度でしたが、次第に数が増えて上記のような現状にあります。最も困ったことは風邪を引きやすくなったことです。一人暮らしをしていたので食生活が偏り、ビタミン不足の状態で吸っていますから、唯でさえビタミンを破壊する喫煙が、健康上良くないわけがありません。肺機能の低下のために持久力もなくなりました。活動家時代に権力の尾行をまくために走るときに息が続かなくて困ったこともありました。間接喫煙による家族への健康問題についても色々思うところがあり、子供が生まれてからは換気扇の下でしか吸わないようになっています。また、車内は禁煙にしています。

 この様に健康のために良くないことが分かっていてもタバコを止めることが出来ないのはニコチン依存症になっているからなのです。血中のニコチン濃度が低下すると禁断症状のためにイライラするようになります。すると些細なことで子供を叱ったりすることもあります。私の住む町の市民病院には禁煙外来の権威の先生が勤めていて、そちらに通院することで禁煙に成功している人も多いのですが、中々そこまで踏み切ることが出来ません。自分の健康に悪いことと知りつつ止められないというのが本当のところです。

 では何故この様に健康のために百害あって一利無しのタバコを、政府は製造販売を容認しているのでしょうか。それはタバコ税による税収が非常に大きなものだからです。日本たばこのホームページによると270円のタバコ一箱あたりの税額は170円70銭になるそうです。私の場合一月45箱を吸いますから年間で92178円の税金を納めていることになります。妻も喫煙者で一日平均40本吸っていますから、妻が122904円、夫婦合わせて215082円の税金を負担しているわけです。実際に計算してみるとこれほど多く納税しているのかと驚く次第です。03年のタバコ税総額は日本全体で2兆2759億円に上ります。この巨大な税収のために、政府は国民の健康に有害であるタバコを製造も販売も禁止しようとはしないわけです。実際問題タバコによる健康被害によってどれほどの医療費がかかっているのか、今日はそこまで資料を調べていませんが、おそらく税収以上の損失が出ているのではないかと思われます。そして公共施設などにある喫煙スペース設置の費用なども合わせると、タバコによって本来ならば必用のない投資が求められるわけです。

 タバコ税と関連産業の利益のために政府は有毒物質を野放しにしているというのが本当のところではないかと思います。ここに私は、禁煙できない自分の弱さを棚上げしますが、資本主義の本性を見ることが出来ると思うのです。つまり有害であれ何であれ、その商品が売れるのならば兎も角金儲けの手段にしようというあり方です。BSEに汚染されている可能性が非常に大きいアメリカ産牛肉であっても利潤を上げるためなら使用したいという吉野家やすかいらーくグループ、多くの薬害エイズ患者を生んだミドリ十字などの血液製剤、環境に与える悪影響が甚大であるにも拘わらず合成洗剤の生産販売を止めないライオンや花王石鹸。これらすべては資本主義の問題その物の現れであると思うのです。

 タバコの問題に話しを戻しますと、現在ニコチン依存症になっている喫煙者については様々な手段を講じて禁煙への助力が必用であると思いますが、青少年の喫煙に関しては、自動販売機の規制や、購入のために登録制度のような物をもうけることで新たな喫煙者の発生を防ぐことは出来ます。しかしながらこの様な制度すら、現在の資本主義の体制の中では全く講じられようとはしていないわけです。本当に国民の健康を守るためならばタバコその物の製造販売を禁止すべきだと思うのです。そしてその為には現在の社会のあり方を大幅にひっくり返すことが必用なのではないでしょうか。儲けのためなら何でも有りの資本主義を転覆することが、実はタバコの問題においても必用なのか知れません。お酒については話がどこかに飛んでしまいましたので、また機会が有れば書くことがあるかも知れません。

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2006年1月12日 (木)

鶏雑炊

 先日来の息子のかぜが移ったようで、今日は朝から長女が八度七分、次女が八度三分の熱を出しました。私も軽く引いたようで朝から頭が重く午後三時頃まで寝込んでいました。朝食は何とか食べることが出来たのですが、昼食は寝たままだったので食べませんでした。子ども達は残り物のご飯やインスタントラーメンを自分で作って済ませてくれました。

 夕飯は消化によい物と言うことで雑炊を作る事にし、息子と二人台所に立ちました。大根の半月切りと長ネギを刻むのは息子が手伝い、私は鶏肉を一口大に切って大根葉を細かく刻み、昆布を土鍋に入れて水に浸し、柔らかくなったところでそれも食べられるように細かく刻みます。研いだお米にビタミンやミネラルの補給のためにヒエや粟などの雑穀を混ぜ、ことこと煮立てる。塩と醤油で味を調え、大体出来上がったところに溶き卵と大根の葉っぱを入れて、しばらく蒸らして出来上がり。子ども達は熱のために舌の感覚がおかしくなって味が分かりにくかったようですが、兎も角残さず食べてくれました。体調が今ひとつなので今日は簡単に済ませます。

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2006年1月11日 (水)

06春闘始まる

 今日午前、経団連会館において日本経団連と連合との労使首脳懇談会が開催され、春闘が事実上開始された。連合は景気の回復を背景に賃上げ要求を強め始めているのだが、その内容は残念なことに日本経団連側の賃上げ抑制の論理に対して発行から反駁しうる物になり得ていないように思える。連合の意見では「短期的な病咳は一時金で還元するという考えは否定しないだ、基本は月例賃金の改善はあってしかるべきだ」という、非常に弱い調子の物に過ぎない。

 労働貴族である連合首脳は、今日の労働者人民が置かれている窮状を全く理解していないようである。既に小中学生に対する修学補助は膨大な金額にのぼっており、東京のある学校では授業の際に教師がメモ用紙と鉛筆とを配布しないと授業が出来ない状況も起きている。これらは親が企業のリストラによる賃金切り下げなどの結果、子供の教育均等の機会すらが奪われている現実を示している。義務教育に置いてすら現状はこの様に悪化しているのだ。既に数年前から高校や大学においては、親の賃金切り下げや失業のために中途退学する生徒・学生が急増している。この現実を突破するためには、賃金とは何であるのかの原則に立ち返り、生活に必用な賃上げを全産業で要求するのでなければナショナルセンターとしての存在価値その物が問われると言えるだろう。

 労働者にとって賃金は生活を支える絶対必要不可欠な物なのだ。それがバブル崩壊以降この間の様々な賃金切り下げの攻撃によって、既に最低限の生活すら保障されていない貧困層が大量に生み出されている。ニートやフリーターと呼ばれる青少年の失業者の増大も、すべては連合が資本の攻勢に屈服する中で発生している問題なのだ。連合は労働組合の最低限の責務である賃上げと要員増の要求を今春闘で果たすべきだ。

 以下、毎日新聞夕刊より引用
 06年春闘:実質スタート 日本経団連、連合が首脳懇談会
 日本経団連、連合の労使双方の首脳懇談会が11日、東京都千代田区の経団連会館で開かれ、06年春闘が実質的にスタートした。景気回復で多くの企業が業績を上げるなか、連合側は賃上げを求める動きを強めている。一方、経団連は「横並びのベアではなく個別企業の判断で」という立場。好業績を背景に賃上げできる企業と、できない企業の差が際立つことで、「企業間格差」が一段と広がりそうだ。

 懇談会の冒頭、連合の高木剛会長は「二極化、デフレ下の格差社会への強い懸念がある。大企業と中小企業で働く人の労働条件の格差も拡大している。パート、派遣で働く人たちの処遇問題も、働き方の二極化という点で将来の懸念材料の一つだと感じている。この十数年間、労働者もがんばってきた」とあいさつした。経団連の奥田碩会長は「日本経済は外部環境が順調に進み、企業業績はここ数年来なかった一番いい状況になった。しかし、今年は石油など資源価格の問題も抱えており、企業業績も昨年のような大幅な向上は期待できない」と述べた。

 懇談では、経団連側は「個別性が高まっており、横並びでの賃金水準を底上げする横並びベースアップは今後ありえない」と各企業の個別判断を強調。さらに、エレクトロニクス業界からは「国際競争力を念頭に置きながら、従業員の処遇や賃金を考える必要がある」との意見も出た。これに対し、連合側は「製造業を含めて業績が回復している。短期的な業績は一時金で還元するという考えは否定しないが、基本は月例賃金の改善はあってしかるべきだ」と述べた。

 春闘は2月ごろから企業別労組の要求額が決まり、3月中旬以降に企業側の回答が出てくる予定。【須佐美玲子】

毎日新聞 2006年1月11日 11時08分 (最終更新時間 1月11日 12時50分)

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2006年1月10日 (火)

泣き虫ぐずりん

 息子が土曜日から熱を出している。どうやら風邪を引いたようだ。歯医者の予約を入れていたのだが八度三分の熱があったので電話を入れて一週間延期してもらう。大人しくしているように言っても聞いてはくれない。オモチャを色々引っ張り出して散らかして遊んでいる。現在のお気に入りはお年玉で購入したムゲンバインと言うブロックのように繋いで遊べるロボットの人形だ。色々買い足せば無限にバリエーションが楽しめるらしい。色々と組み替えて遊んでいる。この日は食欲もあり、夕飯後にお茶漬けを追加で食べたほどであった。犬の散歩は、用心して留守番させることにしたが、息子は一人では留守番が出来ないので妻が一緒に残ろうとしたところ、「お父さんがおって」とせがむ。娘達は五歳くらいの時には一人で留守番できたのだが、末っ子で甘やかせたためだろう、困った物である。

 薬の効果もあったようで日曜には熱が下がって元気になったのだが、調子に乗ってジャンパーも着ないで外ではしゃぎ回ったため、今日の朝になって再び八度七分の発熱である。本当なら娘達の冬休みが終わるのに合わせて今日から保育所に行くはずだったのだが、しばらく休むことになりそうだ。朝から食欲が無く何も食べてくれない。テレビで再放送の「金田一少年の事件簿」らんま2分の1を見せる。コタツに横になっているので眠るように言うと添い寝してくれと言う。一緒に横になっているといつの間にか私も寝入っていた。昼食だからと妻に起こされるまで全く正体をなくして眠りこけていた。息子は相変わらず食欲が無くて昼食にも手を出そうとしない。三時頃にはさすがにお腹が空いたようで、おやつのバームクーヘンを食べてくれたので一安心。その後再び昼寝してくれたのだが、熱のせいか泣きながら寝返りを打ったりしていた。

 夕食も一向に箸が進まないので、妻が「ご飯食べられへんなら明日は病院で点滴してもらおうな」と脅して、どうにかおかずだけは食べさせることが出来た。食後に散歩に行こうとすると足にしがみついて離してくれない。今日は妻が泊まり明けなので息子と留守番しようとしたのだが、「お父さんもおって」と泣きじゃくる。「お姉ちゃん達だけやったら散歩出来へんやろ」と言い聞かせてどうにかこうにか散歩に出かける。帰宅すると息子は寝入っていたのだが、次女がばたばた歩いたために目を覚ましてしまった。寝起きでべそをかきながら抱っこしてくれとせがんでくるので暫く抱いていたが、寝かそうと思って寝室に連れて行く。添い寝してやれば眠るだろうと思ったが、息子は眠気が飛んでしまったようで絵本を読んでくれだの色々と注文がうるさい。結局居間に移ってビデオを見ると言い出したので今は「爆走兄弟レッツゴー」を見ている。泣き虫で甘えん坊で我が侭なのだが、それでも可愛いと思うあたり、何だかんだ言っても私は「親バカ」なのだと思う。

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2006年1月 9日 (月)

アスガルド

 「アスガルド」と行っても北欧神話の話しではなくて、ネクソンというゲーム会社のオンラインロールプレイングゲームのことだ。11月の下旬から、メル友の勧めで始めたのだが、結構面白いので二日に一回くらいの割合で接続して遊んでいる。ゲームの簡単な概要はホームページで読んだのだが、今ひとつ全体像が分かっていない。とりあえず基本の五つの職業と、それに対応した五つの町がある。それぞれの町を基地にして色々とクエストに挑んでレベルを上げ、冒険を続けると言うことになっている。職業は戦士・盗賊・聖職者・魔術師・修道士の五つで、戦士の発展型に騎士、魔術師の発展型に吟遊詩人という職業もある。

 ひとまず基本の中から修道士という格闘家のような職業を選んで遊び始めた。最初の内は弱くて弱くて、すぐに死んでしまう。それこそ初心者用のクエストすら四苦八苦して進めていた。その内にゲームの中で友達が出来て、色々とアイテムを貰ったり、レベルあげに連れて行って貰う。単独でならとても倒せないようなモンスターも、レベルの高い人と一緒なら簡単に倒すことが出来る。お陰で経験値も簡単に上がり、レベルも次々上がっていく。レベルが21になるとギルドに加盟することが出来るようになり、更に知り合いが増える。先日はゲームの中での結婚式にも参列することが出来た。唯、ネカマなる、本当は男なのにネット上で女性のふりをしている人やその逆もいるから、それが良いことなのかどうかは分からない。

 一つのサーバーで三つまでのキャラクターを登録することが出来るので、先日からもう一つ戦士を登録した。戦士には様々な武器を使った戦闘が可能なのだが、剣を中心に使うように育てている。そうそうネクソンは韓国のメーカーなので修道士の使う技の中にはネリチャギと言うテコンドーの技がある。たしか日本語ではかかと落としと言って、癌でなくなったK1のアンディ=フグ選手の得意技だったと思う。まだまだ初めて間がないので、このゲームの魅力を語り尽くすことが出来ないのだが、結構面白い。

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2006年1月 8日 (日)

米兵の犯罪相次ぐ

 横須賀を母港にする米空母キティーホークの乗組員が強盗殺人で逮捕されてからそう日にちも経たないのに、またしても今度は沖縄の海兵隊基地内でタクシー強盗が発生した。7日付沖縄タイムス夕刊の報道によると犯人は米海兵隊基地内に呼び出したタクシーを狙って犯行に及び、そのまま基地内に逃走したという。

 相次ぐ米兵による犯罪は一体何故発生しているのだろう。ハッキリ言えるのは米兵の人心が荒廃していると言える。同時に日米地位協定によって、米兵の犯罪が殆ど処罰されないし、処罰されたとしても米国で同種の犯罪を犯した場合より刑が軽いという現状から、日本における犯罪は垣根が低いのだと言うことだろう。米軍は常に戦争をしている状態にあるわけで、その為に死への恐怖から逃れるために犯罪に手を染める兵士が多いという。それはイラクのような最前線だけではなく、後方基地である沖縄や横須賀においても、戦場帰り、あるいはこれから前線に派遣されることによって精神を病んでいる米兵が非常に多いのだと思う。米兵の犯罪を許せないし、その原因となっている日米安保その物の破棄が、今こそ必用なのではないだろうか。

 追記 年末には八王子で女性米兵が小学生三人をひき逃げし、その後逮捕された物の公務中という理由で即日釈放。今月7日には佐世保で米兵が女性をひき逃げした後でバーで平然と酒を飲んでいたという。

身柄引き渡し受け、強殺容疑で米兵逮捕 横須賀殺人事件

2006年01月08日02時43分

 神奈川県横須賀市でパート社員佐藤好重(よしえ)さん(56)が殺害された事件で県警は7日、米海軍の空母キティホーク乗組員で上等水兵ウィリアム・リース容疑者(21)を強盗殺人容疑で逮捕した。「取り返しのつかないことをした」と事実関係は認めたが殺意は否認し、動機については「正直言って理由はない」などと供述しているという。リース容疑者は米軍横須賀基地で身柄を拘束され、同日午後に開かれた日米合同委員会で米側が引き渡しに合意。県警が身柄引き渡しを受けて午後5時15分に逮捕状を執行した。

 県警が逮捕状を取ったのは7日午後2時過ぎ。日本側は日米合同委員会で、日米地位協定の運用改善合意に基づいて起訴前の身柄引き渡しを米側に求めていた。起訴前の身柄引き渡しは4例目。取り調べに米軍関係者が同席することを認めた04年の合意以降は初めて。

 調べでは、リース容疑者は3日午前6時半ごろ、横須賀市米が浜通1丁目の雑居ビル1階入り口付近で、通勤途中だった佐藤さんの顔や腹部を殴るなどして内臓破裂で失血死させ、財布から現金1万5000円を奪った疑い。

 県警はすでに米軍からリース容疑者の所持品の提出を受けており、このうちジャンパーや靴、1万円札に付着していた血痕と佐藤さんの血液型が一致した。

 県警によると、リース容疑者は佐藤さんを殺害した後、財布から1万円札と5000円札を抜き取って現場を立ち去った。午前7時ごろ、基地近くのコンビニエンスストアに立ち寄って菓子などを購入。トイレで手と靴の血を洗い流して基地に戻ったという。

 これまでの調べに対して「1万円札しかもっていなかったので、タクシーに乗るために両替してもらおうと思った」と供述。「ポケットから財布を取り出そうとしたら佐藤さんが胸を突いたので、かっとなって突き倒した」とも話し、計画性を否定している。

 県警はリース容疑者が佐藤さんに激しい暴行を加え、殺害直後に現金だけを抜いて逃走したことや、犯行時には1万円札を所持していなかったとみられることなどから、当初から通行人を殺害して金を奪う目的だったとみている。

    ◇

 米海軍は7日、事件に関与した可能性があるとして拘束していた別の兵士を釈放した模様だ。県警もリース容疑者の単独犯とみている。

    ◇

 これまでに米軍が起訴前の身柄引き渡しに応じた例は次の通り。いずれも日米合同委員会で正式要請し、2~4日で身柄が引き渡された。

 96年7月、長崎県佐世保市の強盗殺人未遂事件で海軍兵を逮捕(長崎県警)▽01年7月、沖縄県北谷町の強姦(ごうかん)事件で空軍兵を逮捕(沖縄県警)▽03年6月、沖縄県金武町の強姦致傷事件で海兵隊員を逮捕(同)。

基地内でタクシー強盗/キャンプ瑞慶覧

 七日午前一時二十分ごろ、北谷町大村の在沖米海兵隊キャンプ瑞慶覧内で男にナイフを突きつけられ、タクシーの釣り銭を奪われた、とタクシー運転手の男性(61)から一一○番通報があった。運転手にけがはない。宜野湾署が強盗事件として米軍憲兵隊と協力し、捜査している。神奈川県横須賀市の女性殺害事件で空母キティホーク乗員の米兵(21)が犯行を認めた直後に、米軍監視下の基地内で発生した凶悪事件。基地周辺自治体の関係者らは驚き、怒りの声を上げている。

 宜野湾署の調べでは、同日午前零時五十分ごろ、キャンプ瑞慶覧内の兵舎前路上で、無線で呼び出されたタクシーが車を止めたところ、外国人らしき男がいきなり運転席側のドアを開け、ナイフを突きつけた上、「ギブミーマネー」と脅した。

 運転手の男性がズボンポケットに手を入れ、金を探しているふりをすると、男は男性の左胸のポケットに手を突っ込み、男性のIDカードを取り出し、金でないことを確認して投げ捨てた。

 男性が運転席の左側にあった釣り銭箱から約五千円と約五㌦をすべて硬貨で手渡すと、男は兵舎の裏へ走って逃げたという。

 男は身長一七五センチぐらいのやせ型。黒のフード付きジャンパーを着て、フードを手で引っ張り顔を隠した状態だったという。男性の話では、男は若い黒人とみられる。

 男性が基地内で客を探していたところ、無線で兵舎前に客が待っていると聞き、兵舎前の玄関に車を止めると男が兵舎奥の駐車場付近で手招きをしたため、近づくと被害に遭ったという。男性は兵舎の管理人に通報した後、携帯電話で一一○番通報した。

 同署は憲兵隊と協力して、鑑識活動や実況見分などの捜査を実施している。

身柄引き渡し迅速対応促す/知事公室長

 キャンプ瑞慶覧内で起きたタクシー強盗事件について、県の花城順孝知事公室長は「県としては当然のことながら、米軍に綱紀粛正を求めていく。(容疑者が)米軍基地内に逃げ込んだのであれば、拘束され次第、できるだけ速やかに日本側に身柄を引き渡すべきだ」と米側に迅速な対応を促した。

乗務員は不安、仕事できない

 伊集盛先・県ハイヤータクシー協会会長 昨年からタクシーを狙った事件が相次ぎ、乗務員に注意を促している矢先だった。こういう状況では乗務員が安心して仕事ができない。関係当局には強く抗議するとともに、二度とこういう事件が起きないよう再発防止を要請したい。

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2006年1月 7日 (土)

党のあり方って何だろう?

 党を離れて既に一年以上の時間が経過しているのだが、最近の思想内容や行動などを振り返ってみると、かなり中核派と離れてきていることを感じずにはいられない。一番端的な出来事で言うと、管制塔被告連帯基金への協力とお礼の会への出席、そして第四インターに対する殲滅戦の行使が行き過ぎだったのではないかと思う様に至ったことだろう。お断りしておかなければならないのは第四インターへの襲撃は「やり過ぎ」だったと思うのであって、三里塚反対同盟の分裂を利用して党派内部の問題、俗に言うABCD問題乗り切りに利用したことは未だに許されることではないと思っている。

 しかし現役当時であったのなら思いもつかないような考えや行動をするようになっている自分のあり方を見つめるときに、思想的一致を築く行為というのは本当に大変なことなのだと思わざるを得ない。これはどの党派であっても同じ事だと思うのだが、運動に参加しているそれぞれの個人は出身も違えば学歴も職場環境も違う。それらの人々を党の目標に一体となった行動を求めるわけだから、機関紙活動、会議、財政活動のレーニン主義党組織論の三原則を通じて思想的一致を勝ち取らなければ何事も進めることが出来ない。これは自民党や資本家団体のような利権を目的としている場合であっても内部での意見対立などは生じてくるので、まして個々人の活動家にとってはあまり利益になることがない革命運動の場合、思想問題は本当に重要なことになる。はっきり言ってしまえば、革命運動では末端の党員・活動家には経済的によいことなど全くない。個別利害を超えるためには階級的視点から物事を見聞きし考えなければならない。若い内であれば正義感と行動力とがこの問題を解決するのに大きな力となってくれるのだが、そうそういつまでも持ち続けることは容易ではない。そこで重要なのが共産主義思想にどれだけ確信を持つことが出来ているかになってくると思う。

 現在の私は共産主義が正しいという思いは持ち続けているわけだが、それを一個人の努力で維持する状態にある。党組織の存在と言う物の重要性は、孤立している場合に生じてくる様々な悩みや思想的偏向を組織として全体の力で解決し、向上していくために絶対的な物があると思う。徹底した思想的一致を勝ち取るための討議をどの様に形成するのか、そのあり方によっても党の性格は大きく変わってくるだろう。残念なことに私が現役の活動家であったときの組織のあり方は思想的一致を勝ち取るために欠けている物が沢山あったように思う。主体としての私自身の問題が非常に大きいわけではあるが、正直言って官僚的な傾向も強かったように思う。私自身がもっと大きな声で自分の抱えている問題点、悩みについて訴えれば良かったのだが、聞いて貰える状況ではなかった。またその問題を解決する力量が当時の指導部にあったのかも疑問がある。

 党のあり方としてどの様な物が望ましいのか、今は自分の中に明確な物がないけれど、色々と学習する中で自分にとって望ましいあり方を見つける必用があるだろう。少なくとも今までの党のあり方では、私がやって行けなくなった訳であるから、別のあり方を模索するしかない。どの様な党の下でどの様にして思想的一致を勝ち取ることが出来るか。色々と考えることは尽きない。

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2006年1月 6日 (金)

郵政研修所

 87年の運動については、部落解放同盟荒本支部による東大阪市議選以外には、実は他人様に語れることが殆どない。前年に郵便局に採用となっていたのだが、この年は研修所の日程の加減もあって、翌87年まで研修所にはいることがなかったのだ。その為、87年の前半の内約二ヶ月を郵政研修所の寮で生活することになった。研修内容は今日では名称も変わっているのだが、初等部訓練と新任業務訓練という。前者は郵政省に採用された職員全員が受ける物で、職種によって郵便集配の郵便クラスとその他の職種の総合クラスとに分かれている。私の場合は保険外務員としての採用であったので総合クラスで郵政局や事務センター、無集配特定局に新規採用された同期と一緒に研修を受けた。内容としては郵政事業全般について、法律や業務上の知識に接遇マナーなどを学んだ。年齢は高卒ですぐ採用された18歳から私のように何らかの前職がある人間や大卒者を含めて24歳までであった。本当は貯金か保険の外務員の場合、40歳まで採用しているのだが、たまたまこの年は年配の同期はいなかった。バブルが始まった当時だったので、低賃金に愛想を尽かし、辞めて民間企業に転職した者も結構いたが、研修終了後しばらくの間は同窓会などをして付き合いがあった。

 後者は私のような新規採用者もいたのだが、殆どは郵便局員として数年働いて、人事異動によって職種が変更になった職員が、新しい業務についての知識を学ぶ物で、こちらの研修は幅広い年齢の参加者があった。確か50近い年令の人も居たように思う。何年間も働いているので中には組合の役員を経験している人なども結構居て、色々と組合に関する話しも教えて貰うことが出来た。調度この年は韓国の民主化闘争が激しい年で、研修所の休憩室に置いてあるテレビにかじりついて韓国の学生や青年労働者達が機動隊を相手に市街戦をしている映像を食い入るように見ていたことを覚えている。

 研修所に入っている時に困ったのが、機関紙活動と会議であった。研修期間中は基本的に外泊が出来るのは土曜と日曜の晩だけで、それ以外の日には門限があり、就寝時間になると点呼が行われていた。当時は「前進」を火曜か水曜に受け取って、週末の会議までに呼んでおかなければならないのだが、研修所の中で「前進」を読むことも出来ず、会議当日に早めに前進社に入って慌てて読むという事をして会議に参加した。担当していたシンパへの「前進」配達は別の人が変わってくれたのでまだ助かったのだが、十分読み込んでいない状態で会議に参加するのは結構しんどかった。後に「前進」を全然読まなくても平気になってしまうのだが、この当時は隅から隅まで何度も繰り返し繰り返し読んでいた。

 研修所では、現在ではなくなってしまったのだが、同僚達による激励と称した飲み会が度々あった。時には組合の役員がやってきて加入のオルグをすることもあった。全逓と全郵政とが同じ職場に存在していると、このオルグがかなり熾烈な物になることもある。お互いが組織拡大にしのぎを削っているからだ。当局の人事政策も今日のJPUのようにトコトン屈服していたわけではないので、あまり早く全逓に加入してしまうと配置転換される可能性もあった。そこで暫くは未加入で通し、転勤の可能性が無くなった時点で全逓に加入した。採用から約半年がたっていた。今にして思うのは研修所の同期との間で、もっと密接な人間関係を作っておくべきだったと思うのだが、それは後の祭りかも知れない。

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2006年1月 5日 (木)

関西生コン支部の闘い

 今月13日で関西生コン支部の武建一委員長が不当にも逮捕されてから丸一年が過ぎることになる。私は昨年「耐震偽造問題と労働運動」と題して関生支部の闘いを紹介した。年末に関生結成から昨年の弾圧に至までの詳細なルポルタージュである「告発!逮捕劇の深層 生コン中小企業運動の新たな挑戦」を読了し、より詳しい経過と何のために大阪府警公安部が労働運動弾圧のために介入しているかについての一層の理解をすることが出来た。関生の闘いを詳しく紹介することで、労働運動にとって総研やヒューザー・木村建設などの小物のみに止まらず、日帝独占資本その物と真っ向から切り結ぶ事の必要性を訴え、今日の耐震データ偽造問題が実は氷山の一角に過ぎないことに警鐘を鳴らしたい。

 生コン業界というのは中小零細企業が殆どで、親会社にセメント資本を持つ場合も多く、そのセメント販路拡大のために次々と新しい企業・設備が開設され乱立状態にある。そしてその生コンの販売先であるゼネコン各社からは常に安い値段での買い叩きを受けるために、高く仕入れて安く売るという実態が約50年の長きにわたって続いている業界である。当然その為には労働者に対しては低賃金での長時間労働が強制され、品質の保持など関係ない粗悪品の販売を通して生き抜こうとする悪徳業者が後を絶たない。武委員長は65年全自運(全国自動車運輸労働組合)関西生コン支部委員長になって以来40年、現在の全日本建設運輸連帯労働組合(連帯労組)関西生コン支部と組織変更まで一貫してその職に就いてきた。つまり武委員長の経歴は文字通り生コン労働運動と一体の物としてある。

 組合結成以前の職場では月の残業時間が200時間を超え、年間休日は三が日のみと言う劣悪な労働条件が当然であった。そして組合自身も会社側の労務管理組織の一環として結成されている物が多く生コン労働者は本当に社会の底辺に置かれる存在であった。時には労務担当としてヤクザが雇い入れられナイフを突きつけて労組からの脱退を強要したり、武委員長自身五回も拉致監禁された経験を持っている。更には経営者に依頼されたヤクザに殺害された組合員も二人いる。その様な状況の中で武委員長達は生コン労働者にも人並みの生活を要求して闘いを着実に前進させてきた。

 70年の万博景気の反動で、関西の生コン需要は激減する。その後の中小企業は次々と倒産や工場閉鎖の憂き目にあうことになる。その時関生支部は企業別ではなく産別組合として運動を発展させてきた経験から、経営者に対して中小企業も連帯することでゼネコン資本の買いたたきに対抗し、生産調整を行うことを提起する。よく労組が強いと経営に響くなどという俗論を言う者がいるのだが、実際には産別労働運動の場合にはそれは当てはまらない。企業別組合が主流の日本においては、それらの組合の殆どは企業の経営危機を強調されると「会社有っての従業員」という狭い視野からの物の見方によって企業経営者のために労働者の労働条件を切り売りし、その事で経営者の手先となることが多い。ところが関生の場合には一人で加入できる産別組合という形態をとっているために多くの企業のすべての労働者の労働条件、生活を守るために幅広い視点から生コン産業全体の生き残る道を模索したのだ。生コン企業に対しては協同組合の設立と加入を呼びかけ、その事でセメント資本、ゼネコン資本に対する交渉力を強化し、更に個別の生コン企業からその背後に存在するゼネコン・セメント資本に対する申しいれを行うことで、セメントの仕入れ値を下げさせ、生コンの販売価格を適正な価格に戻すよう交渉した。個別資本の背後にいる銀行資本に対してもその取り組みは広げられていった。

 生コン支部の闘いは大きく広がり続け、その発展に対して80年代になってから資本と警察とヤクザとが一体となった弾圧、組織破壊の攻撃がかけられる。当時の日経連会長でセメント協会会長でもあった大槻文平は「組合運動の範囲を超えた組合があって、セメントの不買なども行われており、こうした動きは十分警戒しなければならない」「関西生コンの運動は資本主義の根幹に拘わる運動をしている」などと敵対心を顕わにしている。関西生コン支部の当時の上部団体である運輸一般は、後の全労連の前身である統一労組懇に参加する共産党の影響力が強い組合で、事実関生支部にも数百の共産党員が存在していたのだが、共産党は闘争の発展による弾圧が運輸一般および共産党にまで広がることをおそれ関生を切り捨てる。この構図は現在の国鉄1047名闘争においてもあくまで現職復帰を求めて闘う闘争団に対して権利停止を始めとする様々な処分を降ろしているのが国労内部の共産党系役員であることとまったく同じ構図である。関生と運輸一般の良心的組合員の多くは共産党と袂を分かち連帯労組となる。

 弾圧の結果組織と協同組合運動はいったん後退することになるが、90年代に入りバブル崩壊の結果再び生コン業界にとって困難な時期に入るや、企業経営者の中にも関生を始めとする関連組合との共闘によって生き延びることを選択する者達が現れてくる。そして95年の阪神淡路大震災の被害が起こる。安全と思われていた高速道路の倒壊など様々なコンクリ作りの建造物が崩壊するのだが、その多くは70年代から80年代の景気後退期に粗悪な生コンを使用していたり、鉄筋の変わりに空き缶やゴミなどが混入していると言う者であった。関生は労組として独自にこれらの調査を行い、品質管理こそが生コン業界の生き残る道であることを確認し、協同組合運動を再度前進させ始めた。そして一定の成果が現れるようになってきた今日かけられたのが、今回の武委員長を始めとする役員への逮捕弾圧であったのだ。

 耐震データ偽造問題はけして姉歯元建築士のみの行った個人的犯罪ではない。その背後には常に生コンを買いたたくことで超過利潤を得ようとしてきたゼネコン全体の体質があるのだ。関生支部への弾圧に抗議し、守り抜き、安全な生コンを供給できる業界と労働者が人間らしく生きられる労働条件を勝ち取ることが、二度と耐震データ偽造問題を繰り返させないために必用である。

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2006年1月 4日 (水)

生え替わり

 子供の成長は嬉しい物で、大晦日の夜に息子の乳歯が抜けた。子ども達がお笑い番組を見ていて、私はパソコンに向かってブログの更新をしていたときだった。不意に息子が「歯ぁとれた~」と言ってきた。見ると下の前歯が取れて歯茎から血が出ている。息子にとっては突然のことで泣きべそをかいている。私と娘達が何でもないから泣かないで良いよと宥める。五歳七ヶ月で歯が抜けるのは早いほうではないだろうか。毎日見ていると気づかないがいつの間にやら大きくなっているのだと感慨にふける。

 歯が抜けた後にティッシュを詰めて血を吸わせる。すると調度テレビには息子のお気に入りの芸人が登場したので、息子は泣き笑いしながらそれに見入っている。「明日になったら歯が丈夫になるおまじないをしてあげるからね。大人の歯が生えてくるんだよ」と教えるとどうにか泣きべそは収まった。年が明けて元旦の朝、実家に帰る前におまじないをする。私自身子供の時にして貰った物で、屋根に向けて抜けた歯を投げあげる。「○○の歯、鬼の歯より強くなあれ」歯はコロコロと転がり落ちてくる。再び繰り返すがまたも落ちてくる。「強くなる気ないんかな」と私が言うと一同苦笑する。三度目の正直で成功して、その後実家に向けて出発した。

 実家に着くと、私は早速親にその話をする。子煩悩な私にとって少しでも成長を知って欲しいからだ。私の親に息子の歯の抜けた口を見せる。ほんの少し小さな永久歯の頭が見えている。気のせいか、口の中を見せる息子は、おにいちゃんになったことを自慢しているように見えた。

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2006年1月 1日 (日)

謹賀新年

 新年明けましておめでとうございます。旧年中は色々とお世話になりました。三が日は実家で過ごすために二日の更新はお休みします。三日は帰宅する時間次第だと思います。それでは今年もどうぞよろしく御願いします。

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