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2006年1月17日 (火)

阪神淡路大震災から11年

 今日で阪神淡路大震災から11年が経過した。あの日の朝、私は地震の揺れに寝ぼけて起きた物の直ぐそのまま寝てしまっていた。妻がタンスが倒れるのを防ぐのに懸命になっていたことを語り、私に小言を言った。そのまま普段通りに出勤したのだが、仕事でお客さんの歩か家を回っているとニュースにチャンネルを合わせている家庭が殆どで、時間と共に災害の規模の大きさが拡大していることを知った。昼食を取りに入った喫茶店で食い入るようにニューに注目していた。当時郵便局の保険職場では募集重点日という日が設定されていて、その日はちょうど重点日だった。この重点日によって様々な問題が発生していたために取り止めになるのだが、その大きな原因がこの阪神淡路大震災だった。

 仕事の手が空いた時間に同僚達と大変なことになったと色々と話しをしていた。中には阪神地域に親戚が住んでいたり、友人知人がいるので安否を気遣う人も居た。私にとっても労働運動関係の知り合いは勿論、それ以外の友人知人も住んでいるために不安が大きかった。私の職場や住居のある町では地震の影響はそれほど無く、老朽化した建物の屋根瓦が落ちたりする程度の被害しかなかった。その為話題はどうやって被災地の友人知人の安否を確かめるのかと言うことと、救援のために何かできることがないかという物になった。誰とも無くカンパを集めようと言うことになり袋が回された。その後で分会としても正式にカンパを募ることにした。中には五千円札を惜しげもなく入れる人も居た。殆どの人がお札でカンパした。分会員約60名で9万円あまりが集まった。尤もこんな時でも協力しようとしないマル生分子が存在したから度し難い。

 翌日であっただろうか、地区党の指導部にあって連絡を取ると、どうやら活動家の中に犠牲となった人がいないという事で有ったが、家族を失った人がいることなどは伝わった。帰り道で知り合いのいる分会幾つかに安否を問う葉書を出した。時間の経過と共に被災地への支援が組織立てて行われるようになり、私は党の方針と全逓の方針との両方で参加した。勿論郵政としての支援活動もあったがそちらは遠慮して、組合員には組合としての取り組みに全力を集中するよう要請した。あちこちで道路が寸断されているために車では荷物を運ぶことが出来ない陸の孤島も多かった。その中で全逓の動員によってバイクに積めるだけの支援物資を積んで運んだ。夕方は街頭でカンパを集め、休日は炊き出しなどにも参加した。妻の職場でも医療支援のために動員があったのだが、業務の一環でありながら賃金保障も何もない扱いであったので協力しなかった。もし組合としての取り組みだったなら率先して協力するよう妻を説得していたかも知れない。

 全学連の学生達が避難所を訪ね歩いては被災者の要求を聞き出す取り組みを行い、労組交流センターは震災によって失業した人々の雇用保険請求手続きを援助した。部落解放同盟全国連合会は住宅要求組合を結成して被災地の部落民の生活再建のために働いた。当時の中核派の運動の殆どが被災地支援と関連していた。勿論中核派以外の運動団体でも様々な形で支援が行われていたのだが、殆どの団体はボランティアとしての運動で、そこから労働者を組織するという観点は無かったように思う。

 あれから11年目の今日、奇しくも国会で耐震偽装問題の証人喚問が行われた。阪神淡路大震災の復興業務を円滑に行うことを口実の一つに行われた建築基準法の改悪と建築確認審査の民間開放が、国会を舞台に追求されている。自公与党はこの問題が政権中枢に波及するのを食い止めるために躍起となっているが、あの震災で亡くなった人々のためにも耐震偽造問題の幕引きを許してはならないと思う。

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コメント

 へロスさん今日は。実際問題倒壊した建物に張ってある、避難先を書いた紙を見るだけでも足場が悪く危険な状態でした。避難所を訪ね歩いて郵便物を届けたり、被災したために貯金通帳や保険証書をなくした人のために払い出しや貸し付けの手続きを簡略化したり、色々と被災者支援のために行った物です。中には職員自身も被災者でありながら自分のことを置いておいて仕事する人も居ました。
 もしもの時には頑張りたいという思いを大切にしてくださいね。それと同時にもしもの時に備えて耐震偽造問題などをこのまま終わらせてはならないと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年1月18日 (水) 15時13分

当時はまだ小学生でした。
その時は学校としてのカンパ(募金)が行われ、震災地に送られたのを覚えています。

〒局に入ったときの研修で、阪神淡路大震災時の郵便局職員の活動については学びました。・・・熱かったです。(善悪的なことは抜きとして)
もしもの時は、当時のように頑張りたいです。

投稿: ヘロス | 2006年1月18日 (水) 05時33分

 怪星人カピアさん、新聞は読んだのですが、ニュースは見ていませんでした。多分どこも内容は同じだと思います。良いニュースというのは中々ありませんね。社会的弱者である労働者の団結こそが必用なのだと思います。仲間を大切にして生きていきたい物ですね。

投稿: アッテンボロー | 2006年1月18日 (水) 00時21分

アッテンボローさん、こんばんわ。
自分はあの時、東京で生活していて、朝出勤し手会社に着いて仕事に入ろうとした時に、休憩室に置いてあったTVの報道で知ったのですが、天変地異とは正にこの事か、と思う以外に無い程の凄惨な光景に、愕然とさせられましたが、其れから大して時も経たぬ内に、地下鉄サリン事件が起きましたね……。
アレから11年が過ぎて、この日(1月17日)のニュースは何処の局も、ヒューザーの小嶋社長の証人喚問、震災から11年目の件、宮崎勤受刑者の最高裁上告棄却、死刑確定を報じましたが、
何か観ていて、どれも死んだり殺されたりして、泣きをみるのは弱者ばかり、というものです。
いざという時に助けとなるのは、自身と心通わせる仲間であるという、震災での教訓を、今回のお話を読んで、痛感せずにはいられませんね。

投稿: 怪星人カピア | 2006年1月17日 (火) 23時29分

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» 富士山から押しピンの社会へ [とりあえず]
 今日はなんだかバタバタしているし、証人喚問もまだ見ていないけれど、ホリエモンと証人喚問という題のトラバもいただいたことなのでちょっと書く。 先月21日のエントリーに書いた通り、真相の究明がこれからと言うところで強制捜査が入り、「あとは司直の手に」「捜査の妨害しちゃダメ」とばかりに証人喚問に幕引きをはかったことは記憶に新しい。  今回もまた、証人喚問を妨害するかのように2年前の株価操作についてライブドアに強制捜査が入った。何だか本当に私物化だな、という印象が強い。そもそも今日のブログにライブドアの... [続きを読む]

受信: 2006年1月17日 (火) 22時35分

» まごこのために [Zuma Beach]
1月17日、阪神大震災から11年たちました。 この日に耐震偽装事件の証人喚問が行われたというのは、この11年間の間に、私たちの国はそこから何も学ばなかった事の象徴のようであるとさえ思います。 たくさんの命も失われました。そしてもう二度と戻らない美しい家並み、時間とともに美しく年を取った家々も失われてしまいました。数十年かけてゆっくり変わっていっただろう町が短い時間でのっぺりした顔に変わってしまって、住む人も変わってしまって、ここで育ったはずなのによその町に帰ってきてしまったような気さえします。 ... [続きを読む]

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