「検証 党組織論」
時々物議を醸す記事を書いているのだが、おそらくこの記事もそうなるのではないだろうか。「検証 党組織論 抑圧型から解放型への組織原理の転換」(社会批評社刊)は小西誠氏らによる共同研究によって、左翼各党の党組織論がスターリン主義的に歪曲された物を「レーニン主義」と混同しているのではないかと言うこと、レーニンが戦時共産主義など内戦の時代の一時期の組織形態として提起した物をスターリンが自己の権力維持のために絶対化していった事を無自覚に継承しているとして批判していると私は読んだ。勿論小西氏を始めとする執筆者達はレーニンに対してトロツキーやローザ=ルクセンブルグの党組織論を対置しているのでレーニンその人に対する批判もある。私としては本来ならば本多延嘉著作選に所収されている「党組織論序説」を読んでからこの本を読む方が良かったのかも知れない。
「はじめに-すべての党の歴史は党員抑圧の歴史だ」と書かれているように党に所属したことによって「自由に物が言えない」状態に表れるような党指導による方針の押し付け、行動の統一・規律の名による自由な行動の束縛や私生活の隅々にいたる干渉や規制、異論や失敗に対する自己批判の強要、組織からの排除などなど。これらが本来人間解放を目標にしながら様々な形で労働者の自己解放性を抑圧してきたとしている。「自由、自己実現、自己解放性など、党内には微塵も存在しない」現状を、レーニン主義の批判的継承の中から真の人間解放の組織論を見いだそうとしている。
ハッキリ言って私は党生活の厳格な規律を守ることが出来なくて除名された人間であるから、その事に対して非常に後ろめたい思いがある。思想的な腐敗も伴っていた。だからその様なフィルターを通した党組織への見方がある点を断った上で感想を述べる必用があると思う。正直に言うならば私生活に関しての干渉という物は時に鬱陶しいと思うこともあった。「活動家の恋愛」で書いたことや、妻との結婚に反対されたこと、住宅の購入を考えたときは数ヶ月にわたって止めるように指導された。だが、反対に党に報告したことによって問題解決のための助言や指導をもらったことも度々あった。ここでは詳しくかけないのだが、その事によって助かったこともある。私は、党が革命家としての私生活のあり方について指導すること自体は有っても仕方ないことだと思う。私生活のあり方の乱れを突いて権力はスパイ化工作をしてくることが多いし、その様な場合でなくとも党や運動から離れる契機となることが多いからだ。私が思う問題点は私生活に対して細かく干渉するにあたってそれを的確に解決する指導内容が党に不足していることが問題なのではないかと思う。党員の私生活で生じる様々な問題を正しく解決することが出来ずに、官僚的に党の硬直した方針にタガをはめようとするあり方がおかしいのだと思う。
党内民主主義を阻害する「民主集中性」や分派の禁止の問題などについて、本書では様々な観点から批判が為されている。だが私の感想はそれらはレーニンに問題があるのではなく、スターリンが悪用したことに問題が有るのだと思っている。尤も悪用されやすい組織のあり方を作ったという点で、レーニンへの批判があるわけだが。スターリンという男は思想的には見るべき処がないというか、少なくともボルシェビキの指導部層の中で思想や理論的な問題については苦手とする実務家であったらしい。会議の場でも理論的なことを発言することは少なく、たまにその様な発言をすると、背伸びをするなとジノヴィエフやカーメネフから窘められたらしい。その様な理論的に正しい方針を出せない男だからこそ、党の実権を掌握するために分派活動の禁止や民主集中性を悪用して党組織を官僚的に変質させたのではないだろうか。
党がその下に結集している全ての人々の能力を最大限に引き出すあり方を模索していること自体は、この本は勉強になると思うのだが、私には小西さん達に賛成することも従来の中核派の党組織のあり方に与することも、どちらも出来ずに迷っていると言うところだろう。
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追記。地区党の指導部と関西地方委員会の指導部との力量の差が非常に大きいと感じています。私生活での様々な問題についてや指導のあり方に対する疑問点について、地区党段階ではろくに話を聞いてくれないことが多く、話しても硬直的だったり官僚的だったりしていました。幾つか地方委員会の指導部のTさんやMさんの段階まで私の家庭が抱える問題点についての報告が上がったことがあるのですが、その時は的確な指導が有りました。問題点についても地区段階の指導の後遺症で完全には解決できなかったのですが、かなり助かったことがありました。地区段階の指導部がどれだけ力量を付けることが出来るかというのも大きな課題点だと思います。
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コメント
Juventus さんが言う意味で女性の苦痛を取り除くとする場合、最も注意すべきは優生思想に見られるように存在して良い命と抹殺すべき命というような障害者抹殺の動きでしょうね。私としては知識が不十分であることからあまり突っ込んだ論議は避けたいのですが、科学万能という考えで出産についても全てコントロールできるとする考え方には違和感を覚えます。
投稿: アッテンボロー | 2006年2月 4日 (土) 21時33分
女性の最大の苦しみの一つは出産です。女性をこれから解放することなくして解放とは言えないでしょう。したがって未来社会では自然分娩は無くなっていくものと見ます。
投稿: Juventus | 2006年2月 4日 (土) 21時08分
Juventusさん、科学や医学の発達でどうなるか確かなことは言えませんが、共産主義社会とは人間が人間らしく生きることの出来る社会ですから、代理出産は流行らないのではないかと思います。
イレギュラーずさん、大陸書房というと科学とオカルトを一緒くたにしたいかがわしい雑誌や本を沢山出していましたね。今はもう無いのですか。知りませんでした。
投稿: アッテンボロー | 2006年2月 3日 (金) 20時21分
>人類はやがて類人猿を家畜化(+品種改良)して、家畜化した類人猿を代理母とするようになり、自然妊娠・出産は廃れていくのではないかと思います。(Juventusさん)
愛すべきマッドサイエンティスト?の清家新一さんも言ってましたねぇ~倒産した大陸書房の自書の中で。
投稿: イレギュラーず | 2006年2月 3日 (金) 17時43分
例に挙げた党派は革マル派ではありません。
ところで、みなさんは共産主義社会では妊娠や出産はどういう風になると思いますか?
私の想像では、人類はやがて類人猿を家畜化(+品種改良)して、家畜化した類人猿を代理母とするようになり、自然妊娠・出産は廃れていくのではないかと思います。
投稿: Juventus | 2006年2月 3日 (金) 16時49分
RoteFahneさん、安心していただけて何よりです。確かカクマルは組織の方針として子供は作らないようですね。例に出されている党派がカクマルのことなのか他の党派なのかは分かりませんが。
革共同の場合ですと共稼ぎの活動家が多いですから、集会に限らず会議やその他の動員に参加する機会を保障するために日常的に同志の間で子供を預けたり預かったりと言うことをしています。子供同士もそれが結構楽しかったようで、「○○ちゃんと○○してあそんでん」と楽しそうに話してくれた物です。
投稿: アッテンボロー | 2006年2月 3日 (金) 14時59分
Juventusさんのおっしゃるような「党」もあるようですが、革共同はそうではないという、アッテンボローさんの上記のコメントを目にして、とても嬉しいです。党組織のあり方については、多様な議論があるのは承知ですが、私自身は、党組織は「獲得すべき社会のあり方を内包する」組織であってほしいと思っています。革共同の出発点もそうした認識があって生まれてきたと思っています。私は医療労働に関係していますので、「子供を作ることについて否定的な党派もあるようです。私の知人は妊娠した際、「産まれたら実家の両親に預けるか、養子に出せ」と指導」する党派については
実践の厳しさを強く認識しているものと感じつつも、違和感は隠せません。革共同を応援してきてよかった、とかんじた一節でした。
投稿: RoteFahne | 2006年2月 3日 (金) 01時49分
Juventus さん、革共同ではその様なことは言われませんね。むしろ事前に保育所などをきちんと調べておくよう注意されたくらいですね。子供のいる活動家も沢山いますから、革共同の場合は集会の際に託児をしっかりしていますよ。
投稿: アッテンボロー | 2006年2月 2日 (木) 16時55分
ちょっとお訪ねしたいのですが、革共同では子供を作ることについて事前の許可や相談は必要でしょうか?
子供を作ることについて否定的な党派もあるようです。私の知人は妊娠した際、「産まれたら実家の両親に預けるか、養子に出せ」と指導されたとのことでした。
投稿: Juventus | 2006年2月 2日 (木) 16時22分
NKさん今晩は。私の中でも「克服」という言葉に対して混乱があったようです。スターリン主義はあくまで打倒対象だと思います。紹介の本はスターリン主義の反労働者性の根源をレーニンに求める点で間違っていると思います。唯、革共同の中にも存在する官僚主義に対する批判としては読むべき価値があるかと思います。
投稿: アッテンボロー | 2006年1月30日 (月) 22時18分
残念ながら、その本を読んでないので迂闊なことはいえないのですが、設問そのものに即して言えば私の場合は(1)~(4)のいずれにも該当しません。
(4)の「スターリン主義を克服すれば」と言う設問も、もっともらしいのですが、はたしてスターリン主義は「克服」の対象かどうか、たとえば官僚主義的傾向と言うようなものなら、そういえる(克服できるとか)と思うのですが。
中核派においても、この点はあいまいなようで「スターリン主義の克服」という言葉がたまに目に付きます。なぜ「スターリン主義打倒」でないのか、それこそ中核派にとってはとうに「克服」された見地であっただろうと思うのですが。
投稿: NK | 2006年1月30日 (月) 20時41分
まっぺんさん、今日は。私の場合、そうですね4で尚かつ3も少しあると思います。中核派もそうではないかと思うのですが、その辺は現役の人にでも聞いてみないと分かりませんね。「イスクラ」ででも質問してみましょうか。
投稿: アッテンボロー | 2006年1月30日 (月) 15時51分
この本、結論に賛成するかどうかはともかくいい本だと思います。党について昨年四トロ三次会で書いた感想の中から。ロシア革命とボリシェヴィキをどう総括するべきか。
ありゃ? きれちゃったので続きです。
この本は(2)の立場、僕は(3)の立場です。だから僕は本の結論「中央集権否定」には賛成していません。アッテンボローさんを含む中核派系の多くは(4)の立場でしょうかね。
それから、「かけはし」掲載の書評も参考に紹介します。
●新時代社国富健治氏の書評
http://www.jrcl.net/web/frame04712e.html
●景清(まっぺん)の書評
http://www.jrcl.net/web/frame04419m.html
投稿: まっぺん | 2006年1月30日 (月) 15時29分
この本、結論に賛成するかどうかはともかくいい本だと思います。党について昨年四トロ三次会で書いた感想の中から。ロシア革命とボリシェヴィキをどう総括するべきか。
(1)そもそも共産主義がだめなんだ、という意見
(2)レーニン主義がだめなんだ、という意見
(3)レーニンを評価しつつ誤りを克服せよ、という意見
(4)スターリンがだめなので、スターリンを克服すればよい、という意見
投稿: まっぺん | 2006年1月30日 (月) 15時25分
元中さん今晩は。この記事は正直言って自分の勉強不足をさらけ出す結果になったと反省しています。「制約された民主主義を保障するものとして現実に複数主義があった」というのは、そうなんだと唯思うばかりです。まだまだ学ぶことは多いですね。
投稿: アッテンボロー | 2006年1月29日 (日) 22時20分
弁証法には「量から質への転化」という概念がありますね。量的なものの蓄積が質的転換に飛躍する時点があるということだと思います。
スターリンの党の物神化と自己批判強要による統制は、党を疎外物に転化させました。自己批判は本来自分のためにするもので、他者にする謝罪とは違うと思います。スターリンはそれを組織維持の手段にした。レーニン時代の党を変質させたのだと思います。
しかし、レーニン時代の党の過度の中央集権化が客観的に変質の危険をはらんでいたこと、また、レーニン自身その危険に最終局面まで無警戒であったことも事実と思います。
「検証」の「党員主権」というのはいいですが、「非中央主権的な党」というのは、ちょっと極端に思います。「情勢と組織防衛に適応した民主主義と複数主義」というのが正しいと考えるようになりました。
そういえば、本多氏の「前衛党組織論序説」、「なにをなすべきか」の選挙も大会もない党が民主主義を保障するものとして「幹部に対する信頼」をあげていますが、これは逆に言えば「反対者にはやめる自由があるということ」と解説していますね(陰謀組織と民主主義)。レーニン自身も「大きな意見の相違は脱党の威嚇と闘争によって解決してきた」としています。つまり、制約された民主主義を保障するものとして現実に複数主義があったということだと考えます。
投稿: 元中 | 2006年1月29日 (日) 20時53分
護憲的コケシさんお早うございます。私自身も購入した本を放置していることが多いですから。焦る必用はないと思います。良い本は時代を超えて伝える内容を持っていると思います。
全学連が大衆性を無くしてしまっているのが少し残念ですが、運動の再建の過程で取り戻してくれたらと思います。
村岡氏については現在の総連の松崎明達による組合費の流用・着服問題についてどの様な見解を持っているのか聞いてみたいと思います。それ無しに総連を評価しても、過去の間違った運動を知るものとしては疑問符しか出てきませんね。動労千葉・水戸の原則的運動の紹介が出来るのであれば積極的にして下さい。
最後の点については私自身が色々迷っている状態ですから明確な返事という物が難しいのですが、階級的立場を身につける努力を怠らないで下さい。
反戦さん初めまして。お早うございます。ご指摘のように私の除名に至る過程を公表しない限り中核派への批判が出てきてしまいますね。私が繰り返し除名されたと書いているのは意図としては逆なんですが、注意したいと思います。
小西誠氏については色々批判もあるでしょうね。特に彼は単なる一支持者ではなく党の反軍戦線の指導者でしたから。同時に80年代の党改革運動への関与の仕方などについてもきちんと現在の立場からの自己批判なりが必用かも知れません。
中核派に対する批判の点では、どんな組織や運動にも欠点がありますから、小西氏の批判の一部は当たっている点があると思います。批判の全てを受け入れるのは少々難がありますが。
投稿: アッテンボロー | 2006年1月29日 (日) 08時37分
こんばんは、アッテンボローさん。皆さん。はじめまして。
誰に対するということではなく、一般論です。
私生活に対する指導というものは、やはり党としてはあるものです。理由は、対権力という理由もありますし、私生活が共産主義者として好ましくない方向にいっているような場合には指導をするものだと思います。ただ、そこで指導に従わなかったからといって、それで除名になるなんて事はありません。ただ組織の中にはいろんな人がいますから、指導があまり上手でなく、相手に大きな不快感を与えたケースもあったのだろうと思います。わたくしの知る限り、除名処分というのは本当に大変なことをした場合の例外的なものです。
アッテンボローさんには申し訳ないのですが除名処分に関わることを述べる場合には、一体何をなさったのかを本当はこの場で公にすべきだと思います。しかし、対権力問題もあるので、出来ないですよね・・ですから、アッテンボローさんが(除名に至った具体的理由を述べずに)除名処分について触れることは中核派はひどい組織というイメージを与えてしまうことに注意された方が良いと思います。
小西の論理はよく分かりませんが(というかハタメタと思いますが)、彼はほとんど中核派の内側にいた人間です。その場合、中核派の批判をするなら、それに染まっていた自らの自己批判が同時に公表されるべきです。かれは、いまでは内ゲバ反対といいながら過去には「・・・滅」と公言してましたし、当時の若い学生により具体的な指導を行っていました。「・・滅」を促進する大きな力を果たしていました。また、お金のことも問題になってましたが、当時の中核派活動家は彼の本を組織活動として販売していました。当時の売り上げが、自らの本の質が高かったからというのは彼の誤解です。いずれにせよ、自らが行っていたことを明らかにし、自らがなぜそうしたことを行ったかを公表することが必要です。それをしない小西を信用することは出来ません。中核が自分をたててくれなくなったから、いろいろいちゃもんをつけているようにしか思えまないのです。
投稿: 反戦 | 2006年1月29日 (日) 02時50分
僕も手に入れることができれば「党組織論序説」と「検証 党組織論」を読んでみようと思います。
とはいえ、動労千葉の『俺たちは鉄路に生きる2』とブックレット『国家と何か』が放置状態(そんなに長くはありませんが)ですから、それらを先に読むつもりですが。
ただ、「活動家の恋愛」にコメントしましたように、僕自身が全学連に感じた「閉鎖性」の問題との兼ね合いをどう処理すべきか、ということも、つねに自問していこうとも思っています。
>村岡到さんというと元第四インターで最近ではJR総連を持ち上げている人でしょうか?
そうです。「JR総連もちゃんと運動している」という認識を持っている方です。階級的立場に理解があることはあるのですが、総連がどのような過程で誕生したのかをあまり考慮していないようにも見受けられます。
それでも、彼から学ぶことは多く、彼の書く論文の体裁がしっかりしていますので卒論の指導を依頼したりもしました。しかし、個人的にはせめて「百万人署名運動」できれば「動労千葉・水戸」にもそれなりの理解を示して欲しいと願っています(おそらく、その「説得」を僕自らがすることに成ると思いますが)。
今は、「階級的立場」を勉強しつつ、自分の感性・直感を大きく裏切らないようにしようと努力していますが、これでは中途半端でしょうか?
短い間に連続コメントですみません。
投稿: 護憲的コケシくん | 2006年1月29日 (日) 01時11分
護憲的コケシさん今晩は。現在の様に国家権力の弾圧がある状態では、党員については私生活の点検というのは仕方のないことだとおもょます。唯現場指導部の中には経験や知識が少ない人もあると思います。豊富な人であれば対処方針を正しく出せるのに対して、どうしても組織防衛のために地区党指導部の段階では情報不足になることがあると思うのです。それだけに上部機関にどれだけの報告が為されるかによっても違いが出てくるのでしょうね。
村岡到さんというと元第四インターで最近ではJR総連を持ち上げている人でしょうか?確かマル共連などで名前を見たような気がします。
百万人署名運動は大衆団体ですから、そんなに細かいことを注文付けることは出来ませんね。ちゃんと自主性を尊重する必用があると思います。護憲的コケシさんが評価しているのは党と大衆団体との関係が上手く行っていることの表れだと思います。
元反戦高協さん今晩は。やはり「党組織論序説」を先に読むべきでした。自分が所属していながら中核派の党組織論をちゃんと分からないままに「検証 党組織論」を読んでいるから中核派と日共スタをひとくくりにしている点などが分かっていないのでしょうね。六回大会報告についても学び直した方がよいようです。
投稿: アッテンボロー | 2006年1月29日 (日) 00時32分
こんばんは、アッテンポローさん。
まず、革共同は"分派の禁止"と言うものはありません。革共同のボルシェビキ的団結は、不断の党内闘争の結果であり、党を何か権威主義的な固定された"物神化(スターリン主義的な党)"したものであるという認識はないと思います。原則的な分派の存在は党活動を生きた活動にするための、必要不可欠な存在です。
革共同の党組織、運動論はイストとして生きる集団の、その組織が党であり、そこには党活動が党員一人一人の生きた活動の結晶であり、党と党員の関係が疎外されるというスターリン主義的党組織、党活動とは相容れない存在です。
しかし、党活動が階級的緊張関係下でなされる、国家権力、あるいは反革命との不断の闘争を現実の問題として捉えており、その意味では"軍事組織"である、と言うこともあります。小西らはそれを官僚主義として位置づけているものです。
また、小ブル的自由主義と党内民主主義を混同させるもの間違いです。実際に階級的緊張関係下で、党内民主主義のあり方あるいは分派活動の保障は困難であり、スターリン主義的党活動、党の運営が組織現実論からしてみて"楽"に思えるのですが、それはイストの運動体としてみた場合、党の死滅を意味します。どんな困難な状勢であれ、党員としての自己を疎外する党活動は、労働者階級の解放を目指す本来の目的を失い、形骸化するスターリン主義的な党に転落するでしょう。
詳しくは第六回大会報告の中の、白井批判をよく読んでください。なお革共同の批判に、自己の活動体験(革共同に在籍していた人、あるいは他党派の人)に対する自己批判をすり替え、もっぱら自己合理化するため単純な小ブル自由主義を対置したり、頭の中で描いた無原則的な分派闘争を、あたかも官僚主義が存在するが如くの幻想を持つ傾向があることにも留意してください。
投稿: 元反戦高協 | 2006年1月29日 (日) 00時01分
またまた失礼します。「武装自衛」の考え方についてはちょっと気にかかっていることがありますが、それはまたの機会ということでお願い致します。
僕自身も中核派はかなり本質的な社会批判、活動方針を立てていると思うのですが、そうした「私生活への介入」まであるとなると、さすがに生きるのが苦しくなってしまうような気がしてなりません。ホームページを見ても「中に入ったら即除名だろうな」と思う内容がありましたし。しかし…
>私は、党が革命家としての私生活のあり方について指導すること自体は有っても仕方ないことだと思う。私生活のあり方の乱れを突いて権力はスパイ化工作をしてくることが多いし、その様な場合でなくとも党や運動から離れる契機となることが多いからだ。
これには同意いたします。「私生活でのスキャンダル」は相手方にとって格好の「落としどころ」になりますから。と同時に…
>私が思う問題点は私生活に対して細かく干渉するにあたってそれを的確に解決する指導内容が党に不足していることが問題なのではないかと思う。
これももっともだと思います。「私的」な生活である以上「一般の生活常識」や「プライベートへの配慮」を持った指導ができれば、アッテンボローさんの仰るような問題も出にくくなるとは思います。ですが、今の党組織ではそれができない、ということなんですよね。
ところで小西さんのような党組織批判をする人に「村岡到」さんという方がいるのですが、ご存知でしょうか?実はこの人ともちょっとした関係を持っているのですが、彼も「中核も革マルも組織にこだわっているという点で同じ穴のむじなだ」と言われたことがあり、全面的ではないにしろ、当たっているところもあるような気がします。
僕としては「百万人署名運動」が見せるような相対的に柔軟、かつ、相互尊重的な色合いを強めた組織のあり方が(加えて「入るも出るも自由」も欲しいですね)いいと思っています。
まとまりませんでしたが、今回はこれで以上です。それでは失礼します。
投稿: 護憲的コケシくん | 2006年1月28日 (土) 23時55分