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2006年1月 6日 (金)

郵政研修所

 87年の運動については、部落解放同盟荒本支部による東大阪市議選以外には、実は他人様に語れることが殆どない。前年に郵便局に採用となっていたのだが、この年は研修所の日程の加減もあって、翌87年まで研修所にはいることがなかったのだ。その為、87年の前半の内約二ヶ月を郵政研修所の寮で生活することになった。研修内容は今日では名称も変わっているのだが、初等部訓練と新任業務訓練という。前者は郵政省に採用された職員全員が受ける物で、職種によって郵便集配の郵便クラスとその他の職種の総合クラスとに分かれている。私の場合は保険外務員としての採用であったので総合クラスで郵政局や事務センター、無集配特定局に新規採用された同期と一緒に研修を受けた。内容としては郵政事業全般について、法律や業務上の知識に接遇マナーなどを学んだ。年齢は高卒ですぐ採用された18歳から私のように何らかの前職がある人間や大卒者を含めて24歳までであった。本当は貯金か保険の外務員の場合、40歳まで採用しているのだが、たまたまこの年は年配の同期はいなかった。バブルが始まった当時だったので、低賃金に愛想を尽かし、辞めて民間企業に転職した者も結構いたが、研修終了後しばらくの間は同窓会などをして付き合いがあった。

 後者は私のような新規採用者もいたのだが、殆どは郵便局員として数年働いて、人事異動によって職種が変更になった職員が、新しい業務についての知識を学ぶ物で、こちらの研修は幅広い年齢の参加者があった。確か50近い年令の人も居たように思う。何年間も働いているので中には組合の役員を経験している人なども結構居て、色々と組合に関する話しも教えて貰うことが出来た。調度この年は韓国の民主化闘争が激しい年で、研修所の休憩室に置いてあるテレビにかじりついて韓国の学生や青年労働者達が機動隊を相手に市街戦をしている映像を食い入るように見ていたことを覚えている。

 研修所に入っている時に困ったのが、機関紙活動と会議であった。研修期間中は基本的に外泊が出来るのは土曜と日曜の晩だけで、それ以外の日には門限があり、就寝時間になると点呼が行われていた。当時は「前進」を火曜か水曜に受け取って、週末の会議までに呼んでおかなければならないのだが、研修所の中で「前進」を読むことも出来ず、会議当日に早めに前進社に入って慌てて読むという事をして会議に参加した。担当していたシンパへの「前進」配達は別の人が変わってくれたのでまだ助かったのだが、十分読み込んでいない状態で会議に参加するのは結構しんどかった。後に「前進」を全然読まなくても平気になってしまうのだが、この当時は隅から隅まで何度も繰り返し繰り返し読んでいた。

 研修所では、現在ではなくなってしまったのだが、同僚達による激励と称した飲み会が度々あった。時には組合の役員がやってきて加入のオルグをすることもあった。全逓と全郵政とが同じ職場に存在していると、このオルグがかなり熾烈な物になることもある。お互いが組織拡大にしのぎを削っているからだ。当局の人事政策も今日のJPUのようにトコトン屈服していたわけではないので、あまり早く全逓に加入してしまうと配置転換される可能性もあった。そこで暫くは未加入で通し、転勤の可能性が無くなった時点で全逓に加入した。採用から約半年がたっていた。今にして思うのは研修所の同期との間で、もっと密接な人間関係を作っておくべきだったと思うのだが、それは後の祭りかも知れない。

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コメント

 Palermoさん「イスクラ」ではかなり激しい応酬ですね。最初の幾つかは読んでいましたが、まだ続いていたとは知りませんでした。

投稿: アッテンボロー | 2006年1月 8日 (日) 02時38分

「イスクラ」で興味深い論争が行われています。http://blog.livedoor.jp/uchamikun/archives/50368547.html

投稿: Palermo | 2006年1月 8日 (日) 01時31分

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