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2006年1月24日 (火)

戦闘的労組と組合分裂

 非常に難しい宿題を頂いたような思いがしています。と言いますのは「61臨大議案書を批判する」におったまさんが付けて下さった書き込みの中に「戦後の『全自動車日産分会』『日本製鋼室蘭』『三井三池』『王子製紙』『国労新潟』『全金プリンス』等々、幾多の輝かしい闘争も最後は第二組合の発生で少数派となり敗北しています。(若い頃はなぜそうなってしまうのか不思議で理解出来ませんでした) 資本・当局の熾烈な分断攻撃が第一の原因ですが、やはり労働者一人ひとりの精神的な弱さや利己主義も大きく影響しているのだと思います」と有りまして、戦後労働運動の中で確かに戦闘的組合が資本の後押しで作られた第二組合・御用組合によって敗北した例が沢山あるからです。この問題についてどう答えるべきか、昨夜返事を書く段階では考えがまとまっていませんでした。

 50年代から60年代の労働争議に詳しいようで、中には私が勉強したことのない物もあるので、これから書く事はあくまでも私の知る範囲の乏しい知識からの物である事を先にお断りしておきます。国労新潟闘争の場合、新潟その物の闘いは非常に厳しい状態に追い込まれ、60年代から70年代に国労が勢力を誇っていた時期でも新潟地本は小さな存在であり続けました。しかし、国労新潟の支援には全国の国鉄労働者を始め多数の支援が駆けつけました。それらの人々の中から、後に様々な運動を担う人々が誕生しています。個別の闘争としては敗北に終わったと言えるかも知れないのですが労働運動総体で見たときに国労新潟の闘いが継承されたと言えるのではないでしょうか。三井三池・王子製紙・全金プリンスの闘いは残念ながら広範に継承されたと思えません。それでも三井三池などはつい最近の炭労解散まで保障問題などは粘り強く継続していますので、全く潰されたわけではないと思います。

 闘争の勝利によって闘って生き延びた組合という物も数は少ないのですが存在しています。例えば70年を前後する国鉄反マル生闘争の例が有ります。国鉄当局の肝いりで御用組合の鉄労が元々3万であった組織を10万まで伸ばした事がありますが、国労と動労の闘いによって国鉄総裁の謝罪を勝ち取る大勝利に終わるや、鉄労の組織は元の3万以下に減少しています。動労千葉の闘いも分割民営化に対して真っ向からストライキで対決した事で組織の団結を打ち固める事が出来ました。その結果国労においては地本や支部などの機関丸ごとの組織脱退が相次いだのに対し動労千葉の場合はその様な出来事はありませんでした。全逓の場合も思い出して欲しいのですが、78~9年の反マル生越年闘争を闘っていた当時、全郵政の組織は小さな物でした。私が郵政に入った86年頃は約5万の組織だったと思います。それに対して全逓は約20万でした。それが方針転換をして闘いが無くなるにつれて全郵政の組織が伸び始めて今や10万組織ですね。残念ながら全逓は13万まで減少しています。また、以前「全軍労反戦派」という記事を書いた事があるのですが、基地撤去を求めた米軍基地労働者の闘いは、今日でも全駐労が圧倒的大組織として存在しています。戦争全面協力の沖駐労はようやく三桁に載る程度の弱小組織のままです。それから、「軍艦以外は統べてきた」と言われる読売争議の場合、闘争は敗北しましたが組織分裂は起こっていません残念ながら読売新聞労組その物がおかしくなってしまいましたが。更にこれは同盟傘下の闘いですが、近江絹糸の闘いというのがあります。俗に「人権争議」と呼ばれる闘いです。ここでは組織分裂もなく闘争は勝利しましたし、広範な支援を集める事にも成功しました。小さな組合の勝利した例ですが、光文社闘争(週刊宝石などの出版社での全員解雇に対する闘い)昨年大勝利した全金本山労組の30数年にわたる闘い。全金港合同関西生コン支部の闘い等々色々な勝利があります。

 ここから私は幾つかの相違点を見る事が出来ます。第一点目は指導部の問題です。これは組合とナショナルセンター、支持協力関係にある政党の三つを併せて考えて欲しいのです。三者が一致協力して勝利を目指してぶれることなく闘い抜いた闘争の場合には、組合の組織分裂は生じていないか、起きていても極小さな規模に止まっていると思います。それに対して三者のうち一部でも厭戦気分に支配されて、闘争を条件をめぐる物取り主義に変質させた場合に組織が壊滅状態になるまでの組織破壊が起きているのではないかという物です。

 第二には当時の社会情勢全体の問題です。労働運動の高揚と政治運動の高揚とが結合できたか否かですね。これは政党の問題が大きく影響します。60年安保闘争と同時期に闘われた物の三井三池闘争は安保闘争との結合は有りませんでした。それに対して国鉄反マル生闘争は70年安保沖縄闘争と結合する事で全社会的な問題になる事が出来ました。国労・動労の労働者も反戦青年委員会を水路として積極的に安保沖縄闘争に決起しています。例えば動労千葉の中野洋前委員長は千葉県反戦の世話人をしていましたので、三里塚闘争を始め様々な共同闘争を担いました。つまり単なる一労組の問題に終わらない労働者の階級的闘いとして、社会情勢全体の中での闘いに位置づける事が出来るかどうかだと思います。

 幾つかの事例を見てきた中で三つ目の問題として言える事は戦闘的に闘う労組である事は必ずしも分裂と敗北を招く物ではないと言う事だと思います。ここの争議において様々な要因がありますが、分裂するどころか組織強化と拡大を勝ち取った物も少なからずあると言う事です。ですから私たちが学ぶべきは、闘いが敗北に終わった争議であってもその高揚局面において勝ち取られた、労働者の団結が如何にして形成されたのか、そして勝利した争議の場合にはその高揚を如何にして持続したのかと言う事ではないかと思います。闘えば敗北すると言う物ではなく、闘って勝利するためにはどの様にするべきかという物事のとらえ方を積極的に行っていきたいと思います。

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コメント

 RoteFahneの仰るとおりですね。膨大な獲得対象が存在していると前向きに捉える方が良いですね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 2日 (木) 22時55分

 ここはひとつ、オポチュミスティックに考えませんか。
 「いまだ、獲得できない膨大な対象がある。」
ではなく
 「これから獲得すべき対象が膨大にある。」
って。
 闘う意欲が、湧いてきますし、やはり未来は私たちのものです。
 

投稿: RoteFahne | 2006年2月 2日 (木) 22時26分

 じゅんさん、初めまして。ようこそお越し下さいました。確かに本工主義の問題も有ると思います。取りわけ昨今では労働者の約半分が非正規雇用ですから、これらの人々の権利や労働条件を守る取り組み無しに労働運動その物が成り立たないと思います。
 本当に全労働者を獲得するためには活動すべき領域が膨大にあると思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 2日 (木) 21時16分

 初めてお邪魔いたします。fiolencinoさんの所で時折拝見いたしたおりました。
 この問題、もう一つ戦前から現在まで続く、労働運動主流の本工(正規雇用)主義の問題が在るように思えます。
 今や口にするのも気恥ずかしい、邦訳のインター冒頭の歌詞にある、本来起つべき人間の大半が埒外でしか無かった点に。

投稿: じゅん | 2006年2月 2日 (木) 21時06分

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