熱田一氏の土地売却を嘆く
三里塚芝山連合空港反対同盟熱田派の元代表熱田一氏が、所有する土地を成田空港会社に売却し、隠居するようである。ここ暫く管制塔元被告連帯基金の運動などを通じて熱田派内部にも空港に反対を続けている人々が存在していることを知っただけに、熱田氏がよりによって空港会社に土地を売却し、運動の場面から身を引くことが嘆かわしい。おそらく北原派の支援である中核派などは「所詮は脱落派」として切り捨ててしまうのだろう。残念なことである。
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朝日新聞より引用
成田空港反対、熱田派元代表 所有地を売却へ
2006年01月15日23時36分
千葉県の成田空港建設を巡り、地権者らで結成する「三里塚・芝山連合空港反対同盟」熱田派の元代表・熱田一氏(86)が、同空港用地内に所有する土地などを成田国際空港会社(NAA)に売却する意向であることを15日、同氏の妻が明らかにした。熱田氏は分裂後の反対同盟の中で最大派閥を率いた運動の象徴だったが、健康上の理由で代表を辞任した後は運動から遠ざかっていた。 熱田氏の土地は反対運動の拠点としてやぐらがあった「横堀墓地」と呼ばれる場所で、現在は熱田家や活動家の墓がある。妻によると、この土地のほか一坪共有地や自宅などもすべて売却し、成田市内で娘夫婦と同居する予定だという。 熱田氏は反対同盟が発足した66年から運動に参加。83年3月の同盟分裂で熱田派の代表になり、90年3月に辞任。 成田空港を巡っては「暫定B滑走路」の2500メートル化延伸で昨年、地権者の同意が得られずに本来計画とは逆の北側への延長が決まった。熱田氏の土地は延伸問題にかかわる場所にはない。 |
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コメント
一坪共有地は、売らずに残して欲しかったです。
投稿: 千葉428 | 2006年1月19日 (木) 10時23分
まっぺんさん今日は。本当に残念です。支えきることが出来なかった点で支援の内実を反省すべきなのでしょうね。
投稿: アッテンボロー | 2006年1月18日 (水) 15時15分
複雑な気持ちではあります。当然、権力の側からは歓迎すべき事で、「管制塔被告連帯運動」とあわせて「一勝一敗」くらいに考えているかもしれません。対権力関係で「悔しい」気持ちはします。だけど、その悔しさは「誰に向けるべき」なんだろう。
三里塚闘争はもう40年も続いてきました。初期の少年行動隊ももう50代。熱田さんも人生の半分を闘争に捧げてきました。敬意を表します。
しかし、40年の長い闘いの中で、我々はどれだけ支援できただろうか。闘争が勝利する為には当事者の決意と共にその闘いが共感を呼び、多くの支援者に支えられる事が必要です。まして「国家プロジェクト」である国際空港を廃港に追い込み農地を取り戻すにはこの闘いへの支援の質と量が問われていたと思います。その事を「自分の問題」として考えたい。
熱田さんお疲れさまでした。
投稿: まっぺん | 2006年1月18日 (水) 12時53分
残念な出来事ですね。お年を召して気持ちが萎えてしまったのかも知れません。
投稿: アッテンボロー | 2006年1月16日 (月) 22時33分
まえまえから、そういう話はでていましたが、本当にそうなったのかと、asahi.comを読んで、なんともいえない気持ちになりました。熱田さんの本心からの気持ちなんだろうか、という疑問がありますが。
投稿: 元祖趣味者 | 2006年1月16日 (月) 21時51分