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2006年2月28日 (火)

5・15沖縄平和行進

 1972年5月15日、沖縄が日本に返還された。県民の多くが望んでいた米軍基地のない平和憲法の下への復帰という願いは無視され、米軍基地の殆どはそのままであり、しかも自衛隊の駐屯という、言ってみれば基地の島としての機能はいっそう強化れさる形であった。いつから始まったのか、現在手元に資料がないため分からないのだが、基地のない沖縄の実現のために5・15体制と呼ばれる沖縄の現状を見つめ直し、一週間かけて沖縄本島各地を回る平和行進が行われるようになった。88年五月、私は地区青年部の動員で初めて沖縄に行くことになる。87年の沖縄国体闘争の余韻もあり、自ら希望してのことだった。そしてこの事で地区のキャップに報告したところ承認されたのだが、常任からは叱られてしまった。と言うのは実は私の所属する全逓の支部は革労協、世間一般には解放派と呼ばれる新左翼の拠点支部であり、しかも共闘関係のあちこちに解放派系の活動家が存在していた。平和行進への参加自体、実は解放派が力を入れているため、その中に単身参加することで私がヘマをすることを心配してのことだった。

 総評青年協の枠組みで、部落解放同盟・労金労組・自治労・教組、そして全逓のそれぞれの青年部から併せて8人の派遣団が結成された。沖縄に到着し全国各地から集まった平和行進団の結団式が行われ、私たちは南部戦跡を巡るCコースに編入された。希望としては米軍嘉手納基地の正門前で激しいデモを繰り返すというAコースに入りたかったが、実際の戦場跡を巡り、沖縄戦の現実を学ぶことも大切であるので異議は唱えなかった。党派関係の問題があるため、私は出来るだけ同行していた青年協のメンバーとは会話を控え、行進団の中の沖縄の人々や他所の地域からの参加者と話すようにした。たまたま同じCコース約50人の中に他所の地区の全逓青年部の参加者が三人いたため、自然な形で全逓中心の話をすることで切り抜けることが出来た。実際問題同じ地区からの参加者の中で誰が解放派かわからない状態では無難な選択だったと思う。

 平和行進は南部の市町村各地を巡るわけだが、毎日の寝泊まりは公民館であったり小学校の体育館であったり、あるいは地元の地方議員の家に雑魚寝するなどと言う物であった。食事は各地の受け入れ組織の人々が炊き出しをしてくれるのだが、観光と違いそんなに贅沢な沖縄料理とは無縁であった。それでもソーキそばを初めて食べたときはこれが沖縄料理かと思い感動してしまった。連日20キロからの距離を歩くので結構疲れるのだが、行進中は労働歌を歌いシュプレヒコールをあげながら歩く。途中米軍基地があると米軍は沖縄から出て行けと抗議もする。五月の沖縄は既に夏真っ盛りと言って良く、時折スコールが降り注ぐ。ずぶ濡れになっても直ぐに乾いてしまうので、風呂に入れない日でもそれほど気にはならなかった。宿泊先では入浴するにも人数が多いので銭湯が近くにある場合にはそこに入りに行った。本土でのデモ行進と違うのは行く先々で道行く人々が手を振ってくれ、非常に好意的に迎えてくれることだろう。ある日など消防署で署員の人々を前にして挨拶をする機会があった。本土では消防というと治安機関としての側面がかなり強化されているのだが、この違いには正直驚いた。それだけ県民の中に米軍基地に対する怒りが強いのだと実感した。

 最終日は15日に那覇市内の公園で県民集会が万余の人を集めて開催される。小雨が降る中、会場の入り口に差し掛かると、中核派の学生が10人あまり機動隊に取り囲まれた状況で街宣をしている。会場内に入るとやはり10前後の赤ヘルと30人くらいであろうか解放派の青ヘルの集団がいた。そして私はこの時初めて遭遇したのだが100近いカクマルが公園内でデモの訓練をしていた。沖縄がカクマルの拠点と聞いてはいたのだが、我が中核派との力関係が当時は非常に不利な物であることも実感した。集会が終わる頃には土砂降りとなっており、その状態のまま那覇市内デモに出発した。確か沖縄の目抜き通りである国際通りを行進したときであったと思うが、交替でコール役が回ってきた。私は沖縄奪還という中核派の路線をアレンジして「沖縄を米軍自衛隊から奪い返すぞ。基地のない沖縄を取り戻すぞ」とやった。結構好評だった。他の地区の全逓の人間がスクラムデモをしようとしたのだが、事前の打ち合わせをしていなかったために結局出来なかった。

 その夜はホテルに泊まったのだが、全逓中央本部の青年部長を囲んで全逓だけの飲み会に参加した。東京地本などは県民集会だけに参加者を送り込んでいた。近畿地本が8人の通し行進参加者を出していたのとは力の入れ方の違いを感じた。翌日は飛行機が午後の便であるため午前中が自由行動となった。私は全逓近畿の枠で行動することにした。大阪のある人間が遊びに行くことを主張したのに対して私は読谷村のチビチリガマに行くことを主張した。レンタカーを借りて読谷村に行くことになる。今では野球場が建設されている旧読谷飛行場跡で、ゾウの檻と呼ばれる米軍の電波傍受アンテナを見てからチビチリガマに行く。入り口には「世代を超える平和の像」が建てられているのだが、87年の知花昌一さんの日の丸焼き捨て決起に対する反動として右翼が破壊したために無惨な姿をさらしていた。ガマのなから暗く先が全然見えなかった。足下には回収されずにそのままとなっている集団自決した人々の遺骨が散乱している。後年この事を話したときに、ガマの中に入ったことの無神経さを批判された。あそこは集団自決に追い込まれた人々の墓所なのだと言うわけである。私たち近畿の参加者は自決した人々の事や、戦争反対・天皇日の丸君が代に反対する者への右翼の白色テロルに対する怒りを口にしながらその場を去り空港へと向かった。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 turtleさん初めまして。かつての総評社会党ブロックの時代は、部落解放同盟が社会党を支持していた関係で総評傘下の労働組合とも共闘関係にありました。反戦平和の運動についても結構一緒に活動していた物です。
 さて部落差別がなくなったと思われているようですが、現実には差別は陰湿で昔より激しい物となっています。例えば2チャンネルを読んだりされることはあるでしょうか?差別発言が満載です。就職差別や結婚差別の問題も一行になくなってはおりません。仕事で実際に部落の人々と接していますと実感できます。実はturtleさんの言う「逆差別問題」なる受け止め自体が差別の現れになります。
 どう説明すればご理解いただけるか、今は直ぐに思い浮かばないのですが、一番良いのは部落の人と実際に付き合ってみることでしょうね。その時に一般地区の人がturtleさんに対してどの様な態度を取るか、是非とも体験していただきたいと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 7日 (火) 00時18分

「JIROの独断的日記」さんから、こちらにたどり着きました。
派閥関連のコメントが多いので、私からも質問です。
「総評青年協の枠組みで、部落解放同盟」とありますが、「部落解放同盟」はどういう関係で沖縄に参加したのですか?
私もよくは知らないのですが、部落問題は基本的には解決したのではないですか?
一般社会で部落問題が出てくることはありませんし、私が知っている限りでは、逆に、部落問題に対する優遇措置が逆差別問題として問題になっているという認識があります。

投稿: turtle | 2006年3月 6日 (月) 22時07分

 質問の件ですが、ブントは元々共産同系ですから現在の「SENKI」になってもカクマルではありませんね。カクマル三派というのは、JR総連の利権と路線的腐敗の罪のなすり合いとを巡って黒田寛一と松崎明が対立し分裂したのが2000年前後ですね。そして松崎派からさらに嶋田派というのが利権を巡って分裂しています。現在松崎派と嶋田派はJR総連をまっぷたつに分けて争っています。その辺は「前進」でも記事にあると思いますし、JR連合のサイトに「民主化情報」というのがあって色々詳しく書いています。http://homepage1.nifty.com/JR-RENGO/higashi/minshukajoho.htm

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 1日 (水) 23時27分

 護憲的コケシさん2・16集会にカクマルが来ていたのですか?なんか信じられない気がします。1047名闘争には徹頭徹尾敵対してきたのですが。少なくともカクマル三派のうちJR総連の主導権を争っている松崎派と嶋田派とは来ていないでしょう。可能性があるとしたら黒田派ですが。それでも未だに松崎派と喘鳴対決にはいたっていませんから可能性は低いと思いますが。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 1日 (水) 23時20分

 ごめんなさい、前のコメントの最後が途切れていました。

 最後の部分は僕からの質問で「現在『ブンド』を名乗っている『戦旗派』も『カクマル三派』のひとつなのでしょうか?」というものでした。以前知り合いがここに所属していて「運動実体がなくつまらない」と言って脱退したところです。

投稿: 護憲的コケシくん | 2006年3月 1日 (水) 23時17分

 やはりカクマルの「他党派への解体攻撃」というのは寛容の精神のひとかけらもないもので非難の対象であるべきですね。現に中核派の支持者ではなくとも「カクマルだけは受け入れられない」という声が多いですから。

 活動と言うものはすべからく大衆の中に根を下ろし、一人ひとりも各党派の一員である以前に「大衆の一員」として行動する必要があると僕は思っていますから、「解体攻撃」はそれにすら反しますね。やはり運動内部だけではなく、大衆的にカクマル批判を広げるべきですね。

 2・16国鉄大同団結も確かにカクマル系がいたようですが、それでも中核派などが主張する「大同団結」についたことは大きいと思います。そこにおいてどこが先頭に立つかは重要ですが、だからといって党派色一色にしてしまうのも問題でしょう。「これはいけない」というものを除いて(非難にならない批判をするということ)、お互いの存在や自主性を尊重するのが大切でしょうから。

 ところで現在「ブンド」を名乗っている「戦旗派」も「カクマル三派」の

投稿: 護憲的コケシくん | 2006年3月 1日 (水) 23時10分

 怪星人カピアさんコメントの件は気にしないで下さいね。ご指摘のエロサイトのコメントは削除しました。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 1日 (水) 17時39分

すみません、アッテンボローさん。
自分の手違いでコメントを二度も送ってしまいました。
↑のコメント、最近市民運動や左派系のブログのコメント欄や掲示板によく送りつけてくる、エロ系のサイトですが、ワンクリック詐欺の可能性もありますので、削除した方が良いと思います。

投稿: 怪星人カピア | 2006年3月 1日 (水) 12時19分

 怪星人カピアさん、その通りですね。金城実さんの作品です。再建に当たっては賛否両論があったそうです。右翼が如何に悪逆な行為を行うかについての証拠として破壊されたままの状態で残す方が良いという意見も有力でした。
 沖縄は唯一戦場になったこと、米軍基地の存在がありますから簡単には本土のように差別排外主義に席巻されることはないでしょうね。本当に一人でも多くの人が沖縄の現実をその目で見て欲しい物です。そして本土の人間こそ反基地闘争に立ち上がらなければならないと思います。
 HISAさん、天皇裕仁のしんしょでの沖縄売り渡しについては本当に許せませんね。沖縄の現状について天皇の保身のために行った行為が影響を残しているというのは全くその通りだと思います。愛国心を唱える物こそ真の意味で「非国民」であり売国奴といえるでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 1日 (水) 00時35分

 当該記事について直接的に関連するものではありませんが、1947年9月、昭和天皇裕仁が、「沖縄での米軍軍事占領を25~50年もしくはそれ以上の貸与を希望する」趣旨の提案(所謂「沖縄メッセージ」)を側近を通じてGHQの政治顧問団へ伝えていた、という史実を思い出しました。もっとも、GHQはそれ以前から沖縄軍事基地化を企図していたようですが、この裕仁の「沖縄メッセージ」は、それ自体が反人民的であり、(表現は適切ではないかもしれませんが)それこそ「非国民」的発言だなぁ、と思いました。現在の沖縄の不幸の源泉に、少なからず裕仁のこの発言が関わっているかと思うと、あらためて怒りが湧いてくるのです。
 ※参考:憲法9条の戦後史(田中伸尚著 岩波新書)

投稿: HISA | 2006年3月 1日 (水) 00時19分

沖縄と聞くと、何だか胸中が熱くなってくる様な気がして、又も来ました。
右翼に破壊された「世代をこえる平和の像」は、金城実さんが作られた物ですよね。
『沖縄県読谷村の戦跡めぐり』(http://www.yomitan.jp/sonsisenseki)というHPによると、95年の4月に像は再建され、石碑も建てられたそうです。
本土では意図的に忘却の彼方に追い遣られようとしている、戦争で得た苦い教訓は、沖縄では米軍(と旧軍の末裔たる自衛隊)の存在が有るが故に、今も活き続けているんですね。
南から来る反戦の動き、微力ながらも本土で響かせなければ。

投稿: 怪星人カピア | 2006年2月28日 (火) 23時44分

沖縄と聞くと、何だか胸中が熱くなってくる様な気がして、又も来ました。
右翼に破壊された「世代をこえる平和の像」は、金城実さんが作られた物ですよね。
『沖縄県読谷村の戦跡めぐり』(http://www.yomitan.jp/sonsisenseki)というHPによると、95年の4月に像は再建され、石碑も建てられたそうです。
本土では意図的に忘却の彼方に追い遣られようとしている、戦争で得た苦い教訓は、沖縄では米軍(と旧軍の末裔たる自衛隊)の存在が有るが故に、今も活き続けているんですね。
南から来る反戦の動き、受け止めなければ。

投稿: 怪星人カピア | 2006年2月28日 (火) 23時40分

 照屋議員の思いというのはまさしくその通りだと思います。沖縄には米軍の侵略拠点が存在しており、その為に様々な犠牲が県民に強制されているわけですから。
 カクマルの問題、党派の問題とで言いますと、彼らは当時沖教組に相当数の活動家がいたり、沖縄タイムスであったか琉球新報であったかの労組を握っており、琉球大学などにも学生が多数いました。そして、他党派に対しては彼ら独特の解体路線で襲いかかってきたりしていましたので革新統一行動でたまたま同じ会場にいることはあっても共闘できる対象ではありませんでした。勿論今日でも彼らが左翼ではないと思っていますから、共闘相手にあるとは思いません。
 96年であったかと思いますが、反戦地主会や一坪反戦地主会に対してカクマルは様々な敵対行動を取りました。その為現在では革新共闘の場でも排除されているはずです。
 革新・左翼勢力の共闘・統一戦線を考える場合にカクマル三派を除いてしか考えることは出来ないと思います。実際その様な一日共闘などは度々行われています。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月28日 (火) 23時40分

 僕のブログでも言いましたが、社民党の照屋議員が「沖縄は反憲法の状態にある」と言っていたのを思い出します。おそらくその「反憲法」こそが沖縄の人々の怒りの源なのでしょう。

 でも、「党派」というものが当時は今以上に重視され、優先されていたのだなとも、今回の記事で思いました。あのカクマルとも、一応は思いをともにしていたのならば、なぜもっとちゃんとした「大統一行動」をとらなかったのか、僕にはそれが疑問です。

 とはいえ米軍基地を押し付けられ、「削減」されるかと思いきや今度はそこに自衛隊がやってくるというから、沖縄の人々はたまったものではないはずです。「国家の軍隊」をなくし、それに変わる「何らかの『安全保障』的機構」に過渡期的に切り替え、ゆくゆくはそれを廃止するしか道はなく、さらにそれには日本のあり方を根底から変える必要があると思います。

 この「平和行進」がもっと広範な「大統一行動」の一つとなることを願っています。

投稿: 護憲的コケシくん | 2006年2月28日 (火) 21時56分

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