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2006年2月23日 (木)

南京事件、百人切り裁判勝利集会

 まっぺんさんの四トロ同窓会二次会掲示板より転載。

こんにちは、熊谷伸一郎@史実を守る会(明日発足)です。
重複投稿すいません、転送転載歓迎であります。

 南京大虐殺時に二人の日本軍将校が行なった殺人競争、「百人斬り」競争をめぐる裁判は、地裁ではジャーナリストの本多勝一さん側の完全勝利に終わりました。歴史改ざん派が控訴し、明日、東京高裁で第一回の法廷が開かれます。

 明日は裁判の進め方をめぐってアチラとコチラで議論が交わされることと思います。必見。ぜひ傍聴にご参加を!

 午後1時30分に抽選が行なわれますので、その前に東京地裁にお越しください。

 そして明日夜、「南京への道・史実を守る会」の発足集会を開催します!!入会希望者はもちろん、裁判を支援したいという方はどなたでも参加してください。
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南京への道・史実を守る会 発足集会

日時:2006年2月22日(水) 午後6時30分~
場所:JR水道橋駅徒歩1分・東京学院
地図:
http://www.kaigishitsu.co.jp/access.htm
参加費:無料(カンパ歓迎)

【内容】

講演「南京大虐殺否定派の動向と私たちの課題」
       ・・・俵義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)

・「地裁勝利の経過と今後の展望」・・・渡辺春巳(弁護士)
・「歴史改ざん派の主張を論破する(法律編)」・・・穂積剛(弁護士)
・「歴史改ざん派の主張を論破する(事実編)」・・・山森良一(弁護士)

挨拶・・・本多勝一(ジャーナリスト)、笠原十九司(歴史家)

  ▼会場にて本会に入会していただけます。
  ▼問い合わせ先・・・honda_sien-owner@egroups.co.jp
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kuma@office.email.ne.jp  熊谷 伸一郎 拝

 既に集会は終了しているのだが、右翼らによる歴史の改竄の動きに対して裁判所ですら歴史的事実として認めざるを得ない状況であると言うことでしょう。高裁に於いても完全勝利目指して闘おう。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 久々さん、一審で本多勝一氏が全面勝利していますが、その裁判に関連した記事やブログはご覧になっていませんか?司法の反動化の中であっても本多勝一氏が正しいと認めざるを得ない状況であったわけです。

投稿: アッテンボロー | 2006年5月 4日 (木) 07時32分

ありゃりゃ、良く見たらかなり古い記事でしたね(汗

とりあえず生き証人さんの証言も拾ったのでどぞ
http://www.senyu-ren.jp/100/005.HTM

投稿: 久々 | 2006年5月 3日 (水) 17時13分

日本刀で百人なんて切れるはずがありません。
アレは新聞記者が戦意高揚のために書いたデマです。

http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page048.html
この記事にあるように、斬ったのは事実ですが、敵陣に乗り込んで切り殺しているのであり、捕虜を殺害しているわけではありません。

http://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/000menu.html


ところで質問なんですが、あの新聞記事以外に証拠ってあるんですか?

南京大虐殺だって二十万の都市で三十万殺してしばらくしたら二十五万人も増えてるなんてなんてカオスw

投稿: 久々 | 2006年5月 3日 (水) 16時49分

 とほほさん、時々ココログは調子が悪くてトラックバックが出来ないときがあるようです。後ほど拝見させていただきます。

投稿: アッテンボロー | 2006年5月 3日 (水) 12時32分

どうもTBが反映されないので(^^;
ご案内します。
【歴史問題ネットワーカーと反小泉・護憲運動ブロガーの集い。】史実を守る会
http://t-t-japan.com/blog/blog.cgi/permalink/20060503105302

投稿: とほほ | 2006年5月 3日 (水) 12時16分

 亀仙人さん、私は立脚点を明らかにしています。今までのこのブログを丁寧にご覧頂ければ、私が共産主義者足らんとしていることが分かっていただけると思います。
 レーニンの理論を色々批判する人たちも沢山あるのですが、私の場合どの様にしてその革命的部分を現代に適用するかという立場ですので、新自由主義などによるレーニン批判については反批判することになるかと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月16日 (木) 20時11分

はじめから歩み寄りの可能性を否定するものではありません。あなたの議論が立脚するべき立場を明確にしたうえでこのサイトを展開されていかれてはいかがでしょうか?われわれの議論ももっと面白みをもちえると思います。そうあってこそ、右とか左とか価値相対化されてしまったもののあいだでの歩み寄りが可能になるのだとおもいます。

マルクスレーニン思想と一般に共産主義とよばれるものとを区別することは非常に有意義であることと思いますし、彼らの経済理論を否定する自由主義的とよばれる論理がどういった点で疑問視されるべきかなどもうすこし踏み込んでお話されればよいのではないかとおもいます。逆に言えば、ヒルファーディングの金融史本論に関していえばレーニンの主張する帝国主義論の瑕疵を自由主義的な経済理論の立場から指摘することも可能なのです。こういった作業を省いてしまうようでは、もったいない、と思います。がんばってください。もうすぐ20歳になる亀井(仮名)。英国より。

投稿: 亀仙人こと仮名の仮名 | 2006年3月16日 (木) 09時44分

 亀仙人さん、基本的に歴史認識を巡っては右翼と左翼の間では平行線になることが多いようです。右ではないと仰る立場であれば、歩み寄りの可能性はあるでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月10日 (金) 17時31分

がんばってくださいね 平行線を辿るようなやり取りではなく意義ある議論をしましょう。

投稿: 亀仙人(本名) | 2006年3月 9日 (木) 09時34分

 仮名さんお早うございます。百人切りに関して言いますと、私の表現も少々誤解を招く点があったかも知れませんね。記憶に頼っていますので正確かどうか自身がありませんが百人切りをした将校は投降してきた中国兵を手招きしてから斬り殺したことを詳細に語っていますので、殆どが事実であると思います。当時の従軍記者がどの程度の検証をしていたのか分かりませんが、それだけ信憑性のある証言だったと思います。
 戦争は政治の延長ですから、政治目的によって戦略・戦術・戦法が規定されると思います。日本にとって日中戦争は自国の政治経済的権益のための物でしたから「アジアの解放」等は建前に過ぎませんでした。大量の虐殺などに関してはそこから発生しています。これらは幾ら歴史修正主義者・自由主義史観の主張者が事実をねじ曲げようとしても否定できない事実です。
 国際法の問題について言えば、それに限らず階級闘争の力関係が諸法規には反映されますから、侵略される側の主張を受け入れた条項などもあります。唯私が言いたかったのは基本は帝国主義書列強が決める物ですから侵略に都合の良い部分が基本を占めると言うことです。
 アフリカの飢餓の問題などを何故取り上げないのかと言うことについては、得手不得手があるから取り上げていないことが即ち無視していると言うことには繋がりません。私はそれらの活動をしている人々について基本的に否定などしていませんので。
 ナショナリズムに関して言えば今の日本のそれは差別排外主義と密接に絡まり合っている否定的側面が強いように思います。他国・他民族の尊重をしなければ、それは侵略戦争に動員されると思います。
 レーニンの帝国主義論についての私の検証で、具体的記述がかけていると仰いますが、それは亀井さんへの返事の中でのことでしょうか?それとも別の記事で私がこの間学習成果を書いている記事も含むのでしょうか?前者であれば「『帝国主義論』その1」を始めとする記事をご覧下さい。後者であれば何処がどの様に検証不足であるのかをご指摘下さい。私の力量で可能な範囲でしか堪えることは出来ませんがまだシリーズが続いていますのでお返事を含めて記事にしたいと思います。
 

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 8日 (水) 08時03分

処刑された将校が新聞の取材に対し中国人を殺しまくって手柄をなしたという「ほら」をふいて応じたということになるのでしょうか。事実を伝えていない、また伝えられなかったのならば、それはジャーナリズムに帰せられるべき瑕疵でありその記者が世間に対してほら話をしたことと同じだとみなされるのがごく自然だと思いますがいかがですか。或る意味で、民意を裏切り、民意を煽った責任は報道する側にあったのではないですか?さらにいえば、アッテンボローさんも認めておられる事とは思うのですが、これは戦時体制下にあって断片的なお話です。あくまでも、日本は極東の権益をまもるために戦争をしたのですから。国益が前提ですが、共産主義者が想定するような中心周辺理論のようなものに基づいていたと解釈するのは無理があります。搾取収奪を目的としたのではなく、極東における強調的な政治・経済的独立が目的であったのですから。
アリソンが想定したように国家が対外政策について意思決定をするときには様々な因子が影響しますが、この政策目標を、侵略をするためのタテマエであったなどとみなすようでは歴史のお勉強が不十分ということになるでしょう。これらをまず認めるならば、百人斬り、或いは諸虐殺疑惑に対してどういった経緯でおこったか認識をふかめるしかありません。また、本当に事実であったかを考えることは自国の歴史についてどれだけ真摯な姿勢をもつかということになるでしょう。あなたが傍若無人にふりまわす「歴史に真摯に向き合え」といった種類のものとは違うことを念においてもらいたいとおもいます。

したがって私はあなたがおっしゃるような右派ではないのですよ。付け焼刃的な左にたいしては相対的に右にならざるをえないというだけなのです。認めなければ、偏狭なナショナリストといわれる。これは極めて理不尽なことです。

ナショナリズムという言葉についてですが、厳密にどういった意味でつかわれているのか理解しがたい。文脈から想像するに侮蔑的な表現であった。自民族中心主義、その他多種多様にわたるナショナリズムの定義を十分に熟慮・区別したうえで、用いるようにしていただきたいと思います。ナショナリズムというものは本来尊ぶべきものです。他民族に対する排他的な要素は政治主導のあり方次第で取り除くことも可能なのです。もし排除しなかったとしてもそのナショナリズム事態が不健全であると考えることは誤りだと思います。

私は歴史上の事柄に関して「断片的」という言葉をつかうことによって歴史を矮小化するつもりは決してないですし、「非」を認められない偏狭なナショナリズムの持ち主だとは思いません。歴史をふりかえってみて将来の日本が描くべき国家観が帝国主義とならぬよう勤めることは、過去の帝国主義的な側面をたたくことでも、現行の帝国主義的側面でもないと思うのです。「私は自らの誤りを正すことの出来る日本をこそ愛します。過去の侵略を開き直る日本の負の部分を愛する気持ちはありません。
」というあなたの言葉がほんものであるならば、まずあなたのアイデンティティーなり生きた理論を遂行するための立脚点を示すことで立場を明確にしていただきたい。もしも、日本という国家存続のありかたがしっかりと頭の中にあるのならば。そこではこれまでのあなたの主張が一貫性をかくようでは困りますから。まずご教示いただきたい。

「国際法は帝国主義列強の都合で決められている物ですから侵略される側からすればそんな物は関係有りません。」とおっしゃるが、これは偏見だと思いますよ。勉強不足と思います。たとえ仰るとおりであったとしても国際法を国家がみとめている以上、不平等・不利益であろうが法というものを固守するのが国家責任です。たとえ相手国側を「宣戦布告をしなかった」として国際法違反とみなす場合でも、自国が「ゲリラ戦を展開する」というような正当化はまかり通りません。それらは中国側も良くわかっていたと思いますよ。百人切りや南京にしても国際法というのは中国によってむしろ有利なものでした。さらに、なんどもいいますが、極東軍事裁判は法の正義によってなされたものではなかったと裁いた側がいっているのです。
これはあなたがたがいう構造的暴力というよりもむしろ国が国を叩く直接的なものだったとあるマルキシストはジャーナルで書いてました。

弱者なり労働者なりをまもるための普遍的イズムをお持ちなら、アフリカの疫病や飢餓について論じるべきではないですか?UNCTAD時代のプレビッシュが作成したレポートをなぜ述べられない。世界に目をむければあなたがおっしゃるような過去よりも急務となるものが溢れかえっているのです。現実に、彼らこそ独占資本主義の犠牲者なのではないですか?

これらについて向き合うことがない以上、わたしは売国的な左派のサイトとしてみてしまいますし、あなたの言論は押並べて「政府やその世論誘導に乗せられている」という人々をむやみに困惑させ結果的には歴史に無関心な若い世代をうみだすことにつながることは否めず、本来の左派を抑圧するということになってしまうのではないですか?

これらはアッテンボローさんの主張に一貫性をあたえる論拠が示された場合、訂正、撤回、謝罪にあたいする書き込みですが「はかられた相対化を解消する」ためのロジックのひとつとしてうけとめてもらいたいと思います。

ちなみに、ちなみに政府はスピンドクターやシンクタンクの研究員等などをして「メディア」に介在させ、世論を誘導するといわれています。あなたは政府がどこへ世論を誘導しようとしているとお考えなのですか?理解に苦しみます。


「帝国主義者が侵略戦争を肯定することについて誤解なさっているようですが、帝国主義というのは資本主義の発展段階であり、そこから必然的に生じてくる世界市場・資源・領土の分割を巡る侵略と侵略戦争を行うあり方その物です。」とありました。私の論点は、侵略戦争であるかどうかは学会のパラダイムが時代に応じて生きたものとして決めることでありそれらはいまのところ社会科学的アプローチによってなされるということでした。そしてマイナーな学説としてのマルクスエンゲルスホブソン、あとレーニンとかトロッキー、さらには、えーアントニオグラムシ(他者割愛)などの理論を前者から対照したまでです。「帝国主義というのは資本主義の発展段階であり、そこから必然的に生じてくる世界市場・資源・領土の分割を巡る侵略と侵略戦争を行うあり方その物です。」レーニンが革命のためにごり押しで理論化した内容を云々といわれてもいまいち説得性にかけているような気がします。無根拠ですが。ただ、レーニンは侵略という言葉を好んでつかわなかったし目的はあくまでも革命にあった。その本意から微妙にでもはずれてしまってはレーニンを殺しているようなもんですよ。それに、植民地の独占的領有と再分割競争に関する植民政策の具体的記述がありません。これらが地球上で起こってのみ、かつ、資本主義崩壊の兆しをしめす事象としての資本主義であるはずです。ここで、殺されて朽ち果てつつあるレーニンさんをお墓から無理やり引っ張り出してくるようなことは反論としてふさわしくないと思います。いかがですか?

投稿: 亀井の仮名は亀井 | 2006年3月 8日 (水) 05時18分

 亀井さん、百人切りについて「ほら話」と書いたのは処刑された将校が手柄話として新聞の取材に応じたことを言っています。新聞記者が「ほら話」を書いたのではないという点でご理解下さい。
 ゲリラに関してはかなり見解の相違が大きいですね。例えばアメリカの独立革命の際、書記の戦闘手法はゲリラであったのですが。また、ベトナム戦争においても米軍を叩き出すためにゲリラ戦を駆使しています。ナチスドイツの侵略と闘ったユーゴスラビアのパルチザンもそうですね。あるいはフランスのレジスタンス。全て非正規軍です。
 侵略する側は正規軍で行いますがそれにたいする抵抗の闘いは非正規軍であることも非常に多いわけです。それを認めるかどうか、その辺が亀井さんとの違いでしょうね。私は相対的弱者が強者と闘う手段としてゲリラ戦を選択することは当然であると思っています。国際法は帝国主義列強の都合で決められている物ですから侵略される側からすればそんな物は関係有りません。
 極東軍事裁判のでっち上げといわれますが、日本政府はアメリカを始めとする連合国に対して全て承諾していますね。そして今日に至ってもアメリカに対して不当であったなどとは言いません。勿論文化の違いなどがありますので誤解によって処刑された軍人も存在していることは認めますが。
 日本人が日本を愛すると言われますが、私は自らの誤りを正すことの出来る日本をこそ愛します。過去の侵略を開き直る日本の負の部分を愛する気持ちはありません。
 郵便局員が政府やその世論誘導に乗せられている人々を批判してはいけないのでしょうか。人間としておかしいと思ったことに対してそれを批判するのは極当然の行為であると思います。
 帝国主義者が侵略戦争を肯定することについて誤解なさっているようですが、帝国主義というのは資本主義の発展段階であり、そこから必然的に生じてくる世界市場・資源・領土の分割を巡る侵略と侵略戦争を行うあり方その物です。「社会科学的なアプローチで政治することを」帝国主義と呼んでいるわけではありません。
 郵便局を辞めて政治家になれと仰るが、私は郵便局での労働運動に忙しくありたいのであまり関心はありません。非を認めることが日本を蔑むことになるというのは偏狭なナショナリズムではないですか。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 7日 (火) 02時39分

「冷静に話し合えるのならとの前提を付けていたのですがどうやらそうではなかったようですね。」
どういったところから、そのようにお受けとりになったのか。受け取り方の問題だと思います。郵便局員風情という無礼ないいかたをしたとおっしゃいますが、その点についてはそう受け取られたのならば致し方ないので謝罪します。申し訳なかった。ただ、不適切な表現であったかもしれませんが、感情的な言葉ではなかったということ、そして単なる私見ではなかったということ、その2点についてご理解いただくよう願います。

「百人切りの記事その物は戦犯として処刑された将校本人に取材して書かれた物です。それが例えほら話であったとしても第一の責任は当人に帰すでしょう。」という発言に対して・・・理解できないです。ほら話であるからこそ、平時に於いて名誉毀損で訴えがでたのではないのですか?これの何がおかしいのです?
もし仮にその歴史的事象を、過去はともかくとして、現実の裁判において史実としてみとめたらどうだというのですか?これによって建設的対話はなされるように思いませんが。その百人斬り競争なるものをしていた当の軍人たちは処刑されたのでしょう?ジャーナリストの裁量を考慮にいれるとき、彼らは裁判中極めて不利な状況におかれたのですよ?そして処刑されてるのです。その是非をとうのは国際法にのっとってゲリラ戦をよしとするか否かです。よしとすることは思想がどうあれ、ありえないのですよ。


「ゲリラ戦について色々と蔑視があるようですが、ゲリラというのは人民の海が存在しないと成立しません。ゲリラ戦に立ち上がった人々を支える広範な支持が存在していたという事に彼らの正当性があるといえるでしょう。」とおっしゃいますが、これは国際法上、ゲリラ戦を展開する正当性にはなりえないといっているのです。さらにはゲリラ戦を容認した国家にたいする責任を曖昧にし、さらには他者に責任を転嫁するものです。断言をすると「また」鳩が飛んでくるので、そういう側面があると換言しておきます。パットナムノの2レベルゲームの観点からすれば矛盾しまくってます。
感情論、思想的言説だけにとらわれず自然科学として政治力学をとらえてみてはいかがか。いずれにしても政治家はあなたがたを裏切るのだから。

建設的対話ということに関してですが、極東軍事裁判ででっちあげた(これは国際関係学を博士課程で学ぶ中国人も認めている)戦争神話をいまさらひっぱりだしてくることになんの意味があるのですか?そうすることによって具体的にどのような建設的ビジョンをえがいているのですか?これについてはお答えをいただきたい。

また日本人が日本を愛する擁護するという健全な考え方を一方的に日帝思想という枠でくくり狭量だと指弾すること事態うけとめがたいです。それはあなたがたの主張するべきことではない。ましてや郵便局員がすることではないでしょう。結局はアッテンボローさんが郵便局員であるか否かなどどうでもいいのです。あなたのような発言をする人間は山ほどいる。が、それに相反する反論あるいは疑問視する声はほんとうに小さい。私は、安易に、思想を二極構造化してしまうことは有益あるとはおもえません。

「帝国主義者にとって侵略戦争を容認するのは当然の考え方ではありませんか。」とおっしゃった。これは詭弁だと思う。社会科学的なアプローチで政治することを帝国主義とよび、それらはすべて過去の(侵略)戦争を容認するためのものであるというかのような表現は不適切だ。であるならば、あなたのいう共産主義は学問として相対化された思想による政治を目指すものだ。

「それに対して私は共産主義の立場から帝国主義戦争を否定しているのですから、この点で一致することはあり得ません。」

ごもっとも。民営化された郵便局などやめてしまって議員選に立候補なさったらどうですか?サラ金でお金をかりてきても政治家になればすぐかえせますよ。ただ、もしそうなっても日本を蔑むようなことを日本語でなさらないでいただきたい。

投稿: 亀井(仮名) | 2006年3月 7日 (火) 02時01分

 さて、冷静に話し合えるのならとの前提を付けていたのですがどうやらそうではなかったようですね。
 百人切りの記事その物は戦犯として処刑された将校本人に取材して書かれた物です。それが例えほら話であったとしても第一の責任は当人に帰すでしょう。
 私はシカゴだのロンドンだのカリフォルニアだののお偉方とはそもそも見解が違います。帝国主義者にとって侵略戦争を容認するのは当然の考え方ではありませんか。それに対して私は共産主義の立場から帝国主義戦争を否定しているのですから、この点で一致することはあり得ません。
 ゲリラ戦について色々と蔑視があるようですが、ゲリラというのは人民の海が存在しないと成立しません。ゲリラ戦に立ち上がった人々を支える広範な支持が存在していたという事に彼らの正当性があるといえるでしょう。逆に侵略軍であった日本軍は各地で有形無形の抵抗を受けたのです。
 「郵便局員風情」等と言われるが貴方は何処の何様のつもりなのでしょうか。非常に無礼な物の言い様ではないですか。私は恥じる気も身を清めるつもりもありません。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 6日 (月) 09時37分

「日中十五年戦争における日本軍の作戦は中国の軍民問わず殺戮するというのであったことは否定できません。」とありますが、論拠が不明瞭です。

巷間にいうところの百人斬り事件や河北における三光作戦、重慶への戦略爆撃による無差別殺戮などの「戦争神話」から極東軍事裁判という連合国側がルールとして裁くという一方的で不平等なもの(国際法というもの蹂躙した最悪の事例として世界的に知られている)をもって事実関係を云々というようでは問題外です。歴史修正主義という言葉がでましたが、名誉毀損で訴えでた側にも訴えるだけの権利を認めるべきです。難癖をつけたといういいかたは好ましくないです。もしも、仮にあなたがいうように、本当に正しい歴史認識をほっしているのならば「難癖をつける」などといったいいかたはしないでしょう。

また「もし本当に名誉毀損であるのなら戦時中の報道に対してこそ名誉毀損としての訴えが必用でしょう。同時に紹介された軍人は極東軍事裁判で死刑となっていますので冤罪として裁判に訴えるべきなのです。処がそれをしていない。これはおかしな事であると思います。」といいましたが、このあたりはおっしゃることを斟酌できません。

別におかしなことではないと思いますよ。具体的な法手続きに対する見方や選ぶ弁護士1人をとってみてもどういった出方をするかは当然異なるでしょう。また、戦時体制下にあって報道されたことに訴え出るような人はまずいなかったでしょうし、これからもいないでしょう。戦時と平時の区別さえつく理性的に正常なひとならば。ただし、極東軍事裁判をいいことに誤った歴史認識を不確定要素の多い事例を事実としてしまうことで作り上げてしまうことは、カントの言葉をかりていえば理性に反します。とうぜん、名誉毀損として訴えがあってもいたし方のないことではないですか。

「河北における三光作戦、重慶への戦略爆撃による無差別殺戮など、侵略であることについては言い逃れは出来ません。」といいますが、しつこいですね、改めていいます、世界は侵略戦争だなどとは思っておらず極東における植民地解放戦争であったという認識をしています。シカゴのお偉方も、カリフォルニアのお偉方も、ロンドンのお偉方も、政治的利害に絡まない本物の知識人は日本は侵略していないといってるんです。

ああ、あほらしいですね。他の話にしますか。そちらの議論にはjus ad bellum とjus in belloの基本的な認識が欠けてるということを指摘させてもらいます。「多くの中国人民がゲリラで闘ったことにこそ彼らの正当性があるといえるでしょう。庶民であっても許せないと思うからこそ侵略者に対して銃を取って闘いを挑むのです。」とありました。笑えますね。素敵です。芸人ならなかなか売れたんじゃないですか。真剣な顔で打ち込むようすが目に浮かんできました。ゲリラ戦に正当性云々。バカいっちゃだめですよ。偉そうに帝国主義、共産主義思想を語った挙句一般常識にかけるようではグラムシもレーニンも泣きますね。笑っちゃって。
ゲリラ戦なんて美化できたもんじゃないんです。ゲリラ戦ときいて、何を想像なさってるんですか?一般市民ですか?まぁそれも否定はしませんが、大半が軍服を着ていない軍人であったと認知されてます。ゲリラ戦術によって軍事的、政治的に扇動された結果戦いに参加した一般市民が大勢いたためです。彼らは庶民ではなく兵士です。誤解なさらないでください。侵略者に対して立ち向かう一般市民がゲリラ戦を展開したというのはそれこそ曲解。日本軍の無差別の大虐殺?ゲリラ戦を展開したほうに一度責任を帰すべきです。でなければ議論の余地はありません。
戦場で軍服を着てない軍人はその時点で、本来は囚人服にきがえねばならないのですから。

本当に憂き目にあって亡くなってしまった哀れな中国の人々に対しては今、日本でなされる被害者意識は何の価値もないと、しっかりお勉強してる中国人はいいます。己の権益拡大のために誇りある中国を汚すあなたたちは、彼らによって叩かれてしまうかもしれませんね。ちなみに、彼らは中国国内では大変なお金持ちですが、中国において売国奴どころか尊敬されてますよ。お金がすべてですから。ましてや、裕福な人たちが日系資本と癒着してるなんて大間違いですね。短絡的なので、それはそれで面白いですが、迷惑な話です。

中国の貧乏人が「反日」的であるのは、日本の経済侵略の被害者とも重なるからであって裕福な層、早い話が中国における売国奴は日系資本と癒着していますからそれほど「反日」ではありません。とありました。

「経済侵略」・・・いちから経済を学ぶことを勧めます。そんなことだから郵便局員風情と嘲笑の対象にされる。中国共産党を叩く声が中国国内で次第に大きくなっていることをご存知か。それが何故かを考えれば、あなたのように近視眼的に思想を展開することは少なくなるでしょう。

冷静に話し合えるなら対話に応じますという言葉に応じて送ります。恥じて身を清めよ。あなたがたが、中国共産党の内実をしり身を案じてくれることを祈ります。自分の手で自分の首をしめるようなことをしなさるな。

投稿: 亀井(仮名) | 2006年3月 6日 (月) 03時05分

 基本的にハンドルネーム無しの書き込みにはよい感情を持てませんが、完全なネット右翼とも思えないので簡単に返事を書きます。
 日中十五年戦争における日本軍の作戦は中国の軍民問わず殺戮するというのであったことは否定できません。先ず南京大虐殺ですが、無かった物としたがる「自由主義史観」=「歴史習性主義」=現代の皇国史観の持ち主達の様々な歴史歪曲の動きがありますが、この百人切り裁判は日中戦争中の報道記事を再度照会したことに対して「名誉毀損」などと言って難癖を付けたことに対して反撃が闘われている物です。
 もし本当に「名誉毀損」であるのなら戦時中の報道に対してこそ名誉毀損としての訴えが必用でしょう。同時に紹介された軍人は極東軍事裁判で死刑となっていますので冤罪として裁判に訴えるべきなのです。処がそれをしていない。これはおかしな事であると思います。
 河北における三光作戦、重慶への戦略爆撃による無差別殺戮など、侵略であることについては言い逃れは出来ません。それは多くの中国人民がゲリラで闘ったことにこそ彼らの正当性があるといえるでしょう。庶民であっても許せないと思うからこそ侵略者に対して銃を取って闘いを挑むのです。
 それから第二次世界大戦は日本の側から見てもアメリカの側から見ても帝国主義による侵略戦争であると言うことが真の共産主義者の立場です。日本共産党の如きスターリン主義者は帝国主義と闘えなかったことを合理化するためにファシズム対民主主義との戦争などと戦争の階級的性格をねじ曲げていますが、それは大きな欺瞞であるというのが私の立場です。
 私のブログ及び書き込みの意見が偏っていると思われるのは勝手ですが、今日の差別排外主義の方が偏っているというのが私の見解です。先ず歴史的事実を学ぶことから真摯におこなうべきであると思います。
 日本であれ他国であれ美点も欠点もあります。それに対して批判を受けたことに対して受け入れることの出来ない狭量な日本人が近年非常に増えています。欠点は欠点として素直に認めそれを改めるべきであると思います。
 中国の貧乏人が「反日」的であるのは、日本の経済侵略の被害者とも重なるからであって裕福な層、早い話が中国における売国奴は日系資本と癒着していますからそれほど「反日」ではありません。
 荒らしてすいませんと思われるのでしたら次回からは仮名を作って書き込んでください。冷静に話し合えるなら対話に応じます。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 5日 (日) 15時28分

書き込み失礼します。ここは、とても偏った見解が多いですね。先日、国際関係学の世界的権威である教授とお話した際、日本の戦争責任、あるいは極東軍事裁判について、日本は悪くない、わが国に責任の一片がある。世界の国々は日本が戦争に行く経緯を知っていたしそれはjustifiableなものだったとおっしゃってました。無差別戦争観からかけ離れたもので、Karl.v.Clausewitz的見地からは戦勝国は唯一日本だったとまでおっしゃってました。即ち、東京裁判の否定論者です。したがって、これら南京に関する緒問題を否定するといった論調でした。政治暴力調査員でありながら、さらにアジアで強い日本を望むと断言するあたり、よほどの右かとおもいきやニュートラルだそうです。不思議ですね。誰が、右も左もわからなくしてしまってるんでしょうか。私が死ぬほどバカなんでしょうか。教育がなってないんですかね。

日本的なものを愛することは日本人にとっていいことではないですか? 「WA」(おそらく和)という概念を大切にするのが日本人の魅力であり弱点であるのではないかな?とおっしゃいます。よほど親日家なのでしょうね。ただ、日本という国についてよくご存知だなぁと感銘をうけました。日本の帝国主義といってもその内実を分析する特定の概念や方法論に欠ける以上、なされる帝国主義の議論は政治的扇動以外のなにものでもなくなってしまいますね。いろんな軍人がいたことでしょう。日本兵の軍服をみにまとった殺人鬼がいたかもしれません。それは戦争のなかのことです。戦争が起これば人は死にます。中国側のゲリラ戦略が事態を悪化させたのかもしれません。国際法の知識に欠ける共産党のお偉方のことですから仕方ないですよね。ちなみに学友の中国人はみな口をそろえていいます。「貧乏人」=Anti Japaneseなんだそうです。まぁ、酷い話ですよね。ご都合主義なんですから。民主が使い捨てされるのが目にうかぶようですね。

また、「左(右)よりの国家がさらに左(右)にかたむいていくことは好ましくない」とするのは学問的にみて正常な国家観だそうです。左右で或る事象を単純化するのも「グレーゾーンが増えるとき」極めて危険なことだとおもいます。

で、あるからして、事実であるかないかよりも、日本が将来的なヴィジョンをえがく手助けとしてこの百人斬りだかなんだかをとらえればいいんじゃないでしょうか。極端な話、日本で育ったある中国籍の女の子はもっときってくれればよかったのに!などという受け止めがたい冗談をいうくらいですから。

台湾では人ごろしの中国人、人助けの日本人というそうです。これも矛盾してますがなんとも笑えますね。

荒らしてすいませんでした。

投稿: | 2006年3月 5日 (日) 14時02分

 駆け出し勉強中!さん、初めまして。勉強については私もまだまだ不足していますが、出来れば共に今の日本の現状を少しでも良くするための行動をしつつ、共に学んでいきましょう。ベトナムとチベットの件については不勉強ですので機会が有れば書かせていただきたいと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年3月 4日 (土) 20時22分

はじめまして。
南京虐殺の件、勉強不足と痛感しました。

もし良かったら今度ベトナムでの虐殺、チベットでの虐殺についても取り上げてみてください。
(チベットの方は現在進行形の問題です)

参照
チベット
http://www.tibethouse.jp/home.html
http://www.kinaboykot.dk/video.htm

ベトナム
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/k-textbook/vietnamwar.html

長文、失礼しました。


投稿: 駆け出し勉強中! | 2006年3月 4日 (土) 19時54分

 にゃにゃにゃにゃにゃさん、鈴木明なる人物については大宅賞受賞者として知っています。全斗煥の粛軍クーデターについてのルポを読んだことがありますが、紙の資源の無駄遣いでしかない駄作しか書けない人ですね。仰るように右翼反動の願望をあたかも事実かのように書こうとしていますが底の浅い物しか書けない人だと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月25日 (土) 01時38分

護憲的コケシさん、アッテンボローさん、この百人切り裁判については、本多勝一氏を応援する側からのサイトがあります。
http://jijitu.gaou.net/

資料も充実しています。

本多勝一氏とリクルート事件の件については私は詳しいいきさつはわかりませんが、「百人切り」は本多勝一氏が取り上げるよりもはるかに前から知られていますし、野田・向井といった旧日本軍将校2人はそのことで裁判にかけられ、処罰されているわけです。
それが、1973年になってから、鈴木明という人物が『「南京大虐殺」のまぼろし』という本を書いて、この本のなかで「百人切りは捏造だ」と主張し、極右反動勢力がそれに同調するキャンペーンをしているというだけの話なのです。しかし、「こうであってほしい」という「願望」を、そのまま「だから、こうであるに違いない」というふうに、現実と同一視してしまうことはできません。「百人切りがあった」「南京大虐殺があった」という事実は事実であって、それを政治的動機に基づいて捻じ曲げることは許されないことなのです。

投稿: にゃにゃにゃにゃにゃ | 2006年2月24日 (金) 23時49分

 護憲的コケシさん、助言を参考にしつつ自分なりの良い点を伸ばしてくださいね。
 さてこの百人切り裁判なのですが、戦時中に本人達がインタビューに答えて発表された新聞記事を引用することが名誉毀損であるという右翼のトンデモナ主張があるわけですが、なんで当時の新聞社・新聞記者を訴えないのかが疑問です。何しろこの元記事のために戦犯として処刑されているわけで、本来なら極東軍事裁判の時に争うべき問題であるからです。
 以前このブログでも書いたと思うのですが、私の剣道の指導者にも戦時中の捕虜虐殺経験談を教えてくれた人がいました。ごく普通の優しい人でしたけれど。戦前、戦時中はそれが当たり前のこととして教育され、実行されていたと言うことです。
 日本人は侵略戦争の加害者の側ですから、その事実を忘れやすいし、新たな侵略戦争のためには過去を開き直っている面があります。それだけに中国を始めとする犠牲者・被害者達の糾弾・弾劾によって、私たち日本の人間が常に戦争犯罪と向き合うことが重要だと思います。
 

投稿: アッテンボロー | 2006年2月24日 (金) 15時51分

 僕のブログへの書き込みありがとうございます。幸い環境的に活動家の多いところにいますので、様々なアドバイスに耳を傾けながら判断をしていこうと思います。

 さて、「百人斬り」のことですが、以前書き込んでいた掲示板で「南京虐殺は事実と考えるが、リクルート事件で平気でウソをついた本多勝一は信用ならない。だから百人斬りは史実ではない」と言っていた方がいらっしゃったのを思い出します。しかし僕は、「やった」という証言者がいる以上、本多勝一による「でっち上げ」というのは疑問符が付きますし、第一リクルート事件につなげて考えるべきものではないと考えます。

 何より「私の父は南京で中国人を殺したことを『武勇伝』にしていた」という方に最近出会ったのですが、そういう人がいるということ自体、南京虐殺および百人斬りの「真実」を物語っていると思います。

 また、南京虐殺は日本が中国に侵略した事実と、戦時下教育の「成果」を象徴するものであるからこそ、「右寄り」の人々は日中戦争に関して「これはでたらめだ」と証拠までを「捏造」して罪隠しに躍起になっているのだと考えます。確かに中国側の発表する「南京虐殺の犠牲者の数」には誇張があるとは思いますが、それはこの事件を忘れまいとする中国人民の怒りと願いがこもっているのだと思います(ただし、スターリン主義の影響も見なければなりませんが)。

 「日本が他国を侵略し、人々を殺した」という事実に基づいて、こういった戦争犯罪の清算が行われればいいのですが、それも人々同士の国際連帯がなければかなわないでしょう。国家同士の「政治決着」では人々の分断状況が続くというのは、日本と周辺国の今の状況を見れば明らかです。少しでも「侵略された側の身になる」という「出発点」を共有できるかどうか…平和勢力(と言ってよいのでしょうか?)が常に問われている問題の一つですね。

投稿: 護憲的コケシくん | 2006年2月24日 (金) 14時31分

 にゃにゃにゃにゃにゃさん、情報有り難うございます。高裁に於いても何としても勝利したい物ですね。
 「イスクラ」での件は非常に困った人がいますから、その人についてアクセス禁止と今までの書き込みの削除をして貰えると良いのですが。にゃにゃにゃにゃにゃさんも大分ひどいことを書かれていますものね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月23日 (木) 02時36分

 私は仕事の関係で行けなかったですけれど、私の参加している戦後補償関係のメーリングリストによると、東京高等裁判所での第1回口頭弁論期日には、50強の傍聴券に対して、92人が来ていたというそうです。
 ちなみに、歴史改ざん派からは、「百人斬り名誉毀損裁判訴訟」の原告側弁護人で、この前の選挙で郵政民営化法案に反対した松宮勲への「刺客候補」として福井1区で自民党公認で「稲田ともみ」として擁立され、自民党の議員となった稲田朋美も、弁護人として登場していました。この人、藤岡信勝の「自由主義史観研究会」・日本「南京」学会などに所属し、極右反動派の弁護士として、反動雑誌『諸君!』『正論』などに頻繁に登場している人でもあります。

 あと、これはどうでもいいことですが、イスクラに捨てハンを使って、私に対する誹謗中傷だけでなく、「史実を守る会」の熊谷伸一郎氏に対する誹謗中傷を行なっていた卑劣な人物がいますが、熊谷氏が中心となって組織している「八王子平和市民連絡会」には民主党、社民党、共産党、そして「止めよう戦争への道!八王子連絡会」も参加しており、まったくのデッチ上げだということを、付け加えておきます。

投稿: にゃにゃにゃにゃにゃ | 2006年2月23日 (木) 02時05分

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