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2006年2月 4日 (土)

岩波文庫と国民文庫

 二三日前から国民文庫版「帝国主義論」を読み始めた。きっかけは「三四郎日記」に掲載されていた「帝国主義論について~メモ書き程度に」および「帝国主義論についてのメモ書き~その2」を読んだからである。共産党流の帝国主義論についてなんだこりゃと言うのが私の感想だ。思わず意見を書き込もうとしたところ、同様におかしいと感じた方がおられて書き込みをしていた。何がおかしいかというと日本共産党はアメリカに対してだけ帝国主義という言葉を使い、日帝や英独仏などの帝国主義に対しても帝国主義とは認めないというのである。では現に行われている帝国主義的侵略戦争は一体何だというのか。大体共産党は91年の中東湾岸戦争についてもアメリカによる帝国主義戦争ではないと言い張っている。一体共産党の帝国主義論とは何なんだ。

 私は「帝国主義論ではないですね 小川さんのこの記事を読んで思ったのは、やはり共産党には帝国主義論がない。帝国主義を帝国主義として分析して打倒する闘いをする気がないのだと実感します。例えば小泉が何で靖国への参拝に拘るのかについて考察して欲しいのですが、あれは対米対抗的な思想の反動的柱となるからこそ自民党を始めとする反動勢力が大切にしているわけです。最近ではアメリカ自身が靖国の遊修館のイデオロギーを忌避し始めています。いつまでも対米従属論で日帝を擁護するのは罪悪でしかないと思います。」と書き込みを行った。

 本来帝国主義とは、金融資本による支配体制が確立され、独占資本が発展しており、海外への資本輸出による多国籍企業化を行うような段階に至った資本主義のことである。詳しいことは「帝国主義論」を読み直してから書こうと思うのだが、それで昔読んだ岩波文庫版の「帝国主義論」と前進社の「現代帝国主義論」とを本棚から探したのだが見つからない。どうやら引っ越しの時に段ボール箱に詰めて屋根裏にしまった中に入っているようだ。仕方なく見つけたのが国民文庫版の「帝国主義論」なのだ。

 岩波版も国民版もどちらもレーニンの本を翻訳しているのだが、私は同じ本が双方から出版されている場合には出来るだけ岩波版を読むようにしてきた。それというのも共産党が経営を握る青木大月書店は、共産主義を改竄するために意図的に誤訳をしていることで有名だからである。よく知られているのがディクタトールと言う言葉の訳を岩波版では「独裁」、国民版では「執権」と訳している。これによって「プロレタリア独裁」という最も重要な思想を「プロレタリア執権」なるとんでもない訳になるのである。また「暴力革命」を国民版では「強力革命」という意味不明の言葉に置き換えている。私は語学が苦手なので得意な人は原著を読んで頂いたらいいと思うのだが。まあ、一事が万事で共産主義の本来の思想を学ぶためには国民文庫版では出来ないと行っても良いだろう。残念なことに幾つかの重要な古典は国民文庫版しかないのでそれで我慢しているのだが。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 Ryo さん、初めまして。ご指摘有り難うございます。確かに青木書店ではなく大月書店です。本文も訂正しておきます。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 8日 (水) 02時14分

はじめまして。細かな確認で申し訳ないのですが、この記事の最後のパラグラフを読むと、国民文庫を出しているのが青木書店であるかのように読めます。実際には国民文庫は大月書店から出ているのではないでしょうか?

投稿: Ryo | 2006年2月 8日 (水) 02時12分

 maoさん今晩は。そうですね、私が元中核派ですから、どうしても日共に対しては批判的な人が書き込んでくださいますね。実際問題共産党の影響下にある学者や出版社その物は立派な業績を残していると思います。「赤旗」ですら情報を知るという点では役に立ちます。問題は共産党のスターリン主義の節穴から除いたような間違った方針や分析ですね。私も手に入る範囲では共産党関連の資料などは利用しています。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 8日 (水) 01時15分

ここに書き込んでいる人は共産党には批判的な人が多いのだが、共産党は実践は、間違っていても資料的、学術的には価値のある物が多い。たとえば、私は学生時代、資本論を読むための補助テキストとして、新日本出版社の経済学上、金子ハルオ著を愛用した。内容は非常にわかりやすかった。ただし、下はすすめられない。下は帝国主義論で、日本が対米従属しているという観点だったように思う。
共産党が出版している資料を使って共産党を批判するのはやりがいがありますよ。

投稿: mao | 2006年2月 8日 (水) 00時00分

 元反戦高協さん、森尾誠訳の「ドイツイデオロギー」は読みやすかった覚えがあります。他所の出版社の翻訳だと私のような物にとっては何が何だかちんぷんかんぷんでしたが、何とか訳が分かったような気になりました。
 マル経・マル哲・唯物史観の学会という物がないのですか。それは知りませんでした。確かに戦前の日共は何も出来ずに唯地下に潜っているだけの存在でしたから大衆的な影響力などほとんど無く、唯存在していただけと言えますので歴史的蓄積がないということは分かります。
 7・7自己批判については一通りの勉強しかしていないので何とも言えませんが、本多書記長がカクマルに虐殺されていなければと、損失の大きさを改めて感じます。
 NKさん今晩は。あおざかなさんとの間でお話が弾んでいるようですが、出来ましたら私にも分かるように噛み砕いていただけると有り難いです。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 7日 (火) 22時28分

あおざかなさん、貴重なご教示ありがとうございます。実は私はぜんぜん知りませんでした。正直なところを言いますと私は、資本論を通して読んだり、学習会などに参加した経験もありません。(そういう訳で、訳を論ずる資格は無いのです)それに、やはりあの大著ですから、私には到底モノにできないだろうと考えています、横着者の私は、かわりに宇野弘蔵をとおして資本論の体系を(宇野的に言えば原理論体系でしょうか)つかめるのではないかと思っています。
わたしがまた勉強するきっかけになったものは、中核派のいわゆる「新指導路線」の提起や、島崎氏の論文を読んで、「これはマズイことになってる」と感じたからなのですが、最近思うのは、やっぱりこれが単なる杞憂ではないなということです。

投稿: NK | 2006年2月 7日 (火) 22時10分

マルクスの共産主義論の原点はド・イデにあります。ド・イデに関しては広松渉の研究がある程度評価されていました。

しかし、前進社の"ド・イデ(森尾誠)"は良いですね。広松の本と微妙に違いがあります。

それはさておいて、今マル経とか、マル哲とかあるいは唯物史学関とか、そのような学会がないのです(サークルはありますが)。もちろん研究者はいますが、社会的に認知された学会は無いのです。

無論文科省の科研費の対象外です。外国ではポストモダンも含めてマルクス主義をそれなりに研究する、と言う学風があるのですが日本ではほぼ壊滅状態です。なぜこのようになったのか、と考えますと基本的に左翼の運動と研究の蓄積が浅いと言うことになるのでは、と思います。

ナチス政権下で命をかけて多くのドイツ人左翼が虐殺され、アウシュビッツなどにも送られています。日本では日本人による命をかけた反戦運動と言えるようなものかと言いますと、そうではないのです(何人かは殺され、あるいは投獄されていますが)。

丸山真男の日共批判に、戦前侵略戦争を許した(日帝に屈服した)と言う前衛党としての自己批判の欠如、つまり労働者人民を侵略戦争に駆り立てたことへの党としての自己批判の欠如を、現在も日共は問題にしていない、ということがあります。

これも日共の体質みたいに思えるのですが、日本の左翼の底の浅さという問題とも思えるのです。今日民族排外主義が横行し、日の丸が当然のごとくオリンピックなどで打ち振られる光景は、この国の左翼運動の浅さに原因があると思います。また、これは"内ゲバ(嫌な言葉ですが)"などとかに左翼運動の凋落があるのではなく、ましてやスターリン主義国家群の崩壊に原因があるとは思えないのです。

もっとこの国の思想的風土とか、民族性とか、日本という擬制的であれ国家の貧しさみたいな部分に帰結する(それ故"天皇制"にすがりつく)ところに本質的な問題があるように思えます。77自己批判がそこまで掘り下げられたら、もっと本質的な日帝批判があるいは可能だったかと思いますが。。。

投稿: 元反戦高協 | 2006年2月 7日 (火) 15時19分

 「資本論の研究」についてはかなり酷評されていますね。私自身は挫折したために評価しようがないのですが。屋根裏の整理が出来たら読んでみようとは思いますが、先ずは本多著作選が優先ですね。
 国民文庫版の本も沢山持っていますが、全体的に日本語としておかしな物が沢山ありますね。正直まともな訳を探すのが大変なくらいです。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 7日 (火) 00時05分

ひさしぶりの書き込みです。
学生時代に国民文庫版でマルクスの「ヴェラ・ザスーリッチへの手紙」(『資本主義的生産に先行する諸形態』所収)を読みあったことがあります。これはロシアのミール(農村)共同体が社会主義社会への直接移行の基礎となりうるかどうかという、マルクスの将来社会論をめぐる非常に重要なテキストであったわけですが、文庫版の翻訳はメチャクチャでした。
翻訳で意味のとおらないところを、ドイツ語のテキストにあたるという簡便な方法ではありましたが、否定語を落として意味が正反対に訳されているなど、意外といい加減な本が出版されるものなんだなあという衝撃を受けた記憶があります。

投稿: 主義者Y | 2006年2月 6日 (月) 23時52分

>NKさま。
多分有名なお話でしょうけど、向坂訳の下訳は(というか何というかは)ほとんど岡崎次郎がやっていたという日本の学者の世界によくあるような話があり、国民文庫版は「リベンジ」だったとか。好みでしょうけど、私は岡崎訳好きだったりします(「伝説」にひっぱられてるかもしれません)。岡崎さんの国民文庫版「資本論入門」の価値形態論は一部宇野弘蔵が指摘した難点を取り入れていますね。
「資本論の研究」は私も挫折しました。上巻を読んでいて、「これは宇野理論をついにのりこえようとしている、だけど、これではスタになってしまうはずなんだけど、それは下巻で解決されるんだろう、下巻はすごいことになる」と思っていたのですが、下巻は、、、、。私はこの辺りの事情は白井さんが書いておられるのが何となくそうなのかなあというふうに今は思ってたりします。

投稿: あおざかな | 2006年2月 6日 (月) 23時42分

 怪星人カピアさんご指摘有り難うございます。自分で書いておいてしっかり忘れている記事もありますね。勉強してサイト内検索の出来るようにした方が自分でも重複を避けることが出来るかも知れませんね。
 本当に国民文庫は読んでいて意味が通じないことがあります。岩波版についても翻訳者が共産党員であるとの指摘がありましたが、岩波の場合経営が共産党ではありませんから、共産党の路線転換に合わせた改竄からは免れることが出来たのですよね。
 実際、古典を読んでいると今の情勢はまさしくマルクス・エンゲルス・レーニンが主張したように資本主義の打倒以外に打開策がないと思います。問題はそれを正しく継承することの難しさでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 6日 (月) 23時04分

どうも、こんばんわ。
以前(2005年10月21日)のエントリー『共産党が古典を読まないわけ』で、アッテンボローさんに同年6月16日の『米帝の戦争政策と日帝の軍事大国化路線』をお勧めされた事を、思い出しました。
国民文庫の本は、自分も若い頃に何冊か購入し、其を勧めた人から「悪意的な改訳が多いけれど、其を批判する意味で読んどいた方が良い」と言われました。
レーニンの『なにをなすべきか』に妙な訂正説明の紙が挟まれていて、其処には確かに、『暴力的→強力的 暴力をもって→強力をもって』なんて珍妙な言葉変えがありましたね。
だけど、国権の意図を窺わねばならない―或いは自ら其に寄付いている―一般マスコミの『論説』とは別に、『なにをなすべきか』や『帝国主義論』、『国家と革命』が記されている内容と、現在の世界情勢は、徐々に一致してきた様な感があります(なんていっても、情けない事に今の自分は内容も、殆ど虚ろ憶えなんですが、其でもそう感じております)。

投稿: 怪星人カピア | 2006年2月 6日 (月) 22時11分

 細かい事情は私のような末端の元労働者党員に聞いてもらっても分かりませんとしか答えることが出来ません。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 6日 (月) 20時39分

>本多著作選の学習は遅々として進んでいません

革共同にとって本多は極めて重要な指導者のはずなのに、どうして著作集の一部が品切れになっているのですか?

投稿: 質問 | 2006年2月 6日 (月) 20時33分

 NK さん今晩は。「資本論」と「資本論の研究」は実は残念ながらどちらも途中で挫折したために内容について語ることが出来ません。やはり国民文庫版は翻訳が悪いのでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 6日 (月) 17時57分

岩波文庫と国民文庫といえば、たしか「資本論の研究」(前進社)は、国民文庫版の訳を参照していたと思います。実際、岩波版(向坂訳)とはかなり違う書き方のようです。最初の部分しか比べていないのですが、岩波版では意味が分かるのですが、国民文庫のほうはどうも概念がつかみにくいと感じました。(おそらく訳者の概念ができていないのではないか)
したがって、これを基にした「資本論の研究」も、ひとつの文章を何回読んでも、意味というか概念が見えてきません。今日の理論体系の混乱も、もとをたどればこの辺から出発しているのかもしれません。
資本論の体系については、宇野弘蔵の水準から出発すれば理解は容易であろうと思うのですが、それに比べて論外に低水準な本を出す意味は無かったろうと思います。
余計なことを書いてしまいました。

投稿: NK | 2006年2月 6日 (月) 13時37分

 戦前の結党からしてスターリン主義的に歪曲された形で組織されてきましたし、戦後のアメリカを解放軍と規定した誤りなどからしても、日共には自らの力で革命を勝ち取り、アジア人民との真の意味での国際的連帯を築くという思想がないと思います。
 「自主独立の党」「真の愛国者の党」と言う彼らの主張は容易に差別排外主義に取り込まれてしまうと思います。共産主義とは世界革命を目指す思想であることを、そして国際連帯の思想を今こそ復権させましょう。運動実態として組織実態として日共の下に有る労働者は非常に多く存在しますから、現局面では日共に潰れてもらっては困りますが、日共を乗り越える真の労働者党・真の革命党を建設することで広大な人民の決起を必ず作り出すことが出来ると確信しています。
 kamakazuさんの書き方や内容でしたら少々長くとも歓迎しますから、今後も遠慮無く書き込んでくださいね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 6日 (月) 00時39分

こうした日本人観は、おそらく共産党にはないのです。ボクはここが一番問題だと思います。二度と愚かな戦争へと突き進まない、戦争はさせないという、日本人の主体的判断が今こそ必要だと思うのです。残念ながら、共産党は、日本国人民は愚かな自民党政権の犠牲者であり続けねばならず、それに大衆的に反撃したり、新たな組織を形成していくことを嫌うのです。なぜなら、共産党にとっては、愚かな自民党政権と唯一闘えるのは日本共産党のみでなくてはならないからです。だから、彼らにとっては、日本人の持つマイナスな感性やら帝国主義に容易に絡めろられる雰囲気を糾弾する気もなく、自らだけが正しいと言いつづけるおです。早く、それを捨てろよ。ボクは、場合によっては共産党を支えて闘うぞ。同時に、中核派も含めて、そうした党派的意志はあらゆる場面で見えるのです。人民は見ている!少なくとも、コイズミよりは信用できるすべての党派諸君が、自己の縄張り拡大ではない感性を人民に見せて欲しいです。

長いアジでごめんなさい>アッテンボローさん

投稿: kamakazu | 2006年2月 6日 (月) 00時28分

 当時は曲がりなりにも総評労働運動が存在することで、日帝の思想攻撃に対する防波堤の役割をしていましたから、政治意識のある人間であれば殆どの人が二度と再び侵略戦争を繰り返すまいと言う思いを持っていたと思います。残念なことに連合になっていこう、明仁の代替わり行事における天皇制イデオロギー攻撃とも相まって左翼の側の陣地が後退を余儀なくされていますから、ここから押し返すためにも階級的な物事の見方・考え方を訴えていきたいと思います。共産主義思想の復権こそ今の重要な課題だと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 6日 (月) 00時16分

先の大戦について、日本国人民は、むごい戦争指導者によって犠牲になったという考え方があります。日中の国交回復においても、こうした立場が基本になっています。その考えを基にして、条約が結ばれているのですから、「むごい戦争指導者」を祭っている靖国へのコイズミの参拝は中国側から見れば論外なのです。だがしかし、日本人民自らの問題として、あの戦争を阻止できなかった日本人民の責任性の問題というのが出てきます。ボクが学生だった80年代前半は、むしろ、ボクのまわりではこちらが支配的でした。すなわち、「あの戦争の開始を阻止できなかった日本人民の姿を痛苦に反省し、同じことを二度とさせない」ってのが望まれるべき日本人民の姿でありました。

投稿: kamakazu | 2006年2月 6日 (月) 00時10分

 kamakazuさんの書き込みと入れ違いでしたね。本多著作選の学習は遅々として進んでいませんが、その内容の深さ、スバらしさには改めて驚いています。
 7・7で告発を行ったのは「華青闘」で合っています。聞くところに拠ると荒氏は本多書記長に心酔していたとか。良いところはパクればいいと思います。唯不思議なのはそれなら革共同に合流しても良かったのではないかと思いますが。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 6日 (月) 00時10分

 そうですね。今の40以上の世代にとっては韓国や台湾の軍事独裁政権は文字通り新植民地体制による支配であったし、今日でも資本の輸出によって様々な開発独裁の国々を支援していますし、同時に自衛隊を派遣することで再び軍事的手段による直接の植民地支配を始めていますからね。
 差別排外主義の蔓延によって今の日本の若い世代は戦前の「愛国主義」と同様の侵略イデオロギー=差別思想に感化されていると思います。何としてでも左翼の側が帝国主義を根底から批判し尽くし、労働者階級の国際的連帯を築き上げる必用を感じます。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 6日 (月) 00時03分

ボクらは、そうしたトリックから解放されるべきなのです。かつて、「華青闘(同?)告発」というのがあったと聞いています。それに対して、もっとも真摯に自己批判したのが革共同なのだとうかがっています。ボクは、この件に関する本田さんの論文はすばらしいから読めと、戦旗の先輩活動家に言われて、読みました。おそらく・・・パクったのだと思いますが、「血債猛省精神」ってのを戦旗の活動家として叩きこまれたのを記憶しています。

投稿: kamakazu | 2006年2月 6日 (月) 00時00分

ボクらは、80年代において、直接の”銃”によらない第3世界の支配をも、「新植民地主義」として批判してきました。長年の民主化闘争にもかかわらず、韓国や台湾の民主化を阻止してきたのは、独裁政権を支える、主力は米帝,補助力は日帝であったことはまちがいありません。長い植民地支配の歴史ばかりでなく、戦後においても日帝は彼らの民主化闘争の妨害者として立ちはだかってきたのです。そればかりではなく、沖縄に米軍基地を押しつけ、我が青森に核燃料再処理工場を押しつけるヤツらのやり方こそが、帝国主義そのものなのです。これは、差別との闘いとも連動する話だと思うのですが、垂れ流される差別意識や選民意識とも同根です。野宿者排除の論理やイラク人質バッシングと変わらない論理だと思います。「敵」はあえて、あちら側とこちら側をつくることで分断してくる。それはあらかも、植民地人と非植民地人が別の価値を持つ”生き物”であるような言説を垂れ流すのに似ています。

投稿: kamakazu | 2006年2月 5日 (日) 23時52分

 kamakazuさん、全くその通りだと思います。レーニンはツァーリの検閲を意識して「奴隷の言葉」で「帝国主義論」を書いたために、かなり経済的な面に限定した記述をしていますよね。しかしその中でも市場や資源の確保のための植民地・領土の分割戦が存在することを書いていると思います。ですから、狭義の意味でも広義の意味でも、現在の日本は帝国主義だと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 5日 (日) 23時36分

  HISA さん、入手できそうなんですね。実は去年の6月16日付の記事でこの本の学習会のことを書いていたのですが、その頃はコメントへの返事くらいの短い文章だったので、内容についてはあまり詳しく書いていません。読んでいただくのが一番良いかと思います。
 「改憲攻撃と労働者階級」は、私も読んでみようかと思っていますが、前進社に注文するか模索社の通販を利用するかになるので躊躇しています。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 5日 (日) 23時32分

自分の本拠地がないので、ここで・・・すんません。本来はトラックバックで送りたい記事です。

「帝国主義」と言った場合、レーニンの帝国主義論に出てくる世界はむしろ狭義であります。広義では、軍事力を含めたあらゆる形態で領土(支配地域)の拡大をする国家主権と言うか国家主体のあり方をしめすと言うここになるのでしょう。高度に発達したした資本主義が自らの存続に必要とする、市場,資源を確保すべく暗躍する姿を、ボクは帝国主義と呼んでいます。そういった範疇では、グローバリゼーションも帝国主義の一形態と言えないこともない。確実に言えることは、植民地支配がそれまでの人々の生活を一変させ、多くの人々を種々の抑圧の下においたというのは紛れもない事実だと考えています。

投稿: kamakazu | 2006年2月 5日 (日) 23時31分

 ご教示、ありがとうございます。
 「帝国主義論」は僕も国民文庫ですが昔読んだことがあります。今も、本棚に飾って(笑)あります。読み直してみます。
 「米帝の戦争~」は、ネットで古本検索したところ、なんとか入手できそうですので、こちらも読んでみます。
 前進社・中核派系の出版物は従来読んだことがなかったのですが、先日初めて「改憲攻撃と労働者階級」という新刊を読みました。全体について、たいした違和感なく読めました。
 いろいろありがとうございます。重ねてお礼申し上げます。

投稿: HISA | 2006年2月 5日 (日) 22時49分

  kamakazu さん今日は。久々に書き込みしていただきましたね。学生時代には色々なことがあったのですね。しかしテキストが全員バラバラというのは大変でしたね。読み合わせすることも出来ない。私たちの場合は事前にどの出版社の物を使うか指定がありました。
 日本が帝国主義であるというのが新左翼の一般的見解だと思います。帝国主義であってもそれぞれに軍事力や政治力の関係で優劣がありますから、局面ごとに合従連衡があるのは当然だと思います。日本の場合対アジア諸国の関係で「アメリカに言われて仕方なく再軍備したし、増強しているんだよ」とでも言う良いわけをしているのだと思います。
 例えばの話しですが、日本は今独自の偵察衛星を開発中ですが、アメリカの属国の地位に留まるつもりならその様な物は必用有りません。EUにおいてもガリレオ計画によって独自のGPSを開発することでミサイル誘導装置の独自開発をしていますよね。いずれも将来対米戦争が起こった場合、そこまで考えた行動だと思います。
 元祖趣味者さん、全国の大学で寮破壊が進んでいるのですね。
  HISAさん、先ほどのkamakazuさんへの返事で触れたのですが、日帝は口にこそ出しませんが「臥薪嘗胆」の状態にあるのだと思います。当面は力関係もあるのでアメリカに追従する政策をとり、その中で独自の軍事大国化を狙っているのだともいます。80年代半ばの本で恐縮ですが前進社から「米帝の戦争政策と日帝の軍事大国化」という本が出ていました。その本でだいたい中核派の分析の基本は抑えることが出来ると思います。
 

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 5日 (日) 16時47分

 憲法改悪=軍事強化、靖国賛美=大東亜戦争肯定といった動きをみていると、日本はそれ自体が帝国主義だという規定は「なるほど」と肯定してもいい気がします。
 一方、米国側が提示してくる年次改革要望書を忠犬ポチのごとく実行している政府の動きを見ていると、共産党のいう「対米従属」という規定にも頷ける気がします。
 そこで、素朴な思いつきなのですが、「米帝に従属する日帝」という規定の仕方はできないものでしょうか。
 

投稿: HISA | 2006年2月 5日 (日) 15時02分

>某国立大学の寮

蒼翠寮は、3年前に鎌倉に遊びに行ったときに車で寄ったのですが、空き地になっていました。附属の小学校は存在していたのですが、いつ、無くなったんでしょう。

投稿: 元祖趣味者 | 2006年2月 5日 (日) 05時33分

ネタです。

1982年春。ボクら一行は、インターのフロントサークルの学習会に行ったのでした。テキストは「共産党宣言」。しかし、指導部(?)は岩波文庫,ボクは国民文庫,もうひとりは角川文庫という状態。学習会が成立しません(笑)

とりあえず飲むか?と言うことになり、コーディネイトしてくれた某国立大学の寮生(ここ宿泊先でもある)が酒を買いに行くことになったのですが、いつまでも戻りませんでした。

やっと戻ってきて、「どうしたの?」とたずねると、中核に捕まってネチネチいじめられていたそうです。あぅあぅです。そこの寮では、鎌倉の海岸で酔って泳ぐのが”粋”だったらしいんですが、ぼくらはそれを体験できずに帰ってきました。残念で仕方がありません。

寮には「あかずのま」がありまして、その部屋で、カクマルにやられた人がいるのだそうであります。あぅあぅです。平和な(?)我が寮と違って、ここは戦争前夜状態っだったのかな?みんなの青春が通りすぎていきます(^^)

ボクがむずかしく思っている点が、今回のアッテンボローさんの記事です。日帝が独自の戦略の下に、まさに日帝であるのか?あるいは帝国主義の協調路線の下、調和的に帝国主義であるのか?いずれにせよ、「日本はアメリカのせいでダメなことをしている」という、「追従論」は否定されるべきだと思います。ごめんね、日本共産党。あなたたちが考えるほど、この国はまともじゃない、恥知らずの国です。

投稿: kamakazu | 2006年2月 5日 (日) 02時57分

 しゃも(鶏)さん今晩は。銀行資本に支配された資本主義社会というのはその通りですね。ヒトラーの件は寡聞にして知りません。
 スルタンガリエフさん初めまして。確かに岩波文庫の訳も日共ですが、翻訳の文章自体は岩波の方が語学的にはキチンとしているようです。何冊か読み比べた実感ですが。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月 5日 (日) 01時30分

 岩波版「帝国主義論」の翻訳者も日共ですよ。巻末人名索引の「ブハーリン」項の説明が実にスターリニスト的です。「・・・1937年にトロツキスト(!!)としての正体を暴露して・・・」。国民文庫版より日共色が強いかもしれません。

投稿: スルタンガリエフ | 2006年2月 5日 (日) 00時42分

レーニンの帝国主義論の主張はおおざっぱに
「銀行の資本家が世界を支配している!」と
強弁したものだとどこかの解説書で読んだ覚えがあります。

ヒトラーはそのまんま感化されたらしいんですが。。。。

付け焼き刃の知識です。
ご勘弁をw

投稿: しゃも(鶏) | 2006年2月 5日 (日) 00時33分

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