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2006年2月16日 (木)

「帝国主義論」その3

 「『帝国主義論』その1」でTAMO2さんの労作である電子化された「帝国主義論」(国民文庫)を使用させていただいたところ、フォントの修整が上手く行かなくて読みづらくなってしまいました。時間がかかっても自分で入力した方が良さそうなので、今後は手を抜かないようにします。「『帝国主義論』その1」ではレーニンによる帝国主義の経済的指標について触れ、「『帝国主義論』その2」では今日の帝国主義を語るときに避けることの出来ない新植民地体制について簡単に述べました。今日は帝国主義が単なる政策であるのかそれとも資本主義の発展段階としての必然であるのかについて述べたいと思います。

 中核派の時代認識は「段階・過渡・変容・危機」という表現で表されるのですが、今日は資本主義社会が最も発達した帝国主義段階であり、それが1917年のロシア革命によって世界革命の過渡期に突入したのだが、革命ロシアのスターリン主義的変質を基礎として帝国主義とスターリン主義との相互依存の世界に変容した。だがしかし帝国主義の基本矛盾とスターリン主義の根本矛盾とはそれぞれ激化し、帝国主義は再び危機の時代を迎えているという物です。つまり今日の資本主義も依然として帝国主義段階にあるというのが基本認識であるわけです。

 それに対して「三四郎日記」の小川さんのまとめによると「日本共産党は、親綱領でアメリカのみを『帝国主義』と規定し、『英仏独や日本などは独占主義国ではあるが、だからといってその国が即ち帝国主義ということではない。独占資本主義国が侵略的な政策をとっていると認められる場合にのみ、当該国を“帝国主義”と呼ぶ』という立場をとっている。」と言うことなのですが、その場合帝国主義とは政策の問題になってしまうわけです。高度に発達した資本主義が帝国主義として侵略戦争を始めとする様々な手段を用いて領土の併合を、あるいは政治的経済的に支配する事が全て政策になってしまう。つまり帝国主義的侵略政策を取るかどうかはそれぞれの資本主義諸国の選択であるという論になるわけです。この事について共産党の前議長である不破哲三に付いてのコメントを引用します。「不破は2004年の綱領改悪に対し、『レーニンの示した5つの指標のうち、5番目がなりたたない。植民地は消滅した。よって、帝国主義という言葉は政策の問題である。』といい、また、『昔は、こんなことでカウツキーだとよく論戦したものだ』などと、ご丁寧に自分がカウツキー的な思想に転落したことを自白しています。では『新植民地主義』はどうなるのかというとこれもまた、綱領からこっそりと姿を消すように小細工しているのです」

 レーニンによるカウツキーへの批判では「カウツキーは(略)帝国主義は、経済の一『局面』あるいは段階と理解するべきではなくて、政策とすなわち金融資本が「好んでもちいる」一定の政策と、理解すべきである。帝国主義と『現代資本主義』とを同一視してはならない。もし帝国主義を『現代資本主義のすべての現象』--カルテル、保護政策、金融業者の支配、植民政策--と理解すると、資本主義にとっての帝国主義の必然性の問題は、『最も月なみな同義反復』に帰してしまう。なぜなら、そうすると、『帝国主義は、当然、資本主義にとって死活の必用物だ』ということになるからである」「ことの本質は、カウツキーが帝国主義の政策をその経済から切りはなし、併合を金融資本の『好んでもちいる』政策と説明し、この政策に、金融資本というこの同じ基盤のうえで可能であるという他のブルジョア的政策を対置していることにある。これでは、経済における独占が政治における非独占的な、非強圧的な、非侵略的な行動様式と両立しうることになる。また、ほかならぬ金融資本の時代に完了し、最大の資本主義諸国家のあいだの競争の現代の形態の特異性の基礎をなす地球の領土的分割が、非帝国主義的政策と両立しうることになる。こうして、資本主義の最新の段階の最も根本的な諸矛盾の深刻さをあばきだすかわりに、それらを塗りかくし、鈍く見せることになり、マルクス主義のかわりにブルジョア的改良主義が得られるのである。」

 帝国主義が資本主義の発展による必然的な段階でないとし、あたかも「先進資本主義」諸国による共同搾取が可能であるかのように言いなす「超帝国主義」こそ、かつてカウツキーが主張し、現実に起こった第一次世界大戦によって破産した理論である。そして今日共産党の理論はこのカウツキーの焼き直しに過ぎない物であると言うことなのだ。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 TAMO2さんご親切に有り難うございます。どうも最初からココログの記事作成画面に引用したのが良くなかったようです。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月25日 (土) 22時49分

フォントで苦しんでおられるのでしたら、こちらのサイトから入手されれば良いかと思います。

http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html

超古参共産趣味者、人民Kさんのサイトにプレーンテキスト圧縮版があります。

もし、それで駄目でしたら、小生がメールでお送りします。

投稿: TAMO2 | 2006年2月25日 (土) 22時34分

 日本国憲法擁護連合さん、出来ましたら長文の場合はご自分モブログをお持ちですからそちらへの記事としてトラックバックを付けていただく方が有り難いです。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月19日 (日) 16時03分

>むしろ私達は、かかる人民の帝国主義を追
>い詰める勝利の闘いが、アルカイダだの、ビ>ンラディンだの、反人民的な勢力しか影響を>与えられないという点を、

これちょっとどういう意味なのでしょうか?
草加さんは、今まで、闘う側にあれこれと注文をつけるなといってきたが、突然、アラブの闘いには注文をつけるということなのでしょうか?
反人民的かどうかの判断は誰もがつけることはできないと思います。

重要なことは、アラブの抵抗運動がアメリカの軍事重圧に耐え切れなくなっているということではありませんか?

アラブは今まで帝国主義に戦争をけしかけられてきた、その逆襲なんだと私は思います。
帝国主義側が逆襲されたことを目の前にして、その闘い方は反人民的だなどとどうしていえるのでしょうか?

ただし、私からすれば、国際連帯をかかげきれない闘争は絶対勝利できないという原点に返るべきだともいます。そのてんで、私は『前進』とは少し見解が違うが、四トロやブントのような見解では帝国主義側への屈服しか生み出さないと思います。テロにも戦争にも反対ならば、ローマカトリックの運動でもおやりになられたほうがよほどましでしょう。
むしろ、帝国主義がテロと戦争をまねいている張本人なんだということが根底でないとだめではないでしょうか?

>自分達が未だに人々に希望を与えて「なる
>ほどなあ」と思わせるような闘いを作り出しえ>ていない、そういう自分自身の問題として考>える以外にないのではないでしょうか。

とくに中核はそうですが、怒りが集約点だと思いますよ。戦争と失業をもたらす怒りがなければ運動はできはずがない。
ただ、展望がない運動は瓦解してしまうでしょう。希望を与えるのであれば自己啓発セミナーに通いつめるか、ローマカトリックの信仰をしたほうがいいでしょう。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 11時55分

>これはカクマル派に極端な形で見られる態
>度だと思うのですが、

まずカクマルを左翼の一員だとみる傾向には私は賛同しかねます。
カクマルは、実際に理論的だと自称しているが、実際、理論づけが統一され、一環してきたのではありません。しかも、国鉄闘争とその後をみても明らかなように、帝国主義の尖兵そのものです。こんなものを左翼だというのはナンセンスだと思います。


>それなりの理論を有した党派が、自分達の
>尺度でこれらの人民の戦いを、

草加さんも、中核派に対して自分たちの尺度で語っておられるわけだから、そういうはなしは本質ではないと思います。ただし、草加さんたちの反中核の心情や批判に対して、何もえることはないと私は断定しているのではありません。

>あれやこれやと論評し、その「間違い」を指
>摘するのは簡単なことです。しかしそれにど
>れほどの意味があるのか。現に血を流して
>帝国主義の侵略反革命と戦い、そして彼ら
>に死の苦悶を与えている人民に対しては、ま>ずこれを高みに立ってあれやこれやと「評」す>るのではなく、連帯するのが左翼としての正>しい、当然の態度だと思います。

てあれば、熱田派と北原派の対立感情はおきないわけです。実際は、路線なんだと思います。

>だいたいが、その論評している組織が、彼ら>と比べてどれほどの闘いを実現しているとい>うのか?自分達を侵略して肥え太っている国>の、名前も知らないちっぽけな組織の理論に>合わないから間違いだ、お前らスタだと言わ>れても、そんなもの滑稽な批判にすぎませ
>ん。

闘うのは労働者や被抑圧民族だけれども、その闘いを指導する組織ということに草加さんは着目すべきだと思います。
闘いを指導する指導部の路線や理論がどうなのかがすべてを規定すると思います。草加さんのいうことをそのままうけつげば、北朝鮮の人民革命はどうなのだとなるでしょう。

もちろん、マルクス主義的にいって、闘う労働者や被抑圧民族の闘いは、生きるための闘争であって、理論のためではありません。


投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 11時54分

>また、帝国主義と戦う民族解放闘争に対し
>て、これを「スタだから駄目だ」とかいうの
>は、


具体的にどのような民族解放闘争をさしていっているのでしょうか?草加さんは、今の情勢のなかで、アメリカ以外の帝国主義は市場争奪できる力はないといい、日帝の参戦体制策動を隠蔽すらしていることになると思いますがどうでしょう?


>侵略者側である帝国主義本国の左翼勢力
>の態度としては、あまりに傲慢で教条的・理>論主義ではないでしょうか。

まず、歴史的な民族解放闘争は毛沢東などの支援や影響力があったのは事実です。

では、その解放闘争をどうみたらいのでしょうか?まず、民族解放運動は帝国主義の抑圧支配によっておきるわけですので、帝国主義を弾劾し、帝国主義の抑圧支配を帝国主義国の人民がやめさせる闘いをすべきです。
レーニン『帝国主義と民族・植民地問題』のアプローチでいくべきです。

そのうえで、一国社会主義理論・スターリン主義理論という関係からどうみるのかという問題も現実にあります。スターリン主義の破綻は明らかだと思うが、スターリン主義の官僚的・一国社会主義の腐敗はさんたんたるものだと思います。ですので、スターリン主義にそくした理論こそが、「教条主義」であり傲慢なものだと私は思います。

とりわけて、中国スターリン主義の末路と市場介入という侵略を展開する帝国主義国のさまをみればみるほど、帝国主義とスターリン主義の腐り果てた様相は明らかだと思います。旧左翼的な教条主義や一国社会主義理論の刷り込みは、現実からいってナンセンスだといえるのではありませんか?

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 11時34分

>かかる中で、帝国主義は非常に強大である


誰もそんなことはいっていないと思いますよ。

>とか、指先一本でスターリン主義を抑えつ
>つ、闘う人民の力量を無視して植民地の分
>捕りあいができるほどの余裕と力量を有して>いる(しかもそんな国がアメリカ以外にも多く>ある)というのは、あまりにも帝国主義美化
>論にすぎると思います。


帝国主義美化論になっているとはいえませんが。ユーロとドルの対立軸がイラク戦争の背景だということに異議があるのであれば、そう展開なさればよいのです。

またユーゴ空爆もドイツ帝国主義に対するアメリカ帝国主義のけん制であり、市場争奪だったという指摘が気に入らないというのであれば、東欧がその後どの権益にくわわったのかみれば事足りるわけです。イラク戦争に加担している国々でもっとも多い地域は、東欧なのです。

その現実にめをむけないで、アメリカ帝国主義以外の帝国主義はもう帝国主義ではないだとか、帝国主義の市場争奪はなくなったというのはカウツキー主義の開陳以外ないと思います。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 11時23分

>私達は反共宣伝を口実とした軍事同盟強化>をも許さず、

それは日帝がことさら反共宣伝を展開してきたのは、戦争を遂行していたものが戦後復権したことを隠蔽するためと、戦前戦争に反対したのは共産主義者がおもだった事実に対して、戦後反戦意識が結びつくことを帝国主義者どもは警戒していたからです。
そのうえで、反共宣伝と、ソ連の脅威をことさらわめきたてながら、実は独自の軍事力保持を画策してきたというのが実態ではないでしょうか?


>中国・北朝鮮の裏切りや屈服、その反人民
>性を、左翼の観点から暴露・糾弾していくこと>も大切な闘いだろうと思います。

正しくいえば中国北朝鮮スターリン主義政権の裏切りと屈服でしょう。
その矛盾を、反帝・反スタの立場から、批判・暴露しながら、国際連帯して、帝国主義とスターリン主義を打ち倒すことが重要でしょう。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 11時18分

>なかんずく日本の地では、日米安保との闘
>い、そしてアメリカを中軸とする日米韓の3国>軍事同盟の攻守同盟化を許さず闘うことで
>す。

いろいな観点がありまずか、現地沖縄の闘いを支援することが本土在住の私たちにもとめられていると思います。
もっというと、韓国の闘う労働者と基地住民と国際連帯するのが重要だと思います。敵階級側が国際連帯するのであれば、プロレタリアートも国際連帯すべきなのです。

>この観点から、イラク反戦闘争と、沖縄辺野
>古闘争の重要性が浮かびあがってくるだろう>と思います。

異議はありません。

>「日米争闘戦論」では、この位置づけがスト
>レートではありません。

どこからそういえるか意味不明です。
日米軍事同盟があるから、日米争闘戦はないというのは短絡的発想だと思います。
それをいえば日英同盟はなんだったのでしょう?


>また、この軍事同盟は、スターリン主義国家>(中国・北朝鮮)と、対抗勢力としてのロシア>の封じ込めをも目的としています。

アメリカ側からすれば、日本を反共の防波堤にしたかったこと、日本側からは自国の革命運動から防衛したかったからでしょう。
経済的にいえばアメリカドル撒布政策として安保同盟は役割があった。

そもそも、日帝独自の武力を保てないために、米帝は安保同盟で日帝をいわばがんじがらめにしているといってよく、日帝を監視するために米軍基地はおかれているわけであって、同盟国として短絡的に基地をおいて、日本を守っているということではないのです。

アメリカに戦争をしかけたドイツ帝国主義も東西に分割されたように、米帝に二度と武力ではむかわないように縛りつけをするためにも、米帝は日米安保同盟を必要としたわけです。

日本国憲法で軍事力を解除させたアメリカ帝国主義が、日帝に再び一定程度の軍事力を認知したのは、たしかにスターリン主義圏からの防波堤にしたかったからでしょう。しかし、日帝が軍事力に着手したのは、警察予備隊という名称から明らかなように、日本国内の革命運動に対する防衛からだったわけです。

そのうえで、朝鮮戦争の勃発をうけて、東アジアの情勢に対応するために軍事力を増強していこうということだったといえるでしょう。もちろんソ連や中国からの防波堤ということもあるが、むしろ、市場争奪のためには軍事力は不可欠であるために、中国やソ連の脅威をことさらぶちあげて、その実、自国の軍事力を増強してきたといったほうがいいでしょう。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 11時13分

>レーニンの提起を受け止めてそれを現代的
>な課題とするならば、帝国主義の搾取や差
>別・抑圧と血を流して戦っている第三世界人>民の血叫びに応え、これと支持・連帯して、
>共に国際連帯の力で帝国主義同士の侵略
>反革命軍事同盟と闘うことだろうと思いま
>す。

基本的に異議はありませんが、補足すれば、草加さんの認識は、バブル経済以前でとまっていて、現実日本の労働者は没落していっているということがありますので、余計に被抑圧民族と連帯しなければならないというスタンスがないと現実的ではないと思います。

つまり、バブル経済以前なら「豊かさ」を享受できた労働者に、闘うアジア人民と連帯せよといっても説得力はそうとう正義感のある人でなければなかったでしょう。

しかし、今は違う。
労働者が闘わないと、掘り崩されるということが目に見えてきているわけです。だから右翼連中は、それをみこして愛国・排外運動を展開してるわけです。

であれば、左翼は、労働運動と被抑圧民族解放闘争を支持しぬくことで意志一致すべきではないでしょうか?

右翼にもいい人がいるといって、懇談したりしている場合ではないと思います。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 10時56分

>そのアメリカだって、決して前途洋洋でまだ
>まだ大丈夫という状態でもありません。

経済はぼろぼろですからね。
で、本質的には、アメリカ革命を想定しないとだめだと思います。

>ですから、侵略者である帝国主義足下でそ
>のおこぼれの下にカッコつき「豊かさ」を享受>している私達が、

ちょっとそれは非常に認識としてズレていると思います。そのような意見は、脱落した人たちや運動リタイヤに多い意見だと思います。確かに、超過利潤のおこぼれは、百円ショップや、ルイ・ビトンの商品を庶民でもかえるという現実がある。

ただ、「豊かさ」を享受できたのは、バブル経済までてあって、それ以降は失業増と、非正規雇用の増加と相対的賃金低下なのです。

帝国主義国の中産階級はほぼ没落しつつあり、ほんのわずかな富裕層が支配しているということになってきています。その先進国がアメリカです。

そのなかで、アメリカの労働運動は激しく展開されているわけで、没落した中産階級の数ははかりしれない。

そして日本もそういう段階に入っていこうとしています。ですから、「豊かな」帝国主義国の労働者ではなくて、失業と再分配や社会保障が解体され、賃金低下が顕著になってきている労働者階級は、被抑圧民族と連帯しなくてはならないということだろうと思います。

わかりやすくいえば、中国に資本や工場が移転していくことによって、日本は失業増になるわけですから、中国で超過利潤を搾り取られている労働者と日本の労働者は連帯できるということなのです。しかし右翼は、職を奪う中国などと宣伝していくことでしう。だけれども、事実は、資本の利潤獲得と労働者の利害は非和解なのだということです。そして階級闘争は帝国主義国でもそうでない国でも、現実に展開されているということなのです。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 10時49分

>帝国主義同士の軍事・経済同盟によって、
>必死に内部の必然的な矛盾を調整し、妥協>しあうことによって、スターリン主義と対抗し
>てこれを封じ込め、

それは、日米軍事同盟やナトーをさしているのでしょうか?しかし米ソ体制が崩壊した今日ではそれはあてはまらないと思います。
むしろ中国などのスターリン主義国の市場を奪い合うという醜い様相にいたっているのではありませんか?

>民族解放闘争に対しては、これを軍事的に
>圧殺していく以外に、もはや帝国主義の生き>る道がない。


というよりも、帝国主義は自分たちの運動を再生産していくためには、あらゆることをするししてきました。時には戦争、時には懐柔。

>そして、それをまとめあげて各国の妥協を作>り上げるだけの力量を有した帝国主義は、も>はやアメリカ一国しか残っていないという悲
>惨な現状であろうと思います。

第二次大戦という特質からしてアメリカのみに絶対的力が集中されたわけですが、そのほころびがみえてきたといえるでしょう。それはまず経済的土台からしてそうでしょう。ドルの低下、財政赤字、そして通貨ブロックの登場。
アメリカは唯一誇れる軍事力で、世界支配を貫徹し、市場争奪していこうとしているわけです。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 10時38分

>つまり、不均等発展による帝国主義同士の
>争闘戦は「ない」のではなく、「できない」、も>はやそれだけの力を有していないということ
>だと思います。

漠然とした説明ですね。
帝国主義同士の戦争は現状では起こっていないが、それは第二次大戦後の特質に規定されているだけのはなしであり、本質的には争闘戦は展開されています。

ユーゴ空爆やイラク戦争、そして北朝鮮をめぐる六カ国協議にいたる東アジアの動向は、すべてアメリカ帝国主義が他帝国主義の追い落としのために運動したものなのです。

争闘戦ができる生命力はもはやないのではなく、アメリカは唯一誇れる軍事力をたてにして争闘戦を展開しているのが現代なのではないでしょうか?

他帝国主義の軍事力がアメリカなみであれば、とっくに帝国主義同士が戦争しているといえる事態でしょう。

ここで不均等発展というキーワードを思い起こすと、いつまでもその絶対的関係は継続するのではないということも想起しないとだめなのです。

つまり永遠にアメリカの軍事力のもとで帝国主義はうまくいくということはありえないということです。草加さんも基本的にはカウツキー的な主張になっているとしか思えず、相対的安定期は継続したためしがないのは、世界史をしっているものであれば理解できるかと思いま
す。そもそも支配的資本主義国はいくつも変遷しました。スペイン→オランダ→イギリス→そしてアメリカと。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 10時30分

>帝国主義は、これらを無いものとして勝手に>争闘戦を行うことはもはやできないのではな>いでしょうか。

ユーゴ空爆やイラク戦争は、アメリカ帝国主義がユーロブロックに対抗するための市場争奪だと私はいいきっていいと思います。

では、東アジアをめぐる日米両帝国主義の争奪はどのようにして規定されてくるのかといえば、北朝鮮・中国への侵略戦争ないし、局地的戦争などだと思います。朝日新聞によれば、九十年代なかば、アメリカ帝国主義は実際に第二次朝鮮戦争発動直前にいたったといいます。それが、なくなったのは日帝がアメリカの圧力に恐れて、東アジア経済圏構想を一時ひっこめたからです。しかし、アメリカがイラクで泥沼の戦争にてんてこまいになっているから、奥田なんかがでてきて東アジア経済圏構想を再びぶちかましているのです。すべて時節的に関係しているのはおわかりでしょう?

そもそも、米帝が東欧や中東へ軍事的重圧に切り替えたのは、ユーロブロックの対抗からだといえます。ミロシェビッチ政権にドイツ帝国主義は介入しようとし東欧経済圏の権益にてをつけたからアメリカはドイツの手を叩くようにしてユーゴ空爆を展開したのですし、イラク戦争ではフセインがユーロ決済に切り替えていこうとしたからつぶしたわけです。これが帝国主義たる外交なのですよ。クラウゼビッツのいうように、外交の継続として戦争は登場するわけです。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 10時19分

>そして、一方における民族解放闘争は、第
>三世界をして単に帝国主義者同志がそこに
>住んでいる人民を無視して分捕りあうだけの>「植民地」であることを許しません。

民族解放闘争は、帝国主義に蹂躙された被抑圧民族自身からおき勝利した場面もあるし、旧植民地国には帝国主義と手を結んだ軍事傀儡政権などが民族解放運動を根絶やしにした地域もあります。とくに、後者には新植民地主義体制がしかれて、帝国主義国の外国資本が超過利潤を目当てに分捕りあいをしてきたのが実際です。

しかも問題は、中国スターリン主義国そのものが、市場開放という名の安価な労働力解放によって、帝国主義側の外資に自国労働者の剰余価値を分捕らせながら超過利潤を帝国主義側に巻き上げさせながら、それらのおこぼれをもらいうけることで延命しているというスターリン主義政権の末期的な現状があるのではありませんか?

しかも、中国市場の争奪をめぐって実は米帝と日帝が足元では殴り合いをしながら、上っ面ではにこやかに軍事同盟を保持しているということなのです。

北朝鮮問題は、実は中国市場を含めた東アジアの市場争奪によって起こっている事態なのだといえるでしょう。

アメリカの本音でいえば、俺たちの軍事力がなければ東アジアは安定するわけがなく、軍事力のない日本は東アジアに資本輸出はしてくるな、といいたいわけなのです。
むしろ、アメリカは北朝鮮や中国にいいがいりをつけまくって挑発し、アメリカ自ら戦争放火者となって、東アジアの権益を争奪しようと考えているとみていいでしょう。

だから、日帝側は、軍事力の増大と戦争のできる体制づくりに急迫しているのだということです。

草加さんの指摘は、そのような帝国主義の運動に対して闘う側を武装解除させてしまうのではないかと危惧されるわけです。


投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 10時11分

>つまり帝国主義への対抗勢力としてのスタ
>ーリン主義の登場、

ここが、まず認識としてズレていると思います。私は、帝国主義の対抗ではなしに、スターリンの妥協だと見ています。実際、第二次大戦に対して米ソは手を組みましたから。戦後は、米ソで分割支配するという約束ではじまったわけです。それが東欧の支配などであったわけです。

しかし民族解放闘争の激化などが、それを踏み越えていくわけです。そもそも中国革命をスターリンは積極的に支持しませんでしたから。

中ソ対立の原因は、そういうことに規定されているわけですし、民族解放闘争を積極的に支援したのは毛沢東だったわけなのです。
といっても、毛沢東も一国社会主義というスターリン主義理論であったわけなのです。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 09時58分

>ですが、レーニンの時代になかったものを加>味して考えることは当然に必要だと思います。

ですから現代帝国主義論がでてこないとだめなのです。
私は、今も島崎さんの指摘を基本としているわけですが、「現代帝国主義論2」あたりが、
実はキーワードになるのだろうと思います。
米ソ冷戦体制の瓦解から、現在までの帝国主義の分析が重要なのです。
そこで結論的にいえば、帝国主義はレーニンの時代と本質的に何も変わってはいないということなのです。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 09時52分

>だからレーニンを否定するわけではない。こ
>れを「ない」としてしまうのが、レーニンの否
>定で「カウツキー主義」だということだと思い
>ます。

カウツキーは、帝国主義で世界は平和になると主張したが実際はそうならなかった。
米ソ冷戦体制が集結して、世界は平和になるといろいろな知識人たちがわめいたが、現実そうなっていない。それはなぜかといえば、帝国主義が矛盾そのものを抱えているからなのだということです。その矛盾とは、不均等発展の除去として戦争以外に方法がないということでしょう。自由主義段階の資本主義の矛盾が周期的恐慌であったことが、金融資本的蓄積様式の場合になると、戦争という問題になってしまうということなのです。
第一次大戦も民族問題が発端で大戦にいたったように、現在も「民族」問題に帝国主義は介入しているわけですから、本質的に違いはありません。

第一次大戦前も、第二次大戦前も相対的安定期の時代もあったわけですから、いつまでも相対的安定期は続くとはいいきれないといえるでしょう。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 09時48分

まず、第二次大戦後の帝国主義国は、アメリカ以外、資本も軍事力もずだずたにされたことから開始され、アメリカのみが絶対的な力を獲得したわけなのです。

またソ連圏という存在や民族解放闘争という局面から、帝国主義国同士の争いは抑制された面はあります。

しかし、不均等発展という経済的運動は必然ですので、本質的に市場争奪が失われることはありません。

とくにソ連崩壊以降、帝国主義同士の市場争奪は露骨になっており、ユーゴ空爆やイラク戦争などは、アメリカ帝国主義とドイツ帝国主義などとのけん制から生じたものだといえます。

また、北朝鮮・中国に対するアメリカ帝国主義の重圧は、実は東アジア経済圏構想を掲げてきた日本帝国主義に対するけん制なのだということです。実際に、金丸訪朝の後、アメリカ帝国主義は突如として北朝鮮核兵器製造問題をつきだしてきて東アジアの軍事的重圧をかけて登場してきたわけです。本音は、東アジアを軍事的重圧によってアメリカが権益を獲得したいということです。

イラクも北朝鮮も、実は帝国主義同士の権益争いを根底として、アメリカ帝国主義側が自国帝国主義に有利になるように戦争をけしかけているということなのです。他帝国主義は、それを黙って見過ごすことはできないので、独自のブロック経済をつくりつつ、参戦していったているのが現状だと思います。

しかし、第一次大戦や第二次大戦のように、帝国主義同士の戦争にいまだいたらないのは、生産力も軍事力もアメリカの絶対的な力には勝てるわけがないと帝国主義国は認識しているからなのです。だからといって不均等発展がなくなったとはいえません。

なぜならば、経済学的運動でいえば、帝国主義の不均等発展は実際に起きており、アメリカ経済の力は低下し続けている。グローバルは、湾岸戦争や冷戦崩壊以降のアメリカ経済の巻き返しに過ぎず、結局アメリカ経済はバブル破綻というのが実情なのです。

第二次大戦後の相対的安定期、米ソ体制、
敗戦帝国主義国の分割支配と武装解除など、戦後の特質のみにとらわれることは、ナンセンスであり、ドルの低下と通貨ブロックの出現を根底的にとらえていくべきだろうと思います。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 09時41分

小川さんのブログで、草加さんが述べられている内容をみていました。今日は、アッテンボローさんのブログで草加さんのコメントがあるようなので、私からちょっと問題提起したいと思います。ながいので区切っていきます。

>帝国主義の不均等発展による争闘というの
>は、もちろん「ある」と思います。

問題なのは、帝国主義=金融資本的蓄積様式が、一国単位で市場争奪を展開していくなかで市場の分捕りあいがおこらざるを獲ないということなのです。その最終的な争奪は、戦争によって解決されうるということでしょう。
それが第二次大戦後はどのようになっているのかが問題認識のズレとしてあると思います。でこの認識をめぐって、現代帝国主義についての認識が違ってくるということでしょう。


投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 09時29分

アッテンボローさんと小川さんとの論争に対して、私はアッテンボローさんを応援する立場で
若干、問題提起をしてきました。
アッテンボローさんは、小川さんがカウツキー主義的なアプローチにたっていると指摘されたことに対して、小川さんは詭弁を弄してアッテンボローさんのほうが日和見主義だと応酬していた模様です。で、わたしは小川さん、それはないんじゃないのってことで、論争に参加したわけです。アッテンボローさんは日和見主義ではなくて、頑固一徹なレーニン主義オーソドキシーを堅持しているわけだから、日和見主義という表現は相当しないと思います。日和見主義とは、理論がぶれていく人をさすべきだろうと思います。まさしくそれはカウツキーのような立場の人にむけられるべき言葉なのです。

小川さんは民青や共産党ではないというが、理論そのものが不破さんあたりをなぞっているのですから、どうしよもないというのが私の率直な感想です。

アッテンボローさん、小川さんとの論争は、あなたの勝ちだと思います。
小川さんは、結局レーニン帝国主義論否定をやりたいわけです。本質的諸問題は、レーニン帝国主義論を肯定するのか否定するのかの違いなのだと思います。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 09時22分

kamakazuさん、最初は小川さんの帝国主義についての把握は、それはないんじゃないのって思って始めましたが手に余る大物に手を付けてしまったという感じです。
 日本国憲法擁護連合さん、昨日共産党の文展についても手に入れましたから、彼らの主張にも直接当たってみます。
 草加さん、確かにアラブなどの人民の闘いについて高みから物を言うが如きあり方は問題があるでしょうね。如何に連帯できるか、今はその観点を協調してみるべきだと思います。その中で中核派による「9・11反米ゲリラ」という表現はアラブ・ムスリム人民の闘いをどう肯定的に捉えるかという点で、問題を内包しつつも精一杯の表現ではないかと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月19日 (日) 07時30分

帝国主義の不均等発展による争闘というのは、もちろん「ある」と思います。だからレーニンを否定するわけではない。これを「ない」としてしまうのが、レーニンの否定で「カウツキー主義」だということだと思います。
ですが、レーニンの時代になかったものを加味して考えることは当然に必要だと思います。つまり帝国主義への対抗勢力としてのスターリン主義の登場、そして、一方における民族解放闘争は、第三世界をして単に帝国主義者同志がそこに住んでいる人民を無視して分捕りあうだけの「植民地」であることを許しません。帝国主義は、これらを無いものとして勝手に争闘戦を行うことはもはやできないのではないでしょうか。

つまり、不均等発展による帝国主義同士の争闘戦は「ない」のではなく、「できない」、もはやそれだけの力を有していないということだと思います。帝国主義同士の軍事・経済同盟によって、必死に内部の必然的な矛盾を調整し、妥協しあうことによって、スターリン主義と対抗してこれを封じ込め、民族解放闘争に対しては、これを軍事的に圧殺していく以外に、もはや帝国主義の生きる道がない。そして、それをまとめあげて各国の妥協を作り上げるだけの力量を有した帝国主義は、もはやアメリカ一国しか残っていないという悲惨な現状であろうと思います。そのアメリカだって、決して前途洋洋でまだまだ大丈夫という状態でもありません。

ですから、侵略者である帝国主義足下でそのおこぼれの下にカッコつき「豊かさ」を享受している私達が、レーニンの提起を受け止めてそれを現代的な課題とするならば、帝国主義の搾取や差別・抑圧と血を流して戦っている第三世界人民の血叫びに応え、これと支持・連帯して、共に国際連帯の力で帝国主義同士の侵略反革命軍事同盟と闘うことだろうと思います。なかんずく日本の地では、日米安保との闘い、そしてアメリカを中軸とする日米韓の3国軍事同盟の攻守同盟化を許さず闘うことです。この観点から、イラク反戦闘争と、沖縄辺野古闘争の重要性が浮かびあがってくるだろうと思います。「日米争闘戦論」では、この位置づけがストレートではありません。また、この軍事同盟は、スターリン主義国家(中国・北朝鮮)と、対抗勢力としてのロシアの封じ込めをも目的としています。私達は反共宣伝を口実とした軍事同盟強化をも許さず、中国・北朝鮮の裏切りや屈服、その反人民性を、左翼の観点から暴露・糾弾していくことも大切な闘いだろうと思います。

かかる中で、帝国主義は非常に強大であるとか、指先一本でスターリン主義を抑えつつ、闘う人民の力量を無視して植民地の分捕りあいができるほどの余裕と力量を有している(しかもそんな国がアメリカ以外にも多くある)というのは、あまりにも帝国主義美化論にすぎると思います。

また、帝国主義と戦う民族解放闘争に対して、これを「スタだから駄目だ」とかいうのは、侵略者側である帝国主義本国の左翼勢力の態度としては、あまりに傲慢で教条的・理論主義ではないでしょうか。これはカクマル派に極端な形で見られる態度だと思うのですが、それなりの理論を有した党派が、自分達の尺度でこれらの人民の戦いを、あれやこれやと論評し、その「間違い」を指摘するのは簡単なことです。しかしそれにどれほどの意味があるのか。現に血を流して帝国主義の侵略反革命と戦い、そして彼らに死の苦悶を与えている人民に対しては、まずこれを高みに立ってあれやこれやと「論評」するのではなく、連帯するのが左翼としての正しい、当然の態度だと思います。

だいたいが、その論評している組織が、彼らと比べてどれほどの闘いを実現しているというのか?自分達を侵略して肥え太っている国の、名前も知らないちっぽけな組織の理論に合わないから間違いだ、お前らスタだと言われても、そんなもの滑稽な批判にすぎません。むしろ私達は、かかる人民の帝国主義を追い詰める勝利の闘いが、アルカイダだの、ビンラディンだの、反人民的な勢力しか影響を与えられないという点を、自分達が未だに人々に希望を与えて「なるほどなあ」と思わせるような闘いを作り出しえていない、そういう自分自身の問題として考える以外にないのではないでしょうか。

投稿: 草加耕助 | 2006年2月19日 (日) 07時12分

>日本国憲法擁護連合さま


小川さん、あなたの党派的立場は民青ではなさそうですが、ではノンセクトなのでしょうか?
わたしからすれば、ノンセクトは面白い連中が多いが、たちの悪いやつも多い。

>かつてゴリスタ民青

>そうですか・・・。
>それはご愁傷様です。
>ゴリスタ民青はどうしようもない連中ですから>ね。さぞかしお辛い体験をなさったのでしょう>か。

小川さんは、民青ではないのにやけに詳しいですね。


>現在私は、社会民主党党員です

>社民党って、あの福島さんのところの??
>意味がちょっとよく分かりません。

民青ではないというあなたが、不破氏らの理論を掲げているのが私からすれば意味不明ですが。

>まあ、あなたのような事を言う共産党員も、も>の凄く沢山いるんですよということだけ指摘し>ておきます(笑)

あなたのような、人びとをいっぱいみてきましたけれども、理論がつぎはぎだらけが非常に多いですね。
帝国主義について小川さんのお立場だと、レーニンはもう古いといいたいのでしょう?
で、流行のアントニオ・ネグりあたりをもちだしてくるわけでしょう?いかにも、ノンセクトって感じですね。感想はもう結構です。

ところで、フランスやドイツ政府がイラク戦争に反対した理由を理解なさいましたか?

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月19日 (日) 06時05分

●小川さんへ
いつも、かつて共産党にいじめられた恨み言を言うことが多い私ですが、期待しています!がんばろう!いつか、いっしょの隊列に紛れこんでも排除しないでね(^^)愛される真実の共産党を応援しています。

●アッテンボローさんへ
いろいろとむずかしい問題ですけど、多くの人が本当は食いつきたいテーマなのだと思います。連載、がんばって!(^^)

投稿: kamakazu | 2006年2月19日 (日) 02時16分

 日本国憲法擁護連合さんお久しぶりです。色々とご指摘有り難うございます。
 小川さん、次の記事で書く予定ですが、大分解釈が違うようなのでお勧めの「レーニンと『資本論』」四巻と共産党の大会決定集にも目を通してから書いた方がよいかも知れませんね。「現代帝国主義論Ⅱ」はようやく半分を読み終えましたのでその内容も盛り込もうと思っています。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月18日 (土) 21時54分

日本国憲法擁護連合さま

>かつてゴリスタ民青

そうですか・・・。
それはご愁傷様です。
ゴリスタ民青はどうしようもない連中ですからね。さぞかしお辛い体験をなさったのでしょうか。

>現在私は、社会民主党党員です

社民党って、あの福島さんのところの??
意味がちょっとよく分かりません。

まあ、あなたのような事を言う共産党員も、もの凄く沢山いるんですよということだけ指摘しておきます(笑)

投稿: 小川 | 2006年2月18日 (土) 21時16分

アッテンボローさん、アラブの民衆のすべてが
共産主義運動に獲得されていないわけではないということと、イスラム教の旗のもとにあるのか?を考えられたらどうでしょうか。

第一に、共産主義運動の物質的客体が、アラブにはあるのかどうか?つまり、共産主義運動を担える物質的主体者つまり、資本と労働の関係が社会の軸になっているかどうか?です。私は十分あると思います。その理由は、まず石油資本と従事する労働者という関係がすでにあるからです。もっともそれらの階級対立は隠蔽されてもいますが・・・。また、多くは外国資本ですので、民族的な対立も構造化されていくわけです。これが、イスラム教と文明の対立というように、ブルジョアジーは宣伝していくわけです。

第二に、民族解放闘争としてとらえるということでしょう。石油利権があるから、アラブは戦争が帝国主義によってくりひろげられてきたのではないでしょうか?

第三に、アラブの民族解放運動を支援してきたのは、ソ連や中国のスターリ二ストらでした。スターリン主義の破綻の影響によって、共産主義運動的な民族解放闘争ではなく、イスラム教の旗のもとに闘争していくというようになっているといえるでしょう。

ですから、原点に返って、レーニンの「帝国主義と民族・植民地問題」に戻って考えるべきだと思います。

レーニンを教条主義的によんではいけないなどと、後退した主張ではなく、レーニン主義の復権を主張してほしいと思います。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月18日 (土) 18時06分

帝国主義間争闘戦について指摘しますが、
これは島崎さんだけの理論ではないのです。
あのブントだって争闘戦的アプローチを展開することもあります。

島崎現代帝国主義論は、大内力批判と、カクマル批判です。島崎現代帝国主義論によって、熱田派との対立が激化したような言い方をしていた人がいますがそうではありません。
あくまでもカクマル批判・宇野右派批判としてだされたものです。

ちなみに、日米帝国主義対立論は、革共同の昔からの理論です。敗戦帝国主義と不均等発展から、日米帝国主義は市場争奪を展開せざるをえないという帝国主義経済に規定されるということなのです。別に島崎さんがひとりでわめいてきたのではないのです。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月18日 (土) 17時45分

>三四郎日記の小川です

小川さんの日記をたまによませてもらっています。小川さんは、ゴリスタって感じか印象的で、いかにも民青幹部候補生のブログだなあと思います。(実は私、元中なのですが、その前はゴリスタ民青だったのですよ。だからあなたの思考回路がとてもよく理解できるわけです。現在私は、社会民主党党員です。)

これは皮肉ではなく、本当にそう思います。
あなたからすれば私は、赤旗声明でいうテロリスト、偽左翼トロツキストなのでしょうけれども。

>「先進資本主義」諸国による共同搾取

だいたい国連機関は戦後帝国主義国が創設したわけだけれども、本質はアメリカ帝国主義国などの大西洋憲章に基づくものだし、戦後帝国主義国の利害に規定されているわけだが、単に共同搾取というよりも、ソ連の息のかかった民族解放闘争が起きないように、旧植民地を監視する意味と、帝国主義国による新植民地主義体制を支えるものとしてあるといえるだろうね。

>WTO体制やEUなどは“「先進資本主義」諸
>国による共同搾取”なのではないですか?レ>ーニンの時代にはこのような機関はありまし>たか?

現代帝国主義に規定されるわけだが、本質的に新植民地主義体制というてんで、帝国主義の本質にかわりはないです。


>レーニン主義の否定とカウツキー主義の礼>賛

>このような言われ方をするのは心外ですね。
>カウツキーなど礼賛していません。

小川さんは、レーニンの時代とは違っているといっているわけだし。カウツキーを礼賛しているつもりはないと小川さんはいいたいでしょうが、小川さんの主張はカウツキーの焼き直しです。アッテンボローさんが不破氏批判をしていることがそっくり小川さんへの批判になっていると思います。

>現在の体制をレーニンの「帝国主義論」に書>かれていることと一字一句まで同一視する
>態度こそ、日和見主義だといいたのです。

かなり苦しい弁解だと思います。
詭弁といってもいいでしょう。
不破あたりが教条主義だとして、マルクス主義古典の逸脱を正当化していくことがよくありましたが小川さんは、ミニ不破哲三なのでしょう。一字一句まで同一視しているのではなくて、帝国主義論を適用して現状分析わしているわけなのです。しかし日共的な現状分析は、ソ連スタ崩壊以降、スタ理論からカウツキー主義の焼き直しに向かっているということでしょうか。レーニン帝国主義論の適用とは、帝国主義の矛盾を帝国主義戦争として指摘し、そのうえで戦争から革命をアプローチするわけなのです。しかし日本共産党は党名は共産党だが、レーニン的なボルシェビキですらないということでしょう。ソ連亡き後のスターリン理論を前面展開できなくなって、カウツキー主義を取り入れていこうということでしょうか?

>日本共産党の言っていることが「カウツキー」>に“外見上”似ているからといって

外見上ではなく、日本共産党の現状分析はカウツキーのアプローチに依拠したものだということでしょう。米ソ冷戦が崩壊したのちは世界平和が訪れる、ソ連の崩壊をもろ手で支持するなどといったのが日本共産党だったのですから。しかし世界情勢はそうなっていない。カウツキーが超帝国主義論でいったような世界にならなかったように、世界は日本共産党がさししめしたような流れにはなっていない。

重要なのは帝国主義の矛盾を止揚できるのは、労働者の自己解放的闘いと帝国主義打倒を掲げる政治勢力による権力奪取しかありえないのです。

日本共産党の現状分析はカウツキー主義のアプローチで規定され、アメリカのみに帝国主義と政治的に烙印を押し、従属された日本、アメリカの無法な戦争とグローバルにめちゃくちゃにされる日本だと宣伝しまくって、日本の労働者を反米愛国主義でからめとろうとしている。もちろん自国帝国主義の戦争動員体制には、鈍感なぐらいごてごてですらある。


>「カウツキー主義」だなどというのは笑止千万>の訓古主義です。

それは小川さんが、日本共産党の現状分析がどれほど、カウツキー主義的なのか理解できないということです。堂々と、カウツキー主義を公言している人たちもいるのですから、小川さんもそのどこが悪いのかといえばいいのです。

しかし日本共産党という党名から、それを公言することは自己否定になるのでそれができないというジレンマが、アッテンボローさんの至極まっとうな意見には余計に腹立たしくてしかたがないということなのでしょう。

小川さん、私もかつてゴリスタ民青でしたが、マルクス主義の古典と日本共産党の主張をみくらべれば、アッテンボローさん達の主張が正鵠を得ているといえると思いますよ。

こうのベるとあなたを刺激するでしょうが、何が正しく、何が労働者のためなのかということではないでしょうか?あなたは大学生かもしれないが、そもそもマルクス主義とは労働者解放の理論です。しかし、日本共産党の理論は、どのような方向にむかわせているのか考えてみてください。端的に表現したマルクス主義とは「賃労働と資本」だと思います。
そして重要なのは「帝国主義論」です。日本共産党がこれらの理論を教条主義だと否定するのであれば、共産党という党名を名乗るのをおやめになることです。誤解なさらないよう忠告しとくと、別に一字一句経典化したり、諳んじて暗記するということではありません。


>レーニンは聖書や仏教典ではありません。

そういうスタンスでしか、反論できないということが情けないですね。
むしろ、現状分析を理論的に展開するような立場、経済学的・社会科学的なアプローチで、現代帝国主義を展開できるような立場を小川さんには身につけてほしいものです。
しかし日本共産党の方々は、どうしていつもこうなのでしょうか。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月18日 (土) 11時08分

元中さんに補足したいのですが、
第二次大戦後の帝国主義国がアメリカの絶対的力関係とソ連圏のもとで限定的に規定されたということだと思います。
第一に、アメリカ以外の帝国主義国は資本設備も軍事力もすべてたたきのめされた。
第二に、帝国主義国内における革命運動の台頭があった。
第三に、ソ連圏への予防反革命から、アメリカ帝国主義と歩調をとった。
こうして、共同と対抗という戦後帝国主義の現象になったのではないでしょうか?
もちろん米ソ基軸が崩壊していくなかで、ユーロブロック経済圏が登場し、東アジア経済圏構想が打ち上げられていく一方で、アメリカドルの力は低下していっているわけです。アメリカが唯一世界に誇る軍事力の展開で、アメリカ的繊維支配を貫徹していこうというあがきが、湾岸戦争→グローバル経済→破綻→イラク戦争そして局地的戦争の拡大なのではないでしょうか?

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月18日 (土) 10時31分

小川さんに一言だけ指摘しておきます。
フランス(シラク共和国連合保守系政権)やドイツ(帝国主義社民政権)の「帝国主義」政府が、イラク戦争に反対した理由は、国内外の反戦運動に押されたからではありません。
そんなことをいうのであれば、イギリス労働党政権の参戦はどのように把握できることになるのでしょうか?

まず反戦運動それ自身のウエーブと、その国々の政権を一体とみなすことそのものが詭弁だといえるでしょう。

ドイツとフランスがイラク戦争に反対したのは、
ドルとユーロの対立軸からであり、イラク石油市場に対する権益の対立からです。

フセインがつぶされたのは、彼がドルからユーロに決済を変更しようとしたためです。
さらに、フランスやドイツ資本がイラク国内に設備投資をおこなっていたから、ドイツやフランス帝国主義はイラク戦争に自国の利害から反対したのです。つまり小川さんは、カウツキーと同様に帝国主義社民の批判そのものができないわけだし、帝国主義争闘戦という対立軸が理解できないのです。

もしもアメリカがイラクフセイン政権を軍事的につぶせば、アメリカ企業がどさどさと参入し、これまでイラクに資本投資したフランス・ドイツ資本はたたきだされてしまうことになるでしょう。

しかし戦争は行われてしまった。ここでドイツ・フランスの対応が変化していくことになってしまうわけです。戦場は泥沼化しているといわれているが、ドイツ資本などは黙ってそれを看過することができず、イラク戦争に反対という政府ではなしに、イラク市場に食いこむために働きがける保守側を支持し政権は帝国主義社民から保守へ移行していくのです。

こうしたことからも反戦運動が、フランスやドイツ政府を動かしたのではなく、帝国主義の利害によって規定されているということなのです。それは、数百万人を動員したイギリスの反戦運動でもイギリス労働党政権はイラク戦争に参戦し続けているという現状を意味してもいるのです。

つまり戦争に反対する政党が権力奪取しない限り、戦争は継続されるということなのです。

だからこそ、レーニン帝国主義論でいう、戦争を革命へという提起になるわけなのです。


投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006年2月18日 (土) 10時07分

 小川さんWTOやEUは確かにレーニンの時代にはありませんでした。先ずもって“「先進資本主義」諸国による共同搾取”が果たして良いことであるのかどうかが問題ですね。それからEUの場合は仏独を中心とするブロック経済の表れであると思います。
 「レーニン主義の否定とカウツキー主義の礼賛」のくだりの件は、私には小川さんの記事がその様に読めたのですが。心外と言われるのであれば誤読している可能性もありますので
、今一度ゆっくり検証し直しましょう。
 レーニンを教条的に解釈してはいけないと思いますし、一言一句その様にしているつもりはないのですが。基本的には帝国主義論が適用できると思いますよ。
 元中さん、イスラム原理主義を通してしかパレスチナを始めとするアラブ人民の反帝闘争が組織されていないことが組織されていないことが残念ですね。共産主義者の側に彼らを獲得する新たな内容が必要かと思います。
 暴力の問題については、その背景にある階級性の問題という物を今一度検証することが大切だと思います。その上で非暴力を訴える人との協調をどう築くかでしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月18日 (土) 10時06分

 現在のハマスの暴力は、自衛的だと思います。パレスチナの民衆は、イスラエルの圧倒的暴力、自治政府の腐敗に対して、あまり余地のない選択をしたのだと考えます。同時に、私は、イスラム原理主義は、非常に反動的な、かつ反共的なイデオロギーだと思っています。チャドルを着用しないパレスチナ女性に、ハマスの指導者が、「ハマスが勝利した意味を分かってないな」と言ったという報道がありましたが、そういう問題は小さくないと思っています。信仰は弾圧することも良くないが、強制もよくないと思います。
 非暴力には、色々な契機があると思います。「戦争に反対する」「国家の暴力に反対する」など。もちろん、暴力の方にも「ギリギリの抵抗」など色々な契機があるでしょう。
 平和的な運動形態を批判し、乗り越えて進むことが求められた情勢もあったと思います。しかし、今の日本の状況は、それぞれが許容できる範囲で、たたかいを再興するために最大限連帯することがもとめられているのではないでしょうか。

投稿: 元中 | 2006年2月18日 (土) 09時10分

三四郎日記の小川です

>「先進資本主義」諸国による共同搾取

WTO体制やEUなどは“「先進資本主義」諸国による共同搾取”なのではないですか?レーニンの時代にはこのような機関はありましたか?

>レーニン主義の否定とカウツキー主義の礼賛

このような言われ方をするのは心外ですね。
カウツキーなど礼賛していません。

現在の体制をレーニンの「帝国主義論」に書かれていることと一字一句まで同一視する態度こそ、日和見主義だといいたのです。日本共産党の言っていることが「カウツキー」に“外見上”似ているからといって「カウツキー主義」だなどというのは笑止千万の訓古主義です。レーニンは聖書や仏教典ではありません。

投稿: 小川 | 2006年2月18日 (土) 07時22分

 ハマスに関する「前進」の記事は違和感なく読めてしまいました。その辺は私が革命軍戦略を前面に出していた時期に最も活動的であったり最も良く勉強していたからかも知れません。時代の違いなのか、実際に機動隊との市街戦を経験しているせいで暴力行使への敷居が低いのかも知れませんね。
 ユダヤ民族がイスラエル以外において差別迫害されているという問題については、確かに被抑圧民族としてのユダヤ人を正しく把握する必用があるのかも知れません。唯、実際にパレスチナにおいてイスラエルが行っている軍事行動に比べるとハマスの武装闘争は抑制されていると思います。
 非暴力の運動その物については私は否定しません。根津先生のように不服従を貫くことは容易ではないことを、私自身職場での取り組みの中で実感していますので。
 帝国主義論その物に関して言うと共産党との意見の隔たりが大きいことを実感しますね。「三四郎日記」の小川さんの見解などはレーニン主義の否定とカウツキー主義の礼賛ですから。今日「現代帝国主義論Ⅱ」が届いたのでじっくり読みながら今日の観点から勉強し直す必用があると思っています。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月18日 (土) 02時59分

 「民族解放闘争」で言えば今年2月13日号の『前進』でパレスチナのハマスを賞賛するかのような記事があり、それにはちょっと納得できない部分がありました。米帝、イスラエルによる暴力支配は当然許してはならず、それに対する「武装自衛」はあって然るべきですが、そのハマスの武装闘争がはたして「武装自衛」にとどまっているかどうかははなはだ疑問です。

 それに、歴史的にみればイスラエルのユダヤ人も被抑圧民族であったはずです。つまり、被抑圧民族同士の「対決」の可能性を中核派が考えていなかったのではないか、という問題があります。もちろん、現代的な「民族対立」にはほとんどの場合経済的利益が絡んでいるのは間違いないでしょうが、だからといって「宗教間対立」を必要以上に過小評価するべきでもないと思います。

 ハマスの問題一つをとってもこのようなことが考えられるのですから(勉強不足のままの生意気みたいでもありますが…)、元中さんが仰るように「論点の違いを整理した上で、実践で克服するか、時間をかけてアカデミックにやる」必要性は、僕らが考える以上にあると思います。

 もう一つ言うならば、「百万人署名運動」に協力し、11・6労働者集会でも発言した、「日の丸・君が代」不起立闘争者の根津公子さんは、彼女の思想信条においては至極非暴力的です。もし、彼女らと連帯するならば、そういった「非暴力派」の考えも大切にするべきだと思います。そうでないと、統一戦線の形成を最も望んでいるはずの中核派が「テロリスト」の烙印を運動内部で押されかねませんから(僕自身はそれを押すつもりなど毛頭ありませんが)。もちろん、中核派がその思想を堅持する自由も認めなければなりませんが。

 「帝国主義論」そのものについては、アッテンボローさんの主張でほぼ間違いはないと考えますが、やはり民族解放闘争の質は慎重に見極める必要があると思います。

投稿: 護憲的コケシくん | 2006年2月17日 (金) 22時35分

 元中さん、確かに民族解放闘争の肯定的側面と否定的側面の両方をキチンと評価することは難しいと思います。その時々で一方に偏ることがあったように思います。闘うために今必用な論議と将来に持ち越せる問題という物の区別も自分自身分かってしていたのかなと思えます。
 草加さんの言う共闘の三つの原則のような物はその通りだと思います。細かい違いについては当面おいて闘いを共同で発展させたい物ですね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月17日 (金) 08時54分

まあ、「自派の優位」というか、活動家や大衆を囲い込むための踏み絵みたいに使っていたのかなと。
たとえば「沖縄『返還』粉砕」「沖縄奪還」「沖縄独立」など、同じ沖縄闘争を共に闘いつつ、どれを選ぶんだみたいなところで論争やオルグに持ち込んでいくみたいな。

結局、現状に一番フィットして説得力のある理屈を掲げて闘う部分が伸びやすいわけで、そういう意味では情勢の推移の中で、やがては「実践で克服(証明)」されていくものだろうと思います。ただ、運動の退潮期に「生き残る」のは、正しい所よりも権謀術数にたけた所だというのもありがちな話なんですが。

とりあえず「共闘」なんてものは
1)課題の一致 2)行動の統一 3)批判の自由が保障されておれば、あとはそれ以上あんまり望まないのがよろしいかと(とりあえずはね)

投稿: 草加耕助 | 2006年2月17日 (金) 07時32分

 レスする場所が違うかも知れませんが。
 中核派が、ブントや解放派の「帝国主義の共同侵略反革命戦争」という規定をとらなかった理由のひとつは、帝国主義同士の関係を、「共同と対抗」の関係と捉えたことによります。
もうひとつは、アジア等の民族解放闘争を「民族解放闘争のスターリン主義による歪曲的創生」と捉えて、一面的に肯定することを避けたことによると思います。ただ、この「歪曲と創生」という議論は、中核派にあっても、ある時は一面的に民族解放闘争を賛美し、ある時は「あれはスタだ」と切り捨てるような議論になっていたように思えます。
 考えてみると、それぞれのスローガンはある面を強調しているだけなので、互いに背反するものではなかったはずです。闘う内部の議論なら、論点の違いを整理した上で、実践で克服するか、時間をかけてアカデミックにやればよいはずです。しかし、実際には、共に闘うための議論ではなく、自派の優位を証明するための論争になっていたと思われます。沖縄「解放」か、「奪還」かなどもそう思います。
 自戒的に言えば、「小異を残して大同につく」という在り方に転換しようとしている部分も、違いを踏まえて共同闘争の陣形を構築する在り方が、未だに苦手な人が多いと思います。今日明日には解決するはずのない論争に熱を入れ過ぎたり、必要以上に乱暴な言い方で、お互いの感情を害したり…。

投稿: 元中 | 2006年2月17日 (金) 06時50分

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