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2006年2月11日 (土)

裸の王様天皇制

 天皇や天皇制を批判すると少なくない人が眉をひそめる。取りわけ年配の人の中には恐ろしいことを口にしたというように怯える場合がある。昔何かの講演会の報告を読んだのだが、戦前は天皇が怖くて戦争反対の声を上げることが出来なかったことを例示し、年配者に対する戦争責任追及を安易にしないで欲しいという物だった。実際、元長崎市長の本島等さんが唯単に「天皇に戦争責任はあると思う」と発言しただけで右翼の銃撃を受けたのが80年代末のことであるから、今日もその現状が変わっていないことは確かである。先日天皇制批判の記事を書いたことに対しては、極一部を除き私を攻撃する書き込みやトラックバックはなかった。保守的な人のブログで「左翼の本音は天皇処刑」として取り上げられてしまった。私の意見は極論だから左翼全体の事に一般化してもらっても「木を見て森を見ない」ことになると思う。大体において中核派の中ですら天皇制の打倒、廃絶は主張していても天皇の処遇についてはどうするかなどという論はないのであるから。

 今日右翼の多くが天皇について「万世一系」で「神聖にして犯すべからず」などと言っているのであるが、実はその様な観念が出来たのは僅か百年あまり前のことでしかない。天皇の祖先が大和朝廷として権力を確立して以来1700年だか1800年だかの歴史の中で、その様な時代は実は明治以降のことなのである。いや、戦前にあっても1910年代初期という欽定憲法の時代に「天皇機関説」を巡る美濃部達吉東大教授と上杉慎吉の論争は、今日の象徴天皇制に近い国家権力の一機関に過ぎないと主張する美濃部が勝っているのである。だから、天皇が絶対君主として存在したのは、大正天皇から昭和天皇への代替わり時期に行われた共産党への大弾圧を期として僅かに20年ほどのことであるのだ。

 歴史をひもといてみれば歴代の天皇の内20~30名が在位中に殺されている。後鳥羽上皇のように島流しにあったり、追放された天皇も多数存在する。在位期間が最も短い天皇は百日に満たない。実は先日神武以来の天皇一人一人についての経歴を書いた新書が書店で平積みになっていたので、買っておけば正確な記述をすることが出来たのであるが、ここでは大体のことで十分であろう。在位中に殺されたという点では実は僅か四代前の孝明天皇は毒殺されたという説があったように思う。武烈の跡を継いだ継体は実は一切血縁が無く王朝の交替であるとするのが歴史学会の説でもあるし、また、天皇の中で諡号に神が付く神武と応神崇神とは実は同一人物であったという説もある。記紀神話作成の際に応神など実在する天皇の業績を創作上の十代あまりの天皇の事績として記したのだそうである。その説の根拠は「はつくにしらす」なんたらと言う長たらしい和名が神武と応神崇神の両者に使われている事と、業績が非常に酷似しているからだそうだ。日本にはヨーロッパのようにルイ十四世の後に十五世と名付けるなどと言う伝統はないので、同名の別人と言うことはあり得ないのだ。この様に簡単に歴史を振り返るだけで実は天皇が単なる人間として存在してきたのであり、その時々の権力の都合でどうにでもなる存在であったことが分かる。

 今日天皇を神聖視する人々の考えはどこで発生したのかというと、冒頭に記したように国家権力とそれと癒着した右翼勢力との白色テロルへの恐怖が根底にあるのだ。「国体変革」の思想を取り締まる治安維持法体制における国家権力の白色テロルの嵐とそれに屈服してしまった戦前の階級闘争、取りわけても自称革命党であった日本共産党の敗北による物なのである。では、その天皇・天皇制イデオロギーに対抗する場合に最も有効な物は何であるかというと、白色テロルに屈服しないことなのだ。中核派は90年秋の天皇即位儀式に対して真っ向から武装闘争を掲げて百十数波のゲリラパルチザン戦闘でもって闘いを挑んだ。そして国家権力の全力を挙げた厳戒態勢を物の見事に破産させたのだ。尚かつここで重要なのは、闘い、勝利し、存在し続けていると言うことなのだ。天皇は神聖でも何でもない。この事を実力で主張したことが今日でも天皇賛美一色の世論にならない物質的根拠になっている。

 誰かが「王様は裸だ」と言うことによって、天皇制の「神聖」という厚化粧は剥がれてしまうのだ。だから今の時代で重要なことは天皇・天皇制など存在しなくても何も困らないことを堂々と主張することである。私は基本的に自分のブログでは天皇一族に対して敬称など付けはしない。呼び捨てにする。他所のブログでは一応お行儀良く「さん」付けすることもあるが、天皇の「不可侵」という仮面を引っぱがすのに一番簡単で有効なことは敬意を表さないことである。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 しろさん今晩は。少々過激な文章でしたので、トラックバックだけにさせていただいたのですが、出来るだけ穏和な形で書き込みもさせていただくようにしますね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月16日 (木) 20時07分

こんにちは。TBありがとうございました。
しろまあもをお読みいただいたと思うですが、アッテンボローさんとは違うようなので、TBはしませんでした。でも、しろまあもにコメントしていただけると、しろの所に来てくださっている天皇制廃止賛成組がもっと元気に発言してくださり、いろんな意見が聞けるようになったかなと思っています。

投稿: しろまあも | 2006年2月16日 (木) 18時35分

 非国民さんごく自然に誰に対しても同じ敬称を使われるのならそれはそれで良いのではないでしょうか。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月14日 (火) 08時59分

敬称に関しては、人それぞれ考えが有るようですね。
私自身はいくつかの理由から天皇制というシステムに批判的な立場ですが、天皇や皇太子個人を憎悪する気持ちは無いんです。で、まあ自然に明仁さん、です。
もともと私の場合、「さん付け」がデフォルトなんです。馬鹿だとか、気は確かか、とかさんざん罵倒した相手に対しても、書く時は小泉さんとか安倍さんです。

ただし、「天皇」や「皇太子」は役職もしくは肩書きですから、敬称は付けません。

投稿: 非国民 | 2006年2月14日 (火) 03時42分

  maoさん今晩は。賛意を示していただき有り難うございます。本当に滑稽であることに気づくべきですね。小泉の数々の悪行にしても左翼は大人しすぎるのでしょうね。暴露をもっとするべきですね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月13日 (月) 21時13分

皇族に、敬称をつけないというのは非常に大切なことです。
支配者が嫌っている、北朝鮮の指導者金正日に、わざわざ将軍様といってみせて、茶化している。これ以上に、皇族の子どもに様をつけていることが、こっけいであることに我々は気づくべきであろう。いわゆる左翼と呼ばれる人々は敵に対しても寛容な人が多い。
特に、イメージだけで支持率を上げている、小泉に対しては、スキャンダル暴露戦を徹底的に行うべきだと私は思っている。特に、インターネット上で木村愛二氏が暴露している、小泉女子大生レイプ事件や、留学詐称疑惑はもっと、前面に出てもいいと思っている。

投稿: mao | 2006年2月13日 (月) 18時05分

 別の通りすがりさん、初めまして。立場が違う人であっても冷静に話の出来る方なら書き込んでいただくのに遠慮は要りません。
 天皇の活用という点で「不敬」であるくらいの人が沢山いる方が戦前のようになる心配が少ないので安心できると思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月13日 (月) 08時30分

別の通りすがりです。
はじめまして。時々、ここは見させていただいている、中道から右よりの人間です。
色々な考えがあることを知るのは、大切なものですから。

確かに、歴史的に見て、武家社会に移行してからは天皇は象徴でしかなく、維新の時に新政府が画策したように日本を統一するための手段として中心に置いたという事実はあります。しかし、世界を見たときにこの天皇家というのは、他国には同様の存在が無く、それだけで100人以上の外交官以上の価値を持っています。天皇が、他国に訪問するだけでも外交の働きが強化されます。少なくとも、彼らはその立場にいるだけの働きをしていると思われます。私としては、不敬かもしれませんが
日本国の為に、これからもよろしくお願いしたいと思っています。
世界に日本しか無いのなら、廃止もいいですが、今の日本にとっては無くす方のリスクのほうが大きいす。

投稿: 別の通りすがり | 2006年2月13日 (月) 02時04分

 系図好きさん、江戸時代以前のあり方に戻れるのならその方が天皇一族の人々にとっては幸福なことでしょうね。同時に多くの国民にとっても。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月13日 (月) 01時28分

 天皇制の歴史については多少は理解してるつもりなので「いわゆる」とつけました。昔は京都周辺や支配層以外は天皇の存在自体知らない人がいっぱいいたと思います。だからと言って、実際明治以降は確実に国民統合の象徴として立派に機能してきた歴史まで無になるのでしょうか?でも、もうその役割を天皇家に押し付けるのも終わりにしても良いようにも思えます。
 黒目さんと同じといいますか、国民の象徴だからと言って、その家の継承にゴタゴタ他人が口を挟んでしまえる今の状態より、憲法の檻からでて民間で『日本総本家』として自由に暮らしていってもらいたい気もします。
 たかだか数百年くらいの歴史で、それもいくらか前までは差別の対象でさえあった歌舞伎等もその伝統だけで十分豊かに暮らせる世の中ですから、天皇家の皆さんが生活に困ることは皆無でしょう。今より良い暮らしが出来そうです。

投稿: 系図好き | 2006年2月13日 (月) 00時53分

 系図好きさん、少々誤解があるかも知れません。私が言っているのは今日一般的にイメージされている天皇・天皇制というのは長い歴史の中でもごく短い期間だと言うことです。寧ろ長い天皇制の歴史の中で一般庶民にとっては天皇とかかわりのない時代の方が長かったと言いたいわけです。
 ですから、黒目さんが書いているように別に天皇一族が何かの家元のようにひっそり?暮らし、歴史の表舞台から姿を消せばいいと思います。国民全体に「崇拝」を強要するようなあり方は無くしたいと言うことですね。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月12日 (日) 20時34分

俺は元が天皇主義ファシストなので、天皇尊崇方面にはちょっとうるさいのですが(W、
y染色体がどおとか言い出すオカルト野郎が保守派伝統派を僭称し、かつそのメインストリームとなってしまうという事態を見ると、「象徴天皇制」は全然機能してないやんと思うわけです。
http://black.ap.teacup.com/despera/131.html

んな我々のごとき梵百の下賤の輩が京都御所だ寄付で生活だなどと心配しなくても、普通に天皇という役職を廃し、退職してもらえばいいではありませんか。
後は就職するなり商売始めるなり宗教始めるなりして、自由に勝手に暮らして行かれるでしょう。人脈も多いだろうし、仕事を世話しようかなどという人は黒山のように現れるかと思われます。俺等なんかがリストラで仕事失うのとは訳が違うのであります。

> ナイトトレインさん

 きみがよはぁ〜 きみだけ〜のよるさぁ〜
 ぼくたちの〜 よるじゃぁないのさ〜 ♪

                 ソレ(・∀・)イイ!

投稿: 黒目 | 2006年2月12日 (日) 18時50分

 歴史上でも古い家というだけでも僕なんかは
凄いと思ってしまいます。いわゆる天皇制が短いから止めても良いみたいなのは納得いきません。現に我が国の象徴として機能しております。それにどれくらい税金をつぎ込むかは議論が分かれるでしょうが。
私も皇族はかわいそうだなあと思うときがあります。一国民として、京都御所をテーマパークみたいにして、全国からの寄付等で暮らしていけば家の問題に我々外野からワイワイいわれることもなく、これからもずっと家が続いていってくれて、それのほうが系図好きな私には良いかもしれません。

投稿: 系図好き | 2006年2月12日 (日) 16時56分

 へロスさん今日は。可哀想と思えるだけでも、天皇・天皇制イデオロギーから距離を置けていると言うことで良いのではないですか。今のように国民の中で崇拝や畏怖の感情がある時代というのは日本の歴史上でも本当に短い物です。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月12日 (日) 15時51分

正直、学業のなかで「天皇制」しかり「歴史・宗教観」しかりのことは触れてないので、あんまし解ってないです。(スイマセン)

ただ言えるのは、皇族なんてもんはカワイそうとだなってことです。
生まれたときから自分の未来とか定められてたり、一部のマスコミのように生涯追跡されてたり、ヘタすれば着るものひとつにすら評価を受けるわけですから。

それにしても歴史的に見て「天皇制」とは短いですね?

投稿: ヘロス | 2006年2月12日 (日) 15時11分

 kamakazuさん、お褒めにあずかり光栄です。今でも白テロなんかに負けないぞという思いは強いですね。80年代前半に「天皇は死ね」とゼッケンに書いた先輩というのも豪傑さんですね。私はやはり断固として闘う革命勢力の存在の重要性を再確認できます。
 僕は天皇裕仁が死んだ当日は女の子と一緒に映画を見に行きました。本当は街宣があったのですがそちらは不手際で合流できず。
 ナイトトレインさん「粗野で教養がない」事はその分行動力を秘めている人が多くないですか。インテリのひ弱さとは対局の資質だと思いますが。
 戦後天皇制が残ったのは反共イデオロギーの柱として使えるというGHQの判断のようですから戦後民主主義の限界のようですね。本当に一日も早く天皇戦の廃絶を迎えたい物です。そして働かない奴が良いめをしている今の社会を根底から作り直したいと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月12日 (日) 11時31分

 こんばんわ。

 きみがよはぁ~ きみだけ~のよるさぁ~
 ぼくたちの~ よるじゃぁないのさ~ ♪

清志郎が「きみがよ」を歌った時、ぼくは物足りなくて自分で歌を作って歌いました。

他所の方のブログにも投稿したことですが、ぼくなどは不勉強で素朴というか粗野というか教養がありませんので、単純に日本最大の不労地主が今でもぼくらの国に“憲法”に守られて存在していることが「おそろしく不条理なこと」と思えてなりません。

戦後民主主義は現実の制度として未完成なばかりか明らかに構造上“不備”な機構なのだ。と、ぼくは思います。

天皇制はその地位が象徴であろうと専制君主であろうと一刻も早く廃止すべき存在でしょう。(それは天皇家の人々にとっても初めて本当の意味で“人間”に立ち返る契機になるわけです。)ぼくらは天皇制の檻の中から天皇一族をぼくたち人間の世界へ救い出すべきです!

ぼくは天皇が存在しないこの国の未来像を思い描くことがありますが、決して心の中に喪失感など沸きません。
それどころか、その時初めて長い迷信の頸木から解き放たれるであろう感覚に期待しながら『日本人民の平等実現の喜び』をシミュレーションします。

ともかく働かずに、働く国民の財産を強奪・浪費することは、総理大臣であれヤクザであれ家の親父であれ自衛隊であれ花街のやり手ババアであれ、ナンビトたれ許したくありません。

それから、網野善彦はぼくも大好きで何度も何冊も愉しく読んでいます。

投稿: ナイトトレイン | 2006年2月12日 (日) 07時23分

どうもどうも。また、ネタなんですが・・・(昔書いた記事の再掲)

>その天皇・天皇制イデオロギーに対抗する場合に最も有効な物は何であるかというと、白色テロルに屈服しないことなのだ。

正しい!

1982年の秋のこと。10.31の狭山闘争に伝説の先輩が来ていた。伝説とは・・・ゼッケンに「天皇は死ね!」と書くのだそうだ。やばいべや?まじめに「白色テロル」を心配して、どうかそのゼッケンはやめてくれと、主催者(うちの大学の統一実行委員会)は言うのですが、先輩はおかまいなし。やれるもんなら、やってみやがれ!あるいは、やられたらやられたで、世間に一石投じたことになるぜみたいな感じ。この先輩は特殊でして、このころは、「天皇は死ね!」まででなくても、恐ろしくて、公然と言いにくかったです。はい。

公然と言えるようになったのは、80年代後半からのような気がします。「在位60周年粉砕」あたりが地ならしかな?(これが85年)過激派が言ってくれるし、反天皇制の本が公然と売られていたし、皇居にロケット弾ぶちこんじゃうしで、俺達が多少騒いでも相手にされなくなって、平気で言えるようになりました。Xデー関係のネタがふられるようになり、天皇不要もお話することができるようになりました。

テレビがつまならいんで、レンタルビデオ屋が大盛況で、それに怒った人がレンタルビデオ屋にダンプ突っ込ませるという事件もありましたっけ(^^;上のネタを書いたら、「死ぬのはやつらだ」さんが、「ダイエーは喪章をつけて商売に励んでいた」というネタを提供してくれました(笑)

平成元年、RCサクセションの「カバーズ」,翌年、「タイマーズ」。タイマーズでは、
♪高速道路にポリスが並ぶ♪
♪なんだか、たいへんだね ごくろうさん♪
♪やだな やだな やだやだやだな♪
♪やだな やだな やだやだやだな♪
♪誰かが死んだお葬式の日は♪
♪すべてのハイウェイ 閉ざされた♪
などと平気で歌っています。

小物がマークされなくなる今日を築いた方々、とりわけ、攻撃やら弾圧を一手に引き受けてくれた方々、感謝します。

投稿: kamakazu | 2006年2月12日 (日) 04時16分

 通りすがりさん確かに仰るように二点とも誤解されやすい記述になっていますね。私の趣旨としては通りすがりさんが解釈してくれた内容なのですが。精確な記述を心がけるようにします。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月12日 (日) 03時47分

いつも楽しく読ませていただいております。
話の本筋とはあまり関係のないことなのですが、少し指摘させていただきます。

>今日の象徴天皇制に近い国家権力の一機関に過ぎない
天皇機関説の記述としてはいささか不正確ではないかと。国家法人説を母体として構築された天皇機関説と戦後民主主義体制下に存置された象徴天皇制とでは、少なくとも国政の権能の有無という点から考えれば雲泥の差があるのではないかと思われます。ただ上杉説に比べてという話であれば、あるいは多少なりとも権能が限定されたという点に近似点を求めるのであれば、わからない話ではないのですが。

>武烈の跡を継いだ継体は実は一切血縁が無く王朝の交替であるとするのが歴史学会の説でもある
継体天皇に関してはいろいろな説があります。「歴史学会の説」とまで断ずるのは、いかにもある一定の説が学会における通説であるかのような印象を与えますので、少々語弊があるのではないでしょうか。「そのような説が有力に存在する」という類の表現が妥当ではなかろうかと思われます。

どうでもいいようなことですが、難癖をつけるような真似、お許しください。

投稿: 通りすがり | 2006年2月12日 (日) 03時32分

 非国民さんの仰ることも一理ありますが、現実には天皇一族に対しては敬語を使うことが強制されていますね。同格の扱いでない現実は問題だと思います。
 戦士さん、ニーチェでしたか「神は死んだ」という言葉がありますよね。どう思われますでしょうか。崇高な存在を引きずり下ろす言葉ですよね。天皇についての「菊のタブー」は温存したままで、果たして天皇制廃止論が力を持つのでしょうか?人間、表面だけ取り繕っても中身のない言葉よりは、下品であったり朴訥であったりする言葉に打たれる場合もありますが、どうでしょうか。
 私の天皇批判の根底には天皇と天皇制に対する怒りや憎悪が有ります。その辺についてのご理解をしていただけたらと思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月12日 (日) 01時56分

僕が言っているのは、天皇制を廃止するにしても、それを断行するに当たり、天皇家を罵倒したり、呼び捨てにするといった、敬意を逸したやり方では、同意を得られることもないでしょうし、廃止論がマジョリティにもなりえない、ということです。
人の心を打つような主張には、品位が伴うべきですし、伴わざるを得ないと思うのですが。
いかがですか?

投稿: 戦士 | 2006年2月12日 (日) 00時38分

何も特別に格上げする必要も、格下げする必要も無いように思います。
戦士さん、アッテンボローさん、明仁さん。同列で良いでしょう。

投稿: 非国民 | 2006年2月12日 (日) 00時31分

 戦士さん、先日は感情的になり貴方の二つめのコメントを削除してしまい失礼しましたね。
 さて、私の場合文中にも書いたように敢えて天皇一族については敬称を使いません。その事で他者に敬意を抱いていないと言われるのは少々飛躍しすぎではないでしょうか。落ち着いているときは立場の違う人に対しても出来る限り丁寧に対応するようにしています。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月12日 (日) 00時17分

 元反戦高協さん色々厳しいご指摘を頂きました。勉強不足も多々ありますね。本多著作選と清水選集双方の天皇制ボナパルティズムに関する論文も再学習する必用があると思います。
 色々勉強すべき事が次々出てくるので困りものですが、沖浦和光さん、網野善彦さんの本も読んでみたいとは思っています。
 それから誤りの指摘有り難うございます。早速訂正しました。
 市川電蔵さん初めまして。個人的に信仰の一環として天皇を崇拝する人がいたとしてもそれは問題ないと思います。問題なのは天皇・天皇制を批判すると国家や右翼などが白色テロルを振るうことですね。マスコミなどでも天皇批判はタブー視されています。
 ですから天皇制を批判する自由を確保するという意味で私は90年の闘いは重要であったと思っています。勿論中核派だけが闘ったわけではありませんが。少なくとも国家権力が万能ではないことを誰の目にも明らかにしたと思っています。

投稿: アッテンボロー | 2006年2月12日 (日) 00時10分

>私は基本的に自分のブログでは天皇一族に対して敬称など付けはしない。呼び捨てにする。天皇の「不可侵」という仮面を引っぱがすのに一番簡単で有効なことは敬意を表さないことである。
・・・・・
僕は天皇制賛成、反対とかの議論の前に、
自分以外の他者に対する敬意、畏怖の感覚の喪失というものは、人間としての最低限度の感覚の欠如だと思います。
このような要素が現代失われているからこそ、環境破壊や戦争がなくならないのです。
左翼・右翼関係なく、自分以外に対して敬意を払えなくなっては、他者にメッセージを訴えることも出来ないと思いますし、共感も得られないと思うのですが、
どうでしょう。

投稿: 戦士 | 2006年2月11日 (土) 23時58分

こんにちわ。保守系(自分では中道と思ってますが)な市川と申します。
>だから今の時代で重要なことは天皇・天皇制など存在しなくても何も困らないことを堂々と主張することである。
たしかに何も困りはしませんね。しかし、僕は皇室に崇敬を抱いています。なぜかといえば、世界的に見ても驚愕に値する、永く続く家系であるからです。
「血の貴賎」を認めることが良くないとおっしゃられるむきもありますが、「賎」は認めるべきではないにせよ「貴」は認めてしかるべきと考えているものですから。
天皇制は支配機構ではなく、祭祀を司る文化であると考えます。文化を遵守していくことは、人類のひとつの義務であると僕は考えています。文化の一つや二つ消滅しても困ることはないでしょう。しかし、それを固持したいと思うものも山ほどいます。
今上陛下のご即位にあたって行われたという闘争がどれほどの戦果を挙げたのか記憶に定かではありませんが、貴君が鼻高々に報告すべきほどではないでしょ。
そろそろ中核派も文化の一つになりつつあります。よりよき日本の文化を守るもの同士、楽しくやっていきたいものです。

投稿: 市川電蔵 | 2006年2月11日 (土) 22時58分

天皇制批判はもっと掘り下げが必要です。中核派の天皇制ボナパ論は、ブルジョァ政治支配の体系としての面と、民族排外主義的イデオロギーとしての面とがあり、両面とも階級支配の本質的な問題だと思います。

また、被差別部落の存在とその歴史と言う問題と天皇制は深く絡み合い、沖浦和光さん、網野善彦さんの研究なども重要だと思います。沖浦さん、網野さんなどは元共産党員歴史研究者ですが、自らの苦闘でスターリン主義的歴史哲学を克服していると私は評価しています。

さて、アッテンポローさんの間違いがあります。それは神武=応神ではなく、神武=祟神のことです。神武も祟神も"はつくにしらししすめらのみこと"とよばれています。この分野の歴史学研究者も、古代の奴隷制社会(とよんでよいのかどうか)の構造の研究ももっと必要です。

投稿: 元反戦高協 | 2006年2月11日 (土) 22時49分

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