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2006年5月21日 (日)

冤罪被害者への退学処分弾劾

 法政大学は五月十七日の文学部教授会に於いて、不当にも三名の学生に対する退学処分を決定した。これは三月十四日の全学連二十九名デッチアゲ不当逮捕に於いて不起訴が確定したことで無罪となった学生を法大から追放し、公安警察と一体となった言論弾圧の生き承認を抹殺する為の攻撃である。
 文学部と法学部の計五名は、法政大学当局が憲法改悪に反対する大立て看板の撤去を目的として立て看板とビラ撒き規制を導入しようとしたことに対して、当然の抗議行動をしたに過ぎない。これに対し法大当局は公安警察と入念な打ち合わせの元に二百名もの私服公安刑事を構内に導入し、全国から集まった学生を逮捕したのだ。予め許可を取ったデモ行進の解散地点である市ヶ谷キャンバスに入ることを「不法侵入」、立て看板撤去に抗議のシュプレヒコールを上げたことが「威力業務妨害」だと強弁したが、検察も起訴できず、裁判所も拘留継続を認めなかった。五名は完全な冤罪被害者である。
 彼等に法大当局は規則に無い自宅謹慎処分を出し、今回の退学を決定した。法大生の会のブログでもはっきり弾劾しているが、法大学生運動の歴史の中では数千の学生が逮捕され、起訴されているが、その事をもって退学が発令されたことは今だかつて無い。起訴=有罪では無いからだ。まして今回は国家権力自らが不当逮捕であることを認めた不起訴・無罪確定である。何等処分される謂れは無いのだ。法大当局は文学部三名への退学処分を撤回し、平林総長と安東学生部長は引責辞任せよ。法学部二名対する退学処分策動を止めよ。
 十九日には三百名もの学生が不当な排除攻撃に対して反撃を加えた。学生大衆はどちらに正義が有るかを理解している。不当処分を法大学生運動の再建の梃子として断固闘う五名を支持する。全ての皆さんが法大当局に対して抗議の声を集中しよう。不屈に闘う学生に激励とカンパを送ろう。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 どうも大学その物に進学できませんでしたので、細かい点は分かりかねますが、最新技術を学ぶのも大学の教育の一環ではないのでしょうか?
 自主管理という点で言うと、労務管理の手法などではある程度労働者の自主性に任せた方が労働生産性が向上するという説があります。やる気・自主性をどの様にして引き出すのかと言うことは資本主義社会であっても表面上は重要視しているようです。共産主義社会においてはそれが更に高度な形で要求される物ですね。ですから大学の学生管理・自主管理も社会人として自己を律しつつ責任を持って行動するための練習として意義があるのではないでしょうか。

投稿: アッテンボロー | 2006年5月29日 (月) 22時46分

法のなあなあさ以前に大学というか教育機関というものの本質を見誤っていますね。特に工学や理学はそうですが、本来工場や研究所で使えるような、高価で性能の良い機材をアマチュアかセミプロである学生及び院生に任せているという所でもあります。

厳密に法の適用をすると、教育機関の基本である知識や技術の伝承というものができなくなるなるため、なあなあなんです。特に現在のように高度化した学問体系を持つ時代ならなおさらそう。プロジェクトチームが細分化され、本来だったらプロの教授や助手がつく装置に、促成教育を受けたセミプロの院生が受け持っているのが現状です。

学生や院生はアマチュアですが、社会人は基本的にその職種のプロです。そこの違いを厳密しないと社会人としても存在意味がなくなると思います。

自分の大学も俗にいう自主管理でしょう。ただ自主管理や学生管理なんて言葉は聞いた事がないです。せめて学内の安全委員会がたまに通達を出すだけでしたね。理系の特有の風土というか気にしていたのは、毎年配分される予算に、科研費や民間からの支援がどの教授にいくら来るかのほうでしたね。

投稿: くるる | 2006年5月29日 (月) 21時27分

 ご紹介の厚生労働省のサイトの文言を読んでみましたが、簡単に見ても資本を利するだけの改訂=改悪であると思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年5月27日 (土) 22時23分

労基法の改正検討の労政審はこれですね。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/04/s0411-2a.html

 課長一歩手前の主任クラスが、管理監督者でもないのに、こき使われるというわけ。解雇が容易になる。いわゆる革命的党派は、上場会社のホワイトカラーは、対象にしていから言及はないなあ。一番まともに関心を寄せて報道しているのは、日経というのは皮肉(ホワイトカラーが読者に多いからね)。

1.日経 4月12日 雇用多様化へ法整備 
2.日経 4月17日 労働契約めぐる審議 
3.朝日 1月25日 週40時間労働制限
http://plaza.rakuten.co.jp/socialsecurity/diary/200601250000/

投稿: 元祖趣味者 | 2006年5月27日 (土) 16時21分

 文系サークルでなくて体育会でも試合や合同練習で学外者が来ることはあると思います。大学というのは出来るだけ多くの人に開かれている物であるべきだと思います。自分は進学していないので細かい点では分からないことが多々ありますが、大学の学問自体共同研究や学会の会議などで交流があると思うのですがどんな物でしょうか。法政に関してはそれこそ、改憲に反対する活動だから規制・弾圧するという本当に言語道断なことだと思います。
 法規制や正規取り扱いを守ろうと主張するのは組合として本当に必用なことですね。でも労基法を改悪してサービス残業を合法化しようという動きもありますから、法制度その物を守るための闘いも必用ですね。
 大学でも社会でも「あそび」が必用なのだと思います。その中で育まれる物が次の社会の芽になるのではないでしょうか。

投稿: アッテンボロー | 2006年5月27日 (土) 09時43分

>実際問題各種法令などを守ると業務が停滞する
>現状があるのですが、それに対して法令を遵守
>しても業務運行が出来る要員配置を求めること
>が本来の労働運動のあり方であると思います。

そそ、その通り。うちの会社の労組も、36協定や工場の一斉休日中の休日就業(顧客への供給がおいつかない時の操業など)は、原則的に対応する、それがなければ組合でないし、規制する側のあたしも、きちんとそう指摘されると、操業をいう事業部やお客様にも言い訳になるし、それで歯止めになるので助かるのです。

>大学における「自主管理」に見せかけた学生管理は、

これはエリート教育の特権と揶揄することもできるが、しかし、長い歴史の学生自治で諸先輩方が苦労して獲得した、維持してきた権利でもある。都合のよい「管理」かもしれない、けれど、この「自主管理」が溶媒となって、あるいは腐葉土となって、そこから自主的創造的活動が始まる。この「余裕」をなくそうと発動されたんが1971年中教審であり、愚劣な現実化としての学館の解体であり、ないしは自治寮への規制なんだっただろう。いやだいやだ、ちかごろの老人は頭が単細胞だ。

投稿: 元祖趣味者 | 2006年5月27日 (土) 07時04分

私の大学は総合大学だったわけですが、演劇や福祉等の文系サークルだと、学外のサークルのと連携とかありますので、敷地内に学外の人が居るって事は普通の事だったと思います。この点は理系の単科大学の人とは違いますね。まあ建物内に入る時には管理の問題があるので学外の人は遠慮戴いてた事はあります.
憲法の関する論議は「法政大学」ではより重要な問題であり、それを大学の当局の気に食わないで弾圧する事は問題であるのではと思う。


投稿: 名無し | 2006年5月27日 (土) 01時37分

 公式非公式という問題では、実は労働運動の闘争手段の中に「順法闘争」という物があるのです。これはどういう物かと言いますと法律や各種の規制を徹底して守るという物です。例えば郵便局の場合ですと道交法を厳守して速度違反をしない、一旦停止は必ず守る、積載量を守るために一回一回配達に出る前に郵便物の重量を量って規制値を超える郵便物は局に置いていく。等々があります。こうすると、とたんに業務が回らなくなってしまいます。
 処が各種法規を安全のために設定された基準値として見た場合、使用者側はそれに対して各種の命令を出して違反させることは出来ませんし、法令を遵守したことで労働者に処分を出すことも出来ません。この闘争方法は結構有効な物でした。最近ではその様な戦い方をする労組は本当に少なくなりましたが、数年前に動労千葉が有機溶剤の使用方法を巡って闘った際には全面勝利をしていますし、関生の場合にも「シャブコン」と呼ばれる水増ししたコンクリートを販売することでダンピングしている生コン業者を追及して労働条件向上をは額闘いを行っています。今日なお順法闘争は有効であると思います。
 実際問題各種法令などを守ると業務が停滞する現状があるのですが、それに対して法令を遵守しても業務運行が出来る要員配置を求めることが本来の労働運動のあり方であると思います。
 2000年でしたか、東海村での核臨界事件でも、労働強化によって違法な作業手順が作成され、それすらも破った作業が行われた結果起きた事故でした。日航の事故や故障の多発にしても法令で定められた点検や部品改修を怠った結果起きています。過度のリストラと称した首切り合理化は結局事故の元です。昨年のJR尼崎事故などはその典型だと思います。
 大学における「自主管理」に見せかけた学生管理は、ある意味巧妙な手法でしょうね。法政のように強権的に弾圧して当局の方針を徹底しようとすると学生の反発を招き学生運動が高揚します。東北大学有朋寮の問題でもそうではないでしょうか。

投稿: アッテンボロー | 2006年5月26日 (金) 23時52分

>必ず守れと言われるのは消防法だけです(それもかなり怪しい)。
>法に関してもなあなあです

法というものの理解の仕方が、どうもちがいますなあ。前にも書いたけど。法は、字面どおりにそれを守らせるという代物ではないはず、法の内容が示すビジョンへ向かって、漸進するというのが本質かもしれない。守られていないから、その法じたいが役に立たないとか、守らせるために運用を厳しくしろ、という議論が先にあるのではなく、どういう状態にもってゆきたいから、その法は機能・役割を有するかでしょう。障害者雇用だって%を大企業は守っていないでしょう。だからどうしてゆくか、という運用での苦労・工夫が必要。

 有害物質や有機溶剤の規制でも同じことが言える。どこの研究機関も定められた「倍数」以上の溶剤を保管しているようだし、廃液の処理だって。そうそう、規制以前の既存不適格なんてざらに残っている。

 僕のいた大学では高度な「学生管理」があった。学生は自主管理していると思っている、けれど、大学は「自主管理」も含めて管理しているのであって、なあなあ・無規則状態に放置していたわけでなかった。きちんと規定はあるのだ。無秩序なのではなく、「規則正しく乱れている」って学生部がゆうてたもの。そういう緊張感があったときには逆に、不審火や騒動はない。火事を起こさないように、ゴミや煙草を使用者が自主管理する。むしろルールでしばると、使用者が字面だけをみるようになって、リスク意識がいい加減になるものよ。その結果が法政の学館だろう。そのほかにも不審火で問題になったスペースは多い。

 とはいってもミスやルール破りが許されないクリティカルなリスクもある、それが原発や、P3などのウイルス施設、飛行機の設計・保全、有害物質なら電源のPCB。本当に管理すべきところに絞って、工数投入を重点化すればよいのに。全部を管理しよう、規制しようとするとダメになるよ。

投稿: 元祖趣味者 | 2006年5月26日 (金) 20時39分

大学や研究機関は公式、非公式をうまく使い分ける場所だと思いますね。必ず守れと言われるのは消防法だけです(それもかなり怪しい)。

法に関してもなあなあです。自分の経験も含めて法に触れることを散々やっています(電気やら、放射線やら、廃棄物やら,有毒物取り扱いやらetc)。でも公式には特に問題なしという扱いです。

某大学は公式にはアスベスト完全除去を言っていますが、非公式には存在します。遺伝子改造したマウスが相当数逃げていますが、公式には紛失なしとなっています。

なあなあな場所ですから、なあなあな対処されてもしかたないと思います。自分は大学には実験のヘマなどで相当金銭的な損害を与えましたが、成績優秀のはんこを押してもらいましたよ。そんな、なあなあさから自分は大学や研究機関を結構気に入っているんですよ。

投稿: くるる | 2006年5月24日 (水) 22時20分

 先ず、学則にもない自宅謹慎処分が許されるのかどうかという問題を検討していただきたいと思います。日本は建前上罪刑法定主義です。その場合不起訴=罪に問うべき問題はなかったと言うことです。そうであるのに法大当局は逮捕されと言うそれだけを持って退学処分の根拠としています。では、学生たちが対話されたのは何故でしょうか?それは法大当局が公安警察と一体となって、憲法改悪に反対し学内での言論の自由を守ろうとしたことに対する弾圧としか言えません。当局に正義があるのでしたら学則の何条難航に基づく処分であるとして根拠を説明できるはずです。実際には何の根拠も示されていません。ですから私は、法大当局が弾圧のための弾圧、憲法改悪に反対する学生の排除を目的とした思想弾圧であると思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年5月23日 (火) 22時28分

>>くるるさん

有朋寮の話と法政大学の話では関連性が全く無いというわけではありませんが、一応別の事件だと思いますから個別に何が起きているかを理解するほうがいいと思います。

「完全な敵対行為を少人数で相手にした学務課の人には同情しますね」というのは完全に事実誤認です。法政大学の当局はあらかじめ事件の前にものすごい数の警察を待機させておいて、時を見計らって逮捕に踏み切ったのです。全ては警察と事前に打ち合わせた上での話だったのです。少人数だったのは学生側です。

映像がフジテレビの放送で公開されており、ネットでもダウンロード可能だと思いますのでご覧になられてください。

投稿: なんだかねえ | 2006年5月23日 (火) 21時46分

すこしその問題がらみのサイト見せてもらいましたが、やはり理系と文系では考え方などに恐ろしく深い溝があるように思います。それとも総合大学とはそんなものなのでしょうか?

有明寮の学生さんは理系でも例外のような気がします。まともな理系は基本的に学問がメインですから。

完全な敵対行為を少人数で相手にした学務課の人には同情しますね。似た経験がありますから。

学内の混乱による部外者などからの私物盗難を防ぐという意味ではおかしくないと思うのですね。実験後などに財布がない!どうしてくれる!と泣きつかれる院生の立場を思うと。学外生の立ち入りは許可制でいいと思いますから。ご存知ないかもしれませんが、学内の盗難は無視できない程度に多いのですね。

政治的思想ではないのですが、理論解釈の違いとかでしょっちゅう吊るし上げ食らっている身からすると、もうちょっと抗議側もスマートにできないのかなと思います。


投稿: くるる | 2006年5月23日 (火) 21時28分

>>くるるさん

学生は騒ぐといっても器物損壊をしたり他人に暴行を振るったわけでもありません。法に触れることなど何もしていないのです。盗難などとも無縁の話です。治安維持の話と今回の件を混同しないでください。

ただ一つ考えられる理由は、政治的思想が大学の教授陣や当局と違った、それだけでしょう。

投稿: なんだかねえ | 2006年5月23日 (火) 20時58分

法政大学のイメージは学歴ロンダリングなる素晴らしき言葉を生み出した某編集長が卒業した大学ですね。それですごく有名です。

あと箱根駅伝ですか。MARCHでは一番下という格付けと聞いています。

どうも理系の単科大学にいたので、この手の話はよくわかりませんね。そもそも立て看板も見たことないので。

サイト見せてもらいましたが、学外生20数人に対して本学生が5人程度で騒いだとなれば警備員や警察によって普通に排除されるのではないのかなとは思うのです。

自分のいた大学では校舎内や実験棟周辺の管理維持は大学院生も担当していたので、安全管理や盗難を防止に学外生らしき不審者は身分証の提示を求めたこともありますね。

さすがに夜中は基本、疲れてへろへろですから機材を守る面からも研究室内に退避するべしという了解がありましたよ。

投稿: くるる | 2006年5月23日 (火) 20時29分

私は彼らの犠牲を他人の犠牲と考えちゃ駄目だと思う。彼らの痛みは私の痛みでもあり全左翼の痛みでもあります。

私は、法政大学の退学処分を受けた学生たちを全面支援します!(でも学位は取ってください、お願いだから)

投稿: なんだかねえ | 2006年5月23日 (火) 17時35分

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» 「不起訴」の学生を「退学」させるのか [++つぶやき手帳++]
もはや「いいは 悪いで悪いはいい」の世界なのか、私には理解できない。 法政大学で憲法改悪反対の立て看板撤去に抗議した学生たちが大量逮捕(29人)された事件である。 大学で抗議すると逮捕される時代(3月21日エントリー) 法政大学の学生弾圧 抗議文への賛同を(3月24日エントリー) 学生たちは10日間の拘留後に釈放され、その後不起訴が確定した。 こういう事例が重なると感覚が麻痺してくるかもしれないが、結果が「不起訴」の場合、逮捕自体が不当なものだったと考えるのが普通ではないのか。... [続きを読む]

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