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2006年6月24日 (土)

神も仏も有るものか

 息子としてババ抜きをしていて、「ババァはおらんな」等と下らない事を言い合っている。二回ほど私が勝つと息子は半ベソをかく。「○○の熱い心は負けへん。燃える心をお父さんにぶつけたるねん。お父さん火傷するからな」と必勝の意気を示している。
 だが三回目も私が勝つと「お父さんの心は冷たい。水の心や。○○の炎の心は消されてしまった」と言う。実は私が勝てるのは息子にはポーカーフェイスが出来ない為にババを持つとどれがどれか教えてくれるからである。あるときはババだけが天地を逆に持っているし、またあるときは私が引こうとする方向にババを動かして教えてくれる。その都度敗因を説明するのだが、しばらくすると忘れてしまう。
 「神様はなんで助けてくれへんの」と宣う。私は共産主義者であるから、当然宗教を信じない。子供達にも折りに触れて神など存在しないと教えている。「神様がいるならなんで病気で苦しむ人が居るの?なんで貧乏人が居るのかな?戦争は何故無くならないの?なんで賢い○○が病気で入院しているのかな?」と教える。信心深い人は怒るだろうが、私は子供達には神や仏に頼る人間にはなって欲しくない。昔の科学が未発達の時代にはそれなりの存在意義があったが、今日では支配階級が被支配階級を騙すために存在している。自民党の次期総裁候補である安倍晋三が先日統一協会の合同結婚式に祝電を打った様に、政治家と癒着が甚だしい。
 キリスト教に於ける「危機神学」や「解放の神学」は一定評価するし、一向宗等には敬意を感じるが、殆どの宗教家は詐欺師だと思う。現実に財産を溜め込んでいる坊主が上得意であるから、余計にそう感じるのだ。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 怪星人カピアさん色々と詳しい情報をどうも有り難うございます。宗教も被支配階級の物か支配階級の物かで、まったく性格が変わってしまう物だと思います。重要なことは支配され・搾取され・抑圧され・差別されている人々の立場に立ちきる宗教者がどれだけ存在するのかと言うことだと思います。紫の衣を着ている坊主など、所詮は庶民の苦しみを知ろうともしていないのが現実でしょうね。
 宗教その物も労働者の階級的立場から検証し、その性格を広く知らしめる必用があると思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年6月29日 (木) 18時08分

どうも、又失礼します。
信仰という物は、有史以来社会の基礎としてきた(正確には支配者が被支配層を統率、束縛する為の)思想だけに、社会生活をしている限り、何も教えられずとも自然と神や悪魔(に相当する何か)の名を口に出す程、染み込んでいますけれど、こうした根拠は無いけれど皆が抱いている畏れの考えは、殆どの場合悪用されていると(小はカルト宗教、大は政府に影響力を持つ既成宗教によって)、自分は見ています。
少なくとも今は、既成新興何れの宗教の教義が、科学的根拠の無いトンデモ思想である事を言えますし、同時に信仰を金科玉条の如く喚いて、其に殉する事を強要する者達に異を唱える権利がありますが、残念な事ですが、世界的に逆行した状況に陥っています。腹黒い目論見を大義名分で隠し、他国を蝕もうとする側と、古い教義や道徳観を精神的支柱にして、無謀な抵抗を為している側とて争っていて、其に異を唱える理性的な声は、小さくなっています。勿論日本も例外ではありません。
然し、少数派となっても理性を訴えられる方が、少なくとも人として正しいと、自分は思いたいですね。

くくるさんの紹介したblog見ました。でも自分的には、ナチやファシストの暴虐を見過ごしてきた(裏では協力していたという説もありますが)ローマ教皇庁がそう言ったから、「だから何?」という印象しかありませんです(ネタ元が産経の記事じゃお笑いになってしまいますよ、失礼ですが)。
御題が信仰なんで、永井豪の『デビルマン』と蛭子神健(元)『出家日記 ある「おたく」の生涯』辺りをお勧めしたい処ですね。
『デビルマン』は説明不要の名作ですが、悪魔の総攻撃に混乱する人間が、自ら現世地獄の様な状況に陥る様子は、現実の中でも有りますよね。
『出家物語・・・』は初期オタク文化の立役者的存在でありながら、自己破綻して紆余曲折の末僧侶となった著者の自叙伝ですが、良い話です。
・・・又もや長々と勝手に書込み、すみません。

投稿: 怪星人カピア | 2006年6月28日 (水) 22時46分

 なんだかねえさん本当に最近の国家神道は鬱陶しいですね。明治以前の神道はもっと大らかなものだったと聞いています。神主が一揆の指導者になったり、結構反体制的な側面もあったようですが、今日の国家神道は体制の犬でしかないですね。
 くるるさん、日本人が本当の絶望というものを味わったのかどうか、今の私には判断が付きかねますが、少なくとも一向宗に対する織田信長の「なで切り」やアイヌ民族に対する絶滅政策・沖縄人民への皇国公民教育などは民族絶滅=「異教徒=死」とも通じるものではないかと思います。
 熊祖・隼人・蝦夷・エゾなど和系日本人は滅ぼしてきました。和系日本人は日本史始まって以来、基本的に「殺す側」「滅ぼす側」であっただけで、その事から来る民族抹殺の意味や政治的意義については十分に熟知していたと思います。ですからその意味では自分たちが滅びる危機に直面していない「甘ちゃんな民族」なのかも知れませんが。
 護憲的コケシさん、今日の人智を越えたものが存在することは科学万能神話との関連で否定してはならないと思います。江原啓之については詳しく知りませんが、細木数子に関しては連関商法で多くの人々を騙してきた詐欺師であると思っています。少なくともテレビで数々の「預言」を行って、その八割方が外れていますから、偽「霊能力社」でしょうね。
 久々さん、日本人だから戦争で命を投げ出すのが当然のことでしょうか? 少なくとも戦前の日共スターリン主義は戦争に反対して獄中に囚われた者が沢山いました。殆どは途中で転向しましたが。
 日本が戦争をしない為に命を投げ出すことの方がより多くの人命を救うことに繋がると思います。それが共産主義者の考え方です。国旗国歌などくそ食らえです。そんな物のために処分されること自体が間違っています。人民に死を強制するのなら、その様な国家こそ滅ぶべきです。一人一人の人間が尊重され、大切にされる社会を作るために「個に死して類に生きる」のが共産主義者です。括弧内は本多書記長の好きだった言葉です。

投稿: アッテンボロー | 2006年6月28日 (水) 21時57分

>君が代を歌わないのや天皇を尊敬しないのは現世で地獄を味合わせてやろうと日々「異教徒狩り」をしているのが国家神道のやっていることだ。

異教徒狩りってこんなレベルじゃありませんよ。
現世で地獄を味わうってのは、日本じゃ無理。
アメリカに行ってKKKにでも捕まったら地獄を味わえるかもしれませんね。
貴方の言ってることは「韓国人は日本軍に黒人の奴隷狩りのようなことをさせられた」って言うのと同レベルだと思いますが。
まぁ、異常な目で見られるのは普通だと思いますよ。
日本の象徴である天皇や、国歌に敬意を払えないのはおかしい。
自国のために戦って死んだ人を「無駄死に」とか言うのも変。
自分の親父とか祖父とかも戦争で死んでいったんだし。
これらは宗教ではなく、その国の人間として当たり前のこと。
こういう問題があるのは日本だけ。
(これは現在の価値観で。戦前の価値観は私は生きていないのでわかりません)
靖国はローマ教皇も認めてるし、純粋な宗教施設という存在ではないと思います。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid59.html

日本と世界の宗教の違いは、くるる氏も言っていますけど、日本では絶望や恐怖に対して神に祈るのではなくて、未来も平和であるようにと祈るのが習慣になってます。
また、他では災害は悪魔の仕業ですが、日本では神の祟りですよね。
他にも、欧州などでは自然は人間が克服するものですが、日本では共存、若しくは崇める対象となっています。
そういう面で、日本は独自の文化を切り開いてきました。
自然を大切にし、物を大切にしてきた。
物を無闇に捨てたり、無駄遣いをすればバチが当たる。夜遅くまでおきていると、妖怪に攫われる。
そういう「バチ」を「恐怖」と感じずに「当たり前の事」として考えてきたから、今の日本があるのではないでしょうか。
現在、こういうのがなくなることによって、日本人としてのアイデンティティーが無くなっていっていると私は思うのですが……

投稿: 久々 | 2006年6月28日 (水) 16時56分

 こんにちは。

 たった今自身のブログで政教一致の危険性に触れた記事を書いたのですが、ここでもそういった記事(とコメント)に触れることができ、嬉しいです。

 さて、では僕自身の宗教観はというと、「宗教は国家にとって最大の支配のための道具である」という点でアッテンボローさんと一致してはいますが、江原啓之などでブームとなっている「スピリチュアル」なものに関しては全否定はしません。

 なぜならば、そういったものがないと完全に信じきるのも、人間の成長には良くは無いと思っているからです。もちろん、歴史や社会に宗教の論理を持って来るのはナンセンスですが、たとえば「私も『オーラ』が見える」、「俺は霊感が強い」などといったことは信じすぎない程度に「そうなんだ、そういうのが強い人っているよね」と受け取っています。まあ単純に面白い話ではありますが、そういったスピリチュアルに神道が入り込んできそうな予感がしているので、それへの警戒は怠らないようにしたいと思います。

投稿: 護憲的コケシくん | 2006年6月28日 (水) 15時38分

上はくるるです。脱線失礼しました。

投稿: くるる | 2006年6月28日 (水) 12時33分

>>君が代を歌わないのや天皇を尊敬しないのは現世で地獄を味合わせてやろうと日々「異教徒狩り」をしているのが国家神道のやっていることだ。

まだ現世にいれていいじゃないですか。

本当の非寛容というのは「異教徒=死」です。

日本人は本当の絶望というものを知らないと同時に、「本当の非寛容」というものを知らない、世界で言うなら相当甘ちゃんな民族なんですよ。

宗教以外で一例を上げるなら、日本の科学技術の根底には「余裕と明日への希望」というのがありますが。欧米の場合「恐怖と絶望」というのが根底にあるんです。「恐怖と絶望からの回避」というのが、近代科学の進化のベースなんです。そういった意味で日本の科学技術界というのは異端なんですね。

投稿: | 2006年6月28日 (水) 12時31分

つまり絶望というものの程度というものでしょう。

ある長崎出身の教授がいたのですが、原爆を表現するのにカタストロフィーなる表現を使ったのですね。それを聞いていた外国の教授たちが笑いだしたそうです。

そりゃあ普通日本人なら怒りますよね。笑った原因はカタストロフィーなる言葉を使ったこと
らしくて、外国の教授曰く、確かに大きな被害を受けたし、後遺症も甚大だ、だがしかし「ちゃんと助けが来ているじゃないか(多分救援部隊のこと)」そして「20年も経たずに復興しているではないか」という趣旨のことを言ったそうです。

彼らの程度でカタストロフィー言うのは、完全に全滅し100年や200年たっても復興すらできない、救いの手すら差し伸べられない状況のことをいうそうです。

絶望の程度の違いというものを知らせてくれるエピソードだと思います。

投稿: くるる | 2006年6月27日 (火) 22時49分

昨今ではキリスト教徒よりも押し付けがましいのが神道の信者である。

「国家」神道の信徒は八百万の神だから寛容であるとかぬかしながら、もっとも価値観の多様性を尊重しない原理カルトである。

君が代を歌わないのや天皇を尊敬しないのは現世で地獄を味合わせてやろうと日々「異教徒狩り」をしているのが国家神道のやっていることだ。

投稿: なんだかねえ | 2006年6月27日 (火) 22時20分

 くるるさん、日本人が絶望的状況を経験していないというのはどんな物でしょうかね。飢饉や疫病、地震に大火に戦災など色々と経験していると思いますよ。後半の部分については詳しく分かりませんから一先ずうかがっておきます。

投稿: アッテンボロー | 2006年6月27日 (火) 18時56分

 久々さん、宗教に関して言えば科学との関連だけを書いていましたが、思想という点で多くの宗教が元々は被支配階級解放の革命的意義を持っていた点は評価すべきだと思います。NKさんが色々書いて下さっていますが、私自身原始キリスト教や初期の仏教、あるいは時折中興の祖が出てきた時期など被支配階級が支配階級と闘う際の思想的支えになっていますから、それらの人々は立派だと思っています。後、中国などでも道教系の宗教が民衆反乱の母体になっていますよね。黄斤の乱や太平天国の乱など。
 お墓や葬式の問題で言えば、マルクスもレーニンもお墓はありますし、葬儀もありました。私も妻には無宗教で出してくれるように頼んでいます。出来れば組合葬か人民葬が良いですね。赤旗にくるまれて棺に入りたいと思います。
 共産主義者は宗教を否定することから、誤解を受けることが多いのですが、故人を偲ぶ事に関してはまったく同じ人間です。宗教が介在しないだけですね。
 科学の話に戻りますと、私は万能ではないと思っています。今現在の限界がありますから。一番分かり易いのは原子力を人間は完全に御することが出来ませんよね。もしかしたら不可能なのかも知れないとさえ思います。大切なことは現時点で出来ることとそうでないことの区別をつけることだと思います。その意味で宗教その物を撲滅しようだなんて思っていません。私は信じないし、他人が信じるのは構わないけれど、それを余人にたいして強制したりしないで欲しいのです。
 NKさんの言われるように共産主義社会になって初めて宗教の存在意義が無くなり、国家と同様に「死滅」するのではないでしょうか。
 パルチノフさん、キリスト教系の大学の場合殆どが天皇制との関係である程度の「自由」がありますよね。強制されなければ存在しても良いかとは思います。権力と結びついた時に腐敗している者が多いですね。その点は革命党も革命運動もそうならないように自らを戒める必用があると思います。
 和破波さん、「電脳戦機バーチャロン」は名前だけは聞いたことがありますが、その様な内容だったのですか。何となく面白そうですね。
 安部晋三などが靖国参拝と統一協会や何とか言う新興宗教とを平気で掛け持ちできるのは、彼らの内面には本当は信仰心など無いからなのでしょうね。飽くまでも大衆を支配する手段として重用しているのだと思います。その意味で彼は宗教の向こうにブルジョア国家の階級支配を見ているのではないでしょうか。
 くるるさん、曹洞宗はその様な考え方なのですね。私の家は浄土宗ですが、全くと言って良いほど私には興味がないものですから、教義についてもロクに勉強していません。「困った時の神頼み」を否定しているのは良いですね。労組交流センターでも「自力・自闘・連帯」という旗を掲げています。先ずは自力で闘うことから始まると思います。

投稿: アッテンボロー | 2006年6月27日 (火) 18時42分

日本人というのは神にしかすがることしか出来ない絶望的な環境というのを基本的に体感したことがないのでしょうね。

だから宗教と言うのが相対的に語られるし、仏教徒と神道やキリスト教との本来対立すべきものも共存しあまり軋轢がないのでしょう。

さらに日本人は「神を喰う民族」ですからね。

神々を恐れの対象にすると同時に克服の対象にするのは日本人ぐらいではないでしょうか。他の民族だったら悪魔など、別の存在にして克服の対象としますからね。そういった意味で日本人は特異な存在でしょう。

投稿: くるる | 2006年6月27日 (火) 18時05分

どうも久しぶりにコメントを。

うちは代々曹洞宗でして、結構座禅や冬寺での修行とかしていますね。

この曹洞宗のすごい所は「神仏に頼るな」というのが基本原則なんですね。ようは「周りに頼るな自分で考えろ、何かあっても自力で切り抜ける精神力や知力を身に付けろ」ということで、乱暴と言えば乱暴なんですけど、結構この考えが好きなんですよ。

「修証一如」というのがあって、無限の修行こそが成仏である、といいますが、研究やっているのも座禅組むのも大して変わらないです。

投稿: くるる | 2006年6月27日 (火) 17時49分

 失礼ながら書き込ませていただきます。
 宗教は難しいですね。
 靖国神社を熱心に参拝している安倍晋三を初めとする
保守議員と統一協会との関係を見ると、
伝統を語っているからといって
淫祠邪教に反対するわけじゃない事を思い知らされます。
かと言って、神様を拝まなければ済むと言う
訳でも無いのが厄介な所ですよね…
 「電脳戦機バーチャロン」というゲームがあるのですが。
このゲームの舞台となる「電脳暦」ってのが
資本主義が発達した結果、国家の解体とそれに変わる
多国籍企業による生活サービス提供が進み
「国境」や「民族」が無意味となった世界なんですが、
設定本を読むと面白い描写があるんですよ。
 「この結果、旧来の国家行政機構は明確な
施政対象を失いはしたものの、そういった人々の
精神的帰属意識の拠り所として機能することに
その存在意義を見出すことになった。
かつての有力国家の首都は聖地となり、
類型的意味における宗教的理念の発信地として
無視できない影響力を維持するものも少なくなかった」
 …全てが商業ベースで運営され、行政どころか
価値観や理念まで商品として流通する電脳暦は
製作者が現代社会を戯画化した物、という話も
聞いたことがあります。
靖国神社に参拝する人の中にも、「英霊」でも
「戦死者」でもなくその向うの「国家」を見て
拝む人が、結構居るかも知れませんね。
 結局、「自分で選んだ結果を自分で引き受ける」事を
きちんと行ってゆくしか無いのでしょうか?
 長文失礼いたしました。
ご家族ともども、お体をお大事に願います。

投稿: 和破波 | 2006年6月27日 (火) 04時00分

 僕はキリスト教系の某大学に通っていますが、入学式の時に君が代を歌わなかったのが良かったです。校風がキリスト教というだけでそれ以外は何も強制されないので非常に居心地がいいです。
 家がキリスト教徒で祖父が教会をやっているからという分けではなりませんが、キリスト教の宗教理念自体は良いと思います。しかし、カルト的な宗派や宗教上の大義で他人に迷惑を被らせるのは良くありません。イスラム教の同性愛者には死刑というのはちょっと・・・。ちなみに、僕は左翼で無心論者ですが超自然的に霊や超能力はあると信じています。
 中にはイエス様の影響で極道から足を洗って牧師になったヤクザもいるくらいですから、神様の存在もあったものです。

http://www.netpal.co.jp/barabbas/

 最近では特定の宗教にとらわれないユニークな葬儀もあるようです。亡くなった人の希望次第ですが、○○葬とか××葬とか。

 息子さんも早く元気になるといいですね。お大事に。

投稿: パルチノフ | 2006年6月26日 (月) 23時21分

ちょっと宗教という点で関連記事がやってきましたよ。

【裁判】 「最高裁、逃げた!靖国の憲法判断しないとは」 靖国訴訟原告団、怒りの声★2
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1151171329/

まぁ当然の結果。
しかも国立追悼施設こそ意見というのもありますし。
左翼の人々はよく「政教分離」というけど、法律と宗教は分離しなければいけないけど、政治と宗教は結びついても構わないと思います。
ですから私は公明党の存在は嫌いですけど、悪いとは思ってません。(まあ、その母体となっている創価が色々やってるから悪かもしれないけど)
アッテンボロー氏は政教分離についてどの程度を持ってすべきと考えているのでしょうか。


ところでアッテンボロー氏は、神も仏も信じないというのならば、お墓とかどうなってるのでしょうか。
すごく気になるのですが……

投稿: 久々 | 2006年6月26日 (月) 18時48分

前の文章ですが、日本語になっていなかったり、日本史の史実がごちゃ混ぜになっていたりで誠に申し訳ありません。

投稿: NK | 2006年6月26日 (月) 11時48分

宗教と社会というのは学問的に見れば、大変興味深いテーマだと思います。実際、日本でも仏教系やキリスト教系の大学などでは大変水準の高い研究がおこなわれてきたと思います。ここでは重要なことですが、史実、思想、科学と信仰は厳密に区別されていると思います。またそうでなければ社会科学のひとつの領域として学問的に成立しないでしょう。仏教史やキリスト教成立に係る領域などは、考古学ともからんでなかなか興味深いものがあると思います。

さて長い前置きでしたが、上に揚げた研究などともからんで、今日私たちが知っているような宗教がいつ頃から成立したのかと言うようなことを考えると、やはり血縁を基礎とした氏族社会が解体して、社会がそれぞれ対立する階級に分裂し、国家が生まれる文明期からであろうと思います。
それまでの氏族社会は日本でいう氏神様(これも本来は血縁によるもので、今日の地縁的なものではない)のようなそれぞれの氏族の守り神であったものが、社会の階級への分裂により、国家と共にその守護神(ここでは人間ではなく、その支配する領域を守護する)ギリシャの都市国家の神々のような存在に変容していったのではないかと思います。日本の場合は、国取物語のような過程を経て、古代天皇制による支配が成立していきますが、支配する氏族の連合体としての国家と言う性格から、とりあえあず神々の序列化とその神話としての固定がおこなわれたのではないかと想像します。にもかかわらず、古代天皇制国家は一方では人民の逃亡、支配的氏族内部での抗争がやまずついには壬申の乱の内乱となって爆発します。
ここにいたって、それぞれの氏神もまったく要をなさなくなり、律令制国家体制と共に仏教が輸入され天皇をはじめとして支配階級が一挙に仏教に帰依することになります。こういう事情により、日本での仏教の役割は、当初律令制国家を守護する目的のために、その教義を人民に布教することは、厳罰を持って禁止されていたのですが、それが人民の間に広まるのを長くは阻止できなかったようです。
こうして、古代の日本人民は、律令体制としての天皇制国家の支配の完成という敗北の元で、仏教の教義によって将来の反抗を準備する、イデオロギー的武器を手にすることになるのです。もっともこれは相当後のことになりますが。
この他にも、神道の成立が、天皇制国家の没落を契機としておこなわれたこと、特に天皇家の氏神たる熊野神社の変転などは、面白すぎるのですが省略します。

目を他に転じると、モーセによって始められたユダヤ教がその当時奴隷として連れてこられていたエジプトのユダヤ人の反乱と逃亡にあたって、モーセを指導者とし、モーセの教えの元に結束したという事実は、奴隷の境遇からの解放のイデオロギーがユダヤ教という宗教の形をとって与えられたとう風に考えられます。
同じようにキリスト教の成立過程も、ローマ帝国による地中海世界の支配に対するユダヤ世界の反抗を背景にもっていますが、当のユダヤ社会の分裂のためにユダヤ人の間で主流とはならず、かえってローマ支配化の諸民族のあいだに広まり、その目的も民族の解放とかではなく、諸個人の救済という形で世界的宗教としての形を整えていくのだと思います。のちにキリスト教会はローマ帝国末期の国教となり、その後は中世ヨーロッパの支配的イデオロギーとして君臨することになります。
余計なことを書きすぎたようですが、エンゲルスによる「ドイツ農民戦争」の中では、農民の指導者としてヨハンフスやトーマスミュンッアなどのの革命的思想を持った僧侶が現れ農民と都市下層住民の蜂起を指導します。

これまで見てきたように、近代以前の諸階級のイデオロギーと党派は、支配的宗教並びにそれに抵抗する宗教改革運動として表れるということでしょう。(近代以前のイデオロギーは宗教をとおして自己を表現した)

また、宗教の宗教としての成立も社会の階級社会への分裂によって国家の成立とほぼ同時期に現われること、基本的にどの宗教も人間のかつての失われた共同体的本質の回復をその理念としているのもその為です。
したがって共産主義社会の建設と人間社会の階級社会としての分裂の止揚は、多くの宗教の理念を現実に実現することですから、人はもはや宗教を必要としなくなるであろうと考えます。
かつて人類の歩みの大部分は、自分たちの外に対立的に存在する自然を神としてその掟に従ってきました。文明期に至ると自分自身の生み出した生産力によって、支配されることになります。そこでは、個人の魂が救済されることを夢見ることで、自分自身を慰めるほか無かったでしょう。
資本主義社会の成立と近代プロレタリアートの歴史的登場は、共産主義社会の実現を通して自己と全人類を解放する主体をようやく準備したのです。ここにおいて人類はその前史を卒業し、宗教もまたその歴史的役割を終えるでしょう。

投稿: NK | 2006年6月26日 (月) 01時18分

まー無くなったものは出来るだけ修復するすとして、少なくともその家に伝わる宗教はきっちりと教えていくべきでしょうね。
大体は仏教になるでしょうけど。

(ここで日本は帝国主義じゃ無くて って言いたいですけど、またぞろダラダラ長くなるだけなので省略します。)
悪魔と言うなら、人間という存在自体が悪魔と思うのは私だけでしょうか?
カラスや鼠を害獣といいますけど、一番の害獣は人間ですしw

余談ですけど、今の日本人は「科学教」という宗教になっているってのをどこかで聞きましたね。
科学が全てを解決する。
科学こそ全てって言う雰囲気があると。

投稿: 久々 | 2006年6月25日 (日) 22時42分

 久々さん、日本の民間信仰の多くが廃仏毀釈に始まる国家神道の整備の過程で消滅しています。本当に「宗教とはその土地で栄えた、その土地の文化。差別ではなく、他とは区別するのは当然のこと」「日本にはその土地その土地に色々な神様がいる」と思われるのでしたら、先ずは天皇と国家神道によって滅ぼされた数々の信仰を掘り起こすことから始める必用があるでしょうね。
 その間隙を縫うようにして新興宗教や新進宗教などのカルトが蔓延るようになった点も考えれば、確かに「昔からの家の宗教をきっちりとやっていれば」国家神道やそれらに毒されることもなかったでしょうね。
 ちなみに私は神や仏は信じませんが「悪魔」の存在は信じています。共産主義者として同化とは思いますが。つまり「神」の名を出して侵略に突入する日本帝国主義やアメリカ帝国主義など、それこそ悪魔教徒でしょうね。

投稿: アッテンボロー | 2006年6月25日 (日) 20時46分

>実際自然界には人智の及ばない事が沢山あります。しかしそれを全て「神の御技」「神の思し召し」としてしまうのはどうかと思います。

それは人間としての本能だと思いますよ。
悪魔の仕業とか。

とりあえず昔からの家の宗教をきっちりとやっていれば、基本的に新興宗教に捕まることなんてないと思うんですけどね。
日本は元々宗教色が薄い上に、近年さらに薄くなった。
政教分離とかいう無茶な要求をする人々が増えたからだと思います。
確かに宗教は平等出なければならないという理屈がわからなくは無いのですが、やはり宗教とはその土地で栄えた、その土地の文化。
差別ではなく、他とは区別するのは当然のことだと思います。
そして日本にはその土地その土地に色々な神様がいるわけですから、そういう物があるということも学校で教えていくべきかと。


キリスト教の考え方は嫌いですけど(近所で「キリストを信じない者は地獄に落ちるでしょう」とかやってたし)、アレにも色々宗派があるらしいですから、一概に悪いというのはどうかと。

投稿: 久々 | 2006年6月25日 (日) 12時00分

 皆さんお早うございます。息子との話の続きなのですが、息子はある時日曜学校に参加したことがありまして、そこでイエスキリストの話を聞いてきました。「イエス様はいなかったの?」というので「イエスはいたよ。良い人だったみたいだね」と答えました。私自身はイエスも釈迦も立派な人だとは思っています。その後彼らの思想がねじ曲げれらている点について非常に憤りを感じたりします。ブッシュがイラク侵略をおこなっている根拠の中に「神の啓示」を挙げていたと思うのです。これなど権力者に利用された宗教の危険性が如実に表れていると思います。勿論戦前の国家神道、今日言われている「宗教心の涵養」もそうです。
 新興宗教に特に顕著に表れている現世利益にとりつかれない人間になって欲しいと思っていますが、どの様に宗教について教えれば良いのか、正直迷いつつ自分なりの宗教観を語っています。
 同僚との付き合いでお葬式などに参加することもありますが個人が何を信仰してもそれは自由だと思います。ですが為政者をはじめとする権力者がそれを大衆支配に利用することに非常な嫌悪感を覚えます。宗教界の実力者達も自ら政財界と癒着することで布教の手段としている点がありますので「政教分離」というものはとても大切ではないでしょうか。
 実際自然界には人智の及ばない事が沢山あります。しかしそれを全て「神の御技」「神の思し召し」としてしまうのはどうかと思います。Crimsonさんの書かれている「神は人々に試練を与えそれでも神を愛し信じられるか試しているのです。」というキリスト教徒の言葉には神の傲慢さを感じてしまいます。神を信じない者に対しては「神罰」や迫害を与えても良いという考えにも繋がると思うからです。
 纏まりがないお返事になりましたが、宗教に関しては私自身は信じる気にはなれなと言うところですね。

投稿: アッテンボロー | 2006年6月25日 (日) 09時29分

こんばんは、お久しぶりです。

>「神様がいるならなんで病気で苦しむ人が居るの?なんで貧乏人が居るのかな?戦争は何故無くならないの?なんで賢い○○が病気で入院しているのかな?」

実は私も以前キリスト教の勧誘に来た人に同じことを聞いたんですが
「神は人々に試練を与えそれでも神を愛し信じられるか試しているのです。」
と答えました。
キリスト教信じている人はこの論理で納得できるんでしょうか?私は出来ません。あと山上の垂訓とかも納得できませんね。黄金律とかはすばらしい考えだと思うんですが、概してキリスト教はねじ曲がった価値観が多いと思います。

>私は子供達には神や仏に頼る人間にはなって欲しくない。
これはちょっと勘違いではないかと。日本の仏教は特殊なのでそのような印象を持っているのだと思います。例えば仏教の原型、釈迦の教えは簡単に言うと釈迦の定義で"幸福"に生きる方法です。別に仏様が助けてくれるとかではありません。キリスト教の教えにも困ったときに神を頼るという考えはなかったと思います。神や仏に頼るというのは日本人の特徴であり、むしろ純粋に宗教を信じていない人に見られる特徴です。あとは日本仏教の信者に見られるぐらいかと。ですから、全ての宗教信者を神や仏に頼る存在と見るのは間違っています。

最後に、生きるために必要なものはなんだと思いますか?今はあえて答えを言いませんが、宗教はそのうちの1つを効果的に提供する手段です。私自身は無神論者ですし、宗教を信じる気は全くないですが、その価値だけは認めてます。

投稿: Crimson | 2006年6月25日 (日) 03時04分

宗教は阿片でありやがて消えゆくものとかなんとか言ったのはマルクスでしたっけ?これっていわゆる宗教なるものの一部の要素をもってきて他の要素は都合よく捨象して、これこそが宗教の本質だとかいって、共産主義社会が実現すればこんな要素にすがる原因(結局のところは「資本主義」という名の何でも出てくる四次元ポケットに行き着くんだな)は綺麗さっぱりなくなるんだから、宗教なんて必要なくなる、だから誰も信仰しなくなって消滅するんだっていう、非常に乱暴な論理というかいってみれば宗教的信念じみたものから結論を出してるなあ、というのが私が抱いた感想でした。「昔の科学が未発達の時代にはそれなりの存在意義があったが、今日では支配階級が被支配階級を騙すために存在している。」という記述なんかは、宗教の一側面を強調してそれのみが宗教の本質であるとみなしていますよね。
いわゆる世間一般から「宗教」とされている各種団体をひっくるめて、それらに通底するような共通要素なんていうものは、宗教学上からいわせればないというのが結論なのだそうです(大学時代の講義のうろ覚え)。敢えて共通要素を抽出しようとすれば、それは「何らかの思想なり概念なりを、それが正しいものとして信じること」とかいう漠然な定義にしかならないわけで、これだとコミュニズムもナショナリズムも宗教になってしまうと。そうするとコミュニストが宗教なんてインチキだというのと、キリスト教がイスラームに対してお前らの教義は間違っているというのとでは、自己が正しくて相手は間違っている、それはこれこれこういう教義(思想)が根拠であるとかいっている点で、質的に違いはないんですよね。
私自身は我々の存在するこの世界の始原を造った存在(それを神と呼ぶか否か、人格があるかとか唯一か複数かとかいったことは置いといて)なんてものがあっても不思議ではないなあなどと思ってはいます。こういう私の宗教心のようなものは、別に科学に暗いからそういった信仰にいきついたわけでもないですし、ましてや資本主義社会の矛盾から信仰せざるをえなくなったものでもないでしょう。共産主義社会が仮に実現したとしてもそれと矛盾するようなものでもないだろうと思います。
別に私は特定の宗教団体に所属しているわけではありませんが、何らかの形で信仰を必要とする人たちはどのような社会形態になってもなくならないと思いますよ。コミュニズムが宗教なり信仰を代替しうるかは、少なくとも宗教に対する一面的な態度からするとあまり期待できないだろうなというところです。

投稿: とおりすがり | 2006年6月25日 (日) 00時53分

私としては逆ですね。
小さい頃からちゃんとした宗教の教育をしてないから、新興宗教に引き込まれるんですよ。
人間は無力です。
病気や自然現象になんて勝てはしません。
その時に頼れるものが神しかいないんですよ。
そこで信じるものが無い人間は、信じるものを求める。
そして新興宗教に入っていくのではないのでしょうか?
現に、創価などには精神的に不安定な高校生がかなり入ってきているらしいです。


そして宗教とはその土地に根付いた文化の一つ。
政教分離なんて完全には不可能なんですよ。
何処までが政教分離に違反し、何処までが違反しないかはアバウトですけど、国民の半数が思うか思わないか程度でいいんだと思います。

投稿: 久々 | 2006年6月25日 (日) 00時39分

こんばんわ。
日本人の宗教観って、現世利益を求める事が殆どでしょうから、インチキな新興宗教が跋扈し易いのでしょうね。
其処へ(秘密裏な国策として)意図的に政治性を注入して作られたのが、統一協会や生長の家(あと杉並に出てきたキリストの何たら)なんでしょう。
こうした似非宗教の問題―のみならず宗教其の物自体の問題性を問う試みは、此れ迄も行われてきたのでしょうが、有史以来人の心の脆弱さを掌握し、支配層が利用してきた思想ですから、払拭する事は容易な事ではないですけれど、其でも地道にやっていかなくては、ですね。

お子さん、元気そうで良かったです。

投稿: 怪星人カピア | 2006年6月24日 (土) 23時28分

なかなか面白い親子の会話ですね。
私も長男が2歳のとき入院して、1ヶ月程交替で付き添いをやりましたが肉体的には大変ですね。でも慣れたころにはそれも終わります。
それから私も無神論者ですが、現在の妻はカトリックなので時々いじめられます。たぶん日本以外の国では、日本人は皆仏教徒であると思われているようで、その仏教も信じていないと言うのは、余程の変わり者と映るるようです。
日本人の場合は、戦前の天皇を神とした国家神道の抑圧の基で3/4世紀も苦しんだ経験があるので、そうむやみと神様を信じないようになっているのだ。などと解説してみますが、あまり理解されません。
私としては、私自身は信じないにしても、神を信じる人たちを理解するように心がけているつもりです。特にヨーロッパで繰り返されるイスラム教の開祖ムハンマドに対する屈辱は、卑劣な行為で許されることではないと思います。
これを言論の自由などと言って開き直る行為は、このことがそれを信じる人々の人間性を冒涜するものだと言うことに無自覚な行為といえるのではないでしょうか。
またムハンマドを笑いものにしても、イスラム教徒はモーセや、イエスを決してさげすんだりしないことを知っている点でさらに悪質といえるでしょう。
このことと自民党、公明党や民主党が教育基本法に盛り込もうとしている「宗教心の涵養」はまったく別のもので、再び国家神道の復活と、そのもとで人民を恐怖支配する意図があると思います。
ひとたび宗教が民衆の下を離れて、国家権力の支配の道具の一つとなると大きな災いをもたらすことになるのは明らかです。そういった意味で様々なカルトと共に創価学会の動向は危険な兆候を見せているような気がします。
人が神を必要とするときは、これをとめることはできません。しかし神にすがる必要の無い社会を建設することは出来ます。


投稿: NK | 2006年6月24日 (土) 23時21分

それはちょっと危険かと思いますよ。
ちょっとしたことで新興宗教に陥ってしまう可能性が高くなるかと。
怖いのが、現在反抗期の人間が創価あたりに入ってしまうことが多いようです。

私の家は浄土真宗ですね。
個人的な考えとしては神道が好きですけど。

投稿: 久々 | 2006年6月24日 (土) 22時16分

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