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2006年6月18日 (日)

「中国文化大革命批判」

 本多延嘉著作選第一巻収録「中国文化大革命批判」の内「毛沢東過渡期社会論批判 スターリン主義社会の歴史的矛盾を社会主義社会論の改訂で合理化するもの」の学習を通じて、私の中にある過渡期社会と共産主義の低次の段階としての社会主義社会の違いに関する混乱を整理していきたい。実は五月にこの論文を素読みし、「インテリゲンチャ」を一昨日の夜に携帯から投稿した後でノートを取りつつ読み返していたのだが、幾人かの方から指摘されているように私の中に相当混乱があるようだ。特にNKさんのコメントと併せてご覧頂けると理解して頂きやすいと思う。

 この論文は「前進」338号 67年6月11日に掲載され、当時中国では毛沢東が大躍進運動の破産を文化大革命と紅衛兵運動とで取り繕うとしていたのだが、左翼の間では取りわけ中国派の人々の中でこれを評価する動きなどがあり、それに対して革命的共産主義の立場から徹底的に毛沢東のスターリン主義者としての欺瞞を批判している。

 毛沢東は「社会主義的所有制の成立した段階における階級闘争」という新理論を発表して文化大革命の指導理念とした。先ずここに毛がスターリン主義的に社会主義社会論を改竄している点が見受けられる。私の中での混乱もここに関連しているのだが、過渡期社会というのは帝国主義が世界的に打倒されていない現時点の事であり、社会主義社会は帝国主義を基本的に打倒して以降にやってくる。処がスターリンが世界革命の困難さの前にそれを諦め「一国社会主義論」を提唱してそれを防衛するために国際共産主義運動を変質させてしまった。中国共産党に指導される49年の中国第三次革命もまた、このスターリン主義的歪曲から無縁ではないばかりかどっぷりと浸かるものであった。ソ連における「一国社会主義」の破産が当時明らかになる中でフルシチョフはスターリン批判を通じて「改革」を行い一定程度ソ連東欧圏の体制立て直しを行おうとした。それに対してフルシチョフを「ソ連修整主義」と批判しつつ別の方向でスターリン主義の歴史的破産を取り繕おうとしたものが毛沢東「新理論」であり文化大革命・紅衛兵運動があったのだ。だがそれは国際共産主義運動のスターリン主義的変質を根底から解決するものではなかった。マルクス・レーニンの世界革命論の今日的復権を通して反帝国主義・反スターリン主義革命的共産主義運動を前進させることこそが中国人民への真の連帯であるという立場が貫かれている。

 新理論の誤りは何かとして三つの点を上げている。第一の理論的誤りは、資本主義から共産主義への『過渡期社会』と、共産主義の第一段階としての『社会主義社会』という二つの歴史的段階を完全に同一視していることである」マルクスは「ゴーダ綱領批判」において共産主義社会と過渡期社会とを区別して、過渡期社会に対応する国家を「プロレターアートの革命的独裁」としている。この社会では「ひとつの形態における等量の労働が他の形態における等量の労働にたいして交換される」等量交換の分配原則が不可避となり労働給付というブルジョア的権利が残存する。社会主義社会は、階級対立の止揚、国家の死滅、価値法則の意識的廃棄と結びついている。つまりこの三つが残っている時点で社会主義社会ではなく過渡期社会であると言えるのだ。

 第二の理論的誤りは、過渡期と社会主義段階を同一視することによって『階級闘争』を無階級社会としての社会主義社会に密輸入したことである」 スターリン自身はマルクス・レーニンの思想を改竄しながらも、「社会主義社会」に階級闘争を持ち込むことが出来なかったために、一国社会主義の矛盾にたいして発生する国内階級闘争の全てを「国際帝国主義の反革命的干渉」としてオールドボルシェビキを粛正していった。だがしかし、毛沢東は過渡期=社会主義段階とすることによって「階級消滅論」と「階級闘争激化論」とを強引に「解決」した。「だが、現実の矛盾を社会主義にむかって止揚するという実践的立場を放棄して、『他の社会と同じ性質の矛盾』を社会主義社会に永遠化することは、スターリン主義的反動の合理化論である。これでは、階級および階級対立の死滅、それにもとづくプロレタリア独裁の解体、それらの経済的基礎としての等量交換=労働証書制の実現、そして、なによりも世界革命の勝利という過渡期止揚=社会主義段階への世界史的移行の条件は、永遠の彼岸においやられてしまう。」

 「第三の理論的誤りは、『少数の知識人による文化の占有』と言う過渡期社会のはじめの段階で社会問題化する知識人・技術者の問題と、社会主義段階にも残存する分業との問題とを混同し、後者の段階でも分業から階級が発生し、それを克服するため階級闘争が激化するという驚くべき理論的基礎づけをおこなっていることである」 毛沢東が社会主義段階における社会的分業についての無知をさらけ出していると指摘している。生産手段を共有した社会主義段階においては階級は存在しなくなると言うのがマルクス・エンゲルス・レーニンの思想である。そして、少数の知識人による文化の占有」に関しては「もともと、プロレタリア権力は過渡期の擬制的労賃制を可能なかぎり平等主義的傾向に近づけようと努力するが、ときに、あるいはかなりの時期にわたって、革命前の高級技術者たちを革命権力に協力させるために妥協的に高級を支払う場合が生じる」 私の先日の記事ではこの部分を過渡期ではなく社会主義段階において存在するとしてしまった点が誤りであり、スターリン主義の陥穽に嵌ったようである。スターリンはこの時期の党・政府幹部の腐敗堕落を伴う変質を開き直り、「スターリン賃金体系」の中で固定化していった。31年には平等主義反対すら提起していたようだ。「したがって、知識-文化の占有が特権に転化するかどうか、という問題は、過渡期の分配政策のスターリン主義的歪曲と関係した具体的事項であって、これをただちに一般化することは、プロレタリア権力の過渡期経済政策論の破壊いがいのなにものでもない。」「以上の検討であきらかなように、毛沢東の新理論は、マルクス・レーニンの未来社会論を過渡期社会のスターリン主義的変質にそって修整したものであり、スターリン主義の歴史的危機の理論的反映である。」

 新理論の誤りの歴史的前提として二点を挙げている。「毛沢東の新理論の誤謬の第一の前提は、過渡期の歴史的成立根拠についてなんらの理論的検討もおこなわれていないことである。」「すでに指摘したように、資本主義社会から共産主義社会のあいだに、前者から後者への長い政治的過渡期が存在する。」「この過渡期は、ひんしの資本主義と生まれいでんとする共産主義とのあいだの闘争の時期、いいかえれば『敗北したが根絶されていない資本主義と、生まれはしたがまだまったく微力な共産主義の闘争の時期』(レーニン『プロレタリア独裁期における経済と政治』)であり、この階級闘争を推進する政治的実体が、プロレタリア権力である。勝利したプロレタリアートは、支配階級としてたえず自己を再組織しながら、国際帝国主義の世界史的打倒にむかって、過渡期社会の社会主義的前進のために最大限の努力をかたむけることは、いうまでもない。」とした後、革命ロシアがドイツ革命の敗北によって孤立するという困難な情勢の中で如何にして世界革命にむかって自己を確立しようとしたかの苦闘について触れている。ロシアの社会建設と世界革命達成の事業とをひとつの問題として結合して苦闘したのがレーニンである。処がその死後、あたかも「具体的」に問題解決が可能な方法としてスターリンの「一国社会主義」が登場して国際共産主義運動をスター主義的に歪曲していき、同時にマルクスの世界革命論を解体していくこととなった。「われわれは、歴史的過渡期の要請する具体的課題に具体的に対処しながら、その対処のうちにきびしくマルクス世界革命論の内在的貫徹を達成していかなければならないが、それは『具体』の名をもってするスターリン主義擁護論との非妥協的闘争を不可避としている。」「過渡期社会とは、まさしく、資本主義から共産主義への世界史的移行の時代、帝国主義と社会主義との世界史的分裂の時代とに照応する歴史的社会である以上、過渡期から社会主義段階への移行は本質的には、帝国主義の世界史的打倒を条件としている。」

 「毛沢東の新理論の誤謬の第二の前提は、世界革命の平和共存的変容形態を『永遠の歴史的前提』にしていることである。」「第一点は、帝国主義の基本的延命と、中国革命の機器との関係が外在的にしか把握されていない、という点である。いいかえるならば、帝国主義の打倒をとおして中国の困難を解決するというレーニン的観点(ロシア革命とドイツ革命の結合)が完全に欠如しているということである」「第二点はソ連をはじめとするいわゆる社会主義諸国との関係である。」 ソ連スターリン主義の腐敗が中国の「期待」を裏切ったことをもって自力更生路線に防衛的に後退したが、それを「原則」に高めてしまい、ソ連東欧に対して共産主義の立場から世界革命を訴えて関係改善をしようとしないことである。「第三点は、中国やソ連におけるプロレタリア独裁の反動的解体と無関係に、過渡期の階級闘争を問題にしていることである。」「今日の中国における官僚的堕落は『少数の知識人による文化の占有』のうちに一般的基礎をみいだすべきではなく、中国第三次革命(四九年)におけるプロレタリアートの未組織化と、その後の支配階級としての組織化の努力の放棄、、つまりプロレタリア権力の実体的基礎としての労働者工場評議会の未形成のうちに具体的に解明されるべきものである。いわゆる実権派の形成が、大躍進の調整期に結びついているとするならば、なぜ政策の調整が官僚的腐敗に転化するのか、という問題が、労働者階級のヘゲモニーとの関連で考察されねばならないにもかかわらず、毛沢東の新理論にあっては、社会的分業という一般的基礎のうちに解消されている。」 この官僚的腐敗の問題は、今日の中国共産党官僚の底知れぬ腐敗の基礎が既に文化大革命以前から存在するスターリン主義その物の問題である事を示している。「第四点は、過渡期の具体的な経済政策が完全に欠如していることである。不思議なことに、この新理論には、ソ連や中国における経済建設の具体的な過程的分析が少しも基礎づけられていないばかりか、なぜ大躍進政策-人民公社運動は失敗したのか、という肝心な総括が、すべて自然災害とソ連援助中止のうちにすりかえられている。」 具体的に失敗の根拠を検証すること無しに新たな混乱を再生産しているのが毛沢東以来の中国スターリン主義である。今日の沿海部と奥地との経済格差や、農業で生活できず土地を捨てて都市に流入する農民の問題は今日始まったことではないのだということである。最新の中国の事情については、この間学習が不足しているために詳しく触れることが出来ないが、スターリン主義その物の全面的再検討を要することを本多書記長は訴えている。

 「われわれは、世界革命の勝利の方向にむかって、中国革命と日本革命の具体的結合を現実的に追求しながら、同時に、マルクス世界革命論の現代的再建をとおして、現代世界の根底的止揚への綱領的展望を準備せねばならない。それこそが苦悩する中国人民への生きた階級的連帯のあかしである。それゆえ、いっさいの局面打開の鍵として、日本階級闘争の死活をかけた前進が、いま、われわれに要求されているのである」

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コメント

 久々さん、仰るとおり冗長な記事になりました。的確に纏めることが出来なかったのは私の力不足のためです。ただ、太字の部分は原文に忠実に表現しようとしてその様になりました。
 この記事に関しては、時折中国を批判しないのはなぜかという書き込みがあるために、40年以上前から革共同が中ソをはじめとするスターリン主義を批判してきたという事実と、本多書記長の論文を紹介することに主眼をおいています。以前二度ほど著作選に関する記事を書いたのですが、纏めようとして上手く纏まらなかったので、今回は引用を多用してみました。
 ぴよ丸号さんの書いていただいているように中国の実体については当時は十分に分かっているわけではありません。ですが共産主義の原則を示しているという点で、今日のように企業の進出により中後の内情が幾ばくか分かるようになった時点においても価値ある論文ではないかと思います。
 主義者Yさん、本多著作選は前進社では品切れの二巻を覗いて取り扱っていますので機会が有ればご一読下さい。私自身全巻を読破したわけではないのでどの論文がお勧めかというと良く分からない部分があります。これから追々学習して紹介していきたいと思います。
 アントニオさん情報有り難うございます。時間を作って読みたいですが、自宅にいる時間が短いので中々読めそうにないです。
 くるるさん、理系と文系の違いは確かにありますね。理系の場合論文の内容は別の人が同じ実権などをした場合にも同様の結果が出なければ評価されないのですよね。文系の場合は筆者や読者の立場・視点によって同じ物の評価が色々分かれますからその点仕方ないと思います。
 怪星人カピアさん、確かに毛沢東主義はアジア諸国で支持されている点がありますね。やはり帝国主義本国ではない半植民地状態の中国革命という視点で新植民地諸国の人々には親しみやすいのでしょうね。それらの人々の闘いが真に勝利するためにも日米を中心とする帝国主義本国での革命運動の前進が必用だと思います。
 中国革命の歴史には学ぶ点は今でも多々あると思います。何を学び何を教訓とするか真剣に考えつつ学習していきたいと思います。
 maoさん、社会主義社会が一国で建設できるか世界革命の勝利の後に建設できるかで各国共産党スターリン主義と革共同の一番大きな違いがあります。その意味で文化大革命は社会主義社会ではなかったからこそ起きたのだというのが中核派の考えですね。

投稿: アッテンボロー | 2006年6月24日 (土) 08時20分

私が文革について考えたのは学生時代。
毛沢東の矛盾についての考え方に関心があった。
矛盾には a必要な矛盾と bなくすべき矛盾
がある。
aの例として生命体の新陳代謝=古い細胞は死につつあり、新しい細胞は生まれつつある
bの例が階級対立(=貧富の差)
私の理解では弁証法でいうところの aが対立物の統一であり
bが対立物の闘争

毛沢東は社会主義段階にも矛盾があると言い出し、文化大革命が発動したというのが、私の理解です。

投稿: mao | 2006年6月19日 (月) 20時49分

こんばんわ。
嘗ては直接統治、其の後も経済的植民地支配下に置かれた国々の中では、毛沢東主義は未だ最も適応し易い革命思想の様です。
中南米やネパールの反体制勢力や、フィリピン共産党等は、毛思想を基盤にしているみたいですから(尤もフィリピンは、近年組織内部でトロツキスト派の分裂と闘争が有る様子ですが)。
其の発生時から既に限界性を有していた毛沢東と中国共産党や、其の下で成された文革は批判されて然るべきですが、この当時多くの左翼が、具体的な中国―アジアの人々への実践的な呼びかけが不十分な侭、漠然とした共感か実践を伴わない批判しか為してなかった事が、後の7・7華青闘告発に繫がったのではないのでしょうか。
日本国権が中韓朝と対立を深め、尚且つ80年代から日本に来て、低賃金労働力とされているアジアをはじめとした諸外国の労働者が居る今、もう一度中国革命の歴史を捉え返す必要が有るのかも知れませんね。

投稿: 怪星人カピア | 2006年6月19日 (月) 20時30分

>> 久々さんへ

理系と文系の論文形式は違うので致し方ないと思います。

よく左翼系のサイトなりで言われている論文というのはこういう感じのものが多いです。

ヒトラーの「わが闘争」も似たようなもので、某サイトでいい表現がありましたが、あたまが痒くなります。

基本、最低レフリーを3回通さねばならない科学論文と違い、この手の論文は書いたもの勝ちですから、書きっぱなしの文面でしょうがないです。時間が確保できたら地道に読みましょう。

投稿: くるる | 2006年6月19日 (月) 18時55分

 アッテンボローさんの問題意識と違って、恐縮ですが、文化大革命が、毛沢東の党内奪権闘争だったという点に関連して。

 最近、解放派(労対派)系のサイトに、それを解放派の内糾と比較した、興味深い小論があったので、アドレスを紹介しておきます。
http://www.kaihou.org/shohyou.htm

投稿: アントニオ | 2006年6月19日 (月) 16時22分

ひさびさにお邪魔します。
「過渡期社会」については概ね私も本多氏と同じ理解でした。これはトロツキー理論の影響を受けた潮流では、ほぼ共通しているのではないかと思います。
その意味では、ぴよ丸号さんの言われるように「マルクス主義の原則を明らかにするという意味」は確かにあった、と私も思います。ただやはり、本多氏が力んでみせる理論批判が空回りして見えるのは、毛沢東の主張がそもそも「取ってつけたような理屈」しかなかったことによります。
ボリシェヴィキ革命に至る過程は知識人による革命という側面を色濃く刻印されてますが、そこでは「理論」をめぐる争闘が革命党派の路線選択に現実に影響を持ち得ていました。ただしそれもせいぜい20~30年代くらいまでの話で、ソヴィエト体制が内戦から一息ついた安定期になると、卑俗・醜悪な政治力学が党を支配し始めてきます。スターリン主義の理論的批判は大切なことだとは思いますが、「理論」自体の力の低下という現象にも目を注ぐべきではないでしょうか。そうでないと、もっと時代の下ったポル・ポトの悲惨な支配など説明がつかない・・・
また本多氏の実践的結論はやはり、世界革命の前進による先進資本主義国家群が有する高度な生産力の新しい生産関係への結合、ということだろうと思います。だが、生産力ー生産関係というオーソドックスな図式での抽象度では、いくらも先へは進めない。(すみません本多論文は読んだことがありませんので、もし他に記述したものがあればご教示願います)具体的な将来社会像を描き出すことは、当時の時代的制約として致し方なかったとは言えますが、のちの時代を生きる私たちはソ連社会の経験をふまえて追究すべき課題が山ほどあると言えます。

・・・しかしアッテンボローさんは勉強家ですね。
私も見習わなくては(^^)

投稿: 主義者Y | 2006年6月19日 (月) 02時41分

毛沢東の文革の歴史は未だはっきりしないところがありますが、前進338号の分析は横滑りしていると思いました。

まず、はっきり認めなければならないのは、この時代の中国の生産力は非常に低かったこと、それでもなお共産政権であるから、自己を「社会主義初期」と位置づけざるを得なかったという矛盾です。

次に、中国人が総体としてどういう人たちであるかは経験がないと分かりにくいと思いますが、今でもなお官僚国家の色を濃く上から下まで残した、人治主義の中の人間です。

さて、毛沢東の文化大革命に先行する時代についてですが、大躍進の大失敗の責任を取らされて毛沢東は実権を失っていました。その後を受けたテクノクラートは、官僚主義的に人民を抑圧する中で事態の打開を図りました。これは皆様資本主義の中で経験している抑圧を想起すればよろしい。当然、労働者・農民は不満を強めます。

そこで毛沢東は実権を奪取するために、その不満に付け込みました。理屈はどうとでもつけられます。大衆の不満がそのエネルギーでした。

だから、毛沢東の「取ってつけたような理屈」を批判しても、それ自体は意味がないと思います。


では、338号の記事は意味がなかったのでしょうか? そうとも言えない、と思います。それは、マルクス主義の原則を明らかにするという意味があったと言えるし(事態の直対応という政治的失敗と若干の事実誤認と思えるところがあるにせよ)、中国に幻想を持つ部分に冷却水をかけたという効果です。火に油を注いだかも知れませんが、そうだとすればその幻想部分は理性的にモノを考えなかったともいえます。

投稿: ぴよ丸号 | 2006年6月18日 (日) 21時32分

言いたいことはなんとなくわかりますけど、もうちょっと短くできませんかね。

強調してある緑色の部分だけでもかなり長いですし。
それと、太字の使い方を間違えてる気が……
太字は「第一の~~」とか見出しではなく、緑文字の中でさらに強調したい部分に使うべきかと。

ヒトラー曰く、大衆に物事を伝えるには、短く、スローガンのような言葉を繰り返せ、という事です。
例えば
「我々は今、力を結集し、島根県のお中元を購入し、初めてこの恩を返せる!時は既にお中元予約の時期なのだ。
 この販促運動こそ、孤軍奮闘している島根県民への最大の励みになる!
 国民よ、感謝の気持ちを込めて、買えよ国民!」

http://d.hatena.ne.jp/torix/20060617
と、このようにw

皆が知りたいのは何か?
結論です。
レポートなどでもそうですが、全ての結論を頭にもってきて、その説明を後ろに持っていくのが、見やすい文章だと思います。


現代の子供の文章能力がこれですからねぇ……
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/693785.html
このようなやつらに物を教えるのは可能なのか……

投稿: 久々 | 2006年6月18日 (日) 21時00分

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アッテンボローさんのサイトに本多延嘉「中国文化大革命批判」学習ノートが載りました。それを読んでこの論文を思い出したわけです。本多さんのほうは論文ですが、こちらは機関紙に掲載された短い文章ですので全文を掲載しておきます。 本多さんの論文の意義は、アッテン... [続きを読む]

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