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2006年8月

2006年8月30日 (水)

カラオケでストレス解消

 帰宅してメールに目を通していると妻が帰宅した。夕飯の買い物の際に珍しく缶チューハイを買ってきた。ついでに私にも発泡酒を買ってくれた。妻は元々はボトルを空けるほどの酒豪であったのだが、長女を解任して以来飲酒を控えるようにしていたので、今ではめっきり弱くなり一口二口味見程度に飲んだだけで真っ赤になる。結婚前などは一緒にのみに行くと大抵私の方が酔いつぶれて送ってもらっていたのだが、隔世の感がする。どうしたのか訳を聞くと「今日はむかつくねん」とのことである。詳しく聞くと幾つか苛立つ出来事があったようである。先ずは同僚で禁煙に挑戦している人がニコチンの禁断症状でイライラしていて八つ当たりをされたそうで喧嘩になったという。さらに出勤早々痴呆症の老人患者から「汚い顔近づけんといて」と言われたという。「あんたの方が汚いやろって言いたかったわ。一体何年風呂入ってへんねん」と立腹である。トドメは昨日時間外にタダ働きで会議があったのだが、それに参加しなかった妻に対して婦長が「出席してても分かりにくいのに、欠席してた人は知らんで」と宣ったそうである。大事な用件ならキチンと超過勤務の発令をして就業時間内にしろと言いたいのだが、共産党の労使一体状態であるために労基法違反を追及する役員も存在しない。

 何だかんだと言いつつ夕食を終えると、長女が「○○がカラオケ行きたいって言ってたで」と言い出す。「ストレス発散に大声出しに行こうか」と妻が賛成する。そこで家族揃って近所のカラオケ屋に行くことになった。最初のうちはみんな遠慮していて中々曲を入れないのだが、息子のリクエストで機動戦士ガンダムを私が歌い、次に妻が嘉門達夫のハンバーガーショップを入れて私に歌わせたあたりからみんなノリノリになってきた。私は大体息子とリクエストに応じる形で特撮番組の歌を入れたのだが、妻は中森明菜の十戒や北ウイング、レベッカのフレンズなど懐かしい曲を歌う。一年近くカラオケに来ていなかったために声が出ないようである。娘達は鋼の錬金術師の影響でポルノグラフィティーやラルクの曲を熱唱する。珍しいのは普段マイクを握らない次女が率先して歌っていたことである。

 あっという間に二時間が過ぎ、子連れであるために時間制限で延長が出来ず帰宅することになる。全員の感想は時々カラオケに行って大声出したいねと言うものであった。

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2006年8月29日 (火)

内務と外務

 今日昼食後に窓口事務室に行くと、内務の総務主任から「携帯の電源切ってたらあかん」といきなり言われた。私は基本的に携帯電話が好きではないのだが、急ぎの連絡があった時のために電源は入れたままである。「○地区は殆ど圏外ですよ」と答えた。今担当している地域の約半分が、谷あいの地域であるために携帯電話の電波が届かない圏外になっている。電話会社の公表している通話可能地域の地図ではその様なことはないのであるが、実際には圏外はあちこちにある。局からかかってくる電話の殆どがロクなものがないので、私自身は繋がらなくても不便ではないのであるが、内務からすると些細な書類の不備などであっても急いで事務処理するために外務に電話で問い合わせをしてくる。お客さんと会話している時などは無視しているのだが、その辺の事情を斟酌してくれない。今走っている地域とは正反対の地域のお客さんから急いで集金や手続きに来て欲しいという電話を取り次がれても、対応の使用がないのだが、それも分かってくれない。

 この総務主任は内勤の経験しかないので、外務の事情などお構いなしである。携帯電話は繋がる物だという勝手な思いこみもそうであるが、それ以外にも内勤の都合でしか物事を考えようとしないので困った物である。例えば住民票上の住所と実際に住んでいる場所が違うことなどよくあることなのだが、先ずこれを理解してくれない。私の勤務する局の管内には被差別部落が沢山あるために、数年前まで地区改良事業が盛んに行われていた。お客さんは転居した後でも住民票を変更するのが面倒であるために旧住所を使い続けることが多々ある。別に被差別部落に限らないのであるが改良事業のために一地域で大量の転居があるわけである。するとどうなるかというと、実際に集金に行く場所が分からないと外務員は困るので新住所を集金先とするのであるが、この変更手続きが面倒くさいとして登録しない外務員が多いのである。私はせっせと新住所を登録していた。するとこの総務主任は「何でお前が担当すると住所変更が多いんや」とくる。前任者がサボっていたからであるのだが文句は私に向かってくる。また集金を約束している日が同じ家庭でも別々に登録されている場合があるのだが、これも簡単な操作で修正できるのにほったらかしている職員が多い。仮に第一火曜日の集金と第二火曜日の集金とがあった場合、後の分を一緒に集金すると予定外集金となる。だが現実問題として外務員は同じ家に二度行く無駄を省くために同時に集金するのであるが、これにも問題扱いして食ってかかってくる。

 更に困ったことにこの総務主任はお客さんとの対応でも規則を杓子定規に主張するのでトラブルが多い。よく集金先で窓口での対応の悪さというか融通の無さについて苦情を聞くことがある。詳しく話を聞くと大抵はこの総務主任に対する苦情である。時には延々と一時間くらい謝り続けることもあるので外務員としては堪ったものではない。人の事情も知ろうとせずに思いこみで物事を判断する。同じ内勤でも他の職員はまだ話を聞こうとしてくれるのであるが、この人だけはどうしようもない。元々の性格に内勤としての勤務が長いために拍車がかかったのであろうが、出来れば早く転勤して欲しいと思っている。私としては出来るだけ反面教師として受け止めようとはしているのだが、中々割り切ることは難しい。

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2006年8月27日 (日)

不倫スクール

 息子はいまだに幾つかの言葉が不明瞭というか正確に言えないことがある。「電池」を「レンチ」と言うし、長女が通っている「フリースクール」を「不倫スクール」と言う。一体何を教わる学校やねんと突っ込みたくなる。この言い方をすると長女は非常に嫌がるので、最近ではワザと言っている。「△△いつから不倫スクール行くのん?」と言っては長女を怒らせている。子ども達が小さいときには色々と面白い言葉があった。長女も「タンポポ」のことを「タンポポン」と言っていたし、次女も「ぬいぐるみ」のことを「ねえぐるみ」と言っていた。娘達の場合は三四歳の時のことで、今では懐かしい思い出である。問題は息子だ。来年は小学校だというのに・・・

 今日は朝から散髪に行ったのだが、その前にスーパーに次女のために買い物に行った。先日息子にムシキングの飛び出す絵本を買わされたのだが、次女が不満を漏らしたのである。そこでスーパーに入っている文具店でマンガの書き方の本を買ってやる。本人は否定するのであるが、マンガをしこしこ描くあたりヲタクへの道をひた走っているように思えてならない。これでボーイズラブにでも関心を持った日には腐女子である。「腐女子」というのは「婦女子」と引っかけた女性のヲタクを表す言葉らしい。詳しいことはよく知らないが「革萌同」のサイトにあるセクト紹介を読むと、かつて「JUNE」などで書かれていた衆道・男同士の同性愛に萌える女性たちであるようだ。栗本薫の「翼ある者」などは読んだことがあるのだが、どうも性に合わなかった。周囲の栗本ファンの間でも男女で評価が分かれていたように思う。

 子ども達のことに話を戻すと、散髪に行っている最中息子が店にやってきたようである。「ガラストントンってしたのに」と息子は言うのだが、私は散髪屋においてあった「蒼天の拳」を読むのに夢中で気づかなかった。店の奥さんに教えられて知ったのである。そこで息子のことが話題になる。得な性格であるようで誰からも好かれるよい子である。「人徳やね」とご主人が言ってくれる。内心もっと褒めてと思いつつ聞いている。長女と次女についても良い子だと評価して貰えた。親はロクでもないのだがそれでも子供は素直に育ってくれている。非常に有り難いことである。息子は今日も新しい友達を作ったようで、ムシキングのカードを色々と分けて貰っている。本当に友達を作るのが上手で、我が子ながら羨ましい。

 夕食を済ませると、「虫バトルしよう」と言うので相手をさせられる。器械でする場合と違い自分でジャンケンをしてワザの名前を絶叫する。自宅で息子の相手をしているから良い物の、もし外でしていたらジロジロ見られたりするだろう。けっこうムキになっていたのである。本気でジャンケンをして圧勝した。息子は悔し涙を浮かべていたが手抜きの方が悪いだろう。時々は負けてやるので勝敗は半々である。今は次女と息子とでデュエルマスターズなるカードゲームをして遊んでいる。子供の相手をするにも色々と新しい遊びが出てくるので付いていくのが大変だ。

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2006年8月26日 (土)

複雑 とくらさんの出馬

 「とくらBlog」の戸倉多香子さんが来年7月の参院山口選挙区に民主党公認候補として出馬することを「雑談日記(徒然なるままに、。)」のsobaさんからのトラックバックで知った。既に多くのブロガーさんが支持を表明している。とくらさんとは時折トラックバックをしたりされたり、時にコメントを戴いたりしている間である。人情として応援したくなる。それが安部晋三の実弟が出てくる参院山口選挙区とあれば尚のことである。とくらさんじしんブログを拝見する限りとても真面目で誠実で、日本の社会のあり方を憂えていることがヒシヒシと伝わってくる。

 ここで複雑なのが民主党からの立候補と言うことである。正直私は民主党を信じてはいない。寧ろ職場の組合では反民主党の意見ばかりを言ってきた。労働者党ではない、第二の保守党であって我々労働者にとっては自らの将来を託せる政党ではないと言うのが自説なのだ。「民主党は労働者党ではない」と言う記事も書いている。その反面「敵の敵は味方」と言うことも書いた。素直にとくらさんを応援できる状態であればよいのだが。というか民主党以外に自民党に土を付けられる可能性のある政党が無いというのが残念で仕方ない。社民党ももうひとつだし共産党はスターリン主義の党利党略に走って本当に自民党政権を打倒する気がないのはありありと見て取れる。新社会党は国政に関しては議席がないためにある意味無力であると言える。消去法でしか民主党を支持することは出来ない。

 だがしかし、ある意味で民主党が前代表の前原が如き極反動の新自由主義者に引きずられることのない様に釘を刺すことは重要だ。本当の意味で労働者階級の利害を代表する政党が一定程度の成長をするまで、自民の足にしがみついて日本を改憲して戦争の出来る国にしない取り組みが必用だ。とくらさんのように改憲反対の立場の人が民主党内で主流を占めるようにする必用は感じている。民主党を支援するのではなく、とくらさん個人を支持する。それが現時点での私の考えである。

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2006年8月25日 (金)

再録 日本近現代史のおさらいその1~5

 昨年7月21日・23日・28日・8月13日・9月10日と五回にわたって掲載した記事を再録する。この間の植民地支配や日帝による侵略戦争の過程について自分なりにおさらいした物であるが、最近の常連の中には去年の論議を知らない人が多いであろうと思われるためである。

 とある大学生さんと歴史認識をすり合わせるために、簡単に日本近現代史のおさらいをしたいと思います。先の記事で記憶に頼って書いたために曖昧な部分があったからです。テキストとしては山川出版社発行の「Story日本の歴史-近現代史編」を使用します。中学・高校生向けの歴史参考書ですので歴史学会で特別異端な説は載っていません。

 先ず日本の開国から見ていきましょう。1858年日米修好通商条約が締結され、日本の鎖国は終わりを告げます。その後イギリス・フランス・ロシア等とも条約を締結する訳ですが、欧米列強にとって一方的に有利な不平等条約である事から後に外務大臣陸奥宗光が中心になって条約改定を行います。この時期の日本史については学校の授業で習ったりしていますし、大河ドラマなどでも良く題材に昇りますから流します。

 「日本が朝鮮に一歩先んじて国内体制を転換させ、西欧諸国に似た近代国家への道を歩み始めると、支配者は早くも近隣諸国侵略の要求を強めていく。西郷隆盛や板垣退助ら明治維新の指導者たちの征韓論は、早い時期のそうした例であった。朝鮮にすれば国内変革を迫られる困難な時期に、間近に新たな侵略者を加えることになった。一八七五年の江華島事件を背景に、日本は軍事的な威嚇のもとで翌年不平等な日朝修好条規を押しつけて朝鮮を開国させる。朝鮮支配への第一歩であった。」

「朝鮮植民地化 壬午軍乱、甲申政変などを通じて介入を強め、日清戦争で清の朝鮮への影響力を排除した日本は、日露戦争下で朝鮮の植民地化を本格化した。戦後の第二次日韓条約(一九〇五年)では韓国(一八九七年に国号改定)に統監府を置いて保護国化し、外交権を奪う。韓国皇帝がこうした支配の不当性を国際会議の場であきらかにしようとしたハーグ密使事件が起きると、第三次日韓協約(〇七年)を強要して内政権を奪い、さらに軍隊を解散させた。」「韓国内では激しい抵抗運動が起こる。一八九五年の日本公使館による王妃、ビン妃殺害事件をきっかけとして始まっていた反日義兵闘争は、協約で解散させられた軍人たちを加えて拡大した。愛国文化啓蒙運動など民族文化振興という形の態幸運をとも盛んとなった。そうした中で前統監伊藤博文が安重根によって射殺されると、日本はこれを理由に一九一〇年、強要して韓国併合条約を結び、韓国を植民地とした。」(以上前掲書より引用)

 以降朝鮮総督府を置いて陸海軍の大将が朝鮮総督として「武断政治」を行い、「土地調査事業」で村の共同耕作地などは日本政府の物として取り上げ、多くの農民が小作農あるいは失業者となった。取り上げた土地は日本の企業や国民に安く払い下げられる。私の父方の祖父は貧農の出身であったが、一九三〇年代に朝鮮に土地を買って、元々の持ち主である朝鮮人を小作人としてこき使って地主として贅沢な暮らしをした。

 一九年の三.一独立運動は二〇〇万人以上が参加する大規模な物となる。日本の公式記録では二四〇〇〇人の死傷者を出して鎮圧している。一八年の米騒動による日本国内の米不足を補うために朝鮮からは大量の米が日本に運ばれ、朝鮮の農民は没落して流民化していく。満州やシベリア、日本内地に移住する人が多く現れる。在日朝鮮人の始まりである。三一年の満州事変以降、それまでの農産物供給地としての位置づけが中国・東南アジア侵略の後方基地、兵端基地に変更され、様々な工業化が朝鮮北部で行われる。全ては日本の資本による物で、朝鮮の民族資本は没落していく。三九年の国民徴用令等で日本国内への強制連行と朝鮮北部での徴用も行われる。三八~四五年に数百万人とも言われている。

 植民地化以降の「同化政策」は欧米の行った植民地支配に比べて、言葉や習慣、文化や社会制度まで日本人化しようとする徹底した物であった。「皇国臣民の誓詞」を大人にも子供にも唱えさせ、「宮城遥拝」「日の丸」の強制「創始改名」等々朝鮮人の民族性をとことん破壊しようとした。この支配に対して中国国境付近を根拠地とする反日武装闘争や中国の重慶に金九らの大韓民国臨時政府が組織した韓国光復軍等による独立運動が闘われる。四五年、日本の敗戦と共に植民地支配が終了する。八月一五日は朝鮮、韓国ともに光復節という祝日である。

 以上日朝・日韓関係の歴史経過を簡単にまとめてみましたが、これだけでも長くなったので台湾については後日。

   

 今日は台湾の植民地支配について勉強したいと思うのですが、その前に。とある大学生さんとの論議の中で歴史教科書に対する評価が違っていることに気がつきました。私の場合は教科書という物は階級闘争の結果が反映されていると思っています。つまり、時の権力者が教科書検定の基準を設けているのですから基本的に日本政府に都合の悪いことは書かせたくない。しかし日本の民衆が歴史の教訓を忘れず教育問題に取り組む中で、嫌々ながら掲載を認めざるをえない歴史的事実が存在していると思うのです。逆に政府にとって、権力者にとって都合の良いことを書きたいのだけれども、それがあまりに薄弱な根拠しか存在しない、酷い場合には根拠も存在しないために書かせたくとも書かせることが出来ないことがあると考えています。「あたらしい教科書をつくる会」の教科書は、国内の階級関係、アジア民衆との関係を無視して、強引に教育を通じた戦争国家化への攻撃としてあるのだというのが私の認識なのです。

 ところで教科書には載っていても、授業の進展具合などにより学習していないために近現代史を知らない人は沢山存在します。とある大学生さんは理系の学生さんだそうですから、おそらく高校で近現代史の授業を十分に受けておられないのではと推察します。受験に関係ない教科はカットされますから。虚心坦懐に通説を学ぶところから始めませんか。

 本題。一八九五年日清戦争の講和条約によって日本は台湾の領有権を獲得。日清両国政府に反発する人々が五月二三日に台湾共和国を樹立。約五カ月間の抵抗を行うが、日本軍の武力で制圧される。その後も一九一五年までゲリラ的な抵抗闘争が続く。台湾総督は陸海軍の大将・中将がその任にあたり軍事力と警察力で強力な治安維持体制を築く。「土地調査」を行い共同耕作地などを日本の国有財産に編入したのは朝鮮と同様で、これらも日本企業などに安く払い下げられた。日本企業への様々な優遇措置も有り多くの日本資本が台湾に工場などを建設する。また、日本人向けの米の開発を行い、灌漑利水事業を行って食料不足の日本に輸出した。

 台湾議会設立を求める運動などが行われたが実現しなかった。三〇年一〇月には霧社事件が発生し、先住民によって日本人一三二名が殺害される。様々な形で日本への抵抗や自治を求める運動が続いていた。台湾人の「皇民化」台湾産業の「工業化」、日本の東南アジア進出の基地とする「南進基地」が統治政策の基本方針となる。日中戦争勃発後は中国本土と同民族である台湾人の動向を警戒し、「天皇陛下の赤子」にするために更なる皇民化が、新聞の漢文欄の廃止日本語常用運動、神社参拝の強制、中国風の偶像・寺院の撤廃、旧暦正月行事の廃止・禁止などを実施。四〇年二月一一日を期して日本名の使用が「許される」改姓運動が始まる。日本の大政翼賛会発足に合わせて皇民奉公会が設立され各地に組織される。東南アジア進出要員養成のための、農業戦士訓練所、拓南工業戦士養成所、海洋訓練所などが設立される。これらは戦時体制の完成と戦争遂行に向けて台湾人を組織するための物だった。

 戦争の深刻化に伴い台湾人は軍属・軍夫として徴用され、前線に送られた。ついで志願制が引かれて軍人としても動員され、四四年九月には徴兵制が施行された。約二〇万人が動員され、戦病死者約三万。しかし、戦後は日本領ではなくなったために何の保障もされていない。欧米各国が植民地出身者に対しても保障していることとは大きな違いである。

 朝鮮においても台湾においても長期にわたる独立運動や抵抗の闘いが存在していたが、中には諦めから日本の支配下での同化政策に従う者や、戦争に協力することで朝鮮人台湾人の地位向上を図ろうとする動きも少なくなかった。

 高文研から発行されている「未来をひらく歴史」という、日中韓三カ国の歴史学者の共同編集による近現代史の本もあるのだが、これだと「偏っている」などと言う人があるだろうから、今まで通り山川出版の参考書を使います。上記の本は共同編集であるだけに、一つの国の一方的な、自国内でしか通用しない主張は排除されているので客観的な事実を知るためには良い歴史書だと思います。その1その2では日本の植民地政策を見てきたけれど、その間の国内の動きに注目します。

 1889年に衆議院議員選挙法が公布されると、25歳以上の男子で直接納税額15円以上の者にだけ選挙権が認められたため、90年代から普通選挙運動が展開されるようになる。11年には普通選挙法は衆議院を通過したが貴族院で否決され、運動は一時下火になる。14~18年の第一次世界大戦によって日本は空前の好景気となり物価が二倍に上昇するインフレとなるが、賃金の上昇が追いつかなかったために労働者の生活は帰って苦しくなる。農林業従事者が都市に流入し農業生産は減少する。米価は一石あたり17年6月の20円から18年8月には41円と急騰した。生産が追いつかない事と大商社・米穀商・地主による投機的な買い占め、売り惜しみによる者が大きかった。外米の輸入も特権商社の独占のままにした上関税も下げなかった上、インフレ抑制策も講じなかった。シベリア出兵論議によってさらに米価の高騰が起こる。

 18年7月22日、生活に困った富山県魚津町の主婦たちが井戸端会議で米の搬出を止めてもらう様相談し、翌23日魚津港からの米搬出を中止させる。これが全国に広がり、米の安売りを求める米騒動となる。8月11~13日がピークで、大阪では20万人が参加する騒ぎとなる。警察だけでは鎮圧出来ず軍隊も動員された。米騒動は労働運動にも影響を与え、炭鉱での賃上げ要求等の労働争議も行われたが、こちらも軍隊の出動、発砲により鎮圧され、多数の死傷者を出した。米騒動の参加者は全国で70万、死者30人、検挙者2万以上。生活問題を無視する政治への民衆の不満の爆発であった。

 米騒動を契機として、17年のロシア革命の影響も有り、労働運動・農民運動等の組織的運動が開花し、労働組合数は急増し、全国水平社や日本農民組合が結成された。普選運動も組織的大衆的広がりを見せ、大正デモクラシーを象徴する全国民的運動に発展した。25年(大正14)普通選挙法は両院で可決、公布された。

 1910年代前半には「天皇機関説論争」が巻き起こる。明治から大正への代替わりの時期である。国家法人説にもとづいて「主権は国家に有り、天皇は国家を代表する最高機関である」とする美濃部達吉と穂積八束が体系化した天皇主権説を受け継いだ上杉慎吉との論争。藩閥官僚政治から政党政治への移行期、民衆が新しい政治勢力として登場し日比谷焼き討ち事件の様に世論が政治の動向に決定的影響を与え始めた時でもあったため、美濃部説は広く支持を集めた。天皇機関説は学会や世論のみならず、政党内閣の時代には天皇や元老も含めた政界上層部の考え方とも一致していた。

 こうした大正デモクラシーの高揚の中で、普選法と時を同じくして治安維持法が制定され、後の共産党弾圧から自由主義、平和主義を圧殺していく準備もなされていた。25年に制定された治安維持法は「国体の変革」及び「私有財産制度の否認」を目指す革命運動の組織・思想の取り締まりを主目的としたが、その最初の本格的適用が田中義一内閣による28年の三・一五事件であった。徳田球一・志賀義雄ら党幹部や関係者あわせて1568人が一斉検挙された。特高警察による社会運動全般への厳しい取り締まりが行われ、残酷な拷問で自白を強制し、時に容疑死者を死に追いやった。

 田中内閣は緊急勅令で治安維持法を改悪し、最高懲役10年の刑を「私刑又は無期」に強化し、共産党の支持者・協力者をも懲役刑に出来る物とした。33年には共産党の最高指導者である佐野学・鍋山貞親の転向声明による組織の動揺をはじめ、大衆から隔絶された中で内部崩壊し、35年には壊滅状態となる。警察で虐殺されたもの65名、虐待がもとで獄死した者は114名を数える。共産党が壊滅すると、当初の結社取り締まりから思想取り締まりに重点が移り、36年「思想犯保護観察法」が制定され、運動からの共産主義思想の放棄・転向を促す体制となる。人民戦線事件・横浜事件等の様に党とは無縁の社会主義者や団体が党再建グループとして摘発されたり、自由主義者が検挙された。・皇室尊崇の国家神道を否定するとして、キリスト者・大本教、創価教育学会・天理教などの宗教団体も徹底弾圧を受ける。

 41年には治安維持法を全面改悪して「再犯のおそれ」だけで予防拘禁出来る様に改めた。敗戦後も天皇制を護持するために一層の強化が厳命された。弾圧は45年10月のGHQKの治安維持法廃止指令により三千人の政治犯が釈放されるまで続く。治安維持法によって検挙されたもの約67000人、起訴されたもの六千余名。「わが国は民主主義・反戦平和勢力を異端者として排除した結果、自らの政策の行き過ぎや間違いを事前にチェックする制度的保障を失ってしまった。悲惨な戦争への道を歩んで行く、後戻り出来ない重大な通過点の一つが一九二五年の治安維持法成立であった。」

 「あたらしい教科書をつくる会」の歴史教科書では、治安維持法については殆ど触れようとしていない。その事を通してあたかも当時の国民の多くが自発的に侵略戦争に協力して行ったかの様な錯覚を植えつけようとしているが、実際には多くの日本人の血の海の上に戦争体制が作られて行った事を忘れてはならないと思う。朝鮮や台湾で「皇国臣民」として地位の向上や自己実現をはかる人々がいたのと同様、日本人のなかでも自由主義や民主主義が弾圧された結果、国家意思に従順な人々が作られて行ったのだ。

 1923年9月1日、関東大震災。死者行方不明者14万人以上。被災者の不安をそらすために警察や軍隊が「朝鮮人による暴動」というデマ宣伝を流し、在郷軍人会を中心に組織された自警団などが中心となって約6千人の朝鮮人と200人の中国人、10人の社会主義者・無政府主義者が虐殺された。虐殺を行ったのは自警団だけではなく、戒厳令で出動していた軍隊、警察によっても行われた。背景には日本の植民地支配によって土地を奪われた朝鮮人が日本に渡ってきて、生きるために低賃金で働いていたことに対して、仕事を奪われたという感情も含めて日本人の多くが差別を行っていたことがある。日頃の差別への報復が為されるのではないかという差別者の後ろめたさがこのような虐殺に繋がった。

 政府が虐殺の報道を禁じたこと、朝鮮人・中国人への蔑視などから世論の批判も弱く隠蔽工作が行われた。逆に無政府主義者の大杉栄を虐殺した憲兵大尉甘粕正彦などに対しては減刑運動までもが行われた。

 22年3月3日には全国水平社が結成されている。1871年の解放令によって賤民身分は廃止されたが、同時に徳川幕藩体制で保証されていた様々な部落産業の特権も剥奪された事で部落民の多くは経済的に困窮していく。融和運動などでは部落の解放が勝ち取れないとして結成されたのが水平社だった。差別糾弾闘争を中心とする運動はやがて国家権力との闘いにまで発展する。軍隊内部での反軍闘争、高松結婚差別裁判事件などの闘いを通じて水平社は勢力を拡大していく。中心的活動家の3・15事件での逮捕投獄などの弾圧も行われた。37年の日中戦争勃発後は国家の戦争体制に協力する路線に転換し、42年には自然消滅してしまう。

 日露戦争後の日本は膨大な輸入超過と対外債務にあえいでいたが、14の第一次世界政戦により戦場となったヨーロッパに変わり造船業・海運業を中心に活況を呈し債務国から債権国に転換する。その好景気も20年3月に株価暴落をきっかけとして恐慌が始まる。政府は産業界の整理よりも救済を優先したため、不良経営の企業・銀行が生き延び、国際競争力は低下してその後の長期不況の原因となる。更に関東大震災による企業救済のための支払い猶予令、震災手形によって戦争後の経営不振企業までもその債務を肩代わりしたために、震災恐慌から金融恐慌へと突き進む。27年3月、若槻内閣の蔵相片岡直温の国会答弁中に経営不振にあえぐ銀行名が具体的に発言され、取り付け騒ぎに発展する。更に鈴木商店とその不良債権を一手に抱える台湾銀行が破綻することで恐慌は悪化する。若槻内閣に変わり田中義一内閣が発足し、高橋是清の手腕によってパニックは収まるが、中小銀行の破綻により五大銀行による金融市場支配体制が確立される。

 後に昭和恐慌によってファシズム運動の台頭、日中戦争への路が敷き詰められる。29年10月のニューヨーク株式市場の大暴落に始まる世界恐慌が一層拍車をかける。インテリのサラリーマン層の失業が問題となり、賃金引き下げや解雇に反対する労働争議が頻発した。農村においては小作争議が激増し娘の身売りも増えた。恐慌の深刻化にもかかわらず、政府は国民に対しては耐乏生活を呼びかけ、産業界に対しては一層の合理化を進めるのみであった。右翼・軍部の政府への不満が高まりテロ事件やクーデター未遂事件が起こり、31年には満州事変が起きることになる。32年の5・15事件によって時の首相犬養毅が暗殺されると、日本の政党政治は終焉した。

 36年の2・26事件では皇道派の青年将校によって天皇親政と反共主義の国家体制実現を求めるクーデターが行われ、多くの政府要人が殺害された。昭和天皇裕仁はこれに対し終始一貫して討伐を主張。下士官・兵を将校と分断することに成功した軍部は、29日に反乱を収拾した。その後反乱軍の指導者達は死刑となり、軍部の実権は統制派が握り、政府に対する干渉を欲しいままにするようになる。

 1928年張作霖爆殺事件の後、後継者張学良は蒋介石の国民党政権の下に入り反日・抗日の旗幟を鮮明にするようになる。対張学良強硬派の意見が強くなった軍部は31年9月18日夜に柳条湖事件を起こし、それを張学良軍の仕業として攻撃を始める。翌32年2月には満州のほぼ全域を軍事占領下に置く。中国国民党政権は国際連盟に提訴した。すると日本は上海で日蓮宗の僧侶を殺害してそれを中国側の仕業として上海事変を起こし国際社会の耳目をそらせようとした。

 関東軍の板垣征四郎・石原完爾らは満蒙の日本領有を企てたが、軍部中央の政治判断との間で妥協し傀儡国家としての「満州国」を32年3月1日に「独立宣言」させ、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀を執政に据える。33年1月には内蒙古東部の熱河省までを占領し、北京・天津まで迫る。5月の停戦協定後、関東軍・シナ駐屯軍は河北分離工作を進める。柳条湖事件は事実上の対中国戦争の始まりであり、37年7月7日の廬溝橋事件によって日中全面戦争に発展する。更に41年12月8日の対米英戦争にエスカレートし45年8月15日の敗戦に繋がる(降伏調印は9月2日)。この間の戦争を十五年戦争という「「満蒙は日本の生命線である」として始めた関東軍の侵略行動が、結局アジア、太平洋戦争による、日本、朝鮮、台湾、中国、東南アジアなど各地の人々に悲惨な結果をもたらすことに連なっていったのである。」

 32年9月、日満議定書調印し満州国を正式に承認。日本の在満州既得権益と日本軍の駐留権が正式に認められる。形式的には満州国は独立国であったが、その主要ポスト、とりわけ総務庁のポストは日本人が独占した。実権を握っているのは関東軍と総務庁だった。33年3月国際連盟は満州国を否認する対日勧告案を採択するが、日本はこれに講義して国際連盟を脱退国際的に孤立の道を歩むことになる。34年3月1日執政溥儀を皇帝にして「満州帝国」と国号を改める。この植民地支配に対して抵抗運動が行われる。32年9月15日の撫順炭田襲撃事件。これに対して日本軍は平頂山の住民三千人を虐殺する。36年には抗日連軍が結成され日本の敗戦まで抵抗運動が続く。

 32年7月、関東軍は満州国協和会を結成。「五族協和」「王道楽土」などの建国イデオロギーの大キャンペーンを繰り広げた。9月には農業に従事する在郷軍人を対象にした第一次移民・武装移民が行われる。抗日勢力平定に従事するこれらの移民は、中国人農民の住む土地を低価格で強制的に買収した土地に入植した。関東軍の計画では20年で100万戸500万人の移民計画を立て、昭和恐慌で打撃を受けた農民が多く参加することになる。38年からは満蒙開拓青少年義勇軍の募集も始まる。対米英戦開戦後には日本の戦争推進のために一般人に多くの強制動員が行われた。青壮年男子は徴兵によって動員され開拓団は老人と婦女子だけになる。関東軍の主力は戦況の悪化に伴い南方に転用されていたため満州における日本軍の兵力は微々たるものとなり、45年8月8日のソ連参戦当時には多くの民間人が置き去りにされ多くの自決者、戦死者、餓死者を出す。犠牲者は約8万人と言われる。

 日中戦争、太平洋戦争については後日。

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パレスチナ・レバノン問題の講演会

緊急講演会のご案内です。
本当に急な開催ですが、是非お越しいただければと思います。

(転載転送歓迎いたします)

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┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛ 《 緊 急 講 演 会 》 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛

天 木 直 人 さ ん が 語 る レ バ ノ ン・パ レ ス チ ナ の い ま
(元駐レバノン大使)

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■日時:
2006年9月5日(火) 午後6時45分~9時(6時15分開場)

■会場:
クレオ大阪西ホール(此花区西九条6-1-20、06-6460-7800)

■行き方:
JR大阪環状線・阪神西大阪線「西九条」駅下車、徒歩約3分
地図:<http://www.creo-osaka.or.jp/west/img/map_west_l.gif>

■講師:天木直人(元駐レバノン大使)

あまきなおと。1947年生まれ。
1969年、京都大学法学部を中退し上級職として外務省入省。
中近東アフリカ局アフリカ第二課長、内閣安全保障室審議官、
在マレーシア日本国大使館公使、在オーストラリア日本国大使館公使、
在カナダ日本国大使館公使、アメリカ在デトロイト日本国総領事
などを経て、2001年2月~2003年8月、駐レバノン日本国特命全権大使。
2003年3月、イラク戦争に反対する意見具申を行ったため、
外務省から「勇退」を迫られ、辞職。
現在は、講演・執筆活動を中心に活躍。

【著書】
『さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さない』
『アメリカの不正義―レバノンから見たアラブの苦悩』など

■参加費:1000円(学生及び低収入者:700円)
※「学生・低収入者」の方は受付時に自己申告をお願いします。
※ 事前予約されると100円割引になります。

■予約:下記連絡先の電子メールアドレス、またはFAX番号宛に、
(1)名前、(2)枚数、(3)電話番号、(4)住所
を明記してお送り下さい。

■主催: 天木直人大阪講演会実行委員会

■連絡先
Fax:06-6624-2835
Tel: 090-9273-4316
Eメール:lebanon_heiwaあっとまーくyahoo.co.jp


■みなさまへ

いま、中東情勢への向き合い方が厳しく問われています。
アメリカとイスラエルによる侵略・占領によって、
膨大な数の人命が失われ続けている実態を見ながら、
それでも「対テロ戦争」「中東民主化構想」に無言の支持を
与え続けるのか、それとも、殺される側、占領される側の視点から、
この地域における本当の自由と民主主義を渇望する人々の思いを
受けとめようとするのか。

今回の企画では、レバノンで現地の人々に、2年半にわたり、
大使という立場から関わり、イラク戦争を批判する意見具申を理由に
外務省を実質解雇されてからは、より自由な立場から中東情勢と
日本の政治のあり方について批判的に思索を深めてこられた
天木直人さんをお招きし、イスラエルによるレバノン侵攻の背景、
そして、それを非難することさえままならない、日本を含めた
国際社会の状況について、しっかりと考えたいと思います。


■呼びかけ団体 (8月24日現在、50音順)

・ATTAC関西
・イラク人医師シャキールさん支援グループ
・イラク・フォーラム事務局
・大阪YWCA国際部
・沖縄の会
・関西共同行動
・憲法勉強会ベアテの会
・DAYS JAPAN 関西サポーターズクラブ
・日本聖公会大阪教区教宣部
・パレスチナの平和を考える会

■企画詳細サイト
http://palestine-forum.org/event/20060905-amaki.html

「あおざかなの買物日記」より転載

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2006年8月24日 (木)

幻のハワイ日本連合

 昨日は珍しく自分の意志でテレビ番組を見た。普段なら殆ど見ることはなく、食事の時に視野にはいるくらいで見ると言うより眺めていると言った方がよいだろう。たまたま内科に受診に行った際に待合室でNHKのコマーシャルが目に入った。昨夜放送の「その時歴史が動いた」でハワイ国王カラカウアが日本を盟主とするアジア太平洋連合を形成することで欧米列強の侵略と闘おうとした話だという。先日来何度かコメント欄に日本が帝国主義としてアジア侵略の道を選んだのは必然であったのかどうか、別の道はなかったのかどうかと言う討論があったため興味が湧いた。私としては国内外の階級闘争の攻防の結果、人民の側が敗北したことによって侵略の道を選んだと思っている。

 メモを取りながら見ていたわけではないので年代などの記憶は不確かであるが、今から130年ほど前、番組では明治14年と言っていたと思うのだが、ハワイ国王カラカウアが日本を始めアジア諸国を歴訪する。目的は当時アメリカによる経済侵略に始まり、国土の大半を買収され、政界にもアメリカ人資本家たちが進出し、やがてアメリカの太平洋戦略によって軍事的にも征服されようとしていたハワイの独立を守るために、当時同様に欧米の侵略を受けていたアジア諸国で連合を組んでそれらに対抗しようという物であった。カラカウアの歴訪にはアメリカ人の随行員が付いており常時監視されていたのだが、ある日彼らの目を盗んで明治天皇ムツヒトと単独会見した彼は連合構想を打ち明け、ハワイの王位継承者である姪と皇族との政略結婚も提案した。あまりに希有壮大な構想であったためにムツヒトは即答を避けて後日返答することにした。不平等条約撤廃を重要な政治課題に掲げていた当時の日本政府は、欧米と協調するのかそれに対して連合を組んで対抗するのかで色々と悩んだようである。結果として日本は欧米列強の機嫌を損ねることを恐れてカラカウアの申し出を拒絶する。その後ハワイはアメリカの謀略的手法によって50番目の州として併合され、アジア太平洋侵略の拠点となっていく。日本はアジアよりも欧米の動向を気にしながら、それと衝突することを避けて寧ろ一緒になってアジア諸国を侵略する側になっていった。

 もちろん単純にこの一件だけが日本が帝国主義としての道を選んだ岐路だ等と言うつもりはない。だがしかし多くの歴史的事件の節目節目における日本の支配階級の選択が、朝鮮侵略・併合に始まり日中十五年戦争への道を突き進んでいく物となった。当時の日本においては不平等条約の撤廃を求める運動は政府のみでなく国民の多くの層が支持をしていた。その中に、もしパリコミューンに影響を受けた人々が存在しており、党としての運動体を形成していればどうであったのだろうか? 歴史にもしもは無いのであるが、当時既にインターナショナルが存在しており、それが日本にも波及していれば、或いは国際連帯の思想がハワイ日本連合形成に繋がる運動となったかも知れない。

 この番組の中で興味深かった点として、アメリカ人資本家によるサトウキビ農場の発展がハワイ経済をも発展させ豊かにはしているのだが、豊かになれば成る程ハワイは経済的・政治的にアメリカに従属していく過程があった。当時既に帝国主義として形成されていたアメリカによる植民地支配の一例としてのみでなく、日本が朝鮮・台湾などを植民地として様々なインフラ整備を行い、経済的基盤を築き上げた事とも共通点が有るように思う。カラカウア自身が当初はハワイのために良かれと思ってアメリカ人資本家の勧めに応じて締結した通商条約がハワイを蝕んでいく。朝鮮などにおいても日本と手を組むことを主張した人々が存在したが、彼らの思いが例え朝鮮にとって良かれという物であったとしても、結果として亡国に繋がったことと重なって見えた。

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2006年8月23日 (水)

靖国問題を巡って

 未だ夏風邪・夏バテの症状で辛いので、先日来たくさんなされた書き込みに対して返事を書くことを総括的にさせていただこうと思う。

 よく右の人々は中国・朝鮮・韓国のみを取り上げて「特定亜細亜」としてあたかもおかしな言いがかりを付けているかのように描くことに必死である。だが日帝によるアジア侵略の歴史の中で最も被害を受けた国々がこの三カ国である以上、最も強行に日本における侵略戦争賛美の動きに対して抗議するのは当然のことである。南京大虐殺・朝鮮人強制連行・従軍慰安婦などの歴史的事実を抹殺しようとする歴史修正主義者たちとそれらに取り込まれた人々が幾ら妄言を言ったところで「墨で書いた戯言では、血で書かれた真実を塗り隠すことは出来ない」のである。日本の国家機構である国会も裁判所も内閣も、日帝によるアジア侵略とその結果起きた数々の虐殺行為などの犯罪行為を否定し去ることが出来ないでいる。もし本当にアジア諸国から巻き起こる日帝に対する糾弾が事実でないのであれば、日帝は戦後一貫して公式に事実を否定してきただろう。

 靖国問題に関しては、はなゆーさんの「低気温のエクスタシー」「インド紙が小泉首相靖国参拝を批判『つづく靖国参拝トラブル』」ワシントン・ポスト紙『靖国史観=遊就館展示はまやかしだ』」 等の記事が掲載されている。少なくとも政府見解ではないが有力な報道機関が小泉の靖国参拝および遊就館の皇国史観に対して批判していることは事実である。けして中朝韓の三カ国だけが問題視しているわけではない。以前から何度も述べているのだが、日本の戦後における政治・経済の両面における侵略の結果、政府としては表だって日本を批判できない状態にある国々が多いのである。その状況の中でも三カ国は日帝に対して我慢の限界が来ているわけで、それだけ侵略の傷跡が大きかったのだ。日本の戦争国家化に対する危機感が大きいのである。

 共産主義者は宗教を私事であって政治に介入すべきではないと考える。だがその事が死者を悼まないと言うことには繋がらない。共産主義運動において闘いに斃れた幾多の先人を宗教とは無関係に追悼している。靖国において我々が問題にしているのは侵略イデオロギーの支柱としてかつても今日も機能しているからである。アジア侵略を居直るために「大東亜戦争」と言いなし、侵略戦争の結果死んだことをもって顕彰する施設であるからこそ批判し、解体を主張しているのだ。当時の多くの兵士は徴兵を拒否すれば家族全てが非国民として迫害を受ける状況の中で好むと好まざるを得ず死んでいった。戦没学生の手記である「聞けわだつみの声」などを読むと自分が戦死することを無理に納得しようとする苦悩が見て取れる。多くの若者が政府の言うきれい事を信じていたわけではないことが分かる。彼らに死を強制し、マインドコントロールを行ったのが靖国を頂点とする国家神道である。今日小泉の首相在任中の靖国参拝によってその機能が再び表面化している。その事を私は弾劾するのだ。

 何故靖国に参拝するのか。単純な話である。あそこに祀られているのは東京大空襲や広島長崎の原爆を始めとする一般市民の死者がいないからである。原則として侵略の尖兵として戦場で死んだ者だけを祀るからである。戦争の悲惨な犠牲者を除外したところで「平和を祈る」行為がどれほど矛盾に満ちているだろう。国家の行為によって死に追いやった人々とそれを強制した者達とを同列に扱うことが、死者に対する冒涜でなくて何であろう。共産主義者は二度と再び日本が帝国主義による侵略戦争をしないようにするために靖国参拝に反対するのである。断固として靖国解体を主張するのだ。

 蛇足であるかも知れないが「靖国神社『遊就館』の奇怪で御都合主義な英語版説明文」と言う記事にもリンクを張っておく。靖国神社その物が姑息な形でしか自らの主張を表現できない。米英を始めとする戦勝国に対しては「アジア解放の聖戦」であったと言えない点に日帝の後ろめたさが凝縮されていると言えるだろう。

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2006年8月22日 (火)

夏風邪を引く

 夏風邪を引いたために月曜と今日の二日間仕事を休んでしまった。ここ暫く体調も良かったので殆ど休みを取らずに出勤していたのだが、どうやら夏バテで体力が落ちていたようだ。週末に実家に顔を出してきたことも相まって更新が三日も飛んでしまった。

 パソコンに繋げない間に色々と書き込みが増えているが、返事を書くのには少々時間がかかりそうである。取り敢えず今日も早く寝て明日からは出勤できるように体調を整えよう。一応昨日の時点で内科と心療内科の両方を受診して、鬱病の再悪化の気配がないことは確認しているのだが、もしそうであった場合を思うと少々心配である。出来るだけ休養を取るようにしよう。

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2006年8月18日 (金)

経過良好

 今日は息子の受診日である。妻が勤務の都合上休めないために私が夏期休暇を取った。暇であるお盆に出勤していたのはこの為である。同僚の多くが14~16の三日間に夏期休暇を当てて休んでいた。出勤者の少ない職場でそれなりに適当に仕事を見つけて仕事をした。で、今日はのんびり朝寝坊を楽しむ。出勤前の妻に起こされ、受診上の注意事項を聞いた後で二度寝した。その後ローンのために給料を降ろして銀行に行く。民営化後は郵便局でも住宅ローンを扱うらしいのだが、現状では銀行で組むしかないために、毎月給料日には銀行に走っている。一応郵貯のATMから入金することも出来るのだが、手数料が勿体ない。ローンを組んだ当初は郵貯ATMからの入金は手数料無料であったが、今はその特典が無くなった。

 で、午後からの受診であるために息子を連れて近所のスーパーに行く。今の息子はムシキングに嵌っている。「血液検査で我慢するからムシキングさせて」とのおねだりに屈したのである。最初は友達と対戦するモードで私が息子と闘い、私が勝利した。次はネブ博士と闘う戦うモードで息子は勝利し、何でもムシキングジョニー級という強い順番から二番目のランクであった。最後に物語りモードで闘うと三番目の敵に敗北した。基本的にジャンケンで勝敗を決めるゲームであるのだが、色々と奥が深いようだ。その後昼食を買って帰宅する。

 昼食後少しの昼寝をしてから医大病院に行く。小児科外来を探すところから複雑である。色々と建て増ししたようで、病院内は迷路のようだ。尋ねつつ小児科外来にたどり着くと、早速小児慢性疾患の還付金に関する質問をする。医療相談室に行ってくれと言われ、その前に血液検査の採取がある。献体を検査室に運び、診察を待つ。小一時間待ったところで名前を呼ばれ、診察室に入る。どうやら検尿の結果は上々であるようだ。保育所への通所許可が下りた。一旦退所手続きをしているために再入所の許可を得ないといけないのだが、夏休みも終わるため、九月から保育所に行ってくれると助かる。色ポス結果を聞くと経過は良好であるようだ。色々と気を遣って食事の際に野菜を無理矢理食べさせ、薄味の食事を作ってきた甲斐があったようだ。このまま完治してくれればよいと思いつつ医大病院を後にした。帰宅途中家電量販店に寄り、「ムシキング」のソフトを買わされた。帰宅するなり次女に「○○には甘い」と非難されてしまった。

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2006年8月16日 (水)

死者を冒涜する靖国参拝を批判する

 お盆の間も暦通りの出勤で、昨日は炎天下の仕事で疲れたために記事を書くことも書き込みに返事をすることも出来なかったので、一日遅れではあるが小泉による靖国参拝を批判しておきたい。既に多くの人々が様々な視点から批判記事を書いているので今さらながらという感がないではないが。

 先ず第一に、小泉は01年の自民党総裁選で靖国参拝を公約にするまで唯の一度も靖国を参拝したことはなかった。日本遺族会の票目当ての行為である。これが国会議員になる以前から続けていた行為であるのならば、少なくとも小泉にとって首尾一貫した行動になるのだが、そうではない。おそらく首相の座を退けば靖国に足を運ぶことはないであろう。そして、以前に別の記事でも書いたのだが小泉の一族は横須賀軍港の港湾荷役を「軍港随一の請負師」として仕切ることで財をなした曾祖父由兵衛から勃興する。祖父に当たる又次郎は全身に龍の入れ墨を入れた国会議員として有名であり、逓信大臣や内閣顧問まで務めているのだが、何故入れ墨をしたのか知る人がどれだけいるだろうか? 海軍への入隊を希望していた又次郎に由兵衛が土建業の小泉組を継がせようとした。入れ墨者は士官学校に入ることが出来ないために又次郎は墨を入れたのだ。当然のことながら戦場で命を落とすことはなかった。日本の軍国主義と結託して財産を築きながら自らは安全な場所に身を置いてきたわけだ。父親である純也も戦前からの国会議員である。又次郎と共に大政翼賛会に所属していたために、両名とも戦後は公職を追放された時期もある。そして小泉には大根役者ともう一人の息子が居るのだが、どちらも自衛隊に入るようなことはない。少なくとも小泉は多くの自衛官を戦闘状態の続くイラクに派遣したのだが、息子たちに志願してくれと要請したことはない。徹頭徹尾自らは安全な場所に居続けているわけだ。「英霊」に「感謝」する資格自体がない人間である。

 では靖国に「眠る」「英霊」とやらは一体何をして死んだのか。私の伯父も一人戦死しているが、アジア諸国を侵略する過程で死んだのである。靖国に合祀されている東条英機は首相兼陸相であった当時戦死者以外を祀ってはならないと命じているのだが、日本軍は朝鮮で、台湾で、中国でマレーシアやフィリピンで一体何を行ったのか。今日米軍がイラクで、イスラエル軍がガザ地区やレバノンで行っているように暴虐の限りを尽くしたのだ。好きこのんで戦場に行ったのではない者も多数存在していたが、映画「蟻と兵隊」で描かれているように普通の青少年を殺人鬼に仕立て上げる教育が行われ、多くの民間人虐殺を行った。河北における三光作戦、南京攻略戦における大虐殺、泰面鉄道での捕虜の強制労働など数々の残虐行為を行った者達である。仮に神道における「神」であるとするならばそれらは「禍つ神」でしかない。誰が虐殺者・殺戮者になりたいと思っていただろうか。伯父をして侵略戦争の使い捨てのコマにしたあげく、それを恩恵のように「顕彰」する靖国その物の存在を許すことは出来ない。小泉はその靖国に首相として参拝したのだ。

 かつて日本政府が国を誤り、その結果死に至らしめた多くの人々に対して、彼らの死を政治的に利用する装置が靖国である。首相として参拝することは再び「軍神」に続けと言うに等しい行為である。陸自はイラクから撤退したが、今日なお空自が米兵の輸送を担っている。イラク人民の抵抗闘争の中で、いつ空自の中から戦死者が出てもおかしくない。「靖国に祀ってやるから安心して死んでこい」「お国のために命を捧げろ」と言うに等しいのだ。右翼勢力は小泉の靖国参拝を諸手を挙げて喜んでいるが、こいつらの中に帰還兵はどれだけいるというのだろうか。殆どの人間にとって自衛官の命は他人事である。死ぬかも知れない戦場に派遣される恐怖や不安から100を超える自衛官が自殺している。精神に異常を来した者も少なくない。小泉が彼らをそこまで追いやったのだ。小泉を支持する人々が追いやったのだ。私は徹底して小泉の靖国参拝を弾劾するし、靖国その物を解体すべきだと思う。

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2006年8月14日 (月)

レバノン停戦に思う

 日本時間の今日14時に、レバノンの民兵組織ヒズボラと侵略者イスラエルとの間に国連の仲介による「停戦」が発効したようである。だがイスラエルは13日の「停戦」受諾後も攻撃の手を緩めることはなく、また現在レバノン領内に侵攻している部隊を撤退させる気もないことを表明している。asahi.comによると13日だけでもレバノンの50の町に対して空爆を行い、少なくとも22名が虐殺されたという。また読売新聞のサイトでは、14日未明もイスラエルの攻撃が続き、レバノン人は29名が虐殺されたとある。既に千を超える死者が出ているイスラエルによるレバノン侵略だが、そもそもの口実はヒズボラによってイスラエル軍兵士2名が捕虜となり、イスラエルに囚われている政治犯の釈放を求めたからだという。だがイスラエルによる侵略を取り扱っているサイトや掲示板に飛び交う情報では、そもそも「2名の捕虜」自体が嘘であるらしい。ソースがハッキリしていないのであくまでも噂であるが。そしてレバノン領内に軍隊を展開していることを「自衛のため」と主張している。他国に軍隊を派兵し民間人を大量殺戮することは侵略というのだ。イスラエルが行っているのは奴らが幾ら美辞麗句を並べ立てようとも侵略以外のなにものでもない。

 中東およびパレスチナ問題については正直言って勉強不足の点が多々あるが、そもそもヒズボラはイスラエルの侵略に対して抵抗するために発生した民兵組織である。レバノン政府軍が敗北を重ねるばかりか、政府中枢を握るキリスト教系の勢力がイスラエルと一体となってパレスチナ難民キャンプを攻撃したりする中で、正規軍に任せておいてはイスラエルに蹂躙されるばかりであるという危機感から発足したという。悪逆非道な侵略者に対しては武装して抵抗する権利と義務が人民の中にはあるのだ。ヒズボラによる対イスラエルの抵抗運動は全く正当な行為である。だがしかし「停戦」提案の中で、ヒズボラの武装闘争を圧殺するために、レバノン正規軍の訓練を国連が行う計画があるという。これは7日に行われたアメリカ領事館に対する申しいれ行動の際に聞いたことであるのだが、レバノン人同士での殺し合いを強要することでしかない。「レバノン政府がしっかりしていないからヒズボラがのさばるのだとして」国連の名によってヒズボラ弾圧を要請していることでしかない。

 徹頭徹尾イスラエル政府の行為は不正義である。82年のレバノン侵攻以来どれだけ多くのパレスチナ人民とレバノン人民が血を流してきたことか。米帝による中東分割支配のために打ち込まれた「人工国家」であるイスラエルが、「建国」以来国境線を定めることなくパレスチナ人を追放し、その跡地に大量の入植地を作り上げて領土を拡張し続けていることこそがパレスチナ問題および中東問題の本質なのである。イスラエルは打倒されるべきである。ヒズボラやパレスチナ自治政府には様々な問題点が存在することは確かではあるが、パレスチナのハマスにせよレバノンのヒズボラにせよ、イスラエルの侵略に対する抵抗運動の中から生まれ、成長してきた組織である。そもそもの発端であるイスラエルによる侵略がなければその様な組織も運動も生じはしなかったのだ。私はイスラエルによるパレスチナ獅子区およびレバノンに譚する侵略および民間人を始めとする被抑圧人民虐殺を徹底的に弾劾する。イスラエルに対する抵抗は正義である。日本において彼の地の人民に協力できることは私の能力の及ぶ限り協力したい。イスラエルは侵略を止めよ。パレスチナ人民およびレバノン人民を殺すな。国連はアメリカの言いなりになってイスラエルを擁護する「停戦」提案を取り下げよ。イスラエル軍は無条件に撤兵せよ。米帝を通じてイスラエルの侵略行為に協力する日帝小泉政権を打倒しよう。

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2006年8月13日 (日)

チャラリーン 鼻から牛乳

 先ほど家族旅行から帰ってきた。昨夜は深夜に目が覚めてしまいそのあと二時間ほど眠れなかった。結局ねたのは朝三時半頃であった。妻子たちは早起きして旅館の近くを散策したようである。市街の中心から外れていて静かであったので熟睡できたようだ。地理的条件のために飛騨高山の名物である朝市に行くことは出来なかったようだ。朝食後今日の予定を色々検討し、旅館のフロントでも高山の観光地を尋ねた。祭りの森と言うところに行くことにしパンフレットを貰う。昆虫館が併設されていて息子はカブト虫やクワガタに夢中である。外国産のクワガタがつがいで売っていたが、値段を見ると2500円もするので諦めさせた。先日もカブト虫を三匹飼って貰ったのだが、世話が出来ずに死なせてしまっている。ウサギやリスが放し飼いにされているので抱いたりしていた、娘達も息子も大喜びであった。

 高山の祭りに使われている山車が展示されている地下展示場があり、そちらも見に行く。開場の売店で姪御を含めて四人兄弟ですかと尋ねられる。旅館でも同様のことがあった。やはり従姉妹同士であるのでよく似ているのであろう。昨日今日と一緒に旅行した姪の姉など妻の子供時分にそっくりであったから、親子で十分通用する。山車に備えられたからくり人形の操演等を見て午前中は時間を潰し、昨日は結局行くことが出来なかったお目当ての白川郷には午後から足を運んだ。民家を前に記念撮影したり民家の写真を撮ったりはんにち歩き回ると暑さの性もあって全身が汗みずくになる。職場の同僚への土産を買ったり色々買い物をしていて、「猿ぼぼ」さんという飛騨の民芸人形が気に入ってしまい幾つも買い求めた。夕方まで散策し、秋の紅葉の時期か冬の積雪の時期にまた来たいねと話し合う。

 帰りに寄ったサービスエリアで何気なくCDを見ていたら懐かしい事に嘉門達夫のベストコレクションと佐々木功と水木一郎との懐かしのアニメソングを見つけたので購入する。嘉門達夫の曲は、妻と付き合いだした頃からその影響で聴くようになったのだが、長女が「マーフィーの法則」を怖がるので聴かなくなっていた。十数年ぶりに聴いてみると息子に大受けである。一曲目の「ハンバーガーショップ」から「こちらでお召し上がりですか、それともお持ち帰りですか」「どっちもいらん」という科白を繰り返し繰り返し真似をして笑っている。さらに「鼻から牛乳」では何度も曲の中で「チャラリーン、鼻から牛乳」と出てくる度に「また鼻から牛乳って言った。またや。何遍言うンかな」とケタケタ笑う。長女が「○○の笑いのツボは分からへん」と言う。だが息子は大変気に入ったようで、今もこの記事を書きながら再生して聴かせている。そう言えば「瀬戸智子の枕草子」の瀬戸さんは嘉門達夫がお好きであったことを思い出した。「鼻から牛乳」の替え歌で「♪チャラリ〜口から出まかせ」と小泉政権を皮肉っていた記事があったように思う。

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飛騨高山

 今夜は家族に姪を加えて飛騨高山の飛騨亭花扇と言う旅館に泊まっている。滋賀の草津で姪と合流して、最初は世界遺産の白川郷の合掌造りを見に行こうとの話であった。妻と姪の休みが揃ったのが今月の始めの事で、息子の入院もあり何の予約もしていなかった。温泉だけ入って車中泊のつもりでいたのだが、途中、それも夕方に道の駅にある温泉に入ろうと立ち寄った処、置いてあった観光案内のチラシを見て高山市の観光課に電話したら、案内センターを介して宿を取ることが出来たのだ。私の様な人間にはもったいないくらいに立派な旅館で親切丁寧な応対をしてくれる。料理も豪華で美味しかった。宿代は大人一人が二万円なので安すぎないかと話し合う程だ。多分稼働率の関係で負けてくれているのでは無いかと思うのだが、みんな大満足だ。

 姪はこの春就職して職場の寮で一人暮らしだ。子供達は去年帰省して以来の再会になる。私は四年前に中学三年の時に会って以来だ。今年は息子の入院もあり帰省を諦めていたので、子供達は従姉妹と会うのを楽しみにしていた。特に息子は木曜から荷造りする程であった。興奮状態が続いていたのだが、姪が呆れ返る程テンションが高い。妻の実家には長兄と三兄との家族が同居しているのだが、息子一人でそれを上回る賑やかさである。はしゃぎ疲れたようで夕食の途中で寝てしまった。そうそう、この飛騨亭花扇では女性は好みの柄の浴衣を選ぶことが出来る。息子が一人で妻にはこれ、姪にはこれと仕切っていたのだが、長女だけは浴衣を着るのを嫌がる。結局長女を除く三人は浴衣に着替えたので記念に撮影をした。息子も浴衣姿で仲間に入る。どうも長女はお洒落すること自体が嫌いで、地味な格好ばかりしている。たまには浴衣くらい着れば良いのにと思った。

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2006年8月10日 (木)

クロカンの死

 朝日新聞の報道によるとカクマルの頭目クロカンが死んだようである。私のような石頭にとって「黒田・松崎・土門三頭目処刑」による本多書記長虐殺への革命的報復が実行できなくなったことが悔しい。しかも死んだのが埼玉県内の病院でである。一時期黒田はハワイに潜伏しているという話が党内でささやかれていた。結局これは松崎が組合費を着服してハワイに別荘を何軒も購入していることが誤って伝わったようであるが、情報収集・索敵に失敗した中核派の黒星であると思う。現書記長の天田氏は革命軍を冷遇をしていると聞いている。結果としてどの様な総括がなされるのか分からないが、出来ることなら残る二名を何としてでも処刑して欲しい。

革マル派の指導者、

黒田寛一元議長死去

2006年08月10日06時50分 (asahi.com)

 過激派「革マル派」の最高指導者だった黒田寛一(ひろかず)元議長(78)が今年6月下旬、埼玉県内の病院で死亡していたことが、関係者の話でわかった。

 黒田元議長は63年、日本革命的共産主義者同盟(革共同)が分裂して革マル派が結成された時から最高幹部で議長を務めていた。

 同派の理論的指導者として長く著述活動を続けたが、「目が不自由で病気がち」などとされ、公の場に姿を見せることはなかったという。96年の政治集会で議長を退くことが表明されたが、一般にはその動静はほとんど知られていなかった。

 公安当局によると、その後も最高幹部として組織を指揮し、メンバーにとっては絶対的な存在だったとされる。

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2006年8月 9日 (水)

勝利するまで闘うぞ

 職場の状況もそうなのだが、社会全体に諦めムードが漂っているように感じる。例えばこのブログでも右のトリオが執拗に共産主義とスターリン主義とを混同して、今まで帝国主義の弾圧とスタの裏切りによって実現されていない共産主義の理想その物を「嘘だ」とか「誤魔化しだと」か、負け犬の泣き言のような言辞が多いと思う。例えば職場でも当局にすり寄る組合役員が非常に多い。組合費を使って局長連中や専従を接待している支部役員が存在するわけだ。組合員大衆の決起に信をおいているのならば、そして自らの方針に自信があるのであればその様な行為は不要である。指導部が首も逮捕投獄も覚悟して組合員一人一人の権利を守るために闘う決意を固め、それを伝えることが出来たときには一般の組合員は指導部を守るために献身的に闘うのが戦闘的で階級的な組合の姿である。

 ではそれらの人々は一体全体今の社会をどの様に捉えどの様な行動をしているのであろうか? 現代社会の矛盾が各所で吹き出している中、国民皆保険制度の崩壊状況・年金制度に信用が無くなり未納者が増大する。自殺者が八年連続であったか七年連続であったか3万人を超える社会。正規雇用は徐々にパート・アルバイト・派遣に切り替えられ、親元で同居しなければ自立できない若者の増大、そして結婚すら考えることが出来ない。生活が出来ないからである。職場のゆうメイトと話していても結婚して子供を持つなど夢のまた夢である。20年前であれば労働組合が生活向上のために賃上げと労働条件改善を求めてストを含む闘争を組んでいた。例え微々たる金額であったとしても賃上げが勝ち取られていた。だが今はどうだろう。私自身ストライキの経験など無い。順法闘争も知らない。だが、かつては闘うことで労働条件の改善が実現されていたのだ。

 夢想家かも知れない。お人好しかも知れない。だが私は闘うことを止める気はない。直接の利益はない。基本的に労働運動の活動家は処分や差別人事によって虐げられている。だがある意味それは勲章である。同僚の待遇改善のために闘った証であるからだ。マルクス・エンゲルス・レーニンが唱え、本多書記長が提起した共産主義が未だ実現されていないからと言ってその事で絶望するのは気が早すぎる。私の場合思想的腐敗の原因の一つが諦めであったと思う。だが五年に及ぶ闘病生活と除名されてからの二年間で色々と考えることが出来た。人間は理想に向かって飽くなき努力を続けるからこそ進歩してきたのだ。ライト兄弟は空を飛びたいという願望のために努力した。誰であったか内燃機関を開発した人も爆発の連続を克服するために改良に改良を重ねたという。では社会変革を志す物が、共産主義の実現を目指す物が、かつて一時期しか共産主義を目指す社会を実現できなかったからと言って夢を捨てても良い物であろうか? 答えは否である。あくまで共産主義社会実現を目指して闘い続けること、そして自らの手で出来なければ後継者を育成すること。それが私にとっての生きる道ではないだろうか。

 闘争の度にあげたシュプレヒコールの結びの一語がある。「闘うぞ! 闘うぞ! 闘うぞ! 勝利するまで闘うぞ!! 」唯それまでである。執念深く闘い続けること、それだけだ。

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2006年8月 8日 (火)

米領事館抗議行動

 御堂筋にあるアメリカ大阪領事館の前に到着したのは午後6時10分頃であった。周囲には労組の参加者らしき人が十数人たむろしている。息子を伴っているので余裕を持って到着したのだ。警備の機動隊の車両が二台と警邏服の機動隊員が十名ほど。公安らしい私服が数人いる。素顔を晒しているので多分三課ではないのだと思う。暫くすると中之島公園に集合した人々が移動してきて申しいれ行動の参加者は数十名に増える。予定の30分に抗議行動が始まるとそれ以降も続々と参加してくる人々がいる。「しないさせない戦争協力関西ネットワーク」に参加する全港湾や連帯労組の関生支部などが沢山いた。もちろん私のように個人で参加した人も多い。

 息子にゲバルトスタイルをさせようとしたのだが、タオルが暑いと行って嫌がるので取り敢えず記念写真というかアリバイ用に写真を写す間だけ我慢して貰う。その後はピカチュウのヘルメットだけは被ってくれていた。「警察は悪い奴やから、鉄砲撃ってきて○○死んじゃったらどうしよう」と不安を口にする。「大丈夫だよ。お父さんもいるし、いくら何でも撃たへんよ」でも息子は色々と不安げである。人が多くなってきたので踏まれないように肩車をしてやる。ヘルメットと相まって目立つ。周囲の人々がかっこいいと言ってくれたりするので本人も少し照れていた。参加者の中で各団体の代表が発言していく。息子が一つひとつあれは何だこれは何だと聞いてくるので、苦心して説明する。以前オフ会でも何度か一緒したAさんがアメリカの紋章を指さして「ショッカーと同じやろ」と言ってくれた。息子は「アメリカってショッカーなんや」と納得したようである。ある参加者の方が息子のために飲み物を買ってくれたのだが、病気の為もあってお茶と水しか飲ませることが出来ないのでせっかくの好意であったがお断りしなければならなかった。最終的に参加者は120~130人くらいいたのではないだろうか。

 イスラエルによるガザ地区およびレバノンへの侵略と民間人虐殺を糾弾し、それに対する軍事援助・経済援助を続けるアメリカを弾劾し、そのアメリカに思いやり予算として財政的外向的にに支援している小泉内閣打倒を訴えた。夕方の御堂筋は仕事帰りの人が沢山通っている。それらの人々の注目も浴び、それなりの成果を上げたのではないだろうか。申しいれ行動終了後中之島公園に移動して今後の打ち合わせを行った。参加人数がどれくらいだろうかと色々話をしていると主な違憲は120~150の間と言うことになる。前回の行動の際には十人ほどだったそうなので十倍である。すると息子が「1300人」と言い出した。息子にとって沢山の概念は何でも1300である。黒目さんの「ですぺら」でも面白がって取り上げられてしまった。我がピカチュウ派は黒目さんとAさんにやたら懐いてまとわりついていたから色々と迷惑であっただろうが。次回の行動は18日である。靖国への抗議行動に参加する人もいるだろうからその報告も楽しみである。細かい情報は「その他 関西方面の有象無象の反戦行動のページ」に掲載されるので参照していただきたい。

 打ち合わせ終了後食事に行ったのだが、みんなの話が弾んで気がつくと10時半であった。田舎に住む身にとってこの時間は結構遅い。自宅へは終電で帰り着いた。息子はさすがに疲れたのであろう電車の中で眠っていた。

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行ってきました領事館

 息子を連れてアメリカの大阪領事館での抗議行動に参加してきました。最初は緊張しておどおどしていた息子ですが、抗議行動終了後には楽しかったのでまた参加したいと言っておりました。久々の抗議行動でしたので色々と思うことはあったのですが、やはり闘争って良いなあ。何としてでもイスラエルによるパレスチナ人民虐殺とレバノン侵略を止めさせたいと思いました。

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2006年8月 6日 (日)

天皇発言メモと靖国問題

 息子の入院もあって記事にする機会を逸していたのだが、ここ数日自民党総裁選を巡って靖國神社の問題がかびすましいのでやはり一言書いておこうと思う。基本的に日経のスクープに接して思ったことはヒロヒトらしく卑劣で下劣な人間性が顕わになっているなあと言う物であった。自らの罪を一身に背負って死んでくれた東条英機らを忠臣と評価しつつ、彼らA級戦犯を合祀した靖国に参拝すると「平和主義者」の仮面を被ったヒロヒトの本性が明らかになってしまう事のジレンマ。それが非常に良く現れているのがメモに示されたヒロヒトの心情ではないだろうか。奴は敗戦に際して山県有朋などのような有能な臣下がいれば負けはしなかったのにと嘆いている。つまりヒロヒトが「平和主義者」であったというのは嘘である。奴は軍部のイケイケの勢いのまま勝てればそれでよいと思っていたわけである。天皇ヒロヒトへの根本的批判は「前進」の記事を参照されたい。

 ではA級戦犯を分祀することを「遺族会」などが言い出しているが、この事の本質は一体何であろうか? 東條らさえ分祀すれば天皇や首相が公公然と靖国に参拝し、「国家」の為に侵略戦争で死んだ人々を神と祀ることが出来ると言うことである。侵略戦争で命を落とした人間を英霊として祀る、讃える、顕彰するという靖国本来の意味を強化することによって新たな英霊を祀ることを狙っていると言わざるを得ない。「国家のために殉じた人々」とすることで今日バグダッド空港に米軍を空輸している航空自衛隊から死者が出た場合に祀り、英雄視することを狙っているのである。

 自民党次期総裁選を巡っては安部がコソコソと靖国を参拝し、それを既成事実化して総裁就任・総理就任の際に靖国に参拝する事への布石を打っているのだが、麻生が分祀を行うことで天皇の参拝を実現したいと言うことは更に悪質なのである。形式上戦死者を上と祀ることで天皇自らが拝んでくれるというその行為によって遺族の慰めとする国家装置こそが靖国である。靖国参拝を合法化してはならないのである。靖国の国家護持を許してはいけないのだ。革命的左翼の立場からすれば靖国は解体の対象でしかない。二度と再び侵略戦争で死んだ人々を英霊化してはならないのだ。

 靖国解体。これこそが共産主義者を始めとする人民の回答であるべきである。

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2006年8月 4日 (金)

9条守ろう!ブロガーズ・リンクに賛同する

 今日のきな臭い社会情勢の中で憲法九条を守ることは非常に重要なことであると思う。勿論九条だけが大切なのではない。天皇条項を除けば全て守る必用があると思う。寧ろ私は一条から八条の天皇条項削除、天皇制の廃止・打倒という意味では改憲論者に分類されるかも知れない。だがしかしそれは全文に始まる現憲法の精神とは全く矛盾する条項であるからである。私は公務員労働者であるので採用当日に現憲法を守ると言う宣誓をしている。憲法を守ろうと思えば思うほど九条こそが憲法の要であると思う。

 九条を廃止もしくは改悪しようと目論む人々が、日本を再び戦争の出来る国家に作り替えようとしている。米軍やイラクにおいて、イスラエル軍がガザ地区やレバノンで行っている住民虐殺と同様の行為を自衛隊が行う世の中にはしたくない。九条の存在が自衛隊をして戦えない軍隊にしているのだ。それで良いではないか。諸外国において銃を撃たないことがなんで非難されることがあろうか。ファルージャの虐殺に自衛隊が参加しないで済んだのは九条があるために「非戦闘地域」に派遣されているからである。もし九条の存在がなかったら、日本人の手は再びアジアの人民の血で濡れることになるだろう。

 九条をして今日の日本を巡る情勢に合わないと強弁する人々がいる。だがしかしそれらの人々は現実に日本を攻める可能性を持つ国など存在していないことを口をつぐんでいる。「日本が攻められた場合にどうするのだ」「先制攻撃も辞さない」と言う。本音は後者にある。九条を改悪することで「先制攻撃」を行い、再び三度アジアを侵略し、領土と市場を欲しいままにするためである。帝国主義としてアジアに乗り出すためにこそ九条が邪魔な存在であるのだ。日本が帝国主義である限り九条は目の上の瘤である。帝国主義として生き延びるためには相容れない存在なのだ。ならば帝国主義としての日本を覆すべきである。アジア諸国と友好を結び、二度と侵略をしないで済む国に作り替えなければならない。何があっても九条を守り抜くこと、改憲を阻止することが今の私たちには重要である。私は微力ではあるが「9条守ろう!ブロガーズ・リンク」に参加することで九条改悪阻止の一翼を担いたい。

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2006年8月 3日 (木)

8.7アメリカ領事館抗議行動に参加するぞ!!

 来週月曜日18時30分に「しないさせない!戦争協力関西ネットワーク」が主催してアメリカ領事館に対する抗議行動が行われる。黒目さんの「ですぺら」に掲載されている呼びかけによると

8月7日の行動ですが、
「しないさせない!戦争協力関西ネットワーク」による取り組みとなりました。
http://sinaisasenai.net/
集合場所が現地・領事館前に変更となっています。
各方面への連絡などよろしくお願いします。
>>>>>>>>>>>

「イスラエルはレバノン攻撃を即時やめろ !
アメリカはイスラエル支援をやめ、武器・資金提供をやめろ」
         緊急・米国領事館抗議要請行動
 
    とき  8月 7日(月) 18時30分集合
    ところ 米国領事館前
   各団体、抗議文、ハンドマイク持参ください

  しないさせない!戦争協力関西ネットワーク

 連絡先  中北法律事務所  06-6364-0123
        全港湾大阪支部  06-6575ー3131
と言うことである。
 妻に月曜日に大阪で行われるイスラエルによるパレスチナ人民虐殺・レバノン人民虐殺に対する抗議行動に参加して良いかと尋ねたところ、当日の勤務から私が参加しても子ども達の夕食の支度は大丈夫であることが分かった。 すると息子が、「○○も悪い奴やっつけに行く」と言い出した。そうである。6歳の子供でも女性や子供を殺戮しているイスラエルとアメリカが悪であることは分かるのだ。ここで何の抗議行動も出来ないようでは親として人間として、子供に「悪いことはしたらアカンよ」と言えなくなる。この間の息子の看病疲れや猛暑の中での営業活動で少々夏バテしていて明日は休暇を取るのだが、三日間で体調を整え這ってでもこの行動に参加しようと思う。
 さて息子であるのだが、自分も一緒に行くと言って聞かない。今まで娘達は何度か集会や闘争に連れて行ったことがあるのだが、私の病気もあって息子は殆ど連れて行ったことがない。「ピカチュウヘルメット持って行こうな」と言って、ブログに掲載しているゲバルトスタイルで登場させようかと思っている。「武器はどうしよう」と息子が言うので「ライトセーバーも持って行こうな。それで悪い奴を切ってしまうんや」と私の方が乗り気である。だがそこで息子の胸中に不安が湧いたようだ。「悪い奴って鉄砲持ってるんちゃうん? ○○撃たれたらどうしよう。死んでしまうわ」「そやなあ、鉄砲持った奴はいるけど、撃たへんと思うで」「○○弱いもんどうしよう」「そんなこと無いで。○○は本当は強いんやで。小さい子守ったってるやんか」「ウン。小さい子や弱い子は守ったるねん」「そやろ。それが強い子なんやで」
 「でももしお父さんが悪い奴に殺されてしまったらどうしよう。○○悲しい」「大丈夫や。○○が応援してくれたらお父さんやられたりせえへん」「でもな、もしお父さんが殺されたら、○○が燃える炎の勇気の心で戦って、絶対仇取ったるねん。でもな、○○も怖いねん」と言う。「そんでええんやで。怖いこと分かってて、それでも頑張って立ち向かうのんが本当に強いことやねん。お父さんかって一杯怖いねんで。でもな、女の人や子供を殺してる奴ほっといたらアカンな。お父さんも勇気出して頑張るわな」「でもな、○○の勇気、戦うときに電池切れになんねん」「そやったら○○の電池作っていこうか」「ウン、ほなマジスティックソードも持って行く」・・・と言う会話が延々と交わされたのである。と言うことで月曜日は親子で抗議行動に参加する予定である。

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2006年8月 2日 (水)

「社会主義と戦争」

 私は度々「革命的祖国敗北主義が欠如している」と言う批判を受けている。確かに戦争に際しては自国帝国主義の敗北を促進する事でそれを革命情勢に転化するという、共産主義者にとって最も重要な義務について語ることが殆ど無かった。そこでレーニンの著作である「社会主義と戦争」を改めて学習することで、自分の中に改めて革命的祖国敗北主義を確立したいと思う。テキストには大月書店より刊行されている国民文庫版を使用する。90年頃の革共同の月刊誌「武装」(「コミューン」と改題)に連載されていた「社会主義と戦争」の学習のための手引きが現在手元にないために中核派式の理解に独力でどれだけ近づけるかは分からない。本当は「前進」を定期的に読むことで現実の運動と格闘しながら学ぶのが一番であるのだが、正直ウェブ上に掲載されている論文を読むことさえも満足に出来ていない。まだまだ病状の回復がそこまで至っていないのか、それとも前進を読むことが出来ないくらい思想的腐敗が進んでしまっているのか。多分おそらく両方ではないかと思う。

 二月から三月にかけて「帝国主義論」に関する記事を連続して書いており、現代の日本が帝国主義であることについては私の見解はハッキリしている。そして日本が帝国主義であり労働者による社会主義革命・共産主義革命によって打倒すべき対象であることを述べた。「あらゆる国の政府とブルジョア政党が数十年にわたって準備してきたヨーロッパ戦争が勃発した。先進諸国の資本主義発展の最新の帝国主義段階における軍備の増大、市場獲得競争の極度の激化、最もおくれた東ヨーロッパの諸君主国の王朝的利害、これらは、不可避的にこの戦争へ導かずにはおかなかったし、また実際に導いたのである。他国の土地を奪い、他国を征服し、競争国を破滅させ、その富を強奪し、ロシア、ドイツ、イギリスその他の国の国内の政治的危機から勤労大衆の注意をそらせ、労働者を分裂させること、彼らを民族主義であざむき、プロレタリアートの革命運動をよわらせるために労働者階級の前衛をみな殺しにすること、--これこそが、今日の戦争のただひとつ現実的な内容であり、意義であり、意味である。」「社会民主党は、なによりも、戦争のこの本当の意義を明らかにし、支配階級、すなわち地主とブルジョアジーが、戦争を擁護するために流布させているうそ、詭弁、『愛国主義的』言辞を、容赦なく暴露する義務を負わされている。」

 レーニンは第一次大戦の勃発に際して1914年11月1日の新聞「ソツィアル・デモクラート」にロシア社会民主労働党中央委員会の声明を掲載した。冒頭から上記の引用にあるように第一次世界大戦が帝国主義同士の強盗戦争であり、協商国側にとっても同盟国側にとっても不正義の侵略戦争であることを真っ向から主張した。どちらの側も自分たちこそが「祖国と自由と文化」を守るために防衛のための戦争を行っているのだと主張し、敵対国こそが「野蛮で諸民族を抑圧し、反動的である」と罵っている。

 「略奪、残虐行為、戦争の果てしない残酷性の点では、交戦国の両グループはたがいにひけをとらないのに、各国のプルジョアジーはプロレタリアートをだまし、ただひとつほんとうの解放戦争、すなわち、『自』国のブルジョアジーにたいしても、『他』国のブルジョアジーにたいしてもおこなわれる市民戦争から、プロレタリアートの注意をそらすために、この崇高な目的のために、愛国主義についての空々しい文句で『自』国の戦争の意義をほめたたえようとつとめており、自分たちが敵に勝とうとする意図は、土地を奪い略取するためではなく、自国の人民以外に、他のあらゆる国の人民をも『解放』するためであると断言しようとつとめている。」 実際、ドイツはセルビアを征服し、フランスとベルギーを占領して略奪を行った。ロシアはウクライナとポーランドを征服し圧殺した。フランスもイギリスもロシアを支持し援助した。今日米帝がイラクを侵略していることについて「フセインの圧政からイラクの人々を救い出すのだ」と言い張っているが、実際にはファルージャにおける虐殺のように多くの一般市民、その多くは女性や子供を虐殺している。傀儡政権を樹立することで石油利権を我が物にしようとしている。朝鮮や中国に対しても民族抑圧や圧政を批判しているが、その真の目的は帝国主義的利害に基づいて韓国で高まっている労働運動・反基地運動を圧殺し、南北朝鮮を米帝の傀儡政権の下に統一支配しようとする物であるし、中国市場を日米欧のそれぞれの帝国主義が奪い合っている物である。

 労働者階級とその前衛党たる共産主義者の党は自国帝国主義が参戦している戦争に対してどの様な態度を取るべきかをレーニンは明確にしている。自国が行う戦争にトコトン反対し、軍需物資の生産・調達をボイコットし、戦場ではドイツ兵との交歓を組織して闘いをお互いに辞めて自国の権力者に対してこそ銃を向けようと話し合いを組織した。そして実際に、レーニンとボルシェビキはそれを行ったのだ。日露戦争の際には「日本のスパイ」と罵られながらモスクワ蜂起を行い、旅順では映画「二百三高地」に見られるように日本兵と一緒に酒を酌み交わした。モスクワ蜂起の経験は1917年の2月革命に生かされ、帝政ロシアは打倒された。だがその後を乗っ取ったエスエルやメンシェビキなどの連立政権は戦争を継続した。それに対してレーニンは10月革命を指導したのだ。この時は「ドイツのスパイ」と罵られている。ネット右翼に限らず、中核派を始め日本の軍備増強に反対し、アジア諸国との友好・連帯を主張する人々に対して「北朝鮮の手先」「中国の手先」とレッテルを貼ろうとするのは、日帝ブルジョアジーにとって都合の悪いことを言う人々を沈黙させるための常套手段である。日本が戦争に突き進むことを真剣に阻止しようとするのならば、全ての人々は「模範非国民」にならなければならない。戦争に協力する一切の行為に反対し、日本政府の敗北を促進することで帝国主義としての日本を滅ぼさなければならないのだ。私は貯金保険の労働者として軍備調達を拒否できる労働運動を構築しなければならない。同僚に呼びかけて軍事郵便取り扱いのボイコットを組織しなければならない。「テロ対策」と称して行われている郵便物の検査自体拒否すべき行為なのだ。全逓労働運動を戦争に反対できる階級的質を持つ物として再生すること。これが私の任務である。

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2006年8月 1日 (火)

郵便営業で表彰

 大変困ったことに、今日朝から行われた無事故出発式で郵便営業の成績が優秀であるとして推奨状を貰ってしまった。無事故出発式というのは7~8月の夏期繁忙期の間交通事故を発生させないように労働者に宣誓させる儀式なのであるが、実際には労働強化が行われている中ではそんな物は画餅である。取り敢えず現場の労働者に無事故で仕事をさせるために何の物質的措置もない状況で精神論的に宣誓させて、それを一同で確認するだけの物だ。で、そのオマケで私への表彰が有った。

 正直言うと労務管理の締め付けに反発して業務命令に逆らって処分を食らったことなら40回以上有るのだが、表彰などは全くない20年間であったためにガラにもなく緊張してしまい、名前を呼ばれた後は礼の仕方すら間違える体たらくであった。元々私が表彰など受けるハメになったのは郵便課の上席課長代理のせいである。現任の上席課長代理は私が販売した郵便商品を郵便課の職員の成績に付けてくれないのである。今までの上席は内緒で郵便課職員の成績にしてくれていたのだが、それを正直に私の成績として局長に報告してしまった。元々がお客さんとの話のきっかけに郵便商品を使っていただけで、売れたのは副産物である。日頃郵便関係職員には、情報を提供して貰っていたり自分の成績がはかばかしくないときに無理を聞いて貰っているので、そのお返しのつもりで成績を譲っていたのである。

 郵便課での営業のノルマは結構酷くて、営業時間も粗品も無い状況で、殆どの職員が自腹を切るか親族や親しい友人に無理を言って買って貰っている。そんな状況で自爆営業をしないでよいようにと思っていたのだが、今までの上席と違って現任者は厳しい。営業への意識を喚起するために成績譲渡を認めてくれないのである。結果として私が表彰されるハメになった。一応7月は保険の推奨基準に達するだけの契約も出来、貯金の方も後一歩まで迫っていたので本業を疎かにして他所のお手伝いをしていたのではないのだが、なんとなく複雑な気分だ。どちらかと言えば私の場合は仕事に関しては、営業成績での表彰よりも維持表彰の方が欲しいのであるが、これは10年ほど前になくなってしまった。維持表彰というのは諸事情で払い込みが遅れているお客さんを説得して延滞を是正したり、新規の前払いを勧めたり、或いは転居などで住所が変わっているお客さんの住所登録を適正化するという、早い話が成績に繋がらないが事業にとっては大事な仕事である地道な作業をコツコツこなしている人間を表彰する物だ。

 今日では営業に関する表彰のみが残っていて、新規契約さえ出来れば後はほったらかしにしたり、契約が見込めないお客さんに対してはぞんざいに扱うような人間が幅をきかせている。こんな職場は異常であると思うのだが、郵政の幹部連中は現場のことを全く理解しようとしない。とにかく新規契約のみを要求してくる。そのうち郵便貯金も簡易保険も「釣った魚にエサはやらない」式のとんでも無い企業になるであろう。実際問題民間金融機関の多くがそうである。とりわけ、昨今テレビや新聞雑誌での宣伝で業績を伸ばしているカタカナ生保の場合(従来の漢字生保も同様だが)、いざ入院なり死亡なりして保険事故が発生したときの対応の悪さは枚挙に暇がない。

 労働者が人間らしく働ける企業こそ顧客をも大切にする企業であるのではないだろうか。

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緊急!イスラエル大使館前ビジル

 黒目さんのブログより転載

緊急!イスラエル大使館前ビジル

8月1日(火) 午後7時開始
STOP!レバノン空爆
キャンドル・ライトを灯して、犠牲者への追悼とイスラエル政府への抗議を!

<呼びかけ団体>
アムネスティ・インターナショナル日本/(特活)アーユス仏教国際協力ネットワーク/(特活)パレスチナ子どものキャンペーン/日本キリスト教協議会(NCC)/ピースボート

■ 市民の犠牲に、私たちは沈黙しない。
イスラエルによる空爆の犠牲は増え続け、すでに死者は700人を超え、そのほとんどが民間人です。30日にはレバノン南部カナで、市民が避難していた建物をイスラエ
ル軍が空爆し、報道によると37人の子どもを含む少なくとも57人が死亡しました。
私たちは、武器を持たない市民を標的とした攻撃を強く非難します。
緊急の呼びかけではありますが、ぜひ8日1日(火)、イスラエル大使館前に集まってください。

■日時:8月1日 午後7時~8時
■場所:イスラエル大使館前
千代田区二番町3(最寄り駅:地下鉄麹町駅)
■内容:空爆による市民の犠牲者のためのビジル
*キャンドル・ライトなどによるサイレント抗議
呼びかけ団体からのアピールなど

<主催者からのお願い>
■ 直接、イスラエル大使館に午後7時までにお集まりください。
イスラエル大使館:千代田区二番町3
(最寄り駅:地下鉄・麹町駅)
■ペンライト、キャンドルなどをご用意ください。(主催者側でも少し用意します)
■平和的な抗議アクションです。
■デモ申請をしていない緊急行動です。ノボリ・ゼッケンなど掲示して歩行すると「示威行為」と警察から見なされ止められる可能性がありますので、避けてくださいますようお願いします。

 追記 イスラエルを経済的に支援している企業の一覧です。不買運動などで圧力を掛けましょう。

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