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2006年8月25日 (金)

再録 日本近現代史のおさらいその1~5

 昨年7月21日・23日・28日・8月13日・9月10日と五回にわたって掲載した記事を再録する。この間の植民地支配や日帝による侵略戦争の過程について自分なりにおさらいした物であるが、最近の常連の中には去年の論議を知らない人が多いであろうと思われるためである。

 とある大学生さんと歴史認識をすり合わせるために、簡単に日本近現代史のおさらいをしたいと思います。先の記事で記憶に頼って書いたために曖昧な部分があったからです。テキストとしては山川出版社発行の「Story日本の歴史-近現代史編」を使用します。中学・高校生向けの歴史参考書ですので歴史学会で特別異端な説は載っていません。

 先ず日本の開国から見ていきましょう。1858年日米修好通商条約が締結され、日本の鎖国は終わりを告げます。その後イギリス・フランス・ロシア等とも条約を締結する訳ですが、欧米列強にとって一方的に有利な不平等条約である事から後に外務大臣陸奥宗光が中心になって条約改定を行います。この時期の日本史については学校の授業で習ったりしていますし、大河ドラマなどでも良く題材に昇りますから流します。

 「日本が朝鮮に一歩先んじて国内体制を転換させ、西欧諸国に似た近代国家への道を歩み始めると、支配者は早くも近隣諸国侵略の要求を強めていく。西郷隆盛や板垣退助ら明治維新の指導者たちの征韓論は、早い時期のそうした例であった。朝鮮にすれば国内変革を迫られる困難な時期に、間近に新たな侵略者を加えることになった。一八七五年の江華島事件を背景に、日本は軍事的な威嚇のもとで翌年不平等な日朝修好条規を押しつけて朝鮮を開国させる。朝鮮支配への第一歩であった。」

「朝鮮植民地化 壬午軍乱、甲申政変などを通じて介入を強め、日清戦争で清の朝鮮への影響力を排除した日本は、日露戦争下で朝鮮の植民地化を本格化した。戦後の第二次日韓条約(一九〇五年)では韓国(一八九七年に国号改定)に統監府を置いて保護国化し、外交権を奪う。韓国皇帝がこうした支配の不当性を国際会議の場であきらかにしようとしたハーグ密使事件が起きると、第三次日韓協約(〇七年)を強要して内政権を奪い、さらに軍隊を解散させた。」「韓国内では激しい抵抗運動が起こる。一八九五年の日本公使館による王妃、ビン妃殺害事件をきっかけとして始まっていた反日義兵闘争は、協約で解散させられた軍人たちを加えて拡大した。愛国文化啓蒙運動など民族文化振興という形の態幸運をとも盛んとなった。そうした中で前統監伊藤博文が安重根によって射殺されると、日本はこれを理由に一九一〇年、強要して韓国併合条約を結び、韓国を植民地とした。」(以上前掲書より引用)

 以降朝鮮総督府を置いて陸海軍の大将が朝鮮総督として「武断政治」を行い、「土地調査事業」で村の共同耕作地などは日本政府の物として取り上げ、多くの農民が小作農あるいは失業者となった。取り上げた土地は日本の企業や国民に安く払い下げられる。私の父方の祖父は貧農の出身であったが、一九三〇年代に朝鮮に土地を買って、元々の持ち主である朝鮮人を小作人としてこき使って地主として贅沢な暮らしをした。

 一九年の三.一独立運動は二〇〇万人以上が参加する大規模な物となる。日本の公式記録では二四〇〇〇人の死傷者を出して鎮圧している。一八年の米騒動による日本国内の米不足を補うために朝鮮からは大量の米が日本に運ばれ、朝鮮の農民は没落して流民化していく。満州やシベリア、日本内地に移住する人が多く現れる。在日朝鮮人の始まりである。三一年の満州事変以降、それまでの農産物供給地としての位置づけが中国・東南アジア侵略の後方基地、兵端基地に変更され、様々な工業化が朝鮮北部で行われる。全ては日本の資本による物で、朝鮮の民族資本は没落していく。三九年の国民徴用令等で日本国内への強制連行と朝鮮北部での徴用も行われる。三八~四五年に数百万人とも言われている。

 植民地化以降の「同化政策」は欧米の行った植民地支配に比べて、言葉や習慣、文化や社会制度まで日本人化しようとする徹底した物であった。「皇国臣民の誓詞」を大人にも子供にも唱えさせ、「宮城遥拝」「日の丸」の強制「創始改名」等々朝鮮人の民族性をとことん破壊しようとした。この支配に対して中国国境付近を根拠地とする反日武装闘争や中国の重慶に金九らの大韓民国臨時政府が組織した韓国光復軍等による独立運動が闘われる。四五年、日本の敗戦と共に植民地支配が終了する。八月一五日は朝鮮、韓国ともに光復節という祝日である。

 以上日朝・日韓関係の歴史経過を簡単にまとめてみましたが、これだけでも長くなったので台湾については後日。

   

 今日は台湾の植民地支配について勉強したいと思うのですが、その前に。とある大学生さんとの論議の中で歴史教科書に対する評価が違っていることに気がつきました。私の場合は教科書という物は階級闘争の結果が反映されていると思っています。つまり、時の権力者が教科書検定の基準を設けているのですから基本的に日本政府に都合の悪いことは書かせたくない。しかし日本の民衆が歴史の教訓を忘れず教育問題に取り組む中で、嫌々ながら掲載を認めざるをえない歴史的事実が存在していると思うのです。逆に政府にとって、権力者にとって都合の良いことを書きたいのだけれども、それがあまりに薄弱な根拠しか存在しない、酷い場合には根拠も存在しないために書かせたくとも書かせることが出来ないことがあると考えています。「あたらしい教科書をつくる会」の教科書は、国内の階級関係、アジア民衆との関係を無視して、強引に教育を通じた戦争国家化への攻撃としてあるのだというのが私の認識なのです。

 ところで教科書には載っていても、授業の進展具合などにより学習していないために近現代史を知らない人は沢山存在します。とある大学生さんは理系の学生さんだそうですから、おそらく高校で近現代史の授業を十分に受けておられないのではと推察します。受験に関係ない教科はカットされますから。虚心坦懐に通説を学ぶところから始めませんか。

 本題。一八九五年日清戦争の講和条約によって日本は台湾の領有権を獲得。日清両国政府に反発する人々が五月二三日に台湾共和国を樹立。約五カ月間の抵抗を行うが、日本軍の武力で制圧される。その後も一九一五年までゲリラ的な抵抗闘争が続く。台湾総督は陸海軍の大将・中将がその任にあたり軍事力と警察力で強力な治安維持体制を築く。「土地調査」を行い共同耕作地などを日本の国有財産に編入したのは朝鮮と同様で、これらも日本企業などに安く払い下げられた。日本企業への様々な優遇措置も有り多くの日本資本が台湾に工場などを建設する。また、日本人向けの米の開発を行い、灌漑利水事業を行って食料不足の日本に輸出した。

 台湾議会設立を求める運動などが行われたが実現しなかった。三〇年一〇月には霧社事件が発生し、先住民によって日本人一三二名が殺害される。様々な形で日本への抵抗や自治を求める運動が続いていた。台湾人の「皇民化」台湾産業の「工業化」、日本の東南アジア進出の基地とする「南進基地」が統治政策の基本方針となる。日中戦争勃発後は中国本土と同民族である台湾人の動向を警戒し、「天皇陛下の赤子」にするために更なる皇民化が、新聞の漢文欄の廃止日本語常用運動、神社参拝の強制、中国風の偶像・寺院の撤廃、旧暦正月行事の廃止・禁止などを実施。四〇年二月一一日を期して日本名の使用が「許される」改姓運動が始まる。日本の大政翼賛会発足に合わせて皇民奉公会が設立され各地に組織される。東南アジア進出要員養成のための、農業戦士訓練所、拓南工業戦士養成所、海洋訓練所などが設立される。これらは戦時体制の完成と戦争遂行に向けて台湾人を組織するための物だった。

 戦争の深刻化に伴い台湾人は軍属・軍夫として徴用され、前線に送られた。ついで志願制が引かれて軍人としても動員され、四四年九月には徴兵制が施行された。約二〇万人が動員され、戦病死者約三万。しかし、戦後は日本領ではなくなったために何の保障もされていない。欧米各国が植民地出身者に対しても保障していることとは大きな違いである。

 朝鮮においても台湾においても長期にわたる独立運動や抵抗の闘いが存在していたが、中には諦めから日本の支配下での同化政策に従う者や、戦争に協力することで朝鮮人台湾人の地位向上を図ろうとする動きも少なくなかった。

 高文研から発行されている「未来をひらく歴史」という、日中韓三カ国の歴史学者の共同編集による近現代史の本もあるのだが、これだと「偏っている」などと言う人があるだろうから、今まで通り山川出版の参考書を使います。上記の本は共同編集であるだけに、一つの国の一方的な、自国内でしか通用しない主張は排除されているので客観的な事実を知るためには良い歴史書だと思います。その1その2では日本の植民地政策を見てきたけれど、その間の国内の動きに注目します。

 1889年に衆議院議員選挙法が公布されると、25歳以上の男子で直接納税額15円以上の者にだけ選挙権が認められたため、90年代から普通選挙運動が展開されるようになる。11年には普通選挙法は衆議院を通過したが貴族院で否決され、運動は一時下火になる。14~18年の第一次世界大戦によって日本は空前の好景気となり物価が二倍に上昇するインフレとなるが、賃金の上昇が追いつかなかったために労働者の生活は帰って苦しくなる。農林業従事者が都市に流入し農業生産は減少する。米価は一石あたり17年6月の20円から18年8月には41円と急騰した。生産が追いつかない事と大商社・米穀商・地主による投機的な買い占め、売り惜しみによる者が大きかった。外米の輸入も特権商社の独占のままにした上関税も下げなかった上、インフレ抑制策も講じなかった。シベリア出兵論議によってさらに米価の高騰が起こる。

 18年7月22日、生活に困った富山県魚津町の主婦たちが井戸端会議で米の搬出を止めてもらう様相談し、翌23日魚津港からの米搬出を中止させる。これが全国に広がり、米の安売りを求める米騒動となる。8月11~13日がピークで、大阪では20万人が参加する騒ぎとなる。警察だけでは鎮圧出来ず軍隊も動員された。米騒動は労働運動にも影響を与え、炭鉱での賃上げ要求等の労働争議も行われたが、こちらも軍隊の出動、発砲により鎮圧され、多数の死傷者を出した。米騒動の参加者は全国で70万、死者30人、検挙者2万以上。生活問題を無視する政治への民衆の不満の爆発であった。

 米騒動を契機として、17年のロシア革命の影響も有り、労働運動・農民運動等の組織的運動が開花し、労働組合数は急増し、全国水平社や日本農民組合が結成された。普選運動も組織的大衆的広がりを見せ、大正デモクラシーを象徴する全国民的運動に発展した。25年(大正14)普通選挙法は両院で可決、公布された。

 1910年代前半には「天皇機関説論争」が巻き起こる。明治から大正への代替わりの時期である。国家法人説にもとづいて「主権は国家に有り、天皇は国家を代表する最高機関である」とする美濃部達吉と穂積八束が体系化した天皇主権説を受け継いだ上杉慎吉との論争。藩閥官僚政治から政党政治への移行期、民衆が新しい政治勢力として登場し日比谷焼き討ち事件の様に世論が政治の動向に決定的影響を与え始めた時でもあったため、美濃部説は広く支持を集めた。天皇機関説は学会や世論のみならず、政党内閣の時代には天皇や元老も含めた政界上層部の考え方とも一致していた。

 こうした大正デモクラシーの高揚の中で、普選法と時を同じくして治安維持法が制定され、後の共産党弾圧から自由主義、平和主義を圧殺していく準備もなされていた。25年に制定された治安維持法は「国体の変革」及び「私有財産制度の否認」を目指す革命運動の組織・思想の取り締まりを主目的としたが、その最初の本格的適用が田中義一内閣による28年の三・一五事件であった。徳田球一・志賀義雄ら党幹部や関係者あわせて1568人が一斉検挙された。特高警察による社会運動全般への厳しい取り締まりが行われ、残酷な拷問で自白を強制し、時に容疑死者を死に追いやった。

 田中内閣は緊急勅令で治安維持法を改悪し、最高懲役10年の刑を「私刑又は無期」に強化し、共産党の支持者・協力者をも懲役刑に出来る物とした。33年には共産党の最高指導者である佐野学・鍋山貞親の転向声明による組織の動揺をはじめ、大衆から隔絶された中で内部崩壊し、35年には壊滅状態となる。警察で虐殺されたもの65名、虐待がもとで獄死した者は114名を数える。共産党が壊滅すると、当初の結社取り締まりから思想取り締まりに重点が移り、36年「思想犯保護観察法」が制定され、運動からの共産主義思想の放棄・転向を促す体制となる。人民戦線事件・横浜事件等の様に党とは無縁の社会主義者や団体が党再建グループとして摘発されたり、自由主義者が検挙された。・皇室尊崇の国家神道を否定するとして、キリスト者・大本教、創価教育学会・天理教などの宗教団体も徹底弾圧を受ける。

 41年には治安維持法を全面改悪して「再犯のおそれ」だけで予防拘禁出来る様に改めた。敗戦後も天皇制を護持するために一層の強化が厳命された。弾圧は45年10月のGHQKの治安維持法廃止指令により三千人の政治犯が釈放されるまで続く。治安維持法によって検挙されたもの約67000人、起訴されたもの六千余名。「わが国は民主主義・反戦平和勢力を異端者として排除した結果、自らの政策の行き過ぎや間違いを事前にチェックする制度的保障を失ってしまった。悲惨な戦争への道を歩んで行く、後戻り出来ない重大な通過点の一つが一九二五年の治安維持法成立であった。」

 「あたらしい教科書をつくる会」の歴史教科書では、治安維持法については殆ど触れようとしていない。その事を通してあたかも当時の国民の多くが自発的に侵略戦争に協力して行ったかの様な錯覚を植えつけようとしているが、実際には多くの日本人の血の海の上に戦争体制が作られて行った事を忘れてはならないと思う。朝鮮や台湾で「皇国臣民」として地位の向上や自己実現をはかる人々がいたのと同様、日本人のなかでも自由主義や民主主義が弾圧された結果、国家意思に従順な人々が作られて行ったのだ。

 1923年9月1日、関東大震災。死者行方不明者14万人以上。被災者の不安をそらすために警察や軍隊が「朝鮮人による暴動」というデマ宣伝を流し、在郷軍人会を中心に組織された自警団などが中心となって約6千人の朝鮮人と200人の中国人、10人の社会主義者・無政府主義者が虐殺された。虐殺を行ったのは自警団だけではなく、戒厳令で出動していた軍隊、警察によっても行われた。背景には日本の植民地支配によって土地を奪われた朝鮮人が日本に渡ってきて、生きるために低賃金で働いていたことに対して、仕事を奪われたという感情も含めて日本人の多くが差別を行っていたことがある。日頃の差別への報復が為されるのではないかという差別者の後ろめたさがこのような虐殺に繋がった。

 政府が虐殺の報道を禁じたこと、朝鮮人・中国人への蔑視などから世論の批判も弱く隠蔽工作が行われた。逆に無政府主義者の大杉栄を虐殺した憲兵大尉甘粕正彦などに対しては減刑運動までもが行われた。

 22年3月3日には全国水平社が結成されている。1871年の解放令によって賤民身分は廃止されたが、同時に徳川幕藩体制で保証されていた様々な部落産業の特権も剥奪された事で部落民の多くは経済的に困窮していく。融和運動などでは部落の解放が勝ち取れないとして結成されたのが水平社だった。差別糾弾闘争を中心とする運動はやがて国家権力との闘いにまで発展する。軍隊内部での反軍闘争、高松結婚差別裁判事件などの闘いを通じて水平社は勢力を拡大していく。中心的活動家の3・15事件での逮捕投獄などの弾圧も行われた。37年の日中戦争勃発後は国家の戦争体制に協力する路線に転換し、42年には自然消滅してしまう。

 日露戦争後の日本は膨大な輸入超過と対外債務にあえいでいたが、14の第一次世界政戦により戦場となったヨーロッパに変わり造船業・海運業を中心に活況を呈し債務国から債権国に転換する。その好景気も20年3月に株価暴落をきっかけとして恐慌が始まる。政府は産業界の整理よりも救済を優先したため、不良経営の企業・銀行が生き延び、国際競争力は低下してその後の長期不況の原因となる。更に関東大震災による企業救済のための支払い猶予令、震災手形によって戦争後の経営不振企業までもその債務を肩代わりしたために、震災恐慌から金融恐慌へと突き進む。27年3月、若槻内閣の蔵相片岡直温の国会答弁中に経営不振にあえぐ銀行名が具体的に発言され、取り付け騒ぎに発展する。更に鈴木商店とその不良債権を一手に抱える台湾銀行が破綻することで恐慌は悪化する。若槻内閣に変わり田中義一内閣が発足し、高橋是清の手腕によってパニックは収まるが、中小銀行の破綻により五大銀行による金融市場支配体制が確立される。

 後に昭和恐慌によってファシズム運動の台頭、日中戦争への路が敷き詰められる。29年10月のニューヨーク株式市場の大暴落に始まる世界恐慌が一層拍車をかける。インテリのサラリーマン層の失業が問題となり、賃金引き下げや解雇に反対する労働争議が頻発した。農村においては小作争議が激増し娘の身売りも増えた。恐慌の深刻化にもかかわらず、政府は国民に対しては耐乏生活を呼びかけ、産業界に対しては一層の合理化を進めるのみであった。右翼・軍部の政府への不満が高まりテロ事件やクーデター未遂事件が起こり、31年には満州事変が起きることになる。32年の5・15事件によって時の首相犬養毅が暗殺されると、日本の政党政治は終焉した。

 36年の2・26事件では皇道派の青年将校によって天皇親政と反共主義の国家体制実現を求めるクーデターが行われ、多くの政府要人が殺害された。昭和天皇裕仁はこれに対し終始一貫して討伐を主張。下士官・兵を将校と分断することに成功した軍部は、29日に反乱を収拾した。その後反乱軍の指導者達は死刑となり、軍部の実権は統制派が握り、政府に対する干渉を欲しいままにするようになる。

 1928年張作霖爆殺事件の後、後継者張学良は蒋介石の国民党政権の下に入り反日・抗日の旗幟を鮮明にするようになる。対張学良強硬派の意見が強くなった軍部は31年9月18日夜に柳条湖事件を起こし、それを張学良軍の仕業として攻撃を始める。翌32年2月には満州のほぼ全域を軍事占領下に置く。中国国民党政権は国際連盟に提訴した。すると日本は上海で日蓮宗の僧侶を殺害してそれを中国側の仕業として上海事変を起こし国際社会の耳目をそらせようとした。

 関東軍の板垣征四郎・石原完爾らは満蒙の日本領有を企てたが、軍部中央の政治判断との間で妥協し傀儡国家としての「満州国」を32年3月1日に「独立宣言」させ、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀を執政に据える。33年1月には内蒙古東部の熱河省までを占領し、北京・天津まで迫る。5月の停戦協定後、関東軍・シナ駐屯軍は河北分離工作を進める。柳条湖事件は事実上の対中国戦争の始まりであり、37年7月7日の廬溝橋事件によって日中全面戦争に発展する。更に41年12月8日の対米英戦争にエスカレートし45年8月15日の敗戦に繋がる(降伏調印は9月2日)。この間の戦争を十五年戦争という「「満蒙は日本の生命線である」として始めた関東軍の侵略行動が、結局アジア、太平洋戦争による、日本、朝鮮、台湾、中国、東南アジアなど各地の人々に悲惨な結果をもたらすことに連なっていったのである。」

 32年9月、日満議定書調印し満州国を正式に承認。日本の在満州既得権益と日本軍の駐留権が正式に認められる。形式的には満州国は独立国であったが、その主要ポスト、とりわけ総務庁のポストは日本人が独占した。実権を握っているのは関東軍と総務庁だった。33年3月国際連盟は満州国を否認する対日勧告案を採択するが、日本はこれに講義して国際連盟を脱退国際的に孤立の道を歩むことになる。34年3月1日執政溥儀を皇帝にして「満州帝国」と国号を改める。この植民地支配に対して抵抗運動が行われる。32年9月15日の撫順炭田襲撃事件。これに対して日本軍は平頂山の住民三千人を虐殺する。36年には抗日連軍が結成され日本の敗戦まで抵抗運動が続く。

 32年7月、関東軍は満州国協和会を結成。「五族協和」「王道楽土」などの建国イデオロギーの大キャンペーンを繰り広げた。9月には農業に従事する在郷軍人を対象にした第一次移民・武装移民が行われる。抗日勢力平定に従事するこれらの移民は、中国人農民の住む土地を低価格で強制的に買収した土地に入植した。関東軍の計画では20年で100万戸500万人の移民計画を立て、昭和恐慌で打撃を受けた農民が多く参加することになる。38年からは満蒙開拓青少年義勇軍の募集も始まる。対米英戦開戦後には日本の戦争推進のために一般人に多くの強制動員が行われた。青壮年男子は徴兵によって動員され開拓団は老人と婦女子だけになる。関東軍の主力は戦況の悪化に伴い南方に転用されていたため満州における日本軍の兵力は微々たるものとなり、45年8月8日のソ連参戦当時には多くの民間人が置き去りにされ多くの自決者、戦死者、餓死者を出す。犠牲者は約8万人と言われる。

 日中戦争、太平洋戦争については後日。

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コメント

 文学部の領域でいえば民俗学や史学などはフィールドワークは大切だと思いますよ。古老に対する聞き取りや実地体験が沢山必用ですし。そうする中でしか往時を知ることは出来ないと思います。
 「自分の都合で取捨選択する」と言うのはSilver_PONさん少々語弊があるでしょうね。それで言えば「自由主義史観」の側もそれをしているわけですから。史観そのものが左右を問わずその様な一面を持っていますね。
 大学に関しては確かに滑っていますからね。大きな事は言えません。偏差値が62しかなかったから志望校には入れませんでしたね。レベルを下げてどこか適当に言っておけば良かったと思うこともありますよ。
 くるるさん、私の場合は歴史が好きでしたから史学科のある大学を中心に受験しました。ただマスコミ志望でもあったので本当は政経を受ける方が良かったとは思いますね。

投稿: アッテンボロー | 2006年9月 2日 (土) 00時00分

文系の学科については詳しくないんですけど、文学部ってなにをやるのかな?

理系の自分から見たら、4年間遊んで良いよという学科にしか見えないのである意味うらやましいです。

投稿: くるる | 2006年9月 1日 (金) 21時43分

歴史とは今までの有った事の記録だと思うので、その記録を自分の都合で取捨選択する行為自体が歴史を論ずる資格を失うのでは?

そういう点で考えるとアッテンボローさんの歴史を自の階級党争に都合の良い部分だけピックアップして再構築しているという行為は全く歴史を逸脱した、子供の我儘以下の行為で、こんな人間に歴史を論ずる資格など全く無いとしか言えないのだが。

確かあなたは文系の大学受験に失敗して、結局はどの大学にも行けず、しかたなく就職されてますね。という事は、その時で貴方の考え方が失格であるとの結果が出てるわけですけど。

投稿: Silver_PON | 2006年9月 1日 (金) 15時29分

>>アッテンボローさん

いかにも僕は法学部出身。そうか法政大に関する弾圧弾劾と書いているから法政大卒か中退だと思っていた。

そうすると何をもってフィールドワークというかはわかないが、理工学部のようなフィールドワークやっているのは文系では体育大学以外ではやっていない。
寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」のこのフレーズだけでケニア人に会いに言ったり、自分探しといって帰って来なくなったり、する学生は多い。
フィールドワークなんて社会に出れば何とでもなる。僕も本は沢山読んだが、勉強量なんて理工学部の友人の4分の1しかしていない。だが有意義なモラトリアムだった。
だが象牙の塔の中の教授は正直たいしたことがない。法政大のようなトラブルが起きるわけだ。理系の学生が持つような教授への敬意というか尊敬というのが全く無いからな。切磋琢磨なんて理工学部の教授連の1割程度ではないか?

「ビギナー」というドラマをご存知か?僕の大好きなドラマでDVD全巻そろえた。
そこで堤真一を演じる元官僚に講師が「つゆだく。というのを知っていますか?」と。これは中々意味が深い。法は象牙の塔にいるだけではダメだというのを端的に表している。経験は将来現場でやるつもりだ。ご安心を。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月30日 (水) 23時18分

 ロースクール1期生さん、あなたは法学部出身だと思うのだが、私の場合は文学部を受験して落ちているので、フィールドワークが重要であると思っているのだが、法学部の場合本だけ読んでいれば済むのであろうか? その辺が文系云々に関して見解の違いがあるようだと思う。
 でもって私の場合は革命運動に参加したために大学進学を諦めて労働運動に身を投じたので大学の授業という物は正直分からない。文系の学者にも色々あると思うのだが、切磋琢磨を怠らない人も沢山いると思っている。
 マルクスに嵌ってくれとも思わないが、出来れば内容を十分掴んだ上で論じていただきたいと思う。解釈の結果が相反する物になるのは人それぞれであるのだからとやかく言う気はないが、どうもあなたの書き込みから察するに熟読していないのではないかと感じる。
 くるるさんの書き込みに関しては、革命と「変革」との違いでしょうね。イギリスにおける産業革命の影響を受けて急激資本主義化したフランスにおいて、それに追いつく政治形態を求めたのがフランス革命であると思っています。だから私自身としては見解に矛盾はないと思いますよ。そして国民国家の形成という点で言えばフランスの方がイギリスより先だと思いますよ。その辺は軍の編成が国民軍であったフランスと傭兵を主としたたイギリスを始めとする当時の欧州諸国との違いに現れると思いますよ。
 1966さん、色々好みはあるでしょうが、インテリとブルジョアの中の良心的な部分が革命運動に身を投じる人々を沢山排出している歴史的事実がありますのでむげに排除する気にもなれません。その点ご了承下さい。でも本当は労働者を大量に獲得しないと革命に勝利することは出来ないのですが・・・
 久々さん、私の捉え方は基本的に悪意を持った人間が軍の多数派・主流派を占めていた。良心的な人は非主流派であったと思っています。
 個赤松氏に対してはまだ私自身の中で見解が纏まっていないので他所の左翼系サイトを参照してください。
 アドレスの件はスパム対策とは分かりませんでした。私の場合仮名入力なのでいちいちローマ字に切り替えるのが面倒な物で、出来ればと思った次第です。 

投稿: アッテンボロー | 2006年8月30日 (水) 22時46分

>渡嘉敷島の件

ま、軍にだって犯罪は起こりますからね。
軍隊も人の集まりですから、邪な心を持った人だっているでしょう。
それよりも俺は左翼の反応が見たい。
特に大江健三郎とか。
これについて、故赤松大尉やその遺族に誠意の篭った謝罪を行なうかどうか。
その辺で左翼の品位が問われる問題だと思う。

アドレスに関してはhを抜くと、スパムの奴に引っかからないので行なっていたのですが……
今度かからつけるようにします。

投稿: 久々 | 2006年8月30日 (水) 21時16分

なんだこの馬鹿どもは。わしはインテリとブルジョアは大嫌いなんじゃ。管理人なんとかしろい!

投稿: 1966 | 2006年8月30日 (水) 20時26分

>>ロースクール1期生さんへ

>>僕は文系の良いところは本と本を読む空間さえあれば良いということだと思っている。

この言葉にちょっと感銘うけました。学問の基本ですなぁ。

投稿: くるる | 2006年8月30日 (水) 13時48分

>>産業革命によって生み出された巨大な生産力が封建体制との間で矛盾を起こし社会が変革されたのである。左翼はそれが最も劇的に現れた例としてフランス革命を例に出すことはある。フランス革命が今日の国民国家の時代を作ったこと自体は否定することは出来ないはずである。

フランス革命と産業革命は関係ないし、ヨーロッパのパワーバランスを崩して混乱させただけですよ。それに経済史では単にフランス政府がスタグフレーションを収拾できなかったからでしょう。

国民国家形成という点ではイギリスの方が評価が高いと思うし、その点はどう思っていますか?
ただフランス自身が声高にフランス革命を誇りとしていたから誤解が生まれたわけです。最近はフランス革命に対する否定的な評価がフランス自身から出ていますね。

英国のチャーティスト運動とかの方が評価されてしかるべきですが、戦後史観だとどうも過小評価されています。革命が果たして何を生み出したのか?という点が不当に過大評価されているのが不信の点です。フランスで1789年から1871年まで何が起こったのか、見てみたら革命が素晴らしいなんていえません。

これはウンチクですが、多少技術史から言わせて貰うと、産業革命というのは産業革命期といわれる80年ほどかけて行われています。当時の80年といえば人2代分以上です。このスパンだと「革命」ではなく本当に「変革」になりますね。

投稿: くるる | 2006年8月30日 (水) 13時47分

>>アッテンボローさん

僕は文系の良いところは本と本を読む空間さえあれば良いということだと思っている。
僕が尊敬してる先輩に司法試験が受かった人がいるのだが、その人は派遣会社の工場勤務をしていた。そして休み時間に必死で本を読んでいたそうだ。冬はアパートの暖房もケチって本をめくるのも苦痛だったそうだ。僕より8才も年上だし、司法浪人を10年近く続けたが素晴らしいひとだと思う。
あなたこそ文系の専門家を見誤っている。じゃあ何が必要とでも?デスクや空調の利いた空間、顎でこき使える助手、本棚と本を読むためのソファアが必要なのか。そうでもしないと専門家になれないのか?

あなたも大学の授業を知っているだろう、黒板に10年間(それ以上か)同じことばかり書いている人が多い。そんなのばっかだ。経済学でケインズならまだしもマルクス教えているのもいるんです。理工学部の授業を聞いて学生と先生のレベルの高さに仰天した覚えがある。鍛えられるレベルじゃ我々は追いつかない。
文系の学者なんて自分勝手に好き放題大学を食い物にして生きているようなものだ。

>>法律なんて本とある程度理解する頭があればどうとでもなると私が言ったとしたらどうであろうか。

そのとおりだ。言いますけどね。上記のことがそれを物語っている。専門というのはその職についた経験というのも必要だ。しかし、ある程度どんな場所でも本を読めれば知識はなんとでもなる。それが法律に限らず文系の専門ではあたりまえのことだ。
あなたは今までなにを思って専門家といっていたのか。少し疑問だ。聞いてみたい。答えてくれるだろうか?

>>マルクスの古典についても少しは読んでいるようだが、一体どんな読み方をしたのか疑問である。

読み方と解釈は人それぞれだ。マルクスの古典読めばなんとでもなると思っているあなたと違って、僕はいろいろな書物を読まなければならない。六法全書だけ読むだけなら科挙と大してかわらない。様様な史観の歴史や文化、文明史、ケインズやドラッカーの経済学etc,色々読んだ。正直マルクスの立場はそんなに大きいものではない。

「マルクス読みすぎておかしくなった法曹界の人間は多いから適当に読んでおけ」

とも年上の若い世代の人から言われている。マルクスに明らかに影響を受けた世代の法曹界の人間が、法律偏って扱っている傾向にあるという事実をあなたはご存知だろうか。マルクス自身は子供も養えなかった、ただのおっさんだ。そのことに嫌悪感は持つが、それ以上の感情はない。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月30日 (水) 12時04分

 どうもロースクール1期生さんは文系の人間でありながらその専門性について無頓着であるようだ。「文系の勉強なんて本とある程度理解する頭があればどうとでもなる。文系の学者なんてそんなものだ。」と言うあたり、自分の専門の法律についても同様に言うのであろうか? 法律なんて本とある程度理解する頭があればどうとでもなると私が言ったとしたらどうであろうか。少なくとも庶民の感覚ではおかしいと思われる裁判所の判決というのは沢山存在する。だがそれでも専門家でなければ出来ない領域という物が有るはずである。
 歴史観については確かに文化や歴史に影響を受ける。国家観についてもそうであろう。だが問題であるのはマルクス主義・共産主義の国家観に基づく唯物史観に対しては否定して、「自由主義史観」=現代の皇国史観・自慰史観・歴史修整主義だけを持ち上げるのもおかしな物である。少なくとも唯物史観については理解しているのかどうか、理解した上で批判しているのではないように思える。
 マルクスの古典についても少しは読んでいるようだが、一体どんな読み方をしたのか疑問である。マルクスの学説は労働者階級の持つ本来の力を解き放つことで人類がより発展できる、より巨大な生産力を得ることが出来るという大衆を基礎に置く物である。レーニンの場合も党員に占める労働者の割合が一定以上になるように常に気遣っていた。今日中核派がマル青労同再建に取り組んでいるのも労働者に基盤を置く革命党を作り上げるためである。少なくとも私にはロースクール1期生さんに「ある程度理解する頭」があるのかどうか疑問である。
 くるるさんがイギリスの産業革命が近現代の始まりであるとすること自体別に問題を感じないのであるが、誰か左翼でその事を否定している人がいるのであろうか? 産業革命によって生み出された巨大な生産力が封建体制との間で矛盾を起こし社会が変革されたのである。左翼はそれが最も劇的に現れた例としてフランス革命を例に出すことはある。フランス革命が今日の国民国家の時代を作ったこと自体は否定することは出来ないはずである。どうもどこかで誤解があるように思えるのだがどんな物だろうか。
 tatu99さん、「剰余価値説」はマルクスが主張した物ですよ。ついでに言えば労働運動や左翼の運動がない状態で「発展」したと言っても言いバブル以後の社会はどうなりました。過労死という言葉が出来たのは国鉄分割民営化の攻防で国労が闘わずして敗北し、総評の崩壊から社会党の瓦解に繋がる時期ですよ。更にバブル以後の不況下に続いて雇用無き景気回復が有るわけですが、どう思います? 左翼は経済発展を自らの成果であるなどとはあまり言いません。経済発展の成果を労働者の物に出来たかどうかの方を主張するのです。
 久々さん渡嘉敷島の件は成る程新しい事実ですね。今後どの様に歴史書が書かれるか、多大な影響が出ることは確かでしょうね。ただ手榴弾で自決した人も他所の事例でありますから、軍が関与しなかったと言い切ることは出来ないと思いますよ。軍内部では装備品を無くしただけでリンチ殺人まで起きているわけですから。それから、できればアドレスの「h」は省略しないでくれる方が助かります。

投稿: アッテンボロー | 2006年8月29日 (火) 23時58分

ほあ?
ひょっとしてなんだかねぇ氏はあきら氏と改名したの?

前にも言ったけど、俺んとこは日清以降は殆ど軽くしかやらなかったし。


少なくとも口は悪くても最後に敬称をつけるのは常識じゃね?
意見が対立していたとしても。

投稿: 久々@クリックで救える命があります | 2006年8月28日 (月) 20時15分

>>くるるさん

暴力団対策法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)はどう評価するべきか難しい所だ。困ったことに犯罪を複雑化させ、組織犯罪の巧妙化と外国人マフィアの横行を許した所がある。国会参考人で呼ばれた組長たちの言動は法を志す者としては、許せないが間違っているわけでもない。法の限界とも言う。

ただ革命家とヤクザは似ている所がある。カクマル派と中核派の抗争と山一戦争なんてやっていること同じだ。手打ちを打つ方法がない分革命家の方が性質が悪いと僕は思うが。話がそれた。すまない。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月28日 (月) 12時24分

>>久々さんへ

渡嘉敷島で起きた住民の集団自決の件ですね。

多分、結果として集団自決が起きたから・・・云々。という結果になると思います。左翼の人の思考パターンは規格化されていますから。

結果として国鉄民営化は組合運動の暴走の末路であるとか言ったら、いろいろな見方があるといって様様こと言うのに。共産圏の核はきれいな核だといっていた人たちには何言ってもわからないと思いますよ。

>>まことさんへ

結局文明を作るとは後々何が残ったかです。市民革命のあと革命を起こす以外にフランスは何を残したかということです。

結局市民革命のあとに帝政が復活しました。第2共和制まで約50年かかっていますし、1871年の第3共和制も政治的には不安定で混乱しています。

貴族社会はその後もフランスに残っていますし階級社会というのは現代フランス社会の特色です。議会政治ときいて思い出すのはイギリス議会、アメリカ議会であってフランス議会と一番最初に思い出す人はいないと思いますよ。

1800年のイギリスで成立した連合法の方がはるかに議会制度として安定しています。正直市民革命自体がその後の民主化につながったわけではないのです。

社会民主主義も全否定はしません。「功」の部分もあるでしょう。しかし「影」の部分が大きすぎる。暴力団対策法の成立時に親分方が何を言ったかご存知でしょう。

投稿: くるる | 2006年8月28日 (月) 12時04分

>>あきらさんへ

なにも僕だけの考えではない。中世のヨーロッパ知識人の思考形態には大衆蔑視いや農村に対する軽蔑の考えが見て取れる。これは大正あたりの旧制高校出身の知識層にも同様の傾向がある。つまり農村という国家基盤に甘えた知識層というものだ。

あなたがどこの有名国立大学の何学科を卒業したかは知らないが、自分に合わない考えを単純に切り捨てるのは良くない。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月28日 (月) 12時03分

>>久々
貴方も随分偏った感覚をお持ちのようですね
歴史はウヨク教師に習いましたか?

>>ロースクール1期生
読解力の無さを露呈しただけですね(^-^)/

投稿: あきら | 2006年8月28日 (月) 10時53分

マルクスは大衆を馬鹿にしている。マルクスは古い階級社会であるヨーロッパの知識人。マルクスは読んだが、彼は庶民が牧歌的に信用していたものをことごとく否定してる。

大衆蔑視の考えが根底にあったのは確かだ。意識的か無自覚なものかはわからない。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月28日 (月) 10時17分

まあ、だけど「近代市民革命」が無ければ近代資本主義を支えるブルジョワ階級が伸張することは無かっただろうし、「社会主義革命」や社会主義勢力の伸張が資本主義を修正する一大契機になったのは否定しがたい歴史的事実でしょうね。

私も階級闘争史観ってのは一面的な歴史観だと思っていますけど、くるるさんのように近代革命の意義を全否定するが如き歴史観もまた、一面的だと感じますね。というか、くるるさんが展開しているような文明史観だって、古い歴史観の焼き直しという側面もあるわけですし。

投稿: まこと | 2006年8月28日 (月) 07時30分

ちょっと関係ないけど、美談のようなものを見つけのでば
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/777940.html
左翼のやる捏造は許せんが、こういうのなら許せるな。
生きるために必死でお願いしたことだし。
ボロクソ言われても、他の人々のために耐え忍んだ故赤松大尉はもとより、今回の照屋さんも何年間も嘘を通すのは辛かったろうに……

こんなのを見ても、左翼はあまり感動できないんだろうけど。

投稿: 久々 | 2006年8月27日 (日) 22時05分

くるるさんの云われるように >「革命が近代を作ったのではない、イギリス文明が近代を作った」 のです。
戦後日本の発展も労働運動やサヨク思想が作ったものでなく、労働者自身の創意工夫とエンジニアの熱意をベースに経済発展をしています。
生産現場はもちろん販売部門でも十年一日同じことの繰り返しはなく技術革新により同一機能製品を大量に安く省力化省人化により高度成長の時期を経て国民全体の所得向上を達成しました。

なんらやることが代わる事のない社会学者や公務員の所得も向上しました。
おそらく社会学者の行動思考パターンは1ドル360円時代から変っていないでしょう。

預金金利の源泉が労働者による剰余価値であるとの理解すらままならない愚者と同じく、戦後経済発展の恩恵が労働運動やサヨク経済理論と考えている社会学者には戦後同じようにゼロからスタートした日本と近隣諸国の経済力の差の原因が理解できず特定思想に凝り固まったままです。
(経済発展や所得向上と言う言葉は嫌いですが)
サヨク学者には反戦平和平等のスローガンで経済発展が続くと勘違いしています。

投稿: tatu99 | 2006年8月27日 (日) 15時12分

>>護憲的コケシくん さんへ

「市民革命」や「学園紛争」なんかに素晴らしさを覚えるのは10代なら当たり前でしょう。自分なんて共産党にシンパシー受けていましたし、理系なら初期段階で必ずかかる病気である、理系万能主義に凝り固まっていましたよ。

理系万能主義なんて若気の至りの頂点ですな。大学教育などを受けるうちに「超優秀」か「超無能」(圧倒的に後者のみ)以外は解けますけど。

しかしね、しっかり独学でも歴史を自分の視点から勉強しておけばそんなの幻想だとわかるのですよ。前にもコメントしましたが
「革命が近代を作ったのではない、イギリス文明が近代を作った」
これを理解しないと、歴史を間違って認識しロシアや東欧圏の二の舞になります。

誤解を受けているようだか自分は史観に「中立はない」と思っている。歴史は国の物語でもあるわけだからです。しかし文明史を絡めて考えれば独善的な歴史を作れなくなる。実際に皇国史観については自分は反対しているわけですから。

最後に「歴史は教訓を学ぶものであって責任を問うものではない」ということ。学ぶと責任を問うのをごっちゃにするのは危険です。分離して考えなければ。歴史は「当事者の孫の代で初めて評価される」という事実を忘れてはいけないです。

投稿: くるる | 2006年8月27日 (日) 13時53分


左翼、韓国、中国によって作られた教科書を「中立的教科書」とアピールするのは偏向ではないと?

投稿: 久々 | 2006年8月27日 (日) 10時12分

 まず、僕は高校で世界史を学んでいましたが、市民革命にある種の夢を学びながら抱いていましたね。だって自分たちの直接行動で一国を変えてしまうのですから。さすがに「ジャコバン派」などは「やりすぎだ」とは思っていましたが。

 そして、日本の侵略戦争については、高校の世界史教諭、そして浪人時代に河合塾の「サテライト授業」で近現代史を強化していた時の講師はともに「日本の戦争による加害は事実であることをちゃんと認識して下さい」と言っていました。教育体系自体はトップダウンの管理教育が徹底されていましたが、こういった人々の存在により完全な「体制派」になる一歩手前で踏みとどまりました。

 さて、今回の記事に関してですが、山川版日本史がそこまで詳細に記述していたことに驚きを覚えると共に、それだけのものが活かしきれていないままにいる日本の歴史教育の現状に改めて不安を感じます。いっそ「近現代史」を一つの教科としてしまってもいいと思っています(ちなみにこれは大学にいた在日の教授の持論であり、それに同意しました)。

 そして、完全な「中立」が存在しない(灰色なら多いと思いますが)以上、「人民」の側に立つのか「権力」の側に立つのか、と言うことが本当に問題になると思います。そこで「人民」の側に立つ歴史観が「偏向」とレッテルを貼られところに問題の核心があると思います。例えば『未来をひらく歴史』はざっと見た感じでは「人々にとっての近現代史」という視点に貫かれております。これが「信用ならない」、「偏向だ」というのならば、極論になりますが侵略戦争であることを認めず、周辺国の人々などどうでもいいという姿勢に立ってしまうことになってしまうことだと考えます。

 事実を権力者の色眼鏡で見ないということが、特にこの歴史問題では重要なのです。人々が見てきた姿で見ることのほうが大切なのです。確かに権力の側から見れば、他国の人々の立場に立つのはそれだけで「偏向」であるでしょう。でもそれにおもねっては「自国の歴史」そのものにも目をつむってしまうのです。「国益に沿った歴史観=公正・公平」だと言われても、そのような他を顧みない歴史観は「自国」の人々をも実は顧みていないということは頭に入れておくべきだと思います。

投稿: 護憲的コケシくん | 2006年8月27日 (日) 01時27分

>>アッテンボロー氏へ

歴史史観の基本は「前の世代を否定することで、自分たちの歴史の正当性を作る」です。

皇国史観も江戸幕府や封建的なものに対する否定から始まっています。

しかし明治政府を担った人間たちが江戸時代から続く価値観を持っていたように、戦後日本の復興を行った人間たちは戦前の教育を受けた人たちです。

だからこそ、その新しい史観の弱点というものがある程度本人たちにはわかっていました。だが次の世代はそこがわからなくなる。

全然矛盾ではないです。国の進路を決めるのはその時々の為政者です。為政者自信がある程度手持ちの史観やら思想の弱点を知らなければならないし、大正以前の明治政府や70年代あたりまでの日本政府はそこらがわかっていたようです。しかし、わからなくなったときから迷走や暴走が始まった。それは疑いようの無い事実です。

投稿: くるる | 2006年8月26日 (土) 22時59分

>>アッテンボローさん

くるるさんがほとんど言ってしまったが、国家観なしで史観を語るのは危険だ。

ニュートラルという意味がアッテンボローさんが「中立」と解釈としたのは、自由主義史観をきちんとわかっていないからだと思う。国家観というものが入らない歴史はただの年表でしかない。過去は年表は共有できても、歴史史観は他国とは共有できない。

史観はその国の文化文明伝統が色濃く反映されているものだからだ。史観である以上、日本人よりになるのは当たり前だ。

あと自由主義史観は史観としての方法がまだ確立していない。年寄りたちが大半の歴史学の世界は戦後史観に凝り固まっている。むしろ歴史学者より部外者がやったほうが良い。文系の勉強なんて本とある程度理解する頭があればどうとでもなる。文系の学者なんてそんなものだ。

>>くるるさん

コメントありがとう。自分は理系を評価している。くるるさんも頑張って。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月26日 (土) 22時50分

 安東さんの表現に習うなら、多くの人は灰色であることは確かでしょうね。そして歴史資料を取捨選択する際に人は自分の立場・主観がどうしても入ってしまう。久々さんなどは根拠を引いてくれることが多いわけですが、それらを見ても私の基本的立場は変わらない。ある意味石頭ではあるかも知れませんね。ただ出来る限り私はそれらを見るようにはしています。
 「従軍慰安婦資料集」は時間が取れれば読んでみましょう。
 くるるさん、少々矛盾していますよ。戦後の復興は皇国史観を否定する中でなされた物です。そうでなければあなたが良く言うような左翼の史観が蔓延するわけはないでしょう。

投稿: アッテンボロー | 2006年8月26日 (土) 22時49分

>>ロースクール1期生さんへ

期待しています。国を動かすのは文系ですし、法科の人間はその中核でしょう。

自分のような理系はどんな優秀な技能を持とうが、基本的に兵隊です。ただ飛び切り優秀な兵隊集団です。

高度な技術体系をもった今の日本は、理系のスペシャリストが支えています。この国の強みを維持するにはスペシャリストが必ず必要です。スペシャリスト抜きでは何もできない。

そのわかった上で文系の方々は理系を扱って貰いたいです。文系の方々も頑張ってください。

投稿: くるる | 2006年8月26日 (土) 22時35分

>>アッテンボロー氏へ

ニュートラルという言葉の使い方が伝わらなかったので補足します。ニュートラルというのは「中立」と言う意味でなく「中間」と言う意味で使っています。

歴史を紐解くと、国家観と歴史観を喪失した国家は破滅しその後2度と立ち直れないという事実があります。

自分の考えは「本来の手段が目的と化した時に悪いことが起きる」というのがベースです。

皇国史観も大日本帝国憲法も、近代国民国家をつくるに当たっての手段としては有効だったが、代を重ねるとそれが目的となり、軍の暴走(これは当時の民主主義政権が生み出したもの、大日本帝国憲法は暴走した軍を止める手段をもっていない)や硬直した思考をもったエリートが出てきてしまいましたね。

戦後史観も日本国憲法も同じ愚を犯しかけています。しかも戦後史観は国家観が0の史観です。しかも日本国憲法は外敵から国民を守る手段をもっていない。80年代末から始まったこの国の迷走振りは、よく左翼の人がいうのとは別の意味で、戦前と同じ間違えを犯しかけています。

ただ戦前の皇国史観は国家観があったため、敗戦の焼け野原から立ち直るビジョンが構築できたのですが、戦後史観は国家観がないので、壊滅した場合立ち直りができない可能性が高いと思います。

『文明の衝突』のサミュエル・ハンチントンの言うように日本は一国家一文明の国です。崩壊した場合、スペインやオランダ、イギリスのような衰退後の同一文明からのパワーを貰った持ち直しが利きません。我々はロシアや南米、アフリカのようになってしまう。

つぎに出てくる史観は、国家観を喪失せずに新しい史観を作る必要が出てきます。そこが重要です。

それに、歴史は当事者の孫の代から評価する権利を有します。現代史を評価している学者もそれがわかっているはずです。それがわからないなら、歴史学者として失格です。現代史における学者の見解を信じないのはそれが理由です。

投稿: くるる | 2006年8月26日 (土) 22時28分

アッテンボロー氏に同意。
確かに中立と言うものは存在しない。
でも問題となるのはソースですよね。
だから私は毎度毎度ソースを提示してます。

それと、中立はいませんけどどう見てもおかしいって表現はあります。
例えば『従軍慰安婦資料集』を読んでみてください。
(重い&高いので、図書館で見るのをお勧めします)
例えば日本軍の「人攫いの業者を取り締まれ」っていう命令書に対して。
「確かに中国ではそうでした。しかし朝鮮では違ったのです」
とソースも出さずに憶測だけで言ったりとか。
こういうのは「どう見てもおかしい」って部類ですね。

投稿: 久々 | 2006年8月26日 (土) 22時00分

ひとそれぞれ意見があっていいんじゃないんでしょうか、アッテンボロー氏の意見は私とはまったく異なりますがそれでも歴史資料なんて個人の主観一つでまるで変わって感じられるものですしね。完全な中立が存在しない以上右によってる、左によってるうんぬんの議論は不毛だと私は感じますが。ついでに私の学校では古代から現代まで薄く表面だけなぞるように学びました、私の知識は親と本によるものが多いですね。
しかし完全な中立はいませんが黒と白でわけるなら灰色の人はたくさんいらっしゃいますね、というか完全なる黒・白の人など多くないですし。
ついでに私は赤(共産系)の家系ですが(^^)

投稿: 安藤 | 2006年8月26日 (土) 21時53分

 本当の意味で中立の史観などと言う物は存在しないと言うことが分かって貰えていないようですね。歴史であれ法律であれ、その時々の階級関係に規定されるのです。自分が「中立」である、「自由」である、「普通」であるという錯覚こそが支配階級によって常に垂れ流されているブルジョアイデオロギーその物なのです。

投稿: アッテンボロー | 2006年8月26日 (土) 21時09分

>>アッテンボローさん

くるるさんの言っていることは非常にわかりやすい。なぜあなたが理解できないのかわからない。

史観についてのニュートラルな見解というものを持とうというのがくるるさんの考えだと思う。

歴史は学問であってイデオロギーではない。法律も実用であってイデオロギーではない。そういうことを忘れてはいけない。

僕の言うことが瑣末というのであれば、階級闘争を主とするマルクス史観も瑣末なことを取り上げすぎ。実際3.1独立運動は文明史的には何ももたらしていない。

実際、僕は歴史関係は法律に学ぶにあたりオプションで必要と思っている。今の歴史学者は戦後史観に偏りすぎ。戦前の皇国史観というものまで戻のは反対だが、やはり戦後史観とも皇国史観にも毒されない新しい史観が必要。

だから僕自身も「自由主義史観」には賛成。

治安維持法も共産主義の拡大を防ぐため、当時の独立国には標準装備の法律。それに共産化防止にはそれ相応の役割を果たした。まるで害悪のように言われている法律だが見ようによっては評価は高くなる。現場レベルの運用で死傷者が出たのは事実だが、刑事法でありながら、法体系に沿った死刑は一件も無いというのは非常にまれな法律なのです。法律は威嚇の手段でもある。刀を抜かず圧することができたのは非常に評価できる。

>>くるるさん

コメントを色々見させてもらいました。あなたは理系で文系を余り評価していません。理由はもっともです。理系の学生たちの頑張り様にくらべ文系は勉強量もすくないし、遊ぶために大学に行くようなのが大半です。

ただあなたの言うように戦後が終わったというのを、認識し理解するような人材は文系にもいる。法科はその点では一番だ。戦後の呪縛は僕ら若い法律を学ぶ人間は取れている。それを忘れんで貰いたい。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月26日 (土) 20時25分

 トロツキストさん現在の政治状況は戦前を彷彿とさせる物がありますね。それだけに過去の歴史に真摯に向き合うことが重要ですね。
 くるるさん、久々さんのお二人からすると二本のかつての過ちを取り上げること自体が偏っていると言うことになるようですので、幾ら論じても平行線でしょう。山川出版自体特に偏っているなどとは思いませんよ。再録した記事の中でも書いていますが歴史教育は階級攻防の反映です。この本は2000年の2月が初版ですので、現時点での歴史学者の極々当たり前の記事が書かれているに過ぎません。
 まことさんが書いて下さっているように学校教育では近現代史については殆ど教えていませんね。私自身教師から教わったのではなく自学自習でした。ついでに言えば私は当時の共通一次、今で言うセンター試験は日本史と世界史で受験していますので得意科目でしたね。
 何度も繰り返し書いていますが日教組は労働組合という大衆組織です。政党の様に思想で一致している人が集まって出来た組織ではありません。また政党・政治団体の仲でも特に規律の厳しい革命党ではありませんのでどの様な労働者も存在します。私自身中学時代の社会科教師が日教組には加盟していましたが授業の始めに軍歌を歌わせるような人でした。実に下らない人物で生徒の評判は非常に悪かったですよ。
 自らの過ちに目をふさぐ「つくる会」教科書などは国を誤る物ですね。歴史の仲の笹井で本筋に関係のない事ばかりを大きく取り上げ、大きな歴史の流れを大局的に見る力を削ぐ物です。その点で言えばロースクール一期生さんが書いている 「歴史は流れで覚えろ」「細かい所にこだわりすぎるな」と言うこと自体は間違ってはいません。しかし別記事への法律上の見解を見る限り枝葉のことに拘泥されているようですね。
 tatu99さんの言う「誤った平等主義」その物が歴史教育にとって間違っているのかどうかという点で言えば、戦前の飛び級制度があった時代に皇国史観による歴史教育が徹底されたこととの間で詳細に比較して論じていただきたいと思います。
 歴史観という物については私は何度も「自由主義史観」のことを現代の皇国史観・自慰史観・歴史修整主義と表現しています。かれらが皇国史観でも唯物史観でもない「新たで自由な」歴史観なのだと言うこと自体が大衆を瞞して取り込むための嘘でしかありません。

投稿: アッテンボロー | 2006年8月26日 (土) 19時47分

学校で何処まで歴史を習ったか、ですか。

小学校は確か第二次世界大戦前後で駆け足終了、中学では東西ドイツがどーだこーだという辺り迄はやりましたね。

高校は選択で世界史を選びましたが、選ぶ時に「日本史はまるで自分が悪い事をしたような罪悪感にかられるから嫌。」と歴史好きな友達と話した記憶があるので一応私も小中と自虐史観をデフォルトで教わった部類に入るのでしょうか。

まあ、子供の頃は親が大学生の頃共産運動をしなかった事を「カッコ悪い」なんて嘆く自分だったし、今思えば思想と歴史の区別がついていませんでしたね。

本音を言えばいい年こいた大人でも区別をつけられる能力の無い人の方が圧倒的に多いと思いますが。

投稿: AIM | 2006年8月26日 (土) 19時30分

僕は中学受験でソビエト崩壊までやったです。

中高は私立の中高一貫高だったから、これも現代まで。歴史観と言うものに対して細かい授業をしてくれたのを覚えている。

授業は独自の冊子やプリントを作っていました。「歴史は流れで覚えろ」「細かい所にこだわりすぎるな」とよく言われたですよ。学級崩壊がマスゴミをにぎわし始めていたころだから、きちんとした私立の教育を受けれたのは良かった。

ローでも都立高校出は少ないし、公立はどういう教育をしているんだか。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年8月26日 (土) 16時20分

スレ違いですが、まことさんの指摘でもあるように近現代史は教えられていません。
正しい歴史教育のためには義務教育での学習能力別クラス編成が条件と思いますが、誤った平等主義のサヨクの皆さんはどうお考えでしょう。

投稿: tatu99 | 2006年8月26日 (土) 15時57分

>>まことさんへ

多分自分とおんなじで日教組の人間が歴史教師だった場合が多いと思いますよ。

高校での日本史の先生は2人いたんですが、自分の知っている1人の年寄りは相当偏った感じで中世日本がすっ飛ばして、室町、江戸、近世が重点で終戦までやりましたね。国旗国家法も無かった時代で、トンでも授業の典型を受けましたよ。

そりゃ紙飛行機が授業中に飛ぶってわけです。

もう1人の若い先生の授業は明治に入った所で終わっていました。きちんと授業をしていましたね。

自分も小学校の歴史マンガ(図書館)で歴史を知った口なんで、まことさんの言いたいことはわかります。ただ歴史に興味を持った人間はトンデモ授業を受けた場合、結構印象が大きくなるのではと思います。「ちょっと違うんでないか?」と。

あとそれ以外の人間たちはそれ以外で歴史に触れませんから、外国と接したときうろ覚えの歴史が戦後史観なのはあまりよろしくないかと思います。

投稿: くるる | 2006年8月26日 (土) 10時23分

というか、「歴史教育がマルクス主義史観一色に染められている」だの何だの言う人がいますけど、そもそも近・現代史の授業を小・中・高のガッコでちゃんと受けている人なんぞ、この日本にどれ程いるんでしょうかね。

私はおそらくくるるさんよりも一回りプラスアルファほど年上の世代に当たると思いますが、世界恐慌辺りに差し掛かる頃には、「もう学期末で授業時間が足りないので、後は自分で勉強しておいてください~」とセンセから通告されてオシマイ、という按配でしたね。

むしろ、私自身の歴史知識はガッコの授業では無く、自分で本を読んで調べたり、あるいは人(戦争体験者などを含む)から話を聞くなど、自主的に学習して得たものが圧倒的に多いですね。

周囲の10代、20代のコ達から彼らが受けた歴史授業の実態を聞いてみても、私のコドモの頃と余り変わっていないような印象を受けます。

だから、くるるさんのように「学校の歴史教育の影響が~」と声を大にする人たちの声を耳にすると、「ガッコの歴史授業がホントにマルクス主義史観が一色なのか?」という疑問以前に、「そんなにガッコの授業が人々の歴史観形成に影響を与えているのか?」と思ってしまうんですよね。

投稿: まこと | 2006年8月26日 (土) 09時34分

右派の人にもある程度、「客観的な」日本近現代史のテキストとして提示できるものに山川出版の高校用教科書「詳説日本史」の数年前までのバージョンがありますよ。
近現代を担当しているのが、伊藤隆氏。つくる会の教科書にも深くかかわった人です。氏の見解に基づいて旧「詳説日本史」では、「大正デモクラシー」や「日本ファシズム」は欄外の注扱いですが、べつに大東亜戦争肯定論から書かれているわけでもありません。
新本ではもう流通していませんが、山川「詳説日本史」は、相当のシェアを占めていますので、旧バージョンを探して見たらいかがでしょうか?

投稿: まつき | 2006年8月26日 (土) 03時40分

うわー、これは酷い。
日本の都合の悪い部分だけを抜き出してる。
この後行くとさらに酷いことになってるんだろうなぁ。

俺は高校で歴史とって無いから、学校では中学までだけど、教科書使わない先生だったからなぁw
しかも基本的な単語ばっかりしか問わなかったし。

基本的にくるる氏とほぼ同意見なので、護憲的コケシさんの書き込みの時に調べたものがあったのでこっちにも。
『未来をひらく歴史』について言うと、日中韓で構成されていますが、日本側も左翼の人間が関わっている代物なので、結局は左翼史観の代物でしかありません。
ttp://sea.ap.teacup.com/applet/tirasinoura/20050610/archive
ttp://www.jca.apc.org/asia-net/events/sympo050529.shtml
ttp://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2005.4.7/kyoudou.html
どう見ても公平じゃねーな。

んじゃ、対比としてつくる会の教科書をば
ttp://www.tsukurukai.com/05_rekisi_text/rekisi_kaitei.html

投稿: 久々 | 2006年8月26日 (土) 01時08分

ぷ。ほんと戦争行く気あんのかよ。
そのまえに行けんのかよwww

ひ弱な青二才がよお。

投稿: なんだかねえ | 2006年8月26日 (土) 00時34分

>>アッテンボローさんへ

偏っていますね。こんな内容だったかなぁ。改めてひどいですよね。

自分は正直言うと理系だったくせに理系科目より歴史科目が良かったんですよね。研究職や技術職で生きていけなくなったら、第2の人生(定年退職後?)は歴史家(主に郷土史)をやっていきたいと思っている人間なので。

山川出版ですか。東京出版よりひどくないですけど、戦後史観というのに犯されていますよね。自分の使った教科書もこんなひどかったかなぁ。歴史教師が日教組のクズ教師だったから、ビラプリントを紙飛行機にして遊んでいた思い出しかないな。通信表は日本史、世界史、公民は9か10だったのが自慢。絶対評価バンザイ。

アッテンボロー氏は戦後教育どっぷり使っているし左翼活動家なので、よくわからないと思うんですが。自分が問題にしているのは史観に対する扱い方なんです。

史観というのはわかります?

歴史を全体的に把握し、解釈するときの基礎的な立場・考え方。歴史観のことを史観というんです。

昭和、戦後において史観は2つありました。1つは皇国史観、もうひとつは別名マルクス史観こと戦後史観なんです。どっちも史観的には問題があります。皇国史観の問題点は国家、天皇陛下を中心におき過ぎて客観性を見失っているところ、戦後史観はマルクスの影響を受けすぎて、国家の歴史というものを階級闘争のみで語っていると言うところです。
よくアッテンボロー氏や左の人たちが悪く言う自由主義史観というのは「皇国、戦後の史観に縛られること無く」本来の歴史を国の歴史としてニュートラルに書きつつ、文明史という観点を取り入れて評価しようという試みなんです。

文明史というのは簡単に言えば「台湾海峡の波が高くなれば、半島が動き、日本が揺れる」というような、海外からの歴史の影響を踏まえて歴史を評価するということです。

歴史学の世界も世代交代が進んでいるんで、新しい史観の構築には自分は分野外ですけど賛成しているんですよ。

思想犯保護観察法なんて瑣末な問題ですよ。

>>トロツキストさんへ

なにいっているんだか。戦争起きたら戦争にいくのは自分たち若い人間なんですよ。そして、それの背中を押すのはあなた方年寄り。

絶対事がおきたらそうなりますよ。歴史が教えています。

投稿: くるる | 2006年8月25日 (金) 23時47分

 こうして改めて近代日本の歴史を振り返ると、最近の政治状況とだぶる部分が多くあり、恐ろしさを感じます。
 次期内閣は更にこの恐怖感を煽ってくるでしょう。

投稿: トロツキスト | 2006年8月25日 (金) 23時09分

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