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2006年9月

2006年9月25日 (月)

トコトン呆れた その2

 「革共同と中核派」という記事に対して色々と読解能力に欠ける人々がコメントや別記事に「自分に都合の悪いことは全て『誤解』」等というトラックバックをしている。いい加減、子供の相手にも辟易しているのだが、駄々っ子に対して最後の付き合いをしようと思う。そもそもの発端は「イスクラ」という中核派の現役学生らしき人のブログで私のことを学生運動から脱落して郵便局員になったと勘違いした人間が噛みついてきたことに始まる。同様にここ半年ほどの常連となったSIlver_PONさんも「アッテンボロー」と題した記事をトラックバックしてきた。4月17日に「多勢に無勢」18日に「トコトン呆れた」「保育園児に因数分解を教えられるか?」の二つの記事を掲載した。私に学生運動の経験が無く、元々労働運動の分野で革命運動に参加してきたことを繰り返し述べた結果として、SIlver_PONさんは自らの誤解を認めて記事を削除した。

 処がである。「革共同と中核派」という記事は中核派の組織構成を知らない人のために簡単に書いたつもりであったのだが「革共同・マル学同・マル青労同・全学連・反戦をひっくるめて中核派と呼ぶようになり、今日ではこれが一般化している。」と書いたにもかかわらず、私は学生組織のマル学同中核派に加盟したことはないと書いたことの意味も「マル青労同の場合私が除名される前後に性格が大きく変わった。」と書いて有ることの意味も理解できずに、嘘つき呼ばわりされている。繰り返し述べるが、私は学生組織に加盟したことはない。労働者として革命運動に参加していたのだ。つまり一般的な意味では私は中核派であったが狭義の意味でマル学同中核派に加盟したことはない。日本語の読解能力が著しく低レベルであると断じても差し支えないであろう。

 また「ギザギザパーコの子守食った」に対しても我が家はYahoo!でADSL契約をしているのでNTT西日本は屋外回線しか関係ないのであるが、「IPの通信障害といえば先日よりNTT東日本でIP電話が繋がりにくいって話は聞いてましたが、NTT西日本ではそんな話はありませんね、私の職場も近隣のホテルもお得意先もIP電話ですが(俺の家だけADSL)、大阪北部のここらへんはIP電話の通信障害はありませんね。アッテンボローさん、貴方は本当に大阪在住の郵便局員ですか? 実は郵便局員でななく、本当は東京に住いしているのではありませんか?」等という書き込みがある。記事の本文中に「多分屋内のブロードバンドルーターかYahoo!に問題が有るようだ。」と書いてあるにもかかわらず何故かNTT西日本でADSLを繋いでいないと東京在住になるらしい。ここら辺の、書いてあることは読まないで、書いて無いことについて妄想するという傾向は非常に困った物である。私が郵便局員であることについても、職場や労働組合の問題を色々書いている記事を読んで貰えれば、まともな国語能力を持っている人であれば誤解の余地はないと思う。ついでに言えば私はこのブログで今までただの一度も居住地が大阪であるなどと書いたことはないし、関西で活動してきたこと以外明らかにしたことはない。(もしかしたら酒に酔ってコメントに対する返事で居住地について書いたかも知れないが) 2ちゃんねるの大スターである、うちはだいこ=日本国憲法擁護連合氏の妄想によると、私は大阪か京都在住であったらしいが現在では埼玉に住んでいるらしい。同レベルの輩のようであるので今後は相手にすることは止めようと思う。相手するだけ時間の無駄であるからだ。

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2006年9月24日 (日)

ギザギザパーコの子守食った

 一週間ほどインターネットに接続出来ない状態が続いている。体調を崩しているのでは無くADSLの調子が良くない為にケーブルを外しているのだ。二週間程前からIP電話に雑音が混じるようになり、着信時の番号表示が出なくなり通話ばかりか着信・発信も不能である。妻は最初電話器の故障かと思い電気屋に走って新しく買い求めた。ところが繋ぎ変えても変化は無い。先にNTTに問い合わせすれば良かったのにと私が言ったが後の祭りである。調べてもらったところどうやら屋外配線には異常が無いらしい。多分屋内のブロードバンドルーター化Yahoo!に問題が有るようだ。仕方なく電話のケーブルをルーターから外して、二股のモジュラージャックを使って電話とインターネットを並列に繋いで凌いでいたが、それでも通話に支障が出て来た為に電話のみを繋ぐことにした。お陰でこの記事は携帯電話で打ち込んでいる。Yahoo!に問い合わせて復旧するまでコメントを読むことも出来ない。

 先週から次女が風邪を引き、今週は八度代の発熱が続いている。息子にも移った様で保育所も休んでいる。お陰で病院の予約や学校・保育所との連絡の為に電話を外す訳には行かない。今日は二人で喧嘩をするまで回復しているが、果たして明日から保育所に行けるかどうか分からない。次女も土曜が運動会なのだが怪しいものだ。尤も台風接近の為に延期になるかも知れない。

 夕飯の後で息子が何故か急に「ギザギザハートの子守歌」を歌ってくれと言い出した。先日カラオケに行った際に妻が懐メロで歌ったのが気に入ったようだ。普通に歌っても面白く無いので安岡力也の様にドスを効かせてみたところ好評で、結局三番までフルコーラス歌わされた。掲題は息子が真似て歌った時に上手く言葉が出てこなくて間違えた物だ。その後「幼稚園」の付録のオシャレ魔女ラブandベリーのおでかけケーキセットで遊ぶ相手をさせられた。息子が店員で次女がパティシエである。私は客の役だ。息子が「ケーキは何にしますか」と尋ねて来たので「カツ丼をくれ」と答える。次女が「カフェにはカツ丼は有りません」と応じるので「ホナ、カレーライス」「鉄火巻き」と次々有り得ない注文をしてからかう。しまいには息子が怒って蹴りを入れてくるので「客にキックするんか」「そんならパンチでどうや」と息子。すかさず「パンツ?」と言ってズボンに手をかける。なんだかんだとふざける元気が出て来た様なのは良いことだ。早く風邪をすっきり治して元気に学校や保育所に行って欲しいものだ。

 追記 この記事は元々21日に携帯から送信したはずなのに、何故か反映がおくれて今日となった物です。

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2006年9月22日 (金)

一週間ぶりの更新

 一週間ブログの更新とコメントへの返事を休ませていただいた。お陰で少々気分的には楽になったように思える。この一週間の間にも色々なことがあったのであるが、休んでみようと思ったこととIP電話のトラブルのためにネットの接続を切っていたこと、ココログにも支障があったようで、携帯電話から記事だけ投稿してみたのに反映されなかったこと等々も重なった。

 先週末は息子の通院の日で尿検査の結果血尿はある物の蛋白が下りていないので経過が良好だと言われたこと。次女の風邪が中々治らず息子にまで移って今週は二人とも休んでいたこと。職場の単車が更改になってCD-MD90というホンダのスーパーカブに乗り換えたこと。自民党安部総裁が誕生しそうになったので著作を買ってきて研究しようと試みていること。職場の業務の都合で各種試験勉強に追われていること。組合の分会大会があったこと等々色々と有った。自分の病気の点で言えば疲れが溜まってきているのか時折不眠の症状に悩まされている。

 そうそう、今日の夕刊に関生の武委員長が再逮捕されたことが報じられていた。大阪拘置所の刑務官で収賄罪で逮捕されている男が武委員長にも金品を要求していたらしく、今度は贈賄罪である。関生潰しのために大阪府警はなりふり構わない様子だ。一年近くも拘置所に収監され、面会なども制限されていれば誰でも家族や関係者と連絡を取りたくなるのは当然であろう。私などたったの23日間の逮捕拘留しか経験がないが、それでも手紙や千葉刑務所の外から聞こえる激励が嬉しかった。弱みにつけいる刑務官の薄汚さに対して怒りは覚えるが、その事で武委員長に贈賄というのは許せない。寧ろ強請の被害者ではないかとさえ思う。毎日新聞の報道内容も微妙である。基本的には警察情報を鵜呑みにしているのではないかと思う。「自らの影響下にある団体に非加盟の業者に街宣車で押しかけたり、労使交渉では企業側に『解決金』を要求するなど、活動手法に批判もある」などと書いている。水で薄めたシャブコンを安値で販売している生コン業者に対してダンピングや粗悪品の販売中止を求めることが何故いけないというのだろうか。また労使紛争の解雇事案などで争議になった場合金銭和解することは日常茶飯事であるのにそれをあたかも「違法」で「非常識」な行為ででもあるかのような表現はおかしい。他の新聞は読んでいないが、他所と比べても酷かったら購読紙を変更しようかとさえ思う。

 「コメント及び記事についての方針変更」で少々誤解を招いたかも知れない表現があったので補足しておきたいと思う。意見が違いすぎると堂々巡りに陥ることが度々あったために「歴史認識などで大きく立場が違う人々には書き込みをご遠慮していただければと思う。」と書いたのであるが、私と違う意見の書き込みを禁止したつもりはない。噛み合わないときには適当なところで収拾を付けるために「ご遠慮」という表現を使ったつもりである。仲良しの内輪だけの物にする気は毛頭無いので理解していただきたい。体調次第で今までのように一つひとつ、一人一人の方に返事が出来ないことをお断りしただけのつもりであった。経験上、組合の会議などでも異論百出する方が実りある物になる。今後とも常連さんは勿論、初めての方の書き込みも歓迎するつもりである。

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2006年9月13日 (水)

コメント及び記事についての方針変更

 元々このブログを立ち上げた当初はコメントの書き込みも少なく、尚かつ11ヶ月物長い病気休暇と休職があったためにすることと言えばネットに繋いで情報収集することと辛うじて読める本に目を通すくらいであった。しかし、5月に職場に復帰して既に四ヶ月が過ぎた今では、仕事と組合の各種資料を持ち帰って読む時間などが必用でありネットに繋げる時間が制限されるようになってきた。病気自体は完治していないのであまり無理をすることも出来と図、どうしてもネット及びブログに割く時間を減らす以外無い。そこでこれからは記事の更新自体毎日することを諦めようと思う。ここ暫く実際問題として毎日更新が出来ていたわけではないし、コメントへの返事も個別にするのではなく総括的に行ってきた。今後はそれが常態化することになる。

 そしてコメントに関して言えば歴史認識などで大きく立場が違う人々には書き込みをご遠慮していただければと思う。私自身はお人好しの類になるのであろうか、書き込まれたことに対しては出来る限り返事をしようとしてきた。その為に一時間から二時間かけて返事を書くこともしばしばであった。今の私にはその余力が無くなりつつある。削除やアクセス禁止をするのは心が狭いと思えるのでその様な措置を執るつもりはないのであるが、いかんせん時間が足りなくなりつつある。病気が完治していない現状で休まず出勤して労働運動と家事・育児とを両立するにはほぼ限界が来ていると思う。今後は時間と体力に余裕のあるときに随時更新し、コメントへの返事は出来るだけ簡略化するようにしたいと思っている。皆さんのご了承を願う。

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2006年9月12日 (火)

9・11反米ゲリラから5年

 昨日は2001年9月11日に行われた9・11反米ゲリラから5年であった。9・11は被抑圧民族による帝国主義本国の抑圧民族に対する極限的で止むに止まれぬ決起であったとの評価だったと記憶している。アメリカ合州国建国以来行われてきた侵略と侵略戦争によっていったい幾千万の被抑圧民族人民が死に追いやられたことであろうか。アルカイダという歪んだ組織による物であるとは言え、米帝に対する怒りの強烈さを実感した。朝鮮戦争・ベトナム侵略戦争・グレナダ侵略・パナマ侵略・中東湾岸戦争・コソボ空爆などのユーゴ侵略戦争・アフガニスタン侵略戦争・イラク侵略戦争。この過程でいったいどれだけの民間人が米兵の手によって殺戮されたことか。これらの数々の侵略戦争だけを取ってみても米帝は全世界の被抑圧民族人民の怨嗟の的である。

 9・11直後の職場の朝礼で、私はアメリカ人というのは本当に人の痛みが分からない連中で、今までに行ってきた大量虐殺に対する反省の欠片もない。これを機に被抑圧民族の怒りを思いすると良いという主旨の発言をした。もちろん職場の朝礼であるので、自分は人の気持ち・お客さんの気持ちを理解して仕事に励みますという付け足しも忘れなかったのであるが。そしてアメリカにおいてイラク侵略戦争開戦前から百万単位の人々が侵略戦争反対に決起するという情勢が生まれ、全世界で一千万を超える人々が起ちあがった。今日でもイラク侵略戦争が無名の師であることが明らかになるにつれアメリカの労働者人民は米帝ブッシュ政権を追求している。帝国主義的利権のために他国の人民を虐殺して良いのかという疑問が澎湃と沸き起こっている。私はここにアメリカの労働者人民の階級性・国際連帯のあり方を見たい。

 日本においても、小泉政権がインド洋上での米軍艦への燃料補給・イラクへの自衛隊派兵を行いアジアイスラム圏の民衆に対して敵対する立場を取ったことに対して、本来ならば国民的な倒閣運動が必用であったのだ。日本の労働者はその多くがイラクにおけるイラク侵略戦争を他人事と思っている。だがそれは全く間違っている。陸自が撤退したとは言え、今日尚空自が米軍の軍需物資や兵員を輸送する任務に就いており、「後方支援」と言い換えた兵站を担っているのだ。イラク人民・アジアイスラム圏の人民からすれば日本は参戦国であり、日本に対する9・11がいつ起きても当然のことだと言える。「テロ」対策と称して各種の治安弾圧体制を強化しているが、権力が「万能」だ等というのは神話に過ぎない。ここ数年殆ど行われていないとは言え、人民革命軍武装遊撃隊(通称中核派革命軍)やプロレタリア統一戦闘団?(通称解放派革命軍)のかつての戦闘がそれを実証している。

 米帝によるアフガニスタン・イラクを始めとする各国での侵略と虐殺は世界中で帝国主義に対する怒りを巻き起こし、反帝国主義の闘いに多くの若者がはせ参じる状況を生み出している。広範な人々が米帝を始めとする帝国主義に対する闘いを支援している。九月に入って以来のブルジョアマスコミの特集の多くが米帝による対「テロ」戦争と称した侵略戦争、帝国主義による世界再分割戦争が誤りであることを論じている。帝国主義はますます死の絶望の淵に転落して行くであろうし、被抑圧人民の決起を真摯に受け止めた帝国主義本国の労働者は自国帝国主義打倒の闘いに起ちあがるべきである。日本人はアジア諸国人民の血の上に築かれた繁栄と決別しなければならない。思考能力のない右翼共が「左翼は日本から出て行け」などと言うが、私は決して日帝打倒を諦めはしない。帝国主義本国の抑圧民族の人間としてアジア人民に対する血債を必ず償還する。

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2006年9月10日 (日)

思想言論の自由を守り不敬罪の復活を許さないために、天皇制を絶対廃絶しよう

 ここ数日息子がパソコンを占領して明け渡してくれないでいたために、知らず知らずに深酒をしてブログを開くことが出来ないでいた。記事だけなら携帯から投稿することも出来るのだが、携帯でチマチマ書くのはどうも性に合わない。気がつけば大量に付いたコメントにたいしても返信が出来なかった。ただ世の中には学習できない人も沢山存在するのだなあと改めて感じた次第である。自民党の加藤元幹事長の自宅兼事務所に放火した天皇制右翼がいるが、天皇制・天皇制イデオロギーこそ右翼による白色テロルのイデオロギー的支柱である。この問題に目をふさいで天皇制を論じることは白色テロルに屈服することである。

 「拙速」という言葉があるが、先日の私の記事は確かにセクトNo7さんや土岐幸一さんが指摘されるように不十分な物であり、天皇・天皇制を階級的立場から徹底批判する物とはなっていない。ただ、私は何よりも真っ先に天皇一族の跡取り誕生として「奉祝」を強制する言論思想弾圧に対して、天皇制を打倒する決意を明らかにする必用を感じていた。天皇・天皇制とは荒唐無稽の「神武神話」を拠り所にして、それを国家及び民間右翼の白色テロルによって強制する代物である。打倒を真っ正面から掲げる主義主張と行動の前には脆くも崩れ去る物でしかない。戦犯天皇ヒロヒトの死、現天皇アキヒトの即位に際してレンタルビデオ店が繁盛したことは今回もまた再現された。国民の多くにとって天皇一族の跡取り誕生などどうでも良いことであるのだ。

 税金ドロボウ一族云々に関してこれまた学習能力のない人々が公務員のくせにどうこうというと言う書き込みをしていた。昨年の郵政民営化をめぐる論議で小泉自身が何度も主張していたことすら理解できずにいる人々が多数存在している事の現れである。男性であれば働き者の夫とぐうたら女房とを女性であればヒモを食わせている女性労働者を想起していただきたい。小泉の主張は、郵政労働者が懸命になって稼いでくるから、それを無駄遣いする政官財のトライアングルが存在するので働き者と離婚すれば、残された穀潰しは倹約を覚えると言うことである。この場合働き者の労働者と穀潰しとではどちらに非があるのだろうか。言わずもながのことである。税金を無駄使いしているのは日帝ブルジョアジーであって、労働者ではない。

 天皇制批判の記事に対してあっという間に百を超える反響があったこと自体は非常に望ましい。また天皇一族に対する批判のトラックバックも沢山頂戴した。日本において革共同を始めとする革命的左翼が現として存在し、真っ向から天皇・天皇制イデオロギーと対決していることを抜きに現在の言論の自由はあり得ないと考える。現天皇アキヒト自身が即位の際に件法をも守ることを宣言せざるを得なかった。その結果として鈴木邦夫などの熱心な天皇制右翼が幻滅を感じようとも、天皇制打倒の世論が高揚しないようにと言うアキヒトなりの政治的発言であったのだ。

 天皇制は打倒され廃絶されるべき存在である。断固として私はこの事を主張する。

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2006年9月 6日 (水)

日本一可哀想な赤ちゃん

 秋篠宮フミヒトに男の赤ちゃんが生まれたそうである。今日のテレビ番組は翼賛報道一色であるので我が家ではスイッチすら入れない状態である。少なくとも妻も税金ドロボウが一匹増えたという感想でしかない。職場でも、また赤ん坊ですら数千万の生活費が税金から支出されることに対する憤りや不満の声が溢れていた。これほど生まれただけで呪詛の声を浴びる赤ん坊は居ないのではないだろうか。

 日本は現在帝国主義による侵略戦争に踏み込むか、それをプロレタリア革命に転化するかが問われる情勢に突入しつつある。その様な状況において天皇アキヒトの孫として代に生を受けると言うことは一体何を示すのであろうか。フランス大革命においてブルボン王朝最後の王妃マリー=アントワネットは夫たるルイ16世処刑の報に接して息子に対し祝辞を述べたという。「おめでとうございます陛下、今日からあなたがルイ17世です」という主旨の挨拶をして臣下の礼を取ったという。今日生まれた赤ん坊は果たしてフミヒトの妻紀子から即位の祝辞を受けるのであろうか。少なくとも祖父であるアキヒト・伯父であるナルヒトの処刑くらいは見るハメになるのではないかと思う。最悪の場合、父フミヒトと共に処刑される可能性すら有る。今回生まれたのが天皇一家の跡目相続権のない女の子であれば少なくとも自身の命には影響がなかったであろうが、男として生まれた以上、いつ死ぬか分からない存在である。本当に気の毒な運命の元に生まれたとしか言えない。

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2006年9月 5日 (火)

革共同と中核派

 説明が面倒くさいので私は元中核派でとおしているのだが、厳密に言うと中核派に加盟したことはない。世間一般で言うところの「中核派」であったことは確かなのであるが、ロースクール1期生さんの書き込みに「国家公務員法における欠格条項にあなたはあてはまる。第三十八条  次の各号のいずれかに該当する者は、人事院規則の定める場合を除くほか、官職に就く能力を有しない。第五項 日本国憲法 施行の日以後において、日本国憲法 又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」と有ったので、少々ややこしいのであるが「中核派」の組織について簡単な説明をしようと思う。

 革共同、正式名称は革命的共産主義者同盟全国委員会である。マル共連の記事「中核派と革マル派」に組織の変遷については詳しく記載されているので、歴史的経緯についてはそちらを参照していただきたい。少なくとも革共同の文献を元に私がまとめるよりは客観的な記述になっている。元々中核派というのはマルクス主義学生同盟中核派のことを指していたのであるが、革共同の指導を受ける労働者組織であるマルクス主義青年労働者同盟と併せて革共同に加盟するまでの候補者の組織である。大衆組織である全学連と反戦青年委員会が70年安保沖縄闘争の過程で党派系列に編成されたために革共同・マル学同・マル青労同・全学連・反戦をひっくるめて中核派と呼ぶようになり、今日ではこれが一般化している。反戦青年委員会については、中核派系は91年であったかに発展的に解消し、89年に結成された全国労組交流センターに移行した。

 暴力革命を綱領として掲げているのは同盟本体である革共同である。ロースクール1期生さんが言うところの「政党その他の団体」については、厳密に言えば革共同のみが該当する。例えば機動隊との市街戦やカクマルとの内戦で斃れた場合、機関紙に弔辞が掲載される場合も同盟員の場合には「同志○○」と記述されるのであるが、全学連の場合は「戦闘的学友」、反戦や交流センターの場合には「戦闘的労働者」と言う表現になる。特にマル青労同の場合私が除名される前後に性格が大きく変わった。革共同に加盟することを目指す労働者の組織から、マルクス主義を学び労働運動や反戦平和の運動を志す青年であれば誰でも加盟できるようになり「新生マル青労同」と呼ばれるようになった。革共同は革命を目指す党であるので権力の弾圧に対して非公然の党として形成されている。同盟員が誰であり誰がどの様な役職に就いているかは、政治局員や極一部の指導部を除けば公表されていない。20年あまり「中核派」の運動をしてきた私でも、大衆戦線で共に行動する人の場合は本名を知る人もいるが、同盟本体に誰が加盟しているのかなど全く知らない。天皇アキヒトの即位行事粉砕を掲げて数十波の革命的ゲリラ戦が先取された90年天皇決戦の際も、組織実態が解明できていないために破防法団体適用を見送る状態となった。

 郵政当局も私がどの段階の人間であるのか把握していなかったし、公安警察や公安調査庁も把握できていなかったはずである。家宅捜査や身体捜索を行ったりもしたが、結局押収した物と言えば機関紙・誌くらいしかなかった。つまり左翼関連の機関紙や書籍を販売している書店であれば誰にでも手に入る物でしかなかった。建前として日本は罪刑法定主義の国である。その為思想その物を裁く法律である破防法は滅多に適用されることがないし公務員に対する欠格条項が適用されることも無い。もちろん共謀罪が成立すれば戦前の治安維持法同様に無差別大量逮捕に繋がることになるし、それを口実として欠格条項適用もあり得るであろうが、少なくとも現時点では政府自らが法治国家の建前を公公然と侵すことが出来ないでいる。

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2006年9月 3日 (日)

鬱病について その3

 五月から職場に復帰して既に四ヶ月が過ぎた。その間に息子の入院などもあり色々と負担がかかっていたように思う。先々週は夏バテの状態で風邪を引いたために一週間寝込んでしまった。内科と心療内科との双方で鬱病の再悪化との関連をしつこく聞いてみたが、関連は薄いと言われた。点滴を打ち続け一週間で症状は良くなった物の、少々疲れが出てきているようだ。実際職場の昼休みに昼寝を取らなければ辛い状況は改善していない。金曜は寝付きが悪く四時頃まで眠りにつくことが出来なかった。土曜も似たような物である。その結果であるが土日は日中寝て過ごした。妻からは「そんだけ寝てよお目が腐らへんな」と言われてしまった。疲れているのだから仕方ないやないかと言いたいが当直明けの妻に言い返すわけにはいかない。殆どの場合妻は当直の際に仮眠すら取ることが出来ないのだから。

 年明けに暫く酒を節制していたが、七月あたりからそれが崩れてきた。ストレスと飲酒量とは比例するようで、知らず知らずのうちに酒量が増えていた。夕方帰宅するなり二本程度飲んで、その後食事と入浴を済ませてからまた飲む。時には自動販売機が営業を終える時間になってからコンビニに走ることもある。飲酒は鬱病治療との関連で言えば良くない。本当は抗うつ剤を服用しているときは禁酒することが望ましい。簡単にはできないことが分かっているので主治医も禁酒しろとは言わず程々で押さえるようにと言う指導である。我慢できる日があるので、幸いにして依存症になるほどではないが。

 鬱病の場合集中力も低下するのでケアレスミスが結構ある。仕事で些細で基本的なミスをすることがないように注意しているから、これも神経を消耗する。読書も思うほどはかどらない。何よりも新聞すら数日に一度体調の良い時しか読めない。病気をする以前であれば新聞は二紙ないし三紙に隅々まで目を通し、機関紙を読み、その上で読書する時間も沢山あった。一体いつになれば健康な当時のように回復するのかと少々いらだちを覚える。自分にとっての限界を知って疲れを溜めないというのが一番大切であるが、知らず知らずのうちに疲れが溜まっているようである。仕事でも組合でも出勤している以上は一人前の働きを要求される。そのこと自体が負担であるようだ。少なくとも現状は必用最低限のことのみをするようにして、無理しないことだ。分かってはいても中々実行できない。

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2006年9月 1日 (金)

廃仏毀釈と国家神道

 国家神道は明治以後に新たに作られた新興宗教であるのだが、今日の教派神道自体が伝統的な宗教とはかなりかけ離れた明治以後に作られた物と言うことが出来る。歴史上の天皇を見ても後白河法皇のように僧籍にある物が沢山存在したし、飛鳥時代以降日本の国教は事実上仏教であったと言っても過言ではない。ところが1867年の「王政復古」の大号令と共に天皇家は仏式行事を廃する。更に翌68年神仏判然令を出して神仏習合を廃止する。徳川幕藩体制当時に宗教統制のために仏教が利用されていたことに対する民衆の反感も相まって廃仏毀釈が巻き起こる。浄土真宗以外の仏教教団の多くが大混乱に陥り、寺院・仏像の破壊が各地で巻き起こる。寺院内鎮守という形で寺の中にある神社や神宮寺・別当寺として神社の中に寺があるという形態が多量にあったがそれらが廃止される。京都四条の観嬉光寺は移転、別立されて鎮守である錦天神が残される。鎌倉鶴岡八幡宮の境内の真言宗12寺院は全て破壊され、社僧は神主に転職させられた。

 1870年「大教宣布の詔」が出され、翌71年には寺社領上知令が出され、更に翌72年には国家管理の教導職を設置して神仏合併の大教院を設立する事で宗教を国家神道の元に統制しようとする動きが起こる。僧侶に対しては肉食妻帯を許可することで破戒僧を大量に生み出して仏教の権威を貶める方策を取る。更には各宗一県一宇に合寺する動きもあった。これらに対して浄土真宗の拠点地域であった越前大野・今立・坂井の三郡では護法一揆が起きるなどの反乱が生じる。折しも地租改正反対一揆なども頻発していたため両者の連動・合流を恐れた政府は政策を緩和し75年には大教院、77年には宗教統制機関としての教部省を廃止して内務省社寺局に移管する。

 国家神道の行事としては1868年に戊辰戦争の際に朝廷側の戦死者を「国事殉難者」として京都東山の霊山正法寺境内において神式に祀ることに始まる。69年に東京招魂社を創建し後の靖国神社となる。81年には祭神論争が起こり伊勢派と出雲派との間で対立するが、記紀神話を元に天皇に直結する伊勢派が優勢となり出雲派は衰退する。神宮皇學館が設立され国家神道の研究機関となる。(皇典講究所および皇學館大学参照) 90年には空想上の天皇である神武を祀る橿原神宮が創建され、神宮を見下ろす位置にあった洞部落が不敬であるとして強制移転される。南朝正当説の先駆けとなる吉野神宮もこのころの創建である。日露戦争中の1906年から官弊社と国弊社の経費が国庫負担となり10年には樺太神社、北海道・台湾・朝鮮など元々神社自体がなかった地域にも「神宮」が建設され、植民地支配のシンボルとなる。29年には神社制度調査会が「神社は宗教にあらず」とすることで仏教徒であれクリスチャンであれ神社を拝むことを強要するようになり正式に国家神道が成立する。

 色々と歴史上の事実を振り返ってみたが、今日の殆どの神社が一旦は国家神道に組み込まれることで何らかの形で天皇家との繋がりを強調している。元々の神社とは異質な存在になっている。

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