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2006年9月 1日 (金)

廃仏毀釈と国家神道

 国家神道は明治以後に新たに作られた新興宗教であるのだが、今日の教派神道自体が伝統的な宗教とはかなりかけ離れた明治以後に作られた物と言うことが出来る。歴史上の天皇を見ても後白河法皇のように僧籍にある物が沢山存在したし、飛鳥時代以降日本の国教は事実上仏教であったと言っても過言ではない。ところが1867年の「王政復古」の大号令と共に天皇家は仏式行事を廃する。更に翌68年神仏判然令を出して神仏習合を廃止する。徳川幕藩体制当時に宗教統制のために仏教が利用されていたことに対する民衆の反感も相まって廃仏毀釈が巻き起こる。浄土真宗以外の仏教教団の多くが大混乱に陥り、寺院・仏像の破壊が各地で巻き起こる。寺院内鎮守という形で寺の中にある神社や神宮寺・別当寺として神社の中に寺があるという形態が多量にあったがそれらが廃止される。京都四条の観嬉光寺は移転、別立されて鎮守である錦天神が残される。鎌倉鶴岡八幡宮の境内の真言宗12寺院は全て破壊され、社僧は神主に転職させられた。

 1870年「大教宣布の詔」が出され、翌71年には寺社領上知令が出され、更に翌72年には国家管理の教導職を設置して神仏合併の大教院を設立する事で宗教を国家神道の元に統制しようとする動きが起こる。僧侶に対しては肉食妻帯を許可することで破戒僧を大量に生み出して仏教の権威を貶める方策を取る。更には各宗一県一宇に合寺する動きもあった。これらに対して浄土真宗の拠点地域であった越前大野・今立・坂井の三郡では護法一揆が起きるなどの反乱が生じる。折しも地租改正反対一揆なども頻発していたため両者の連動・合流を恐れた政府は政策を緩和し75年には大教院、77年には宗教統制機関としての教部省を廃止して内務省社寺局に移管する。

 国家神道の行事としては1868年に戊辰戦争の際に朝廷側の戦死者を「国事殉難者」として京都東山の霊山正法寺境内において神式に祀ることに始まる。69年に東京招魂社を創建し後の靖国神社となる。81年には祭神論争が起こり伊勢派と出雲派との間で対立するが、記紀神話を元に天皇に直結する伊勢派が優勢となり出雲派は衰退する。神宮皇學館が設立され国家神道の研究機関となる。(皇典講究所および皇學館大学参照) 90年には空想上の天皇である神武を祀る橿原神宮が創建され、神宮を見下ろす位置にあった洞部落が不敬であるとして強制移転される。南朝正当説の先駆けとなる吉野神宮もこのころの創建である。日露戦争中の1906年から官弊社と国弊社の経費が国庫負担となり10年には樺太神社、北海道・台湾・朝鮮など元々神社自体がなかった地域にも「神宮」が建設され、植民地支配のシンボルとなる。29年には神社制度調査会が「神社は宗教にあらず」とすることで仏教徒であれクリスチャンであれ神社を拝むことを強要するようになり正式に国家神道が成立する。

 色々と歴史上の事実を振り返ってみたが、今日の殆どの神社が一旦は国家神道に組み込まれることで何らかの形で天皇家との繋がりを強調している。元々の神社とは異質な存在になっている。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

上。
俺は宗教施設だと思ってない。
けど法律上は宗教施設。
だから法律が関わってくる場合は法律上のものを使わなければならない。
法律に対して個人の思想を持ち込むのはよくありませんし。


>いずれの場合でも本人若しくは遺族の許諾無く合祀するが如き行為はおかしいという立場を取ります。
遺族よりも死者本人の意向で。
そもそも当時は戦死者は靖国へ行くのが当たり前であり、また靖国へ行くことが名誉だったわけだし。
生前に「靖国行きたくない」とかでも言っていない限り、しなくていいかと。

投稿: 久々@クリック募金に新しいのが追加されました | 2006年9月 7日 (木) 22時14分

>普通に考えれば、靖国は宗教と言うよりも国家施設なのは見え見えだし。(久々さん)

私も思想領域の問題としては、「靖国神社」の本質とは「民間のいち宗教施設」なんかでは無く、神社の形を借りた「国家イデオロギー装置」だと考えています。だから、「靖国は宗教と言うよりも国家施設なのは見え見え」という久々さんの指摘には、実のところ意を同じくする面もあるのですね。

でも、あなたの議論もちぐはぐですね。
いわゆる「A級戦犯分祀論」を求める政治家に対しては「靖国はいち宗教施設だから、いちいち政治家が口を挟むのはおかしい」と言いながら、ある時は「靖国は国家施設だ」と主張する。

私は靖国(若しくは護国神社)が民間の宗教施設であれ、例え国家的追悼施設だと仮定したとしても、個人の人格権が侵害されてはならないと考えるから、いずれの場合でも本人若しくは遺族の許諾無く合祀するが如き行為はおかしいという立場を取ります。

なお、先の投稿で私が「"宗教的"人格権」と書いたのは、現状では靖国神社や護国神社は「宗教施設」だと自己主張し、法的にも「宗教法人」と位置づけられているので、敢えてそれを前提に論じたまでです。

投稿: まこと | 2006年9月 7日 (木) 08時21分

ロースクール1期生さんの投稿は、単なる「法実務屋」の発想を吐露したものに過ぎませんね。ロースクールに通っている位ですから実務系の知識はお持ちなんでしょうけど、一生懸命覚えた判例知識に阿吽追従するだけでは、ね。

>立憲的憲法というものが近代の歴史の流れの中で当然の帰結としている所。実際にアメリカ合衆国憲法はロックやルソーの説いた近代自然法ないし自然権の思想は徹底的に排除した。イギリス憲法の不文憲法の存在とも矛盾する。

本当に芦部先生の本を読んだ上で、↑のようなことを書いているのですか???

アメリカ合衆国憲法が自然法思想や自然権思想を徹底排除した・・・?私は相当な「珍説」だと思いますけど、そもそも、あなたそもそも「自然法」や「自然権」の概念、あるいは「近代立憲主義」の何たるかを本当に理解しているのですか?

投稿: まこと | 2006年9月 7日 (木) 07時42分

まこと氏

そーゆーこと。
普通に考えれば、靖国は宗教と言うよりも国家施設なのは見え見えだし。
その施設に参拝するのが政教分離に違反するなんて普通は思いません。


だからこの前の最高裁も違憲判決をしませんでしたし。

投稿: 久々@クリック募金に新しいのが追加されました | 2006年9月 6日 (水) 23時36分

 久々さんの疑問に対してはまことさんが色々根拠を示して書き込んで下さっていますので、そちらを参照して下さい。ロースクール1期生さんの書き込みについては色々法解釈の違いがあるので一概には言えませんが、神社神道は宗教であると思いますよ。少なくとも殆どの神社が宗教法人として登記しているはずです。
  

投稿: アッテンボロー | 2006年9月 6日 (水) 22時39分

>>まことさん

上のコメント書いたように覆すだけの判例を引き出すようなことをすればいい。それができないなら従うんだ。基本だろう。代書屋の下積みで実際に経験することだと思っていたが。
法律というのは国家という暴力装置を支えるコマだ。法律家というのはその中で生きている。
判例も全会一致で決まるものはない。反対意見が裁判官からでる。そしてコメントも出すこともある。それに対しても真摯に受け止める必要があるのは自覚している。

だが決まった判例は判例だ。そして部外者の憲法学者などのコメントには多少疑ってかかった方が良い。憲法学者は残念ながら余り信用されていない。イデオロギー色が強い人が多いためだが。
芦部信善氏はたしかに大御所で本も読んだ。ロックやルソーの自然権思想を前提に近代憲法というものを考えるやり方は僕は疑問を持つ。
立憲的憲法というものが近代の歴史の流れの中で当然の帰結としている所。実際にアメリカ合衆国憲法はロックやルソーの説いた近代自然法ないし自然権の思想は徹底的に排除した。イギリス憲法の不文憲法の存在とも矛盾する。僕が考えなくても誰かが気づいているはずだ。

僕もローの人間だ。法律家の持つ2つの天秤の意味もわかっている。重要なのはつりあいを取ることだ。最高裁の判例も遵守するし、時には批判もする。コメントも呼んで考える。だが、大御所憲法学者殿がコメント出したから正しいというおめでたい考えを持つつもりはない。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年9月 6日 (水) 12時22分

ロースクール1期生さん

法学とは法を考察する学問ではあれども、既存の法や判例に阿吽追従する学問では無いでしょうね。

なお、山口県元自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決は日本憲法学の泰斗であった芦部信善先生をはじめ、多くの憲法学者が批判しています。同訴訟の上告審に最高裁裁判官として参与した伊藤正己先生も、「合祀申請は宗教的活動」とした上で、当該申請は「元自衛官の妻の心の静謐という法的利益を違法に侵害する」との反対意見を付けておられます。

これらの人々は法学者ではないとでも言うのでしょうか?

---------------------------------------

久々さん

「自然の法に基づいて考えると~進言するものである。」

↑の進言も、先に私が書いたように<「異『宗教』への寛容」「他の『宗教』の問題への不干渉」という姿勢>を見せたということですね。

投稿: まこと | 2006年9月 6日 (水) 08時13分

久々さん

神父と呼ばれるからにはカトリックだと思いますよ。
プロテスタントにしては融通が利いてるし。


私は理神論的なキリスト教観は嫌いじゃありませんが、まぁ関係ないのでどうでもいいですね。

投稿: AIM | 2006年9月 5日 (火) 23時14分

はい。
そんじゃぁもういっちょ。
戦後のものを行きますか。

昭和20年、占領軍司令部は玉砕や特攻で発揮された日本軍将兵の激しい敢闘精神を根源から断とうと、靖国神社の焼却を計画。
無論、指令部内では賛成意見が多数を占めた。
しかし、一応キリスト教会側の意見を聞いておこうと、『当時ローマ教皇庁代表』として日本に駐在していたブルーノ・ビッター神父に見解を求めました。

んで、その回答はこんな物。

自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。
それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。

もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。

靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。
我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。

これを聞いてマッカーサーは靖国神社焼却計画に中止の命令を出した。


まぁ、カトリックとかプロテスタントとかがどうなのかはよくわからないけど、普通の考え方だわな。


>裁判
勝てば勝訴、負ければ不当判決。
都合のいいやりかたですねw
結局は「お前ら俺のいう事を聞け」ってことでしょ。


>ロースクール氏
人権弁護士か。
平和主義者、動物愛護団体とならんでロクな団体じゃないな。
人殺し、麻薬、強姦、誘拐辺りは、特に事情が無い限りは全員死刑でいいでしょうね。
元々そうやって犯罪を抑止したんだし。
出来れば公開処刑も追加してほしいけどね。

投稿: 久々@クリック募金に新しいのが追加されました | 2006年9月 5日 (火) 18時44分

>>まこと@休憩さん

箕面忠魂・慰霊祭訴訟最高裁判決にて政教分離の判決にはある程度決着がついたと思うのだが。
たしか、まことさんは法学修士だったと思うが(間違っていたらすみません)最高裁判所の判例を持って合憲となされたら、その合憲を認めるべきであろう。法学に関わる人間にとってはそれは基本だ。でなければそれに覆る判例を引き出せばいい。できないのであれば、ごちゃごちゃ言うな。法律家としてみっともない。

山形明倫中マット死事件という忌まわしい事件があったが、最高裁において有罪判決を受けつつも無罪だ、そんな判例は受け入れられないとのたまわった集団がいた。加害者集団は地元の名士の子息だったそうだ。弱者であった被害者が居たたまれない。
最悪なのがその入れ知恵をしたのが世に言う「人権派弁護士」という法の専門家という所だ。あれは許されない行為だ。僕ら若い法を目指す人間たちに「人権派の法律家には絶対なるな」と言われるゆえんだ。

投稿: ロースクール1期生 | 2006年9月 5日 (火) 17時06分

連続投稿すいません。

山口県護国神社訴訟の原告はカトリックでは無く、プロテスタントの信徒のようです。

となると、「ローマ教皇庁」が云々というのは、あまり関係はないですね。

投稿: まこと@休憩 | 2006年9月 5日 (火) 12時27分

「過去のことをゴチャゴチャと言い立てるな」との見解を披露される久々さんがローマ教皇庁を引き合いに出されましたから、序に書いておきます。

昨年死去したローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、「十字軍の遠征」「ガリレオ・ガリレイの異端認定」「ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺への沈黙」など、ローマ・カトリック教会による過去の過ちに対して「謝罪」の意を明らかにしています。

ヨハネ・パウロ二世は「異教徒への寛容・和解」のための活動を展開した人ですが、「和解」のためにはまず自らの過ちを直視し、謝罪すべきは謝罪せねばならないことを理解していたのでしょう。

「過去のことをゴチャゴチャと言い立てるな」という姿勢とは、相当に違いますよね。

投稿: まこと@休憩 | 2006年9月 5日 (火) 12時10分

久々さんが紹介されている「ローマ教皇庁の見解」は「1932年」に出された声明であるという点を留意すべきですね。

当時の日本では”神社は宗教施設では無いから、キリスト教徒など神道信者で無い者に神社参拝を行わせることは信仰の自由を侵すものでは無い”という政策を取り、キリスト教などの宗教活動も飽くまでかような「論理」の下で認容されていました。

1932年の上智大学事件とは、そのような「論理」に異議を唱えるカトリック信者によって起こされたわけですが、当時のローマ教皇庁がカトリック信者の神社参拝そのものを全否定するが如き発言を発表することは日本における宗教活動・カトリック信徒の身を危うくするわけですから、当時の日本政府の「論理」を認容した訳です。飽くまでそういう時代状況の中で出された「見解」であるという点を踏まえるべきです。

また、戦後のローマ教皇庁が靖国神社にシンパシーを抱く日本人の感情に理解を寄せるが如き見解を提示することも、飽くまで「異宗教への寛容」「他の『宗教』の問題への不干渉」という姿勢を堅持しているに過ぎないわけです。

アッテンボローさんが取り上げられている護国神社の殉職自衛官合祀問題は「宗教的人格権の侵害」という点で大いに問題であると私は考えます。最高裁は神社側の信仰の自由を引き合いに出し、合祀取り下げを求めた元自衛官の妻に「受忍」を求め、妻の訴えを退けた訳ですが、これは不当な判決であると私は考えます。夫の合祀を望まない妻の内心に土足で踏み込む権利は誰にも無いと考えます。

投稿: まこと@休憩 | 2006年9月 5日 (火) 12時03分

>久々さん、靖国が他の宗教を弾圧してはいないが、他の宗教を信じる人の信仰は侵している。
例えばクリスチャンを勝手に合祀したりして裁判もあった。(山口自衛官合祀訴訟・最大判昭和63年6月1日46号事件)

その事件に限ったことだけど、そのクリスチャンはローマ教皇庁の発言を知らないらしいですねw
ttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid59.html


>また、小泉が参拝することで一宗教法人に過ぎない靖国の宣伝をしている。その先にはいずれ国家神道の復活があると考えます。

宣伝してるのはマスゴミ。
普通に軽く報道されるだけじゃ、そんな閃電にはならないはず。
騒ぐからそうなる。

投稿: 久々@クリック募金に新しいのが追加されました | 2006年9月 4日 (月) 23時28分

 久々さん、靖国が他の宗教を弾圧してはいないが、他の宗教を信じる人の信仰は侵している。例えばクリスチャンを勝手に合祀したりして裁判もあった。(山口自衛官合祀訴訟・最大判昭和63年6月1日46号事件) また、小泉が参拝することで一宗教法人に過ぎない靖国の宣伝をしている。その先にはいずれ国家神道の復活があると考えます。
 くるるさん、「欠史八代」について歴史学会がどの様な論争になっているかについて、最新情報を持っていれば教えていただきたいものです。けっこう古代史に関連する本なども好きな物で、時間と余力があれば読みたい物です。

投稿: アッテンボロー | 2006年9月 3日 (日) 23時14分

>>神武などが実在したとする説云々は知りませんでした。気になるのはその場合崇神天皇と神武とが同一人物であるとする説はどうなるんでしょうね。

ちなみにその説は一説にすぎません。2代から9代を否定した「欠史八代」は戦後史学の学者がメインとなっています。別に戦後史学がどーだーこーだと言うつもりではなく、これは古代史の領分ですからね。存在説も根強く存在します。

それに「欠史八代」推進する人たちの根拠に「不必要に寿命が長い」というのがありますが、上の自分のコメントで「暦」のことを書きましたね。これを考慮に入れていないという欠点もあります。

古代史ですから丹念に調べて整合性を取っていくしかありません。戦後史観が信用できない根拠として、古代史にまでイデオロギーを含ませようとするところがあります。

投稿: くるる | 2006年9月 3日 (日) 12時59分

>>まことさんへ

性器信仰系のものが取り締まれたのが多いのはご存知ですか?

明治以前の土着の宗教などの祭りは性器信仰や母体信仰とかも多く、祭りの他に「乱交パーティー」のような感じになったのが多いのはご存知でしょう。性に対しておおらかな日本の祭りとしては素晴らしいと感じますが、風俗的にはよろしくない(今の我々の価値基準では)。

薩長たちが日本の近代化に関して、西洋化政策をとるにあたりこの手の「西洋から見た場合、前近代的と見えるもの」をやめるように通告したのは確かです。

確かにエロい祭りや風習を取り除いたのは許せないことですが、あながち間違っていないかなとか思います。

全国にある性器信仰、母体信仰の「チ×コ祭り」「××××祭り」などの中には廃れたものも多いそうですが、まぁ年に一回「チ×コ神輿」を担ぐのは恥ずかしいからなくなっても良かったかなと思ったりします。

でも祭りの付属品である「乱交パーティ」がなくなったことには明治政府を断固弾劾すべきでしょうね。そういう意味では復活させたら左翼バンザイです。

投稿: くるる | 2006年9月 3日 (日) 12時43分

現在の靖国が仏教破壊や他の宗教の弾圧などをしているという話は聞いたことがありませんけど……

投稿: 久々@クリック募金に新しいのが追加されました | 2006年9月 3日 (日) 10時46分

 百年前に終わったことであるのならそれほど問題にはしないが、今日の靖国に連綿と続いているからこそ、そもそもの始めがどうであったのかという点で書いているわけです。

投稿: アッテンボロー | 2006年9月 3日 (日) 09時35分

俺は百年も前のことをこだわるべきじゃないと思うけどなぁ。
某国みたいに死体に鞭打つってのは好きじゃない。
現在の靖国がどういう存在か、が問題かと。


廃仏毀釈が悪いことであったのは明白。
あれが無かったら日本の文化財は今の数倍の量があったといわれてる。
だがそれと靖国を結ぶ接点は「国家神道」とういうところしかない。
そこから靖国を批判するのはちょっと乱暴。

投稿: 久々@クリック募金に新しいのが追加されました | 2006年9月 3日 (日) 02時43分

 この記事を書いたのは右の側の人間の多くが日本の伝統云々として神道を持ち出すが、今現在の神道自体が明治以後の新興宗教と言っても良い物であることを明らかにすることで主張の根拠を粉砕するためです。なんだかねえさんが同意してくれているように日本における宗教弾圧も凄まじい物があった。キリスト教や大本教などに対する物も書けば良かったかも知れないが、一先ず靖国との関連で廃仏毀釈と国家神道のみについて書くに留めた。
 うりぼうさんには珍しく同意を頂けた。久々さん、靖国との関連でこの記事を書いたと言うことを察していただければ何故百年前のことで終わらないかを分かって貰えると思う。今日も続いている問題であるのだ。アメリカにおいてはキリスト教原理主義とも言える勢力が神の名の下に侵略戦争を行っている。国家神道も同様に今現在の問題なのだ。
 安藤さん、どうも私が早とちりしたようです、まだお若いのですね。宗教に関しては信じる気はないのですが、庶民の間で信仰されていた物を全面否定する気はありません。関わりたくないのは私も同じです。
 くるるさん植民地における神社と国内の神社との違いは、日本人の多くが伝統宗教であると錯覚するほど長い期間国家神道を強制されてきたと言うことも関連しているでしょうね。台湾や朝鮮の場合は民族からして違うから押しつけであることが直ぐ分かります。
 神武などが実在したとする説云々は知りませんでした。気になるのはその場合崇神天皇と神武とが同一人物であるとする説はどうなるんでしょうね。万世一系ではなくて別の王朝という説が出てくるかも知れない。中々面白そうですね。出来ればその辺の本などを紹介してください。雑誌だと中々手に入らないでしょうが本であれば入手できるかも知れない。
 まことさん、色々と補足どうも有り難うございます。

投稿: アッテンボロー | 2006年9月 3日 (日) 02時09分

直近の投稿↑は私のものです。
名前を入れ忘れました。

投稿: まこと | 2006年9月 2日 (土) 22時28分

>キリスト教は世界中を植民地にするために使われ、異教徒を徹底的に殲滅したからいけませんか?
>イスラム教は現在中東で戦争をしているからだめですか?(久々さん)

「国家神道」とは、「自然宗教」的な側面を併せ持った「神道」を、イスラム教やキリスト教のような「創唱宗教」へと変質させた結果生まれた「宗教」だと言い得るでしょうね。

投稿: | 2006年9月 2日 (土) 22時27分

>そうでなければ廃れるし祭りも行われない。少なくとも戦後60年以上たってもいまだに存続しているところを見ると根付いたと考えて良いと思います。(くるるさん)

道祖神信仰や狐信仰などの民衆信仰にルーツを持つ祭りなどは、明治に弾圧されたため一旦断絶したものの、国家神道が解体され、現行憲法が施行され「政教分離・信教の自由」が保証されるようになった戦後に復活したという事例も結構あるんですよ。

また、明治以降も辛うじて生き残った民衆信仰の中には、信仰のルーツが恰も皇祖にあるかのように明治期に伝承を書き換えられた例とかもあります。

投稿: まこと | 2006年9月 2日 (土) 22時18分

廃仏毀釈に仏教寺院に反発を持っていた民衆の反仏教運動という側面"も"あるのは事実ですが、同時に廃仏毀釈の歴史過程においては道祖神や教派神道などの民衆信仰も弾圧されていますから、明治政府の宗教弾圧を過小評価するが如き見解は一面的だと思いますね。

投稿: まこと | 2006年9月 2日 (土) 22時11分

>>GO氏へ

まず暦というのがありますね。現在我々が使っているのが太陽暦の1つであるグレゴリオ暦です。一年平均年を365.2425日として日本では1873年より取り入れられています。

その前は太陰太陽暦という中国暦の一種を使っていました。当時中国暦が日本に入ったのは6世紀ごろと言われています。最初は中国からの輸入物で持統天皇の時代692年あたり(諸説色々)より「元嘉暦」が採用されています。

それでそれ以前には日本独自の暦があってこれは、1年を春夏、秋冬にわけているんです。これが「今の1年は当時の2年分にあたる」という意味なんです。

>>以下与太話

暦が上手く作れなくなる時期というのが日本には何度かあって、それは日本が乱れている時代です。

暦を作ると言うのは天分の一種ですから理工系の分野ですね。日本の秩序がおかしくなり始めると暦が乱れ始めるんです。

これは面白い傾向で、日本の理科離れが国を滅ぼすということは昨今言われていますが、その通りであるということは歴史が教えてくれています。

投稿: くるる | 2006年9月 2日 (土) 20時48分

くるるさんへ
>暦が太陰暦に入る前の日本の暦は今の一年が2年分に相当します
の意味(以前もこの表現を使用されていましたね)が、よく分かりません。
閏月というのが何年かに一度あり、「太陽暦」と調整をしていたは存じていますが???

投稿: GO | 2006年9月 2日 (土) 20時31分

空想上の天皇は最近の史学では、存在した可能性があるという考えも出ています。

暦が太陰暦に入る前の日本の暦は今の一年が2年分に相当します。そうすると100年以上生きた天皇も50年程度となりつじつまが合います。寿命も戦国時代の大名の長寿を見たらおかしくありません。

身近な試料ではギネスブックの天皇に関する記述が参考になるかと。あれは中々よく調べています。

投稿: くるる | 2006年9月 2日 (土) 17時30分

↑の存続というのは国内の事例においてです。

台湾も半島もその後宗教に政治介入してあこぎなことしたから、消滅したでしょう。それでもささやかに地元宗教に融合して残っている神社が台湾にはあるそうです。同僚(?)の台湾「本省人」研究員が言っていました。

投稿: くるる | 2006年9月 2日 (土) 13時48分

意外です。よく調べてまとめていますね。

政府の号令があったのですが、廃仏毀釈は民衆運動の側面が非常に強いところがあります。政府がやったのは支持基盤の固めの法令発令だけですが。庶民がそれに乗っかった側面が非常に強いと思います。江戸時代における仏教寺院を通じた民衆管理というのと、水戸学の影響というのを考慮にいれると良いです。

江戸時代に求心力を失った寺が賭場や売春宿の手引きをしているという過去がありますから、この点も重要でしょう。

ちなみに、あちこちに神社を作ったのはキリスト教の大聖堂と同じで力の誇示だけですよ。もし力の誇示だけですんだら、戦争中アジアに作った神社と同じで強制力がなくなったら廃れる運命にあります。戦後強制力がなくなっても存続しているのは、それだけ根付いたということです。

そうでなければ廃れるし祭りも行われない。少なくとも戦後60年以上たってもいまだに存続しているところを見ると根付いたと考えて良いと思います。言うだけ野暮ってものです。せいぜいトリビアで50へぇ。

投稿: くるる | 2006年9月 2日 (土) 13時16分

あう、アッテンボローさん、私はまだ学生で部活にいそしむ若者です(今日は午前が授業でした、午後から部活にいってきます)
なんか非常にややこしい書き方ですいませんでした、ついでに話のモデルにしたのはいとこの家族とうちの家族です。
で今回は神道と廃仏毀釈のお話ですが。
確かに日本古来からの大乗仏教系の流れを現代の神道は組んでいない、異質なものらしいですね。
といっても私はこれらに詳しくないんでなんともいえないんですが。
古来の奈良時代に信仰されていた神道はそうじゃなかったらしいのですが(と聞いたことがあります)
廃仏毀釈は本でいくつか事例を見たことがありますがなかなか激しい混乱だったらしいですね
特に東北のほうの混乱がひどかったように見受けられた気がします。
明治政府としては、その混乱(暴力沙汰に発展するほどの)は予想外であわてたらしいです。
まあ、ともかくなんにしても神道も含めて宗教には私はかかわりたくないなーと思ってます。

投稿: 安藤 | 2006年9月 2日 (土) 12時37分

百年も前のことをグジグジいう事もないでしょう。

キリスト教は世界中を植民地にするために使われ、異教徒を徹底的に殲滅したからいけませんか?
イスラム教は現在中東で戦争をしているからだめですか?

投稿: 久々 | 2006年9月 2日 (土) 11時34分

訂正
主教→誤
宗教→正

投稿: うりぼう | 2006年9月 2日 (土) 07時31分

主教に興味のないアッテンボローさんにしては、詳しく調べてますね。アッテンボローさんは、特撮番組にいちゃもんつけたり特定アジアの主張をそのまま支持したりプチ保守の私には賛同できない主張が多いのですがこのエントリーは、全面同意ですね。明治政府の毀釈は、廃物李氏朝鮮の仏教弾圧を連想させるものがありますね。
http://www.abysshr.com/san/san_co06.html
>国家神道は日本古来からの神道から大きく逸脱している。
 古神道は万物の中に神を見る。だが、国家神道は天皇と国家が神の全てだ。
 古神道では仏教との結びつきをみた。だが、国家神道は廃仏毀釈を行った。
 古神道は敵をこそ手厚く祀る。それは無念の気持ちを持って死んでいった者達の祟りを畏れてのこと。
 だが、国家神道においては味方を手厚く祀り、敵の祀り方は非常に等閑なものだ。
 靖国には味方の戦没者しか祀られておらず、敵の戦死者は現地で細々と祀られればマシという程度。
 梅原猛氏が主張するように靖国は古来よりの神道の伝統に反する。
 国家神道は明治の元勲が作り出した新興宗教であり、天皇を現人神かつ絶対神とし、天皇への盲従を強いるカルトといえる。
 ある意味、明治の元勲は日本を短期間で国民国家に作り変えるために「カルト洗脳」を用いたといえよう。
 カルト洗脳は悪だが、短期間の内に人を作り変えるには有効な手段だ。

そういえば、太平洋戦争末期、昭和天皇を得度させて仁和寺の門跡にするという計画があったという話をきいたことがあります。(ソースは失念しました)日本の伝統にのっとった敗軍の将の責任の執りかたかもしれませんが。

投稿: うりぼう | 2006年9月 2日 (土) 07時29分

すごい宗教弾圧ですね。こういうことした連中の末裔が八百万の肝要な神々とか言っているのだから、お笑い者です。

今の国家神道の横柄振りを見て八百万の神々は泣いていることでしょう。

出雲大社では神無月を神有月というんですよね。伊勢神宮と出雲大社の対立というのはかなり興味があります。

投稿: なんだかねえ | 2006年9月 2日 (土) 01時56分

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