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2006年12月24日 (日)

郵便局の解放研

 近畿各地の郵便局には郵便解放研という物が多く存在する。私の職場にも90年を前後して○○郵便局部落解放研究会が結成された。有名なところでは大阪の連合研・京都の洛東解放研・兵庫の東灘解放研などであろうか。私自身の勉強不足もあってそれらの成立過程はよく知らないのであるが、郵便局においても部落差別による自殺や退職が結構あったために労働者として部落差別の問題に取り組もうという団体である。今現在でも「みちしるべ」という当局による人権啓発の冊子が四半期に一度発行されているのだが、部落差別を扱った内容が多い。業務の面においても差別郵便物というのがあって、部落差別を扇動するような郵便物に対する職員としての反差別意識も問われている。

 私の場合、局の解放研が作られた経緯が革労協の影響下で進められたこともあり、当初は誘われもしなかったのだが、当時の中心的解放研メンバーが分会書記長を持っていたためお付き合いで参加することになった。勿論それ以前から狭山青年共闘などで旧総評青年協が解同の青年部と一緒になって集会・デモなどをする際には積極的に参加していた。解同青年部に解放派の活動家が浸透していたために各労組にも結構影響力があったから、ヘルメットを被らないデモなのに機動隊が乱闘服で規制してくることが常であった。80年代半ばだと労組の青年部がヘルメットを被ってデモをするのは動労千葉くらいしかなかったとは思うが。そんな経緯もあって、今もって解放研では一会員である。

 実は私は解放研に入ってから2回、部落差別を巡って自己批判をしている。どちらも職場の解放研では問題にならなかったのであるが、全国連や党指導部との間では厳しく批判された。一度目は、昔氏名札について書いたことがあるのだが、90年の春に業務命令で氏名札を着用するようになったとき、近畿においては氏名札裁判、東京においては胸章裁判として反対の闘いが巻き起こった。当時の地区大会会場において数人の青年部員と連名で反対のビラを撒いたこともあった。簡単に言えば、問答無用で着用を強制し、それに従わない場合に処分するという当局の姿勢に対する怒りがあった。当時甲府信用金庫の女性職員が窓口に掲示してあった名札から名指しで呼び出され殺害されるという身代金誘拐殺人事件があったり、泉州の信金外交員がやはり呼び出されて殺害され集金していたお金を強奪されるという事件が続いていたため、お客に対しても安易に名乗りたくないという意識があった。また、名札を点けることで営業成績が上がるのかどうかについての調査資料などがあれば開示するよう求めたのだが無視された。そして、部落差別との関連で言うと地方都市に住んでいると名字を聞くだけでどの村に出身かが分かるような狭い社会であって、部落出身者の中にはそれを隠したいという声もあった。つまり、身の安全と営業成績と部落差別の問題があるとして名札の強制に反対したわけだ。当局は労務管理が目的で踏み絵を踏ませることしか考えていなかったので、当然にも納得のいく説明など無かった。Kさんとの間でも論議になっている部落民が出自を隠して生きなければならないことを是とするか否かが問われたわけだ。中核派の立場は部落民が出自を隠さねばならないことその物が差別の現れであるという物であり、全国連に結集する人から批判を受けた。

 2度目は97年であったと思うが職場において差別郵便が発見されたことがあり、それに対する私自身の主体的取り組みが問われた。宛名や差出人の部分に差別書き込みがある郵便物の取り扱いというのがあって、実は配達してはならないのであるが、数回にわたって配達されると言うことがあった。当然配達された相手からは問題提起がなされる。それを受けて解放研としては局に対して同和研修の充実を図り、二度と再び差別郵便の配達がないように職場の反差別意識強化を求める申しいれをした。ここで私が問われたのは主体的に取り組むことが出来ず、「お客さん」とでも言うような没主体的関わり方をし、しかも党にも全国連にも報告すらしなかったと言うことだった。一人の労働者として、また革命運動に身を連ねる物として現実に差別事象が発生したときに主体的に闘えなかったこと、そのこと自体が重大な屈服であると言うことだった。更に言えば党員としてのあり方も問われた。革共同の規約では党員が他の団体との関係で見知ったことはすべからく報告する義務がある。(マル青労同の規約は見たことがないがこれに準じた行動が求められていた)この時はかなり厳しく批判を受け、数ヶ月にわたって自己批判の作業が続いた。私事に話がそれたが、少なくとも私の回部落差別に対するスタンスは分かって貰えるかと思う。
 
 今現在、私の職場の解放研も近隣局の解放研も、人事交流によって中心人物の殆どが配転されたために開店休業状態なのであるが、部落差別その物が無くなっていない以上、職場解放研の存在意義も無くなったわけではない。労働者として部落差別の現実にどの様に向き合うのかが問われている。労働運動・組合運動・職場解放研の運動の全てを建て直す必用があると思っている。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

まことさんへ

すいません、一般論での話しでした。
まことさんはSMAPの草彅みたいな人だと勝手に思っています。今年もよろしくお願いします。

ここへ来る方はみなさんいい人みたいで、アッテンボローさんの人柄なんでしょうか。

健康第一で頑張ってください。>>ALL

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2007年1月 1日 (月) 17時42分

あっ、ちなみに私は招かれざる猫さんの言うところの「弱者利権」には批判的、というか「弱者利権」と呼ばれるものを透明化していく路線には基本的に賛成なので、それを前提に議論しましょう。

55年体制というのは、ある意味保守と「革新」勢力の「馴れ合い」という面があります。社会党などの「革新」勢力は政権に就くことは無いけど、自民党的利権政治のオコボレを貰って生き永らえていたし、ある意味相互補完的な機能を果たしていた側面もありました。

あなたが言うところの「弱者利権」というのも、要するに労働者・市民の「権利」として保証せよと要求しても保守勢力は呑まない、また「革新」側にも政権を採るだけの力量は無い-そういう状況の中で、互いの顔を立てるため、法の裏をかく形で確立されてきた面があります。

私はそういう保「革」馴れ合いが、物凄くこの国の「政治」を歪ませてきたと思っているんですね。

投稿: まこと | 2007年1月 1日 (月) 07時50分

>ま、派遣やパートなどが議論の中心にならないことが左翼クオリティ。(招かれざる猫@畜群同盟さん)

あの、私は「個人」として議論に参加している訳ですから、私を「左翼」だとか何だとかの属性に回収させるのは止めて頂ければ幸いです。私は飽くまで「私」に過ぎない。別に旧総評の代理人でもありませんし。

というか、私のような者はつい十ウン年前までは「反共市民主義」だとかいうレッテルを貼られたもんですが(笑)。

で、所謂「民営化」という問題なんですが、私はあなたの言うところの「弱者利権」を擁護するために「民営化」に反対している訳ではありません。旧社会党や官公労のダメぶりは私なりに承知しています。

グローバル市場主義下にあるこの日本において、所謂「民営化」があなたの言うところの「真の弱者」にとってベターなのか、そこを懐疑しているからこその<公営路線支持>なんですね。

投稿: まこと | 2007年1月 1日 (月) 07時33分

鈴木邦男は公安警察を非難する論拠として、
過激派などが潜る、隠れるという始末の悪い状況を生み出すように機能するという意味のことを言ってた。

中核は公安警察のように取り締まり、差別を沈潜かさせたいのだろうか。
自らがたどった道を歩ませたいに違いない。

カウントダウン


その船を漕いでゆけお前の手で漕いでゆけ
お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな


俺も渡さないw

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月31日 (日) 23時59分

フランス社会党の大統領候補ロワイヤルさん

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB

http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20061118/p1
>来春の大統領選でのフランス社会党の公認候補となる
>こになったロワイヤル元家庭・児童担当相(53)は
>17日、自宅のある仏西部メルで、故ケネディ米大統
>領の演説の一部を引用する形で、支持者に支援と団結
>を訴えた。
>ロワイヤル氏は「フランス人が団結し、あなた方が
>我々の国に何が出来るかを問うてほしい。世界は変化
>し、フランスも政治も動き続ける。私はあなた方と共
>に変化に対応していきたい」と呼びかけた。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6157130.stm
>Teachers reacted angrily after a video
>appeared on the internet last week
>featuring a party meeting earlier this
>year in which she said they should work
>longer hours in school.


☆ 右傾化と呼んで非難するサヨクはまたまた足を引っ
  張るんでしょうね。困ったものです。

  日本の社会党も福島さんがすっ飛んでいって、真似  しまーすって言った。また叩かれるのかなあ。


政治力学において多数を握って実質的に日本の末端下層に明日のベターを届ける気がないのが日本のサヨク。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月31日 (日) 14時08分

まことさん

>国鉄民営化は新自由主義的経済政策のため、そして何
>よりも国鉄労働運動・総評や社会党の解体にこそ、真
>の目的があると思います。というか、中曽根元首相な
>んか露骨にそう語っていますよね。

まず、そういう流れの原因は何か。先進国は英国病を危惧したんでしょうね。あれはもう完全なる弱者利権。サッチャーが「By your own effort」と言った。そのために真なる弱者が痛めつけられた。私は公務員の身勝手に一番憎悪しますね。もっとも、私も公務員だったら同様ないなっていたことでしょう。

>国鉄労働運動・総評や社会党

ま、こういうのは日雇いとかバイトにはあまり関心がなかったようだから本当に弱者のためだったかどうかは別の問題ですね。
組織労働者はそれでもう強いっていうこと。そして、それがより弱い人間に手を差し伸べるのは一種の欺瞞であるということ。でなれば、国鉄職員のあの怠慢を放置する自浄作用のない体質をまず第一に考えないわけはない。

国鉄を弱者の筆頭にしているようだから、その本質が垣間見られるというもんです。

ま、派遣やパートなどが議論の中心にならないことが左翼クオリティ。あわてて話題転換も困るけど、ほっといてもそれに焦点が当たらないというあたりに本質を見るというもんです。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月31日 (日) 13時51分

kogomiさん

>…あ、あの…
>これって丸まんま、いじめを隠蔽するために長年使わ>れてきた「理屈」だと思うんですが…

だ か ら、問題なんですよ。
失業保険や生活保護の不正受給によって、本当に困っている人にしわ寄せがくる。こういう弱者利権に巣食う人間がいる限り、結局は善良な下層には光が当たらないことになってしまう。

「狼が来たあー」
で、犬一匹ない。だから狼に食われることになってしまう。イジメは見過ごされる。部落差別はなくならない。

>…こういうのも、総て、総て白日の下に晒されるべき
>だ。で、互いに糾弾(と言って悪ければ、告発)され
>合うべきだ。

芥川「藪の中」、黒澤「羅生門」
そもそも事実とは何かっていうことがあります。昔、同様のタイトルの本を本多が書いていて読んだんですけれど、事実は立場が作るんですね。こういう認識は認知心理学などの知見にも合致するものです。
告発でも糾弾でも、そういう「科学的」な意味における過ちの可能性=する側の誤謬を理論的に内臓させていないことが問題です。
運動する立場が、告発する側が、差別される(いじめられる)被害者が、作る事実ということであって、唯一無二の真実なんてありなえい。それが科学的認識です。

複数の事実を混在させる複数の立場がある。その混在の交通整理をするのが究極的には国家権力ということになるでしょうね。

交通違反を考えてみましょう。
飲酒運転でも速度違反でも数字で区切ってある。その数値以下であれば小数点の違いでも許される。逆に超えれば罪です。こういうことの理不尽さをあげつらうのは簡単ですが、それに変わる制度システムは示されない。

飲んだら絶対乗るな?それを阿呆と言うんですね。アルコールの摂取から8時間くらいではまだ完全に分解しきってないことがある。一晩寝てもダメなんです。じゃー、何時間後ならいいのか。やはり、どこかで区切らざるをえない。

そのあたりを整理して差別でもイジメでも議論しないからいくらたっても絶対になくならない。民間信仰のような議論でしかない。

合理性の確保のためには、何かを譲渡する許容するということも必要なんですね。そういう意味で、Kさんの発言は方向性で間違ってない。左翼的発言は完全なる間違いです。そういうありえない妄想で憎悪を『不合理』に撒き散らすことで差別は沈潜し永続します。

スローガンの連呼ではなく、もっと慎重に考えるべきだと思います。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月31日 (日) 13時29分

なお、余談ですが「いわゆる『人権擁護運動』やっている人=死刑廃止論者」という訳でも無いのですね。一口に「人権擁護運動」といっても、色々な分野がありますし、思想も様々ですから。「死刑廃止」を看板に掲げているアムネスティのような団体にすら、死刑に反対しない人は一定数います。

死刑に関してこのブログで議論するつもりはありませんが、少しだけ。

投稿: まこと@早めの休憩 | 2006年12月31日 (日) 10時54分

またまた話がそれるが。

官公労が何を反対したって、他の連合関係の組合は支持しないと思うよ。
支持している組合も、一部の幹部がそう言っているだけで所属の組合員は黙殺か反対しているだろう。

公務員にしろ親方日の丸の所属した連中は、俺みたいな庶民労働者からみれば特権階級だ。

しかも仕事効率は最悪と来ている。労働者としての質は最低だ。

もしうちの企業でも公務員の再教育プロジェクトがあって、役人か教員が配属されたら
「お前らに本当の仕事ってやつを教えてやる」
って話になるだろうな。

しかし公務員は民間にできない、民間が手に出せない、ニッチな仕事などで意味があるはずなんだ。
極めて特殊な業界で、身分安定の変わりに多少の非効率も許される存在だったはずだ。
労働者でなく「公務員」で良いはずなんだ。

ただそこを自分らの労働者としてのスペックの低さを黙殺して、「労働者」と名乗るから支持されない。勘違いしているとしか思えない。

>>人を差別する以上自らが死に追い込まれる覚悟をしろというのが私の考えだ。

アッテンボローさん。これはあんたもやっている。
杓子条規な階級とやらで人を差別しているだろ。

死に追い込まれる覚悟はしているんだな。勇ましいな。

「私もあとから続く」とか言って、終戦後逃げ出した特攻隊指揮官や古参下士官と同じ臭いがプンプンするぜ。
日本人と言うのはどういう思想をまとっても根っ子は同じだと露呈している。

投稿: K | 2006年12月31日 (日) 10時50分

「よいお年を」なんて書いたのに、ついつい出てきちゃいました(汗)。

国鉄に関してはセクトNo.7さんのご意見にほぼ同感です。

国鉄民営化は新自由主義的経済政策のため、そして何よりも国鉄労働運動・総評や社会党の解体にこそ、真の目的があると思います。というか、中曽根元首相なんか露骨にそう語っていますよね。

ちなみに、道路公団や郵政に関しては「経営や意識面での改革」は必要だと思いますが、私は所謂「民営化」には反対です。

あと、これはアッテンボローさんへの質問です。
アッテンボローさんは「私は死刑反対論者ではないのです」と書かれていますが、これは所謂「反革命」に対する死刑には反対では無いという事だと理解していますが(*レーニン主義者ならばそういう見解を持っていても不思議では無い)、一般の刑事犯罪者に対してはどうでしょう?

レーニンも「残虐な刑罰は廃止されるべきだ」」という論考を残しているはずですよね。

投稿: まこと@早めの休憩 | 2006年12月31日 (日) 10時46分

アッテンボローさん
>人を差別する以上自らが死に追い込まれる覚悟をしろというのが私の考えだ。

決意と実践が一致していなければいいのですが、僕が感じている日本人の大部分は上を見てゴマスリ下を持て差別が大半です、日本人だけでなく全人類、生物の本性です。死に追い込まれたくない人間が強者に従う、弱者をいじめる、学校内や社内いじめに通じます。民間企業の場合生産性から懸け離れた待遇では不満不和から業績不振倒産にいたるものの役所や学校は能力生産性と関係なく死ぬまで年功序列で倒産なしサヨクの仮面の超保守利権の体制が存続しています。資本家階級の永続性は公務員政治家階級の永続性よりは脆く敢えて倒さなくとも淘汰されるべきものと考えます。
資本家より公務員の地位が安泰しているのが現在の日本国です。

投稿: tatu99 | 2006年12月31日 (日) 10時10分

あ、2006/12/31 1:16:36の
「であったりするのかな、と。」は、
「マイノリティ排斥・差別であったりするのかな、と。」
に訂正します。

失礼しました。

投稿: kogomi | 2006年12月31日 (日) 01時25分

またROMに戻ります。
まことさんや招かれざる猫@畜群同盟さん、そして誰よりもアッテンボローさんのおかげで、少し自分の混乱に整理が付いてきて、言いたい事も少し形になって、ある程度すっきり出来ました。

有難うございました。

投稿: kogomi | 2006年12月31日 (日) 01時21分

被差別当該がいじめをしない訳ではない、というのは、ホント、その通りですよ。
いじめ〔でさえ〕そうなのだから、〔ましてや〕差別をしない訳ない。

それらの実例が、Kさんの告発した

>活動家の子息が起こしたイジメを、
>教師と結託してもみ消し、ニュースにもならず
>自殺に追い込んだ事例

であろうし、またKさんの言う

>正直在日とか、他のマイノリティ(?)みたいな
>ものとつるもうとかやっている「兄弟」連や
>周りの活動家、人権屋はあの世でご先祖さま達に
>鼻でも殺ぎ落とされればいいと思っている。

であったりするのかな、と。

…こういうのも、総て、総て白日の下に晒されるべきだ。
で、互いに糾弾(と言って悪ければ、告発)され合うべきだ。

でも、それはアッテンボローさんの言う
>徹底糾弾を持って差別行為を封じ込める
のではなく、
>徹底糾弾して自己批判させるか、打倒するか二つに一つ
でもなく、
もう一つの選択肢…民衆を分断する楔を解き放つ術として…在って欲しいと思う。


甘いかな?

投稿: kogomi | 2006年12月31日 (日) 01時16分

>>差別となるとグレーゾーンの幅が大きい上、
>>恣意的な解釈などが生まれてくる。
>>100%クロである犯罪的な差別ならともかく、
>>気にしない程度の言葉(人それぞれ)などでも
>>糾弾対象となるのは問題すぎる。

>同意です。
>何でも差別だと騒ぎ立てたら強い。

…あ、あの…
これって丸まんま、いじめを隠蔽するために長年使われてきた「理屈」だと思うんですが…

投稿: kogomi | 2006年12月31日 (日) 00時08分

Kさんの

>>
「いじめ」における出席停止には賛成だが、それとアッテンボローさんの見解でいる「差別者の人権はない」とは大きな隔たりがある。

まず 「いじめ」は犯罪である。これは間違いない。犯罪者に対する人権は制限されるべきだ。そこはいい。

だが差別となるとグレーゾーンの幅が大きい上、恣意的な解釈などが生まれてくる。100%クロである犯罪的な差別ならともかく、気にしない程度の言葉(人それぞれ)などでも糾弾対象となるのは問題すぎる。
>>

同意です。
何でも差別だと騒ぎ立てたら強い。「弱者は強い!」というのが弱者利権の本質です。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月30日 (土) 23時56分

国鉄の収支とか
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa54/ind010503/frame.html

>赤字ローカル線を新幹線と山手線で支える形でしたで
>しょう。

都市労働者は田舎に住んだらいいだけのこと。
仕事がないから都市に集中して都会の公園で集会か。こうれだから糞はたまらんよ。
黙って田舎に住めって。

>厚生年金の黒字で共済の赤字は埋められました。これ
>って負担者をすり替えただでしょう。

血税から資本の金に乗り換えは妥当なことです。

http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/43366054.html
「堺屋太一、金子勝(慶大教授)と年金ジャーナリスト岩瀬達哉の鼎談」
「このヒミツ。公務員は保険料の3分の2を国や地方が負担。悪名高い議員年金と同じ。優遇されている。厚生年金は労使折半つまり事業主は本人と同額なのに共済年金は2倍を事業主に当たる国や地方が負担している。税金です。国民年金は国が事業主なのに3分の1のみ負担。酷い話です。」

>国鉄職員のマナーとモラルの問題と民営化による国民
>の資産の切り売りとを、ごちゃ混ぜに論じるのは「糞
>味噌」議論になりはしないでしょうか。

うん、そういう味噌糞は困りますね。
郵政も同じなんですが、国民のためと言いながら、結局は弱者利権の甘い汁を離さないというあたりを見逃してはならないです。

>道路公団は民営化されてどうなったんですか?いらな
>い高速道路はどうなったんですか?

いつかのベストではなく、明日のベター
もっと早く民営化されるべきだったですね。政治家の横槍や利権との癒着による巻き返しは負の遺産の継承か。

>彼らの職業が無くてはならないものであることに変わ
>りはない。

こういうのを味噌糞議論と言います。
公務員の職業をすべてなくせとは誰も言わない。利権に巣食うことができる制度システムの見直しが必要。
公務員とは足の先から頭のてっぺんまで血税で生きているという自覚がない人が多い。特に大阪。

>中曽根や小泉のデマ宣伝に踊らされている典型的な例
>だと思いますよ。

何でもそう言うのが信仰の証です。
そもそも前衛党派はこのように庶民大衆を馬鹿にしている。お前らは何も知らない。騙されてる。だから、俺たちが導いてやる。お前らの主体は俺たちが作ってやる・・・

そういう信仰=自明さ自体を「疑う」ことをマルクスでも誰でも説いているんですよ。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月30日 (土) 23時36分

俺も郵政民営化は反対だけど、仕事をきつくするか、給料減らすかはしてもいいと思うけど。
現在の正社員と比べると格差はでかい。
特に労働時間。


セクト氏

>全ての公務員が労働貴族化している訳でも無いし、彼らの職業が無くてはならないものであることに変わりはない。

全てではないですが、どのくらい貴族化してるかが問題では?
私の感じるところ、夕張にしろ、郵便局員にしろ、かなりぬるま湯に浸かってたように見えて仕方ないのですが。


アッテンボロー氏
>私は死刑反対論者ではないのです。その辺がどうも「左翼=人権派=死刑反対論者」みたいな誤解があると思っています

おお、それなら話が早いですね。。
俺としては酌量の余地が無い犯罪者は基本的に公開処刑で言いと思ってる性質ですしw
(しかしアメ公、本当にフセインを処刑しやがった。ここで日本は「東京裁判の再来だ」って抗議すべきだろうに普通……)


いじめがなくならない原因については、教師の体罰が全面禁止状態(!)になってます。
平手打ちでさえも警察に被害届をだされる状態が今の現状のようですから、教師も言うってことしかできないんでしょう。


あと毎度のことですが、タメ口と丁寧語が混ざっててちょっと読みにくいです。

投稿: 久々 | 2006年12月30日 (土) 23時10分

 セクトNo7さんが詳しく書いて下さっていますが、招かれざる猫@畜群同盟さんの書き込みこそ、中曽根や小泉のデマ宣伝に踊らされている典型的な例だと思いますよ。

投稿: アッテンボロー | 2006年12月30日 (土) 22時13分

>民営化の政策に関しては財政赤字との関係で論じてください。

国鉄は収入と支出の面だけ見ればそんな赤字じゃなかったはずです。赤字ローカル線を新幹線と山手線で支える形でしたでしょう。赤字の部分は戦後国策で国鉄に入れた人間の年金負担が原因だったはずです。
で、民営化後に年金の赤字は消えました。何処に行ったのか。民営化されたことによって共済から厚生年金に衣替えしただけです。厚生年金の黒字で共済の赤字は埋められました。これって負担者をすり替えただでしょう。

この点は慶応の金子さんが何度もマスコミで語ってるからご承知と思いますが。


国鉄職員のマナーとモラルの問題と民営化による国民の資産の切り売りとを、ごちゃ混ぜに論じるのは「糞味噌」議論になりはしないでしょうか。
国鉄民営化の目的は国労潰しであったことは中曽根自ら認めていることですが、国家のリストラだ民間のリストラの先行した形でもあったわけです。

国労とかの公務員労組の組織率=資金が地区労の強化(オルグ配置)として民間の労組の組織化に貢献してきた歴史があります。そのことによって民間の職場での労組結成と労働条件の改善がなされたというのが、60年代から70年代まではあったのです。
たとえ、親方日の丸=本工主義の度し難い立場性があったとしても、強大な公務員労組があったればこその歴史的「功績」はあったのです。

道路公団は民営化されてどうなったんですか?いらない高速道路はどうなったんですか?


猫さんの
>公務員の糞に腹を立てています。

は、木を見て森を見てい無いような気がする。そして全ての公務員が労働貴族化している訳でも無いし、彼らの職業が無くてはならないものであることに変わりはない。

>子どもじゃーないんだから、政治はもっと現実的に考えないといけない。

その通りです。ただ、その現実とは歴史的背景やら根源的な問題を含むもので、現象面を追うだけでは見たことにはならないでしょう。

投稿: セクトNo7 | 2006年12月30日 (土) 21時37分

アッテンボローさん

新左翼党派こそは差別主義者ですよ。
あなたが主張するようなことは基本的にどこもだいたい同じ考えでしょ?だけど、いがみ合う。それこそが差別の正体。瑣末な差異をことさら重大視し優劣に必死なる。

民営化の政策に関しては財政赤字との関係で論じてください。
なお、道路公団は利権の温床になってました。自由競争がないためです。

子どもじゃーないんだから、政治はもっと現実的に考えないといけない。
民間の労働者資本にではなく、公務員の糞に腹を立てています。そういうことをどう考えるかです。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月30日 (土) 20時49分

 常時張り付いていないと話の展開に付いていけないほど、この件に関しても様々なはんきょうがあることはある意味喜ばしいことだと思っています。
 最後の方でKさんも書いているが、私は死刑反対論者ではないのです。その辺がどうも「左翼=人権派=死刑反対論者」みたいな誤解があると思っています。何よりも私は国鉄分割民営化の過程で200人を超える国鉄労働者を自殺に追いやり、10数万の労働者の早期退職および生首を切った中曽根を公衆の面前で死刑にしたいと思っていますし、格差社会を拡大させ、任期中に15万以上の自殺者を生み出し、「道路公団民営化」「郵政民営化」によって公共事業の公益性をかなぐり捨てて営利優先の民間資本に売り渡している小泉純一郎は八つ裂きにしたい。
 中核派は反革命と認定した人間は殲滅してきたし、「差別者の人権を守れ」などと称して差別の「自由」を要求する連中は断じて許さない党派だ。その点について相当誤解があるようだ。
 労働者を路頭に迷わせたり自殺に追い込んだり、挙げ句の果てに侵略戦争に動員して他国の労働者を殺すか自分が殺されるかの極限状態に追い込むような資本家階級など皆殺しにして構わないと思っている。権力者の圧政・悪政・暴政に対して抵抗することも出来ず「上見てクラスなした見て暮らせ」として弱い立場の人間に対してしわ寄せとしての部落差別・女性差別・障害者差別・民族差別などを行う奴に「自由」など認めない。徹底糾弾を持って差別行為を封じ込めるのが正しいことだと思っている。差別によって人が死に追いやられることがある以上、差別する奴に対しても因果応報である。人を差別する以上自らが死に追い込まれる覚悟をしろというのが私の考えだ。

投稿: アッテンボロー | 2006年12月30日 (土) 16時55分

>>久々さん
アッテンボローさんは散々かつてのブログ記事に書いてあるが死刑反対ではない。人を殲滅するのが好きみたいだ。

俺は小林よしのり氏の反米感覚は好きだよ。だが左派とは根っこが違いすぎる。彼は日本や日本人を信じているが、ここのブログに来る人の大半が、日本や日本人なんて糞食らえと思っている。その違いは大きいと思う。

>>まことさん
「糾弾闘争」は一部評価だ。だが70年代後半以降は犯罪活動そのものだ。または公開イジメともいう。
人を間接的に殺したり、傷つけたり、いやがらせすることに何の正義があるか。やられたほうは忘れない。まさしく負の連鎖だ。「功」の部分がまるでない。
やっていることカルト教団と同じだ。

評価するならそれも含めた評価をすることだ。時代の流れがあるが、現在ここ20年は悪そのものだと俺は思うぞ。

自分が少しでもやられたらブログの記事で泣き言いうくせに、攻撃的になると容赦がないアッテンボローさんの考えかたは問題だ。

>>追加
kogomi氏
>学校内のいじめなら、まだ教師が第三者足りうるけれども…

教師にそんな能力は無い。信用に足る存在でもない。

教育基本法反対でもわかるだろう。半年程度で3億円(たぶんそれ以上の出費はしている)かけて、1万5千人以上動員して、国会議員を排出し、強力なロビー活動を展開して、全く影響無しだ。

これを民間の企業でやったらどうなるか、多少社会人やっているならわかるはずだ。

3億円かけて1万5千人動員して、他の事業などにしわ寄せを与えて迷惑かけたあげくプロジェクト大失敗。

まず責任者はリストラ対象か定年まで閑職。関係者も同様の処置がとられ「人工衛星」確実だ。

これだけ見ても教員の能力の無さが露呈しているのが容易に見える。

投稿: K | 2006年12月30日 (土) 15時52分

>>kogomiさん
「いじめ」における出席停止には賛成だが、それとアッテンボローさんの見解でいる「差別者の人権はない」とは大きな隔たりがある。

まず 「いじめ」は犯罪である。これは間違いない。犯罪者に対する人権は制限されるべきだ。そこはいい。

だが差別となるとグレーゾーンの幅が大きい上、恣意的な解釈などが生まれてくる。100%クロである犯罪的な差別ならともかく、気にしない程度の言葉(人それぞれ)などでも糾弾対象となるのは問題すぎる。

仕事の上でもどうしょうも無いミスとか、したりされたりしたとき
「あの畜生め。またチョンボしやがって」
とか言うときはあるだろう。そういう何気ない言葉尻をあげて、「差別者」と認定し
>差別者に人権など認めない。
というのがアッテンボローさんら活動家、人権屋諸氏のやってきたことだ。

犯罪に抵触するほどの差別というのがどれだけあるか?そこをきちんと考えずに、恣意的に「差別者」を選定するのはいささか傲慢な考えだと思う。「地域」の問題においては「現場レベルの暴走」が著しかったと聞いている。

活動家の子息が起こしたイジメを、教師と結託してもみ消し、ニュースにもならず自殺に追い込んだ事例を俺は知っている。九州のイジメ自殺とほぼ同タイプのイジメが、隠されたものだけでも大量にあるはずだ。教師がつるんでいたら100%闇に葬られる。日教組の教員ならほぼ確実に組織的に葬られる。

そっちの方が俺は犯罪だと思うし、なによりイジメに関してのアッテンボローさんの見解は甘すぎる。
子は親をだますよ。俺の知っているのでも、あくまでその親は「うちが被害者だ」と最後までのたまっていた。
糾弾で人は死ぬし、糾弾や差別を逆手にとって「差別者の子息」を自殺に追い込むこともある。
一部の例外としてはことは重大だと思うぞ。

しかし、アッテンボローさんはそこは華麗にスルーしている。

アッテンボローさんはかつて俺のことを、融和主義の人間でダチョウだと言った。ダチョウはどっちだと言う話だ。

投稿: K | 2006年12月30日 (土) 15時29分

追記

「真実和解委員会」を例えに出したのは適切では無かったかもしれません。
端的に言うならば、「差別した側」と「差別された側」が事実の検証を通して、互いに「和解」の道を模索するようなシステムが必要ではないかと言うことですね。

部落解放運動における「差別糾弾闘争」は、被差別部落民が嘗て現在とは比較にならない差別の中に置かれていた時代状況の中で、被差別民の反差別抵抗闘争としての歴史的意義はあったと思います。「差別糾弾闘争」の歴史を全て「暴力主義」の一語に回収するが如き言説には私は懐疑的です。

しかしながら、戦後の同運動のおいては、「吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾をなす」という全国水平社の決議が「ドグマ化」し、<糾弾のための糾弾>もしばしば散見されたと思います。

いま、部落解放運動において「差別糾弾闘争」のような形式の闘争が本当に必要なのか-改めて検討する必要があるような気はします。

投稿: まこと | 2006年12月30日 (土) 08時52分

>私の言う制度システムとは基本的に法律とそれの基づく公のもの。そういう公的なものを市民が監視するとか参加するという方向もあり。(招かれざる猫さん)

法的な制度の中に「真実和解委員会」的な機能を持つ機関をビルト・インすべきというのが私見です。

その意味で、私はいま諸外国で設置が進んでいる「人権委員会(国内人権機関)」の設置そのものは必要だと考えています。もっとも、いわゆる「人権擁護法案」はかなりの問題点があるので、私も反対ですが。

では、皆さんよいお年で。
私は大晦日まで仕事ですけど(汗)、正月休みは寝正月・読書&小旅行で過ごします。

投稿: まこと | 2006年12月30日 (土) 08時18分

>>学校内のいじめなら、まだ教師が第三者足りうるけれども…

>今の教師は問題起こさないように、軽くスルーするやつらがかなり多いみたいです。
>この前の事件みたいに教師がいじめる側になったりしますからねぇ。
>教育委員会もいい加減ですし。


そう、そこなんですよね。
第三者がホントの意味での「第三者」としてまるっきり機能できていない。

結局被害者の親御さんが告発・糾弾することでしか表面化できていない。


少なくとも現状はそうだと思います。

今後被害者の親御さんが「叫ばなくても済む社会システムを勘案していこう」という主張であればまだ納得できますが、
今、泣き叫んでいる親御さんに「黙れ」と言う、酷いマネは私には出来ません。

投稿: kogomi | 2006年12月30日 (土) 08時11分

> >「真実和解委員会」的なアプローチ

私の言う制度システムとは基本的に法律とそれの基づく公のもの。そういう公的なものを市民が監視するとか参加するという方向もあり。
「窓口一本化」って、そんな馬鹿なことでもめるんだから最初から国や自治体自身がそれを直でやるべきなんだ。

>でも左翼のよく言う「犯罪者に人権はある!死刑反
 対!」って矛盾してる気がするんですけど……

ダブスタ・ご都合主義・デタラメ・矛盾、、、、、
何でもいいけど理屈の使い分けは一番困りますよね。
連続殺人犯の人権は守るけど、「部落は・・」と言った人間は血祭りにあげる。このあたりに自己目的化の陥穽が潜みます。

>部分的に組むべき場合もあるのでは?

政治とはまさにこれです。
共産党が反自民の足を引っ張り、自民の一人勝ち。こういう構図が選挙でよく見られます。
また、新左翼のお粗末振りが喧伝に使われ反共→ウヨな大衆を生みます。

微細な差異化にこだわり、結局は現実を追認することにしかなってないという現実を見据えることが必要ですね、主義党派「趣味」の方は。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月30日 (土) 01時51分

>差別者に人権など認めない。
でも左翼のよく言う「犯罪者に人権はある!死刑反対!」って矛盾してる気がするんですけど……

kogomi氏
>学校内のいじめなら、まだ教師が第三者足りうるけれども…

今の教師は問題起こさないように、軽くスルーするやつらがかなり多いみたいです。
この前の事件みたいに教師がいじめる側になったりしますからねぇ。
教育委員会もいい加減ですし。


左翼は共産党と組むべきってのは難しいでしょう。
しかし、部分的に組むべき場合もあるのでは?
人間、同じ思考回路の人なんていないわけですし。
例えば左翼の人々が嫌う小林よしのり氏でも、反米としての意見を見たら、結構同じようなこと言ってたりしてますし。
そういう、角を立たせずに割り切るって考えも必要って思うのは、運動とかしたこと無い自分の考えが甘いからでしょうか?

投稿: 久々 | 2006年12月29日 (金) 23時51分

>制度システム
前スレでまことさんが2006/12/22 8:20:38にコメントされていた
>「真実和解委員会」的なアプローチ
のことでしょうか。
ただ、この場合信頼の置ける・客観性を保てる「第三者」の構築が欠かせないですね。
学校内のいじめなら、まだ教師が第三者足りうるけれども…

投稿: kogomi | 2006年12月29日 (金) 22時51分

セクトNo7 さん

力のない正義は政治力学においては単なる自己満足であって、大衆労働者には何の意味もありません。
新左翼によって国民一般には反共を喧伝できるから生かしておく意味がある。それだけの存在です。私が為政者なら生かさず殺さず、上手く利用します。権力に何の脅威にもならない。

>どんな組織でも「敵」を作ることが「団結」と「闘争
>の意識」を高めるには、手っ取り早い即効効果があり
>ますから。

それは分かります。
内政の不手際は外敵の捏造によって隠せます。政治の常識ですね。しかし、自らの内面こそが第一の敵なんです。そういうことを問う左翼が出てくるべきです。
フランス社会党の次期大統領候補ロワイヤルは「もっと働けよ」と支持者でる労働者に言ってる。

団結のために内ゲバなら、まさしく自己目的化でお粗末なことになります。残念無念。

まことさん

統一戦線の受け皿ということでは、あなたがうってつけだと思います。

kogomiさん

ソース??そんなものはありませんよ。

> 他の人からの非難を恐れずに言えば、
  >差別者に人権など認めない。
  という意思表示には賛成です。

実は、これ正味のところ分かるんですよね。
イジメなんかまるでそう。だけど、仮にも科学的とかML主義を標榜してたら、これはイカンと思うんです。

そういう私刑を公式のものとすることは問題がある。一人歩きするととんでもないことになります。

差別でもイジメでも程度があると思うんです。
そこは別に考えないといけない部分があります。

何でも差別やイジメになると、また一種の弱者利権にもなる。厄介なことです。
だから、制度システムによって対応することを基本にするべきです。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月29日 (金) 22時27分

(続き)
でも、アッテンボローさんも、ほかの党員の方も、きっと
>徹底糾弾して自己批判させるか、打倒するか二つに一つだ。
という方法論については確信を持っていなかったのでしょう?

でなければ、次の
>だが断っておくが、政治運動だからその過程でより広い大衆が部落差説に対して怒って決起するように様々な配慮を忘れはしない。
…「配慮」なんてコトバは絶対に出て来ない。
「配慮」しなければ誰も付いてこない路線だと判っていたんでしょ?

投稿: kogomi | 2006年12月29日 (金) 20時32分

アッテンボローさん

他の人からの非難を恐れずに言えば、
>差別者に人権など認めない。
という意思表示には賛成です。
教育再生会議で義家弘介さんがいじめた子供の出席停止を求めたところ、他の委員から
「貴方はいじめた子供の人権を認めないのか」
と非難されていましたが、
「まず、教師は誰の立場に立つのかが問われてるんだ、いじめにあった子供の立場に立てなくてどうするのか」
という要旨の発言をされていたと思います。(ソースを探さず書いているので、多少文意が違うかもしれません。)
私はこの場合の義家さんの発言を支持します。
同じ理由でアッテンボローさんの意思表示を支持します。

投稿: kogomi | 2006年12月29日 (金) 20時17分

自己レスになります。

2006/12/29 0:09:23のコメントで
>「糾弾闘争」のそもそもの理念は
と話した私の出発点は何処だったか? と記憶を辿ろうとしたとき、思い出したのが
“差別糾弾[その思想と歴史]”八木晃介著
http://www.hihyosya.co.jp/books/ISBN4-8265-0006-8.html
だったので、googleで探していたら、
“としての差別” 八木晃介著
http://www.hihyosya.co.jp/books/ISBN4-8265-0404-7.html
を先に見つけてしまい、ホントに同一人物か?と自分の目を疑ってしまいました。
(招かれざる猫@畜群同盟さんのソースはこれでしょうか?)
この問題~脈絡の変遷~を私が理解する上には、彼の思想の変遷(支持出来るにせよ出来ないにせよ)を辿ってみるのが早道かも知れません。ボチボチ取り組んでみたいと思います。

投稿: kogomi | 2006年12月29日 (金) 20時01分

差別問題に関しては切迫感がなくROMオンリーです。
アッテンボローさんの誠実な応答が組織敵発言なる時、
>中核派は差別者に人権など認めない。
と落差に酷いものがあります。Kさんが即時反論されているとおりです。
ピントはずれですが差別反対こそが差別維持の永続につながります、逆説的には差別者に人権を認めないことが最大の差別です。
むしろ新規差別の実施拡大こそが旧来の差別緩和としか考えられません。サヨクのスローガンの死刑反対や無罪を勝ち取るぞ裁判闘争に見られる犯罪者の人権尊重が差別固定化保守体制維持に寄与しています。
現在知らないまでも差別構造があり人間誰でも被差別最下層に転落するシステムが単純な差別反対より有効と思う。収賄政治家は辞任で済まさず最下層へ行くべきです、幸いに刑法改正の一部で酒気帯びひき逃げの厳罰化が進みます。差別反対だけでなくネットウヨ的差別の見直しが必要です。議論の中折れは謝ります

投稿: tatu99 | 2006年12月29日 (金) 15時37分

左翼の人達に日本共産党への結集を求めるのは、なかなか難しいのでは無いでしょうか。

私は現下の情勢下で求められているのは、【新自由主義的経済政策の是正・憲法9条改悪阻止・日米安保再編反対】などの一致点で合意できる左翼・リベラル層・穏健保守層などが政党・党派の枠組みを超えて政治的に共同することだと思います。左翼用語で言うところの「統一戦線」ですね。

もっとも、現実は来年の参院選における「護憲派」の共同を呼び掛ける市民運動に対し、日本共産党が「新社会党の手先」云々と<攻撃>している有様ですから、なかなか厳しいわけですが。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-05-20/2006052025_01_0.html

>民主主義においては多数が力です。だから、共産党も反自民において民主党に歩調を合わせることをやるときも必要です。(招かれざる猫@畜群同盟さん)

というのは私も同感で、例えば選挙の時には衆院小選挙区や参院一人区などでは「非自民」の一点で民主党の候補者に投票すべきだというのが私の持論です。(ただし、社共の候補者に当選可能性がある場合や、民主党の候補者が「西村眞悟」氏のような極右的思想性の持ち主の場合は除く。)

アッテンボローさんも昨年の総選挙の時には「民主党に投票せよ」と呼び掛けておられましたね。

投稿: まこと@早めの休憩 | 2006年12月29日 (金) 11時57分

主に猫さんへのレスです。

>「お前、運動したことないだろ」

で終わっちゃお終いですね。
ただね、まことさんじゃないけれど運動に関わっている身にとっては、猫さんの論だと今の運動が止まっちゃうのよね。得てしてから。
だから「ダメ」と言うんじゃなくてそれだけだと困るのね。もちろん、現在の議論は大事であることには変わりないという前提はあるけれどさ。

>実は、アッテンボローさんのような人も必要だし、まことさんも大事です。だけど、そういう人がリゾーム的に連帯する方向性がないことが問題だと思うんです。

反弾圧とか権力からの攻撃に対しては少なくても私たちは連帯は出来ると思ってますし、右翼を自認する(藁)仰山党首さんもね。まあ、管制塔基金は超例外と言ってしまえば、それまでかもしれないけれど。

やっぱ、それぞれの立ち位置からしか発言は出来ないし、何処に立っているかによって発言内容は違ってくるでしょう。
それがトチロー君が言っている「違い」の違和感なのかもしれません。

>左翼は共産党に集結するべきです。

これは堪忍。新たに作る共産党だとしても、かなりの仲間にとっては違和感のあるお話でしょうね。だって彼らはマルクス主義者ですらないもん。

>理想や理念を追求するというしなやかさが左翼には必要だと思います。

これは左翼にとっては専売特許だったはずなんですがね。どこかで狂ってしまったのか?
ロシア革命か、60年か、70年か、内ゲバだったのか?
ここで議論が始まるとまとまんないのが、現状の混沌なんですが、もう少し時間は必要と思ってください。たぶん。

>「差別者は殺してもいい」

公式にこんなことを言う左翼はいませんよ。ま、程度の問題もありますけれど。でも、自己批判の要求が粛清になった連合赤軍もまた左翼の歴史でもありますから、実際の行動面では責任もてないな。党派の責任を私がもってどうするのかという、無責任な話ではありますが。
糾弾も同様、理念より感情が全面にでりゃ「度」を越すことも出てくるでしょうから、エスカレートしていった運動が、多くの部落大衆を引き付ける一過性はあったと思います。
どんな組織でも「敵」を作ることが「団結」と「闘争の意識」を高めるには、手っ取り早い即効効果がありますから。

その総点検と反省の上に旗を打ち立てんとは思えども、我が腕は伸びんのよね。残念ながら。

投稿: セクトNo7 | 2006年12月29日 (金) 02時05分

多分知らない・一知半解が故の勘違いも多々あったとは思います。

>説得する、議論する・・そういうことと糾弾は基本的に違います。糾弾とは私刑です。それは社会を後退させるだけなのです。

「糾弾闘争」のそもそもの理念は何だったのか。
本来は告発では無かったのか? 説得では無かったのか? 非被差別当該に共に差別を乗り越えようという問いかけ・手を差し伸べる意思表示では無かったか?

途中で変質したのか? だとしたら、何故、何処で変質したのか?
それとも、そんなものは初めから存在しなかったのか? 単なる表向きのデコレーションだったのか?

投稿: kogomi | 2006年12月29日 (金) 00時09分

>何かがおかしい、と思ってはいるけど、うまく表現で
>きない。それだけです。

実は、アッテンボローさんのような人も必要だし、まことさんも大事です。だけど、そういう人がリゾーム的に連帯する方向性がないことが問題だと思うんです。
私は2ちゃん共産板でさんざん議論したんですが、いつも決まって「お前、運動したことないだろ」っていうことで終わる。もう運動って、それは完全に目的化している。運動「自体」が美化されエクスタシーなんです。

そういう運動をちょっと(かなり?)薄めて広く行き渡らせる方法論を考える時期に来ていると思うんですね。

左翼は共産党に集結するべきです。
共産党がベストかどうかは別の問題です。

正義の具現には力が必要です。民主主義においては多数が力です。だから、共産党も反自民において民主党に歩調を合わせることをやるときも必要です。

そういう政治力学の現実対応とは別に理想や理念を追求するというしなやかさが左翼には必要だと思います。

「差別者は殺してもいい」

そういう左翼は逝ってよし。これがまともな市民大衆です。そして、そういう感覚が一番大事なんです。左翼は実は大衆とは乖離しすぎている。ここが問題です。

いつかのベストではなく、明日のベター
これが我々大衆の革命なんですよ。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月28日 (木) 23時38分

ってか、俺の地域は部落の人が少ないからか知りませんけど、そういう話は殆ど聞かないんですよねぇ。
ヤクザとかも少ないですし。

まぁ、話を戻しましょう。

差別するな、と言ってもどうにもならないでしょう。
差別している人を訴えたりしても、結局は陰口になるだけで、差別は残ると思うんです。
「差別は悪いこと!」「私たちは差別れている!」
そう声を大きく上げても、差別をする人はするし、しない人はしない。
そういう物だと思います。
寧ろ、差別している人を訴えたり、飛ばしたりしたらさらに逆恨みを買う危険性もあるわけですし……
長い目で見て、「今差別している人を元に戻そう」よりも、「これ以上差別する人が増えないようにしよう」ということが大切だと思うんですけど。
そういうものは正直大人になってから形成されるものではなく、子供のうちに出来上がってしまうものだと思います。
大体中高生ぐらいでしょうか?
その年代の人物だと、頭のいい人は今ここでやっていけるような議論にもついていけると思いますけど、ついていけない人も多数いるでしょう。
そういう人々に、深く突っ込まずに差別を排除させるようなことをしていくべきだと思うのですが……


人間が何故人を差別するのか、と言うと哲学的なことになりますけど……

投稿: 久々 | 2006年12月28日 (木) 23時21分

感情的になってしまったこと、お許しください。…と言いつつ、まだ心拍数100超えてますがw

まことさん
ヤラセでは無い、誤解だ、と言うのであれば、了解します。

>そこまで一連の議論に思い入れがあるのでしたら、ガンガン議論に参加されれば宜しいのではありませんか?

そうしたいのは山々なんです。
上のほうでトチローさんが話されていた
>招かれざる猫@畜群同盟さん、Kさん。お二人の指摘は理にかなっている。おっしゃるとおりだ。僕も考え込んでしまった。
>しかし、なんだか、アッテンボローさんの脈絡とは違うように思う。課題の立て方、取り組み方、考え方、闘い方……どこがどう違うのか、ズレがどこから起こっているのか。正直に言って僕の頭ではわからない。
に同意状態なんです。

何かがおかしい、と思ってはいるけど、うまく表現できない。それだけです。

投稿: kogomi | 2006年12月28日 (木) 22時51分

何というか、私は(解放運動では無いけど)「人権運動」に片足踏み込んでいますから、運動に対する批判に共感はしつつも、じゃあ自分自身が批判一辺倒・・・って訳にはなかなかいかないんですよね。それは自分を<汚れの無い絶対善>の立場性に置くことになりますからね。

そういう意味で、私がこのブログで展開している議論には「ウソ」は無いですね。ただ、部落解放運動の歴史的意義を意識的に強調している面はあります。

投稿: まこと | 2006年12月28日 (木) 22時51分

>ただ、運動への批判一辺倒では議論が偏ると思うので
>すね。

そうですね。ちょっと運動批判に傾きすぎていた感は否めません。
まことさんのそういう感覚は必要です。私は、そういう人のおかげで暴言を吐いている自覚=甘えは多少あります。だから、2ちゃん以外では仰山板以外では発言はしません。アラシ認定されるでしょうから。
ここは投手の勧めもあって参加しました。アッテンボローさんの度量に寄りかかって=甘えていることは分かっています。

ですが、言論とは単独者です。その点は自分に厳しいつもりです。

実は左にも右にも寄りかからないで自分の立ち位置を定めるのはけっこう難しいです。かなり考えて自分と対決しないといけないですから。

まことさんはまことさんのリアリティが内面の深層で叫ぶことを大事にするのがいいと思います。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月28日 (木) 22時45分

まことさん

そんな予定調和などないですよ。勢いで書いてしまったようですね。

kogomiさんが
>本気で思っていることを、本気で話題にするなら、暴
>言だろうと、暴論だろうと、腐臭がプンプン漂うと
>も、それでもいい。
>けど、ヤラセはまっぴらだ。

と仰るのがまっとうです。言論とはそういうもんです。

とにかく言いたいことを言えばいいんです。
ただ、自分自身に嘘を付いていないか、そこは大事です。党派のスポークスマンになるのだけはいけませんね。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月28日 (木) 22時32分

kogomiさん、こんばんは。

kogomiさんは少々誤解されているようですが、私は「部落差別書き込みを許さない その2」のコメント欄で、あなたが言うところの「ヤラセ」的な発言をしていた訳では無いのですよ。

私自身は部落解放運動の現状には必ずしも肯定的ではありません。正直言うと、招き猫さんの議論には私自身も頷かされる点は少なく無いのです。

ただ、運動への批判一辺倒では議論が偏ると思うのですね。
私自身は現状に少なからぬ問題があるにしても、全国水平社以来の水平運動・部落解放運動の歴史的意義・成果は正しく評価されるべきだと考えていますし、「利権」云々にばかりフレームアップした解放運動批判は一面的だと思っています。

Kさんの投稿も含め、私は本ブログの部落解放運動に対する批判には一理ある面もあるとも感じつつも、それでも「敢えて」部落解放運動の意義を強調することで、議論のバランスを保とうと試みたつもりなんです。

>本気で思っていることを、本気で話題にするなら、暴言だろうと、暴論だろうと、腐臭がプンプン漂うとも、それでもいい。(kogomiさん)

そこまで一連の議論に思い入れがあるのでしたら、ガンガン議論に参加されれば宜しいのではありませんか?

投稿: まこと | 2006年12月28日 (木) 22時28分

…まぁ、腐臭を漂わせていた私にこんなこと言う資格は無いんでしょうが。
>難聴
この件を何とも思わずに読み流してしまった私には、ね。

投稿: kogomi | 2006年12月28日 (木) 22時26分

Kさん

>一見精密な機構でも、一番重要なのは「遊び」や「無
>駄」な部分であるんだが、その「遊び」や「無駄」は
>できるだけ少ない方がいいわけだ。このパラドックス
>に対応する機構を作るのが非常に難しい。

全くこれを社会にどのように内蔵させるかですね。

パラドクスなんですよ、我々は。
人と同じでないと気がすまない。同時に人と同じでは満足しない。だから、基本的なデザインとして均質を最低限保証する。一方、遊びの部分で個人が差異化を図ることを可能にする。そういう社会はいかにあるべきか考えないといけないんですね。

そういう認識は糾弾によってもたらされることは絶対にありえない。こんな簡単なことがなぜ長い間分からなかったのか。というか、分かっていて止められないのか。このあたりに自己目的化の腐敗が現れているようです。

説得する、議論する・・そういうことと糾弾は基本的に違います。糾弾とは私刑です。それは社会を後退させるだけなのです。

ルサンチマンの解消を粉飾しつつそういう愚行を重ねる。結果、新たなるルサンチマンを生み続ける。
実は解放同盟の運動自体が差別を温存させる働きをしていた。そこは重要です。やはり自己目的化している以外考えられない。

糾弾によって反省した人間は歴史上一人もいない。
糾弾によって彼らは差別したことの正当性を確信した。
自分が拡声器で詰められることを想像すればよい。怒号罵声が何時間にも及ぶことを考えるがいい。死ぬまで消えない憎しみが誕生する瞬間だ。

違いますか、サヨクな方。

>俺は自分の本性の醜さを割り切りつつも認識している
>が。まぁそれが俺としての根っこでもあるわけで。

そういうアンビバレンスが人に倫理をもたらすと考えます。従って、スパッとした左翼から倫理は生まれることはありえないでしょう。同様に右翼の美しさはグロテスクなものの隠蔽でしかありえません。

私は私自身が堕ちないような社会の制度システムを考えます。私は自分のグロテスクが具現しない社会を考えます。

Kさんも、御自分の立ち位置からでいいですから、どのような社会をデザインするべきかお考えください。
派遣やバイトでも正社員と同じ質の労働を行っています。が、与えられる権利はない。努力や結果が正当に反映されない部分が社会にはまだまだあります。

頑張らないのはダメだというのはその通りだとして、頑張っても報われないことはまだまだあります。そういうことを一つずつ整理していく中で部落差別のような不合理は真っ先になくなるはずだと思います。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月28日 (木) 22時26分

本気で思っていることを、本気で話題にするなら、暴言だろうと、暴論だろうと、腐臭がプンプン漂うとも、それでもいい。

けど、ヤラセはまっぴらだ。

投稿: kogomi | 2006年12月28日 (木) 22時11分

まことさんの言ってるのは、
アッテンボローさんの言う
>断っておくが、政治運動だからその過程でより広い大衆が部落差説に対して怒って決起するように様々な配慮を忘れはしない。

「配慮」!!!
と似たような物でしょうかね?

投稿: kogomi | 2006年12月28日 (木) 21時58分

>私やKさんなんかが「顛末」なことを言い合って、招かれざる猫さんがピシャリと「核心」を突く。
>ある意味、「弁証法」的な展開じゃありませんか。

投稿: kogomi | 2006年12月28日 (木) 21時55分

まあ、みんなが同じような視点から投稿してたら、議論も盛り上がらないじゃ無いですか。このブログのコメント欄の「主調音」的な論調とは少し異なる視座からボールを投げ掛ける人間が、一人や二人は居ても良いとは思いませんか?

私やKさんなんかが「顛末」なことを言い合って、招かれざる猫さんがピシャリと「核心」を突く。ある意味、「弁証法」的な展開じゃありませんか。

投稿: まこと | 2006年12月28日 (木) 21時13分

>>まことさん
最後の2行に書いてあるやつの基本オプションにきちんと組み込まれてるよ。
簡単にいって、汚れた作業着を着て悪臭が漂うのと、礼服着ていながら悪臭が漂うのとの違いさ。
ギャップの大きさが違和感を誘う。

本質から内容をそらす確信犯的な側面援護か。さすが「国際人権派」と名乗るだけあるな。

投稿: K@仕事おさめ | 2006年12月28日 (木) 17時37分

>まことさんは瑣末な問題穿り返すだけ

私は"敢えて"Kさんが言うところの「顛末な問題」を繰り返していたのですよ。

あそこで誰かが「顛末な問題」を書かなければ、部落解放運動への批判一色になるでしょう?

「ペルソナ」とはそういうこと。

>ドロドロとした違和感の原因の1つがこれなのは確かだと思うな。

Kさん、あなた自身には「ドロドロとした違和感」は内在していないのかな?

投稿: まこと@休憩 | 2006年12月28日 (木) 13時26分

なるほどねぇ。ここに来て人の本質に関しての深いコメント見たの初めてかな。

テクニカルな深いコメントはかつて(ずいぶん前だ)くるるさんとか言う人が感心する内容を書いていたが、思想的(?)なコメントでここまで、唸ってしまったのは初めてだ。

アッテンボローさんは壊れたスピーカー状態だし、まことさんは瑣末な問題穿り返すだけで辟易していただけに、招かれざる猫@畜群同盟さんのコメントには唸らされたよ。

どうも俺は「ボルトとナット人間」な所があるから、フランクフルト学派とかニーチェとかは相当疎い。

テクニカルな話だとロジックやシステムの臨機応変な切り張りというので、柔軟性をもたせ、「遊び」を持たせることで、様々な状況に対応させるという手法がある。
一見精密な機構でも、一番重要なのは「遊び」や「無駄」な部分であるんだが、その「遊び」や「無駄」はできるだけ少ない方がいいわけだ。このパラドックスに対応する機構を作るのが非常に難しい。

必要な機構にツタのように絡まった「無駄」や「遊び」を無理やりはがして分離しようとしているのが、アッテンボローさんの考えだろうと思う。
「無駄」や「遊び」はツタのように絡まっているから意味があるわけで、分離したら意味が無い。性能が劣化し、最悪壊れるだけだ。

機械の機構ですらこうだ、人間だったら・・・容易に難易さがわかる。

>>左翼は人間の本性と闘わない。が、
左翼はグロテスクなまでに人間の本性を露にしている。

アッテンボローさんやまことさんらから感じる、ドロドロとした違和感の原因の1つがこれなのは確かだと思うな。
俺は自分の本性の醜さを割り切りつつも認識しているが。まぁそれが俺としての根っこでもあるわけで。

投稿: K | 2006年12月28日 (木) 13時08分

>左翼は徹底的に下手くそに思えてならない

「殲滅」や「不屈非妥協に闘い根底的に転覆させる」運動に参加する大衆がそれほどいるわけない。

マターリした左翼。理論的に徹底して煮詰める、一方で現実から目を背けない左翼。彼らがマターリと煽る。リゾーム的に煽る。資本のコピーのようにお洒落に煽る。そういうものがもっと欲しいですね。

なお、当方は国旗国歌・天皇制には反対です。

投手のように日の丸は強制的だからダメ。労働者が自発的に持つ旗や歌は美しいというのは理論的に誤りだという立場です。そういう自発性が最も危険な抑圧になる。

お前は歌わないのか。うん、まーいいけど。。。

象徴もまた別の思考停止です。
美しさ懐かしさは甘美なる誘惑です。

旗や歌は全か無ということです。
分割的リゾーム的には決してならない。

誘惑に抗しがたいのも事実ですが。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月28日 (木) 12時13分

続き (長文連投御容赦)

こういう方向・・差異化に生きる人間の本性に働きかけ商品を売るという不可避な陥穽・・の話はどこまでも続きそうで強制終了します。

南アのアパルトヘイトとの関係で言いたいことがあるんですが、それもおいときます。

さて、左翼が微細な差異にこだわり、その優劣に必死になることが差別の起源だと言いました。
差異にちょっとこだわるだけで、その優劣には多少目をつぶって大同一致すればいいんです。そういう緩やかな連帯がリゾーム的にあることが我々大衆労働者には重要です。(いわゆる組合だけでは拾えないことがたくさんある)

左翼各党派は自己目的化を正当化する詭弁ばかり考えてないで真に大衆労働者のことを考えて欲しいと思います。彼ら自身が差別主義者になっているという自覚がないのが絶望的ですが。

今問題になっている「いじめ」の問題も全く同じ起源なんですね。

左翼は人間の本性と闘わない。が、
左翼はグロテスクなまでに人間の本性を露にしている。

結論として、誤解なきようにお願いします。
私は道徳を説きたいのではありません。その反対にそういうものの限界を知るべきだということです。そのために社会の制度やシステムはデザインされるべきです。

『実際、道徳性からよい国家体制が期待されるのではなく、むしろ逆に、よい国家体制からはじめて国民のよい道徳的形成が期待されるのである』(カント、永遠平和のために、第一補説)

さあ、どういう体制がいいのか、そこを考えよう。
(私は共産主義は差別の温床になるという考えです)

追記:革マルは論外ということで。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月28日 (木) 11時59分

トチローさん

私は既成の「主義」そのものを瓦解させたいと思っています。そういう意味で『畜群主義』ですw

また、左右の振幅のどのあたりに自分を位置づけるかという陳腐な規定で自分を縛る思考も避けたいですね。左右「だけ」にしかこだわらない人間が多すぎです。
科学的でありたいなら、もうちょっと学問の営為に敬意を払うべきです。私もまだまだ勉強不足ですが、認識思考の道具としてMLだけではダメです。フランクフルト学派ですか、そういうのもありでしょう。
何でも道具にすればいいんです。

私はむしろ、社会生物学・進化生物学あるいは認知科学・脳神経科学といった方面の知見が参考になると思っています。もっともどれもかじっているだけですが。

なお、主観性ならニーチェでしょw

ここの参加者の方には大変申し訳ないと思うんですが、大事なこと本質的なことが常に回避された議論になっているようで残念に思っています。

アッテンボローさんの
>不屈非妥協に闘いたい
>怒りの種火は絶やさないで欲しい
>根底的に転覆する以外にないと真面目に思っているの
>だ。

というような決意

>中核派は差別者に人権など認めない。徹底糾弾して自
>己批判させるか、打倒するか二つに一つだ。

という路線

これはもう一番の危険です。
彼らは部落差別の問題が徐々に良くなっているということ自体が「問題」なわけです。みんな健康になれば医者は要らない。そういう倒錯に気付いていない。革命が起これば党派は解体?・・・そんな馬鹿なことがあるわけない。自己目的化しているものがなくなることはありえない。

部落差別の通時的な起源の微細を論じる文脈がありました。私は斜め読みでスルーです。そういうあまり意味がないことの細部にはこだわる。(こだわるんだったら、私も主張はありますが、流れからそこに焦点はないということで)

が、

差別の共時的起源には鈍い。
これが左翼クオリティです。
どれほど部落差別の歴史を正しく学んでも差別はなくならない。そこが問題であるのだから、重要なことが見えるはずです。

なにゆえ、我々は差別を欲するのか。そういう視点は全くない。だけど差別をなくそうと言う。
階級差がなくなっても差別はなくなりません。我々は差異化にこそ存在の意味を求めてしまう本性を持つからです。そういう本質論をかませて部落差別の不合理性を考えてはじめて解決が見えると思います。

中核の「殲滅」路線で差別なんかなくなることは絶対にありえない。面従腹背はさらなる恐怖政治を徹底化させる。

差別の起源とは左翼党派の分裂内ゲバなんですよね。
些細な差異にこだわり、その優劣に必死。

資本とはそのような人間の本性に働きかけ、無意味な商品を売る。売れるとそれはもう不可欠なものとなる。我々はそれに逆らうことは簡単にできない。そういう弱さもある。資本とは「健康な!」差異を提供してくれるんです。金さえ出せば、誰でも違う人間になれる。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月28日 (木) 11時17分

> あなたがあなたであって、私でないということの意味を求めるのが人間だということだ。

 招かれざる猫@畜群同盟さんのコメント、たまげた。実にいい。僕は嬉しい。こういう話をこの種の掲示板なりコメントでほとんど「はじめて」見た。僕があまり左派諸氏のコメントをしっかり読んでいないせいだったのかもしれませんが。この路線は、明らかにフランクフルト学派でしょう。何故か知らないが、このような視点での発言は滅多にないように感じています。僕はずっと不思議だったのですよね。マルクス主義者を自認する人たちは、主体性を強調するわりには、主観性を無視しがちなところがありますよね。
 もっとも、招かれざる猫@畜群同盟さんが、左翼ではないなら、フランクフルト学派云々はあてはまりませんし、フランクフルト学派は、破綻あるいは未解決の部分でもあると思うのですが。
 これを補足する形で TAMO2さんが具体例を書かれている。こういう視点は運動を広めるためにもとても大事だと思います。もう絶対注目してほしい。

 これに関して、続いてちょっと一言。
「主義は趣味です。主義は思考停止です。」「労働者が資本より美しいとするのは信仰です。」という言葉は、「だから共産主義や左翼が駄目なんだ」という短絡的な考え方ととても親和性がある。(いや、右派としてはやりたいのでしょうから、それはかまわないのですが)
 誤解してほしくないのですが、これは発言者の揚げ足取りでもないし、表現を批判するつもりもない。スローガンとしても表現としても、全く悪くないどころか、センスが良い。良いから僕としては困る。
 これはひとつの真理であり強烈であるがゆえに一人歩きしやすい。これは言説が行動や思考に働きかけるというイデオロギーとして機能するでしょう。
 こういうのが、左翼は徹底的に下手くそに思えてならない。現在の大衆の右より路線の原因は、僕はここにあると思っている。つまり、現実的な主観性を無視しがちな左翼の運動傾向にあるのだと思う。
 ある市民運動の会議の席上で、「恨みつらみでは協力できない」と発言した人がいました。確かにそうでしょう。確かにそうだけども、それがなかったら、運動なんてやれないんじゃないですか? 片手間の余力で覗く程度ならできるかもしれません。でも、忙しいとき金がないとき自分のことで大変なときに、「階級闘争」のひとことで、わざわざデモや団交に行ったり、延々と続く闘いを粘り強くやれる自信なんか僕にはありません。本物の活動家の人は、こういう内的な問題をどのようにクリアーしているのでしょうか。やはり「信念」ということなのでしょうか。「精神の鋭敏さ」という問題なのでしょうか。いや、例によって主題をそれていますので、スルーでかまいませんm(__)m
 

 

投稿: トチロー | 2006年12月28日 (木) 05時06分

言い忘れた重要なコメントありなので追加。

この市営住宅とは同和事業で立てられた住宅ね。滞納者は関係者。以上!

投稿: 通りすがりの同和 | 2006年12月28日 (木) 00時03分

良くも悪くもアッテンボローさんは小生の良く知るマルクス主義者的だな、と思いました。

熱いんですよね。で、その熱さの恐ろしさを分かっておられるのかな、と思いました。

釈迦に説法ですけど、マルクス主義は大衆を闘いに立ち上がらせるための理論です。現実の悲惨、地獄を大衆に明示し、それを乗り越えるための方法を党が集約(敢えて教えるとは言いません)する。しかし、あくまでもそれを選択する/しないは大衆です。同時に、大衆には逃げる権利があると思います。ロシア革命の進退が窮まったとき、レーニンは逃げようがない、と言いましたが(笑)。その思い込みがロシアをより一層の地獄に変えたんですよね。(例えば、ゴーリキーの『レーニン』なんかを読んで下されば幸いです。)

で、水平社という日本社会主義伸張期に生まれた部落解放運動は、そういう理論というか気分というか、そういうものを受け入れるんですよね。(戦前は部分的という説もありますが。)特に戦後、融和主義的な部分ではなくこういう戦闘的な部分が主流になったと考えます。差別者を打倒せよ!と。まあ、部分的には正しいです。だけど、世の中、そういう闘い方を理論での是非ではなく、感情の問題、あるいは生活の問題としてどうしても受忍できない人もいます。地域で商売をやっている被差別当該の人、具体的には小生の場合には肉屋さんを思い出します。糾弾対象はお客さんであったりするし、非被差別当該のほうが圧倒的にお客さんとしては多いんですよね。コトを荒立てるような闘争方法に同意できないのは小生としては当たり前と思います。

ところが、一時の解放同盟は物理的暴力的手段でもって闘うことを緊急措置ではなく、原則としていました。これじゃあ、被差別当該さえ引いてしまいます。この闘いで傷つくのは、直接的には被差別当該なのです。三百万兄弟(実は嘘ですけど)のうち、今や3万弱しか部落解放同盟は組織化できていないと聞きます。非被差別当該の差別意識こそ、こういう事態を招くというのは理論の上では正しいですけど、その理論に現実が従う必要、それも生活破壊に繋がるレベルで従う必要があるでしょうか? 映画『七人の侍』で、最初農民が侍を敬遠したことは、不当でしょうか?

さて、同じような理論/気分は様々な分野に拡散します。例えばフェミニズム。その結果、我が家で起きていることを。田嶋陽子を小生の妻は嫌っています。彼女の言うことが、その「熱さ」とその作用において、マルクス主義的だからです。これに耐えられる人はいいんですけど、必ずしも全ての人がそうであるわけではありません。むしろ、そうじゃない人のほうが多いでしょう。で、田嶋なる大馬鹿者は、そうじゃない人こそ「抑圧に加担する」と言います。ある意味、それは真理です。しかし、彼女は「オマエラ、傷つけ、場合によっては死ね」と言っていることに気づいていないのです。だから、小生は田嶋を大馬鹿者と言います。この場合の馬鹿には、褒めているニュアンスを感じないで下さい。

闘うものは美しいのは確かです。だけど、闘うことは自他とも傷つくものです。傷つきたくない人間まで傷つけることを大衆は経験から知っています。マルクス主義が結局のところ、大衆に受け入れられないのは、そういうことを無理強いしてきた歴史があるからと、祖父母の代から、こういうコトに影響を受けていた家系の人間として記しておきます。他人を傷つけないため、自分が傷つく。これこそ真の勇者であり、本来の共産主義者ではないでしょうか?

上で書いたことに関連して。小生の近所では、糾弾闘争は見事な誤爆でした。で、間違いに後から気づいても、失われた命は戻ってきません。糾弾で人が死んだことがない、というのは大嘘です。小生の故郷の地区に昔から住んでいる人間なら、大抵知っています。

投稿: TAMO2 | 2006年12月27日 (水) 23時37分

アッテンボローさん

私の問いかけの重要な部分がスルーです。
自分の」内面に問いかけ、それでもなおそうだと胸を張って主張できることだけを聞かせてください。

主義は趣味です。
主義は思考停止です。

人間はそんなに甘くないです。
人間とは「通りすがりの同和」さんのお示しのようなものです。もちろん、そうではない部分もあります。

労働者が資本より美しいとするのは信仰です。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月27日 (水) 23時27分

>中核派は差別者に人権など認めない。徹底糾弾して自
>己批判させるか、打倒するか二つに一つだ。

こういうことを平気で吐く、いや、そういう知性感性になってしまう左翼というのは罪だな。

で、中核は偉いのか?
なんなら患部と議論してもいいが。

ネットで議論するのはどうですか?
当方はいささかも困りません。
どなたか手配をしてください。

当方は中核派の欺瞞インチキを暴露する用意があります。もう少し正確には、カルトの類だという証明をするつもりがあります。もちろん、正々堂々言論を闘わせることが前提です。

☆ 他の党派との優劣はどうでもいいことです。
  基本的にどこも一緒です。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月27日 (水) 23時21分

読売新聞:
大阪市職員75人が保育料など6400万円滞納

 大阪市職員75人が保育料や市営住宅の家賃を滞納、その総額が約6400万円にのぼることが26日、市の調査でわかった。うち7人は保育料、家賃の双方を支払っていなかった。滞納の理由として、ギャンブルによる借金を告白する者もおり、市は「こんな職員がいるとは考えもしなかった。申し訳ない」と陳謝。督促に応じない職員には、給与を差し押さえ、懲戒処分も検討する。

 市は先月末から、保育料6か月以上、市営住宅家賃3か月以上の滞納者を調査。職員54世帯(55人)が保育料計2998万円、27人が家賃計3405万円を滞納していることが判明した。

 4年9か月にわたって子供2人の保育料290万円を納めていない職員や、7年1か月分の家賃362万円の支払いが滞っている職員もおり、双方とも支払っていない7人の滞納額は336万円~95万円だった。

 保育料滞納者の約2割を占める13人は、保育業務を所管する健康福祉局の職員。うち9人は市立保育所の給食作業員だった。家賃滞納者の27人全員が毎月3万500円~1万円の住居手当を受け取っていた。

 市によると、「家族が多く、生活費がかさむ」という弁明のほか、「ギャンブルで借金を抱えている」と明かした職員もいた。

 公務員による公営住宅家賃や税金、公共料金の滞納問題を巡っては、先月末、京都市職員37世帯が保育料3620万円を滞納していることが発覚。奈良市でも、職員19人が市営住宅家賃や保育料計約6000万円を支払っていないことなどが明らかになっている。

 元吉本興業常務でフリープロデューサーの木村政雄さんの話「自治体の甘い体質にあきれてものも言えない。市民をなめているのでは。まずは公務員が襟を正すべきだ」

(2006年12月27日 読売新聞)

こういう奴らを弾劾したという話はとんと聞かない。

投稿: 通りすがりの同和 | 2006年12月27日 (水) 21時47分

ちょっと話題をそらすが、市民運動や学生運動、労働運動とかでも同じことやってきたんじゃないか?中核派やその活動家たちは。
このコメントが非常にひっかかる。
>>Kさんにも関連しているので断っておくが、中核派は差別者に人権など認めない。徹底糾弾して自己批判させるか、打倒するか二つに一つだ。

ここの「差別者」を「運動方針に反対するもの」とすればロクでもない結果になることは予測できる。
こんな運動方針の組織なら何もできない。せいぜい露払いに活用されるヤクザ組織以上の何者でもない。

俺は労組業務とやらは多少の心得があるが、市民運動や特に学生運動には無知だ。
しかし、このようなことやれば、一時的に勢力を拡大できても長期的な運動とやらの破綻は明らかだ。容易に推測できる。
中核派の関わって消滅傾向か破綻しかけた運動にはかつて味方だった人間の屍が累々と積み重なっているんじゃないか?

元々ここのブログに来たのは、俺が専従ではないが組合の仕事に関わっていたからだ。
労働運動というか組合の方針に従業員が「回れ右」と言って従う時代じゃない。こんな方針なら破綻は明らかだ。

投稿: K | 2006年12月27日 (水) 20時59分

トチローさん

革命が起こって共産主義になっても差別はなくならないよ。いつまでたってもマルクスとレーニンだけでは何も分からん。いや、マルクスやレーニンでさえ自分の頭で本当に考えて消化しているかどうか疑問だ。

もっと学問の営為を尊重しないといけない。

人間は差異化する生き物なんだ。一方で均質化の保証も求める。そういうアンティノミーというかアンビバレンス、それは本性なんだよ。

革命で我々人間精神が解放され自由の王国で存在の可能性が花開いたとする。それは差異化に生きるということなんだ。衣食住の基本最低において平等が達成されたなら、どこで「違い」を自らに確認するかに邁進する、それが人間なんだ。

個性やアイデンテティというものが何に根拠付いているものなのか。

あなたがあなたであって、私でないということの意味を求めるのが人間だということだ。

そこまで考えて差別を考えないで、表面的なことばかりウジウジやってても何も解決しない。
左翼がイロイロ分裂したのはなぜか。そういうことから何も学べないのが左翼クオリティ。

>でも、「うちの子は障害児ですよ。どうしてこうなっ
>たか、ご説明しましょうか?」なんて堂々と語れるか
>ら、障害児を持った母親はとてつもなく強くなり、差
>別した人は恥ずかしくなるという現実も確かにあると
>思います。

これはイデオロギー注入の結果ですね。
「障害は偉いのか」ということです。
別に誇るものでもない。卑下するものでもない。それが本当の強さです。そういうさりげなさ、自然体、そういうことが望まれます。強がりはしんどいし楽しくない。自分に嘘をついてもそうせざるをえなくなる思想は困ります。勘違いなきように。

左翼は人間を軽んじすぎだ。もっと真剣に考えて欲しい。そもそも自分の内面と徹底して対峙しているんだろうか、そういう疑問しか湧いてきません。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月27日 (水) 09時47分

 差別郵便、氏名札裁判・胸章裁判のご説明をありがとうございます。よくわかりました。
 
 招かれざる猫@畜群同盟さん、Kさん。お二人の指摘は理にかなっている。おっしゃるとおりだ。僕も考え込んでしまった。
 しかし、なんだか、アッテンボローさんの脈絡とは違うように思う。課題の立て方、取り組み方、考え方、闘い方……どこがどう違うのか、ズレがどこから起こっているのか。正直に言って僕の頭ではわからない。すっきりした思考過程が見えるかどうかはわからないが、是非ともじっくり考えてみたいと思う。

 蛇足(補足)ですが、僕が重要視してるのは、「寝た子を起こさない」「臭いものにはフタ」という取り組み方の問題ではなく、自分が差別される立場になった場合、差別されるのではないかと怯えている自分がいたら、そのコンプレックスに触れて欲しくないという感情論的な意味です。
 例えば、心で号泣してる母親は、そのことを他人から指摘はされたくはない。恥ずかしさや情けなさで逃げ道がなくなってしまう。
 また例えば、過激派だとわかったとたん、見る目がいきなり変わって疎外されたとしましょう。それで自分が全否定されたように感じたら、もう絶対に公表しまいと思うでしょう。そういう地平での話なんです。
 でも、「うちの子は障害児ですよ。どうしてこうなったか、ご説明しましょうか?」なんて堂々と語れるから、障害児を持った母親はとてつもなく強くなり、差別した人は恥ずかしくなるという現実も確かにあると思います。
 
 

投稿: トチロー | 2006年12月27日 (水) 03時52分

アッテンボローさんへ

>「達」であったか「通達」による郵便物の取扱規程でそうなっている。まことさんもトチローさんもこの件はご理解いただけたでしょうか?

なるほど。そういう「通達」を総務省?が出しているわけですね。
ご説明ありがとうございます。

投稿: まこと | 2006年12月27日 (水) 02時04分

>>Kさんにも関連しているので断っておくが、中核派は差別者に人権など認めない。徹底糾弾して自己批判させるか、打倒するか二つに一つだ。

恐ろしい人だなあんた。
そうやっておたくらの組織は、今まで何人の人間をおかしくしてきたんだ?

俺がコメントした。生き物の死体を家に放り込む行為と対して変わらんな。違うと言うんならしたら、あんた相当おかしいぜ。
人を難聴にして一生物の傷害負わせたとしても、あんたの論理じゃ全然問題にならない。

それにだ。その論理でいくと当事者である俺ですら、徹底糾弾の対象にすらなるわけだ。
中核派の考えしだいで当事者も弾劾対象となるわけだ。運動とやらの邪魔になるなら普通に糾弾対象になる。

恐ろしい考えだ。アッテンボローさん自身がうつ病で家族が色々問題抱えているのも因果応報なのかもと思ってしまうぜ。

投稿: K | 2006年12月26日 (火) 23時00分

アッテンボローさん

我々の意識を規定するのは階級や帝国主義というようなものだけではありません。
我々の存在を規定するものはたくさんあります。
性別や住まい、家族構成・・・もうありとあらゆるものが我々の意識を規定します。
そもそも人間は差異化をする生き物です。個性やアイデンティティというものが「解放」の結果訪れるのなら、それは差別の温床となるでしょう。

我々は差別を捏造することで安心するようなところがあるのです。そこまで掘り下げて考えないといけないと思います。

従って、そういう我々の邪悪な本性が実際的な悪影響を及ぼさないように社会の制度システムを構築するべきです。糾弾などで差別がなくなるなんて考えているのは阿呆としかいいようがないです。まるで人間を理解しようとしない態度です。

なお、糾弾は私刑(リンチ)であると考えています。そういうことを権利とするのは社会的公正公平の観点からもかなり問題です。
部落差別が実質的な意味を持ったなら、それは犯罪なんです。だから、私的な制裁では困るのです。

なお、実質的な意味(例えば就職など)を持たない場合は看過すべきです。ここは重要です。言葉尻をいくら取り上げても本当に相手は反省などしませんからね。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月26日 (火) 22時36分

 TAMO2さん了解です。

投稿: アッテンボロー | 2006年12月26日 (火) 22時24分

 Kさん、「枠」にからむと言われても部落民でない以上どの様な形で枠にからむというのだろうか?解放研には部落民ではない人間が沢山参加している。その熱意の程度には差があるが、差別を許さない自分を築くため、その様に行動するために。それから言っておくが解放研は会費で運営さているので当局の予算など使っていない。何でもかんでも「同和対策事業」の金にからんだ発想というのはやめにして貰いたい物だ。例えKさんの周囲にその様な腐敗分子顔多かったにしてもだ。
 「みちしるべ」に関しては当局の予算だから細かいことまで洗い出せば不正支出はあるだろう。各省庁の何処でもやっているが天下り先に編集させて、印刷会社とも癒着しているというごく一般的な意味でね。そして、Kさんの勤務先が郵政との間で取引があるのなら贈賄まがいのことくらいはあるのではないかな。
 差別郵便というのは本文中でも書いたが宛名および差出人という、郵便局員が見て良い部分に差別書き込みのある物を言う。葉書の文章面や封書の中身については見ることは信書の秘密を侵すことになるから当然見ていない。例えば宛名が「○○のAへ」とでもなっていたとしよう。○○の中は部落差別用語だと思って欲しい。その様な郵便物については名宛人に対しては差別郵便が来たという事情だけを説明した上で配達できない旨を説明し、郵便局で責任を持って処分することになっている。「達」であったか「通達」による郵便物の取扱規程でそうなっている。まことさんもトチローさんもこの件はご理解いただけたでしょうか?
 Kさんが言っている「犯罪臭のする郵便」と言うのはオレオレ詐欺であったり架空融資であったりと言った郵便のことだろうが、飽くまでも内容は見てはならないのだ。おかしいと思っても根拠を述べた時点で信書の秘密を侵したことになる。また、Kさんの論理を借りればNTTはダイヤルQ2や出会い系サイトによる詐欺などの犯罪に責任を持つべきだと思うがどうなのだろうか? 関係者に対して責任追及でもしているのだろうか? おそらくしていまい。
 90年頃はおろか今でも差別はある。そして当時銀行などの外交員は名札など点けていなかった。郵便局くらいの物だったかな。名刺は渡しもお客さんには渡していた。名札への拒否反応が強かったのは郵便関係職員だね。貯金と保険では反対する者は外務員では少なかった。
 活動家の子供がいじめっ子だったというのは飽くまでKさんの経験の中の話だろう。私の経験ではその様なことはない。共闘などで部落の誰が活動家であるかは大体分かっているから、その子供のことも知っている。私の知る活動家の子ども達にはいじめっ子はいないね。自分の経験が全てであるかのように言うのも問題ではないかな。少なくともKさんの周囲での話として断りを点けるべきだ。
 それから差別者と目した相手に対する嫌がらせについてだが、悪い噂ほど広がるから解同が公式に言えないことをしていたとして、周囲の村々で「部落民に何された」だのという話があってしかるべきだが、それも聞かない。Kさんの経験と私の経験とどちらがより普遍的であるのか、お互いが住所を明らかにしていない以上比較検証のしようがないね。kogomiさんが難聴になった差別者のことを気にしていたのだが、Kさんにも関連しているので断っておくが、中核派は差別者に人権など認めない。徹底糾弾して自己批判させるか、打倒するか二つに一つだ。だが断っておくが、政治運動だからその過程でより広い大衆が部落差説に対して怒って決起するように様々な配慮を忘れはしない。
 shiroさんが書いていることについては、あとの方でトチローさんも言っているが、貧しいが故にする贅沢という物はあるね。ところがそれを理解できないで、部落民の方が優遇されていて金持ちだと勘違いしている人も沢山いる。
 トチローさんが部落差別に触れて欲しくないと思う人の側に立ちたがるのはそれはそれで分からなくもないですね。「泣く子を起こすな」論とも通じる部分があります。ですが現実問題、関西で生活していると部落差別に嫌応無しに関わる面が出てくる。よくあるのが「部落で交通事故をしたらあとが怖い」という差別なんですが、僕の母などもその様なことを平気で言っている。私が始めて交通事故を起こしたのは部落の中でなのだが、家々からたくさんの人が出てきて介抱してくれた。怖いどころか非常に有り難かった。二度目に事故を起こしたときは救急車で運ばれたのだが、この時は部落ではないところで、壊れたバイクをおしながら公衆電話まで歩いたのだが、道行く人々は誰一人声すらかけてこなかった。勿論救急車は自分で呼んだ。
 氏名札裁判・胸章裁判については全逓が組合として取り組んだ物ではなくて、個々の活動家が「処分ありきの命令には従えない」と言うことで個々バラバラに闘い始めて、その内裁判に訴える人々も出てきたという物です。私は参加しなかったが、中核派の活動家の中には中心的に担っていた人もいます。
 トチローさんの質問の「女ったらしの○○様とか、借金だらけの△△様、ハゲのボケナス××様、とか書くといけないのでしょうか? それとも部落問題関係だけなのでしょうか?」については郵便関係職員に聞かないと分かりませんね。全職員に周知されているのは差別言辞が書かれている物については注意するようにとなっているので。拡大解釈すればそれらの郵便物を配達不可能かも知れません。
 招かれざる猫@畜群同盟さんの書かれていることは確かにそうですね。意識を規定するのは経済を始めとする社会のあり方その物ですから、下部構造を変えない限り上部構造は変わりようがない。ですから個々で解放研が当局に対して研修の充実を求めているのは飽くまでも対処療法的な物でしかないでしょう。帝国主義打倒によって部落差別を必用とする現代社会の構造その物を変革する必用があると思います。
 最後の質問については、私では即答しかねる問題ですね。時間を貰えたら勉強して答えますが。 

投稿: アッテンボロー | 2006年12月26日 (火) 22時09分

で、このことについて当該解放同盟支部は反省している、とのことです。

投稿: TAMO2 | 2006年12月26日 (火) 21時08分

余り具体的にはネットでは書けないですが・・・。

>差別主義者と目した人間の家に
>深夜の自宅への騒音とか(集団で押しかける)。

これは、小生の近所でありました。裏書しておきます。

投稿: TAMO2 | 2006年12月26日 (火) 21時07分

アッテンボローさん

>部落差別と闘える主体をどの様にして自分の中に築く
>のかが大事だと思います。特に差別の問題というのは
>差別されている人に問題があるのではなく差別する側
>にこそあるからです。

>高い人権意識・反差別の意識は求められていますね。

ML主義なら社会的存在によって、そういう意識は規定されるんでしょ。ならば、そういう意識自体を余儀なくしている社会構造的なものを掘り下げる方向がいいんではないですか。
また、その構造を単に階級「だけ」の問題にすりかえるのも問題です。構造とはそういうペラペラのものではないですよ。

主体と社会的存在、すなわち構造の全体性における布置の関係はどうなんでしょうか。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2006年12月26日 (火) 10時13分

 連続失礼。名札闘争って……JRでもやってましたよね。部落問題や殺人事件と絡むと話はまた違うのでしょうけど、実は、僕はかなり首をかしげています。労務管理が目的なのはわかる。個人としても恥じないように、まじめに仕事をしようということでしょう。労務管理は悪いことではないと思うのです。自分たちの職場にとっても、良いことでしょう。どうにも難解です。組織としてだけ働くべきだという主旨ならわかる。でも、個人として働けたほうが良いのではないでしょうか。個々の職場や個人的な事情があるなら名札を付けないのも一考ですが、それを全国一斉に闘争課題とされているとしたら奇異な感じがします。

 それと、配達できない郵便物って何なのですか? もう全然見えません。書きづらければ、どなたでもいいのでリンクを教えて下さい。
 その行為そのものは、行政あるいは公共の問題として統制の一種なのでしょうから、あってもいいとは思うのですが。いったいどういう形のものがいけないのでしょうか?
 宛名に、女ったらしの○○様とか、借金だらけの△△様、ハゲのボケナス××様、とか書くといけないのでしょうか? それとも部落問題関係だけなのでしょうか?
 ハガキはどうなるでしょう。局員は見ることはできても、読んではいけないんですよね。現実的には読んでる暇なんかないという状況らしいのですが、文面を読んでしまっても守秘するということなのでしょうが。

 いつも主題から外れた部分に興味をもって、申し訳ないのですが。
 

投稿: トチロー | 2006年12月26日 (火) 07時02分

「差別郵便物」を郵便局が配達拒否する際の法的根拠には、私も興味があります。

郵便法上の根拠を挙げるとなると、「郵便禁制品」について規定している第14条の4号(「法令に基き移動又は頒布を禁止された物」)辺りになるのでしょうか。また、内国郵便約款第6条にも、同様の規定がありますね。

ただ、「差別郵便物」の移動・頒布を禁止する法律や政令って、あるのでしょうか?それに、「差別郵便」の認定にあたっては、郵便法8条(検閲の禁止)および同法9条(秘密の確保)の問題は、クリアになるのでしょうか。

また、検閲の禁止および通信の秘密を定めた憲法21条2項の問題もありますね。そして、表現の自由を規定した憲法21条1項との絡みも。

ちなみに、この問題に関して国会でも過去に審議されているようですね。法的にはなかなか難しい問題があるようです。

私は郵便実務のことには無知なので、「差別郵便物」問題においてこの辺の法的問題を郵便局がどのようにクリアしているのか、興味があります。もし宜しければ教えてください。>アッテンボローさんおよび郵便に詳しい方

投稿: まこと | 2006年12月26日 (火) 06時52分

 ガンガンの投稿で盛況ですね。当初は、バカコケ阿呆的投稿があっても、アッテンボロー氏が丁寧に対応するもんだから、まともに読めるようになってきた。こういうのは凄いですね。なかなか真似ができません。感心してます。
 ここらの連続では、K氏の投稿はかなり読みやすい。罵声が混じるのは気に障るが、攻撃したい立場としては仕方無かろうか。しかし、アッテボロー氏のほうは、僕には知識が無さ過ぎてどうにも難解です。どちらにしても、僕には現場が全くみえてこないので、言わんとすることはなんとなくわかるというレベルで申し訳ない。
 ただ、僕は、差別そのものには触れないで欲しいという側に賛成です。触れることが差別を助長すると感じます。言ってはいけないと思うし、言ってほしくはないと思うのです。差別意識を見据えることは不可欠ですが、もっと違う形であるべきだと思います。もちろん、先人の運動を否定するつもりは全くありません。

 部落問題とは直接は関係がないけども、いろいろと感じるところが多かった。差別意識は僕のなかにもある。他人を見て内心で羨むことも、差別の萌芽だろう。ある人にとっては普通の出来事でも、それを持っていない人には辛く苦しい光景に映る。言葉を話せない障害児を抱える母親は、普通に子供が母親と話している姿を見るだけでも、心のなかで号泣している。

 70年代前半、僕の家には電話がなかった。白黒テレビしかなかった友達もいた。まだまだ貧乏な家はたくさんあった。これからは、また増えるのだろう。

 shiro 氏の論旨とは違う話ですが、昔、労組の代表者が世界大会に出席したとき、欧州の労組員が、日本の労働者は本当に苦しめられているのか? と質問したそうです。自分らには一生かかっても買えないようなカメラを、あなた方はみな首から下げているではないかと。だが、それこそが貧困だからなのだ、と写真家の土門拳氏が書いていたのを思い出しました。家を買うことなど絶対に無理だから、せめてなんとか手の届くところで満足しようという形の貧困なのだと。
 それでなんとか生きていられるなら、安いものだと思う。
 

投稿: トチロー | 2006年12月26日 (火) 06時16分

アッテンボローさん、差別と戦うことは難しいですね。こちらが心情的に正しいと感じることでも、解同側ではおかしいと思われたり、こちらが変(奈良県の職員事件など)と思っても彼らは普通と感じる。
しかし、真実は1つです。「一人の人間として」同じ土俵に立てるか否かを私たちは考え実行して行くしかないようです。「一人の人間」とは、人権尊重の精神であり、そこに奈良事件のようなことがあれば「変だ!」と発言し、「不当に人間として扱われること」があれば、そうした奴に「バカヤロー」と言う。
差別は壁や障子の裏にも表にも潜んでいるものです。
ぶっちゃけ、みんなが息苦しくなく生きられれば差別など無くなるんじゃないか。思想も哲学もない私の心情とでも言いましょうか。

投稿: 印度 | 2006年12月26日 (火) 02時33分

>>shiroさん
俺の書き込み見てくれよ。俺は就職は90年代、さらに言えば平成不況のど真ん中で橋本内閣が消費税引き上げで馬鹿やって、山一がつぶれた辺りに就職している。

だから記憶は80年代半ばからだ。ちなみにクーラーは88年ごろについたの覚えている。
共同便所も電話も電化製品も実際見たわけではない。わかるかい?若いから貧しい「地域」は知らないんだ。

履歴書の件といいどうも、住む世界と、育った環境、時代が違いすぎる気がする。
大学に行けなかったのか、行かなかったのかは知らないが、大学の履歴書の内容を知らない方が俺から見たら不自然なんだ。
一応工学部出の基本として大学院を修了しているし、それは当たり前だと俺は思っている。両親には迷惑かけたが。

シーマ乗り回す連中とは付き合わなかったよ。
キャディラックのこと「ニ●ーカー」と言われたの知ってるかい?貧乏な黒人が車だけは贅沢にってやつだ。
昔の電化製品の普及率が高いと言われたら「そうかもな」と言うよ。

shiroさんは何年代生まれなんだい?少なくとも20代30代という感じではない、すると50年代生まれかそれ以前か。
俺の知識が浅いというなら、とうとうと色んなこと俺に吹き込んだ教員連中とか紙芝居連中に言えよ。
言っていたことすべてでたらめで、そもそもそんなもの存在すらしていないのかもしれないな(笑)

俺は正直にコメントしてる、人をフェイクで引っ掛けて粗探すようなことはしないんだ。そっちの方が問題だぜ。

なによりそれは下品だぜ。

投稿: K | 2006年12月26日 (火) 02時24分

Kさんへ
>あと俺は手厳しく口悪く突っ込むが人を引っ掛
>けよう、釣ろうとは思っていない。
>Shiroさんはそれを俺に対してやろうとした。
>考え経験云々より人として余りよろしくないと
>思うがね。だから、あまりShiroさんは信用して
>いない俺は。
私のほうも、君のことを信用していないから、気にしないでくれ。
私には、どうしても君の書き込みに、リアリティーを感じない。例えば、学校の教師などで、無理やり「同和教育」をさせられている人が、その鬱憤を晴らすために、部落出身者を偽装しているのではないかとさえ感じるのだ。
そのあたりの人なら、君程度の知識は持ち合わせているだろうから。
>「地域」はかつて電話機や電化製品なんて無
>い家がほとんどだった。共同便所だったらし
>いぞ。70年代半ばまでだ。
という記述もそうだ。
確かに電話機の普及率は、70年代前半までは低かった。しかし、電化製品の普及率は、決して低くはなかった。
部落を知らない人には、奇妙に聞こえるかもしれないが、事実だ。
例えば、60年代初期に、関西の大学部落研が部落への実態調査を行った際、そのころ世間ではほとんど普及していなかったテレビが、部落には数多くあったことが明らかになっている。これは、調査に参加した学生(現在60代半ば)が、証言している文書が複数あるから、間違いないだろう。
もちろん、その当時の部落は、経済的な意味でも貧困だった。だが、その貧困の中でも、家電の購買は、世間よりも進んでいた。
これは現在の部落にも当てはまる。様々な行政的な優遇策(多くの自治体では、すでに完全に終了している)あろうとも、未だに部落に住み続ける人々は、貧困層に分類される。実際、半失業状態の人は少なくないし、就労していてもその職はきわめて不安定で、賃金も含めた労働条件は悪い。
しかし、実際に部落に行って、そこに停めてある自家用車を見てみたまえ。そして、世間に様々にある駐車場のそれと、その車種の比率を比べてみたまえ。
例えば、図書館の駐車場には、駅やスーパーマーケットの駐車場に比べて、軽乗用車や普通車の比率が高い。普通車も、それほど大きなものは少なく、ほとんどが1800cc程度までの大きさだ。
反対にパチンコ屋の駐車場はどうだろうか?図書館とはまったく反対の傾向にある。
部落に停められている車は、パチンコ屋のそれと極めて似通っている。3ナンバーの比率が高く、極端に太いタイヤを履いた車や(当然燃費は悪そうだ)ウィンドウグラスを黒くした車、趣味の悪いデコレーションを施した車。つまりは、そうした車の比率がとても高い。
経済的な貧困は、その消費欲求・購買欲求を低くするわけではない。
そこに住む人が入れ替わっても、部落は昔から、その収入に似合わぬ支出を当然とする経済感覚に人たちの住む場所であり、電化製品を購入する人が、部落外より極端に低かったわけではない。むしろ、その反対に高かった。
無論、全国の部落で同じような傾向があったわけではない。県別に言えば、山梨県の部落は、どれもが少数点在であり、二桁の個数の部落は存在しない。そうした部落においては、そのような浪費家庭が多いわけではない。
しかし、Kさんの言うような、共同便所が存在したような部落においては、一様にテレビなどの家電の普及率は高かった。
(車でわかりにくければ、現在の携帯電話に置き換えてもよい)
というわけで、Kさんの書き込みは、せいぜい同和教育運動に引きずり込まれた学校の教師レベルの知識の水準で、部落の持つ問題点を理解しているとはとても思えないし、ましてやその実際の体験に基づく記述とも思えない。

投稿: shiro | 2006年12月26日 (火) 01時48分

>難聴

…確かに、少なくともここは、スルーすべき内容じゃ無かった…

…ごめんなさい…
今更謝っても、ただの偽善だけど。

投稿: kogomi | 2006年12月25日 (月) 18時22分

>>胸章裁判
よくわからないな。90年にはあからさまな差別がまだあったのか?記憶には無いんだかな。
IDカードは普通の企業はつけると思うんだが。俺も普通に胸からぶら下さげている。ないと事業所内とか入れないぞ普通は。仕事によってはスキャナにかけて指紋認証も行う。情報保持の危機管理が優先されるメーカとは違うのだろうか?

IDぶら下げた方があとで文句言い易くなるから苦情対策なのか?
総務課渉外班とかじゃなくて、民間でそんな苦情対策やったら詐欺師扱い食らうけどな。
100歩譲って危機管理としてでも、金融ならそれだけのリスク背負った仕事をすると言う認識がない気がするな。信金の話は後付けだろう。当局とやらの管理を逃れるための方便だ。視線が顧客の方に向いていないな。
民間だと営業なんて名刺わたして交渉するんだよ。さすが親方日の丸、制服主義だ。

>>Kさんの2006/12/22 12:13:04のコメント
>>今息子が通っている保育所も部落の隣接地域にあって部落の子供が沢山来ていますが、いじめっ子などではないですしね。少なくとも活動家の子供がいじめっ子になると言うのは間違いですね。

俺の小中での経験を「そんなもの無い」「一部の例外だ」で済ますならそれで良い。少なくとも活動家の子息は最凶だった。一番ひどいのは通りすがりのパトカーやカブで巡回中の巡査に普通に投石できる(当たったら死ぬ)、黒板の前で人を吊るし上げるのが大好きなツワモノだったが、今はエセやっていると聞いた。2代目活動家がロクだったとは聞かんね本当。

俺は「知らないのが罪だ!わかったかダボォ!!(バンバン!!)」とは言わないから認めたくなければそれでもかまわない。

かつてのコメントを本部組織が「公式」にやったと言える代物か?非公式の代物だ。
アッテンボローさんも、組織の公式声明に準じたことしか言わないから、知らないで済ませているんだろ。
本当に知らないなら記事にしなくてもいいから、丹念に調べてみることだ。ヤクザまがいの行動が東の組織(同●会)だけのことじゃないというのがすぐわかるはずだ。知らない、当局の陰謀だで片付けるならそれでいい。

人を難聴にしておいて反省も糞もないだろうに。

投稿: K | 2006年12月25日 (月) 12時56分

金額の件に関しては書き間違いとちょっと勇み足程度と思ってくれ。と弁解したはずだが。kogomi さんも突っ込むね(苦笑。

SHIROさんと俺の言うことは基本路線は違っていないだろう?俺はあくまで経験やらを中心に書いているし、路線は間違っていない。履歴書に関してもお互い間違ったことは言っていない(と思う:全国統一の履歴書についてはよく知らないから)。

あと俺は手厳しく口悪く突っ込むが人を引っ掛けよう、釣ろうとは思っていない。

Shiroさんはそれを俺に対してやろうとした。考え経験云々より人として余りよろしくないと思うがね。だから、あまりShiroさんは信用していない俺は。

>>アッテンボローさん
これ俺が言っていた「枠」に絡む一部だな。「枠」というのは採用枠だけじゃない。色々と「枠」がある。これなんて特にそうだ。そうか関係者だったか。成る程ね。関係者だったか。
それで主体的とやらに差別に戦うために、俺の「枠」という言葉にちょうちょうしく反応した挙句あの記事か。

でも解放研とやらの開店休業というのは望ましいことだ。すでに存在意義を無くしているなら意味不明な予算食いの温床になってないことを評価する。

しっかし4半期ごとに自分の生い立ちを認識させられるなんて酷な話だ。人権教育より俺なら新たなイジメと取るがね。近畿脱出して良かったよ。出自を「食い物」にされて生きていくなんてな。郵便局にはそこそこ世話になっているが嫌いなってきたよ。

というよか人権啓蒙の冊子に絡む予算は適正なのか?そっちの方が気になるよ俺は。一部横流しされてプールされて消えているなんてことないよな。

>>差別郵便
しかし、明らかな差別郵便というのをどういうものか俺は知らないが、通信の自由とかに抵触しないのか?これは。
ずいぶん前ROMしていた時に、郵便法で配達はすべてやらねばならないとか書いていたな。それとも郵便法はご都合主義で運用されるものなのか?
それなら明らかに犯罪臭のする郵便は局止めすることは可能だろう。でもしていないよな。

投稿: K | 2006年12月25日 (月) 12時35分

 kogomiさん、教は大分体調も良くなりましたので返事がすんなりかけました。このまますっきり良くなってくれると良いんですけどね。
 そうそう、模式時とは全く関係ないことで質問などありましたらプロフィール欄を開いて下さい。そこにメールアドレスを載せていますので。

投稿: アッテンボロー | 2006年12月24日 (日) 23時48分

了解しました。
早速のお返事、ありがとうございました^^

投稿: kogomi | 2006年12月24日 (日) 23時14分

 kogomiさんの質問の第一点目については、私の書き方が分かりづらかったのでしょうね。先ず私が全国連のある支部の結成集会に個人として出席して連帯の挨拶をしたときに、「氏名札処分との闘いを部落解放闘争との連帯として闘う」と発言してしまったのです。部落出身の郵便局員が名札を嫌がると言うことがあったのですが、それを自分たちの闘いとして主体的に話すなら良いのだけれど「連帯」の一つのあり方として語ってしまった。それに対して全国連の人が怒ったわけです。それが全国連の中の中核派同盟員を通じて僕の指導部に伝わって、自己批判をしたと言うことです。
 二点目の質問については解同がそんなことをしたというのは聞いたことがありません。カクマルが東京杉並区議だった長谷川英憲さんの支持者宅に家畜やネコの死骸を投げ込んだというのは聞いたことがありますが。誰であったか名前を忘れましたが、部落差別をした大学教授が糾弾を受けたときのことを述介して、耳元で拡声器を使って大声で批判されたので難聴になった。差別者の人権はどうなんだ、と言う主旨の記事を載せていたことはありますね。差別したことについての反省は一切なかったので、差別を開き直った物だと思います。ある意味差別糾弾闘争がそれだけ差別者から恐れられ嫌われていたと言うことはあるでしょう。Kさんが述べているようなことは聞いたことがないですね。今息子が通っている保育所も部落の隣接地域にあって部落の子供が沢山来ていますが、いじめっ子などではないですしね。少なくとも活動家の子供がいじめっ子になると言うのは間違いですね。
 三点目については、問い合わせをした相手は大阪仰山党のTAMO2さんです。以前はよく書き込みをしてくれていた方で、仲良くお付き合いして貰っているのですが、その人に紹介されて僕のブログに来たにしては招かれざる猫@畜群同盟さんの最初の書き込みがあまりにもけんか腰だったので、この人本当に知り合いですかって問い合わせました。気長に付き合ってくださいとのことだったのでそのまま対話するようにしましたが、最初は荒らしが騙っているのかと思いました。
 最後の点ですが、ブログの記事の本筋に関係ない書き込みであっても受け入れるようにしていますので気にしないで下さい。記事に触発されて気がついた事というのもあるでしょうから。で、ご意見の付いて言えば部落差別と闘える主体をどの様にして自分の中に築くのかが大事だと思います。特に差別の問題というのは差別されている人に問題があるのではなく差別する側にこそあるからです。
 GOさんの言われるように郵便物の差出人を見ればその人の交友関係や経済状態もある程度分かりますし、貯金保険の労働者の場合もっと込み入った内容も知り得る立場ですから。それだけに高い人権意識・反差別の意識は求められていますね。

投稿: アッテンボロー | 2006年12月24日 (日) 22時55分

…連続で、ごめんなさい。また、殆ど今回の管理人さんの記事と関連の無い話ばかりを持ち出し、申し訳ないとも思っています。

最後にひとつだけ。管理人さんの記事(特に97年の記述)からは、
こうしたいろいろな職場での不断の努力で、過去には当たり前だった大きな差別事象を小さな芽のうちに防いでいるという一面もあるのかなぁと思いました。

「お客さん」でなく自分の問題として捉えていくことの大事さは、判ってはいるつもりでもなかなか難しいですよね…
「開き直り」でもなくましてや「ガマン」でもなく前向きに乗り越えて生きたいですね。

投稿: kogomi | 2006年12月24日 (日) 21時33分

「ゆうメイト」の仕事をしている方から聞いたのですが、郵便局というのは「人権」に関する社員教育が徹底されているそうですね。
 なにしろ郵便物から人のプライバシーが把握されてしまうわけですし…

投稿: GO | 2006年12月24日 (日) 21時23分

その3

管理人さんの2006/12/12 21:03:22の発言 
>招かれざる猫@畜群同盟さんに対しては、(中略)意見が違うとはいえ無碍にも出来ず、どの様に対応するか問い合わせの最中なのでしばし待っていただきたい。

誰に、何を、問い合わせたのかについては明らかにする必要があると思いますよ。

投稿: kogomi | 2006年12月24日 (日) 20時05分

ここからは前の記事に対する質問になります。それこそ急ぎませんので…

その2

本来ならこれはKさんに対して行なうべき質問なのかも知れませんが、敢えて管理人さんに。

Kさんの2006/12/22 12:13:04のコメントで
>>>「力」
>ある程度は必要だがな。
>差別主義者と目した人間の家に猫や犬の死体、汚物を日常のように投げ込む。
>その子供の通学路にビラを大量に貼ったり(その子供の身長も織り込みずみ)。
>教員と結託してその子供を自殺に追い込んだりするのも効果的だ。
>職場への嫌がらせ、近隣近所へのいやがらせ、親戚、関係者への同等の嫌がらせ。
>深夜の自宅への騒音とか(集団で押しかける)。
>は必要な時はあるさ。
>だが、これが常に行う基本戦術ならただのロクでもないヤクザ集団だよ。

これは本当に巷であった事なのでしょうか?

正直、shiroさんの2006/12/21 0:47:02のコメントを見てしまうと、Kさんの発言を何処まで信用してよいのか判らなくなっています。…Kさんが「騙り」で、「効果的に『同和はこわい』を吹聴している」のなら、最初に“金額”を間違ったことも頷けてしまったりするものですから…

しかし一方で、これが事実であるのなら、招かれざる猫@畜群同盟さんが私にあそこまで執拗に横レスした気持ちもわかる気がするのです。あの時はネチケットすら守れない何と失礼なヒトだろうと思いましたが、それも仕方ないのかな、と。

投稿: kogomi | 2006年12月24日 (日) 19時54分

管理人さん、本調子では無い様子ですのに、お疲れ様です。
どうか無理せず、お大事になさってください。

下記に疑問に思ったことを3点ほど書きますが、私宛の返事は遅くなっても後回しになっても一向に構いません。ただ、どんなに遅くなっても構いませんのでお返事は欲しいです。

その1

>全国連に結集する人から批判を受けた。
話が見えにくいんですが、管理人さんと中核派が批判を受けた、の意でしょうか? 
それとも、管理人さんと管理人さんの所属する職場の解放研が、中核派と全国連から批判を受けた、の意でしょうか?
批判の内容が何だったのかで、この話は大分変わってくると思います。
また、その後の顛末も併せて教えていただけると嬉しいです。

投稿: kogomi | 2006年12月24日 (日) 19時32分

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