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2007年1月 3日 (水)

日本の歴史をよみなおす

 まことさんのお薦めで網野善彦「日本の歴史をよみなおす」を取り寄せて読んでみた。中世日本のあり方に対する見方がかなり間違って語り継がれてきたことを、一つひとつ資料を駆使して解き明かしている。江戸時代以前の俗説について今まで漠然とした形で疑問を持ってきたことの幾つかがハッキリした形で目の前に現れてきた。この間コメント欄で論議が続いている部落差別に関連している項目としては中世における賤民身分と女性の社会的立場、鎌倉仏教の「革命性」などであろうか。これらの記述は中核派などが部落差別の政治起源説を採っていることの補強となるのではないかと思う。単に私が不勉強であっただけで、中核派石尾芳久氏の「一向一揆と部落 被差別部落の起源」(三一書房新書)を高く評価し、「共産主義者」であったと思うが継承する立場の論文を掲載している下地には網野史学があったのかも知れない。

 解同本部派の機関紙「解放新聞」に掲載されていた宗教起源説の記事の中で「清目」(きよめ)という職に就いていた人々が賤民視されるようになった経緯があったことを思い出したのだが、元々これらの人々は死の汚れを取り除く為に「聖別」され畏怖の念を持たれていたという。一種のシャーマニズムに関連し、天皇と直結する職能集団であったらしい。「日本の歴史をよみなおす」の中ではこれ以外にも様々な職能民が「神人」(じにん)「供御人」(くごにん)「寄人」(よりうど)としてそれぞれ神社・天皇・寺院に直属する民として律令国家の支配から除外される特権を持ち、商工業などに従事していたという。これらの人々は古代においてはそれぞれが特殊能力を神仏と結びつけられ「聖別」されていたというのだが、社会の発展によって自然への恐れが薄れ中世になると賤民扱いを受けるようになったという。面白いのが農民のことを中世には「農人」と呼んで賤視していたのだという。百姓というと今日私たちの多くが農民と同一視しているのだが、江戸時代まで本来の意味では官職に就かない普通の人という意味であって農民は百姓の一部でしかないという。

 中世の鎌倉時代から室町時代に勢力を伸ばした時宗・禅宗・律宗・一向宗などはこれら賤民の救済を掲げていたという。賤民の多くは都市生活者であり、中世には相当の規模で都市が発達していたようで、此所を基盤として鎌倉仏教が勢力を伸ばしていくことになる。律令国家は儒教の影響を受けて農本主義であったため、重商主義とも言える新興勢力との軋轢が多く生じる。関東の鎌倉幕府や京都の後醍醐天皇、室町幕府などは、時にこれら商工業者の力を取り込む政策を繰り広げるが、戦国時代の織田・豊臣・徳川政権は真っ向から対決する姿勢を取ることで統一国家再建・封建国家再建の道を選ぶ。その為一向宗などとは皆殺しを含めた弾圧を行う。戦国時代に伝来したキリスト教も又都市住民の間で広まったために後々弾圧の対象となったようである。一向宗に関しては勅使講和を拒絶した部分が相当激しく弾圧され、前掲書の「一向一揆と部落 被差別部落の起源」では、今日の関西を始めとする西日本の部落の相当数がこれらの人々の末裔である可能性を説いている。東日本においては文化の違いから天皇・神社・南都仏教や平安仏教との結び付きが弱かったために部落が少ないようだ。

 詳細に論じるには私では力不足であるので、一先ず「日本の歴史をよみなおす」を読んで思いついたことのみ記述した。

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「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

 久々さん、差別語に対する言葉狩りはどうも性に合いませんね。問題なのは一つひとつの言葉の背景にある意識であって、同じ言葉を使っても差別意識が働いている場合とそうでない場合があると思います。
 キリスト教の布教の場合、日本に来たのはイエズス会が中心ですが、宗教革命の影響はあったと思います。ルターやカルバンが商工業者が営利目的で活動することに思想的背景というか支えた部分というのがあったはずです。ですので日本でも都市を中心に広がったのだと思います。
 キリスト教による布教のあとに植民地化の動きがあるのは事実ですが、もう少し後の年代のことだと思います。東インド会社が1600年だったから17~18世紀ですね。
 招かれざる猫@畜群同盟さん、事実に基礎を置くことは重要ですね。それだけに網野さんの本は説得力を感じます。
 まことさん、色々教えていただきどうもしりがとうございます。
 

投稿: アッテンボロー | 2007年1月 7日 (日) 18時25分

網野善彦氏は「元マルクス主義歴史研究者」ですが、網野氏も参加した「国民的歴史学運動」という戦後マルクス主義の歴史研究運動の挫折を契機に、独自の歴史学を確立すべく研究を進めたようです。同運動の経緯は小熊英二さんの「〈民主〉と〈愛国〉」(新曜社)という本に載っています。 

網野氏は右翼では勿論ありませんが、戦後マルクス主義歴史学にも批判的な人だと思います。

投稿: まこと | 2007年1月 7日 (日) 06時55分

参考:http://www.horagai.com/www/txt/amino.htm

網野さんの史学がマルクス主義的かどうか、学問的な弁別は分かりません。ただ、そういう評があるということです。それ以上を判断するだけの知識はないです。

彼は非常に実証的だと思います。文献資料を丁寧にあげているものは大変信頼できます。

私もかじっている程度ですけど。

>網野さんはこの本を読んだ限り柔軟な思考から事実を
>事実として受け止め、それを分析する明晰な頭脳を持
>つ方だったようですね。

全く正しい評価だと思います。私は同意します。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2007年1月 7日 (日) 01時32分

ちょっと部落系のネタを手に入れたので、関連ありそうなこっちで

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/893118.html
まぁ、差別ってのは悪いことですけど、こういうのをやるから、人権団体とかがすごく変な目で見られるのでしょうね。
どう見てもアホだろ……

でも、こうしてみると、やってることは同じだった気がしますけど、中世のキリスト教なんぞよりははるかに宗教に関してはマシだったんだなぁと思えてしまう。
(と、いうよりも切支丹どもがやりすぎというべきなんだろうけど)
日本はまだ織田信長のように、今で言う過激派のような人物が弾圧することがあったけど、あっちは片っ端から……


>戦国時代に伝来したキリスト教も又都市住民の間で広まったために後々弾圧の対象となったようである。

これは、欧州国家がまずその土地にキリスト教を布教したのち、片っ端から植民地としていたから、じゃありませんでしたっけ?

投稿: 久々 | 2007年1月 7日 (日) 00時55分

 網野さんはマルクス主義者だったんですか。自分の勉強不足が恥ずかしいです。著作も今回初めて読んだ物ですから、もっと早く、若いうちから知っていれば良かったと思います。
 網野さんはこの本を読んだ限り柔軟な思考から事実を事実として受け止め、それを分析する明晰な頭脳を持つ方だったようですね。何冊かの本を取り寄せて学んでみることにしました。

投稿: アッテンボロー | 2007年1月 6日 (土) 22時35分

アッテンボローさん

あのような人がなくなったのは大変残念です。
網野さんがマルクス主義者だから、という理由で叩かれる向きもありますが、私は主義なんかどうでもいいんです。自分の目と頭で判断するだけのことですから。

私は基本的にネットで左翼を叩きますが、右翼は出会ったら相手するだけです。積極的には近づきません。

ネットウヨから学ぶことはありませんからね。
(ただし、仰山党は除く)

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2007年1月 6日 (土) 22時28分

 招かれざる猫@畜群同盟さん、たまにはみんなの評価が一致することもあっても良いと思いますよ。
 まことさん、良い本を紹介していただきました。どうも有り難うございます。
 dkさん、私の書き方が悪かったのかも知れませんが、「共産主義者」には石井説を評価しつつも、批判的に検証すべき点などはそれとして書かれていたと記憶しています。網野さんの研究成果などを勉強せずに読んでいたため、本当に「共産主義者」の論文の内容を理解できていたのかどうかとなると正直自信がありません。
 薩摩長州さん、捕捉どうも有り難うございます。

投稿: アッテンボロー | 2007年1月 6日 (土) 14時24分

maoさんはじめまして薩摩長州です。
アッテンボローさまのコメントへの蛇足OR補足的意味合いで。
中核派はマルクス経済学宇野派の段階論というのを継承しています。宇野段階論は雑な記述で失礼ながら、先進資本主義国家の金融資本と先進技術を導入することにより段階を飛び越えて資本主義社会を構築し発展させることができるというものです。

引き続き雑な記述で失礼ながら、世界史的に国際資本主義が帝国主義段階へ移行を始めるのは1900年初頭であるといわれております。国内的には、天皇が機構として確立するのは1890から1900年代にかけてでその契機は、欧米から流入したブルジョア民主主義思想を武器に、在野士族、豪農、中農、非特権的中小産業資本家層がたちあがった自由民権運動を薩長有司専制政権が弾圧する代償として、国会を開設にふみきったことで、1889年の大日本帝国憲法発布により、階級的には特権的ブルジョアジーと半封建的な寄生地主とのあいだの均衡のうえに絶対主義天皇制として確立します。時おなじくしてはじまる産業革命、それにともなうプロレタリアート階級の創生に、恐怖したブルジョア階級は寄生地主と結託することによって「もてる者をもたざる者から守るべく」1890年代後半から天皇制ボナパルティズムへと変容してゆきます。

つまり、自由主義段階で「自由・平等・博愛」のスローガンのもと封建的な諸関係を「一掃」し市民社会を形成しながら資本主義経済が発展する道筋をとらず、語弊を恐れず言えば国際情勢に歩みを合わせるように、いきなり強権的な帝国主義段階としてはじまり自由民権運動をも踏み台にして発展してきたということです。


dkさまはじめまして、薩摩長州ですよろしくお願いします。
>部落・農村に於ける金銭的な没落の原因を「松方デフレ」に求める見方が強くなっている

そうですね、私もそう思うのですが、原因は日本での資本の本源的蓄積過程のはじまりとなった殖産興業政策と地租改正およびそれにさきだつ村請け制度の廃止と田畑永代売買禁止令の解除にあると思っております。「松方デフレ」はそれら政策の強力な推進力となったものと考えております。


私も現役のときは狭山闘争には幾度も決起してまいりましたが、認識とそれにともなう意識と主体は決して十分なものではないといまでも反省しております。アッテンボローさまや皆様に学ばせていただくつもりで拝読させていただいております。
おじゃましました。

投稿: 薩摩長州 | 2007年1月 6日 (土) 00時41分

政治起源説は、今解放同盟本部派でも取っていないような・・・研究の成果から中核派も学ばないと・・・。

江戸時代末期に於ける部落差別強化の歴史は、
『貧農史観を見直す』
http://www.amazon.co.jp/%E8%B2%A7%E8%BE%B2%E5%8F%B2%E8%A6%B3%E3%82%92%E8%A6%8B%E7%9B%B4%E3%81%99%E2%80%95%E6%96%B0%E6%9B%B8%E3%83%BB%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%883%E3%80%89-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%B8%B8%E9%9B%84/dp/4061492594
に載っています。
貨幣経済の浸透により、それまで賤業とされてきた部落民が主として従事する産業が、逆に金儲けにつながる産業と変化し、米のみに依存していた本百姓の反感をかったという分析です。

現在は、部落・農村に於ける金銭的な没落の原因を「松方デフレ」に求める見方が強くなっていることも付け加えておきます。

投稿: dk | 2007年1月 5日 (金) 15時52分

網野氏の所説は「日本」という枠組み自体を歴史学の観点から相対化している面も、興味深いですね。

ちなみに、「新しい歴史教科書をつくる会」の会長だった西尾幹二氏の「国民の歴史」(扶桑社)というやたら分厚い本には色々な歴史学者の論が引用されているものの、「日本」中世史研究の第一人者と言うべき網野氏の議論はなぜか紹介されていません。網野氏を引用すると、「つくる会」の歴史観の一面性が浮き彫りになるから、引用"できない"のでしょうね。

投稿: まこと | 2007年1月 5日 (金) 09時30分

網野さんを叩くレスがないから、仲良しになってしまいそうですが。

「百姓」とはそもそも、多種多様な職業に従事していた人々を表していた。それが農民だけを意味するようになってしまって、過去の読み違えがあった。網野さんの説明はそうだったと思いますが、割合で言えば農民が一番多かったのは事実だと思います。ただ、それ以外をあまりにも捨象しすぎた歴史が多いということでしょう。

また、士農工商の身分の外に置かれた人も多様であった。ある意味、天皇もそういう構造の外に置かれた結果、周縁に生きる人と組んで権力を振るおうとしたこともあった。個人的にはこのあたりが興味深い。

なお、「日本」や「日の丸」は完全に大陸=中国の視線の内面化=自明化なんですね。
日出る国って、どこで見てるかを考えないウヨはこういうラベル象徴にとことんこだわる。

投稿: 招かれざる猫@畜群同盟 | 2007年1月 5日 (金) 00時49分

 Kさん、文末にも断っているようにこの記事はあくまで読書感想文です。ですので分類としても「書籍・雑誌」にしています。「政治・経済・国際」にしていない点をご了承下さい。そちらに関連づけするためには石井産の本も再読する必用があるでしょうし、屋根裏をひっくり返して「共産主義者」を探し出して読み直す必用があると思います。
 非国民さんも読んでおられたのですね。勉強不足だったことが恥ずかしいのですが本当に面白かったです。
 maoさん、石尾さんの説が近畿の極一部にしか適用できないことは以前から指摘されていますので、それを発展させることが出来るかどうか、実証的検証を引き継ぐ研究がなされているかどうかと言うのは重要な問題だと思います。中核派や全国連の理論でいくと、日本が開国したときには欧米列強は帝国主義段階に差し掛かっており、自由主義段階を経なかった為に封建社会が完全に解体されずに残されたばかりか、人民支配の手段として部落差別が強化されたという物ですね。
 GOさん、本当に仰るとおり右翼のデタラメが良く分かります。日本の歴史が右翼の言うように「連綿と続く日本史」なんて全く嘘っぱちですね。ご紹介の本も読んでみたいと思います。

投稿: アッテンボロー | 2007年1月 4日 (木) 22時49分

実家に帰りPC操作ができなかったため、今年初めての書き込みになります。(ケータイから投稿という「高度」なワザは使用していません)
「網野史観」は日本歴史の「多様性」をわかりやすく示したものだと思います。古代律令国家は、中華帝国(具体的には唐)を意識してかなり強引に作られたものだということが分かり、非常に有意義です。(ある意味、右派の持っている「連綿と続く日本歴史」なるフィクションをぶっ壊すものです)
非国民さんの指摘
>この国が(人口の大部分が農業に従事しているという意味での)農業国家だったことなど、かつて一度も無い。この指摘は新鮮でした。
は、「続、日本の歴史をよみなおす」のメインテーマですね。あと、岩波新書の「日本社会の歴史」(上)(中)(下)もお勧めです。

投稿: GO | 2007年1月 4日 (木) 21時40分

 筑摩書房の網野さんの本、読みやすいですね。

 石尾さんの、部落民一向一揆起源説は、運動を作る上では、いいかもしれないが(=権力と最も闘ったものが差別されてきた)歴史的事実としては、関西の一部ではあてはまるかもしれないが、一般論ではない。

私が気になっているのは、@<部落差別は、江戸初期には強くなかったが、江戸末期(封建的身分差別が崩れてきたころ)、および明治維新後に差別が再編強化されたきた。>
これが、事実であるのか、実証的に検証がすすんでいるのかということです。
テーゼ@が事実であれば、部落差別は資本主義社会の中で
支配者が差別を利用し民衆を分断支配したことになる。
ならば、部落差別は民主主義をおしすすめれば解決するということにはならない。
<部落差別は民主主義をおしすすめれば解決する>という考えは、以前の共産党=全解連、および、ケガレという考えの好きな現在の解放同盟でしょうか。

いずれにせよ、部落差別の解決は、起源と大きく関係してくると思います。

投稿: mao | 2007年1月 4日 (木) 21時18分

これは私も読みました。面白い本ですよね。
この国が(人口の大部分が農業に従事しているという意味での)農業国家だったことなど、かつて一度も無い。この指摘は新鮮でした。

投稿: 非国民 | 2007年1月 4日 (木) 20時05分

それで?

昔の特権階級に繋がる「聖別」された集団が、時代の流れで被差別される集団になりました。

だから?としか言えないな。
まさかと思うが、これで天皇制や権力が悪いから天皇制打倒、権力打倒だとかに持っていったら大失望だぜ(十分失望してはいるが)。

次の記事がどうするかだな。これだけじゃな。権力に弾劾された経験をもつ集団だから共闘しようなんて〆じゃないことを切に祈る。

投稿: K | 2007年1月 4日 (木) 18時58分

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