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2007年2月11日 (日)

歩き疲れた

 昨日友人と会ったのだが、その時の話の弾みで何故か半日歩き回ることになってしまった。自宅を出たのが12時半頃で、途中雨が降り出したときに30分から40分程度自宅に戻って雨が止むのを待ち、再び歩き始めて、結局帰宅したのが17時頃であった。1時間に10分程度の割合で休憩を入れたのだが、帰宅寸前の頃には足が上がらなくなっていた。息子が自転車で伴走してくれたのだが、それに励まされつつ何とか歩ききった。運動不足で体が鈍っているのと、年をとったのとを実感してしまった。

 昔、現役活動家の時代には本当によく歩いたことを思い出す。集会の後のデモ行進は当然のことなのだが、日常的にキリ戦争という物をしていたので兎に角よく歩いた。公安警察やファシストカクマルに尾行されていないかどうかを確認し、目的地を予測されないために電車に乗るときは最寄り駅を使わないで一駅か二駅手前で下りるか、あるいは乗り過ごして引き返す。場合によっては沿線その物を別の線を利用して歩く。当然のことであるが目的地まで直行などしないで、迂回して迂回して歩く。1時間や2時間掛けて目的地に着くことは度々であった。まっすぐ行けばたった二三十分で住む距離をである。

 そして活動の際にもまたよく歩いた。一番大変だったのは選挙闘争である。東大阪・泉佐野の市議選、杉並での区議選・都議選等々、朝集合場所に赴いてから担当地域の住宅地図を渡され、その範囲にくまなくビラを撒くのだが、これがまた大変だった。土地勘も何もないところをいきなり任されるのだから、効率的な周り方など出来ない。杉並のような都会の場合には住宅が密集しているからまだ良いのであるが、泉佐野は漁村地帯や農村地帯を抱えている。家がまばらな地域もあるわけだ。まばらでなくとも田舎であるから一軒一軒の敷地が大きい。一千枚のビラを撒くのに9時から18時くらいまでかかった。特に大変だったのは日根野という、今の阪和道から関空道への分岐点あたりだろうか。昔は本当に田舎で何もなかったから、食事をする場所すらなかった。パン屋で菓子パンを買ったら、数日前に賞味期限が切れていることもあって吐いた記憶がある。また、東大阪は平地部もあるのだが、生駒山の麓の石切方面などに当たると、登り降りが急で、本当に疲れた。

 以前にも書いたことがあるのだが、十日間で100キロ以上デモをしたこともある。88年のことなのだが、沖縄平和行進に参加して、五日間毎日十数キロを山あり谷ありの南部戦跡コースを歩き通した直後、三里塚闘争で成田市三里塚から芝山町にかけてやはり十数キロデモ行進をした。労働歌や反戦歌を歌って士気を鼓舞しながら歩いたのであるが、20代の時で体力もあったのでそれら一連のデモが終わっても普通に出勤できた。たった半日歩っただけだが、きっと明日は筋肉痛で一日中寝ていると思う。

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コメント

キリ戦争、出社戦争、散戦争などなど、どれをとってもひたすら歩きました。私は首都圏での活動だったので、アッテンボロー様とおなじく交通手段が豊富なのでさまざまなテクニックを使って切ってましたが、地方の活動家は苦慮していたようです。それでも、幾度かLにつかまれて、党からの借財によって引っ越しを余儀なくされました。一日の大半を歩いていたような気がするくらい確かに歩いていましたね。「革命は権力との命を賭けた鬼ごっこである」とは某有名な指導部の名言であります。
おわります。

投稿: 薩摩長州 | 2007年2月12日 (月) 20時30分

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