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2007年2月 6日 (火)

差別糾弾闘争の結果による自殺者について

 部落差別糾弾闘争の過程で、差別者が自らの行為を恥じて自殺した事例があるということを、Kさん・TAMO2さんによって教えられた。私が革命運動およびその重要な闘争課題としての部落解放闘争に関わってきた範囲では初耳であった。それは革共同およびその下部団体・部落解放同盟全国連合会・全逓・解同本部派の運動の範囲でのことである。勿論私が参加していない会議や集会・未読の機関紙誌紙上において討議や記事・解説・論文が無かったと言うことではない。単純に私が知らないだけであるかも知れない。そこで時間をかけて我が家にある「前進」「共産主義者」「部落解放新聞」「部落解放」「解放新聞」「全逓新聞」などを引っ張り出して読んでみたが、残念ながらこの問題について触れている物はなかった。

 そこでこれから書く内容はあくまでも私が自分の学習してきた理論および経験の中から、自らの考えで出した結論であることをお断りしておく。私と同じ考え方をしている団体が存在するか否かは分からない。

 はっきりと結論から言ってしまおう。差別者が糾弾闘争の過程において自殺に至ることがあったとしても、それは自業自得である。全ては最初に差別発言・差別行為を行った当該の自己責任である。

 私が世間一般に言う元中核派であることは言うに及ばないが、革命運動の歴史上革命派対反革命との闘いの間では、双方の間に死者が多数発生している。現代のナチス反革命ファシストカクマルの死者は、革命運動に敵対した結果としての恥多き死である。殺されて当然の行為をしてきたのである。私はいまだにカクマルは皆殺しにして良いと思っている。同時に国鉄分割民営化の過程で200人もの国鉄労働者を自殺に追い込んだ中曽根康弘は人民裁判で公開処刑がふさわしいと思うし、任期中に毎年3万以上の自殺者を出し続け、郵政の職場においても多数の自殺者を出した小泉純一郎も処刑すべきであると思っている。例えば今年も年明け早々にJPU京都地区西北支部支部長が自殺している。この自殺の一切の責任は小泉と郵政当局にある。大規模なリストラの行われる中で労働条件を守る苦闘の中で悩み苦しんだ結果として自殺した支部長の仇は必ず取るというのが私の立場だ。

 70年前後の国鉄反マル生闘争・70年代後半の郵政マル生攻撃と78~79年反マル生越年闘争の過程では、労働者および管理職の間で多数の自殺者が出ている。組合員に対する切り崩し攻撃に対し、様々な家庭事情・経済的事情を突いて転向強要・組合脱退工作が行われた。簡単に組合を脱退して御用組合に行った人間も存在するが、中には家庭事情と仲間との絆の間で悩み苦しみ、結果として仲間を裏切ることは出来ないと自殺した労働者も多数あった。労働者側の反撃の過程で当局と職場労働者との板挟みの中で、降格願いを出せずに自死した管理職も多い。これらは全て階級闘争の攻防過程における資本対労働者の闘いの過程における「戦死者」である。

 部落解放闘争を巡っても同様に、差別によって自殺に追い込まれた部落民が多数存在する。寧ろ差別者が糾弾闘争の重圧によって自殺した者など、私が見聞きしたこともない程度の極々稀な事象である。差別糾弾闘争の過程で差別者が自殺することはある意味その差別者がマシな存在であったと言うことになるのかも知れないが、圧倒的多数の差別者はのうのうと生きている。これら全てに階級的鉄槌を下すことこそ正しいことである。私は断固として差別糾弾闘争を支持する。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>>中核派魂

こんなのが魂とかいうのならただの石頭集団だ。失望どころの騒ぎじゃない。一次の栄光のために長期的展望を放棄しただけの集団だ。
末端がこれならトップはどうなっているんだ。そんな集団からすら除名されているアッテンボローさんはどういう人なんだといったところか。活動家とかいうのが、俺の前のコメントに書いたことをやっている人間なら、何も変えられんし不必要な人材だ。

夜のニュースでホームレスの撤去に対して怒鳴っている人間がいたがあんな顔つきの人間だろう。40過ぎたら顔に責任持てというが、無責任に生きてきた人間の特有の顔だった。責任負った物の出す怒り声じゃない。一ついえるのはフリータータイプの仕事しかしてこなかった人間だと思う。
ああいうのが父親とかだったら家族がかわいそうだぜ。

投稿: K | 2007年2月10日 (土) 21時05分

「地域」もまたしかりだ。「活動家」とは気楽な商売だな。確実にいろいろ還元しなきゃならないんじゃ、視野が狭くても、自分の都合の悪い情報を詳細に探さなくてもかまわない。
問題が起きたらライバル会社の冊子や資料も丹念に見るのがプロだ。そして都合のよい粗探しするために資料を見るんじゃないんだよ。

投稿: K | 2007年2月10日 (土) 12時37分

>>アッテンボローさん

>>専従と現場の職場活動家の区別くらいは付けて欲しい物です。そして本部に対する批判などは一貫して続けていますので。

俺も労組の末端だよ。しかもパートタイマーだ。専従じゃない(「専従」という俺の認識とアッテンボローさんの認識とちがうのかもしれない)。
労働運動活動家と名乗る以上、あんたは労組関係のプロだ。と思っていた。
それとも俺の理解が足りなかったが、アッテンボローさんは労組の仕事しないで無責任に騒いでいる無責任野郎だったのか?
責任負わずに騒ぐだけ、ただイチャモンつけるだけ、それが「活動」なら「処分」を勲章のごとく誇るうちのダラ幹以下だ。活動家というのは労組活動のプロでは無く、ただいちゃもんつけるプロだったというわけか。
認識の違いもここまで来るとお笑いだ。なんだそういうことか。だから全く学集会とかやらの記事でもトンチンカンなことしているんだなと思っていたが、そうかそうかそういうことか。

労組とも関係ない、「まともな労働者」でもない。じゃああんたは何者だ。となるから「活動家」なのか?

>>組合費の分だけ働け、と言う論理でしたら私が支払っている月々約7千円の分だけ私は活動すればよいのでしょうか? 実際には遙かに多く活動しています。

アッテンボローさんは自己満足でどこにもやったことを還元しなくて済むんだから、多くの活動すりゃいいのさ。趣味でやっているんだから、金は関係ないだろ。
だから、だれかが言っていたが「趣味者」か。プロとアマの違いは「確実に」何かに還元できるか否かだ。

中核派だっけ、その組織を除名された本質がわかった気がした。衰退の原因もな。どこにも何かを還元しないんだ。支持もなくすし、本体の組織も衰退する。

人の財布から金ださせるんだから、7000円分は出したことはやっているなと思われることが重要だ。金を出した時に、7000円分働けっというのは定量的じゃなく、人々に納得させる定性的な面も大きいんだ。そこを勘違いしちゃこまるな。

俺にとっちゃ最悪の還元しているな。最近窓際専従、とくに40代への対応が最悪でさ。

投稿: K | 2007年2月10日 (土) 12時29分

薩摩長州さんもアッテンボローさんも、なぜ「中核派」魂が「人民大衆」の多くから支持されないのか・・・、いや、「ワーキング・プア」なる言葉が当たり前のように世上で囁かれるこのご時世に、なぜ中核派に限らず広い意味での「左翼」「左派」勢力そのものが「人民大衆」からそっぽを向かれているのかを、真剣に考えるべきなのではないでしょうか?私自身(*まあ出自は「市民派」ですけど)も含めてですけど。

「人民大衆は怒り」(薩摩長州さん)、いや多くの「人民大衆」が既に現在の政治に「怒り」を持っていることは、例えば安倍内閣の支持率や先の愛知県・北九州などでの首長選挙にも顕れているではありませんか。

にもかかわらず、なぜ「左翼」「左派」の方に「人民大衆」が振り向こうとしないのか。「格差社会」ならぬ「貧困化社会」で喘いでいる若者層など本来は「左翼」シンパとなり現下の情勢を是正するために立ち上がっても良いものですが、彼らのうち少なからぬ数の若者が「左翼」どころか、逆に所謂「ネットウヨク」と化して差別排外主義を垂れ流している現状はよく指摘されるところです。「嫌韓流」のようなマンガ本が若者を中心に五十万部も売れている現象が、そうした「お寒い」日本の実情を顕しているのではありませんか?

こうした情勢を、単に「権力の策動」だとか「小泉・安倍のデマ宣伝」だとか<他者>に転嫁している限り(*そういう動向もあることは無論否定しませんが)、いくら「人民大衆」が貧窮しても「左」の側に向かうことは無いのではないでしょうか。

昨今の部落解放運動を巡る「不祥事」に対する批判にしても、「右傾化のせい」だとか「権力の反動的攻撃によるもの」といった理由付けで終わらせるべきではありません。

これまでの「左翼」「左派」のあり方そのものを反省的・批判的に振り返るべきではないのでしょうか。

投稿: まこと | 2007年2月10日 (土) 11時35分

アッテンボロー様、評判が悪いなどとお考えにならないほうがよろしいのでは。私はこの記事に中核派魂をウン十年ぶりに見たような気がいたしました。

原則論に終始し差別問題に深く切り込めずにいる私の方が精神活動を低下させているのだと思いました。
暴力という極限的な表現が本来すぐれて人間の本質に根ざしたものであるという本多著作選2巻「暴力の復権のために」はいま読み返してみても感動的であったりするわけであります。

長居公園行政代執行に怒り、過労死に怒り、あらゆる差別抑圧に対して怒りを感じる感性は何よりも尊いものであると思います。
それらたくさんの怒りがひとつになり、暴力として発現したとき時代の歯車を回すのではないでしょうか。
語弊を恐れず言うならば、怒りを忘れ、暴力を忌み嫌う人民大衆に自己解放の未来はあるのでしょうか?

戦後民主主義的平和意識をいまだ一掃することができぬままイラク侵略のお先棒を担いでいる日本帝国主義政治委員会は危機意識を深めています。凄まじい勢いで反動化が進むことでしょう。その過程の中で必ず人民大衆は怒り、暴力をふたたびわがものとしてとりもどしてゆくのではないでしょうか。日本階級闘争の地平は停滞を余儀なくされ「ぬるい」ところにとどまっているにすぎないと思うのです。

「悪評もまた評なり」ではありませんが、アッテンボロー様にはいつまでも最先端を突っ走っていただきたいな、と思った次第であります。おわります。

投稿: 薩摩長州 | 2007年2月10日 (土) 11時11分

薩摩長州さん
言っていることはわかるつもりなんだけれど
>その過程においては「殲滅」「処刑」と言う言葉は少々刺激が強すぎるかもしれませんが、階級闘争の内乱的発展とそれにともなう階級分化によってごく普通のスローガンになるのではないでしょうか。

確かに危機が煮詰まった時に決定的に分岐が起きることはあるし、その時に決定的に試されるんだと思う。で、今がその決定的分岐の時かな?
中核派はいつも戦争していたから毎度決定的危機になるのは承知しているけれど、毎度に疲れる基調なんだわな。同じ党派だったんだし自己の世界観を形成する時期にいたんだから、アッテンボローさんも同じ世界観を持つのはしょうがないんだろうけれど。危機アジリで理解が不十分な人や単に経験がない人を、向う側へ追いやるまでの糾弾は肯定できないな。もっとも確信犯的な差別者は尻尾は、なかなか出さないんだけれどさ。

>内乱的発展が勝ち取れるかどうかはなんともと思ったりする今日この頃なのではありますが

いつそう成るのかならないのかも含めて、主体のありようが問われているんでしょうね。
その点で解同の糾弾闘争は「部落は怖い」「触らぬ神に祟りなし」を植え付けるのに成功したんだけれど、その反動が奈良の問題を契機に噴出しているのが現実でしょ。
差別者への怒りが原初の響きなのは理解するけれど、それだけで解放は勝ち取れないでしょうね。

笑われるのも覚悟して、以前NHKで水平社の番組をやっていて(たしか「その時歴史が動いた」だったか)
有名な「人間に熱あれ、人間に光あれ」という宣言文書は「じんかん」と読むのだと解説がありました。改めて感動した思いがあります。

投稿: セクトNo7 | 2007年2月10日 (土) 10時53分

事実さん、申し訳ありませんでした。
shiroさんと事実さん同一人物と誤解してました。
本当に申し訳ありません、どうぞご容赦ください。

私のその穿った見方で、事実さんの「全国連に~」という発言になってると読んでしまっておりました。

事実さん、ごめんなさい。

投稿: 光 | 2007年2月10日 (土) 10時11分

 この記事については色々と評判が悪いですね。私の力量不足がまともに出てしまったような巻がします。ですが、「自殺」に関しては差別者も被差別者もここ暫くニュースなどは聞きませんが、悩み苦しんでいる被差別者は沢山存在しています。これらの人々のことを考えたとき、差別する物を許せない気持ちだけは理解していただきたいと思います。
 Kさんの意見で「アッテンボローさんは月々の組合費分の還元を労働者にしているのかな?していない。絶対に。」と言う書き込みがありますが、非常にトンチンカンな物だと思います。私は単なる現場の活動家です。組合費は払う物の還元などは私にはないです。組合費の分だけ働け、と言う論理でしたら私が支払っている月々約7千円の分だけ私は活動すればよいのでしょうか? 実際には遙かに多く活動しています。専従と現場の職場活動家の区別くらいは付けて欲しい物です。そして本部に対する批判などは一貫して続けていますので。
 光さん、高校生の自死を取り上げたのはsiroさんです。事実さんではありません。
 薩摩長州さんのご意見で少し気持ちが楽になりました。
 総じて私の精神活動が低下しているのかも知れません。キチンと立て直しを図ろうと思います。失望を与えてしまった方も多いので、更に勉強し自分の思想を研ぎ直します。なまくらになっている部分があるようですので。

投稿: アッテンボロー | 2007年2月10日 (土) 07時16分

光さま

「全国連に問い合わせ」というのは他意はございません。
「実事求是」といいたいわけです。
光さまの指摘された事件については初耳です。
TAMO2氏はHPで故郷が平野区といってるようでしたが?。

投稿: 実事 | 2007年2月10日 (土) 04時21分

突然お邪魔します。
事実さんが持ち出された女子高校生の自死についてですが、
事実とは大きくかけ離れていることを指摘させて頂きたい。
どこでどうお聞き及びになったのか知らないが、あまりの事実誤認に、事実を知るものとして黙過することはできません。

私は、その高校の卒業生です。
当時は、まだ中学生でしたが、志望する高校がバリケード封鎖され機動隊が導入され、高校説明会も実施されなくなる情況でしたので、非常に関心を持ちましたし、中学でも何一つ包み隠すことなく事実関係が説明されました。
当然、高校入学後にも事実関係は整理して学習する機会は。生徒会を中心にして用意されていました。
(執行部は民青でしたが、各委員会は独自にこの問題の本質について取り組んでいました。ちなみに中核派系の反戦高協メンバーは入学時点ではいませんでした)

中核派全学連活動家による差別言動によってUさんが自死したというのは、まったくの間違いです。
(71年というのも間違いです)

彼女を追い込んだのは、日共部落研の教師による「指導」の過程で繰り返し行われていた差別的「指導」です。
旧制中学時代からその高校は日共の教職員にとってその地区ではステータスといわれている学校であり、「日共の牙城」と揶揄されいるところでもありました。

日共の日本史の教師を中心に、部落出身の生徒を放課後、部活や生徒会活動から隔離し、文字通りのフラクション作りがされていました。
(私が入学後も、他の生徒にはわからないように秘密裏に行われていましたが、それは生徒間では周知のことであり、当然生徒から告発糾弾され続けていました)
そもそも、他の生徒には部落問題に向き合うこともさせず、部落出身の生徒を「隔離」して「指導」すること自体が度し難いのですが、そのフラクションで初めて自分が部落出身であると知らされたり、「意識を高めて」民青に組織されたり、およそ指導などというものではありませんでした。
彼女が絶望したのは、そのような「指導」をされればされるほど部落民としての誇りが持てなくなり、部落解放への展望が開けてこないことだったのです。
彼女が親しい友人に送った手紙や、彼女が生徒会に残していた文書などに彼女の苦悩が綴られていました。

彼女の死を目の当たりにして、他の生徒たちが究明委員会を作り、真相究明にのりだしました。
しかし、彼女の死の原因を当該の教師たちは「少女時代にありがちな失恋」としたことで、怒りに火がつきバリケード封鎖にまでなったのです
(もちろん、彼女は中核派全学連の学生と交際、あるいは淡い思慕をもっていたということはありませんでした。)
これが事実です。

そもそも中核派全学連が高校に存在するわけもなく、反戦高協も対カクマル戦突入以前の時代ですから、軍令主義的なものもなかった時代です。

彼女の名誉に関わる問題です。
彼女は本当に部落の解放を願っていました。

全国連に問い合わせをしてみては、などとどの口でいえるのか!と憤りを感じました。

投稿: 光 | 2007年2月10日 (土) 01時12分

すみません、先↑の投稿は消してください。
アッテンボロー様


なによりも先ず事実関係の究明が先と思われます。
全国連などに事例を問い合わせてみてください。

投稿: 実事 | 2007年2月 9日 (金) 23時49分

差別糾弾闘争に関しての記述はいささか原則論にすぎるか、あるいは私の主体的力量の不足か、すんなりと理解できないところもあるのですが。

そうしたうえで私は、アッテンボロー様の主張に同意するものであります。同じところにいたんだからおなじイデオロギーを共有していることは当然と言えば当然なのですが。やはり、資本主義社会の帝国主義段階にあって階級闘争は存在し、その本質は武装した敵権力に規定された階級間戦争であり、彼我において呵責無き殲滅戦をもって貫徹されるものであって、暴力革命は被抑圧者による抑圧者への復讐戦としての側面をもっていると思います。

そのような観点から「階級闘争の攻防過程における資本対労働者の闘いの過程における「戦死者」である」 「中曽根&小泉に階級的処刑を」という認識に同意するものであります。 革命の膨大なまでのエネルギーはこの怒りと憎しみのPathosにあるのではないでしょうか。
そして私達は自らが被抑圧者であると同時に、他国の人民に対して抑圧者であるわけなのですが、彼らの解放の闘いへの連帯はまずもって自らの抑圧者を打倒してゆく闘いなのだと思うものです。

さて、これらのことは原則論であるわけですが、階級闘争は現実には世界情勢と彼我の主体に規定されながら不均等に、不等速に進行発展してゆきます。時には緩慢に、時には激しくおこなわれる攻防を通じて人民大衆はどちらの陣営に組みするのか不可避に選択してゆかねばならないのだと思うものです。その過程においては「殲滅」「処刑」と言う言葉は少々刺激が強すぎるかもしれませんが、階級闘争の内乱的発展とそれにともなう階級分化によってごく普通のスローガンになるのではないでしょうか。内乱的発展が勝ち取れるかどうかはなんともと思ったりする今日この頃なのではありますが、支配階級の攻撃はますますに激しさを増してゆくことでしょう。それに対して一方的にやられっぱなしということはないとおもうのですが・・・・

投稿: 薩摩長州 | 2007年2月 9日 (金) 22時30分

まあ、「糾弾」の対象になる人間が政策的にアパルトヘイトを推進しているような政治指導者ならば、"当該を自死するような意識に追い込むまで徹底的な闘争を繰り広げなければならない"という主張も、場合によっては一理あるのかもしれませんよ。

しかし、部落解放闘争における「糾弾」の対象者は、そういう人ばかりでは無いでしょう。中には、無知ゆえ、あるいは軽挙で「差別的」な行為をしてしまった人達もいるわけで。

分かり易いように有名人で例を挙げるならば、あの筑紫哲也氏はテレビで「まるで屠殺場のようだ」と発言したことが「糾弾」となりました。

しかし、氏は確信犯的な差別主義者でしょうか?仮に「糾弾会」で自殺したくなるような心理状態になるまで氏を追い込んだとしたら、「リベラル」的な立ち位置の筑紫氏を「開き直り」の境地に追いやり、一挙に「反動」化させてしまうことだってあり得るのでは無いでしょうか?

アッテンボローさんが展開されているようなアプローチでは「敵」ばかりを産み出し、それは反差別の闘いにとって却ってマイナスだとしか思えませんが。

投稿: まこと | 2007年2月 9日 (金) 06時52分

>>実事さん

そうやって遺族の心に塩を塗りに行く行動をたきつけるのはよろしくないな。
俺はそれについては反対だ。2次被害はやめるべきだ。遺族やその糾弾闘争やらの周辺の人間にとっちゃ活動家なんて豚以下の存在だ。そんなのには会いたくなかろうし、狗よろしく嗅ぎまわられるのも嫌だろう。

投稿: K | 2007年2月 9日 (金) 01時19分

数日前にmixiで、リアルニックネームで足跡を残したのは私でした。mixiはじめたばかりで(遅っ!)、浮かれ状態で、お邪魔しましたm(_ _)mペコリ

さて、

…アッテンボローさんの待望の続編がコレですか…orz

イラク人質事件からこっち、ずっと物議をかもしている「自己責任」論、こんなところで *肯定的に* お目にかかるとは、思ってもみませんでした。

私としては極めて残念です。


まことさんの

>アッテンボローさんご自身(むろん私もですが)が
>「差別者」であり「搾取者」という側面を併せ持って
>いないか、懐疑すべきではないでしょうか?

そしてトチローさんの

>まことさんご指摘の、我々も加害者である生活を
>している視点は、別個戦線で戦うにしても忘れちゃ
>いけないですね。まったく同感です。

というご意見を強く支持します。


shiroさん、

>自らの意思を持って人を傷つける行為に、
>喜びを感じる人間などいない。
>いやいるかもしれないが、
>そのような人間に
>人民の解放や革命を語る資格がない。
(中略)
>人を傷つけ、時として死に至らしめること
(中略)
>についての責任を負うことを前提にすべきだろう。
>その覚悟もないのに、人の命をもてあそぶような
>発言をすべきでない

との御指摘、重みを以って受け止めたいと思います。

それにしても、

>差別者を死に追い込むほどの糾弾を行ってよいか
>ということであろうが、
>少なくとも中核派は、この点について明確な議論を
>している。71年段階ですでに、
>「差別者を殺してもかまわない」との提起が
>全国部落研内の会議でなされており、
(中略)
>たぶん継承されているのだろう。

という御指摘は、本当に間違いないのでしょうか?
勉強不足で申し訳ありません。
本当だったら、かなりショックです。

投稿: kogomi | 2007年2月 8日 (木) 22時58分

事実関係の追求からお願いします。

投稿: 実事 | 2007年2月 8日 (木) 16時38分

久しぶりに覗いたら、またトンデモな議論が交わされているので参戦させていただく。
「殲滅しよう」だの「死ね」だの、まあよくもまあ、景気のいい言葉が飛び交っているものだと感心する。人を直接殺すことであっても、それをそそのかすことであっても、あるいは自死を求めることであっても、そこに人の生の重みを理解している上での発言であるのかを問いたい。
本題に戻れば、差別者を死に追い込むほどの糾弾を行ってよいかということであろうが、少なくとも中核派は、この点について明確な議論をしている。71年段階ですでに、「差別者を殺してもかまわない」との提起が全国部落研内の会議でなされており、それを提起した水島が脱落した後も、その考え方は変わっていない。(すでに離脱しているらしい、F県のT氏が現役時代にそれを公言して問題になったこともあるから、たぶん継承されているのだろう。)
このように問題を立てるのなら、私は無条件に反対するわけではない。部落差別は、時として部落民の生命を奪うことがあり、それを回避するための糾弾闘争においては、相手の死を含む結果の闘争もありうると考えるからだ。
しかし、これは「差別者を殺せ」という主張とは、まったく異なる。部落差別であれ、それ以外の差別であれ、それがもたらすだろう結果の重みによって、その対応は区別されるべきだ。一般に「差別言動」と表現するが、「言」と「動」とはその意味が異なるし、動=差別行為であっても、それを許さず糾弾によって抑止しなければならない場合もあれば、そうでない場合もある。差別発言によっては、それを笑って済ませる場合すらあるだろう。
アッテンボローさんは「部落解放闘争を巡っても同様に、差別によって自殺に追い込まれた部落民が多数存在する。」というが、それはいつの時代のことだろうか?現在も部落差別は存在するが、差別によって自殺に追いやられた部落民など、私はここ20年ほど聞いたことがない。
全国部落研でそのような議論がなされた時代は、そうではなかった。わずかその一年前に、広島では女子高校生が中核派全学連活動家による差別言動によって、自死に追いやられている。(その事実関係は微妙に伏せられているものの、全学連発行の「部落解放のために」という冊子の発行は、まさしくその事件が契機となっている。
そのような時代背景になされた議論を、現代においてそのまま適用されるはずもない。
部落差別が大きく変化したものの、部落民を死に追いやる差別事象の発生の可能性が皆無になったわけでもないし、障害者差別など、現代においても人を死に追いやる(あるいは直接殺害する)差別事象の可能性が存在することはこうした議論の余地は存在するだろう。
しかし、それにしてもアッテンボローさんの主張などには、とても違和感を感じる。
中核派は長年にわたってカクマルとの内戦を行ってきた。(これは、私にとってはまったく無意味で、あるいは階級闘争にとって迷惑千万であるものと理解しているわけだが、その議論をここでするつもりはない。)
カクマルを殲滅してきた、中核派革命軍の戦士たちにとって、その戦闘はどのようなものだったのだろうか、想像してみよう。鉄パイプや工業用ハンマーを相手の体に叩き込んで、「気持ちがスカッとした」というものではあるまい。たとえ相手が、憎むべき反革命であり、数々の同士を虐殺し続けてきた白軍兵士であったとしても、生身の人間を傷つけることに喜びなど感じたはずがないではないか。
自らの意思を持って人を傷つける行為に、喜びを感じる人間などいない。いやいるかもしれないが、そのような人間に人民の解放や革命を語る資格がない。相手の体を傷つけることによって自らの心に重い傷を負う。これが本当の姿だろう。
差別糾弾闘争であれ、階級闘争全般であれ、人を傷つけ、時として死に至らしめることを一般論としては否定はしない。しかしその場合、それが本当に必要であるかを、具体的に検証すべきだろうし、同時にその行為についての責任を負うことを前提にすべきだろう。
その覚悟もないのに、人の命をもてあそぶような発言をすべきでないと考える。
なお、TAMO2さんの書き込みに関しては、事実関係を明白にしていただきたい。「糾弾されて死ぬのはあなたかも知れないのですよ? それが、解放同盟クオリティーというものです。」とそこまでいうからには、自らそれを明らかにする責任が生じるだろう。あるいは、なぜそれを明らかにできないかという具体的理由の説明ぐらいは早急になされるべきだと思う。

投稿: siro | 2007年2月 8日 (木) 12時50分

街頭?結構だね。大声だして時には暴れてストレス発散できるだろう。だが労働者はそうはいかん。

アッテンボローさんは月々の組合費分の還元を労働者にしているのかな?していない。絶対に。

しているといったら「お前は嘘つきだ」と言ってやる。「証拠は」と言ったら、できたら今やっている時間外労組仕事のチェックリストの束を渡してやりたい(社外秘でできないけど)。実際に最大見積もって一人頭300円満たない。常に赤字だ。最大見積もって1割の還元率だ。投資運用会社だったらとっくに破産している。

アッテンボローさんの「戦い」とやらが労働者からみたら「ただの遊び」というのを、ここ最近の時間外でよーーーくわかっている。労働者学会とかあったらそこで論文つきで発表したいぜ。ポスターセッションでもいい。

労働者は月々の組合費分労組が働いていると思っていれば文句は言わない。4000円から5000円分月々働いていると思われれば文句はないんだ。わかるか?それすらできていないんだ。わかるか?
アッテンボローさんは分析力解析力が確実に欠如しているから、実地調査のダンボール箱数箱分の資料みせても「意味不明」かもしれないがね。実際にTOMO2さんの場所に行っても何も見つけられないと思う。先入観強すぎるから。

労働を知らない活動家の戦いと労働者の戦いとやらは全く乖離している。
「地域」出身者でない活動家の戦いと実際の「地域」出身者の戦いは全く乖離している。

あとな俺は標準的なメーカに勤めている。スタンダードな労働者だ。一般の民間メーカを体現している自信はある。スタンダードからこれだけ言われるんだ、それ以上な連中だったらもっと言うぜ。俺は甘いんだよ。

投稿: K | 2007年2月 8日 (木) 12時18分

こういう活動家諸氏が、一般人を同列に巻き込むために極論言うっていうのはよくあることだ。こういう挑発に乗る人間は多い。ふざけた手だ。問題は本気で言っていることだ。

まっとうな「地域の人間」や「労働者」は日々戦っているんだよ。活動家はそれには参加していないからな。「地域の人間の戦い」「労働者の戦い」と「活動家の戦い」は全く別のものだ。
労働運動で処分が勲章とか行っている時点で「労働者」じゃないんだよ。
処分?いるよ。うちのダラ幹はそんなのばっかだ。処分や始末書が勲章みたいにいう馬鹿しかいない。やつら曰く戦ったそうだ。構内でビラ巻きや社内メールを使った檄文して減俸とかな。そういうのはアッテンボローさんの方が詳しいだろ。
だがなそんなのは「お荷物」でしかなかったし、むしろ忌み嫌われていたぜ。労働者たちが紙一枚すら気を使っているのに、上質紙使い放題(しかもカラーだ)とか「集会」「迷惑メール」とか称して遊んでイりゃそうなる。
実際、今やっている労組の時間外仕事も奴らにやらせられるのはデータ入力ぐらいだ(やらせてもできない気もしなくはない)。何かやらせられる能力の無い人間ほど声はでかい。

結果、何もならなかった。わかるか?運動家殿の戦いは高尚過ぎて役に立たなかったんだ(嫌味)。

投稿: K | 2007年2月 8日 (木) 12時16分

 アッテンボローさんの考えは、悪人は吊るせという刑罰の考え方で、それ自体は一般に認められているし実行されている。その法にひっかからない悪人がいるから、やっつけろと言っているに過ぎない。必殺仕置き人でしょう。そう珍しい話ではない。現実に世界は悪人がうようよしているからです。もちろん、ほかの方法の模索を放棄してはいけないと思うが。「気ままな雑記帳」で、そんなとこを真剣に突っ込まれても困るだろう。でも、また、そこがこのブログの素敵なところだと思う。
 でも、今回は、個別の事件を取り上げている。やっぱりちょっと慎重に書いたほうがいいなあ。僕自身もそうだな。

 まことさんご指摘の、我々も加害者である生活をしている視点は、別個戦線で戦うにしても忘れちゃいけないですね。まったく同感です。飯を食いながらとか、ゴミを捨てるときとか、僕も思い出すたびに、申し訳ないなあと思っています。

投稿: トチロー | 2007年2月 8日 (木) 08時49分

 さてこの記事も色々と物議を醸してきましたね。ある意味私の記事は極論かも知れません。糾弾によって自殺する人というのは気が小さかったり罪悪感に苛まれたりで、ある意味まだマシな人と言ったらよいのでしょうか。本当に悪辣な差別者は開き直りますし罪の意識も感じないでしょうね。本当はそう言った連中にこそ鉄槌を下すべきだと思います。
 TAMO2さんが書かれているように事実無根の「差別」によって糾弾され、「心労からの心臓麻痺」た方というのはお気の毒としか言えませんね。
 Kさんの職場にはみんなの労働条件を守るために闘って処分を受けるような活動家が居ないのでしょうね。その辺から偏見が出てくるのでしょう。労働者は闘わない限り権利を守れないことはバブル崩壊以来の現実で分かると思ったのが甘いかな。
 差別者と被差別者が時と場合によって立場を入れ替えることは分かります。部落民が「障害者」や女性に呈する差別をすることもあるし逆もあります。それだけに差別者に転落する可能性があることを自覚して運動する必用は感じます。常に自らを省みることが重要でしょう。

投稿: アッテンボロー | 2007年2月 8日 (木) 07時40分

追記

>アッテンボローさんの「論理」は<差別者>と<被差別者>、あるいは<搾取者>と<被搾取者>が固定的な性質の存在であるという前提でならば一理あるかもしれません。

私は「<差別者>と<被差別者>、あるいは<搾取者>と<被搾取者>が固定的な性質の存在である」とは考えないから、結論においてアッテンボローさんの「論理」は支持出来ないということですね。

投稿: まこと | 2007年2月 8日 (木) 06時34分

アッテンボローさんの「論理」は<差別者>と<被差別者>、あるいは<搾取者>と<被搾取者>が固定的な性質の存在であるという前提でならば一理あるかもしれません。

だが、「被差別部落民」が「障がい者」に対して自殺に追い込むような侮辱的な発言を行うこともあります。

また、アッテンボローさん、あなたはこの日本では「搾取される労働者階級」かもしれませんが、アッテンボローさんの消費生活は少なからぬ「発展途上国」の民衆の犠牲の上で成り立っているという面もあるのではありませんか?例えば、アフリカにおいてはアッテンボローさんがブログ記事を作成する時に使用されるPCや携帯で使用されている物質の争奪戦が民族紛争や内紛の一因になっているのです。

「差別者が糾弾闘争の過程において自殺に至ることがあったとしても、それは自業自得である」などと言い切る前に、アッテンボローさんご自身(むろん私もですが)が「差別者」であり「搾取者」という側面を併せ持っていないか、懐疑すべきではないでしょうか?

その上で、「差別」や「搾取」を揚棄するための方策を考えていきましょうよ、お互いに。

投稿: まこと | 2007年2月 8日 (木) 06時31分

アッテンボロー様。
TAMO2氏に内密にメール送ってもらい
(TAMO2氏のいうのは直接体験なのか伝聞情報なのかも含め)
「糾弾は、全くの事実無根による、全くの言いがかり。連日連夜の「糾弾闘争」による心労からの心臓麻痺で死亡した。」というのが、
何年に何地区であったの事件かということを聴いたうえで、
当地区にいって関係者に聞いて確かめてみてください。

投稿: 実事 | 2007年2月 8日 (木) 02時03分

差別は類的な問題として克服すべきものだろうし、あってはならないものです。でも、2Mの黒人でも白人でもが現れたらびっくりするだろう。黄色人種だったら見慣れているから驚くだろうけれど、びっくりまではしないかも?見たことないからわからん。

ま、知らないものは教えるしかないし、理解してもらうのが方法論だろうな。死んでもいいというのはいかがなものでしょうね?アッテンボローさん、あなたの子どもがもし間違った言動から糾弾され、幼心にでも自殺したらどうなるの?ない話じゃないよ。元活動家の子どもだからそんなことはないなんて、馬鹿も休み休みですよ。それを許容しますか?

ましてや、TOM2さんは事実無根の事例だったと言ってんです。これって殺人じゃないの?中核的に言えば誤爆か。

これも肯定することはできませんよ。本多さんは最後まで誤爆を認めなかったけれど、肯定してしまえば党の正当性が崩れるからなんだろうけれど「誤爆はいけない」という認識があったんだろうな。
ともかく死んでしもたら自己批判も糾弾もできないんだから、そこまで追い込む方法論は手段として肯定できないな。

投稿: セクトNo7 | 2007年2月 8日 (木) 00時35分

はっきり言ってキーロフなる馬鹿者の投稿は吐き気がする。
おそらく実践的作業に加わったことがない観念左翼か、空虚な革命軍ごっこの実践者か?
どちらにしても、言論の場に恫喝を持って対峙するのは、スターリニストそのものだな。

誰が差別者と認定し誰が糾弾するのか?その前にお互いの認識の差異を問う必要があるんだと思う。その中でどうでも駄目な人もいるし、理解不足から発言している人もいるだろう。そこは見極めなくちゃいけないな、と思う。

どちらにしても人間複雑なんだから単純に切って捨てるアッテンボローさんの投稿は、Kさんが極論を言っているんだけれど裏返しにもなると思う。もう少し人間を見た発言を希望する。でないと、君がどうなんだ!というKさんの糾弾には回答が不十分になるような気がするよ。
この投稿はKさんの投稿を全面支持するものではないし、むしろ極論過ぎて唖然としてるんだけれど、Kさんもアッテンボローさんも同じ土俵に乗っかっているような気がするんだな。

第一、差別者は皆殲滅せよと言ったら、中核の同盟員で何人生き残るの?
できるだけ差別者にはなりたくないけれど、知らないものは知るまでなんとも言えないものがあるな。
もっとも、朝鮮人マンせー!部落民マンセー!女性マンセー!障害者マンセー!を、言っていれば革命的だと思う反動者は観念的革マル主義者としか思わない。

投稿: セクトNo7 | 2007年2月 7日 (水) 23時37分

一般人だと?
日帝本国人など全員が搾取と抑圧のおこぼれを頂戴して生き延びている犯罪者だ。そんな自覚もないような人間に生きる権利があると思うな。
あらゆる差別者、右翼、反革命を殲滅せよ!

投稿: キーロフ | 2007年2月 7日 (水) 23時03分

朝に糞記事みたから一日胸糞わるかったぜ。思わず郵政公社に行動を起こしてしまったぐらいだ。釣りとしたら相当悪質だ。

この記事みておかしいと思う人間が少数派みたいだな。人材が払底しているわけだ。


ここにいる人間達はきちんと親から習わなかったみたいだな。世の中やった分が返って来るんだよ。

>>はっきりと結論から言ってしまおう。差別者が糾弾闘争の過程において自殺に至ることがあったとしても、それは自業自得である。全ては最初に差別発言・差別行為を行った当該の自己責任である。

こんなこと言うのもいい。だがな。

「君に通告しよう。無能な鬱病持ちの郵便局員が合理化の過程で自殺に至ることがあっても、それは自業自得である。すべては能力の無さ、鬱病気持ちであった本人の自己責任である」

と言われても、やられても文句は言えないということだ。アッテンボローさんやここで指示している面々は、活動家であるから?特に問題無いのであろう。

鬱病持ちでも、貧乏でも、奥さんがパチンコ狂いで不登校の娘や病気持ちの息子がいて、これにさらにリストラされて、それから生き物の死骸を家に放り込まれても、屁でもないんだろうに。だがな一般人というのは違うんだぜ。まいって死んでしまう。

中間管理職や支部長とやらを現実に自殺に追い込んでいるのは活動家だ。頭は悪いし能力無いが声だけでかいやらな。仇を取る?お前らが殺したんだろうが。責任転嫁もいいかげんしろよ。戦死とか勇ましいこというなら、アッテンボローさんとか活動家から死ね!!一般人を巻き込むな。

後ろで指揮していざとなったら兵置いて逃げる旧日本軍の指揮官かあんたらは。
たいしたものだぜ。神様でもなったつもりか。うぬぼれるな。

投稿: K | 2007年2月 7日 (水) 22時42分

キーロフさん、糾弾されて死ぬのはあなたかも知れないのですよ? それが、解放同盟クオリティーというものです。

投稿: TAMO2 | 2007年2月 7日 (水) 21時06分

被差別関係、上の事件に関連しそうな自前ブログの記事のurlを列挙しておきます。

http://red.ap.teacup.com/tamo2/337.html
http://red.ap.teacup.com/tamo2/261.html
http://red.ap.teacup.com/tamo2/118.html

投稿: TAMO2 | 2007年2月 7日 (水) 21時05分

事実無根の言いがかりであろうと、糾弾闘争の対象となるような人物が、心労による心臓麻痺で死のうが何の問題もない。糾弾闘争の更なる強化が必要である。
反革命革マルに対する闘争は、成員の最後の一人まで殲滅されない以上終結しない。
あらゆる差別者、右翼、反革命を殲滅しよう!

投稿: キーロフ | 2007年2月 7日 (水) 20時59分

余り詳しく書けませんが、小生の知っている事例は、自殺ではなく、連日連夜の「糾弾闘争」による心労からの心臓麻痺なんですけど。

で、その糾弾は、全くの事実無根による、全くの言いがかり、とばっちりであることは言うまでもありません。

投稿: TAMO2 | 2007年2月 7日 (水) 20時28分

差別者が自らの行為を恥じて自殺することがあるとすれば、たまたま校内イジメに加担した松戸市の市立中学2年の男子生徒が飛び降り自殺した事にも通じると思う。
普段は苛められ又は差別される人間が何らかの事由で反対側に立った場合に痛みを感じて自殺に追い込まれます。 自殺で罪が消滅するわけでもないが一寸の良心があった事の悲劇ですね。
革命を目指すならアッテンボローさんの側(郵政労働者など)でも自殺者が出るのは防止すべきですが、追い詰められた最悪の場合にはせめて自爆テロすべしの方針はないのでしょうか。もちろんテロすべてを否定しますが最悪の場合は逆にやっつけてやるの意気込みが自殺を思いとどまらすこともあると思います。

投稿: tatu99 | 2007年2月 7日 (水) 16時57分

 丁寧にいこう。死刑制度には賛成だ。だが、その精度には問題がある。

「差別者が糾弾闘争の過程において自殺に至ることがあったとしても、それは自業自得である」
 しかし、それが反省と悔恨の末の贖罪であるならば、と但し書きをつけたい。そして、当該がそれほどまでに自己責任を負っているのなら、の話であろう。本当に自殺しなければならない奴は、たぶん自殺などしない。僕はそんなふう思うが、まあ面倒だからどのみち同じかもしれないが、一斉に自殺するのではなく末端の個人が単独で自殺するのならば、それは責任を矮小化することにつながると思う。
 そういうことを言うと、自由な意見を抹殺するとかなんとか反論する人がいるが、思想や教育の統一は不可欠なものです。現代であっても、「いろいろ意見があるのだから、反動的意見も尊重すべきだ」という風潮に統一されているだろう。間接民主主義を唱えるのならば、無関心や他人まかせの気持ちから、選挙にも行かない輩が生きていることのほうが重大な問題ではないのか、と言いたい。正しい考え方と正しくない考え方というのは明確にあるはずのものだと思う。
 カクマルとの内ゲバも重要だったかもしれないが、僕は中核派にとって実にもったいないことをしてきたと思う。敵は、彼らではない、と僕は思っているからだ。ところで、よくは知らないが昨今の中核派は武装を解除しているのではないだろうか。もし、そうであるならば、それはいけないことだと思う。圧倒的暴力を権力の側だけがもっていることになるからである。

投稿: トチロー | 2007年2月 7日 (水) 08時13分

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