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2008年7月

2008年7月31日 (木)

7・27革共同政治集会(関西派・革共同再建協議会)前篇

 おことわり。文中「広島差別事件」の表記がカタカナでなされていた部分を漢字に改めました。カタカナで表現するのは8・6ヒロシマに関連するとの誤解を招くとの指摘を受けたためです。変換をする際に、第一候補として出てきた表記を安易に使用し、表現内容に付いての考察が抜けていたことを反省します。 

 文中安田派とあるのは関西派・革共同再建協議会からする革共同中央派の呼び名である。基本的にICレコーダーを起こしつつ書いた文章であるので関西派・革共同再建協議会の表現をそのまま使っている。今日は前半の基調報告までを記事に起こした。後半の特別報告および各戦線の報告並びに決意表明については一両日中に記事にしたいと思う。

 集会は学生戦線出身の女性革命家の司会で始まった。新たな革共同を作ろう。イラク反戦闘争と改憲阻止闘争の大衆的発展を築こう。世界各国で被抑圧人民の闘いが巻き起こっている。日本においても山口や岩国の選挙での自公の敗北に視られるように反撃の闘いが始まっている。問われているのは革命党の存在と闘い。大衆闘争破壊にのめり込み広島差別事件を居直る安田派との闘いが不可欠である。革命的共産主義運動から生まれたこの反動を放置することは出来ない。同時につい最近まで同じ党にいた者として痛苦な反省が必要である。

 G8洞爺湖サミット反対闘争の報告が派遣団長より行われた。帝国主義の利害の下に取引しようとすることを断じて許すことは出来なかった。「革共同通信」創刊号でG8サミット闘争を闘うことを表明していた。本格的な闘いは3月から始まった。ネグリ来日が阻止され、シベリア鉄道で来日しようとしたドイツの活動家が入国を拒否された。環境相会議が神戸、蔵相会議が大阪、外相会議は京都で行われ、これと闘った。先遣隊を始め多くの人々が北海道に結集した。本隊は札幌で行われた数千規模の集会に合流した。関西と違い広範な統一戦線でなされた。カクマルが徹底的に排除されていた。派遣団は排除されることなくビラ撒きなどを完徹した。発言の半分が外国人という国際色豊かな物であった。革共同旗と中核旗、クラッシュG8と書いた横断幕を持ってデモに参加した。一車線の規制に対して外国の人々はそんな物を無視してフランスデモを行った。サウンドデモのDJが不当逮捕された時は、世界各国のマスコミが殺到して写真を撮っていた。ドライバーが不当逮捕された処なども「革共同通信」に掲載されている。計4名が不当逮捕された。

 洞爺湖を囲む3カ所のキャンプ地の内、豊浦町に泊まった。約200名で半数は外国人。のっけから喧々囂々の討論がなされた。中心となっていたのは野宿者支援などを行っている人々やノンセクトであり、粘り強い権力との交渉がなされ、デモ申請などが行われた。20キロのデモについて色々な規制があったが、外国の人々はデモについて規制すること自体が間違っているという主張が多かった。意見が食い違いサミット前日は外国人を除いて7キロのデモを行った。基本部隊はこれで北海道を後にしたが、当日は24キロのデモを完徹した。G8に反対せずして世界革命などあり得ない。安田派もカクマルも洞爺湖現地には登場しようとしなかった。党派として洞爺湖で闘ったのは我々だけであった。

 各地方からのアピールとして先ず山口県委員会、続いて首都圏の発言があった。山口県委員会の代表は8月6日に広島で予定している反戦平和研究集会の案内を行った。この春の山口での春闘集会150名で開催した。連合の中にありながらも言えないことがある人々と実行委員会を作って行った。広島では初の反戦集会。学習会などを積み重ねる中で今年は広島でやろうと言うことになった。8・6ヒロシマへの思い。岩国での闘いがあるが、広島との県境にある。岩国を飛び立った米軍機は広島上空を飛んでいく。一つの政治党派の集会とは見て欲しくない。基調報告もない。被爆者の米澤鐵志さんの講演、今中哲二さん、立山紘毅さんの講演。今日の集会から日にちもないが、是非来て下さい。デモがしたいという人には申し訳ないが。

 首都圏の代表は、東京・関東の同志を代表して決意を表明した。革共同再建のために開かれた歴史的集会で決意表明を行います。世界は極めて深刻な危機を深めています。アメリカの住宅バブルは崩壊し、サブプライムローン破綻。カジノ資本主義の終わり。G8では帝国主義者どもはなすすべ無かった。このような時代にあって日帝は戦争に突き進むしかない。結節点は憲法改悪攻撃である。世界情勢は、ソ連崩壊後の歴史的大反動を乗り越えて新たな高揚期が始まっている。ロスト・ジェネレーションや漁民が立ち上がっている。この情勢で重要なのは世界革命によって帝国主義を転覆する革命の主体である。この株価の下落に小躍りして「世界は革命情勢だ」などというのは間違っている。革共同運動から生まれた反動としての安田派は、党の路線を破壊しようとしている。恐ろしく平版な純粋プロレタリア革命とでも言うような路線であり、部落民・在日外国人・女性・「障害者」、果ては農民にまでプロレタリア性を強要する有様である。安田路線とはその革命的厚化粧を一皮剥けばズブズブの経済主義である。こんな愚劣な路線が若者に通用するはずがありません。カクマルとの第二次分裂、75年の本多書記長虐殺に並ぶ党の危機である。困難の中でも大衆戦線・統一戦線を守り抜き、06年3・14決起の道を断固として突き進んでいこう。安田体制の根幹をなす東京・首都圏においても全国の同志とともに革共同奪還のためへに邁進していく。

 連帯の挨拶として淡路町空港反対同盟事務局長の安東さんが発言に立った。冒頭、全関西実行委員会代表永井さんのメッセージを代読した。「決戦のときを迎えた三里塚への総決起・総結集、とりわけ9・22関西集会と10・5三里塚全国総決起集会への参加を訴えます。
 決戦の攻防点である市東孝雄さんの農地を守り、暫定滑走路北延伸を阻止する闘いは、この秋の攻防によってすべてが決せられるような重要な局面を迎えます。本日も三里塚反対同盟がその闘いの第一弾として現地闘争が闘われています。」
 「率直に申し上げて反対同盟の決意と闘いに比して、私たち支援の闘いはまだまだ不十分だと言わざるをえません。反対同盟の闘いを支え、共に汗を流し血を流しても闘ってこられた革共同の皆さん、労農学共闘の皆さんの渾身の決起を改めて訴えます。反対同盟の旗の下に一致結束した壮大な闘いを共に実現しましょう!」
 安東さん自身の発言に移り、革共同集会では十数年ぶりの発言になる。革共同とのお付き合いは38年ほどになる。淡路空港絶対反対の闘いは勝利した。革共同の皆さんのおかげです。西山(当時京大教授)レポートで淡路島をズタズタに切り刻むという案を出してきた。これを私たちは一つ一つ潰してきた。これが40年前の7月のことだった。最初は黒ヘルやギザギザのヘルメットの人たちが来た。70年の4月に革共同のある人が来た。夜な夜な僕を誘って安東さん革命は近いと熱く語るんですね。男女ならロマンチックですが、公園のブランコで男同士で語り合うんです。何と純粋な人たちであんただろう。まだ革命は出来ていないけれど未だに変わらない。ホンマものやと思いました。戦前は治安維持方などで弾圧されて戦争に突入させられてしまったが、今は違う。反対同盟の旗と革共同の旗がある限りそうはならない。
 あと三年すると憲法「改正」が俎上に登る。国民投票。何としても阻止しなければならない。もっともっと僕らは色々なところで反戦平和の闘いを広げないといけない。一つ気をつけなければならないのが、西山有象没後の追悼文集。彼はこういっている。「全ての人がその社会的責任を自覚していなければ新しい社会は築けない。」と言っているが、住民を蹴散らしてでも帝国主義を助長しようとした張本人がそんなことを言うか。著者の早川さんには、彼は淡路島でこんな酷いことをしようとしたんですよ、と言うと早川さんは話しもしてくれない。隅谷三喜夫公開シンポをした。隅谷先生と言って持ち上げる。そうじゃないでしょう、ほんまモンはどうや。僕らは闘って知っている。革共同の人たちは淡路の闘いと関空の闘いを支え続けてくれた。ほんまモンやと思う。三里塚があったからこそ、徹底非妥協の闘いがあったからこそ淡路は勝利できた。関空は海上空港だが、元の海に戻す。神戸空港もそうだ。僕の目の黒いうちに実現しよう。ほんまモンの闘いを繰り広げて欲しい。

 基調報告は革共同関西地方委員会が行った。今、世界経済、帝国主義はとてつもない危機に陥っている。サブプライムローン、原油高騰、食糧危機。全世界の労働者人民の闘いと連帯して日本帝国主義の改憲攻撃と全面対決して、日本帝国主義打倒・プロレタリア革命勝利に向けて断固として突き進んでいこう。憲法「改正」攻撃の核心は9条改憲攻撃である。9条改憲攻撃を日帝打倒の止むことのない労働者の総叛乱に転嫁する。改憲阻止決戦は戦後最大の階級決戦である。9条2項の削除が問題だ。自衛軍の創設を目指している。戦後民主主義体制から天皇制国家体制へと全面転換を狙っている。闘いが本格化すれば天皇制攻撃・民間反革命との闘いが激化する。これを恐れることなく階級闘争の戦場に引きずり出し、これを粉砕する度合いに応じて発展していくのだ。日本帝国主義打倒プロレタリア革命勝利に向けて突き進んでいこう。

 安田・清水体制は改憲攻撃との闘いからの逃亡である。この事を彼らが表明したのが07年の1・18である。唯一の方針は労働組合の階級的団結だけである。これは階級闘争からの召喚である。政治闘争を労働運動に対置してはならないという。今日の政治決戦と言えば改憲阻止決戦である。これを労働運動に対置するな、並列にしてはいけないと言う。すなわち改憲決戦はしないと言うことだ。彼らは誰に向かって言っているのか。国家権力に向かって言っているのだ。転向声明その物である。我々はこの決戦に労働者階級の総決起を作り上げていかなければならない。安田派はこれに全面的に敵対しあらゆる闘争からの逃亡を開始している。国鉄闘争・三里塚闘争・沖縄闘争・部落解放闘争・女性解放闘争・「障害者」解放闘争・入管闘争。彼らはこれらについて敵対を深めている。これらの本質は闘いからの逃亡である。本質は脆弱である。体制内労働運動との決別と言いながら労働運動その物からの逃亡をしている。連合の中で闘うことは大変なことだが「決別」などと言って逃げ出すことは許せない。

 今日の改憲攻撃がどの様な段階にあるのか。9条改憲攻撃は最終段階にある。戦後の波は大きく二つある。50年代鳩山内閣による小選挙区制。50年代の改憲攻撃は60年安保闘争で完全に粉砕された。20年間登場させることが出来なかった。処が中曽根内閣の戦後政治の総決算攻撃で国鉄分割民営化・総評解散・社会党解体。湾岸戦争、ペルシャ湾への掃海艇派遣。これ以降毎年自衛隊は間断なく海外派兵をしている。92年陸上自衛隊のカンボジア派兵。その後96年の日米安保共同宣言、安保ガイドライン、国民保護法、この段階で日本の有事法制は完成する。現時点で集団的自衛権を決めれば侵略戦争が出来る状態になる。05年に自民党改憲草案。06年には教育基本法の改悪。内堀を埋めてしまった。我々は日帝支配階級の最後の、最大のハードルである9条改憲に踏み込んできている。これを重大な階級決戦として爆発させていかなければならない。自民党改憲草案では、現行の9条2項、戦力の不保持と行使の法規を明記している訳ですが、このの全面削除。そして交戦権と戦力保持を明示した後に自衛軍を創設という項目を入れる。この任務等が我が国の独立と自衛、国民の安全確保。もう一つ国際的協調つまり集団的自衛権の行使。公の秩序とは治安出動。日本語の場合「公」とは天皇と朝廷のことである。9条改悪に対して民主党は解釈改憲により自衛隊がドンドン大きくなったから、曖昧な解釈を許さないために国際貢献などを憲法に明示することで歯止めをかけると主張している。だがこれはとんでもないペテンである。憲法9条で軍隊を禁じている国で今日のように自衛隊が海外派兵されている。そこで海外派兵を認める改定を行ったら制約が無くなるのだ。

 80年代中曽根政権から始まった改憲攻撃は、戦後の帝国主義の危機と対応した物である。改憲の問題とは体制の問題と密接に関わっている。これは我々の側から言えば革命の問題である。中曽根の戦後政治の総決算攻撃が出てきた最大の背景は73年のオイルショックと74~5年の世界恐慌であり、75年に米帝がベトナム戦争に敗北する。この事で戦後帝国主義の世界体制が体制的に破綻した。米帝の準戦時体制、朝鮮戦争・ベトナム戦争と大量生産大量消費で国家独占資本主義体制を取ってきた。これが終焉した。米帝の相対的地位の低下。この巻き返しとしてレーガノミックスが登場し対スタ対決帝間争闘戦完徹政策。ソ連に対する軍事重圧を徹底的に強める。ソ連の核軍事力を封じ込めるために軍拡競争を行う。もう一つレーガン時代に民族解放闘争を圧殺するために侵略戦争を中東や中米を中心として繰り広げた。このようにして戦後の帝国主義体制は国独資体制においても恒常的な戦争体制を取り続けた。国内では労働者階級の既得権を剥奪する。ブルジョアジーに対しては史上最大の減税。インフレ抑制のための高金利政策。国内で失業者がどれだけでようが構わないという体制。全米の工場から労働者がいなくなると言う事態。中南米はオイルショックでオイルマネーがアラブ諸国に入っていき、先進国の民間企業に進展し、中南米諸国に貸し付けられていく。高金利政策によって経済破綻していく。

 米帝の戦後的あり方が転換する。帝国主義間争闘戦に全面的に転換した。国際競争力を作って他帝国主義をけ落としていくという戦略になる。日本の戦後発展の基盤が無くなってしまう。中曽根政権はその様な情勢で登場した。その最初の決戦が国鉄分割民営化攻撃であった。対スタ対決でソ連が崩壊し今日的なグローバル市場が成立する。特に金融資本が世界規模で駆け回る。それを支えているのが米帝による軍事支配・軍事政策である。91年以降も大規模な戦争を続けている米帝。今日も戦争状態である。新自由主義について特徴を書いているが、共産主義思想とスターリン主義を徹底的に敵視し、労働者階級を弾圧することが核心である。新植民地体制の下での農業破壊をもたらしている。特に格差と貧困をもたらしている物として、新植民地体制諸国に対して追加融資の条件として10項目ほどの政策をその国に強制している。財政緊縮を強制し、その国の社会保障を破壊している。税制改革を通じてその国のブルジョアジーを助け庶民に対しては増税している。金利の自由化としてハゲタカファンドの欲しいままにしている。水の民営化。人間が生活していくのに絶対必要な水の民営化を押し付けている。「清潔な水を確保しなければいけない」と称して水の民営化をしている。タダ同然で供給されてきた水を有料にすることで水を買うことが出来なくなり汚染された水を飲むしか無くなり、疫病が蔓延している。帝国主義による典型的支配である。世界の1%が個人資産の4割を所有し、世界人口の半数を占める貧困層は世界の総資産の1%しか持っていない。世界の9割以上の貧困の上に成立している極限的に不平等な体制を維持するために米帝を始めとする帝国主義が侵略戦争を行っている。世界の農村と農業破壊は恐るべき進行をもたらしている。農民から土地を奪い住むところを奪っている。こういった新自由主義・グローバリゼーションに対して150年前にマルクスとエンゲルスが提唱したように「共産主義者は自分たちの目的が、これまでの一切の社会秩序の暴力的破壊によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に震え上がるがよい! プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。プロレタリアが獲得すべきは全世界である。万国のプロレタリア、団結せよ!」

 今こうした闘いが新自由主義・グローバリゼーションに対する闘いとして始まってている。最初の大きな闘いが99年にシアトルで行われたWTOに対する闘いである。こうした闘いが今年の北海道・洞爺湖サミットまで継続している。こういった闘いがインターナショナルを再建していくために続いている。国際的反帝闘争に位置しているのがイラク・アフガニスタンにおける闘いであり、南朝鮮・韓国の闘いである。60年の4・19を超えるような闘いに発展しつつある。重要なのは党の問題である。日帝がイラク侵略戦争に踏み込もうとしている。朝鮮侵略戦争に踏み込もうとしている。これを破綻に追い込んでいく改憲阻止決戦からプロレタリア世界革命への展望を切り開いていこう。

 改憲阻止決戦の帰趨はどこにかかっているのか。これはこの決戦に労働者階級がその主力部隊として登場し、闘争全体を戦闘的に牽引することが出来るかどうかにかかっている。その為に今の日本の労働運動の現状では、先ほどの北海道のG8反対闘争のように北海道の教組を先頭としてG8反対の闘いこれは素晴らしいものである。06年の教基法改悪反対闘争の取り組みの陣形が残っている。ここに自治労が加わっている。ではこうした労働者の隊列が洞爺湖の現地まで来て闘うまでには至っていない。この現状を我々は本当に乗り越えていかなければならない。先ほど申し上げたように日本の労働運をとの重要な転機になったのは80年代の国鉄分割民営化攻撃であり、戦後政治の総決算を掲げて登場した中曽根は総評を解体し・社会党を解体することを目的として国鉄分割民営化を強行した。国会内で3分の1を占めていた護憲勢力としての社会党を解体すること、曲がりなりにも階級的労働運動を掲げていた総評を破壊すること。90年代の後半から労働運動は大きな高揚期に入っていると言われています。処が連合のストをしない・闘わない労働運動。小泉「改革」の中でストを打たない労働運動の無力さは明らかである。漁師がゼネストをしている時に労働者がストを打たない。このようなことが通用するはずがない。連合の運動を打倒していく。

 連合が生み出されてきた国鉄分割民営化決戦の結果強行されてきた。この教訓として、これから先の労働運動をどうしていくかと言うことがある。連合内の労組には国家権力が攻撃してきたら勝てないという敗北主義がある。政府やマスコミが組合に対する反動キャンペーンをすると震え上がっている。つまり国労のようになるなと言うことです。このようなキャンペーンが今日も通用するかと言う時、日雇い派遣の問題や過労死の問題がある状況でマスコミなどの反動キャンペーンを踏み越えて闘って行かなくてはならない。80年代でもレーガンの軍拡路線・核軍拡に対して日本でも10万を超える闘いがあった。このような闘いを国鉄分割民営化反対の闘いと結合させることが出来ただろうか。国労や国鉄労働者が集中砲火を浴びている時にこれと連帯しようという呼びかけが出来たであろうか。我々の党細胞が存在する組合で・地域でそう言ったことがやりきれただろうか。この事を総括していかなければならない。

 「革共同通信」12号で提起しているが動労カクマルの裏切りによって初めて国鉄分割民営化が出来た。どうして彼らにあのようなことが出来たのか。彼らに向かって中々面と向かって批判することが出来なかった。彼らは白テロ党派である。これと対決できたのは誰か。我々以外になかった。我々の反ファッショ解放闘争として爆発させていくという路線であった。こここそカクマルを敢然打倒し一掃していくチャンスであった。何故それが出来なかったかと言うことが総括すべき問題である。文字通り労働者階級人民の決起によって粉砕する以外無かった。我々が80年代に取った戦略は革命軍戦略である。ここにはゲリラパルチザン戦闘によって中曽根反動と対決していくというものであるが、本当の意味で階級を組織していくことからの逃亡である。だからこそ、我々は改憲決戦に巨万の労働者を組織していく。革命軍戦略というのはある意味建党主義に陥っていた。勿論当時は大衆決起を組織するという観点を持ってはいたが不十分であった。第4インターに対する赤色テロルについても反省的に総括する必要がある。

 我々はこうした総括に踏まえて改憲阻止決戦をどの様にして発展させていくのか。改憲阻止決戦の大衆的発展と労働運動の戦闘的再生は一体の問題である。街頭か職場かという議論があるが、街頭も職場もと言うことだ。労働者の闘い、資本の攻撃は何時と言うことは職場の秩序維持を通して完徹されているので、職場の力関係を覆していくことから絶対に逃げてはいけない。ここが敵の階級支配の要であることはここに最大の困難が存在する。こうした階級支配を打ち破るためにありとあらゆる勢力を味方に付けていく。そして労働者の解放を築いていく。労働運動の高揚期と政治闘争の高揚期は金的に重なっている。これは何故かと言うことだ。基本的に労働者が職場から決起することはあり得るが、激動期にはありとあらゆる職場に赤旗が林立する。我々はその事をしっかりと見ていかなければならない。

 岩国や沖縄で始まった従来の政治的枠組みを超えた闘い、保守とか革新とか関係ない。新たな決起が始まっている。今日の改憲・新自由主義的攻撃は、自民党の支持者だからと言って容赦はない。等しく攻撃を仕掛けてくる。そう言う意味で労働者階級の新たな根底的な決起が始まっていく。改憲阻止決戦の下に糾合していく。極めて困難な闘いであるがどうしてそれをしていくのか。それは9条改憲阻止の一点でもって今日の階級的力関係を転換していこうというものである。05年5月に新たな100万人署名運動が9条改憲阻止の闘いとして打ち出していこうと言う時に出したコンセプトがそうである。我々はこうした観点に立って三里塚闘争・沖縄闘争・饗庭野(あいばの)この三つの闘いを結合した反基地闘争を闘っていく。そして反軍闘争を自衛隊解体の闘いを作っていかなければならない。我々は改めて反軍闘争を作っていかなければならない。階級闘争の進展は軍隊との激突を不可避とする。自衛隊を内部から解体する闘いを作っていかなければならない。

 部落解放闘争においては狭山再審闘争、安田派による広島差別事件糾弾闘争をやり抜きたい。「障害者」自立支援法反対闘争・女性解放闘争・入管闘争・8・6ヒロシマ闘争を断固として闘い抜きたい。それでは戦闘的労働運動その物の再生を組織化していく場合、独自の領域があると言うことを確認したい。改憲阻止闘争をそのまま職場に持ち込む事が戦闘的労働運動かというと、断じてそうではないと言うことである。それはレーニンも社会民主党綱領草案の中で書いているが、「労働者がストライキに立ち上がり、労働者が不可避的に国家の問題や政治の問題に突き当たったときに、労働者はそこではじめて『政治演説』に耳を傾ける」すなわちこの事は今日においても真実である。政治思想や軍事思想を労働者に押し付ける形では決して成功しないのだ。特に強調しておきたい。改憲情勢の中で本当に粘り強い闘いを街頭でも職場でも闘うが、それが本当に労働者の闘いになるのかどうか。粘り強い闘いの中で資本と闘い、職場で闘い、そう言った中で本物になる。「展望」2号の中で日本の共産主義者が職場の中で労働者を組織していくという極めて困難な闘いについて論じている。我々は本当に戦前の先輩の闘いを学んで闘いを作っていく必要がある。

 非正規雇用労働者については我々の中でこの問題について取り組むのは時期尚早ではないかという意見もあるが、この問題について避けて通ることは出来ない。この問題は職場の中にある矛盾を外部に排除していくと言うことである。雇用形態が変わると労働者の中でも排除されていくという現実がある。連合の組合は雇用確保のために(正規社員の首を守るために)基本的に非正規雇用を受け入れていくべきだという立場である。その事によって非正規の雇用促進を認めてきた。この事の困難を突破するのは非正規の側から闘っていくしかない。今日労働者の4分の1は非正規である。この問題に力を入れずして闘いの前進はあり得ない。

 重要なことは国鉄闘争である。4社4団体による和解が本格的に始まる。これは国家的不当労働行為、つまり労働者の団結権を巡る闘い。これが重要な局面を迎えている。JR総連カクマルよる極めてどす黒い策謀が浮かび上がっている。詳しくは割愛するが最近松崎明(JR総連顧問・カクマル副議長)が「松崎秘録」なる本の中で、自分はカクマルではない、自分はヒューマニストだ、もう一つは動労千葉を取り込もうとしている。この本を読めば分かります。彼らによると1047名問題と動労千葉問題を解決すれば自分たちの力によってJR労働運動を再編し連合労働運動を再編することが出来ると考えている。先ほど述べたように連合労働運動は基本的に破産している。次の路線を求めている。その時にJR総連のニアリーイコール路線は新自由主義を労働運動の綱領にすると言う物である。断じて粉砕しなければならないし過小評価してはならない。

 安田派が行っていることはこういったJR総連の策動に棹さすものであると言わなければならない。郵政労働者の問題、教育労働者、自治体労働者、の問題などがあるが断固として取り組んでいきたい。最後に今秋決戦、100万人署名運動を断固として推進していく。そして10・5の3・30を上回る結集を断固として実現していきたい。本当に三里塚闘争の新たな発展を築いていく。反対同盟と固く結びついていく。9月22日の関実集会の成功を呼びかける。星野同志に再審棄却がなされたが断固として闘っていく。我々は少数であるがG8サミット決戦に登り詰めていくことが出来た。我々が改憲阻止建線のために全ての戦線の結集を呼びかけ断固として突き進んでいきたい。

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2008年7月27日 (日)

雲と火の柱 -地下生活者の手記

 7・27政治集会に参加してきた。関西派・革共同再建協議会の方である。早速報告記事を書けば良いのであるが、とある同盟員の方に公式発表より早く記事にされるのは困るので、二日ほど日を開けて掲載して欲しいと頼まれた。なので集会の参加人数などについても大げさな誇張はなかったとの印象のみ記すだけに留めおいて他のことについての記事を書こうと思う。

 会場である尼崎労働福祉会館には開場時間の12時半より約1時間早く到着した。何人かの古参活動家の人たちが、久しぶりと声をかけてくれた。高校の同級生からは、どっちかハッキリしろと党派選択を迫られてしまった。かと言って高校の同級生も関西派と中央派に分かれてしまったし、全逓戦線も地区党も分裂してしまった。どちらにも知り合いが沢山いるので、一方を選ぶというのも結構難しい。最初は除名されたときの感情的しこりが有ったので、地区党が分裂していなければ、いない方を選択しようかとも思ったりした。どちらに付くかハッキリするまで少々時間がかかりそうである。取り敢えず来週の日曜は中央派の政治集会に参加する予定だ。

 会場入り口には沢山の書籍や機関紙・パンフレットが並べられて販売されていた。宇野経済学批判のパンフレットを買い求め、関西派の理論誌「展望」の2号を購入した。その横に「雲と火の柱 -地下生活者の手記」の宣伝チラシが置いてあった。手にとってみると「関西革命軍の20年史を小説化」とあった。これだけで私の琴線に触れる言葉である。早速買うことにした。集会が始まるまでの時間をこの本を読むことに費やした。分量的には1時間も有れば読めてしまう。防衛上の配慮が有るために具体的な記述を避けた部分が多くあるが、自分の活動経験で補って読むと、軍に所属していた人たちの苦労がおぼろげに伝わってくる。地下生活の経験がない人であっても、革命軍の苦闘をかいま見ることの出来るだろう。

 主人公の中井清は、「ひたすら汗を流す役割を努めた。転々と職場を替えながら自分の食い扶持とモグラ生活に必要な資金を調達する役割を担った。」対カクマル戦争、対権力武装闘争の中で只ただ、人民革命軍武装遊撃隊を維持するために兵站を担当していた男の物語だ。勿論公然面の活動家も革命軍を支える活動が色々有った。私自身も幾つかの貢献をしたことが有る。一番簡単なことは自分の賃金・一時金から党に上納することだ。軍に限らず常任と呼ばれる職業革命家や学生活動家の生活を支えるのが労働者活動家の最低限の任であった。

 地下生活者は国家権力警察に補足されないために偽名を使って生活することが必然的となった。だから一つの職場に長く居続けることは出来ない。作中の中井清も本雇にするからと住民票などの提出を求められると、それが出来ないために退職することを余儀なくされた。さまざまな仕事先で底辺層の労働者に接したものの、職場の労働条件改善のために闘うことも出来ず、ただ見守ることしか出来なかった苦渋が伝わってきた。私のような公然活動家の場合資本・当局との攻防の中で自らの怒りを爆発させることが出来たが、革命軍の兵士はその様な事をして権力にマークされるわけにはいかない。断腸の思いであっただろう。

 会議のために、登山客を装い山登りをしながら打ち合わせをしたり、脈管と呼ばれる公然面と非公然面とを繋ぐ役割を担った人々。実際に戦闘を担った部分については記述は無いが、それでも革命軍の様子を窺い知る事が出来る。革命軍の闘いはやがて90年天皇決戦として結実していく。天皇アキヒトの即位儀式に対して100を超えるゲリラ・パルチザン戦闘が貫徹され、大嘗祭の当日や即位の例当日は東京中を緊急車両が走り回る事態となった。数万の警察機動隊を動員しても人民の海の大海を泳ぐ革命軍を封殺する事など出来はしなかった。権力の力は有限であり、人民が創意工夫を凝らせばどの様な闘いも出来るのだという事を満天下に示す闘いを勝ち取った。そういった革命軍のあり方を教訓化し、日帝打倒の今後の闘いに生かすためにも、多くの人々に読んで欲しいと思う。

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2008年7月25日 (金)

ヒロシマの継承と連帯を考える-なぜ、いま米軍再編・改憲なのか 米澤鐵志講演 -反戦・平和研究集会-

被爆63周年 8・6ヒロシマ
Stop the Atomic Bomb! 原爆やめよ! Stop the Hydrogen Bonb! 水爆やめよ!  Stop War! 戦争やめよ!

日時 08年8月6日(水)
場所 広島YMCA・ラブリーホール(2号館1F)

講演 「人類破滅の道を連帯の力で食い止めよう」(『電車内被爆者の証言』から)
   米澤鐵志さん(被爆者)

アピール 「被爆者援護と原爆症認定問題」
   今中哲二さん(京都大学原子炉実験所助教)

     「憲法・何から論ずべきか」
   立山紘毅さん(山口大学経済学部教授)

祝島物産販売

参加費 500円

主催 反戦・平和研究集会実行委員会

連絡先 090-7120-2603(堀永)

E-mail   yamaguchi_shuntou@yahoo.co.jp

発言者プロフィール

米澤鐵志(よねざわてつし)さん
 1934年8月生。1945年ヒロシマにて原子爆弾被爆。母と妹が死亡。1955年原爆の子友の会会員として第1回原水爆禁止平和音楽祭に「父をかえせ母を帰せ」合唱で参加。以後50年間何らかの形で「8・6大会」に参加。1975年頃から小学校、大学病院、各種集会などで被爆体験講演を年6,7回行っている。1985年宇治平和の会設立に参加。現在京都府原爆被災者の会宇治支部役員・平和の会(宇治)世話人。(『人権センター業書vol.3「核」と人類は共存できない-一被爆者の思い-大谷大学人権センター 編集・発行 2007年3月1日』より)

今中哲二(いまなかてつじ)さん
 大学教員、京都大学原子炉実験所。1950年広島生まれ、被爆2世。専門は原子力工学で、原子力利用にともなうデメリットな側面を研究課題とする。主な著書に「チェルノブイリを見つめなおす」(原子力資料情報室)などがある。(共著書「ヒバクシャと戦後補償」2006年10月 凱風社より)

立山紘毅(たちやまこうき)さん
 1959年鹿児島市生まれ。鹿児島大学法学部卒業。名古屋大学大学院政治学研究科を経て、1989年に山口大学経済学部法学科着任。憲法学・情報法学専攻。主な著書に「現代メディア法研究-憲法を現実に作動させるファクター-」(日本評論社、1996年)などがある。(「IT2001-なにが問題か-」岩波書店より)

集会への賛同と参加のお願い

 岩国への米空母艦載機部隊の移転、横須賀への原子力空母(ジョージ・ワシントン)の配備が迫っています。
 住民の声を一切聞こうとせず、米軍だけに配慮したこの国の横暴が許されれば、憲法の精神はどうなるのか? この国はどこへ行こうとしているのか?
 私たちは「米軍再編」の元で進められている自体について、8月6日という日に、ヒロシマから考えてみたいと思います。
 私たち実行委員会は、米軍再編-改憲という歴史の重要な分岐点にあたり、労働組合の反戦平和運動の真価をかけ、労働組合の団結と学習の機会として、03年7月に山口で立ち上げて開催しておりました反戦・平和研究集会を、初めて広島で呼びかけさせていただきます。
 皆様の賛同と参加を、心よりお願い申し上げます。

祝島物産販売

 上関町は山口県東南部、瀬戸内海に突き出た室津半島の突端に位置する室津と、そこから橋でつながった長島、離島の祝島と八島などから成る。NHKの朝の連続テレビ小説「鳩子の海」の舞台にもなった漁業の町である。
 1982年、中国電力(中電)が上関町四代の田ノ浦を原発建設の有力候補地に上げ、計画を進めていることが初めて明るみにでた。出力137・3万キロワット、改良沸騰水型軽水炉2基の原子力発電所だ。祝島はその田ノ浦の3・5キロ沖合に浮かぶ。実際現地に立ってみれば、目と鼻の先だ。(上関原発開発計画のあらまし)
「中電さん、さようなら~山口県祝島 原発と闘う島人の記録~」写真・文 那須圭子より

 上記の集会の賛同人になったので、皆さんに周知したい。只、この集会の案内とさん同人要請が封書で届く前日に、私は被青同(被爆者青年同盟)などが中心となっている8・6ヒロシマ大行動に参加する段取りを付けてしまっていた。そして郵便が届いた翌日に上記集会の賛同人になってくれと依頼を受けて了承した。実に複雑な思いである。8・6当日に広島にいるのに、自分が賛同人になった集会に参加しないのだ。だがしかし、せめてもの償いとして集会の宣伝だけはさせてもらうことにした。

 因みに私が参加する8・6ヒロシマ大行動は8・9長崎とも連動している。以下に簡単に紹介しておく。

 日程 8・6広島―8・9反戦反核闘争
世界の労働者・民衆の団結で、核と戦争をなくそう! 被爆63周年

 8・6ヒロシマ大行動
とき 8月6日(水)12時半/集会 午後3時/デモ行進
ところ 広島県立総合体育館小アリーナ(広島市中区基町4-1)
関連行事 8月5日(火)
午後/産別労働者交流集会
夕方/青年労働者交流集会(広島市 東区民文化センター)
●アジア侵略、ヒロシマ・ナガサキ・オキナワをくり返すな!
●憲法改悪阻止―ヒロシマの力で!
主催/被爆63周年 8・6ヒロシマ大行動実行委員会

 8・6-8・9反戦反核闘争日程
 主催/8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会
●広島行動
★8月5日(火)ヒロシマ大行動関連行事参加
★8月6日(水)
◎福田打倒・祈念式典糾弾デモ
午前7時/東千田公園
(広島市中区千田町 広電「日赤病院前」)
※昼から8・6ヒロシマ大行動へ参加
●長崎行動
★8月8日(金)
◎長崎市内大情宣行動
午後1時半/市内アーケード中心部
◎8・8反戦反核労働者集会
午後6時/長崎県勤労福祉会館4階中会議室
(長崎市桜町9―6、長崎電軌「公会堂前」) 
★8月9日(土)
◎長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会へ参加
(主催/長崎朝鮮人の人権を守る会)
午前7時半/松山公園
(長崎市松山町、長崎電軌「松山町」)
◎祈念式典糾弾・福田来崎弾劾デモ
午前10時/城栄公園
(長崎市城栄町、長崎電軌「松山町」)

 続いてもう一つ、8・6広島で行われる取り組みの宣伝をさせてもらう。

被爆63周年 8・6ヒロシマ集会

8・6の原点(被爆の現実、日本の加害責任)をあらためて問い直そう
改憲と戦争、核、差別とたたかう新たな潮流をつくりだそう

○と   き 8月6日(水) 午後1時 開場  午後1時半 開始
○と こ ろ 広島厚生年金会館 3階銀河(広島市中区加古町3‐3)
○主   催 8・6ヒロシマ集会実行委員会
広島市西区福島町1‐24‐1
Tel・Fax 082‐291‐1843
○よびかけ人
李 金異(福島・都・小河内地区住宅家賃値上げに反対する住民の会 原告団長)
森島 吉美(広島修道大学教授)
松井 邦雄(元広島市議会議員)
平田 仁士(広島県教職員組合)
瀬川 博(部落解放同盟全国連合会委員長)

被爆63周年  8・6ヒロシマ集会 よびかけ文

私達は、今年の「8・6ヒロシマ」において、憲法を改悪する攻撃とたたかい、戦争と核、そしてあらゆる差別をゆるさない新たな潮流をつくりだすために、この集会を開催いたします。
被爆63周年を迎えるにあたって、私達はあらためて「8・6の原点」に立ち返る必要があるのではないでしょうか。 まず一つに、8・6に何が起こったのか。被爆者のみなさんがこれまでどんな苦しみを背負いながら生きぬいてこられたのか。また後世の人々に伝えたい思いとは…これらを共有し、肌から学んでいくことです。

広島においては何万人もの在日朝鮮人・韓国人が原爆の犠牲となり、今なお苦しみつづけているのです。また当時、広島市の被差別部落、福島町の住民は疎開先から追い返され、爆心地から2キロ弱で多くの放射能の残る福島町に住まざるをえなかった。それによって甚大な被害を受けたのです。

そして二つ目に、日本が15年戦争で侵略していった加害責任について反省することです。戦中広島には軍の拠点が置かれ、宇品港からたくさんの兵士がアジアに向け出兵していきました。その結果ヒロシマ、ナガサキ、オキナワを引き起こしたという反省に立ち返らなければなりません。

洞爺湖サミットで列強の生き残りをかけた争奪戦がくりひろげられ福田政権はますます戦争-改憲の道をつきすすもうとしています。「海外派兵恒久法」はいつでもどこでも戦争のできる態勢をつくろうとするものです。沖縄、岩国の基地強化とこれまで閣僚などによる「アメリカに対抗するための核武装」発言は、まさに改憲と核武装は直結していることを意味しています。ブッシュの先制攻撃による核戦略はまさに戦争-核戦争で全世界をたたきこもうとしています。

私達は、被爆63周年を迎え、本気になって福田政権による改憲と核武装を阻止しなくてはなりません。

だから今こそ、被爆者をはじめあらゆる人たちが互いの思いを分かち合い、平和を愛する新たな潮流をともにつくりだしていきましょう!改憲と戦争、核、差別とたたかうアピールを大きく発していきましょう!

ここにみなさんのご参加を強く訴えるものです。

実行委員会のホームページ
アドレスhttp://geocities.yahoo.co.jp/gl/hiroshimajitu_8_6

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2008年7月21日 (月)

色々疲れた三日間

 一昨昨日の18日は昼過ぎに起き出して診療所に行った。今現在の主治医ではなく元々鬱病に罹患した時にかかっていた医師に受診するためである。今現在は中央派なのか関西派なのかは分からないが革共同系列の精神科の医師である。ここまで書いただけで知っている人は分かるであろう。除名された関係もあって診察を受けることの敷居が高かったのであるが、どうも今かかっている医師は頼りなく思え、思想上の悩みなども聞いて貰えるためにセカンドオピニオンとして受診することにしたのである。

 受信後、キャンパスプラザ京都で行われた10月19日の反戦集会の実行委員会に参加した。去年の10・21に続いて今年も国際反戦デーの集会とデモが開催されるのである。会場は京都の円山公会堂で、デモは京都市役所までを予定している。詳しいことはまだ検討中であるために詳細を記事にするのは暫く後のことであろう。実行委員会の後で親睦会があったのであるが、病院との関係でバイクで行ったために酒を飲むことが出来ずにひたすらウーロン茶を飲んでいた。周りの人たちがビールや焼酎を飲んでいるのが羨ましかった。今度は電車で参加するようにしよう。

 良く19日と20日は息子の通う剣道教室の錬成会であった。夏期強化練習である。8時30分に集合して夕方4時過ぎまで稽古をした。武道館は風が通らなくて非常に暑かった。少し素振りをしただけで汗が滝のように流れる。近隣の中学の剣道部との合同練習であったが、流石に小中学生は体力がある。休憩を挟むとたちまち元気を回復していた。昼食後の休憩時などは走り回って遊んでいる。大人達は少し面を付けただけでも息切れしていた。面を付けないでの稽古もあったのであるが、途中で足が吊ってしまい付いていけなくなった。面を付けての元立ちの際など、こちらから打って出ようとしたら足がもつれて転倒する始末である。日頃の運動不足を痛感した。

 暑い中で稽古をしたお陰で、昨日入浴前に体重を量ったところ2キロ痩せていた。このまま夏場も稽古を続ければダイエット出来そうだなどと思ったのであるが、一人で稽古するのは非常に大変である。誰か一緒にするから辛いことも乗り越えることが出来るのだとも思った。帰宅して晩酌にビールを飲んだのであるが、その美味しいこと美味しいこと。だが疲れたためであろうか、夜はパソコンを開くことも出来ず寝てしまった。今日は教習所も休みであるために一日ノンビリして、夕方子ども達と夏祭りに出かけた。こちらは例年より規模が縮小されていたのであるが、それでも子ども達は楽しめたようだ。

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2008年7月17日 (木)

橋下大阪府知事は勤務時間中にジム通いしても許されるのか?

 労働者には勤務時間中にタバコ一本でも吸うなと言っている男が、自分には何と甘いことか。結局資本家とその僕達は自分たちだけは労働者とは違うという特権意識、何をやっても良いという傲慢な考え方を持っていると言うことだろう。朝日新聞のサイトで検索したところこの件に関する記事が載っていなかったので東京本社版では取り上げられていないのだろうが、大阪本社版の朝刊では結構紙面を割いていた。

 橋下知事 公用車でジム 他に4回 「帰宅途中で問題ない」朝日新聞7月17日朝刊
 大阪府の橋下徹知事が公用車でフィットネスクラブに行ったのは、6月以降で計5回だったことがわかった。秘書がクラブに送った後、公用車は府庁へ戻ったという。秘書課は「自宅へ送る経路の途中で問題はない」としている。
 同課の説明では、既に明らかになっている14日のほか、①6月17日午後7時半ごろ②同22日午後3時ごろ③同29日午後4時半ごろ④7月5日午後4時半ごろの計4回、橋下知事をクラブに送った。
 府の庁用自動車管理規定では、知事が公用車を使えるのは「職務の遂行のために使用する場合」。同課は「自宅から府庁までの送迎と公務にしか使えない」としている。
 4回のうち、6月22日と29日は自民党衆院議員のパーティーなどに出席し、その後、公用車でクラブに向かったという。同課は「いずれも知事として出席し、府政の話をしているので公務。車内で秘書と打ち合わせもしており問題はない」と説明している。

<橋下知事>公用車使い昼間にジム通い 「府民に判断を」
2008年7月16日(水)18時29分配信 毎日新聞

 大阪府の橋下徹知事が臨時議会開会中、公用車を使って大阪市北区のジムに行ったことが分かった。公表される知事日程でこの時間帯は「庁内執務」とされていた。橋下知事は16日、報道陣に「自分で時間を管理するのが特別職。ジムで思いを巡らすこともある」と釈明し、昼間のジム通いや公用車使用の是非について「府民のみなさんに判断してもらいたい」と話した。

 府秘書課や橋下知事によると、14日午後1時ごろ府庁を出発。市内の法律事務所に寄り、同2時ごろジムに向かった。5時前に府庁に戻る際はタクシーを使ったという。公用車の使用について橋下知事は「プライベートだが、警備上必要で問題ない」と話している。この日は臨時議会で委員会審議中だった。

橋下知事が公用車でジムに
2008年7月16日(水)11時52分配信 共同通信

 大阪府の橋下徹知事が14日午後、公用車で大阪市北区のジムに通っていたことが16日、分かった。知事は「ジムは府庁と自宅を結ぶ経路にあり問題ない」と説明。だがジムに行っている間、府議会常任委員会では知事が提出した予算案の修正議論の真っ最中で、賛否が分かれそうだ。知事は「休日も警護の関係で自宅から出られず、2月の就任から7キロ太った」と話しており、“メタボ予防”への理解を求めている。

橋下徹知事が公用車でジム通い…「問題ない」と釈明
2008年7月16日(水)17時15分配信 夕刊フジ

 大阪府の橋下徹知事が14日に公用車で府庁を抜けだし、大阪市内のジムに行っていたことが16日、わかった。橋下知事はこの日、事実関係を認めたうえで、「いつでも連絡が取れる状態にあり、問題はないと思う。府民に判断を委ねたい」と釈明した。だが、7月臨時府議会の常任委員会で、予算案修正をめぐる論議が活発化する最中の出来事だけに、府議や府職員の間からは「あまりにも緊迫感が不足している」との声が上がっている。

 府の説明によると、橋下知事は14日午後1時ごろ、秘書1人を伴って公用車で外出。大阪市北区の自身の弁護士事務所に立ち寄った後、近くのフィットネスジムを訪れたという。秘書とはジムで別れ、夜に公務があったため、タクシーで府庁に戻ったのは同5時半ごろだった。

 橋下知事は16日午前、報道陣の取材に、「知事は土日も休みがなく、24時間365日公私あわせもった生活をしている。空いている時間を使わせてもらった」と説明。公用車を使ったことについては、「殺害予告など脅迫が相次いでおり、警護の関係上使わせてもらった」とした。

 さらに、「2月の就任から7キロも太った」ことを明らかにし、メタボリック・シンドローム予防へも理解を求めた。

 こうした橋下知事の行動に、府議や府職員からは反発の声があがっており、ある府職員は「府議会が緊迫しているこの時期にジムに行く必要があるのか。あまりにもタイミングが悪すぎる」と話していた。

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2008年7月16日 (水)

ラジオ体操

 今日の夕方、毎週水曜日にやってくるパン屋さんに息子がカブト虫をもらった。何でも去年もらったのが卵を産んで、それが沢山孵ったのだという。雌はたった三匹で殆どが雄だったという。息子は雄を2匹もらったのだが大喜びである。贅沢にも雌まで欲しいと言い出す始末である。それでもスーパーなどでつがいを買うと高く付くので貰えたらそれはそれで良いだろうと思う。ついでにこのあたりで取れそうな場所があるかどうか聞いたところ、二三カ所可能性のある場所を教えて貰った。去年の夏休みには早朝起きて近所の山に行ってみた物の、場所が悪かったり時期が遅かったようで全く捕れなかった。

 夏休みが近づくと思い出すのがラジオ体操のことである。郵便局に勤めていた時分、一学期の終業式が近づくと担当区内の小学校にラジオ体操の出席カードを配って歩くという業務があった。殆どの人は主催が郵便局であることを知らないので、農協やヤクルトや地銀が作った偽物のカードを平気で使っているし、学校の側も民間企業の宣伝に何の疑問もなく協力していた。何で人の褌で相撲を取るような真似を許しているのかと上司に文句を行ったことが何回かあった。私の場合学校に届ける際に主催は郵便局ですので他所のまがい物は配らないで下さいとお願いしたり、集金先のお客さんの家で偽物を見つけると便乗商法であることを指摘したりした。

 だが、殆どの同僚はそう言ったことについては無関心であった。寧ろ出席カードを配ること自体を余計な仕事だと思って敬遠していた。局にもよるが配布自体しないところもあった。営業時間が削られることを敬遠する向きが有ったのだ。実際問題、宣伝・広報をしたところで個々人の職員には保険契約の機会が出来る訳ではない。その時間を一件でも多くお客さんに声を掛ける方が良いと思う者が殆どだったのではないだろうか。契約が出来れば歩合があるので、その為ならどんな卑劣なことでも、人を出し抜いたり騙したり利用したりするのも厭わない人間も沢山いた。以前日記に書いたことのある守銭奴である最高優積者やマル生分会長である優積者などはそうである。

 脱線したのでラジオ体操に話を戻すと、軍国主義の色が濃い1928年に国民の体位増進・健康増強のために当時の逓信省簡易保険局が考案し、ラジオ放送で流したのが始まりである。戦後は郵政省簡易保険局がそれを引き継ぎ、NHKと天下り団体として組織したラジオ体操連盟との三者共催で普及に努めてきた。当時の意図は、軍人となるべき国民は健康でなければならないので、その為に逓信省として何をするべきか、また加入者が健康であり死亡などの保険事故が少なければ死差益が望めるという簡易保険局の利害も絡んでいた。民営化後はかんぽ生命が事業を引き継いでいる。民営郵政が便乗商法に対してどの様な態度を取っているのか、今の私には分からないのであるが、国営事業としての立場から国民の健康を重視して文句を言わなかったかつてとは違い協賛金を出させるなどしているのではないかと思う。もうじき終業式であるので息子がどんな出席カードを持ち帰るか興味がある。

 余談であるが、今現在放送されているラジオ体操第一は三代目である。内容に軍国主義的な物が色濃かったために、戦後暫く放送などが禁止されていた時期もあった。NHKが放送している「みんなの体操」も実は郵政省簡易保険局が制定した物である。ラジオ体操第一および第二は、跳びはねるなどの激しい動作を含むためにお年寄りには返って良くないと言うことで、1999年に公募を元に作り上げた。制定当時は郵便局で「みんなの体操」のビデオを老人ホームなどに配布して歩いたことがある。ラジオ体操の仲間としては郵便局員の職業病である腰痛対策としての郵便体操という物もあって、郵政研修所で習い覚えた。今現在でも郵便局ではラジオ体操か郵便体操を行っているところが多いのであるが、健康管理と併せて勤務時間外にも管理職の命令を聞くかどうかのリトマス紙として労務管理のためにも利用されている。

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2008年7月15日 (火)

革共同再建協議会

 一昨日の武庫川ユニオン結成20周年を祝う集いで、偶然革共同関西派の人と同じテーブルになった。相手の方から色々と話しかけてくれ、洞爺湖サミット闘争のエピソードや最近の事情のようなことも教えて貰えた。酒の席であったためにあまり記憶に留まっていないのであるが、幾つか教えて貰った話では関西派という名称が相応しくない状況になりつつあるようだ。つまり今まで関西を中心に中央派との対立があった訳だが、全国的な状態に広がりつつあるらしい。妻が倒れて以降「革共同通信」に目を通していなかったのであるが、「革命的共産主義者同盟全国委員会の再建をめざす全国協議会」という物が発足したとのことだ。(勿論「前進」も読めていないのは同じである)

 7月の27日には革共同政治集会を開催するという。良ければ参加しないかと誘っていただいた。会場は尼崎市立労働福祉会館で、開場が12時30分。開会が13時30分。閉会は17時だそうだ。革共同政治集会にも五年か六年参加していないので久しぶりに参加してみるのも良いかと思い、予定を遣り繰りすることにした。帰宅してから中央派の人にも電話して、そちらの革共同政治集会の当日精算券を送ってもらうよう頼んだ。両方の話を聞き比べることで少しでもこの間の分裂問題について考えたいと思うからだ。

 革共同中央派の政治集会は8月3日。会場は天王寺区民センター。開場は12時。開会は13時である。基調報告は高原洋三と言う人である。中央派の方は同じ日に東京でも政治集会がある。そちらは北区赤羽会館で、11時30分開場である。基調報告は木崎冴子さんだという。中央派の人と先日話した時には革共同政治集会は参加しなくても良いと言われた。対権力の関係で革共同政治集会に参加すると言うことは一線を越えるからと心配してくれたのだ。無理しなくて良いよと言うことである。

 関西派はホームページがないのは何故かと尋ねたところ、作るからにはしっかりした物を作らないといけないので今は準備中であるとのことだった。話しぶりから察したところ夏から秋にかけて開設されるのではないだろうか。ファシストカクマルと違って、論文などがキチンと読める物になるらしい。カクマルのサイトは記事や論文の極一部しか掲載していないので主張の全体を知ることが出来ない。まあ全部知られたら困る内容なのだろうが。何にしても革共同両派の政治集会に参加してそれぞれの主張をしっかり聞いてこようと思う。

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2008年7月14日 (月)

武庫川ユニオン第21回定期大会と20周年を祝う集い

 7月13日日曜日、尼崎労働福祉会館において武庫川ユニオンの第21回定期大会と結成20周年を祝う集いが開催された。午前11時に始まった定期大会は組合員の三分の二が出席および委任状を提出しており無事成立した。400人組織ともなると代議員制を敷く組合が多いのであるが、武庫川ユニオンは組合員一人一人の声が届きやすい直接民主制を採用しているようだ。副委員長の鳥羽さんが仮議長の挨拶を行い、議長にふれあい分会と市役所分会の組合員が選出された。議長挨拶の内容は、尼崎市役所分会の闘いを始め様々な闘いがあった。だが、今回は20周年を祝う集いがあるので手短に終了させたいとのことであった。委員長挨拶は20周年という事で武庫川ユニオンは二十歳、大人の仲間入りをしました。本来は500人組織にしたかったが残念なから400人である。市役所分会の闘いを始め課題は山積みであるが一人一人の組合員の成長を含め1000人組織を目指していきたいとのことであった。

 名古屋ふれあいユニオンからの連帯メッセージを読み上げた後、小西書記長から活動経過および新年度の活動方針の提起があった。華々しい闘いを展開した物の組織拡大と言うことについては100名の加入があった物の団体としての加盟がなかった。組織拡大としては今ひとつであった。だが新年度には新しい分会の結成が見込めていることを報告した。グローバルエアカーゴにおいて協約を締結しないことを巡って8時間のストライキを完徹した。生鮮食品の職場では珍しい。今現在は解雇撤回闘争が行われている。マブチにおける闘いで勝利的に和解したことが報告された。尼崎市役所の闘いについては当初一ヶ月物ストになるとは思っていなかった。甘い見通しであったが労働組合が許せないことは許せないとして闘ったことで尼崎地域の闘いではなくて全国の非正規労働者の闘いへと広がり、派遣業者が入札を思いとどまり、結果として直接雇用を勝ち取ることが出来た。今の組合の体制においては、市役所分会の闘いに突入すると他の職場における取り組みが疎かになると言う欠点が露呈した。この問題を克服して組織強化を図りたい、とのことであった。

 情勢を巡って世界中で原油価格の高騰による問題が生じている。スペインでは漁民のストライキが巻き起こり町には魚が無くなった。組合員から日本人は何故ストライキに立ち上がらないのだと批判を受けた。この問題については真剣に考える必要がある。組織強化を巡っては新たな専従を迎えるためにも500人組織を達成したい。自分の問題から出発するが自分の隣にいる非正規の労働者の問題について取り組めるようにしたい。組織拡大のためには拠点を作ってきた地域・職場に組織化の出来るオルガナイザーを育てていきたい。外国人労働者の通訳が出来る専従も作っていきたい。制度政策闘争として尼崎市役所に対してリビングウェッジ条例の制定を求めてきたが、大きな前進があった。今年度中に条例制定を求めていきたい。来年は市議会議員選挙であるので現職を応援していきたい。方針提起の最後に春闘が終結していない環境クリエイト分会において、賃上げを求めて7月中にもストライキを構えて闘いたいと結んだ。

 大会資格審査報告によって大会が成立したことを宣言した後、2007年度の会計報告と2008年度の予算案の提起が行われた。会計監査報告がなされ、その後質疑応答に移った。最初に市役所分会の労働者からは無期限ストライキによる闘いとなったが支援のお陰で勝利できたことについてのお礼があった。次いでこれからの格差社会との闘いにおいて、資本からの攻撃が続くことに対して労働組合としての職安機能の確立が必要ではないかとの意見があった。(労働組合は人材は人材は派遣会社以外にも労基法上労働者供給が認められている) 答弁として阪神・淡路大震災の際に検討したことがあったが、労働条件を要求することと受け入れ企業との付き合いの関係で色々と苦悩する点があるので、人材供給事業については今後の検討課題としたいとのことであった。クリエイト分会からは四を相手に闘っているが今年は賃上げを認めない。要求を呑まない場合には闘争を構えているので、その際の支援を訴える意見があった。滋賀支部の外国人労働者からは今年はみんなの力で尼崎市役所などを闘ったので、段々やる気をもらった。凄いことをしているが、今の日本ではもっともっと武庫川ユニオンの力が求められている。武庫川ユニオンが燃えるようにお願いしたいとの発言があった。意見が無くなったので07年活動経過報告・08年度活動方針案・07年度会計報告・会計監査報告・08年度予算案が一括して採択された。スト権投票は全員の賛成で承認され、人事については全ての候補者が賛成多数で信任された。

 会場を移して祝う会が行われ、料理と飲み物を口にしながら、20年の歩みを編集した映像上映有り、バンドの演奏あり、演劇有り、支持協力関係?にある新社会党の県議・市議団、顧問弁護団の発言もあった。演劇は市役所分会の闘いについての物であったが、時折笑いを誘いながら闘いの経過を分かり易く紹介する物であった。和気藹々とした祝う会が行われ、運動その物を楽しみながら取り組むという武庫川ユニオンの良い面が伝わってくる物であった。

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2008年7月 9日 (水)

筋肉痛と運転疲れ

昨日息子の通う剣道教室での稽古に参加したら、約2時間の半分程過ぎた時点でリタイアしてしまった。最後に近畿郵政剣道部の稽古に参加したのが4年程前の事になるし、最近では犬の散歩も子供達に任せきりなので体が鈍り切っていた。息子の前で少しは経験者として手本になればと思ったが甘かった。それでも最後に面打ちだけは気合いを入れてしたつもりだ只、情けない事に足がついて来なかったので、転倒しかけた。

汗も大量にかいたので、帰宅後に一風呂浴びてからの焼酎水割りが美味しかった。つい飲み過ぎて、blogで色々と指導部への不満を書いてしまった。80年代の半ば等はまだまだ対カクマル戦争が厳しかったし、対権力武装闘争が盛んであったので、上意下達の軍令調の雰囲気が強かった。私自信も当時は渋々従っていた点等が有って、不満はそれとして沈澱していた。今はその様な事は無いと思うが。

で、一夜明けたら体のあちらこちらが筋肉痛で痛い。特にふくらはぎと左の内腿・両腕の筋肉が酷く痛む。ふくらはぎは踵を軽く浮かせて擦り足をするので、左の内腿は体重を少し後ろにかけるためだ。両腕は竹刀を振るうからだが、振り下ろした際に雑巾を搾るように捻るので力が入る。未だに痛みが引かない。尤も翌日に筋肉痛が出るのはまだマシだ。歳を取ると翌々日に筋肉痛が出るらしい。

そして今日は初めての路上教習を受けたのだが、早く免許を取りたいために3時間予約を入れた。教習所のコースを走るのと違い、公道は危険が沢山ある。神経を使うので3時間乗るのは止めた方が良いかも知れない。とにかく今日は疲れた。

本当は明日反対する会の事務局会議が有るので資料に目を通さないといけないのだが、メールに添付されたファイルを開くためにパソコンを点ける気分ではない。blogにもコメントが幾つか有るので返事をと思うが、明日起きてからにしようと思う。この記事は寝床の中で携帯を使って書いている。

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2008年7月 8日 (火)

仮免合格

 世の中には変わった御仁がいる物で、私が運転する大型トラックに轢かれそうになったと言う妄想をネット上で書き殴ったりしている。しかもこの人物によると私は特殊な訓練を受けた「テロリスト」なのであるらしい。実際の私を知る人たちは当然のことながらケケ博士がご乱心と言うことで一笑に付していた。何故なら私は普通免許を持っていないので軽四すら運転できなかったからである。ついでに言えば、中学高校と六年間剣道をした物のついに二段には合格できず初段止まりである。その後10年ほど前であろうか、郵政武道会に誘われて剣道を再開した物の、鬱病のお陰で幽霊部員となって久しい。

 今まで色々なことが重なって、ついつい普通免許を取りそびれてこの歳になってしまった。高校卒業後は大学受験に失敗して2年浪人していたので、当然のことながら免許など取る余裕はない。進学を諦めて働き始めた時はダイハツ自動車の期間工が皮切りであったので、バブル前の当時としては月収が27~8万と高卒にしては良かったのであるが、既に反戦青年委員会に決起していたために手元に7万を残して全て地区党に上納という生活であった。最初の内は交通の便の良い処で活動していたので免許がなくとも活動に支障がなかったが、地区党の方針で全逓に就職せよとなったために、採用通知のあった田舎に通勤することになった。最初は向日町郵便局から採用通知があったのであるが、地区党を移籍することになるため当時の指導部が私に嘘をついて辞退させたのである。

 原付免許さえ持っていなかった私は、郵便局に入ってから局の仕事に差し障ると言うことで経費で原付と自動二輪を修得した。私の若い頃は業務に必要と言うことで出張扱いで運転免許センターに行かせてくれたし、教習所にも時間内に通学させてくれて、その交通費も教習費も局持ちであった。郵便・集配の場合には普通免許も取らせてくれたのである。公共交通機関が発達していない田舎で活動することになったので何度か普通免許を取らせてくれと指導部に要望したのだが、地区党の財政の関係で不許可であった。当時は1万円以上の支出がある場合には指導部の承認を得なければならなかったからだ。バイクなら良いと言うことで中古のMTXを買って、その後XLR250BAJAに乗り換えた。結婚して子供が出来たので保育所の送り迎えのために普通免許を取らせてくれと申請したがやはり不許可だった。結局そのまま今に至る。

 妻が車の運転を出来るので何とかかんとか子供の送迎は遣り繰りした。だが、妻が夜勤や深夜勤の時は私がタクシーを使った。他のメンバーは結集前に免許を取っていたので自動車で通勤し、活動にも使っていたのであるが、私に対してはついに許可が下りなかった。財政的にも二重基準があったようだ。メンバーの内運動を通じて女性と知り合って結婚した人は、退職させて専業主婦にして家庭に入らせたのであるが、私の場合妻とは運動と関係ないところで知り合ったために党的に獲得して活動家にせよとの指導であった。息子が生まれてアパートでは手狭になったために家を買いたいと言った時にはダメの一点張りであった。結局指導部に内緒で自宅を購入した。たが、今は中央派に行った人達などは持ち家の人が何人かいる。その指導内容の違いについてはついぞ納得のいく説明はなかった。

 妻が病気のために運転が出来なくなったことと求人情報には「要普免」の断り書きが多いために普通免許を取ることにして、鬱状態がマシになった6月下旬から教習所に通い出したのである。周りは二十歳前後の若い人ばかりで、40代の中年はそうそういない。また若い人と違って覚えは悪いは体は付いてこないわで、結構時間がかかっている。自動二輪を持っているので学科が免除になっているから良い物の、今から法規を勉強しろとなったら、果たして出来るかどうか疑問である。何とか第一段階の見極めが終了して仮免の検定を初めて受けたのが先週の土曜のことである。緊張して安全確認は出来ないわS字で脱輪して検定中止になるわで散々の結果だった。補習を1時間受けて、今日、再度修了検定に挑んだところ70点ギリギリで合格することが出来た。明日からは路上教習が始まる。出来ることなら今月中に卒検に合格したい物である。

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2008年7月 4日 (金)

鳩山由紀夫と握手してしまった

 今日は出歩く元気があったのだが、これと言って予定もなくボーッとしていたところ、妻にせがまれてパチンコに連れて行くことになった。妻は、以前にも書いたことがあるのだがパチンコが好きである。特に一昨年は「冬のソナタ」に嵌り、そこからぺ・ヨンジュンのファンになったりした。今年になって「冬のソナタ2」が登場したのでそれで遊びたいというのである。家には冬ソナの攻略記事が載ったパチンコの雑誌が沢山並んでいる。色々研究しているのであるが、その通りに行くとは限らない。今日も午前中は「冬ソナ2」を打っていたのであるが中々連チャンがなかったようで、負けてしまった。私はと言うとパチンコ屋に付き合った物の「冬ソナ」を打つ気にはなれず「創聖のアクエリオン」と言うアニメを題材にした機種で遊んでみた。

 たまたま運良く良い台に当たったようで、千円で大当たりをかけた。何回か続いてくれたので、まあまあ浮いた。午後になって今日は民主党幹事長の鳩山由紀夫がやってくるとの立て看板を見たことを思いだし、どんな話をするのか一つ聞いてやろうと思って演説のあるスーパーへと足を運んだ。最初は鳩山と地元の選挙区から衆院選に立候補する予定の候補者の紹介だけして、聴衆との握手と名刺配りだけであった。なんだこんな物かと思い、買い物をして次の会場である駅頭に移動した。鳩山と候補予定者はスーパーの中と商店街を練り歩いて沿道の人々と握手したり写真撮影したりしていたようである。その間地元の市会議員と参議院議員とが演説を行い時間を稼いでいた。候補予定者と鳩山とが到着した後、最初に演説したのは候補予定者である。この人は全逓を通じて面識のある人で、時には組合動員でビラ撒きをしたり演説会や学習会に参加したり、市政相談会に参加したりとお付き合いのある人である。革共同が衆院選に候補を立てない限り、消去法でこの人を選ぶしかないのが現状である。

 鳩山由紀夫の演説であるが、特に上手いとは言えない。演説の上手さで言えば革共同の北小路敏政治局員の方が数段上である。だが、そこは何と言っても衆院議員であるから政局についての話は詳しい。また今日の朝刊で報じられていた年金運用の失敗による5兆円の損失などを取り上げて民主党への支持を熱心に訴えていた。演説終了後聴衆との握手を始めたのであるが、立候補予定者と立ち話をしてしまったために立ち去る機会を逃し、鳩山が近くまでやってきた。手をさしのべてきたので払いのける訳にも行かず、握手する次第となった。何度も繰り返して述べてきたのであるが民主党はブルジョア政党であり積極的に支持する意志はない。今の日本に必要なのは革命であり、労働者階級に深く根ざした革命党としての革共同であると思っている。取り敢えず現状は自公連立政権を退陣させ、ブルジョア「民主主義」その物の欺瞞を万人に明らかにさせるために、一度は民主党に政権を取らせる必要があると思っているのである。

 余談であるが、演説会終了後、夕飯の買い物を済ませパチンコ屋に妻を迎えに行った。少々時間があったので再び「アクエリオン」を打ったところ、またしても運良く連チャンの大当たりである。子供用の防具一式と稽古着を買う程度の臨時収入があったので良しとしておこう。妻も同じ程度勝ったのであるが、それもやはり「冬ソナ」をやめて「アクエリオン」を打ってのことである。

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2008年7月 2日 (水)

白髪染め

Photo  今日は生まれて初めて白髪染めをしてみた。6月に2回もお爺ちゃん呼ばわりされてショックを受けていたためである。1回目は息子を連れて夕飯の買い物に行った際に、試食品を勧めてくれたおばちゃん(多分50代)に息子のことを「お孫さんですか」と言われてしまったのだ。2回目は息子が通い始めた剣道教室の先生に「お爺ちゃん怖いな」と言われたのである。その時は子ども達の稽古が終わり、先生達が稽古を始めたので見取り稽古のために正座して見学するよう息子に言ったのである。世の中には40代で孫を持つ人はいるのであるが、そんなに老けて見えるのであろうかとガッカリしてしまった。家に帰ってこの話を妻にすると、「確かに最近老けてきたわ」とのたまわる。

 30代の後半から確かに白髪が目立ち始めていたのであるが、最近は病気による気苦労などもあって急増していたように思われる。そこへ持って来て運動不足による肥満があるから余計に老けて見られるみたいで、午後一で傷病手当の請求のために局に行った際にも、仲の良かった集配の人間に「白髪増えたな」と言われる始末である。このままではいけないと思った物の、昔のように引き締まった体を取り戻すには時間がかかる。取り敢えず外見だけでも何とかしなければと思い、行きつけの散髪屋で白髪を染めてもらった。帰宅して子ども達の反応を見てみたのであるが、気づいてくれない。こちらから染めたことを話したところ漸く気づいて貰えた。

 外出していた妻が帰ってきた時も最初は分かってくれず、私が言い出して初めて「少し若く見えるわ」と返してくれた。感想を聞くと「宜しいんでないですか」と割と素っ気ない。別に今更惚れ直してもらおうとは思わないが、もう少し言い様があるだろう。取り敢えず見た目の方は白髪染めで誤魔化すとして、ダイエットの方をどうするかだ。息子の剣道教室に付き添っていくと、経験者であることを話したせいか私にも稽古しないかと誘って下さる。郵政の剣道部には今更参加できないし、民営化の影響で退職した部員も何人もいて開店休業で稽古会もしていないという。郵政武道会の縁で時たま通っていた道場も、先生が亡くなったために閉鎖された。息子と一緒に稽古するか、別に大人向けの道場を探すか、色々と思案しているところである。

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