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2008年7月 8日 (火)

仮免合格

 世の中には変わった御仁がいる物で、私が運転する大型トラックに轢かれそうになったと言う妄想をネット上で書き殴ったりしている。しかもこの人物によると私は特殊な訓練を受けた「テロリスト」なのであるらしい。実際の私を知る人たちは当然のことながらケケ博士がご乱心と言うことで一笑に付していた。何故なら私は普通免許を持っていないので軽四すら運転できなかったからである。ついでに言えば、中学高校と六年間剣道をした物のついに二段には合格できず初段止まりである。その後10年ほど前であろうか、郵政武道会に誘われて剣道を再開した物の、鬱病のお陰で幽霊部員となって久しい。

 今まで色々なことが重なって、ついつい普通免許を取りそびれてこの歳になってしまった。高校卒業後は大学受験に失敗して2年浪人していたので、当然のことながら免許など取る余裕はない。進学を諦めて働き始めた時はダイハツ自動車の期間工が皮切りであったので、バブル前の当時としては月収が27~8万と高卒にしては良かったのであるが、既に反戦青年委員会に決起していたために手元に7万を残して全て地区党に上納という生活であった。最初の内は交通の便の良い処で活動していたので免許がなくとも活動に支障がなかったが、地区党の方針で全逓に就職せよとなったために、採用通知のあった田舎に通勤することになった。最初は向日町郵便局から採用通知があったのであるが、地区党を移籍することになるため当時の指導部が私に嘘をついて辞退させたのである。

 原付免許さえ持っていなかった私は、郵便局に入ってから局の仕事に差し障ると言うことで経費で原付と自動二輪を修得した。私の若い頃は業務に必要と言うことで出張扱いで運転免許センターに行かせてくれたし、教習所にも時間内に通学させてくれて、その交通費も教習費も局持ちであった。郵便・集配の場合には普通免許も取らせてくれたのである。公共交通機関が発達していない田舎で活動することになったので何度か普通免許を取らせてくれと指導部に要望したのだが、地区党の財政の関係で不許可であった。当時は1万円以上の支出がある場合には指導部の承認を得なければならなかったからだ。バイクなら良いと言うことで中古のMTXを買って、その後XLR250BAJAに乗り換えた。結婚して子供が出来たので保育所の送り迎えのために普通免許を取らせてくれと申請したがやはり不許可だった。結局そのまま今に至る。

 妻が車の運転を出来るので何とかかんとか子供の送迎は遣り繰りした。だが、妻が夜勤や深夜勤の時は私がタクシーを使った。他のメンバーは結集前に免許を取っていたので自動車で通勤し、活動にも使っていたのであるが、私に対してはついに許可が下りなかった。財政的にも二重基準があったようだ。メンバーの内運動を通じて女性と知り合って結婚した人は、退職させて専業主婦にして家庭に入らせたのであるが、私の場合妻とは運動と関係ないところで知り合ったために党的に獲得して活動家にせよとの指導であった。息子が生まれてアパートでは手狭になったために家を買いたいと言った時にはダメの一点張りであった。結局指導部に内緒で自宅を購入した。たが、今は中央派に行った人達などは持ち家の人が何人かいる。その指導内容の違いについてはついぞ納得のいく説明はなかった。

 妻が病気のために運転が出来なくなったことと求人情報には「要普免」の断り書きが多いために普通免許を取ることにして、鬱状態がマシになった6月下旬から教習所に通い出したのである。周りは二十歳前後の若い人ばかりで、40代の中年はそうそういない。また若い人と違って覚えは悪いは体は付いてこないわで、結構時間がかかっている。自動二輪を持っているので学科が免除になっているから良い物の、今から法規を勉強しろとなったら、果たして出来るかどうか疑問である。何とか第一段階の見極めが終了して仮免の検定を初めて受けたのが先週の土曜のことである。緊張して安全確認は出来ないわS字で脱輪して検定中止になるわで散々の結果だった。補習を1時間受けて、今日、再度修了検定に挑んだところ70点ギリギリで合格することが出来た。明日からは路上教習が始まる。出来ることなら今月中に卒検に合格したい物である。

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コメント

 元黒さん、納得いただけたようで何よりです。党生活の経験があるなして分かることと分からない事ってありますからね。逆に私などは党の統制に縛られないノンセクトやアナキストの人たちの行動というのが中々分からなかったりします。

 軍事に偏重した歪みというのは90年代以降色々と論議があったようですが、末端まで下ろしてくれなかったので知らないことが多いんです。機会が有れば私自身が党の人に質問してみようと思います。

 ビープさん、何で指導内容の違いがあったんでしょうね。私自身良く分かりません。少なくとも10・20の突撃隊に選抜されたのはルンプロで拠点職場がなかったからだと言うことは分かるのですが。大卒の人たちはとある産別に固まっていたため拠点形成のために温存されたと言うことは分かるのですけどね。

投稿: アッテンボロー | 2008年7月14日 (月) 22時50分

>結集当時地区党のキャップは高卒の人で、

う~む、ならば、理由は何でしょうね。
単純に、えこひいきの類の話なら、別の意味で幻滅しますね。

投稿: ビープ | 2008年7月11日 (金) 21時32分

ありがとうございました。得心しました。
なにせ党生活の経験がないもんで(笑)。

まあ、アッテンボローさんも書かれてるとおり、権力・カクマルとの軍事的な緊張下にあって、党組織防衛上、統制が厳しかったということでしょうか。
関係ないですが、70年代末でも私の学校のMSLはいつも「集団登下校ー集団生活」してましたね。ヘタレノンセクは「なんぎやなあ」と思ってみてました(笑)。

投稿: 元黒 | 2008年7月11日 (金) 06時12分

 千葉428さん、私が決起した当時は反戦青年委員会自体が党派別に細分化されていて、職場反戦や地域反戦といった大衆組織というより党派の予備軍的存在でした。私自身反戦青年委員会に加盟を認められる以前から自分は「中核派」になったのだと思っていました。実際には反戦として数カ月活動した後に、当時の常任から「反戦への加盟の推薦人になるから決意書を書け」と言われました。80年代は反戦=党と言う意識が有りました。ですから自分の労働によって得た賃金は党の収入であり、一旦上納してから活動費を分配されるという考え方でした。

 免許に関していえば、私の所属していた分会は100パーセント全逓でしたから反戦派労働者であることを明らかにした後でも経費で教習所に行かせてくれました。力関係のお陰でしょうね。

 虎児さん、私の所属局は山間部が沢山有りましたので自転車で配達・集金している職員はいませんでしたね。胆務変更をすると必ず山間部を走る必要が有りました。気の毒なのは年繁の時のバイトですね。免許がなくて自転車で配達するのはかなり大変だったようです。「党生活」に関しては最初が肝心だったのでしょうね。軍隊調の規律が当たり前だと思っていましたから。

 元黒さん、私が現役であった当時は収入=党の金でしたから補助も何もあり得ず、一切が指導部と機関の承認が必要でした。一同盟員以前に私がマルクス主義青年労働者同盟に加盟したのが結婚後の話でしたから、大衆活動家に対しても職業革命家と同じことを要求していたことになりますね。03年でしたか04年でしたか、新生マル青労同になった際に加盟基準がマルクス主義を学んで労働運動をするならそれで良いと、かなり緩和されました。今は多分そんな事は無いと思いますよ。

 薩摩長州さん、確かに結集以前に免許を取得しておいて良かったですね。学生の場合労働者以上に許可が下りにくかったのではないでしょうか。84年に第四インターの学生を殲滅した時、学生でありながら自家用車を乗り回しているとの批判が「前進」に載っていた事を思い出しました。因みに私の場合自動二輪を持っていますから学科は免除です。高速道路での運転についての注意事項を昨日受けましたが、後は危険に関する教習生同士の討論だけですね。

 処で「おいどん」という言葉を使っておられますが、薩摩隼人なのでしょうか? 妻は薩摩オゴジョです。

 あすかさん、この歳になると体が付いてきてくれませんから、教わった事を実行に移すのが中々出来ません。頭では理解しているつもりでも出来ないし、イザしろと言われるとしょっちゅうパニックに陥っています。再就職のためにも一日も早く卒業検定に合格したいものです。そうそう、妻の病状ですが、この四五日で驚異的な回復を見せています。昨日医大病院での診察を受けたのですが、運転可能との診断が出ました。今日は医師の診断書を持って免許の更新に行く予定です。少しだけ気が楽になりました。

投稿: アッテンポロー | 2008年7月11日 (金) 04時51分

今の年齢で自動車の普通免許に挑戦とは、なんとも大変ですね。
これまでの過程で取得したくても許可がなかったせいだとは言え、お気の毒です。
生活もかかっていますから、どうか、頑張って下さい。

投稿: あすか | 2008年7月 9日 (水) 17時47分

おいどんは、学生になって速攻夏休みに免許取りました。結集はそのあとでした。もし、逆ならおそらくいまだに免許はなかったかも。学生戦線では普通免許をもっている同志は希少でしたが、おいどんには最後まで動員はありませんでした。任務でハンドルを握ることはたいへんな重責であったのでしょう。アトラ○戦争をになうセクションは、それはそれは素晴らしい運転技術の持ち主揃いでありました。どんな狭い路地でも安全第一のイケイケで、すいすいとキリまくってましたから。

学科試験は、講習を聞いてもなかなか覚えられないので、問題集を4~5冊こなして、最後までできなかった問題だけ暗記されたらいいとおもいます。出題は毎度かぎられた問題しかでません。

投稿: 薩摩長州 | 2008年7月 9日 (水) 17時22分

>当時は1万円以上の支出がある場合には指導部の承認を得なければならなかったからだ。

すみません。素朴な疑問ですが、自腹での免許取得とか自宅購入とかも、革共同の許可がいるのですか? 専従・職革でもない、一同盟員でも? 
それとも、同盟からの補助が出るケースについての話ですか?

ちなみにわたしも30半ばで自腹でオートマ譜面をとりました。

投稿: 元黒 | 2008年7月 9日 (水) 16時16分

私も郵政2年目に埼玉にあった教習所に派遣され自動2輪免許を取得しました。でも現場では自転車配達で通しましたけど。郵便局はバイク好きが多いところで、労働者会議の連中とよくツーリングに行きました。悪名高い奈良のそれとは違い、まじめでいい奴らでしたよ。退職後田舎に帰り、31才で自動車免許を取りました。求職で免許無しは大きなハンディです。路上まで来れば取れたも同然でしょう。奥様の全快とともにいい話題ですね。しかし、つくづく「党生活」というのはたいへんなものですね。私ではとても務まりそうもありません。

投稿: 虎児 | 2008年7月 9日 (水) 08時44分

等というのはいろいろ、細かい規制があるのですね。理由はあるにせよただ従わなければいけないのは黙って従う精神を植え付けるようでいやな感じがします。私は入ってすぐ全逓の青年部の役員になったので、局の援助の免許はとらせてもらえませんでした。千葉では教習所に無料で行けたのは未加入かごますりだけでした。それと細かい疑問なのですが、「反戦」は労働組合大衆組織ですのでそこにいたから党に献金するというのは勘違いではないですか?

投稿: 千葉428 | 2008年7月 9日 (水) 06時55分

 ビープさん、それはないと思います。結集当時地区党のキャップは高卒の人で、その指導の下に大卒の人たちが従っていましたから。

投稿: アッテンボロー | 2008年7月 9日 (水) 00時20分

推測に過ぎませんが、高卒ということでバカにされ差別されていたのかも知れません。
日本の左翼は学歴にうるさいですからね。

投稿: ビープ | 2008年7月 9日 (水) 00時10分

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