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2008年10月13日 (月)

秋祭り

 忙しくなり始めた。ここ数日反対する会のホームページ更新や諸処の作業に時間を取られた。おまけに昨日などは徹夜で作業して朝9時頃に寝たのに、12時頃に息子にたたき起こされた。小学3年生以下の児童は保護者が一緒でないと秋祭りに参加できない決まりがあるために付き添うことになったのだ。子供会の役員さんからは御神輿の担ぎ手が少ないのでそちらにも協力してくださいと頼まれてしまい、頼まれると嫌と言えない性格の私はついつい承諾してしまった。妻も病気が良くなり、今月から仕事に行き始めたため、息子の行事の殆どは私が行くことになった。ちなみに昨日は妻も休みであったのだが、気晴らしにパチンコに出かけて行った。

 子供にとってお祭りは楽しいもので、田舎に住んでいると度度あるお祭りには次から次へと参加している。昨日などは市内各所で秋祭りであったので人出も多かった。うちの町内会はとある神社の氏子が多いために自治会と氏子衆とを混同している人が多くて、自治会や子供会の役員が祭りの寄付金を集めたり町会費から支出したりしている。新規に転入した人間にとっては氏神さんなどあまり縁がないのだが、これも近所づきあいと思って我慢している。まじめなクリスチャンや「創価学会」の人間だったら拒否するのだろうかとも考えてしまう。少なくとも共産主義者は宗教の反動性を自覚しているから政教分離については厳しくなければならないだろう。日共はスターリン主義反革命なのであまり気にしないだろう。

 で、その神社の氏神であるが創作上のなんとか天皇を祀っていて、以前にも記事で触れたことがあると思うのだが、90年天皇決戦の時に人民革命軍武装遊撃隊(通称中核派革命軍)の戦闘で全焼したことがある。同時多発ゲリラで氏神さんと私の勤務地のよりによって担当区域内の神社ともう一カ所を攻撃したのだ。お陰で当時の私の下宿には不当・違法なガサ(家宅捜査)があった。捜査令状は対象の住所が番地一つ違っていても無効になるし、捜査に当たっては警察官は官姓名を名乗り警察手帳を示さなければならないのであるが、令状の住所は間違ってあったし名乗りもしなかった。そもそもゲリラパルチザン戦闘に際して、公然拠点や公然活動家の住居にガサに入ると言うことは、革命軍に関する手がかりを全く得られず、革命軍の前には警察が無能であることを覆い隠すためのマスコミ対策・世論誘導であるのだ。

 話を祭りに戻すと、12時半の集合で1時に御神輿が町内練り歩きに出発した。御輿には台車が着いていて押していくのであるが、引き綱が付いているにもかかわらず子供たちには引かせずに殆ど大人4人が押す羽目になった。子供たちは後ろをぞろぞろ付いてくるだけである。ご祝儀を呉れた家々を回って、その家の前で「ワッショイワッショイ」と担ぎ上げるのだが、これが結構きつい。膝の曲げ伸ばしで担ぎ上げないと揚がらない。大うちはを持っている子供もただ持っているだけで煽いでは暮れないので汗がダラダラ流れる。途中の休憩の時には息子がじゃれついてきてゆっくり休めない。「おしり食べて」だの「父ちゃんの金玉とか体とかの毛はもじゃ毛やで。ちんちんのはチンゲっていうんやで」とか言う。相も変わらず下ネタが多い。金的を蹴ってきたりする。素手で剣道のまね事をして遊んでいるときも突きを急所に入れてくる。「おまえは子供か!!」って子供だが。

 二度目の休憩は小学校の校庭で、ここではジュースとみたらし団子が振る舞われた。子供たちはお腹が空いているので一人一本では足りずに何本もお変わりに並んでいる。「父ちゃん二本目。去年は5本食べてんで」「あんな、○○くんな、12本も食べてん」「今日は3本でやめとくは」等々賑やかである。私もお腹が減っていたが流石にお代わりするわけにも行かずタバコを何本か吸うことで空腹を我慢した。なぜ空腹であったかというと、徹夜明けで眠たかったので朝食も取らずに寝てしまい、昼食を食べるまもなく祭りに参加したからである。

 祭りの最高潮は時間を合わせて幾つもの町内会の御輿行列が集結し、神社のそばの商店街を練り歩くときであった。うちの町内会の物だけでも百名くらいなのだが、それが千人ほど集まってワッショイワッショイとやる。そんなに広い道ではないから、見物人と併せて人並みが凄い。商店街のあちこちには商工会の人や市の観光協会の人たちなどが出店を出している。途中行きつけの本屋の前を通るとお店の人が飛び出してきて私にご祝儀を渡してくれた。急いで役員さんに手渡しそのことを伝える。役員は礼をして領収書を発行した。解散場所は神社の境内で、幾つもの御神輿や山車まで並んでいる。そうそう、神社の直近の町内会の場合は山車と御輿と太鼓の台車に御子装束の女の子が十数人、総勢で3~4百人はいた。解散の際に子供たちは商店街のお菓子引換券を一枚ずつもらい、大急ぎで配布場所に走って行った。私はその後で本屋によってご祝儀のお礼を済ませてから帰宅した。

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コメント

 okymさん、どうやら同じ時期に闘った戦友のようですね。事情があるでしょうから細かいことは書かない方がよいでしょう。これからも御覧いただければ幸いです。

投稿: アッテンボロー | 2008年10月17日 (金) 01時42分

はじめまして。実は数ヶ月前から悩んでました。書き込みするかどうか。

祭り ですか!
そう、あの90年天皇・三里塚決戦!それと様々な弾圧。私の具体的なことは素性がバレるので控えますが、多くの同志、仲間が非非の闘いと公然の闘い、それを有機的に結合する闘いを担いあの偉大な闘いに勝利しました。GP戦と大衆的武装闘争こそ、日帝打倒!プロレタリア革命勝利!の姿だと確信しています。日帝のアジア侵略を闘うアジア人民と連帯し侵略を内乱へ!
もう忘れさられたのだろうか?
>革命やろうぜ。
>上等
>ゼネストで革命

思考停止ともおもえる合法主義、経済主義。

ま、言いたいことは山ほどありますが、ネットほど合法主義なものはないので、このあたりでやめときます。

ちなみに私いま、ブツ配ってますよ!

投稿: okym | 2008年10月16日 (木) 22時11分

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