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2009年5月16日 (土)

阪神淡路大震災と郵便局

 田舎の話ばかり書いているので少し都会の話をしよう。

 1995年1月17日未明、京阪神を阪神淡路大震災が襲った。Wikipediaによると死者:6,433名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名の大規模災害だった。震災の被害や復旧の課程については既に色々な記録出版されているのだが、電力会社やガス会社は全国から復旧要員を派遣した。戦前戦中の国策の結果公共事業としての側面が強く残っているらだ。地震の報を聞いて郵便局の職場では誰とも無く被災地にカンパを送ろうという話が出てきた。勤務時間中の雑談だった。封筒を持って回ると中には1万円札や5千円札を入れる人もいて、殆どがお札だった。保険の募集成績の一番良い人間は小銭入れから数十円を入れた。数日後全逓本部の指導が降りてきて、被災地の組合員に送金することになった。当局も地震の2~3日後には郵便振替口座を移設して全国から義援金を集めた。勿論振り込み手数料はタダだ。Wikipediaには当時の郵政省の対応として4月20日に阪神・淡路大震災寄附金付切手を発行し9億4000万円を送ったくらいしか触れられていないのだが、郵便局も復興には協力した。倒壊した郵便局の業務を代行するために全国から移動郵便局車両が派遣された。衛星通信によって貯金や保険のオンライン取引が可能で、被災して所持金すらない人々の当座の生活費払い出しに役だった。地銀や信金などは規模が小さいために対応できなったし、全国展開している都銀でも車両の支店などは装備していない。また郵便局と民間金融金とでは貯金の原簿の管理の仕方が違っていて、郵便局は貯金事務センター、民間は支店ごとの口座管理になる。神戸貯金事務センター(当時。現在は大阪に統合)も被害を受けたが他の事務センターがバックアップすることが出来た。

 道路が各地で寸断されているので、トラックによる救援物資輸送は困難を極めた。郵政省は各地の郵便局に指令を出して郵便カブでのピストン輸送を行った。出張扱いで多くの職員が現地入りした。全逓は無給のボランティアを募集した。全逓の強い職場では金の出る出張扱いを断って組合の呼びかけに応じる人が多かった。専従役員を急遽増やして派遣したりもした。ある友達は1ヶ月の休暇を取って被災地入りしたが、管理職は理由も聞かなかったし、送り出す同僚は「頑張って来いよ」と言うだけで黙々と残った仕事を肩代わりした。今なら人手不足のために到底考えられていことだ。本来何に使っても良いはずの年次有給休暇を取る際でも管理職が用事をしつこく聞いてくる。同僚は長期休暇によるしわ寄せを嫌う。陸続と続くバイクの行列については東灘郵便局で貯金保険の渉外をしている高田知幸さんが「全逓調査時報」にレポートを記載している。「全逓調査時報」というのは組合が3ヶ月に一度の割合で発行していた部内の雑誌で今は廃刊になっている。高田さんは被災当時の記録を克明に残していたので震災を振り返るテレビの特集番組にも出演するなど、結構有名人らしい。郵便局でも被災後の郵便局の取り組みを記録した、確か「赤い郵便ポスト」という広報誌を窓口で配布していた。書籍としては未読だけれど白川書院新社から「赤いポスト白書―阪神・淡路大震災」と言う本が出ている。

 がれきの山、いつ倒壊するか分からない廃屋の上に付けられた被災者の転居先を、一つ一つ確認して歩く郵便局員の姿は全国ニュースにも流れた。学校などに設けられた避難所の隅々にまで救援物資は配達された。

 簡易保険に関しては震災数日後に死亡診断書を省略して支払えと言う通達が回ってきた。新聞報道で死亡の事実が分かれば、証書とハンコさえ有れば良いというのだ。焼け出されて証書すらなくなった人のためには再発行の手続きを簡略化した。貯金の手続きも似たような物だった。一切は被災者の生活支援が優先した。所持金もない人たちにはとても喜ばれた。郵便局員自身も被災者だったが避難所のテントから通って仕事をした。神戸新聞に「神戸新聞Q&Aサイト コミミ」と言うのがあって当時の様子を書き込んでいる人がいた。全文引用する。

[投稿日時] 2009-01-10 11:30:27
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投稿者 postちゃん さん

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阪神・淡路の震災のときどうしていましたか?

私は郵便局に勤めていて、周りの銀行も郵便局も潰れていて営業できない状況でした。被災者の方々のために窓口を開催しなければと」1月17日の当日から窓口を開けましたが、3台のATMは壊れているし、金庫が倒れて現金が出せないので近隣の郵便局からリュックにお金を詰めてバイクで運んでもらいましたが、停電のため、硬貨の計算が出来ず手で数えました。でも「ここの郵便局が開いていてよかった。娘の受験申込書を送らねばならなかったが何処も潰れていて」と涙混じりにお礼を言われたことが忘れられない。

その後も職員たちと被災者に何が出来るかを考え、カレンダーを全国から取り寄せたり、仮設の被災者のために生活マップ、表札作りをしたり、時には仮設にぜんざいを作りに行ったものです。当時は職員全員が自分たちのことより被災者に少しでも役に立ちたいとの思いでいっぱいでした。
(以上引用終わり)

 郵便局を含めて公務員官舎に避難できた人たちのことが叩かれた。仮設住宅の不足で行くところもない人に不公平だと言うことで。確かに中小企業や自営業者の人には不満があっただろうが、大企業の社宅に入った人については触れられなかった。

 85年の日航ジャンボ機墜落事故、04年の新潟県中越地震、05年のJR福知山線脱線事故、07年の新潟県中越沖地震。大規模災害のたびに死亡診断書の省略について通達が出ていたが、果たしていつまで続くだろう。

 「達」「通達」「公達」

 官公庁ではどこから出た命令かによって文書の呼び名が変わる。手元に郵政六法が有れば正確な名称が分かるけれど、記憶では「達」が本省、「通達」が地方郵政局。「公達」はどこからだっただろうか。郵政公社化の時に公務員ではあっても「官吏」ではなくなったので新しい命令文書は「達」などと言わなくなったし、民営化で公務員でもなくなったので今ではなんと言ったやら。ころころ変わるので仕事上の手続きですら把握できていない人間には分からない。

 goo辞書
つうたつ 【通達】
(名)スル(3)上級行政庁が下級行政庁に対し、細目的な職務事項や法律の解釈・判断の具体的指針を示し、行政上の処理の統一を期するために文書をもって発する指示通達。
くんれい 【訓令】
(名)スル上級官庁が所管の下級官庁に対して事務の方針や権限の行使などの基本に関する命令を発すること。また、その命令。
こうたつ 【公達】
官庁・役所からの通達。
たっし 【達し】
(1)官庁から一般人民、または上級官庁から下級官庁へ通知が出されること。また、その文書。ふれ。
「その筋からお―があった」

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コメント

 Orwellさん、あの時は多くの人が助け合っていましたが、その中でも公務員バッシングが沢山ありました。

投稿: アッテンボロー | 2010年2月 7日 (日) 20時59分

阪神淡路大震災の時のことを思い出しました。

投稿: Orwell | 2010年1月17日 (日) 18時59分

保険の優績者が小銭しかカンパしなかったことを叩きたいのですね

投稿: | 2009年5月19日 (火) 20時55分

阪神大震災の時、関西合同労組ができる契機となった、労働相談所と、富田町病院の無料診療所、炊き出し所の在った長田の公園に、アッテンボローさん、娘さんを連れて来ておられましたね〜!(^o^)

投稿: α | 2009年5月16日 (土) 06時19分

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