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2010年8月

2010年8月21日 (土)

ひまわり郵便

 はなゆーさんが戸倉多香子(とくらたかこ)さんのTwitterを紹介していた。触発されて「ひまわり郵便」で検索してみると伊藤基隆(いとうもとたか 元参院議員・元全逓委員長・99臨中において4・28闘争切り捨てを決定した際の書記長)が出席した参院総務委員会記事録がヒットした。とくらさんは山口県が「ふれあい郵便」発祥の地と書かれているのだが、私の記憶では鳥取発祥であったし、議事録では寺谷誠一郎鳥取県智頭町長(当時)が参考人として証言している。尤も、大事なことは「ふれあい郵便」も「ひまわり郵便」も今は廃止されてしまったと言うことだ。

第154回国会 総務委員会 第21号
平成十四年七月十七日(水曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/154/0002/15407170002021a.html

○参考人 宮城県白石市長 川井貞一氏

「平成十一年六月にスタートしたまごのて郵便事業を御紹介させていただきます。まごのて郵便事業は、独り暮らしの高齢者の孤独感を和らげるとともに、高齢者と小学生が手紙等のやり取りを通じまして心をはぐくむ学校教育活動の推進を図ることを目的として始められました。小学生が高齢者に対し励ましの手紙等を書き、郵便局では配達の際に励ましの声掛けとともに安否の確認を行い、お年寄りと触れ合いを深めるというもので、私はこれこそ地域に根差したサービスである、このように考えております」

○参考人 福井県名田庄村村長 下中昭治氏

「平成九年度から始まったひまわりサービス、これは村内の多くの独り暮らしの老人にとって、今やなくてはならないというものとなっております」

「小さな村ですと企業誘致も困難ですし、そういうことから役場が最大の地場産業であると、私、外に出た場合には話をしております。
 それと、それが郵便局さんの力がないとなかなか行政の遂行が難しいといった面があります。先ほど言いました防災協定なんですけれども、役場の職員も常にずっと村内をパトロールさせておりますし、また不法廃棄物につきましてもパトロールさせておりますけれども、なかなか毎日毎日そうはいきません。その点、郵便局さんは毎日村内を巡回しておられます。このマップでも分かりますように、ずっと私どもの村は谷に分かれておりまして、その間は全部山なんですね。ですから、その谷側のずっと奥には数戸、五、六戸とかまた十戸とか、そういった集落があるんですけれども、そこにも必ず郵便局さんは配達さんが毎日行っております。そういう面で、私どもの行政では目の届かないところもこの郵便局という組織の中で私どもにいろんな協力をいただいておる」

「私どものひまわりサービスのメニューの中に、配達員がその近くを通った場合には必ず声を掛けるというメニューを持っています。それと、小学生が定期的にそういった──ごめんなさい、このひまわりサービスのサービスは七十七歳以上の独居老人ということになっていますけれども、そこからはがきを出すという、これもメニューを持っています。三千人の村いいますと一つの家族のようなものですので、私自身も大体顔は皆今覚えておるぐらいです。正にアットホームそのままなので、そういうことをこれからも続けていきたい。
 ただ、今お話のありましたように、ボランティアにやはりちょっと限界が将来あるのではないかなと、これも一つの心配です。そうした意味でも、こうした制度はきっちりと残していきたい、このように考えております。
○参考人(寺谷誠一郎君) 伊藤先生が先ほど冒頭に、息子に自分たちのこういうことをやっているんだよという連絡をしたいなというようなことをおっしゃいましたけれども、実は、息子夫婦に連絡したいというようなことも智頭町でやっております。既に、町でデジタルカメラを購入しまして、それで各地区に渡しております。それから、郵便屋さんにも持ってもらっています。そこで、おばあちゃんに、写真を撮って、それではがきにするわけですね、おばあちゃんが写ったはがき。それにちょっと書いて、息子夫婦に、元気でやっているよとか。それを今度インターネットで郵便局が流しちゃうわけです。今度は、今大体メール持っていますから、そのメールが返ってくるわけですね、東京に行っている子供たちとか大阪。それをおばあちゃん来たよというお手伝いを郵便屋さんと一緒にやっています」

○参考人 鳥取県智頭町町長 寺谷誠一郎氏

「このひまわりシステムというのは智頭町が生みの親でございます。当時、平成七年にこのひまわりシステムというものをやろうじゃないかということで、当時は、郵便局から、そんなお金にならないような、独居老人のところを回っても全然お金にならない、そんなばかな話はないというような声も出ましたが、要は、おじいちゃん、おばあちゃんが独りで寂しそうに住んでおるのを、郵便屋さんというのは毎日毎日回ります、地区を、これが日回りですね。それから、植物のヒマワリというのはずっと太陽を照らす、太陽に沿って照らす。それからもう一つは、目に見えない部分、暗い部分を一生懸命照らしてあげようじゃないかという意味でひまわりという名前を付けました。
 そして、今では郵政省の方で、全国で二百四、五十、このひまわりシステムというのが導入されておるように聞いておりますが、この原点というのは、やはり郵便局を中心に、いわゆる郵便屋さんと、いわゆる独居老人、寂しい方たちの友情の物語といいましょうか。
 例えば智頭町では、まず黄色いボックスを作っております。おばあちゃんが独りですから、今日はちょっと病院に薬もらいたいなというときは、玄関に、黄色いボックスに旗を立ててもらっています。郵便屋さんが回って、あっ、おばあちゃん、何か用事があるんだな。おばあちゃん、元気。そして、おばあちゃんとの会話の中で、今日は、じゃ病院に薬をもらいに行ってくれと。これはすぐ役場に連絡が入ります。智頭町にも病院がございますから、即、病院に連絡して、病院の職員がその薬を届ける。あるいは、電球が切れた。おばあちゃんですからなかなかできない。それは郵便屋さんが、よしきた、直そう、直してくれるわけですね。それから、戸が閉まらない、そういうのも直してあげよう。いわゆるよろず屋的なことですが、その老人にとってはもう本当にこれがなくてはならない、そういうシステムということになりました。
 ですから、このひまわりシステムというのは、郵便局を中心に、役場、病院、警察、これが一体になってこの老人たちを助けるということで、今ではもう本当になくてはならない事業になっております」

「これは現実にあった話なんですが、これは実話でございます。
 ひまわりシステムで、あるおばあちゃんが、独居老人がおりまして、その郵便局の局員さんが、三十五歳ぐらいだったでしょうか、転勤になったわけですね、異動で。ちょうど異動になりまして、彼が十二指腸潰瘍かなんかで病気になって半年ぐらい休んだと。そのときに非常に彼が落ち込みまして、奥さんも心配するしということで、ある日、その郵便屋さんが、どうしてもあのおばあちゃんがどうしているか心配で心配でたまらぬということで、奥さんとそのおばあちゃんのところに子供さんを連れていったそうです。
 ところが、その奥さんが、今まで自分のお父ちゃんのこの笑顔、うれしそうな笑顔、楽しそうな笑顔を見たことがなかったと。ああ、これほどうちのお父ちゃんというのはいい仕事をしていたんだなということでそれ以来見直して、非常によかったということを奥さんから聞きました。そういう具体的な例でございます」

「 それから、パトロールにつきましては、私どもはひまわりシステムというものの生みの親ですので、大体二か月に一回ぐらい、役場職員とそれから郵便局の幹部、局長等と、そういう方とのいわゆる話合いを持って、いろいろ緊密なそういう話合いというのはずっと続けております。」

○伊藤基隆参院議員(民主党・新緑風会)

「 ここに『ドイツとの対話』という本がございます。これは毎日新聞の伊藤光彦という記者が書いた本でありまして、第三十回日本エッセイストクラブ賞を受賞しております。なぜこの本を持ち出したかといいますと、実は私自身が全逓に向かって、ふれあい郵便、ひまわり郵便又はまごのて郵便という、今日発表がございましたが、それを提起していったきっかけになった本であります。
 この本を読んで、その一部にこういう記事があったわけであります。ちょっとそれを紹介します。
 ドイツで市民に一番信用のある職業といえば、警察官でも裁判官でも、ましてや政治家でもなく、それは郵便配達人だ。途中略しますが、西ドイツ時代ですね、西独郵政省が七八年四月から半年間、テストケースとしてある州で実施した郵便配達人による「ひとり暮らし老人福祉サービス」もこんな背景を抜きにしては考えられない。郵便屋さんが手紙の配達だけでなく、独り暮らしの老人の「ご用聞き」を務めるというアイデアである。核家族化が日本より極端に進んでいる西独では、老夫婦だけの生活、あるいはそのどちらか一人のやもめ暮らしはごく普通のことで、急病、目、耳、足腰の不自由など老齢者だけが味わう悩みは幾らでもある。郵便局は配達人全員に「緑色のカード」を持たせ、配達途中、独り暮らしの老人家庭には必ず声を掛け、頼み事をこのグリーンカードに記入する。「医者に往診してほしい」「家政婦に来てもらいたい」「息子夫婦にこんな連絡をして下さい」……。カードを仕分け、関係先の役所、病院、あるいは隣町の肉親などへと「配達」するのは郵便屋さんにとって「表芸」である。日曜日を除く毎日、必ず声を掛けてきてくれる「信頼できる友人」がいること──独り暮らしの老人たちに、これはどんな大きな安心感を与えるだろうかと。
 これを読みまして、日本でできないかというふうに考えました。全国に、中央本部の役員ですから、指導に回る、人を集めて様々な話をする。だれか手を付けてみないかという呼び掛けをいたしました。
 私は、今日、智頭町の町長さんがひまわり郵便を発案されて実施したということや、まごのて郵便の話もお伺いしておりまして、それぞれの自治体の中でそういう発想が数多く生まれたんだなと。それは、社会の状況を反映してそういう発想が生まれてきたんだなと思っています。
 ただ、実行するということの難しさというのはありまして、ところが、お話聞いておりますと、実行していたのは、最初は独居老人対策みたいな感じ、何とか手助けのような感じが、それぞれの人たちが自立してきたんではないかと。白石市では、まごのて郵便は年寄りと子供たちの関係が自分たちの中で発展してきたというお話も市長さんから聞いておりますが、そういう可能性が高まってきたというふうに思っております。
 少し歴史的な経過を、私自身のひまわり郵便の話をしたいと思います。
 実は、そういう話をしているときに全逓、大分県で豊肥支部の支部長が、これからの郵便局は地元の信頼がなくては成り立たないだろう、地域に根付いた郵便局の在り方を探るためにもやってみたいと、職場や久住町の関係者と協議した上で、久住町と全逓豊肥支部、久住郵便局、都野郵便局の四者がふれあい郵便協定というのを結びました。一九八五年、昭和六十年十月に大分県の久住町でスタートさせたのがふれあい郵便、今ここでひまわり郵便と言われているものの一番最初の動きであります。
 当時、国家公務員法との関係で問題があるということはあって、郵便法第一条に公共の福祉の増進とあるんだから、本来業務に支障のない範囲だったらいいんじゃないかというような解釈もしたようですが、当時の支部長、私の友人でありますが、自殺した老人の日記に、だれとも話をせずに今日も暮れたと繰り返し書かれてあったという新聞記事を見て、強くそのことが印象にあって手を付けたということのようであります。
 このふれあい郵便をやるときに、実は郵政省の中で反対をする声が強くありました。郵便配達人が配達すべき郵便物のない家を訪ねてはならないんだ、これは勤務時間内の組合運動ではないか、全くそういう視点でしか見なかった。というよりは、正論といえば正論であります。この協定が郵便局長と町と全逓の間で行われたと。これは局長と町と全逓という組合の間の信頼関係が底辺にあって、日常的にきちんと仕事はやっている、そのことが揺るぎもしない前提としてあったがゆえにできた協定ではないだろうかというふうに思っているわけですけれども、そのことの理解が全く本省段階ではされなかったわけであります。
 この運動は、その後それぞれの地域、中国、近畿又は東北、いろんな地域で実験的に行われ、それぞれの地域で協定が結ばれながら局長との関係もきちんと確立して行われたんですが、相変わらず間違いであるという認識がずっと続いていた、ここには苦労があるわけであります。
 一九九一年に大分県の湯布院で全逓ふれあい郵便全国交流集会というのを開催しました。そのときに、ふれあい郵便とか、とんとんメールとか、あったか郵便とか、シルバーホームサービスとか、様々な名称を付けて、それは町長さんや村長さんからの呼び掛けがあった点もあるんでしょうし、自分たちが考えたこともあるんでしょうし、様々な発展をしてきたのであります。
 ただ、その中で一つだけ紹介したいエピソードがありますが、これは一度、私が当選したての参議院の逓信委員会でも披露したことがあるんですが、郵便物がない家を郵便屋は訪ねてはいけないと。大体そういうところは山間地、冬はふぶいているところでありますから、家に入れない。だから、縁側の先から家の中に向かって、ばっぱ生きているかと声を掛けるんだと、吹雪の中。そうすると、しばらくたつと、中でばあさんがちょっとおどけた声で、生きてるどと言うと、安心しておれは次の家に行くんだということが言われまして、その光景が目に浮かぶような気がいたします。そういう知恵というか、そういうやらなくてはならないというような、突き上げられるようなものでやったんじゃないかというふうに思っています。
 しかし、よく考えてみますと、私が若いころ、二十代に郵便局に、特定局に行って、それはその郵便局の中で日常的に行われていたことなんです。それを改めてやるというところにやはり郵便局の仕事というものの、あるいは衰退みたいなものがあったんじゃないかと。そういうことは日常的にもっと行われていたんだと、改めてそのことを発見していかなくちゃならない。じゃ村だけなのか、山間地だけなのかと。本当は大都会の方がもっと厳しい過酷な条件にあるんじゃないかと、独居老人は。しかし、手が付けられない。そのことを我々も考えてきたけれども手が付けられない、現実が厳し過ぎて、ということだろうと思います。
 ですから、何か郵便局と住民の関係、地方自治体との関係は、大都市は別だけれどもというのがよくあるんだけれども、大都市こそ必要なんじゃないか。しかし、これは手が付けられません。それは経費の問題であります。仕事が一杯過ぎて全く駄目です、不可能です。だれがやるかと。これはだれかがやらなくてはならない」

「4・28通信」184号よりhttp://home.m05.itscom.net/h25/r428.news0610.184.html
<別掲>
 「日本郵政株式会社の業務等の承継に関する実施計画の骨格」
                   平成18年7月31日
                     日本郵政株式会社
(3)民営化時において提供するサービス
 ①郵便の業務 ②印紙の売りさばき ③年賀はがき ④国内物
 流事業(小包) ⑤国際物流事業
 ⑥その他の受託業務
  日本放送協会(NHK)等の受託を受けて集金業務等を行な
 います。なお、ひまわりサービス、郵便外務員を活用して行な
 う地方公共団体からの受託業務を引き続き実施します。

「日本はどこへ行くのか」第9号 松尾眞京都精華大教員・元全学連委員長・元革命的共産主義者同盟政治局員
http://www.kyoto-seika.ac.jp/matsuo/magazine/japan/09.html

社会保障の切捨てが進行する中での「ひまわりサービス」

郵政民営化問題の中で話題になるものに、過疎地などでの郵便局による「ひまわりサービス」がある。一人住まいの高齢者に郵便局員が「声かけ」をしたり、生活上のお世話をするという制度である。

民営化によって「ひまわりサービス」が廃止されてしまうのではないかと心配する声は多い。これに対して、竹中経財相は8月のタウン・ミーティングで、「それは社会福祉分野で解決されるべきもので、郵便部門に求めるべきものではない」という趣旨の回答をしていた。

たしかに「声かけ」等のサービスは本来の郵政事業ではないであろう。しかし、同時に、過疎地の暮らしが生み出した「知恵」でもある。そして、日本の社会保障制度、社会福祉制度が高齢社会や過疎地の現実にまったく対応できておらず、社会保障の縮小・切り捨てが多くの国民の不安になっていることは年金問題-参院選の結果に明確にあらわれている。

はじめの方でふれた自民党の集票組織となっている特定郵便局の局長会などが、「利権死守」のために、この種の問題を利用することには嫌悪を覚えるが、「ひまわりサービス」問題が重大であることは事実である。

私のゼミで過疎地の研究をしている学生がいるが、過疎地の人びとの暮らしを困難にしている大きな問題の一つは、唯一の買い物場であった農協の支所の閉鎖である。郵政民営化となれば、過疎地の郵便局がいずれ農協支所と同じ運命を辿ることは目に見えているのである。

インタビュー 初代郵政公社総裁 生田正治氏に聞く

「全逓・全郵政をパートナーに 国民利用者に喜ばれる 公社改革を断行します!」

「労働レーダー」4月号 発行所  同盟通信社 編集室  労働問題研究会議

http://densobin.ubin-net.jp/rondan/rndnse03.html

「私は郵便局に四~五〇足を運んでみました。そこで思った印象ですが、(公式訪問は三〇、非公式が飛び込みも含めて七〇以上)ひょっとしたら優等生がたくさんいるよいところだけを見せられたのかもしれないが、そういうことを差しひいても、私が感じたのぱ〃使命感〃がみなぎっているという印象です。
  その使命感を分析すれば何かといったら、郵政事業を一生懸命改革しようということと、もう一つは、社会に役立ちたいという二つだろうと思うのです。本当に一生懸命やっています。
  前者でいえば一人住まいのお年寄りに声をかける連動をはじめ、世間の目に見えないところでがんばっていますね。ひまわり運動とかもね。もちろん、全部の郵便局に行っているわけではないので、すべてすばらしいということはいえませんがね。後者でいえば、地域住民の方々が集まった時に、地域の人達が足をそろえて、〃本当に郵便局には感謝している〃と言うのですよ。とってもよい感触ですよ。」

拙ブログ「職住接近の労働条件を取り戻そう」   2005年12月 4日 (日) コメント欄より

郵便局ではひまわり郵便というのがあります。郵便があろうと無かろうと独居老人の家庭などに一声かけながら立ち寄るという物です。現在は過疎地の郵便局でしか行っていませんが。ただそれが業務として行われている間は本物ではないと思うのです。局員が「寄り道」できる余裕の中で、本当に人間としての心遣いで立ち寄ることが出来るなら、地域社会に貢献できる物だと思えるのですが。

投稿: アッテンボロー | 2005年12月 4日 (日) 16時34分

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