「ソ連の核はきれいな核だ」by日本「共産」党
東日本大震災よりもそれに伴う大津波の災害よりも福島原発大災害に際して非常に不安を感じる。
被災者の方々には大変失礼ながら奈良の地に住んでいる関係で地震も津波も多少の揺れなどはあったが他人事と言えなくもないのだが、原発災害は東日本のみならず世界中に影響を与える地球規模の大災害である。
東西冷戦激しかりし頃に少年期を過ごしたため、日本「共産」党がソ連や中国の核兵器や核実験を擁護する言動を繰り返していたことを記憶している。だが同時に中国で核実験が行われたというニュースが報道されると同時に「雨に濡れてはいけない」という注意もアナウンスされていた。中国西部のウイグル自治区で行われた実験であっても偏西風やジェット気流に乗った放射性廃棄物が日本に降ってくるからである。
日本における原水爆禁止運動は元々は1954年3月1日のビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸被爆とマグロから放射線検出という現実を受けて東京都杉並区の女性たちが反対署名を始めたことが端緒である。そして原水禁運動の開始当初は自民党も民主党も含めた超党派の運動団体として原水協が発足した。ところが安保闘争など日米軍事同盟に対する見解の相違からアメリカの核を指示する自民党・民主党が運動から離脱し、政治党派としては初めて米ソ核実験反対を主張した革共同の主張が受け入れられる中で63年には社会党総評ブロックはどちらの核にも反対するようになる。だが日本「共産」党は「ソ連の核はきれいな核だ」「アメリカ帝国主義などへの対抗上やむを得ない」、「社会主義国の核兵器は侵略防止のためのもので容認すべき」などと主張してソ連の核兵器を擁護した。
処が中ソ対立が激しくなると日本「共産」党はソ連「共産」党と距離を置き中国「共産」党との関係を親密にしていき、逆に社会党に対してはソ連が物心両面の支援をしてソ連の核に対して妥協的になっていく。こうした過程で社会党総評ブロックを日本「共産」党が排除して原水協を牛耳るようになり、社会党総評ブロックは原水禁を結成する。ただし原水禁はソ連の核兵器を擁護しなかったために新左翼系の運動体やごく普通の感覚で核兵器に反対する人々の支持を得た大衆団体であった。
中核派のシンパとなって初めて原水禁大会に参加したのが1984年の事なのだが、様々な分科会で討論・質疑応答となると共産党系の原水協の人間が司会する所では新左翼系の人々が発言するとマイクのスイッチを切るなどして発言を封じたが、社会党系の原水禁の人間が司会進行する分科会では自由に発言できた。
反戦青年委員会の活動家となった翌年の86年は東京サミットと昭和天皇の在位60周年記念式典とが有り、新左翼各党派は両方に反対する様々な闘争を組んだ。漫画家の中原裕が週刊少年サンデーに初登場した読み切り漫画では前年の10・20三里塚先頭や11・29国電ゲリラ・浅草橋千頭の影響もあったのか登場人物が生徒会の演説で「中核」と書かれたヘルメットを被って登場したり、青年誌ではサミット参加者を狙撃するという漫画が掲載されたりした。で、4月29日は在位記念粉砕闘争ということで全国結集の闘争が組まれていたのだが、その最中にソ連のチェルノブイリ原発での26日の事故が報道された。
当初日本政府の発表は、ソ連のウクライナ共和国の事故であり日本への影響は無いと発表していた。処が事態の進展の過程で日本各地にも放射性物質が降り注いでいたことが明らかになった。
原発災害は大気循環・海流の循環を通じて急速に世界中に拡散する。そして食物連鎖の過程を通して放射性物質が濃縮された食品を人類が口にすることになるのである。
「原発災害が福島原発のもので住んで良かった」等という楽観論は実は完全な間違いである。東日本だけでなく西日本各地・世界中に放射性物質の影響が現れるのは時間の問題である。地震大国であり、島国で津波の影響を受けやすい日本においては原子力発電は即時廃止しなければならないのである。そして同時に少年期と活動家になった当時の経験から日本「共産」党は信用できないのである。未だかつて当時の見解が間違っていたと言うことを公式には表明してはいないからである。
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