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2012年11月

2012年11月19日 (月)

V65からV90そしてライジング

 郵便貯金の集中満期として昭和55年の12・92%、元金百万を十年預けた結果2192000円に成るという高金利の集中満期が到来し、郵貯担当職員は継続貯金獲得のために夜の10時11時と連日のサービス残業が続いた。当然おこぼれを狙う簡保担当職員も忙しかった。

 昭和天皇裕仁の死のために昭和65年は到来せず、V65は西暦に遭わせてV90と名称変更された。各種書類に「平成元年」という訂正印を圧すので忙しかった。なんせ簡易保険の満期日が「昭和80年」だの「昭和100年」とか印字されていたのである。

 この多額の再与入を獲得するための条件として、当時はバブル経済のまっただ中で有り財政引き締めのために公定歩合が高く設定され、郵貯の10年後の複利計算では8・64%。つまり百万の元金が十年後には184万に成るという高利率で、民間金融機関の金利を遙かに圧倒していた。

 当然の話であるが再与入は多く、後に2000年の集中満期の低金利時代に継続与入の勧奨で単独総坦によって貯金・保険の外務事業が統合されていた我々は苦労することになる。

 郵貯や簡保の話を書いていただけでは満足行かない人々が読者に多いと思うのだが、この時革共同は90年天皇決戦に挑むべく資金と人員配置とで苦闘していた。

 多くの労働者活動家が退職して地下に潜り、同時に公然面に残れた我々には80年代の創価学会が提起していたHG(早く現金)という借金してでも献金せよという方針と同様の指導が為された。僕自身労金に100万の借金をして党に上納した。シンパに対しては1年据え置きの5年払いで郵貯並み(8%前後の)配当を付けて返済するという党債を発行した。

 現実的にはマル共連再建準備会のサイトでも暴露されているが多くを踏み倒した。

 革共同の衰勢はある意味90年天皇決戦(ライジング)の後始末によって決定したのかも知れない。多くのシンパに対して信用を裏切ってしまった。5月テーゼによる方針転換はこの現実に対する中央指導部の自己批判ではあっただろうが、現場の末端活動家に浸透するまでに様々な軋轢があった。正直、僕自身この時期に脱落していればその後の人生は違った物になっていたかも知れない。それくらい党内論争が激しいときであった。

 5月テーゼの真価・そして7月テーゼの真価を革共同中央には示して欲しいと思う次第である。そうで無ければ一兵卒として闘った自分自身の生き方が崩壊してしまう。ナゼンを始め大衆運動の再高揚を期待するや切である。

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