書籍・雑誌

2009年5月31日 (日)

追悼 栗本薫=中島梓さん

 独立開業に向けた準備のために東奔西走、寝食を忘れて飛び回っているために栗本さんの訃報は瀬戸さんのトラックバックで今夜知りました。
 思えば15~22才くらいでしょうか、革命運動に身を投じるまでは芥川龍之介と並んで好きな作家でした。(どういう基準なんでしょうね?)
 グインサーガに魔界水滸伝、伊集院大介シリーズに僕らシリーズ、「神州日月編」などの伝奇小説に「翼有るもの」などの耽美小説。「心中天の浦島」、スターウォーズをパロってルーク=ジョニーウォーカーなんてのが登場する小説。
 本当に楽しめました。
 「傭兵騎士団」(略称THK)で知り合った人々の中には、今でも年賀状のやりとりをしている人もいます。83年?のグインコンスタッフとしての日々は、浪人時代の一服の清涼剤でした。
 謹んで栗本薫さんのご冥福をお祈りします。

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2008年10月 9日 (木)

「農地収奪を阻む 三里塚農民怒りの43年」反対同盟萩原進さんが本を出版 (転載大歓迎)

 成田空港建設という国策に屈せず、今も耕し続け空港完成を阻む一農民が綴った赤裸々な闘争宣言!

目次
 刊行に寄せて 北原鉱治事務局長
 第1部 闘いは大地と共に
  第1章 寝耳に水の空港計画
  第2章 権力の正体を見た
  第3章 代執行から開港への闘い
  第4章。あの手この手の切り崩し攻撃
  第5章 二一世紀の三里塚攻防

 第2部 崖っぷちの食と農
  日本の農業と三里塚
   [座談会]坂本進一郎+小川浩+萩原進
  産直農家はこう考える
   [座談会]市東孝雄+鈴木謙太郎+萩原進

 第3部 三里塚労農連帯の地平
  反対同盟と動労千葉の絆[対談]中野洋+萩原進
  労農同盟で世の中変えよう

 著者紹介 萩原進(はぎわら・すすむ)
 1944年8月1日、千葉県印旛郡遠山村(現成田市)堀之内で生まれる。子供の頃、成田市東峰の開拓部落に移り住む。63年3月、千葉県立多古高校卒業。シルクコンビナート事業に参加するが、66年、成田空港建設の閣議決定でその夢を砕かれ、三里塚芝山連合空港反対同盟に参加、三里塚闘争に一身を投ずる。初代青年行動隊隊長。83年「3・8分裂」の後、反対同盟事務局次長になり、今日に至る。

発行 編集工房 朔 TEL/FAX 050-1049-0387
〒101-0061  東京都千代田区三崎町2-17-8皆川ビル3F
E-mail:kobosaku@yahoo.co.jp

 反対同盟では10月24日に発行となる萩原さんの本の事前予約運動を行っています。一人でも多くの方が、一冊でも多くの本を予約してください。

定価は1800円ですが、10冊以上を予約すると特価として一括送料込みの1600円で購入することが出来ます。
申し込み締め切りは10月20日
申込先は編集工房朔気付け「萩原本」係宛にFAXまたは郵便で

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原子力空母横須賀配備・母港化反対バナー

バナー作成は「雑談日記 徒然なるままに」のSOBAさん

 

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2008年7月27日 (日)

雲と火の柱 -地下生活者の手記

 7・27政治集会に参加してきた。関西派・革共同再建協議会の方である。早速報告記事を書けば良いのであるが、とある同盟員の方に公式発表より早く記事にされるのは困るので、二日ほど日を開けて掲載して欲しいと頼まれた。なので集会の参加人数などについても大げさな誇張はなかったとの印象のみ記すだけに留めおいて他のことについての記事を書こうと思う。

 会場である尼崎労働福祉会館には開場時間の12時半より約1時間早く到着した。何人かの古参活動家の人たちが、久しぶりと声をかけてくれた。高校の同級生からは、どっちかハッキリしろと党派選択を迫られてしまった。かと言って高校の同級生も関西派と中央派に分かれてしまったし、全逓戦線も地区党も分裂してしまった。どちらにも知り合いが沢山いるので、一方を選ぶというのも結構難しい。最初は除名されたときの感情的しこりが有ったので、地区党が分裂していなければ、いない方を選択しようかとも思ったりした。どちらに付くかハッキリするまで少々時間がかかりそうである。取り敢えず来週の日曜は中央派の政治集会に参加する予定だ。

 会場入り口には沢山の書籍や機関紙・パンフレットが並べられて販売されていた。宇野経済学批判のパンフレットを買い求め、関西派の理論誌「展望」の2号を購入した。その横に「雲と火の柱 -地下生活者の手記」の宣伝チラシが置いてあった。手にとってみると「関西革命軍の20年史を小説化」とあった。これだけで私の琴線に触れる言葉である。早速買うことにした。集会が始まるまでの時間をこの本を読むことに費やした。分量的には1時間も有れば読めてしまう。防衛上の配慮が有るために具体的な記述を避けた部分が多くあるが、自分の活動経験で補って読むと、軍に所属していた人たちの苦労がおぼろげに伝わってくる。地下生活の経験がない人であっても、革命軍の苦闘をかいま見ることの出来るだろう。

 主人公の中井清は、「ひたすら汗を流す役割を努めた。転々と職場を替えながら自分の食い扶持とモグラ生活に必要な資金を調達する役割を担った。」対カクマル戦争、対権力武装闘争の中で只ただ、人民革命軍武装遊撃隊を維持するために兵站を担当していた男の物語だ。勿論公然面の活動家も革命軍を支える活動が色々有った。私自身も幾つかの貢献をしたことが有る。一番簡単なことは自分の賃金・一時金から党に上納することだ。軍に限らず常任と呼ばれる職業革命家や学生活動家の生活を支えるのが労働者活動家の最低限の任であった。

 地下生活者は国家権力警察に補足されないために偽名を使って生活することが必然的となった。だから一つの職場に長く居続けることは出来ない。作中の中井清も本雇にするからと住民票などの提出を求められると、それが出来ないために退職することを余儀なくされた。さまざまな仕事先で底辺層の労働者に接したものの、職場の労働条件改善のために闘うことも出来ず、ただ見守ることしか出来なかった苦渋が伝わってきた。私のような公然活動家の場合資本・当局との攻防の中で自らの怒りを爆発させることが出来たが、革命軍の兵士はその様な事をして権力にマークされるわけにはいかない。断腸の思いであっただろう。

 会議のために、登山客を装い山登りをしながら打ち合わせをしたり、脈管と呼ばれる公然面と非公然面とを繋ぐ役割を担った人々。実際に戦闘を担った部分については記述は無いが、それでも革命軍の様子を窺い知る事が出来る。革命軍の闘いはやがて90年天皇決戦として結実していく。天皇アキヒトの即位儀式に対して100を超えるゲリラ・パルチザン戦闘が貫徹され、大嘗祭の当日や即位の例当日は東京中を緊急車両が走り回る事態となった。数万の警察機動隊を動員しても人民の海の大海を泳ぐ革命軍を封殺する事など出来はしなかった。権力の力は有限であり、人民が創意工夫を凝らせばどの様な闘いも出来るのだという事を満天下に示す闘いを勝ち取った。そういった革命軍のあり方を教訓化し、日帝打倒の今後の闘いに生かすためにも、多くの人々に読んで欲しいと思う。

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2008年1月 8日 (火)

久しぶりに「イスト」購入

 2004年の9月11日だったか12日に除名されて以来、本当に久しぶりに中核派の理論誌である「共産主義者」を購入した。みんなは略して「イスト」と呼んでいる。購入したのは151号と154号で、それぞれ革共同第22回拡大全国委員会総会と第23回全国委員会の報告・決定集である。今現在進行している中核派の分裂劇を理解するためには必読の文献だ。ある人から是非とも読むべきだと勧められ、去年の12月始めに注文した物が漸く今日届いた。色々と混乱があるのだろうか、時間が掛かった。

 中央の見解を知るためには機関紙「前進」と「イスト」とは必読の書である。読後の感想がどうなるかは分からないが、読まずに論じることは出来ないだろう。同様に新関西派の党員総会報告集と「革共同通信」も読まなければ双方のどちらが正しいのか、或いはどちらも間違っているのかを把握することは出来ないだろう。昨日今日と体調が悪くて寝込んでいたのでまだ封を切っただけなのだが、読み応えがありそうだ。

 最新情報については24回拡大全国委員会の報告がそろそろ出るであろうから、それも読む必要があると思うのだが、先ずは事の発端から知るのが肝心だと思う。外部にいると何となく何故分裂せざるの得ないのかという疑問が湧いてくる。双方がお互いに革命について自己の主張をしている訳で、色々と食い違う点もあるようだ。どうしても革共同中核派に期待を持っている人間としては分裂の行方が気になる。分裂して上手く行った場合は功名争いで大衆運動の盛り上がりを築いてくれるだろう。失敗した場合には革労協の狭間派と山茂派との悲惨な内内ゲバの対立があるかも知れない。だが革命的理論無くして革命的運動も党もないのだから、しっかり勉強が必要だ。

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2007年12月31日 (月)

「水妖日にご用心」

 ここ数日、パソコンに向かう時間を減らして読書に励んでいる。田中芳樹の最新作の「水妖日にご用心」が祥伝社のノンノベルズから出たのがきっかけで、同じく田中芳樹の「月食島の魔物」も読破し、今日は網野善彦の歴史書も一冊読み終えた。最近にしては非常に良いペースだ。

 「水妖日にご用心」は薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズになる。警察権力は大嫌いだが、この警視は好きである。警察機構に対する批判や政財界への辛辣な論評が小気味よい。今回は南アジアのネパールをモデルにした小国の王子が千葉県浦安にあるテーマパークをモデルにしたザナドゥランドを訪問し、暗殺者に襲われる。「テロリスト」と言う言葉を無批判に使っているのは気に入らないが。

 で、敵役であるこの暗殺者がまたまた超人的な身体能力の持ち主で、女王様は大苦戦を余儀なくされる。今までは余裕で敵を倒して来たお涼様とも思えない。余り書くとネタバレになっても困るのでこの辺にしておくが、楽しめる一冊だった。

 今日は実家に帰省しているので、久々に携帯からの投稿になる。三日に帰宅するまではパソコンが使えない。不便な物だ。

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2007年11月15日 (木)

「ナゲキバト」を読んで

 よく拝見している瀬戸智子さんの「瀬戸智子の枕草子」「ナゲキバトを読んで」と言う記事でこの本を知った。簡単な粗筋に興味を引かれた。やはり瀬戸さんの文は人を引き込む魅力がある。出版社を教えて貰いインターネットで注文した。最寄りの書店に届けて貰う。八月下旬のことだったがその後色々と体調を崩したりしていて未読のままであった。漸く一昨日と昨日とで読み終えることが出来た。作品自体はそんなに分量はなく、文体も非常に読みやすいものであるが、内容が内容であったので色々と考えながら時間を掛けて読んだ。

 交通事故で両親を亡くし祖父の元に引き取られた少年が、或る時好奇心から猟銃でナゲキバトを撃ち殺してしまう。アメリカの片田舎が舞台であるので銃は身近な存在であるようだ。撃ち殺したナゲキバトには二羽のひよこが居た。残されたつがいの一方では二羽の雛を育てることは無理であるため、祖父はどちらか一方を選んで始末するように言う。少年は悩みつつもその一羽を選ぶ。少年の苦悩が伝わってくる。安易に銃を使ったことに対する後悔の念だ。

 半年ほど後には少年の牛が死に瀕することになる。仔牛が少年の不注意でアルファルファの芽を食べてしまったからである。アルファルファを食べると牛の胃の中でガスが発生し、ゲップをすることが出来ないために苦しんで死んでしまうのだ。仔牛の苦しみを取り除くために少年は再び銃を取る。仔牛に対する責任を感じつつ、少年は引き金を引く。

 命を巡って色々と決断を迫られる場面が登場する。祖父の語った昔話にもその様な場面があって、少年は考える。日本人である私にとって神は絶対のものではないし、まして宗教を否定する共産主義者にとっては無縁である。だがしかし少年にとっては命や神や誠実であることについての様々な問いかけが為される。少年は9歳であった。幼い心で一つ一つの重大な選択を為していく。

 私はかつて機動隊と市街戦を演じた時、警官を殺す気で掛かっていった。今でも労働者階級を苦しめる資本家とその手先は処刑されて当然であると思っている。だが罪無き者を、愛しいものを手に掛けるという選択を迫られた場合どの様な行動を取るだろうか。少年のように悩み苦しむであろう。そこからの逃亡は許されない。苦渋の決断と無縁であることは幸せであると同時に命の大切さを知る機会に恵まれていない不幸なのかも知れない。

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2007年10月29日 (月)

「サウスバウンド」 左翼を知らない人が書いた『過激派』の小説

 風邪をこじらせて一週間寝たきりであった。お陰で当初予定していた用事を二件ほどキャンセルするハメになった。本当はどちらも非常に楽しみにしていた用事で、鬱病の気分転換にはもってこいの行事であった。ひたすら布団に横になっていたのだが、風邪を引いていない普段の鬱状態の時は朝から晩までひたすら寐ていたというのに、何故か寝付く事が出来なかった。そこで仕方なくと言うかこれ幸いというか読書に励む事にした。活字の本を7~8冊とマンガを20冊ほど読んだ。ここ暫くの鬱状態の中では驚異的な読書量である。読んだ本の殆どは古本で手に入れた物であったが、例外的に新刊の文庫本を読んだ。今現在上映中の「サウスバウンド」の原作小説である。

 発行当時マル共連などで「過激派」が登場する小説と言う事で話題になっていたのだが、その際にも左翼的事柄については作者の取材不足・想像力不足が上げられていた。実際読んでみて、小説としては非常に面白く時間が経つのを忘れて没頭できる巧みさが有ったのであるが元活動家としては随所に登場する「過激派」のいい加減さというかトンチンカンな様子が気になった。

 ざっと粗筋を紹介すると元「過激派」の両親を持つ少年上原二郎の視点で父親の奇妙な言動を面白おかしく描いている。例えば修学旅行の積立金が高すぎる事から校長などが収賄をしているのではないかと疑って学校に怒鳴り込んだり、家庭訪問に訪れたノンポリの教師に対して色々と政治・思想の議論をふっかけたりして、少年からすると困った父親である。そこに不良少年とのいざこざなどが絡んで物語は進んでいき、ある時父親がかつて所属していた党派の活動家を居候させる事になったのだが、その居候が敵対党派の大幹部を襲撃殺害した事から一家は借家を追い出されて沖縄の西表島に移住する事になる。何でも父親の祖父ががガンジンさんと言う琉球の偉人でお陰で大歓迎を受けるのだが、降って湧いたリゾート建設のために立ち退きに抵抗するも力及ばず、両親は琉球の伝説の楽園へと旅立ってしまう。

 気になった幾つかの点はと言うと、先ず現役活動家が敵対党派の大幹部宅に盗聴器を仕掛けるのであるが、襲撃の際と2回にわたって二郎少年に手引きさせている。子供を使う事で警戒を解こうというのだろうが、実際には革命軍はその様な事はしない。革命軍の組織としては情報収集を行う部隊・連絡を取り合う脈管と呼ばれる部隊・戦闘を遂行する部隊・撤収作業を支援する部隊というように様々に役割分担が為されている。処が「サウスバウンド」では情報収集から襲撃までをたった一人の活動家が行うのだ。ハッキリ言って嘘っぱちも良いところである。次にこの活動家は居候していた二郎少年の家に荷物を残して戦闘に望んでいるのだが、左翼の間では証拠を残さないために「ガサ対」(家宅捜査対策)と称して一切を処分する。何故なら実行部隊が権力の捕虜となった場合には反復して戦闘する能力を削がれる事になるからである。

 一番気になったのは、少年の父親上原一郎が新東京国際空港に反対する闘争を「成田」と複数の箇所で読んでいる事である。左翼は日共スターリン主義や現代のナチスファシストカクマルを除けば「三里塚闘争」と表現するのである。「成田」と表現するのは政府・警察権力とそれに追従するマスコミである。良心的なマスコミの場合は「三里塚」と表現する。また「過激派」という表現自体がマスコミ用語なのである。国家権力警察の場合「極左暴力集団」と言うのであるが、我々は「革命的左翼」と自称する。マスコミでは権力に近い者は「過激派」と言い、革命的左翼に近い者は「新左翼」と表現するのである。一つ一つの言葉を取ってみてもどの様な階級的立場を取るかが如実に現れる。その辺が作者奥田英朗ノ限界なのであろう。

 巻末に参考文献が列挙されていたが、沖縄のユイマールや八重山の風俗などについては丁寧に調べているのであるが左翼に関しては「全共闘」(河出書房新社)「蜂起には至らず 新左翼死人列伝」(小嵐九八郎著 講談社)「連合赤軍少年A」(新潮社)くらいしか紹介されていない。勿論警察庁のサイトなども参考にしているようであるがもっと丁寧に調べていれば、より迫真の小説となっただろうと思うと勿体ない気がする。とりわけ小嵐九八郎などはその著書で解放派革命軍の日常まで克明に描いている。その為に一時革労協狭間派からお尋ね者になったようである。

 何だかんだと革命運動の経験者からするといい加減なところやデタラメが目に付いたのだが小説としては面白い。一読の価値はあると思う。  

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2007年8月20日 (月)

「安藤昌益」を読む

 図書館で借りてきた平凡社選書の「安藤昌益」(安永寿延)を読んでいる。日本における共産主義思想の先駆者とも言える安藤昌益は、Wikipediaによると「身分・階級差別を否定して、全ての者が労働に携わるべきであると主張した。 特に著書『自然真営道』の内容は、共産主義や農本主義、エコロジーに通じる考えとされているが、無政府主義(アナキズム)の思想にも関連性があるという、間口の広さが見受けられる。またこの書の中で安藤は日本の権力が封建体制を維持し民衆を搾取するために儒教を利用してきたとみなし、孔子と儒教を徹底的に批判した。発見者・狩野亨吉をして「狂人の書」と言わしめ、レーニンをもうならせたという。」とある。

 よく共産主義思想を外来の物であって日本には適用できないかのように言う人々が存在するのであるが、江戸時代中期にこのような境地にいたる思想を獲得していた人物がいるという事は、いかなる政治体制・歴史的条件があろうとも資本主義社会が共産主義社会の前段階であるという事に強固な裏付けを与えるのもではないだろうかと思う。どの様な体制にあっても支配階級は働かずに富の殆どを独占する。働く者はその富の極々一部しか得ることが出来ない。このような社会の矛盾に気づき、その社会体制に反抗する思想と結社とをマルクス・エンゲルスに先立つこと100年前に作り上げていることは驚愕に値する。それだけ当時の日本国内における資本主義の発達が顕著であったとも言える。

 一人の共産主義者として、私は安藤昌益に興味を持っていたのであるが、図書館の蔵書にあったためにその思想の一部に触れることが出来た。自らの思想を磨き上げるためにもっともっと先人の労作を学ばねばならないと思う。

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2007年3月28日 (水)

「空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」

 斉藤貴男氏が「世界」に掲載し、その後2003年に一冊の本にまとめた本を読んでいる。石原慎太郎という男が如何に下劣で、差別的で、節操が無く、小心者でありながら虚勢を張る人間であるかが良く分かる。現在問題になっている都政の私物化・身内に対して徹底的に利益誘導を行いながら、社会的弱者に対しては予算を削減して生活を破壊しているかについてを一期目の都政の期間、それ以前の国会議員時代の問題行動も復命丁寧に拾い上げている。その政治は徹底して人間の心の奥底に潜んでいる負の感情を鼓舞することで行われている。石原がファシストといわれるゆえんである。事実に基づかず感情を煽り社会的弱者に対する差別排外主義をもって、江戸時代の「上見て暮らすな下見て暮らせ」といって人々の向上心を奪っている。

 一期目の銀行への課税、ディーゼル車規制など、一見「斬新」に見える政策の殆どが人気取りのために思いつきで導入された物であり、結果、銀行に対しては多額の賠償金を支払うことになった。ディーゼル車についても欧州ではガソリン車より環境に対する悪影響が少ないという評価があることを無視して一方的に規制した。多くの庶民が自動車の買い換えを余儀なくされ、自動車メーカーと販売店に暴利をむさぼらせた。石原の政治手法は小泉と同様「仮想敵」を作り上げそれに対する嫌悪感や反感を組織する。副知事に登用した浜渦などが行った暴力事件をもみ消し、事実を報道した新聞記者たちに対しては圧力をかけて都庁担当から外し地方に左遷させた。都の職員の間でも同様である。多くの幹部職員が石原の顔色を窺って仕事をするようになった。都立病院の統廃合による弊害。秋葉原再開発に関しては、元秘書が在籍する鹿島建設を中心とした共同事業体に有利な入札を行い、私腹を肥やしている。

 豪華な海外視察や四男を「余人を持って代え難い」などと称して都の文化事業予算を無駄遣いする。都の予算で選挙ポスターまがいの物を作って配布する。収賄はしたい放題。これらの悪行は何も昨今だけの問題ではないのだ。一期目当時から既に行われていたことが良く分かる。

 自民党の鷹派グループであった青嵐会では幹事長を務めていながら「同志」を簡単に裏切る節操の無さ。ハマコーや中山などといった元青嵐会の「同志」から、石原には「NOと言える日本」などという言葉を吐く資格がないことを徹底的に批判されている。拉致被害者の問題などでも石原は自分にとって都合の良い点だけを取り上げて、何の対応もしてこなかったのにデマを並べ立てて成果だけを奪おうとしている。この点については拉致問題に一貫して取り組んできた中山衆院議員が裁判を起こしていたようだ。結果までは書かれていなかったが。

 障害者差別・高齢者差別・女性差別・民族差別などありとあらゆる場面で差別発言を行い、それを都政の中でぐいぐいと推し進めている。よくもまあこんな男に投票する都民がいる物である。何としても三選だけは阻止しなければならないと強く思う。

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2007年3月19日 (月)

「逃亡日記」

Photo_9  変態の父ちゃんに手ぇ出すな。絶対に変な事するから。スモーク&ウォーター。(ディープハープルのスモーク&ウォーターの節で) てな感じで息子が歌っておった。今日も今日とて息子が色々アホなことをしてくれているのだが、今月に入ってから休みを利用して家の片付けを色々している。二階の寝室に積み上げられた段ボール箱一杯の本を、タンスを片付けた上に積み上げたり、押し入れの中に数年間法散れていた息子のオモチャや娘達の古い教科書やぬいぐるみを市の清掃センターに搬入している。屋根裏部屋にしまってあったオマルやチャイルドシートなども粗大ゴミとして処分した。だが大量に搬入したにも拘わらず、我が家は未だに片付かない。如何にこの家に引っ越してきてから片付けしていなかったかが如実に分かる。昨日など疲れた余りブログを更新するのさえ辛かった。ひたすら横になっていたのである。

 そんな状態で昨日は「書評日記 パベッティア通信」で紹介されていた「吾妻ひでお 『逃亡日記』 日本文芸社 (新刊)と「うつうつひでお日記」を読んだ。前者は日本漫画家協会賞・文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞・手塚治虫文化賞マンガ大賞の三大マンガ賞を受賞した上で日本SF大会青雲賞ノンフィクション部門大賞まで受賞した傑作である「失踪日記」の便乗本である。後者もまあそうであるが、前者が基本的にインタビュー記事で構成されているのに対して後者は本当にマンガで綴った日記で、「失踪日記」が出版されるまでの不遇の時期を描いていて非常に面白かった。漫画家がインタビューで本を出してどうするのかとも思うのであるが、昔、高校時代に剣道部との掛け持ちで美術部に所属していて油絵を描いたりイラストを描いていたので、絵と文章とで表現するマンガというのは大変なのだろうと思う。

 吾妻ひでおが失踪したのは仕事の行き詰まりなどから鬱病の症状が悪化してのことであるが、実際私も、何もかも捨てて逃亡したいなどと思うことがある。鬱病というのは本当に何もかもやる気が失せてしまうのでタチが悪い。仕事など特にそうである。疎外された賃労働はタダでさえ人間のやる気を削ぐのであるが、郵政の現場においては若年退職、定年まで二三年を残しての早期退職が相次いでいる。私も住宅ローンさえなければ絶対辞めていると思う。つい先日も同い年の課長代理が退職した。管理職の一歩手前で様々な職場の矛盾を一身に受ける立場であったために、管理職に対して相当腹を立てていたようである。「あんたらいい加減にしや。人なめとったらあかんで」と捨て台詞を残して辞表を出したそうだ。郵政職場におけるやる気・士気という物はこの数年間で確実に落ちている。人手不足と熟練労働者の退職のために誤配・遅配は日常茶飯事である。その為非常勤からすら見切りを付けられて逃げ出されている。この雇用無き景気回復の中ですらである。近い内に郵政事業の崩壊が確実に来るであろう。だがこれも小泉による「構造改革」と言う「万能膏薬」の結果である。藪医者に任せたために、日本の国民経済という患者が死にゆくと言えるであろう。本当に今の社会を変革できるのは社会主義革命・共産主義革命による資本主義の最高段階である帝国主義打倒でしかないと思うのである。

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2007年1月 3日 (水)

日本の歴史をよみなおす

 まことさんのお薦めで網野善彦「日本の歴史をよみなおす」を取り寄せて読んでみた。中世日本のあり方に対する見方がかなり間違って語り継がれてきたことを、一つひとつ資料を駆使して解き明かしている。江戸時代以前の俗説について今まで漠然とした形で疑問を持ってきたことの幾つかがハッキリした形で目の前に現れてきた。この間コメント欄で論議が続いている部落差別に関連している項目としては中世における賤民身分と女性の社会的立場、鎌倉仏教の「革命性」などであろうか。これらの記述は中核派などが部落差別の政治起源説を採っていることの補強となるのではないかと思う。単に私が不勉強であっただけで、中核派石尾芳久氏の「一向一揆と部落 被差別部落の起源」(三一書房新書)を高く評価し、「共産主義者」であったと思うが継承する立場の論文を掲載している下地には網野史学があったのかも知れない。

 解同本部派の機関紙「解放新聞」に掲載されていた宗教起源説の記事の中で「清目」(きよめ)という職に就いていた人々が賤民視されるようになった経緯があったことを思い出したのだが、元々これらの人々は死の汚れを取り除く為に「聖別」され畏怖の念を持たれていたという。一種のシャーマニズムに関連し、天皇と直結する職能集団であったらしい。「日本の歴史をよみなおす」の中ではこれ以外にも様々な職能民が「神人」(じにん)「供御人」(くごにん)「寄人」(よりうど)としてそれぞれ神社・天皇・寺院に直属する民として律令国家の支配から除外される特権を持ち、商工業などに従事していたという。これらの人々は古代においてはそれぞれが特殊能力を神仏と結びつけられ「聖別」されていたというのだが、社会の発展によって自然への恐れが薄れ中世になると賤民扱いを受けるようになったという。面白いのが農民のことを中世には「農人」と呼んで賤視していたのだという。百姓というと今日私たちの多くが農民と同一視しているのだが、江戸時代まで本来の意味では官職に就かない普通の人という意味であって農民は百姓の一部でしかないという。

 中世の鎌倉時代から室町時代に勢力を伸ばした時宗・禅宗・律宗・一向宗などはこれら賤民の救済を掲げていたという。賤民の多くは都市生活者であり、中世には相当の規模で都市が発達していたようで、此所を基盤として鎌倉仏教が勢力を伸ばしていくことになる。律令国家は儒教の影響を受けて農本主義であったため、重商主義とも言える新興勢力との軋轢が多く生じる。関東の鎌倉幕府や京都の後醍醐天皇、室町幕府などは、時にこれら商工業者の力を取り込む政策を繰り広げるが、戦国時代の織田・豊臣・徳川政権は真っ向から対決する姿勢を取ることで統一国家再建・封建国家再建の道を選ぶ。その為一向宗などとは皆殺しを含めた弾圧を行う。戦国時代に伝来したキリスト教も又都市住民の間で広まったために後々弾圧の対象となったようである。一向宗に関しては勅使講和を拒絶した部分が相当激しく弾圧され、前掲書の「一向一揆と部落 被差別部落の起源」では、今日の関西を始めとする西日本の部落の相当数がこれらの人々の末裔である可能性を説いている。東日本においては文化の違いから天皇・神社・南都仏教や平安仏教との結び付きが弱かったために部落が少ないようだ。

 詳細に論じるには私では力不足であるので、一先ず「日本の歴史をよみなおす」を読んで思いついたことのみ記述した。

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2006年6月12日 (月)

快楽亭ブラック

 我が家には落語の本が三冊有る。一冊は高校時代の友人から譲り受けた古典落語の文庫本で、これは二十数年かかっていまだに読み終えることが出来ないで入るのだが、とにかく面白いことは確かだ。今一冊は先日記事にした「はつてんじん」で、あんまり子ども達に受けるので書店に取り寄せを頼んだ。長女も次女も面白がっていた。息子が退院しても自宅に有ればいつでも読んでやることが出来る。最後の一冊が「快楽亭ブラックの放送禁止落語大全」である。この本を知ったのは「反米嫌日戦線『狼』(美は乱調にあり)で死ぬのはやつらださんが取り上げていたからだ。二週間ほど前に「はつてんじん」と一緒に注文したのを昨日ようやく受け取ってきた。

 どうやら私は真面目で良い人で通っているようで、この内容をそのまま引用するとイメージがぶち壊しになりかねないので、簡単に紹介するに留めるが下ネタがどっさりで有る。天皇一族ネタで笑わせてくれるというのもあったが、それも下ネタがからんでいる。天皇を偶像視することを叩きつぶすという点でこれはこれで良いのかも知れない。この記事を書きつつ付属のCDに収録されている「道具屋・松竹編」を聞いているのだが、笑いながら記事を書いている。書いても差し障りがないだろうタイトルを書き記すと「英国密航」「反対車」「川柳の芝浜」「怪獣忠臣蔵」この辺の作品は女性や子供が読んでも大丈夫だろうが、他の作品になると場合によってはセクハラとして怒る女性がいるかも知れない。

 落語には話芸という物があるから、文章で読んでいてはその本当の面白さは分からないのだろうし、高座で聞くのが一番であろうが、それなりに笑いつつ読み終えることが出来た。この人は古典よりも現代落語・創作落語が得意らしい。古典をやる場合であっても色々と現代の時事問題などを入れて工夫しているようだ。

 色々笑っていたのであるが、落語とは別に「借金2000万除名地獄顛末記」という競馬に嵌り、起死回生を狙って講演をしたりCDを作成したものの次々裏目に出て、多重債務に陥るはヤミ金に手を出すは、挙げ句の果てに妻に離婚されたあたりがついつい感情移入してしまった。立川流から除名されたあたりも似ているかも知れない。私の場合は博打の類はしないのだが、色々悩み苦しんでいたときに酒と女で現実逃避をした上に借金をこさえて除名されているから、親近感を覚えてしまう。この本が売れ、CDが売れて再起できればいいなあと応援したくなる。

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2006年5月 4日 (木)

「他人を見下す若者たち」

 講談社現代新書から今年2月20日に初版が発行され、3月27日には第7刷が発行されている。私が書店で手に取ったときには平積みにされていたので相当売れているようである。つい先日もいくつかの書店で平積みとなっているのを見かけたから、現在も売れ続けているのだろう。帯には「『自分以外はバカ』の時代 ! ●自分に甘く、他人に厳しい ●努力せずに成果が欲しい ●すぐにいらつき、キレる ●無気力、鬱になりやすい ●『悪い』と思っても謝らない 若者の感情とやる気が変化している!」とある。筆者の早水敏彦氏は、現在名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授である。

 「はじめに
 日本人の感情・やる気が変わった

 人間社会で諍いが生じるのは古今東西変わることがないが、最近ではなぜそんな小さなことが大きな事件に発展するのかと首を傾げるようなことが、あまりにも多い気がしてならない。些細なしぐさや語り方が相手の感情をひどく傷つけ、憎悪や怒りを掻き立て、思いもよらない行為に走らせる。また他人同士の対立だけでなく、夫婦間の対立も多く、離婚率は年ごとに増加している。さらには、昔は最も自然なことと考えられていた親子間の深い愛情関係すら否定されるような残虐な事件も生じている。このようなニュースに接していると、日本中に怒りが渦巻いているような気がしてくる。
 一方で、学びも働きもしないし、職業訓練も受けようとしないニートが増加している。また、子供の学力低下が指摘され、覇気のない日本の若者像に落胆し、日本の将来を憂える人が少なくない。
 このような世の中の動きを左右している人間の感情や『やる気』(意欲・動機づけ)のあり方が今、大きく変わろうとしているのではないか。そういう思いが本書を書くきっかけである」
  「若者、負け組の『他者軽視』
 今、人と人との親密なつながりが失われつつある現実の中で、誰もが体面を保ち、個を主張して生きていくことが求められている。だが、少子化の影響で小さい頃から大切に育てられ、苦労をせず、楽しいこと、面白いことに浸ってきた若者にとって、見知らぬ社会を一人だけで歩いていくことは恐怖でもある。欲しい物を何でも買い与えられ、有りあまる時間を自分のためだけに使ってきた人たちが、厳しい現実の競争社会の中でまともに生きていくことは難しい課題である。
 しかし、実は彼らはそれを乗り越える術をいつの間にか修得してきたようにも思える。それは、おそらく本人自身もあまり気づいていない無意識的なもので、個人主義文化を担った人たち、さらには、ITメディアの影響を受けた人たちがいつのまにか身につけた仮想的有能感とでも呼ぶべきものである。これは先ほどまでに述べた他者軽視をする行動や認知に伴って、瞬時に本人が感じる『自分は他人に比べてエライ、有能だ』という習慣的な感覚である。」
 「仮想的有能感は、他者をどう見るかという一つの他者評価を基盤にしたものである。他者の評価を低く見るほど自分の能力の自己評価を吊り上げることになる。しかし、これは自分の過去経験にはまったく左右されない思いこみの自己評価と言える。他方、自分の過去経験に規定された自己評価の概念として自尊感情がある。自尊感情は自分への満足感や自信を意味するものである。」 

 引用が長くなったが、今の若者は子供の頃から少子化のために親の期待を一身に受け、小さいうちから学習塾や稽古事に通い、子供同士で集団になって遊ぶ経験を持たないために他人との付き合い方が下手であり、個人行動を好むようになっている。「友人」と言っても苦楽を共にした親友と呼べるものではなく、単に刹那的に遊ぶだけの関係であって、何かあればゲームや携帯電話の電源を切ればお終いになるような希薄な存在が殆どである。自分の思い通りにならないだけでキレて他者に危害を加える短絡的な行動に走るものも多く、怒りの感情を制御することが出来ない。また喜びや悲しみを感じることも少ない。私の世代がしらけ世代と呼ばれ、少し下の世代は新人類と呼ばれたのだが、その当時以上になっているだろう。

 他者との交わりが少ないために自分を客観的に評価することが出来ず、自分は何か特別な存在であると錯覚しているのだが、その為の努力というものは殆どしない。集団を嫌い、協力して何かを達成することに興味が持てないし、テレビドラマなどの感情移入を必要とする番組よりワイドショー化したニュース番組で人の失敗をあざ笑うことを好む。テレビ画面に映る戦争や饑餓の映像を見ても、そこで現実に死や飢えに苦しむ人々の立場になって考えることが出来ない。携帯やパソコン・ゲームなどの最新の機械については若いほど覚えが良いために、その技術に長じていると言うだけで年長者を軽んじる。

 筆者は仮想的有能感(他者軽視)を横軸にし、自尊感情を縦軸にして四つのグループに現代人を分類した。両方とも高い人間を全能型として、経験に裏打ちされた自信を持ち尚かつ他者を低く評価する人としている。両方が低い人間を萎縮型と呼び他者に不満を感じるわけではないが自分に満足できないために鬱などになりやすいとしている。自尊心は高いが仮想的有能感は低い人は自尊型と名付け、他人の良い点は素直に評価しながらも自分についても自信を失わないとしている。最後に仮想型と名付けられた実績に裏付けされた自信がないくせに仮想的有能感だけは強いタイプが存在する。周囲には有能と認めて貰えないのに失敗の原因を見据えることが出来ず他者の責任に帰す傾向を持ち、他人の失敗に対しては鬼の首を取ったように徹底的に批判することで相対的に自分の独りよがりな自己評価を上げようとする。今日の若者の中では、自尊感情が低い萎縮型と仮想型が多くなっているとしている。

 この問題を階級的視点から見た場合にどの様に捉えるべきだろうか。今の若者が育った時代背景を考えると、バブル以降に物心が付いたかあるいはそれすら知らない世代である。バブル崩壊以降に思春期を送っている。それに対して私の世代では辛うじてではあるが団結して勝利する姿を見て育っている。小学校入学前は学園紛争が盛んで三派全学連や全共闘が活躍していた。小学一年生の71年は国鉄反マル生闘争で国労と動労が勝利し、国鉄総裁に公式謝罪をさせている。75年のスト権ストの時は授業が無くなることを期待してスト支持者が多かった。78年の三里塚3・26管制塔占拠闘争の時に中学一年から二年への春休みであり、全逓の78~9年反マル生越年闘争は中学二年の時のことであった。高校三年の時には反トマホーク闘争が高揚した82年である。だが今の若者は国鉄分割民営化において動労千葉を除く組合が転向、屈服し、国労は闘うことなくがたがたに崩され行く過程が最初の記憶ではないだろうか。総評解体と連合の結成により労働者が団結して資本や国家権力と闘うことなど見たこともなければ聞いたこともない。当然その様な経験があるはずもない。90年天皇決戦で36000人を動員した警察の厳戒態勢を打ち破って勝ち取られた数々のゲリラパルチザン戦闘すら知らないであろう。国家権力が所詮傭兵に過ぎない警察を頼りにした暴力組織であり、人民が死力を尽くせばその厳戒態勢などボロボロに出来るのだと言うことを知るものも少ないだろう。 

 バブル崩壊以降の15年は、同時に日本全体が経済的に下降線をたどる中で企業のリストラが進み、労組は資本の手先として労働強化を押し付ける存在でしかない。それを「左翼」だと勘違いしているから当然左翼に対する印象は悪くなる。経済しか世界に誇れるものがなかったバブル期の成金国家にとって、そこが崩壊すれば国民全体に自信喪失状態となる。だがしかしその問題点が資本主義その物の過剰生産・過剰資本にあることを見据えることの出来ない人々は、韓国や中国の経済成長、それ自体は実は日米欧の資本輸出による植民地への道でしかないのだが、産業の空洞化に怯え、全ては中韓のせいで暮らしが悪くなったと思いこんでいる。実際には日本企業はバブル期を上回る史上空前の利益を計上しているのだが、その殆どはリストラと資本輸出による超過利潤に尽きる。差別排外主義に囚われ韓国や中国のあら探しをすることで自己満足に浸ろうとしている若者達が現在のネット右翼であると言えるだろう。

 実践的結論は簡単である。労働者学生が団結して闘うことで勝利してみせることだ。闘えば勝てるのだという勝利の展望を我々左翼の側が指し示すことである。自分では何もしないで他国にケチ付けをして憂さ晴らしをしている若者に自らの力で未来を切り開くことを教えることである。小さな勝利でも構わない。闘って勝つことだ。

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2006年1月30日 (月)

「撃墜魔女ヒミカ」

 久々にハズレの本を掴んでしまったと後悔しきりです。「撃墜魔女ヒミカ」荻野目悠樹著、電撃文庫である。実はこの人、私が好きな田中芳樹さんと共著で「野望円舞曲」というシリーズを出している。時々田中さんの公式サイトである「ライトスタッフ」でも広告が載っているのと、とある人に勧められて購入してみた。それも近所の本屋に無かったので取り寄せまでして買ってしまった。田中氏は、「灼熱の竜騎兵」「七都市物語」「KLAN-血族」など自分が途中まで書いた作品の設定を新人の作家に提供してシェアードワールドなる作品群を世に出しているのだが、この作家もその一人で、実はその類を未だ読んだことがない。作家には文体という物があるから、どうしても本人の筆による物でなければ読む気がしなかったのだ。で、今回購入したのは荻野目悠樹のオリジナル作品である。

 小学生時代に読んだジュブナイルを思い出してしまうほど書き込みが浅い。もしかして粗筋だけを書いてある紹介本を間違えて買ったのだろうかと言うほどだ。粗筋を書いてしまったら読む価値もなくなると思うので簡単に設定だけを書いておくと、第一次世界大戦頃の複葉機に搭乗している魔女が主人公で、舞台は日露帝国主義が激突した中国東北地方をモデルにしているようである。一応戦闘機乗りであるのだが、空戦の描き方が拙い。小学生時代に「大空のサムライ」を始めとする坂井三郎の著作や、源田サーカスの評伝、あるいはルフトヴァッヘのエース達の伝記などを読みあさった人間にとっては、幼稚すぎてつまらない。作者の狙いは魔女の様々な怪奇譚なのかも知れないが、それ自体書き込みが浅いので、何じゃこりゃという感じである。唯一の救いは、田中さんのゴースト?を任されるだけに貴族を始めとする特権階級に対する敵意が感じられることくらいだろう。570円を出すだけの値打ちはなかった。せいぜい次女に暇つぶしに勧める程度の内容だろう。

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2005年10月 5日 (水)

「原発事故はなぜくりかえすのか」

 高木仁三郎さんの「原発事故はなぜくりかえすのか」を読んでいます。読み始めたのは九月の二八日でその日の内に約三分の一は読めました。原発を巡る様々な事故の背景には安全という物にたいする意識が関係者に欠如しているのではないかと言うことと、原子力産業の関係者の間において「議論無し、批判無し、思想無し」と言わしめるように三無い主義がはびこっていることが大きな問題であると書かれています。

 この本の冒頭は九九年九月三〇日の東海村JCOでの臨界事故から書き始めているのですが、なぜそれほど危険な事故が起こったのかを解き明かす中で、亡くなった作業員達の個人の責任に帰するのではなく、日本の原子力産業全体が持つ問題に迫っています。普通の産業では様々な底辺となる技術が集まってきて一つの製品なりなんなりを形作っていくわけですが、原子力についてはそもそもの始まりが原子爆弾、核兵器を開発するために始まった。つまり大量殺戮兵器を作るために始まったために底辺となる技術も経験も蓄積も不足した状態から始まっていると言うことに問題があるようです。

 そこに持ってきて日本における原子力政策は中曽根康弘がかなり強引な手法で予算を獲得し、アメリカから移植するような形で始めたことに始まるためにより一層底辺がない。中曽根自身が著書の中で述介しているのですが、四五年八月六日のヒロシマへの原爆投下を松山から見て「これからは科学立国の時代だ」と思ったそうです。日本においても核武装の将来的必要性を彼は思って始めたと言えるのではないでしょうか。上意下達で有無を言わせない形で始まった物ですから、先に述べたように三無い主義がはびこり、原子力における様々な問題点、危険性について社会に広く知らせようとする研究者、技術者は居所が無くなっていく産業構造にあるようです。当然の話ですが「原子力村」とまで呼ばれる前近代的な閉鎖的産業界の中では内部における問題提起も握りつぶされてしまう。そこから原子力産業発の中における安全無視がはびこる風潮を作っていると書いています。

 まだ半分しか呼んでいない状態なので、この本の内容を法統に理解できているかと言えばそうではないのですが、ある意味で日本の開国以来の富国強兵政策とそれに対するあり方、日本社会全体の異論や批判を許さない社会のあり方その物の縮図が原子力産業にはきわめて悪い形で現れているのではないだろうかと指摘されています。

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2005年9月25日 (日)

アルスラーン戦記

 アルスラーン戦記の11巻「魔軍襲来」がようやく発売となった。10巻発行の後に出版社が角川書店から光文社に変更となり、数年の間隔を空けての発行である。どの様な事情があったのかは知らないが、角川文庫から発行されていた物が、光文社に移行し、1巻から10巻までを五冊にまとめて再版し、ようやく11巻として、カッパノベルズ版としては六冊目にして11巻という奇妙な形式での発行である。

 私のお気に入りの作家である田中芳樹氏の人気シリーズであるのだが、初めて読んだのは87年か88年のことである、当時既に5巻までが出版されていたように記憶している。つまり20年近く続く人気シリーズである。中世ペルシャをモデルとした架空の歴史物語、ジャンルとしてはヒロイックファンタジーと呼ばれる剣と魔法の物語だ。解放王と称されるアルスラーンの波瀾万丈に満ちた物語の中で、ここ数巻は魔物との闘いが前面に現れている。人智を尽くして魔道の者達との間での闘いが繰り広げられているのだ。俗に剣と魔法の物語と言われる分野なのであるが、主人公の側は魔法・魔術と言った非科学的な物は一切使わない。普通のヒロイックファンタジーが魔導師などを味方にして戦うことが多いのと違い異色の物である。

 アルスラーン戦記の中において、魔導師とは常に忌むべき存在として描かれている。ある意味宗教その物が、キリスト教の排他性と十字軍ををモデルとするイアルダボート教の侵略にたいする抵抗から始まるために、敬虔なクリスチャンの中にはこの作品を毛嫌いする人々がいるようだ。これは作者が何の機会であったかエッセイの中で述介している。実は私のような無神論者にとってはそこが嬉しいのである。マルクス曰く「宗教とはアヘンである」現実世界の苦しみを一時忘れさせる麻酔薬としての効能はあるが、実際の病気治療には一切役に立たない存在としての宗教の本質を、この小説は描き出している。

 「魔との戦いに、パルスの神々は、人に力を貸してくださるのか?」「神々はあてにせんことだ。」「カイ・ホスロー王も、ご自分の知略と勇気とで、蛇王ザッハークを打倒なさった。神々が激励してくださったとはいうが、激励なら人でもできることだ。いっそ神々などおられぬと思っていた方がよいかもしれん」「おれは思うのだがな。神々が実在しないとすれば、人は自力で魔と戦うしかない。そして人は魔に勝てる」「人の世はこれまでつづいてきた。それこそが何よりの証拠だ。人が魔に勝てるという事実の」

 今日の資本主義の帝国段階の矛盾を「魔」と置き換えたときに、人類の英知は必ず戦乱の世を平和な世界に変えることが出来るのではないかという、ささやかな希望を、私は作者のメッセージとして受け止めている。

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2005年8月27日 (土)

本多延嘉著作選を読む

 本多延嘉と言っても、このブログにコメントを下さっている元左翼活動家の人たちなら知っていても、ご存知ない人が多いと思います。革命的共産主義者同盟の創設者で初代の書記長であった人物です。今日の中核派の思想の基礎を作った偉大な革命家だったという。伝聞にしたのは私が運動に参加した当時は既に故人となっていたからです。直接指導を受ける機会が無く、古参の党員からの思い出話や様々な文献からその人となりを知るしかありませんでした。

 本多書記長は75年3月14日、現代のナチス、反革命ファシストカクマルによって虐殺されました。(普段このブログでは「革マル」と表記することが多いのだが、本多書記長について書くためには「カクマル」という表現がふさわしい)確か享年41であったと思う。

 なぜ本多著作選を読もうと思ったのかというと、自分の思想をもう一度最初から見つめ直そうと思ったからです。勿論本多著作選だけではなくて共産主義の古典も学ぶ必用があるでしょうし、最新の様々な文献も読んだ方がよいかと思います。それでも何故本多著作選かというと、私の共産主義は全て中核派式の解釈が元にあるからです。それと現役の当時、著作選は持ってはいてもいくつかの論文を拾い読みしたり、あるいは新人活動家向けの学習会で講義を受けたくらいできちんと読み切ったことがなかったのです。そうした作業の中で自分自身の思想のよりどころを改めて確立することが出来たらと思います。

 とまあ言うだけなら簡単なのですが、実際に数日前に読み始めたのはよいのですが、まだ一巻の始めの方しか読めていません。気がつくと眠っていることもあります。頭が相当さび付いているのと内容の難しさの両方がそうさせているのでしょう。思いつきで始めた作業ですが相当の時間がかかることを覚悟する必用があるみたいです。もし可能であればこのブログで学習内容なども書くことが出来たらと思います。期待しないでお待ち下さい。

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2005年7月25日 (月)

カジムヌガタイ 風が語る沖縄戦

 7月前半、沖縄タイムスの記事を読んでいてこの本がイタリアで翻訳、出版されることを知った。もちろんこの本の存在を知ったのも初めてだった。沖縄戦を扱う漫画としては、寡聞にして他の作品を知らない。

 作品は全部で七話の構成になっている。最初の一話だけが米軍統治下の沖縄における女性への強姦事件とそれへの沖縄県民の抵抗を描いているのだが、残る六話は沖縄戦の渦中における日本軍による県民虐殺や降伏交渉のために捨て石にされたありさまを描いている。史実に基づく沖縄戦の実際を、分かり易く伝えてくれる良書であると思う。もし出来ることなら一人でも多くの人にこの漫画を読んでもらいたい。

 講談社、モーニングKC898 比嘉ススム 税込み580円

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2005年7月17日 (日)

「ラインの虜囚」

 お気に入りの作家田中芳樹さんの最新作。内容はナポレオン死語のフランスとプロイセンを舞台にした、少年少女向けのジュブナイルなのだが、作者は当時の時代背景等を丹念に調べた上で書き上げている。けして子供だましの内容に終わっていない。

 登場する主人公格の四人、コリンヌ・ド・ブリクール、ジャン・ラフィット、エティエンヌ・ジェラール、アレクサンドル・デュマの全てが歴史上の実在の人物で、ちょっとした冒険をすることになる。ナポレオン・ボナパルトが実は生きているのではないかという噂の真偽を確かめることを、祖父から命じられたコリンヌが、他の三人と出会い、暴漢に襲われながらも目的地にたどり着いて事実を調べてパリに戻る。戻ってからの一騒動。

 小中学生くらいのお子さんがいる方には、物語の楽しさを教えてくれるこの本はお薦めだと思います。読後、早速長女に面白いからと勧めました。

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2005年6月30日 (木)

「ハリー・ポッター」原書に挑む。

 中学一年になる長女は非常に本が好きです。特にファンタジーの系統が好きで、「ハリー・ポッター」や「デルトラ・クエスト」「ダレン・シャン」などと言うシリーズを、新刊が出るのを待ちかねて読んでいる。中学一年というと早い子供は思春期に差し掛かっていて、父親との断絶などが社会的にも問題になったりしている。私も本が好きなので娘との共通の話題を作るために娘の勧める「ダレン・シャン」に挑戦したことがあるのだが、性に合わなかったので半分ほど読んだところで投げ出してしまった。

 「ハリー・ポッター」の場合映画が面白かったので、二作目の「秘密の部屋」、三作目の「アズカバンの囚人」は家族で映画館に見に行った。これなら読めるかも知れない。どうせなら親の見栄で子供が読めない英語で読んで手本を見せたら、長女が英語に興味を持つかも知れない。等と考えたのが約一年前の出来事になる。近所の書店で原書のペーパーバックを購入して、さて、と意気込んだものの、実は私は英語が苦手であった。

 大学入試の際私立文系を受験したにも関わらず、英語の偏差値が50に届いたことがない。国語と世界史とはどちらも60以上有ったので、英語さえどうにかすれば、第一志望は難しくとも滑り止めに受けた某大学なら大丈夫だろうと言われていたが、結局英語が伸びず、受験は失敗に終わった。

 で、結局挑戦を始めたは良いが約30ページほど読んだところで中断している。そうこうするうちに長女はこの春中学に入学し、初めて習う英語に関心を抱いたのか原書を「読んでみようかな」と言い始めた。もしここで娘に先を越されたら父親の面目が丸つぶれになってしまう。どうにかして読破せねばと内心焦りが生じている。へたに格好付けるのでは無かったかも知れない。世間のお父さんはどうやって子供の前で親の体面を守っているのだろうか。

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