講談社現代新書から今年2月20日に初版が発行され、3月27日には第7刷が発行されている。私が書店で手に取ったときには平積みにされていたので相当売れているようである。つい先日もいくつかの書店で平積みとなっているのを見かけたから、現在も売れ続けているのだろう。帯には「『自分以外はバカ』の時代 ! ●自分に甘く、他人に厳しい ●努力せずに成果が欲しい ●すぐにいらつき、キレる ●無気力、鬱になりやすい ●『悪い』と思っても謝らない 若者の感情とやる気が変化している!」とある。筆者の早水敏彦氏は、現在名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授である。
「はじめに
日本人の感情・やる気が変わった
人間社会で諍いが生じるのは古今東西変わることがないが、最近ではなぜそんな小さなことが大きな事件に発展するのかと首を傾げるようなことが、あまりにも多い気がしてならない。些細なしぐさや語り方が相手の感情をひどく傷つけ、憎悪や怒りを掻き立て、思いもよらない行為に走らせる。また他人同士の対立だけでなく、夫婦間の対立も多く、離婚率は年ごとに増加している。さらには、昔は最も自然なことと考えられていた親子間の深い愛情関係すら否定されるような残虐な事件も生じている。このようなニュースに接していると、日本中に怒りが渦巻いているような気がしてくる。
一方で、学びも働きもしないし、職業訓練も受けようとしないニートが増加している。また、子供の学力低下が指摘され、覇気のない日本の若者像に落胆し、日本の将来を憂える人が少なくない。
このような世の中の動きを左右している人間の感情や『やる気』(意欲・動機づけ)のあり方が今、大きく変わろうとしているのではないか。そういう思いが本書を書くきっかけである」
「若者、負け組の『他者軽視』
今、人と人との親密なつながりが失われつつある現実の中で、誰もが体面を保ち、個を主張して生きていくことが求められている。だが、少子化の影響で小さい頃から大切に育てられ、苦労をせず、楽しいこと、面白いことに浸ってきた若者にとって、見知らぬ社会を一人だけで歩いていくことは恐怖でもある。欲しい物を何でも買い与えられ、有りあまる時間を自分のためだけに使ってきた人たちが、厳しい現実の競争社会の中でまともに生きていくことは難しい課題である。
しかし、実は彼らはそれを乗り越える術をいつの間にか修得してきたようにも思える。それは、おそらく本人自身もあまり気づいていない無意識的なもので、個人主義文化を担った人たち、さらには、ITメディアの影響を受けた人たちがいつのまにか身につけた仮想的有能感とでも呼ぶべきものである。これは先ほどまでに述べた他者軽視をする行動や認知に伴って、瞬時に本人が感じる『自分は他人に比べてエライ、有能だ』という習慣的な感覚である。」
「仮想的有能感は、他者をどう見るかという一つの他者評価を基盤にしたものである。他者の評価を低く見るほど自分の能力の自己評価を吊り上げることになる。しかし、これは自分の過去経験にはまったく左右されない思いこみの自己評価と言える。他方、自分の過去経験に規定された自己評価の概念として自尊感情がある。自尊感情は自分への満足感や自信を意味するものである。」
引用が長くなったが、今の若者は子供の頃から少子化のために親の期待を一身に受け、小さいうちから学習塾や稽古事に通い、子供同士で集団になって遊ぶ経験を持たないために他人との付き合い方が下手であり、個人行動を好むようになっている。「友人」と言っても苦楽を共にした親友と呼べるものではなく、単に刹那的に遊ぶだけの関係であって、何かあればゲームや携帯電話の電源を切ればお終いになるような希薄な存在が殆どである。自分の思い通りにならないだけでキレて他者に危害を加える短絡的な行動に走るものも多く、怒りの感情を制御することが出来ない。また喜びや悲しみを感じることも少ない。私の世代がしらけ世代と呼ばれ、少し下の世代は新人類と呼ばれたのだが、その当時以上になっているだろう。
他者との交わりが少ないために自分を客観的に評価することが出来ず、自分は何か特別な存在であると錯覚しているのだが、その為の努力というものは殆どしない。集団を嫌い、協力して何かを達成することに興味が持てないし、テレビドラマなどの感情移入を必要とする番組よりワイドショー化したニュース番組で人の失敗をあざ笑うことを好む。テレビ画面に映る戦争や饑餓の映像を見ても、そこで現実に死や飢えに苦しむ人々の立場になって考えることが出来ない。携帯やパソコン・ゲームなどの最新の機械については若いほど覚えが良いために、その技術に長じていると言うだけで年長者を軽んじる。
筆者は仮想的有能感(他者軽視)を横軸にし、自尊感情を縦軸にして四つのグループに現代人を分類した。両方とも高い人間を全能型として、経験に裏打ちされた自信を持ち尚かつ他者を低く評価する人としている。両方が低い人間を萎縮型と呼び他者に不満を感じるわけではないが自分に満足できないために鬱などになりやすいとしている。自尊心は高いが仮想的有能感は低い人は自尊型と名付け、他人の良い点は素直に評価しながらも自分についても自信を失わないとしている。最後に仮想型と名付けられた実績に裏付けされた自信がないくせに仮想的有能感だけは強いタイプが存在する。周囲には有能と認めて貰えないのに失敗の原因を見据えることが出来ず他者の責任に帰す傾向を持ち、他人の失敗に対しては鬼の首を取ったように徹底的に批判することで相対的に自分の独りよがりな自己評価を上げようとする。今日の若者の中では、自尊感情が低い萎縮型と仮想型が多くなっているとしている。
この問題を階級的視点から見た場合にどの様に捉えるべきだろうか。今の若者が育った時代背景を考えると、バブル以降に物心が付いたかあるいはそれすら知らない世代である。バブル崩壊以降に思春期を送っている。それに対して私の世代では辛うじてではあるが団結して勝利する姿を見て育っている。小学校入学前は学園紛争が盛んで三派全学連や全共闘が活躍していた。小学一年生の71年は国鉄反マル生闘争で国労と動労が勝利し、国鉄総裁に公式謝罪をさせている。75年のスト権ストの時は授業が無くなることを期待してスト支持者が多かった。78年の三里塚3・26管制塔占拠闘争の時に中学一年から二年への春休みであり、全逓の78~9年反マル生越年闘争は中学二年の時のことであった。高校三年の時には反トマホーク闘争が高揚した82年である。だが今の若者は国鉄分割民営化において動労千葉を除く組合が転向、屈服し、国労は闘うことなくがたがたに崩され行く過程が最初の記憶ではないだろうか。総評解体と連合の結成により労働者が団結して資本や国家権力と闘うことなど見たこともなければ聞いたこともない。当然その様な経験があるはずもない。90年天皇決戦で36000人を動員した警察の厳戒態勢を打ち破って勝ち取られた数々のゲリラパルチザン戦闘すら知らないであろう。国家権力が所詮傭兵に過ぎない警察を頼りにした暴力組織であり、人民が死力を尽くせばその厳戒態勢などボロボロに出来るのだと言うことを知るものも少ないだろう。
バブル崩壊以降の15年は、同時に日本全体が経済的に下降線をたどる中で企業のリストラが進み、労組は資本の手先として労働強化を押し付ける存在でしかない。それを「左翼」だと勘違いしているから当然左翼に対する印象は悪くなる。経済しか世界に誇れるものがなかったバブル期の成金国家にとって、そこが崩壊すれば国民全体に自信喪失状態となる。だがしかしその問題点が資本主義その物の過剰生産・過剰資本にあることを見据えることの出来ない人々は、韓国や中国の経済成長、それ自体は実は日米欧の資本輸出による植民地への道でしかないのだが、産業の空洞化に怯え、全ては中韓のせいで暮らしが悪くなったと思いこんでいる。実際には日本企業はバブル期を上回る史上空前の利益を計上しているのだが、その殆どはリストラと資本輸出による超過利潤に尽きる。差別排外主義に囚われ韓国や中国のあら探しをすることで自己満足に浸ろうとしている若者達が現在のネット右翼であると言えるだろう。
実践的結論は簡単である。労働者学生が団結して闘うことで勝利してみせることだ。闘えば勝てるのだという勝利の展望を我々左翼の側が指し示すことである。自分では何もしないで他国にケチ付けをして憂さ晴らしをしている若者に自らの力で未来を切り開くことを教えることである。小さな勝利でも構わない。闘って勝つことだ。
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